今年はまだ 3月 22日しかたっていない。
それにしても“四月一日”と書いて「わたぬき」と読ませるという苗字は、 本当かウソか知らないが、どちらにしてもそれ自体ですでに目的の半分を熟成している。
ところで、コンピュータをいじっているとついつい保守的になりがちだ。
ところで、きょうの Colloquium は正直いってハズレでしたよ。 きょうきたのは MultiJava という Java の拡張言語を作っている人なのだが、アブストがなんか大々的なわりには たいしたことなかった。 abstract によると「addresses longstanding extensibility limitations」とか書いてあるが、 ようするに Java にいくつかの機能を追加してみました、というもので、 それらは基本的に ad hoc な拡張にしか見えない。 ひとつめは複数の class のメソッド拡張を単一のファイルに記述できるようにした、 というやつだが、つまりこういうわけです。こんなクラスどもがあって:
ここで、この 3つのクラス全部に新しくclass Shape { void a(){...}; void b(){...}; void c(){...}; } class Rect extends Shape { void b(){...}; } class Circle extends Shape { void a(){...}; void c(){...}; }
void x()
というメソッドを追加したいとする。
さてこのとき、MultiJava (以下マルジャう゛ぁ) では次のように単一のファイルに
追加する定義を書けるというのですな:
しかし、ハア…それで? という感じだ。 しかもこれらの関数はもともとのクラス定義では「想定されていない拡張」なので、 private methods にはアクセスできない。 これはマクロ展開となんか変わるものがあるのだろうか。 もうひとつの拡張は、void Shape.x() {...}; void Rect.x() {...}; void Circle.x() {...};
という if 文の並んだうざったい event dispatcher を“マルジャう゛ぁ”では 以下のように書けますよ、というもの:class EventHandler { void handle(Event e) { if (e isInstanceOf(MouseEvent)) { processMouseEvent((MouseEvent)e); } elif (e isInstanceOf(KeyEvent)) { processKeyEvent((KeyEvent)e); } ... else { processOtherEvent(e); } } }
しかもこれらは継承もできます、というのだが、 これがそんなに嬉しいものなのか。 基本的にはこれもマクロ展開とあまり変わるところがないような。 というか、そもそもそれだったら最初から「イベント型ごとにべつべつのハンドラ書け」 というとりきめを作っておくべきであって (どのみちイベントを発生させる側は分けて考えているのだ)、 アプローチの仕方が間違ってるような気がする。 それにこの枠組みがもっと一般的に使えるの? といったら、event dispachter にしか 使う場所ないわけでしょ。それしきのために言語を拡張するという 蛮行がはたして許されるものだろうか。新山は、個人的には許されないと思う。ゆるさん。 それとも言語屋 (プログラミング言語のほうね) というものはそういうものなのだろうか。 だいたいオレは機能の多い言語は嫌いだ。言語に機能を追加するんなら、 それはほんとうに非常に多くのプログラムにとって有効であるときだけにすべきだ。 「プログラミング言語の設計は、機能の上に機能をつみかさねることによってではなく、 余分な機能が必要であるかのように思いこませている弱点と制約を取り除くことによって なされるべきである… (R5RS)」class EventHandler { void handle(@MouseEvent e) { processMouseEvent(e); } void handle(@KeyEvent e) { processKeyEvent(e); } ... void handle(Event e) { processOtherEvent(e); } }
しかし個人的には Java の欺瞞にはいままで大いにひっかかってきたので、
もういまさら何をやっても信じてやらない。Java を見たらドロボーと思うぞ。
つーか、つーか、そもそもだなー、プログラミング言語の研究というものじたいが (略)
それから今までの自分の性癖で気づいたのは「新山は明示的指向である」ということだ。
暗黙的なのがとにかくキライらしい。たとえクドくてもとにかく全部書け全部書け
なにもかもきちんと書いておけそうじゃなきゃ許さない、という傾向があるように見える。
この日記を見ても。
ところでいまふと思ったのですが東雲 16pt (これも新山の頭の中では完全に「とううん」と発音されている) の
「0
」と「O
」はかなり区別つきにくいですね。
ところでいまマクロについて考えていて、 マクロ太郎 という名前を思いついた。だがこれの意味するところはなんでもない。ただ名前だけ。 でもだれもやってないのか。 マクラ太郎ならあるかな? …なかった。 どうでもいいけど「マクラ」ってかなり語感がよくてすきな単語なんだが、これはなぜか カタカナで書きたい。これだけは。どうしても。
