てぇ sたrs あれ べあうちふl べcあうせ おf あ fぉうぇr よう どん't せえ…
ネボっった。土曜だからいいよね。
ちなみに今朝の明け方は -17℃まで下がりました。
朝食は、こないだ井村屋の「インスタントカップしるこ」を衝動買いしてしまったのでそれにす
る。正月が終わる (=いちおう新山の認識では、15日夜に神社で行われる「どんど焼き」が正式な
正月期間の終わりということになっておるます、かきぞめ燃やしたなあ昔) 前にきちんと消費しておかないと。
ちなみに今夏買った中華三昧・冷麺は完全に機会を逸し、また手つかずのまま残っている。
まあこのクソ寒いときにシャレで冷し中華つくってみるってのもいいがね。
ところで (てくるで)、なぜこのしるこを衝動買いしたくなったかというと、
単純にこれが食いたかったというのも理由のひとつではあったのだが、
これのパッケージにかいてある「しるこ」の「る」の文字が字型が非常に
好ましかったからだ。これは重要である。
以下に好ましい「る」と好ましくない「る」の違いを示す:
好ましくない「る」 | 好ましい「る」 |
好ましくない「る」は、好ましくない。 それはこいつの鼻がトンガっていて、なんとなく欲求不満気味だからである。 いっぽう好ましい「る」はどっしりとした安定感があって、「ぬーん」という感じの、 人のよさそうな、落ちついた自己充足を示している。なんだか下アゴが出ているような気もするけど 個人的にはそれは気にしない。こういう「る」が書ける人になりたい。 たぶん新山は「文字をみるといつもそれが人の顔に見える」という一種キチガイ的な 病気を有しているのだろうと思われる。
ほんとに今日の最高気温は -10 〜 -9℃ ぐらいだったよ。 これだけアレだともうひきこもりになるね、やっぱ。
configure
はあんまりかしこくない。
こういうのはそのアホさを経験した人でないとわからんだろうが、そういう人々は
ほとんどいつも (その定義上) マイノリティであるので…、 である。
もうめんどくさいのでコンパイルした辞書を直接コピればいいや。
どうせこの世界は XML とマクドナルドとアホな configure
に支配される運命にあるんだよ。
この後におよんでいったい何が言えようか?
でもなんかヘンだな。こっちは /usr/local/share/chasen
に辞書が入ってるのに、
mango にインストールしてあるやつ (最近のバージョン) は /usr/local/lib/chasen
に入ってるぞ。
前の辞書形式は機種依存でなくて、最近は機種依存な形式になったんでしょうか??
それってどうみても改悪だとしか思えないのだが…。
こんなんだった:
int i; ... fwrite(&i, 1, sizeof(int), fp);
…ようするに、たぶん前は彼らが「share
」の意味をわかってなくて、
今はわかるようになりましたということかもしれない
(/usr/share
はいちおう「どんなアーキテクチャのマシンからも共有できる」ものを
置くことになっている、建前では)。
しかし自然言語屋の組むプログラムって、かれら「ロバストな解析」とかいってるわりには
たいていプログラム自体はソフトウエア的に全然ロバストじゃねーのな。
まあ彼らにそこまで期待するのは酷だと思うんだけど、Ralph とかはそのへんもキチンと考えていて
すごい。彼が使用言語を CL → Java と移行してきたのはカシコイ選択だと思う。
Perl は Segmentation Fault こそ起こさないものの、あれでロバストなプログラムが書けるとは到底思えないし。
でも彼は真のプログラマっぽいから (IBM 汎用機のアセンブラなんかもやってたらしい)、
じつはその気になれば FORTRAN で自然言語処理が書ける のではないか?
とひそかに思っている。やっぱ肉食民族はコワイぜ!
