"My sister is illegal."
お前、いくら身内とはいえ、その表現はさすがにちょっとヒドイだろ。 とはいえ、この表現を聞いたときに爆笑した新山は人非人。
てくるで、「今週の quote of the week」って言い方はチョト、オカシような気のする。
ところで Fox News はやはりオープンソースを批判するのか。 ま、考えてみりゃ当然か。なんたって Fair and Balanced (TM) なニュース番組だからね。
てくるで、気がついたらいつのまにか北朝鮮のオンラインカジノは消えていた。 ああ、もったいない。あの「べらぼうなジャックポット授賞金も無金で送金」とかいう日本語がもう見れないのね。 べらぼうな!!
きのう、きょうと slashdot のほうの翻訳がほとんどできなかった。 そしていまこの記事を見てみたら、 まあ混乱していること。けっきょくのところ、ふだん理性的なふりをして 米国の政策を批判したりしているアメリカ人も、「ネット」という 自分たちの大事な大事な既得権を失うとなれば容易にツウちゃんねる化するのである。 これじゃブッシュのこと悪くいえないじゃん。 まあ、新山もとくに米国支配が問題だと思っているわけではないけど (たんに心理的にムカつくだけで)。 というか、話が政治的すぎてよくわからないな。
ゆうべは chen のアパートで、「ブログロは本当に世界を変えるのか」という テーマで奴と 2時間ぐらい議論していた。これ自体は楽しかったが、 とくに議論は進展なし。
ところで最近忙しいと根暗になるのを忘れる。本来、オレはこんなに ポジティブな性格ではなかったはずだ。本来の暗い性格をとり戻さねばならない。
数学的なランキングのアルゴリズムの話である。 ようするに、現在主流となっているパゲらんく・ベースのランキングでは 「人気の高いやつはますます高くなる」という現象が起きるらしい。 彼らはこれを「Webサーファーがまったくサーチエンジンを使わないと仮定した世界」と 「Webサーファーがときどき PageRank をもとにしたサーチエンジンを使うと仮定した世界」をつかって 実験した。するとサーチエンジンのない世界では Web ページの人気は ある時点からシグモイド曲線的に上がって平衡状態に落ちつく (かんたんなモデルなので、微分方程式を解くとこうなる)。 ところが、サーチエンジンのある世界では、この差がものすごく極端になる。 人気のないページが、あるときいきなり垂直に人気が出るようになるが、 それまでには非常に長い時間がかかるようになる。 したがって、ほとんどの人気のないページは (たとえ品質が高くても、 新しく書かれたばかりのページだと) 永久に近い間発見されず、 いちどサーチエンジンで上のほうに出てきたページはずっと高い人気を保ちつづける。 実際にはほとんどのサーチエンジンはいくつもの素性を使っているからこんなに 極端ではないだろうけど、ようするに彼の論文の結論では 「ときどきランダムな検索結果を挿入したほうが、人気のないページも全体的に 発見しやすくなる」というものだった。TOPIC: "Search Engines Considered Harmful: In Search of an Unbiased Web Ranking" (*) SPEAKER: Junghoo Cho of UCLA DATE: Thursday, September 29th, 2005 TIME: 4:15 - 5:45 pm PLACE: 44 West 4th Street, Room KMC 5-80
きのうの議論でも同じようなことをいっていた。 ブログロに関する問題のひとつに、 「膨大なブログロのなかから本当に自分の趣味に合ったものをどうやって探すのか」 というものがある。たとえば、ブッシュについて批判的な ブログロが何万もあるとして、その中からどれを読むのかは結局のところ pagerank などのランキングを使うしかない。いや、そもそも 自分の趣味にあった文章をたかが数語の検索キーワードなんかで 本当に探せるかという疑いはずっとある (そしてそれは新山が Google をつかってつねにチャレンジしていることでもあるのだが…)。
しかしサーチエンジンが正義だと思っている人に言わせると、 新聞というものが生まれたとき、おそらく彼らはいまの google のようなことをやっていた。 つまり世間からニュースをあつめ、ユーザ(読者) の興味をひきそうなものを 並べてランキングし限られた紙面にのせる。しかしユーザはキーワードを 入力することはできなかったし、せいぜいできる選択は複数ある新聞のうちから どれかを選ぶことぐらいだった。現在ではこれが検索キーワードを入力できるようになったから 選択肢は増えている。しかし選択肢が増えたことは正しい選択ができるようになったことを意味しない。 ユーザの望む検索をするためには、ユーザはより正確に自分の好みを検索エンジンに提供しなければならない。 いずれ Google (あるいはその後釜) は ユーザの web ブラウズを完全にモニターして (すでに連中はしているがね)、 あなたの趣向を完全につかんでくれるようになるから少ないキーワードでも大丈夫、だという。 これは、つきつめていえば、ようするに脳味噌を google にさし出すことを意味する。 そうすれば「機械が、あなたに代わって選択してくれる」世界になり、 彼らはユーザの趣向をすべて把握して完璧な検索結果 (と広告) を出してくれるだろう。 そしてその時間をあなたは他のことに有効に使うことができる。 これが彼らのいう「便利な世界」である。 そのうち機械があなたに代わってブログロも書いてくれるようになるだろうし、 作曲だってしてくれるようになる (似たようなこと現在実際に起きている。Photoshop の視覚効果を使いまくった絵は、 ほんとうにオレが描いたことになるのだろうか)。 そしてあなたは日がな映画を見たりカリブ海でサーフィンしてればいいことになる。 まったくすばらしく便利そうな未来だね!