やはり春というものは人の電波ドを高め活性化させるものなんであろうか。 オレはそんなこと考えたくないぞ、信じたいものだけを信じろ! それゆえに。
そういえば「匿名」にはとくに抵抗はないが、 「ハンドルネーム」にはかなり抵抗がある。 個人的には、ハンドル名とか使ってよろこんでいいのはせいぜい高校生ぐらいまでだと思う。 じつは新山にはむかしよく使っていたペンネームがあった。 当時はネット掲示板というものがなかったし、パソコン通信もなかったので、 この名前はもっぱら内輪の記録や性格判定テストの偽名などの目的に使われていた。 しかしじつは Macintosh 用に作ったあるスクリーンセーバにはこの名前が入っている。 一時はそれなりに利用者もいたらしいが、さすがにもう誰もつかってないだろうな…。 ところが大学に入ってしばらくしたある日、ハタと気づいたのだ。 「自分はなにを哀れなことやっておるのか」と。だってさあ、 いい歳した男が (べつに女でもいいが) ブラウザに向かって 「マクラ太郎」とか入力してるとこを想像してみてよ。 恥ずかしいというよりは、情けないというか哀れというか。 その後ろ姿とかがね…もう泣かせるじゃないですか (と勝手に想像している)。 それはまるで「悲痛」という表現がふさわしい。 その痛々しさはかつて自分を「ミッチーと呼んで」と言っていた某政治家を 見たときのそれと同類のものだ。ああ、世界はなんて残酷なのだろう。やってらんないよ。 それだったら電車の中で堂々と週刊宝石とかのエロ写真を見ているオヤジのほうが まだマシである。でもそれってあんまし実感わかないな。 それだったら電車の中で堂々とハーレクインロマンスを読んでるオバサンのほうが まだマシである。これもあんまし実感わかないな。 まあとにかく、「こういうオトナにはなりたくない像」のひとつが ハンドル名使用だということに自分は気づいてしまったのであった。 そしてこれで反省して以来、もうその名前は使っていない。 これをして成長というのなら生長の家だな (←意味が不明)。
ちなみに新山はよく自分の日記をかきながらひとりでニヤニヤしています。 あーおかしい。uhyahyahyahyahyahya まー、「踊る阿呆に見る阿呆」ってかんじだよな。 (なんだかだいぶ敵を増やしているような気がしますが…気のせいでしょう、きっと)
オレがそれをやったんじゃない! それは悪霊がやったんだっっ!! (数秒後、)
"did you take a shower?"
"no."
"I mean do you take a shower?"
"no, go ahead."
ごぼごぼgobogoboごbogoぼごぼgobo… . . . とお茶のはいったカップにお湯をいれる。
それはお湯がとびちる飛沫をあらわしている、その手は、その点々は。
ふむ、かれは TV 中毒だ。終わるまで見続ける。死ぬまで見続ける。
わたしはずっと自分の外にあなたをさがしていたが、
あなたは最初から自分の中にいらっしゃった、とかなんとか、そんなようなことを
by 聖アウグスティヌス、が、のたまいましたのですよ。言ったらしい。
オレの頭の中は最初から最期まで空っぽですが。
地下におりていくような文章とはどれのことだ。
きょうはみぞれが降った。ほんとに。もう4月なのに4月1日とはえらくまた豪気だね。
わたしの左手は、ろうそくでできているんです、とその人形 (彼だか彼女だかは知らない―たぶん性別ははっきりしないまま作られたんだと思う) は言った。 それは左手がろうそくなのか、それともたんに左手が蝋でできているというだけなのか。 ぼくは尋いてみた。
わたしの左手はろうそくです――と、その人形がくりかえしいう。
それ以上のことは知らないのか、あるいは言いたくないのかもしれない。 では、すくなくとも、灯をともすことはできるんですね、とぼくは言った。
わかりませんが、たぶん溶けるでしょうね。芯が下を向いていますから役に立たないんです。
あ、そうだったんですか。見るとたしかに左手は下を向いている。 右手は折れてなくなっていた。 針金がわずかに肩のあたりからとび出している。
痛さというものはわかりません。と、こちらの質問を見すかしたかのように その人は云った。おかしなものですが、と。すこし笑ったように見える。 人形が喋るはずはないし、笑うはずもないのだが。
なにを言ったらいいかわからないので、ぼくは黙っていた。
ここは暗い部屋ですね。左手を燃やせば明るくなるでしょう。 とその人形は言った。どうかわたしを横に倒して火をつけてくださいませんか。 そうすれば左手もよろこびますから。
ピアノの音が聞こえる。
ぼくはなにも聞かなかったふりをして、その人形を箱にしまおうとした。 家の外で、世界じゅうの人間がこの家を指さして哄笑するのが聞こえた。 だれにも彼 (あるいは彼女) の言葉が聞こえてはいないことに、ぼくは安心した。
いえ、自分にそんなことをいう資格はございませんので。 哀れな人間にはそれなりの楽しみというものがぞざiます。(←哀れな人間)
…あしたからまた月曜なのでふつうの人間のふりをしなければならないのだが、 このように精神的にバーストしてたときの記録を残しておくと あとで見たときにマジで死にたくなるんだよな。こまったもんだ。 でも残しておこう。マゾなので。マジとマゾは似てるよね。やばい、もうほんとに寝よう。 toity-toid.