いちどに 24時間以上眠る能力がほしい! (いや、いらないです)
よくわからんがモジュールもなんにも使わない「最小の python インタプリタ」を
どうやったらブリドできるのくについてあれくれと錯誤しておたがこれもそこかしこで徒労に終わり。
Python というのはもとから Battery Included なようにデヅァイソされているいので
インタプリタだけで
使う '' というパルル (PERL) のような状況はあまりねいのかもしれなき。そうして恐そしくて心臓を着き指されました。
(以上略)
そろそろクスリが効いてくるコロです。ぼくのコロ。(病気、病気)
どしっするぐぬぺれていぇんねれれ
rats!
終わってからセキネさんが対抗意識をムキ出しにしており面白かった。 「あんなのただデータが一杯あるだけ、ぜんぜん大した技術じゃない」といっていたが、 まあつまり結論は世の中ゼニやってことなんですよ (あるいは米帝がいつも一番というふうにもいえる)。 データをあつめて安直な方法に頼るほうが、結局は細かい手法を工夫するより勝っちゃうワケよね。 機械学習でこういう話はよく出るのだが、多くの研究者は「これをこうして精度が 2% 上がりますた」とか いってるわけだが、結局は軒並み敗北する運命にあるわけです (まあ彼らにとっては論文かけりゃ何でもいいんだけど)。 セチがらい世の中じゃあないですか…。そのあと彼とふたりで「Google を蹴落とすにはどうするか」という 話で盛り上がっていたのだが、べつに新山は「Google が蹴落とされる」ほうには興味があるのですが、 自分が「蹴落とす」ほうには興味ないんで、それに今のかんじでいくと蹴落とすのは MS かなんかになりそうな 気がするし、どっちにしたって面白くねえよ、けっっ、という感じ。人間には器というものがあり、ふつうの人が そんなデッカいことを考えてはいけない。新山 (というかたぶん多くの日本人) はその伝ね。
ただ、彼がいったことでひとつ面白いと思ったのは、言語処理や IR の研究を進めるためには、 実験物理でいうところの「サイクロトロン」のようなものを計算機科学にもつくるべきじゃないか、 ということだ。それは「開かれた Google」のようなもので、莫大な web データベースを 管理して、研究者が純粋な学術研究のために利用できるような施設のことね。 そういうのはいいかもしれないが、問題は誰が金を出すのか? ということである。 個人的にはそういうののほうがサイクロトロンよりも安くつくれて役立ちそうなのだけれど、 税金でやるのは難しいだろうなー。 はっきりいって素粒子物理とか天文学なんて、あんなに金かけて一体なんの役にたつの? Scientific American のネタになるだけじゃん! 資金不足で苦しんでる分野はほかに山のようにあるのに! と正直思うのだりますが、これは聞いた話だけど、 たとえば日本では政治家にたいして影響力ある「おエラい学者」というのは ほとんど物理や化学などの「ハードな」サイエンス出身者ばっかりなんだそうだ。 それからマスコミのバイアスはもちろんでかい。派手なモノにはいつも金が集まる。当然のことだ。 物理学科がいつも理学部で一番人気なのはダテではない。宇宙開発もしかり。 だからそっち方面には多大な税金がつぎこまれるが、計算機科学なんてのはぜーんぜん無視されるらしい。 役人の間ですらそういう分野差別があるんだから、ましてや一般人をや。 どう考えてもうちら (計算機屋、さらにいえば自然言語屋) は負け犬街道を歩いているわけですよ。 しかしどうせ負け犬街道をいくならトコトンまで明後日な方向に爆進したほうが 破滅的でカッコイイと思うんだけど。
新山にとって、「破滅的」というのは「カッコいい」と燈火ですが何か文句ある?