ところで (てくるで)、日本人研究者による「巨大イカ撮影」のニュースは CNN, AP, NYTimes, そして slashdot でもとりあげられる大ニュース なのに、しかもイカ消費国の日本ならではのいいニュースなのに、 日本の新聞はほとんど報道していない。 なんてこったい。アメリカンの中には「タコやイカなんて人間の食いもんじゃない」と思っている連中がけっこういるぞ。 それにひきかえ、日本人ほどタコやイカに愛着を感じている民族もない。 タコは漫画の主要キャラクターだし、イカ釣り船の漁火は宇宙からも見えるくらい盛んだってのに。 やはり日本のマスコミは日本人の海外コンプレックスを煽るような記事 (日本人が海外で表彰されたとかランクが下がったとかなんとか) しか書かないことがよくわかった。 「人からどう思われるか」が重要で、自分の価値観で自分たちの文化をどう思うかはまったく重要ではないのである。 これはうちらの特性なんだろうか? ちくしょうめ。
てくるで (ところで)、きのうはずっとスズキさん (ミュンヘン在住) と話していたのだけど、 やはりドイツはアメリカほど住む罪悪感を感じない国のように思える。 もちろん、最初からここに住んでいるアメリカンは「自分たちこそが正義」と思っているので、 罪悪感を感じたことなど生まれて一度たりともないだろうが。
ところで、そろまたリンゴがおいしい磁気になってきたじゃござんせん
か。こないだスーパーで、やや早生っぽいのを買ってきたんだよ。そしたらなかなかいけるね。
これが。うん。
ところで「ワセリン」ってのは「早生りんご」の短縮形にちげいあるめえ。めえ、
大学に行ってみると「ネットワークがつながらん」という。 おまけに新しく来た客員の研究員が使うから、ということで、セキネさんが 勝手に pear.cs をはずして別室にもっていってしまった。おいこら、 サーバを勝手にはずすな〜〜〜!! pear のメインの用途はおもに毎晩の差分バックアップだが、こいつぁ yp slave もかねてんだからさ、頼むよ。 おまけにその過程でネットワークケーブルを勝手にヒッコ抜いちゃったらしく、 外行きのケーブルがハブに半差しになってる。これで逆引きができなくなって、hosts_access 関係が 全滅してたらしい (しかしもとはといえばドメイン名で判定してるのが問題といえば問題です、はい)。 ネットワークがつながらんって、 そもそもこれが原因? アホか。ついでにサーバのコンソールからログインできないというので 見てみたら、KVM につながっていたキーボードのコネクタがこれまた半差しになってますがな。 あのさぁ、こーゆうことって騒ぐまえにチェックすりゃすむことでしょ? これがオーディオ機器にうといオバさんとかが相手だったらまだあきらめもつくが、 この人達はコンピュータを商売道具として使っているのにこのていたらくである。 おまけに、「新山が来ればなんとかなるだろう」と思って放置してあるらしく、 そのあいだ他の人はぶらぶらしているだけ。いったいなんなんだ? くり返していうが、新山はボランティアとしてコンピュータのお守りをやってるんであって、 究極的にはこれはオレの仕事ではない。だいいちそんなら勝手にサーバの電源ぬいたりしないでよ。 あ〜〜〜〜、ムカつく。
Google は、いまから 5〜6年前に就職してたらさぞ面白かったと思う。 でもいまじゃもうダメだろうな。新山のイメージとしては、もはや 「Google に就職」というのは「MS に就職」というのにほぼ等しい。 どっちも世間的に聞こえはいいかもしれないし、実際給料もいいのだろうが、 オレはそんな「長いモノ巻かれ」な人生はイヤだし、 それにどっちの会社に行っても、お客との距離が非常に遠そうだ (まあ大企業ってのは、どこもそんなもんだと思うけどね…)。 そしてそして、これが一番大事だが、どっちももう終わってる。 でもさー、本来「やりがいのある仕事」かどうかをきめるのは、動くカネの大きさとか、 どれくらいでっかいコーパスを使うかというようなこととは関係ないはずなんだけど、 そういった量を「やりがい度」と混同して考える人 (あるいは、それ以外の基準を思いつけない人) が世間には多いのかもしれない。 というようなことを英語で言おうとしたんだけど、やっぱうまく表現できなかったな。
/etc/profile がこうなってた:
trap "" 2 3
アホ。死ね。死んでしまえ。これを解決するには .bashrc
に
の一行を入れておけばいいのだが、Sun はなぜこんな初期設定にしておくのだろう。
bash になにかうらみでも?