なにか日本語のコメディショーを見てたのだが、それは モンティ・パイソンに対抗してつくられたらしく「モンキーパンサー」という名前だった。 なにやらモンキーパンチとピンクパンサーを足して2で割ったような名前だが、 どこにもないので 新山の夢の中における創作らしい。しかしそれがトンでもなく面白かったのである。 基本的には「ドリフの大爆笑」っぽい構成だったのだが、とにかく目が覚めてからも 思い出して一人でケフケフ笑っていた。ところがいざ起き上がって そのオモシロサをこのページに記録しようとした瞬間、それはあとかたもなく 消えてしまい、何があったのだかまったく思い出せなくなってしまった。不気味。 それでも「モンキーパンサー」という名前と「ドリフの大爆笑っぽかった」という ことだけを覚えている。なにやらおっさんが大量に出てきて歌を歌っていたような (lumberjackか?)。 しかしもうその記憶はおそらく永久に失われた。
ところで、これはあくまでもウワサなのだが、Owen によると チャイナタウンでも SARS の感染例が見つかったらしいよ。ことの真偽は不明だが、 本当だとしたらかなりヤバイことではないか? しかしマスコミは現在のところ戦争一色である。 それとも当局はパニックを恐れてひた隠しにしているのだろうか。どっちにしてもやな話だ。 とにかくゆうべはこの話を聞いてからずどーんとテンションが下がってしまい、 おまけにお茶をのみすぎたのでなかなか寝つけず、しまいには薬 (メラトニン) に 頼ることになった。けさ起きてからもなんとなく憂鬱なままだ。 しかも起きてから nytimes.com をみたら自爆テロ合戦がこんどはイラクでも起きてるらしい。 これはつまり、戦争が終わってからもあすこはガザ地区みたいになるってことじゃないだろうか。 どちらも基本的にオレには関係ないのだが、 とにかく暗いニュースばかりだ。もう web をみるのやめようかな。
つーか、なんか自分はどうでもいいことで心配しているように見える。 なんかゆうべはもう「すぐにでも死にます、明日死にます」って雰囲気だったし (新山のアタマの中が)。 いったいこの弱気さはどっからくるのだ。疲れているのだろうか。てゆうかこれって鬱病っぽくないか? 肺炎で死ぬんじゃないかとか、テロに会うんじゃないかとか、そういう 心配してもどうしようもない「落石注意」のたぐいは心配しないこと! だいたい世の中にはエイズに感染する危険性があるのに 非加熱血液製剤を使わざるをえない人だっているんだし (←いつの話だよ)、 たぶんテロに会って死ぬよりは強盗に襲われて死ぬほうがずっと確率が高い (←そして根拠なし)。
でもニューヨークで死ぬのは正直カンベンしてほしいなあ。 ここには神様 (日本的な意味で) がおはしませぬよ。
取るまえに切れてしまった。これはインボウかっっ!
最近、ダメだなあと思うこと。 ここにまともな日本語を書いてしまっていることが多い。 これはダメだなあと思う。
もともとこのペエジは日本語(とか英語とか、その他あらゆる人間の使っている言語)しか 理解できない人にはわからないようにしようという意図のもとにつくられたものなのだ。 だから、まともな日本語は本来刺身のツマであって、本来は意味不明な(と普通の目の人にとっては映る) 言葉のつみかさねでなければならない。
つうことで、つうことで。
きょうもヒキコモラーな一日。だめだ。こんなんじゃ、ちっともまともな日本語だ。
まともな日本語じゃないじゃないだ (
二重
否定
。)
ここにはま
ともな人間を書かないということがまともな目標(目的というものがかくあるうるならば)であって、ま
ともじゃないということにはならない、たとい改行したからといって。
あなたは無駄な抵抗はやめなさい。無駄、
そういえば言語とは異なるメッセージ (メッセージ性) というものがある。
それは、受信星ではない。
かかる/こと/かかる/ことなきにし/もあらず/ /(ヤスミ)
「ああ、君、もうあしたから混なくて結構だかrらa.」
そういうんだろ? そういんだうどろ? そういうのをまっているんだろ??
うどんのくせに!
…とあなたはいうであろう。とあなたはいうであるお、それはあさつき(?)だ!!
あるおだって?
改行。
なにひとつ、ここには線をひいたおぼえはありませんことで。
べも、よくないことはしてはならない。その言葉に、オレはもうどうにもムカついた。 だいたいうしろから…。卑怯者。かれはまだ見ないふりをしているらしい。 でも、それがあさつきであることは事実はっきりしているので、あなたもわたしも加害者です。 あさつき! あさつき! うしろの犬がものすごいおたけびをあげるので、虐待されてるのかと思って、 行ってみたらもうそのときはなくなっていた、馬小屋が。ああ犬だ犬だ猫。 チャワンの底をたたくのはなにしろあさましき行為であるので、うちの父はただかたくなに それを禁ずる。なんでも、バケが出るのだそうな (謙譲語には「お」をつけない主義)。 うら庭にたしかそれを防止するクスリがあったはずだと思って、物置きに火をつけてみた。 あさつきだ! 山はそれを燃えているのをよしとしないので、そばへいって、 バケツに水をたきつけてくる。やめてくれ、もう無駄だ。死んでいるんだ。 そうすると落ちてきて、もうそれは木から間から見えなくなっているところに はさまっているので、来なくなった。もうやばい。水たまりの中にはボウフラがわいていた。 蚊になるのか? こいつらは。いやなるわけはない、なぜなら彼らは日本人だから! こうした状況にいかなる対処もできずして指をくわえて見ているだけなら、 その証拠から鑑みて、もはやこいつには住む家もなくアンチテーゼは中性化するであろう。 さっきの犬が、まだしっぽをふっているが、もはやぼくはそれを無視する。 ふいに綱引きに使うと思われるじょうろが道端におちているが、それを飲みこんでももはや 何も消化できない。消火だた! でももう火は消えていた。つぎは警察か? なにもできずに立ちつくしていたそこの小箱がこちらににじり寄ってくるのを あなたは見過ごすことができずに看過する。おわりだ。もうおわりだ…。 でもまたあしたは早起きしなければならないので、パンにバターをぬって、 マヨネーズをぬって、またバターをぬって、それのくりかえし。 次第に層があつくなる。熱化しているのだ。もう京都弁の時間らしい。あしたか、あたしか? そうすると、シマシマの綱引きが完成するのに何世紀か間に合わぬので、 ブローカ屋の損傷は引き起こしきれないうまみを尊敬する。ウソだぞ、ウソだぞ、 信じるんじゃないぞ! という声が聞こえた。これは自動生成したわけではありません。 4文字ぬかしてる!