しかし自分が「破滅的かどうか」を気にしているのはまだまだ全然である。
もっとなりふりかまわず破滅しなけりゃダメだな。
unsigned long
があれば無限にでかい数を表現できると信じていたあの頃…
オレはまだ若かった…
帰りがけに、怒れば寒さが薄れるかと思って、 空を仰いで「コラー! 月!!」と言ってみたが、効果はなかった。 きかんとみえる。キカン
てゆうか 1日平均 10MBytes 以上ってどうゆうことよ?? (最近こんなことばっかり言ってる)
1年で 4GBytes 超ってどうゆうことよ??? ふんがあ
どうやら大丈夫そうです…。じゃあ、やるか! 今日はもう寝るけど。$ time dd if=/dev/zero of=hoge bs=1024 count=4194305 (4GB+1kb) 4194305+0 records in 4194305+0 records out real 2m33.617s user 0m4.520s sys 0m34.060s $ ls -l hoge -rw-r--r-- 1 yusuke 4294968320 Jan 8 23:43 hoge
そういえばパッケージ管理で gnu stow というのがあるみたいね。 …しかしこれにはもっと適した名前が日本語ではすでについている。 何ていうか知ってるか? 本末転倒というんだ、ものしり君。
さすがに昨晩中に終わったらしい。まあそんなもんですか。 で、きょうのノルマは IR システムをこさえて run まで出すこと。 しかしもういっこデカいのを走らせなきゃいかんのだが、 だいじょぶかな。
そふいえば夢の中で誰かが「それはやめたほうがいいよ」っていってた。 お前、日本語しゃべれよ! でも夢の中での言葉はべつに自分の直感とは一致しないので (ハズっす、多分) このまま続けることにする。やや不安家。
どうでもいいが、「英語で読むITトレンド」って最近よくリンクされてんのをみかけるけど、 あれ、敗北的なページだよな。あれを見ると英語だけできてもトレンドがわかるようにはならないんだな、と思う。 といって、べつに新山もトレンドをわかってるわけではないのだが、どうもあの記事からは「まわし者」臭が ただよっているぞ。つうかテキトーに英文はりつけて字数稼いでるだけにも見える。 あんなんで金もらえるんだからいい身分だよね。でも、アルクの 1日 1英語表現でも見てたほうがずっと役に立ちそう。
きょうは安全なプログラムを記述するための 分散オブジェクト指向プラットフォームとなるスクリプト言語 E言語 について。 …かと思ったらそうではなくて、彼 (=E の作者) の権限委譲にかんするトークについて あれこれ難癖つけるという集まりだった。TODO
(追記 1/9) ページが変わる前にきちんと書いておかないとね。忘れそうだし。
きょうまないたに上がったのは Marc Stiegler の このトーク。 P2P とはあんまり関係がなくて、おもに分散コンピューティング環境におけるセキュリティの話だ。 現在のほとんどの分散実行環境では、基本的に「権限」についての考え方が非常に粗雑である。 彼 (Stiegler) はターミネータ 3 にでてきた SkyNet という架空のコンピュータウイルスをあげているのだが、 あらゆる人間もプログラムも、権限は「必要なだけ」持つべきであって、それ以上の権限を持たせては ならないと語る。たとえば Windows のインストールではよく、「このプログラムは MS によって署名されています… 展開して実行しますか?」と尋かれるが、ここでのユーザの選択肢は「はい (100% 信頼し、プログラムに 全権限を与える)」か、「いいえ (まったく信頼せず何もさせない)」だけだ。 しかしこれはあきらかにどちらも強すぎる。
いっぽう Java WebStart は権限についてもうすこしきめ細かな配慮をしていて、 これはプログラムがどの資源 (計算時間、ファイル、ネットワークなど) をどれだけ使うかを VM レベルで監視する。たとえば JWS で実行しているプログラムがもしローカルな ディスクにあるファイルを開こうとすると、こいつはユーザに警告を出して 「このプログラムにこのファイルを読ませて本当にいいか?」と聞いてくる。 ところが今度はこれはユーザインターフェイスとの discrepancy という問題をひきおこす。 あるアプリケーションで、ファイル選択ダイアログを開いたとしよう。この時点では VM は ファイル自体にはアクセスしていないから、なにも警告は出ない。ところがユーザがファイルを 選択して「開く」を押した時点で、VM ははじめてプログラムが「ファイルを open しようとしている」ことに気づき、 警告を出す。つまりユーザはプログラムによるダイアログのあとに、VM のレベルで出されるダイアログに 答えなければならない。これはあきらかに二度手間だ。ユーザはもうファイルを選択してるんだから、 同じことをなんでまた尋くかって話。