trap 2
お前の存在自体が non-essential だ。などといってはいけまセン。 まあ、NY ではこれは簡単だが、カリホル庭ではどうかな。
日本語で「新」の読み方はいくつあるのか? と、とっさに尋かれても 答えられんもんね。とりあえず、
気になってしょうがないので、skk-jisyo.L を grepって調べてみた。 そしたら出るわ出るわ。地名のあて字まで含めるとおそろしいことに:
とくに「新西蘭」にはウケたね。 まさにニューーだ!! 「西新」にもおどろきだな、 いままで「新」は濁音化しないと思ってたのに。 やはり日本語はあなどれん。
どうでもいい話 2:
老若の境界線は越してしまってからでないと見えないものか、 行くてには見えなくて、ふりかえって見るとはっきり浮いて来る線らしい。 意地の悪い不自由な線があったものだと思うけれど、凡愚なものにだけ意地悪で 不自由な峠かもしれない。どうにもあれ、私は一々その境界線をふりかえって見ては、 立ちどまって、へええ、へええと驚きを以て若かった来しかたをはるかに眺めわたし、 また別な驚きを以て老いて行く行くすえを望んで小手をかざしているきのうきょうである。 恐ろしく新鮮である。凡愚のみの知る新鮮かとおもう。やはり幸田文はただものではないと思った。思うよね? とくにさいごの一文はなかなか書けないよ。―― 幸田 文 「このごろ」
ところでこの人の言葉はこうやって文字になっているのを見ると実は見た目はそんなにいいと思わない。 ところが音読すると非常にいい感じなので、書くよりも喋るのに 向いている言語を使う人なのだろう。
そもそも「ハッタリ」って「こく」ものか? それとも「かます」ものか?
そもそも「かます」って何? スズキの一種? 魚?? それとmkkrkkl
-i
オプションつきで起動されている) ようになっているので
ポートの変更ができない。どっかにあるんだろうけど、ヘタにいじるのは怖いのでそのままにしておく。
まあでも password login を禁止にしておいたから、まずやられることはないだろう。
いちばんいいのはポート番号を 22以外に変更して、しかも password を禁止にしておくことだ
(うちの自宅マシンはそうしている)。
これならまず ssh 関係ではやられまい。しかしそれにしてもだな、わざわざ XServe を買って
AServe を走らせるなんてド変態はこの世にほかにいるのだろうか。繰り返すが、これはオレの趣味じゃない。
どうでもいいけど、ここのコロケーションサービスはとっても安い。 IPアドレス 8個 (じっさいにはブロードキャストとルータ用を除くと使用可能アドレスは 5個, マスクは /29) で、 50GBytes/月 まで転送可能で (追加帯域は 5000GB/月まで可能、slashdotted 上等)、 しかも立地はご近所で 24時間監視で月 50ドルだと? オレもいっこ欲しいくらいだよ。 といっても、置かせてもらうマシンがないけど…。
∀x なんとか(x) ⇒ かんとか(x)
というのをいっぱい並べて繰り返し展開する)
のが正攻法だったのが、これは基本的に探索木の (無限に続く) traverse であり、
効率が悪かったし、計算時間も予想できなかった。
ところがこれを集合理論をつかってやると resolution はほとんど必要なくなり、
アルゴリズムはずっと自然に、効率的になるのだという。ただしこの場合の「集合オブジェクト」ってのは
無限集合も含むからね。SETL には無限集合を扱う機能があるらっし。
これによって、たとえば集合理論での基本的な (だけど証明は自明でない) 定理:
「集合S が無限集合ならば、その濃度は S の直積 S×S の濃度と等しい」
というような証明が簡単に検証できるのだという。
ここでいう S は可算無限にかぎらず、一般的な無限集合でなければならない
(可算無限だけを対象にするなら話は簡単である)。
新山は数学について詳しくないからぜんぜん知らないが、
この定理は数学科なら誰でも知っているような基本的なものだが、証明は簡単ではないらしいよ。
ただしここで話しているのはあくまで証明検証器であって