「この人頭おかしいよね、」
考えてみれば、自分がいまの職場 (つーか学校だけど) で とくにムカつく人もいなくて周囲に尊敬できる人に囲まれて 平穏な日々を送っていられるというのは、か・な・り幸運なことなのかもしれない。 セキネさんは研究者としてはスゴいし新山の生意気な言動も大目にみてくれてるようだし (ちなみに新山は日本でも教授に対してかなり生意気な口をきいていた、しかもときどきタメ口、 社会人失格だなこら)、Ralph にいたってはまさに 「こういうオヤジになれたらカッコいいだろーなー」という理想のおじさん象^H像なのだ。 ヒョーヒョーとしてるし。学科の中には「いかにも共和党員」な感じの典型的な アメリカン教授もいるのに対して、彼の雰囲気はかなり異色である。 Adam とか Dan とか Roman とかもちょっと変わってるけど研究者としてはマトモだしね。 しかし「自分が居心地いいってことは、他人に対しては迷惑をかけているのではないか?」という心配はつねにある。 ところで某A女史によるとセキネさんは「日本に帰るとセクハラおやじ化する」らしいよ (本人は強固に否定)。 新山は日本にいるときの彼を見たことはほとんどないのでわかりませぬが。 たぶん日本の社会が男を甘やかしすぎることに原因があるように思う。 そういう意味ではアメリカはかなりまとも (女性が働きやすいという意味で) だ。 あいかわらずセクハラ裁判はしょっちゅう起きてるようだが。日本でももっとバシバシ気軽に(?) 訴えられるようにすれば状況はちったあ改善されると思うんだけど、それはそれで某山形さんのケースよーな 不幸な事件が多数発生するのかもな。ある人によればヨーロッパのほうがさらにまともだ、 と主張するのだが、ヨーロッパには住んだことがないのでわかりませんです。
ああこんなベタなギャグをいっているようじゃもうダメだ…。
しかし、どことなくムーミンに似た体格になってしまうなあ。
nyplgate.nypl.org
に telnet して
オンライン更新する。いやー、便利。NYPL ばんざい。
つーか、こんなことできる図書館って日本にある?
そもそも新山がまともに使ったことのある図書館は
大田図書館か
東工大付属図書館ぐらいしかないのだけど、
これらは OPAC で蔵書検索だけはできても (それもインターネットからのアクセスはかなりヘボかった)
個人ユーザの情報はオンラインからではまったくアクセスできなかった。
今はどうなのか知らんが、たぶん web をみるにあまり状況は変わってないと思う。
ダメだよなー。なーにがアイテー (IT) だよ。NYU の図書館だってオンライン更新できるのに。
あまりこういうことは言いたくないが、図書館的にみれば (?) ニューヨークは文句なしに
世界の文化の中心といってもいいと思う。サービスの質・量ともに NYPL はダントツだ。
Donnel にいけば日本語からフィンランド語からタイ語までありとあらゆる言語の本があつまっているし
(スロヴェニア語やタミル語の本なんてあそこではじめて見た)、毎日どこかの分館でなにがしかのイベントが
ひらかれ、それなりに人もきている。図書館が Performing Arts までやるとは知らなかった。
それになにより「庶民のためにやってます」というフレンドリーな雰囲気がいい
(日本の図書館の親玉といえば国会図書館だろうが、あそこはぜんぜん庶民の役に立ってないと思う、
あ、こっちではそれに相当するのは Library of Congress か…)。
とにかく NY にいる間は図書館をしゃぶりつくさないともったいない。
東京にいたときは、積層書庫まで入らせてくれる大田図書館はかなりのお気に入りだったが、
こっちに来るとあれすら色あせて見えるなんて…。
そういやー新しくなった洗足池図書館 (洗足図書館ではない、あれは目黒区だ) のカフェは結局一度も利用せずじまいだったな。
しかし、いつもニューヨークのいろんな施設をみていて思うのは カネがあるということである。 とにかくニューヨークというのはカネの力というのを 思い知らされる土地だと思う。ミッドタウンあたりを浮浪者のようなカッコで きょろきょろしながら歩きまわっているとカネの力を露骨に感じとれるだろう。 いたるところで「うわっ、カネだよ!」と思うもんね。 NYPL は税金が半分と個人の寄付が半分で成り立っているらしいので、 厳密な意味では完全に「公」ではない (が、public というのは「庶民のための」というような意味らしい、 NYU も「private university in public service」とかいってるし)。 けど、すげー金持ちがいるんだろうなー。
ま、とにかく、まえにスミソニアン博物館を見たときにも思ったのだが、 こういう文化や啓蒙、教育といったことに惜しげもなく金をドカドカつぎ込む国をみていると 日本がすんごい発展途上国に見えてくる。しかし一方こっちではエレベータがぶっこわれたり トイレがぶっこわれたり電話がつながらなくなったりすることが多々あるので、 問題はそう単純ではない。そういう細かいところになると全然洗練されてなくてムカつく。 まあ重視する部分が違うんだろうけどさ、 結局オレは何もかもちゃんと動く (少くともその努力はする) 日本のほうが好きだが。