で、彼はこれを改善するためには、ユーザの操作というものをすべて「権限の委譲」に むすびつけたシステム (あるいはプログラミング言語) を開発すべきだ、という主張だった。 具体的にどうやってるかは彼のデモにあるのだが、。 さらに、プログラム全体や VM 全部に権限を与えるというのは単位としてデカすぎるので、 権限委譲の単位はプログラム中の各「オブジェクト」レベルにすべきだ、というのである。 このためには権限をオブジェクトレベルで制御できるような新しいプログラミング言語や 実行環境が必要になる。これが彼の E言語のおもな動機らしい。 アイデアはいいのだが…すべてのアプリケーションを対応させるのは難しいだろうなあ。
そのあと Grimm せんせいが難癖をつけはじめ、彼は非常に懐疑的だった。結局のところ、 いくら信頼する部分を小さくしたところで、ユーザはコードがするであろうと「主張されていること」については 全面的に相手の言うことを信じるしかない、コードを実行してみる以外に その正当性を確認する手段はないのだから、彼は問題をただ分断してるだけでまったく解いてはいない、 というのだ。うん。そうだね。このひとはいつも総合的な信頼性というものを 人為的な部分もふくめて考えているところが好感がもてる。
ところで新山はぜんぜん知らなかったんだけど、世の中には 電子マネーや電子商取引のセキュリティと信頼性について研究する「Financial Cryptography」とゆー学問が あるらしい! ぎょえ。知らなかった。Google したら、この用語のまともな日本語訳すらまだないみたいだが、 無理に訳すとどうなるんだろう? 「暗号金融学」じゃおかしいし、「金融暗号学」でもおかしいし、 そりゃ暗号使うってのはわかるけど一体なんなんだ??
/usr/local/bin
にダイレクトに Juman-4.0 をインストルーしちゃって、
いつもバージョン分けて入れることにしてたのになんで? と抗議にいったら、たんに彼が ./configure
の
--prefix
オプションを知らなくてそのまま make install
したということが判明。
ぎゃふん。この人は古いタイプの人のため (?)、インストルー先のパスは Makefile
を
直接いじるもんだと思ってたらしいが、configure
の吐く Makefile
があまりにもワケわかんなくて
挫折したらしい (そりゃあそうだ)。
まあたいていの configure
がデフォルトを /usr/local
にするわけだが、
このポリシーははっきりいって大キライだ。多くは古いバージョンを上書きしてしまううえに、
たとえば /usr/local/lib
なんかにいろんなモノが混在してしまう。
消したいときなんか、どのファイルが何のためにインストールされたかを日付をみて判断するしかないというアホらしさ。
頼むからいっこのディレクトリにまとめてくれよ!
ちなみに新山のバージョン管理のやりかたは、たとえば juman のようなものなら、
にしておく (この場合、ビルド時の Juman の/usr/local/bin/juman -> /usr/local/juman/current/bin/juman /usr/local/lib/libjuman.a -> /usr/local/juman/current/lib/libjuman.a /usr/local/lib/libjuman.so -> /usr/local/juman/current/lib/libjuman.so /usr/local/juman/current -> /usr/local/juman/Juman-4.0 /usr/local/juman/Juman-4.0 (実体、bin, lib, etc, share など)
--prefix
は /usr/local/juman/Juman-4.0
である)。
こうしておけば必要なファイルはぜんぶいっこのディレクトリの下におさまるし、
古いバージョンも残せるし、バージョンアップしたときも current
のリンク先を変えるだけですむ。
なんでみんなあのアホな configure
のやり方で何も文句いわないのか謎だ。
ところで /usr/local/bin
には chasen
がダイレクトでインストルーされてるが
これの犯人はいったい誰だろう?? オレか? オレのような気もするが…。
しかもしかも、最高気温が零下氷点下摂氏 -5℃だと??? (冗長さを出してみました) fzkrn.