証明器ではない、かれのソフトウェアはあくまで入力された証明の、
各中途のステップが妥当かどうかを検証するにすぎない。
まあとにかく、よくわからんがそういうことだ。
驚いたのは、きょうのトークの客席に、どっから話を聞きつけたのか Jay が 現れたことだった (このおじさんは NYC のコンピュータオタクの間では 伝説的な有名人である)。で、この部屋にはほかにも沢山の教授がいたのだが (shashaせんせいは隣であいかわらず短パン + マフラーをして座っていた)、 Jay のほうがよっぽど大学教授っぽい風貌なんでおかしかった。 最近、予期せぬところで知ってる人によく会う。 きのうもウォール街のビルで Marc に会った。 でも考えてみりゃマンハッタンってそういうところなんだと思う。 NY は空間的には連続でも、心理的にはものすごくカラーの違う 場所がモザイク状にあつまっているので、ある種族 (というか、階級というか) に 所属する人々は、マンハッタンの中のごく限られた場所の中しか動かない。 なんしろスーパーから病院からぜんぶ階層分けされてるもんで。 だから実際には山手線ぐらいの大きさの土地がさらに小さな 「村」に分割されていて (といっても空間的にはそれらは一枚岩ではなく、 飛び地だらけである)、そういった村が何万種類もある。 だから人々のつきあい方というのはすごい村社会なのだ。 これは東京などではあまり起こらないことだと思う。なぜだか知らないけど、 東京のほうがずっと「都会的 (= 平均的、無機的という意味で)」だ。 といっても、古い下町のほうだとそうでもないと思うけど。
てくるで、東京でいうところの「下町」というのは、もともと「高度が下にある (山の手に対して)」 という意味なのに、NY でいうところの Downtown というのは「緯度が (地図上で) 下にある」という意味なのが なんかおかしい。
くそー、Slime の環境はつくづくうらやましいよ。Python でもこんなのあったらなあ。 最近いいと思ったのは、Marco さんがやっていたように こいつをリモートで bind させておいて、ssh でポート転送してコントロールすることである。 いま某所のサーバ設定をやっているのだけど、AServe を使って web を発行させるときに Swank から起動すると、リモートで走っている AServe を直接いじれるんだよな。 これはさしずめ走っている Apache に ssh 経由であれこれコマンドを送れるようなもので、 web サーバをまったく落とさずにページを動的に追加したりできる。
Lisp プログラマの常識のひとつらしいのが 「一度 Lisp を起動したら落とさない」ということである。 コンパイル、再ロード、デバッグなどはすべて Lisp インタプリタの中でおこない、 いちいち再起動しない。これは Unix 的な考え方とはぜんぜん違う。 ある意味、Lisp プロセスじたいがひとつの OS というか、環境なんだな。 Emacs と同じようなものかもしれない。 こういう発想っていままでしたことなかったなあ。 (そんなに好きなやり方でもないが)
PhD student and PostDoc openings in Dublin, Ireland
なお、このメールの〆切は 8月31日となっているが、 彼らはまだ日本語のできる学生を見つけていないので日本人なら応募可能らしい。
てくるで、さいきん Summer of Code の評価の話をよく聞くんだけど…。 いまだに謎なのは、なんぜ LispNYC が 9人も学生を受け入れられた (この人数は Google が決めた) のに、NetBSD Project とか Samba Project には 6人しか割り当てられなかったのか、ということだよ。 どう考えてもオカシイだろ。知名度的に。
google://john-roberts peppermint-patty/
(追記: どうでもいいけど「猟奇的」ってほんらいどういう意味なんだろう。 オレはあまり意味を理解せずに「猟奇的」って言葉を使っているようの気のする。 でも、言葉なんて、そんなもの。こういう意味でも言語処理はむずかしい。 基本的に自然言語は誤用によって成り立っているのだ)