センサーデバイスというのは、実物を見せてもらったが、マッチ箱大の 小さなコンピュータである。単三電池2本でうごき、4MHz の RISC チップと 無線通信デバイスをそなえた Mote と呼ばれる物体(?)。 このセンサーをいろんなところに取り付けてデータを収集するのだが、 なにしろ小さいうえに、いちど備えつけたら交換がむずかしい環境 (建物や道路、橋、野生動物の首ネッコなど) にとりつけられることが多いため、 電池を非常に長くもたせる必要がある、そのため消費電力が極端に 限られているのだそうな。この限られ方というのはものすごく、たとえば 光学センサーで 1回明るさをサンプリングするだけでも数百μJ (!) の電池を消費する、 とかそんな細かいとこまで気にしてるんだから笑える。とーぜん、その通信距離も非常に限られている。 なんでも 1パケット (これは 36バイトから構成されている) を送るのに 200〜800サイクルの命令を実行しなければいけないとかで、これまた電力を消費するわけだ。
そのため、このセンサーはいっちょまえにパケットルーティングする機能がついていて、 ネットワークトポロジーの変化を自動的に検出して長距離の通信ができるようになっている (これは TinyOS と呼ばれる組み込み OS らしきもので行っている)。おもしろそー。 しかしすべてのノードからデータを収集するには、すべてのノードに対して query をかけねばならない (←この用語ってヘンな使い方だよな)。 でもこれはネットワーク的にも電力的にも負荷がかかりすぎる。しかしどうせ必要なのは 個々のノードの値ではなく一括した統計的な値 (最大値とか各ノードの平均とか) であることが 多いのだから、いっそのことそれらを全部一極集中させてから計算させるのではなく、 各デバイスのやりとりの中で分散的に計算できないか? というのがかれのメインテーマだった。 しかもこれらはコンピュータサイエンス専門でないべつの研究者によって使われるので、 そのフロントエンドは抽象化されたインターフェイスをもっていることが望ましい。 かれはこれを最終的に SQL ライクな文法の query 言語を実装することで解決した。 どうやらデータベース関係の出身らしい。
それによると、計算すべき関数をいろいろ分類することで必要なアルゴリズムがみえてくる。
たとえば最大値や平均といった関数はほぼ完全に「分散的に」計算できる。
だから全体としてはネットワーク通信量はわずかですむし、特定のノードだけに
負荷がかかることもない (この機械はおんなじ無線チャンネルを共有していて、
Ethernet と同様に同時通信はできない)。しかし「上位3個のデータをよこせ」
といった状況ではあいかわらず分散的に計算できない。ここでさらにかれは
正規分布と snooping を使っている。つまりまず「自分が上位3位だと思う人ー!」
といって各デバイスに手を挙げさせるのだが、こいつらは無線だから
近くの他人が言ってることは聞けるわけだ。だから自分より強い奴が
「おれ!」と手を挙げたら自分は何も言わずにだまってろ、とプログラムすることができる。
これによってネットワーク通信量が激減した。ほうほう。さらに
ふつうの SQL では WHERE 節で選択的に query を投げられるが、
かれはここでセンサーの優先順位によって電力消費が少くなるような方法を考案。
つまり "SELECT ID WHERE 磁気 < 3 AND 明るさ > 2
" とかいう
query がきたときにですね、光学センサよりも磁気センサのほうが電力くうので、
さきに selective な明るさのほうをもとに制限しましょうという話。
おもしろかった。なによりこういう実際のデバイスを使ってるところがすごいな。
そのご、1時から NYU の言語学科の人々とのミーティングに出てきた。 感想。出るんじゃなかった・・・。 というかよく考えてみたらお互いがお互いのやってることに興味ないんだな。 だいたい向こうはサイエンスだけど (いや…一部の人々は同意しないだろうけど… kindof)、こっちは工学であってサイエンスじゃないし(おおざっぱにいえば)。 それに言語学 (おもにチョム方面の方々) ってのはどうも underlying なところをあまり 重視してなくて「ふーんそう考えれば説明がつくね、それで?」 という気分になるのはたしか。次回からはサボろう (次回があればの話だが)。
ところでお役人のひとりが「自分のノートパソコンでここからネットにつなげないか?」 みたいなことをいっててスドウさんが苦労していたのだが、そいつの Windows コンピュータ名をみたらドメインが DARPA.mil で、 ちょっとびびる。mil ですよ。mil 記号。そういえばまたメールがきたよ:
お前らも大変ですね。マンハッタンで進行中の反戦デモについて下記の通りお知らせします。 記 1.27日(木)午前9時30分現在、5番街の51丁目付近で、約100人規 模の反戦デモが行われています。警察が規制し逮捕者もでており、付近は一部 交通止め になっています。 2.(1)デモに巻き込まれないように注意して下さい。 (2)現在デモが行われている場所に限らず、他の場所においても随時反戦 デモがおこなわれる見込みといわれていますのでご注意下さい。
かと思うと全学向けに「おまえらには授業をサボってデモに行く権利があるが、 大学はふつうに授業やるからな」というメールが流される。どっかに 「なぜ大学はこんな事態なのに授業をやっているのか? お前らサボってデモにいけ!」とかいう全学連みたいなヤツはいないのか!? いたらヤジウマしてあげるのに。しかしいまや協賛主義がアレした現在、 この手の「なんちゃって政治的学生」が思想的なよりどころとするものは なにもなさそうだな。つまんないの。どうでもいいけど全学連ってまだあるんですね…。 新山ぐらいの世代だとすっかり「歴史的遺物」という印象しかないのだけど。
このままおめおめと引きさがるのもアレなので、最近おきにいりのスレッドをひとつ貼っつけて終了しよう。
MMR - マ板ミステリー調査班 http://pc.2ch.net/test/read.cgi/prog/1047101554/
ったくちょっと気をぬくとすぐこれだからなー。ばか。
それで???