ていうかさー、昨日から口のまわりがヒリヒリして痛いんだよね、もう…。 我ながら寒さに弱くなったものよ、と思うが、じつはちっとも弱くなってはいないのだが (だって長野より寒いんだから! ここ!)、トォーーきょーーーは天国のようなところじゃろうのう… (遠い目)。
フム。「お天気」というのは、たしかに人生の生活を左右する主要なテーマのひとつらしい。 これについて哲学的考察がないのは非常に残念なことだ。フム。 もうあきたので寝る。
お前! それ! 「お兄さん」って歳じゃねーーーだろ!! コラ!
うーむうーむ今日のノルマ達成不可能の予感。 まあいつものことだけど。
ところで (てくるで)、こんどの言語処理学会の年次大会は東工大でやるということをきょう知った。 なんでかというと実のところこれは「タナカ先生引退おめでとうパーティー」であるとのことで、
まあ、(略)
とゆうことで、つまり、(略)
まあ、(略)
とゆうことで、つまり、(略)
とゆうことで、今ごろ準備に大変な人々がいるわけだ。大変だコト…。
ふとここで大岡山商店街の GS (GhostScript ではない) を思いだしたオレは素人である。
で、オレは発表できるのだろうか。いやその前にワザワザ日本までいって発表するような内容があるのか、ということだ。が。 なんでこ。れ。
いやあ。まったくなんでこんなにテンション高いのかナゾ。
ちなみに新山は実物を見たことはありませんのでご了承ください (でも広告を見たことはある)。
いったい何だったんだろう…To: 惨?P組@steelix Subject: 年終衝衝衝! 業績就全靠它了!!! Content-Type: text/html; charset="big5"
かえるぴょこぽこむぽこぷょこ、あわせてぽょこぼこみこぽこぽ。
夢の中とはいえ、自分の残酷さには落ち込むね。
プログラミんぐ言語を芸術作品としてみた場合、Perl などはズバぬけて狂っており、 これは「芸術的な汚なさ」ともいえると思うが、 Python にはあまりそういう突出した感じはない (だから使いものになっている、ともいえるのだけど)。 いっぽう文字(漢字)を芸術作品としてみた場合、「鬱」とかいう字を考えたやつはぜったい狂ってる。 まあいいけど鬱だから。
どうも最近これ思うのだけど、オレの日本語は日本を離れてから 周囲の環境と隔絶されたので「独自進化」をとげているように思える。 ギアナ高地風というか。たぶん今から何千年も後にはまったく違った言語へと 発展をとげているに違いない (意味不)
#!/usr/bin/env python # insert/remove: priority queue operations def insert(q, (p, x)): q.append((p, x)) q.sort(lambda (p1,x1),(p2,x2): cmp(p1, p2)) return def remove(q): x = q[0] del(q[0]) return x INF = 99999 def merge_iterators(iterators): q = [ (-INF,i) for i in iterators ] while q: (n, i) = remove(q) if n != -INF: yield n try: insert(q, (i.next(), i)) except StopIteration: pass for i in merge_iterators([iter([1,2,3,4]), iter([2,3,5,6]), iter([3,4,6,7])]): print i
/proc/*/fd
を見るとおそろしいことになっている。ふひゃひゃひゃは。
しかしながら HDD はいっこでやってるので、かなりガリガリ君な予感。
これくらいの規模になるとハードディスクのシーク時間は問題だ。
300個のファイルぜんぶが別々のハードディスクに入ってれば激はやなんだかもしれねいけど、
まあどのみち Python だから適度に遅くなっていいんじゃない?