ぬーぬーぬーぬーぬー
リハーサルで一日つぶれた。
うそ、本当はリサーハルで一日つぶれたのだ。
しかし自分のノドモターな戦略が幸いしたらしく、
プレゼン資料は「まあ、いいんじゃないの」ということでほぼ一発オッケー。
うは。これであとは本番をクリアするだけだ。しかししかししかししかし、
こんなことでいいのか? マズイのではあるまいか? まあいいや。
今日がよければそれでよい。どうせいつ自爆テロに会って死ぬかわかんないのだ。
そういうことにしておこう。
そして帰ってきたら、このフルーツはマズいということですよ。 …もうカエっちゃおうかな、きょうは。
このテの本は PHP にしろ EJB にしろ、かならず 「では例としてブックストアーを設計してみましょう」 とかいう流れになっているのだが、オンライン本屋なんかそんなにいらねーよ! というか J2EE とか ASP 関連の本ってもうアホみたいに沢山あるのですが、 こんなにたくさん出して売れるんですかねー? 数打ちゃ当たる方式なのだろうか。 同じことは浪人時代に書店で参考書の山を見たときにも思ったのだが、 「名著」と呼ばれている本がない分野だとこうなってしまうんだろうか。 でも英語の参考書なんか伊藤和夫の本とZ会の単語帳だけでいいよ。 というような情報はやはり周囲の勉強マニアから仕入れたものであるので、 やはり名著があっても出るもんは出るということで…。 なにいってんだ俺は。しかし、プログラミング言語を習うんなら 本一冊ぐらい持ってたほうがいいと思うけど、アプリケーションやライブラリなら べつにオンラインマニュアルとサンプルコードがありゃー本なんか買う必要ないよな。 おっと、この発言は天に唾してるぞ新山。しかしこのたぐいの本は もういたるところ多すぎて食傷気味なのです。 それよりも Python in nutshell に興味があったのだが、こっちはまあ、 買ってもいいかな、と思わせる内容だった (買わなかったけど)。
結局いろいろまわってたので、帰ってきたのは 8時すぎ。
ちなみに Dopy というのは白雪姫 (Snow White) に出てくるドワーフの名前でもある。
…ところで雪印スノーホワイトっていまなくなっちゃったのかな?
Subject: Re: phew! > Mine is prec = 80.15%, rec = 88.59 .....:PP > > heihei > > On Tue, 25 Mar 2003, Yusuke Shinyama wrote: > > > I've got precision = 78.68%; recall = 84.21%; at my patterns! > > > > yusuke > >
形態電話が鳴っているし、景色は走っている
形態電話が鳴っているし、景色は走っている
じゃあここにあるのは? あるのは?
ここにあるのは?
じゃあここじゃあここにこあるのは?
じゃこここあるにこここ?
こここっこっここおこおお、こ。
薬をむりやり口におしこまれたような気がする。抵抗しろ! 抵抗しろ! というか、それは鬱秒。なにも、なにも。さからう。な。
めずらしくスピード缶のある文章だね? 小林克也のアメリ缶。
⇒が推論もせずに存在する死角もなく並び称せられれれれれれれれ
rrrrrrrrrrrrrrrrr
rrrrrrrrrruu
uurrrrururururrrrrrrururrr.
(面白がってます…か? そうだ、そうだ、そうだそうそうそうそうkrkesikrkekrkRKEkrkrkRrKrRRkrRKkKkKK
ar, ar...
ところでドラクター中松はまた出るのだろうか。暇だのう。
しかしどうも名前が気に入らん。「ぞうぷ」と読むと なんだか最期が「プ」で終わるのが気にくわないし、 なにより dopy (うすのろ、まぬけ) に語感が似てる。これがどうにも。
というか、いま本を買いすぎて破裂しそうなので (胃袋が…?)、とりあえずまたあとで。 いますぐなんかやりたいってもんでもないしね。
(追記) あとこのテのツールでいつもむかつくのは「管理もなんでも web でできます」ってところだ。 はっきりいって、うざいだけ。httpのレスポンスからくるなんともいえない不快感もキライ。 設定ファイルじかに手でかかせろよ! と思ってしまう。webmin とかもそうで、 あんなん使うやつは頭どーかしてる。 そうすると「いや新山くんそれでは初心者は使えんじゃないか」とかいわれるのだが、 それはウソですよ、嘘。エディタの使い方さえ知ってれば (なにも vi 使えとはいわない)、 設定ファイルの一行を書き換えるくらい何のムズかしいことがあるものか。 httpによるインターフェイス唯一の利点はツールがほかにいらないというだけで、それ以外の点はすべての面で最悪である。 そもそも、この手の管理はいくら隠しても複雑なもんは複雑なのだ。 その複雑さにアクセスできなくするのは欠陥でしかない。 GUIでラッパーかぶせたって、それはたんなる“錯覚”にすぎない。 この手の複雑さを解決するには骨組みそのものを単純化するよりないのである (ほらきた、djb 信者の匂いがしてきた!)。鍵はモジュール化、視覚化、 そして言語、だと思う。いまのインターフェイス研究がどんなもんだかあまり 知ってはいないのだけど、上っつらのスキンばかり研究しても本質的な解決には ならないだろう。だがまずいことに Microsoft はそういう研究をインターフェイスの研究だと 思っているようだ。MS のやり方を見ているといつもなにかが新しくなるたびに アドホックなものが追加され、よりグロテスクな形態へと進化をとげていくので、 ある種あれはゲテモノ趣味を満足させるヤバい会社だよ。 あ、オレにはそんな趣味はないですよ。あれは「一度失敗した料理に何を足してもただまずくなるだけ」 というマーフィーの法則をまさに地で行っているような会社だね… (あるいは整形手術しすぎたマイケル・ジャク損)。しかしカネだけはあるので 自称グルメ評論家を雇うのには困らないらしく、だまされやすい 人々に「そうか、こういうのがウマイのか…」と思わせるすべには長けているらしい。 こわいこわい。いやー料理のたとえがここまで生きてくるとは。
そういえば設定ファイルを vi とか ed で書いてるときはそれなりに 楽しいのに、Windows の設定ってあれ苦痛でしょうがないんだけど、なんでかな。 まずマウスをプチプチしなきゃいけねーし、 しかも似たような機能があっちこっちにあるし (それは RedHat でも同じだ、 こいつの設定は手でもできるのだが、専用のツールを使わないとヘンなところを 書きかえてくれないのでうまく動かなかったりする、その結果 使いたくもない Gnome 関連をわざわざ起動することになる)。そもそも素人に 「プロパティ」とか「ツリー構造」とかいう言葉を覚えさせること自体、 深刻なデザイン上の欠陥だと思う。ここ数年のうちに、 コンピュータを使うのが簡単になった、などとはまったく思わない。 ただやれること(やらなければいけないこと)が増えてきて 「簡単だと信じこませないとヤバくなった」だけのことである (ギョーカイ的にもね)。 そしてさまざまなエセ専門家がバッコする昨今みなさまいかがお過ごしでそふか。 まあオレみたいな人間は結局一生 Slackware 使ってろ、 ということになるのだろうけど。そういやー 9.0 でたんだっけ?
「死ぬときは、誰からも好かれずに死にたいもんだね。
すべての人が自分を嫌っていれば、死んだあとにみんなが溜飲を下げることができる、
すくなくともこの点で、死ぬことは人の役に立つわけだ。」
しかしそのためには自分以外の人間がまだ生きていなければならないだろう… それはそんなに簡単でないぞ…。
なんでもかんでも全力東急するのは一流の人間とはいえない。 一流なら手のヌキドコロを覚えないとね。
いや一流じゃなくて結構ですから。
そのあと Montgomery St. のスーパーでかるく買い物をして、帰る。 黒人のガキんちょが道でバスケをやって遊んでいたりして、こういうのどかな風景っていいなあ。 そしてこの Montgomery St. という通りは結構好きなのだった。なだらかな 下り坂になっているのだが、ちょうど正面に Lower Manhattan のビル群が見えるのである。 WTC がまだ生きていたころはここは絵に描いたようなおあつらえの景色だった。 考えてみればあのころにくらべて自分はすこし悲観的になっている、ように思う。 まあそれはいろいろと大きなイベントがあったからだね。しかしなんだかんだいって 自分は死なずにここまでやってきたのだから運がいいことよ、と思わねばならない。だろうね? だろう。 しかしやっぱり自分は都会のド真ん中で暮らすのには不向きな人間だと思った。 やっぱし、田舎だよなあ。そういう意味では長野ぐらいの田舎は都会にも近くて (むかしは遠かったけど) ちょうどいい。でもいま日本へ帰ったらカフンショーが ひどいんだろうなあ、と考える。こっちも秋になるとクルのだけど、 春にオモテへ出れないというのはつらいものがあるよ。
しかし、自分がコンピュータ以外に仕事のない人間だということを考えるとなんだかむなしい。 いやまてよ、コンピュータ関連でさえ仕事があるかどうか。ほんとに。