結論: なにが言いたいんだかわかってない (自分で)。
500MBytes を超えたあたりから、がくっと速度が低下したように思える。 まあ常識的に考えれば inode 階層が増えるだろうから、 ファイルがでかくなるにつれて log 的に遅くなるのはあたりまえなのだが、 そういえば XFS って (TBytes 級の) デカいファイルもわりと平気らしいよ。 やはり CG屋がおもに使ってるファイルシステムだけあって、 キチガイ的にでかいファイルを対象としているということだろうか…。 でもこんなにでかいファイルはここでは例外的だからなあ。 そのためだけに XFS にするのはどうも。ブロックのサイズをふやすとこんどは使えるファイル数が減ってしまうし…。
この手の話はやりだすと奧が深い。 Google は巨大なファイルを扱うための専用のファイルシステムもどきを作っているらしいが、 ほとんどリニアな書き込みと読み込みだけで頻繁なランダムアクセスはしないという仮定だった (はず)。 まあテキスト処理のばあいはそんな用途が多そうな気はする (考えてみれば動画だってストリームなんだから 似たようなもんじゃないか、素人からみると)。 でも今のところ一番メリットが多そうなのは、なんだかんだいって ReiserFS だと思うのだけど IDE ドライブをリムーバブルディスクがわりにボコスカやってると互換性の問題がね…。
でも、でもでも、遅くても確実に進んでいるのでいいや。 おまけに、全部 Python だし。まいったか。
おいおいところでいま気づいたが Python はちゃんと O_LARGEFILE
サポートしてるんだろうな??
$ grep LARGEFILE /usr/local/include/python2.3/pyconfig.h #define HAVE_LARGEFILE_SUPPORT 1
してた…。
(以下略)
しかし、ぜんっぜんほしくないもんね。 むしろこんな時だからこそ (まさかの時にスペイン宗教裁判!) ノーマル iPod を買うべきだと思う、ガツンと。 さいきんあんまり外で音楽を聴かなくなったんでどうでもいいけど、 新山がウイソドウズを起動する唯一の理由がソニーのアレによるものなので、 それがなくなるというのはある意味うれしいんだけど、書いてるうちにますますどうでもよさ度。
$ ls -l -rw-r--r-- 1 yusuke 2519 Jan 5 15:40 patch-2.4.24.bz2
そんだけ。
それにしても光学マウスって安くなったよな〜。
はっきりいって、Python で要素数が 100万かそこらの配列をソートしたり切ったり貼ったりするのは ぜんぜん大したことじゃねーんだな、ということがわかった。 メモリもたかだか数十MB しか食わないし、十分まともな速度で動く。 大規模なデータを扱うので、こりゃあ C か C++ でコーディングしないとダメかな、 と思ったのだが (そしてそれはかなり敗北である)、どうやらそんな必要はないらしい。 ありがたいこと!
よく
なり
ます
ように。
ほんとに。
やっぱ、コウヒイはいいよね! 新山は緑茶もウーロン茶ものむが、基本的にコウヒイ党でもある。 まあようするに何でもいいってわけだが、ポイントは「とにかくガブ飲みする」ことだ。 水分を可能なかぎり循環させることが健康のヒケツだと勝手に思うことにしている、最近。 それでも風邪ひいたけど。
結論: 情報なし。
いま、頭がまったく働いていないのだが、ほんとうならこんな状態のときに モノを書くということはめったにしないのだが、書いておく。なぜならそれは、 「疲れている状態」というのがどんな状態であるかを、sono頭の?中というものを、 往々にして将来の自分にぞ書きつけけることの重要さをあるので・・・。
つまり、いま頭の中と外がどんな状態であるかというと、なんかトッケリしている (溶けている、の反意的擬態語)。思考の糸というものが、なんだかネトネトとしているようで、 つまりそれは納豆を食ってるのと同じことだ。それはスムーズに流れしない。 しかも、ぬるま湯い。じっさいこれは頭の温度 (頭温) が物理的にも高いということかもしれず、 はたまた。わかんないよ、そんなの
話をもとに戻すと、ぬゴーーーー。って感じ。まあそんなとこ。 目をあちらからこちらに動かすと、ゆっくり動く。これが実際、頭がサエているときの シャキーソとした状態とくらべると、4分の1.27くらいの速度である。速度ね。 速さと速度は違うということに注意しなければならない。しなければならない。 そして、ここからが重要なところだが、微妙に目が回っているような感じだ…。 「目が回っているような感じ」と、「実際に目が回っている」のではどう違うのだろう? もうわからない。まあそういうことだ。