まあそういうもんだ、世の中ってのはな。
さて、今日はデモを見に行ってきた。 といっても参加したわけではなく、単なるヤジウマである。
23rd あたりで PATH を降りると、すでに人がぞろぞろおおぜい歩いてた。 おー、やっとるね、という感じ。このデモは Times Sq. あたりではじまり、 Broadway をずっと南下して Washington Square で終わるらしい。 新山はわきの歩道を行ったのだが、混んでて歩きにくいので途中で行列を離れて さっさと迂回。大学に来たら、ちょうどうちの大学のすぐ前で行列が折れ曲っており、 ちょっと高いところに登ったらワァーーっと人の波がみえた。ニュースとかでよく見る 「典型的なデモの光景」だ。これこれ、これが見たかったのよ。で、満足したので オフィスに戻り研究する。気温は 20℃ちかくまで上がり、けっこう暑い日だった。
で、感想なのですが…。なんか楽しげだった。“お祭り的”。 プラカードを見ると「ブッシュはヒトラー!」「子供を殺すな!」 「アメリカの名でやるな」「反戦は愛国心だ!」「日本人の7割が戦争に反対 (といってるお前は日本人じゃねええだろ)」 「オレはフレンチフライが好き (←個人的にはヤヤウケ)」といったぐあい。 みんなワーワー叫びながら歩いているのだが、基本的にニヤついており、切迫さはまったくない。 やっぱりこいつらがやっていることは基本的に暇つぶしなのだと思った。どこまでいっても。 まあそんなのをわざわざ写真に撮ってる新山もかなりの暇人なのだが、 こやつらの多くはアメリカ人として罪悪感を感じたくないからやってるんであって、 とくにイラクを心配してやっているわけではないように見える。 デモを免罪符かなにかと思っているらしい。
おまけに、写真を見るとわかると思うけど参加者のほとんどが白人だ。 みんな恵まれた感じの連中ばかりである。 どうせこいつら家に帰ったらジャンクフード食いながら「フレンズ」とか 見てヘラヘラ笑ってんだろーなー、と思ったらどっと疲れがでた。 その矛盾に彼らは気づかないんだろうな。
あいかわらず自分でもひねくれた見方だと思うが、 世界じゅうの「豊かな国々」の反戦デモは多かれ少かれ似たようなものだろうと思う。 遅かれ早かれ、お前らはどうしたって罪をまぬかれることはできんよ。オレモナー。 つうかその前にもっとやることあるでしょうに。この点では戦争支持派も反対派も、 どっちもダメだと思う。いまこそ米国に「もったいないおばけ」の洗礼を! でもすでに日本でも希少種だから、輸出はむずかしいか…。
まあ、そうかもね…。
日本じゃいまは明日なんだ。あ、もう今日か。
“それはもとから腐っているのです”、
いや、もとから腐っていた。
寝っっこから。)いま、ふときずく)
そしてそれらは根元からおかしくなり、やがて
シ 口 ア リ 化。
どうせなら、切り落とせばいいのに、と思う。何度も何度も
どうでもいいけど、レイヨウの角って薬としてきくらしいよ。 そういやこの前 Morgan Library を見たときに、中世にかかれた本で 「エジプトだかパレスチナに巡礼したときに見かけた動物カタログ」ってのが あったんだけど (ラテン語で書かれている)、 そこにはユニコードがあたりまえのように描かれていた。 うそ。ユニコーん。ユニコーんの角。toーぜんバラライカは △ だぜ。
この手のおかしな「リアルタイム性重視」にはだいぶ前から疑問を感じている (なお、新山が 1日のうちに何回もこのページを更新するのは、リアルタイム性を 狙っているというよりもむしろ「一日の時刻によってどう気分がかわるか」を記録しておくためと、 なにより早く書いておかないと忘れるからである)。 ニュース記事でさえ、本当にリアルタイムな報道なんて実は ローカルな緊急事態と天気予報ぐらいしか必要ないのに。 みんな「keep informed!」とかいう宣伝文句に騙されてると思う。 どこか遠い国でだれがどんなふうに殺されていようと知ったこっちゃねえよ。 だいたいそんなのリアルタイムで知ったところでどうすんの。 ほかにもっと知るべきことがあるでしょ?
ちなみにうちの親は 9.11 が起こった日はテレビも見ずに早く寝てしまったため、 次の日親戚が電話をかけてきて「ユウスケは大丈夫か」と尋いたのに対し 「ハァ?」という状態だったという。いいねー。それでこそうちの親。
でも日本語で喋る相手は誰もいないのだった。誰も。
ところで王様ビソラディソが逮ー捕されるという話はどうなったんだろお。 新山の予想では、いまごろアフガソのどこぞで俳優オディーツョソがおこなわれているはずなのだが…。
しかし彼もさすがに今回は話をもたせるのになかなか苦労しているようだ。 なんしろ作戦の詳細はほとんどわからないため、"we are told very little about.." とか "as far as we know.." とかいう表現がよく出てくる。いつまでやるんだろうなあ、こういうの。
これは生理的な落ち込みだろうか? 歳をとると生理的に落ち込むことがあるというが、もうそんな歳になったのだろうか。 昔の知り合いもみんな死んでしまった… (と、勝手に殺してみる)。
妄想。あさ起きたら、「20日未明、新山祐介さん=長野県出身、 学生=が米国ニューヨーク市のワシントン通り(←適当)で死んでいるのが発見された」 とか書かれた新聞が自分(=新山)の家の玄関に届けられていた。…りしたら、やだな。キョウフだな。 つうかこんなこと書くとほんとに死にそうだからやめてくれ。 自分自身を恨んだあまり死ぬことってできるのか? いや、がんばればできるかも。 でもだめかも。ばか。