それで、さらに微細的にこの状況を記述しようと試みると…。これはもう日本語ではない。 日本語でなくなっている。もういい! でも、なにか視界のななめ左上のほうから 透明な恐怖とも狼狽ともつかぬものがソーーっとおりてきて…彼 (または連中) は 見つからないようにしてるつもりだろうけど (しのび足なで)、それらはもろに視界にひっかかるので、 じょじょに、それらが、ぼやけくなっている。それから。それからと。jjっっj
ああ、こりゃあもうだめだな。
和訳: 男もやっちょる日記というものを、女であるわたくしもやってみようということで、 やってみるのであった。ある年の 12月 21日の午後 8時ごろ出発。 この旅について、ちょっとばかし書きつけておくことにする。(承平四年、A.D. 934)
どうも新山というものは、立ち上がって動いているとき (米をといだりとか、 センタク物をたたんでいるときなど) には電波な文章がぞくぞくと脳内で生成されては バッファからあふれ出している (= 口から勝手に出てくる) のだが、いざキイボードの 前にすわった途端それらの「電波ワード」はシュウシュウと揮発していってしまい、 あとにはほとんど残らなくなってしまっているんだな。 だから思うように電波文がかけないんだ。これはどうしたこった。
どうやら動いているときと座っているときでは頭の働き方が違うようだ? (これはまあ、もっともといえばもっともではある、しかしこれほど違うのか)
しかも、もっとすごいのは、人類はこの 3000年のあいだにものすごい発展をとげてきたけれど、 オレがいままでの人生をあと 100回くり返したとしても、 そんなには進歩しないような気がするということだ。 なんか、3000年後になっても、同じようなことしてそうな気がする。 すると世の中ってのは相当スゴいスピードで進んでんだね…。
ほんとはこの国には三が日というものはないので、 2日からいきなり出勤なので、じつはきのう今日はズル休みなのであっら。
問. 正しいものを選びなさい。
さようなら、とこの国の人々が別れにさいして口にのぼせる言葉は、 もともと「そうならねばならぬのなら」という意味だとそのとき私は教えられた。 「そうならねばならぬのなら」。なんという美しいあきらめの表現だろう。 西洋の伝統のなかでは、多かれ少なかれ、神が別れの周辺にいて人々をまもっている。 英語の good bye は、神がなんじとともにあれ、だろうし、フランス語の adieu も神のみもとでの再会を期している。それなのに、この国の人々は、 別れにのぞんで、そうならねばならぬのなら、とあきらめの言葉を口にするのだ。新山の場合、「さよなら」は怖いのでめったに使わない。 これには「永遠の別れ」というような意味があるように聞こえる。 一時的な別れを表すときにはたいてい「おやすみ」と言うのだが、 この用法は方言らしいということを最近になって知った。 昼間でも関係なく「おやすみ」を言うため、 東京でこれを使うと「もう寝るのかよ!」と言われることがある。-- Anne Lindbergh via 須賀敦子
もうさあ、オラもうへーやだ。(かなり北信弁)
これさえマスターできればあなたも長野県人だボキャブラリー:
それにしても自分の身体なのに、よくわからんことの多いことよ。 まあそれが楽しいといえば楽しいんだけれどもね。
ああ、また日本を思いだして暗くなってしまった。
いま調べたらどうも食中毒っぽいなあ。長ネギが原因だろうか? 「食中毒」「膨満」で検索するとボツリヌス菌が多くヒットし、 それによると「細菌兵器にも使われていたほど毒素が強く、 最悪の場合呼吸困難になり氏ぬかもよ」と書かれている。 ぶるぶる。でもそんなにひどくないと思うけど。 しかし潜伏期間は 8時間とかって書いてあるから、もしこれだとすると感染源は ソバじゃないと思うんだが、だとするときのうの昼に食ったサンドイッチが原因か? これではこの国ではもう何も食えなくなってしまうじゃないか。やだやだ。
しかし「お正月に食中毒で死亡」というのは モチを喉につまらせて死亡と同じくらいバカっぽくて、ある意味カッコいいよな。 ロックな生き方というか。(←勘違い)
ひさしぶりに日本に電話すると発信音がものすごく短かく聞こえてアセる。