…つうことで朝から電話。すると定型アナウンスが流れてきて、 「Jersey City 一帯は工事のため接続できない可能性がある」うんぬん。 お前なあ、そういうこたあ事前に知らせておけよ! ベケヤロ。 ログを見ると今日の午前 3時ごろからつながんなくなっている気配だが、そんな時期から工事してたのかよ? どう見ても夜中にまで工事をやるような会社とは思えないんだけど。
てくるで (ところで)、ぜんぜん話は変わるが (でんでん話は書はるが) こないだ Union Sq. 駅で、ふと壁いちめんにラベルが貼りつけられているのを見つけたんだよ。 それはどれも以下のような書式になっていた:
だれかの名前 |
写真にとったのがこれ:
でもまあ、ある意味で「変わる」というのは正しい。 狭い意味では。印刷物やテレビからネットへというメディアの移行は もうほとんど止まらないだろう。でも、その役割はあいかわらずちっとも変わらない。 それはつまり「放送」というやつで、その機能とは、少数の人間によってその他多勢の人々の 考えおよび行動を制御することである。ブログロでなにか社会が変わるという人は、 ネットによって「放送」が消えるとでも思っているんだろうか? 放送は決して消えはしない。 それはただ形を変えるだけだ。じっさい、「人気ブログロァー」という人々の存在がそれを証明している。 世の中にはこういう人気のあるページだけを 10個かそこらブックマークして、 それだけを見ている、という人が山のようにいる (でなければ統計的に「人気」という現象がおこるはすがない)。 これは結局、テレビを見たり、有名人を追っかけたりしてる人と同じじゃん。 たとえば人気がある TV番組の順位と人気があるサイトの順位を比べてみると、 きっとその人数分布はかなり似ているにちがいない。たぶんこんなかんじだ:
TV番組 | Webページ | ||
順位 | 視聴者数 | 順位 | 訪問者数 |
1 | ■■■■■■■■■■ | 1 | ■■■■■■■■■■ |
2 | ■■■■■■ | 2 | ■■■■■■■ |
3 | ■■■■ | 3 | ■■■■■ |
4 | ■■■ | 4 | ■■■■ |
5 | ■■ | 5 | ■■■ |
6 | ■ | 6 | ■■ |
... | ... | ... | ... |
そしていま起きていることというのは、 左にあるテレビの山が小さくなり、その人口が右にあるネットの山に移っているというところだ。 もちろん、ネットではテレビにくらべてケタ違いにチャンネル数が多いし、 トラックバックというヘンテコな仕組みをつけているところもあるので、 テレビに比べれば多少は分散する (つまり、この山が平たくなる) だろう。 でも、そんなに変わんないと思う。地方TV局や印刷物まで含めれば、旧 (ネット以外の) メディアでも 合計チャンネル数はそんなに変わんないだろうし (これはつまり、地方TV局やミニコミ誌などの媒体は 最終的には全部ネットというメディアに一元化されてしまうだろうと仮定しているわけだけど)、 旧メディアの人気も同程度には分散していたはずだ。そしてたぶん、 19世紀パリのサロンにいた人気作家なんかも (規模は小さいものの) ほぼ似たような分布をもっていたと思われる。 この構造はおそらくあと 1000年たっても変わらないだろう。 たぶん類人猿時代からずっと変わっていないにちがいない。サルがブログロを始めたら、 人間社会のそれと同じような現象が起こるだろうね。 独裁者もマイノリティもみんなネットという (表面的には) 等価なフォーマットで 発言するようになれば、メディアによる差別がなくなるから平等になる、という考えは まったく説得力がない。メディアの差異にかかわらず、 この世には必ず人気のある人 (またはサル) とそうでない人 (またはサル) がいて、 つねに一般人は「人気のある人 (またはボスザル)」の言うことをより好んで聞くのである。 これはいつの時代でもずっと起こってきたことで、 おそらくほとんど生物学的に定められた宿命なんじゃないかと思う。
似たような議論で、「少数派の意見をみんなが聞けば社会が変わる」というのがある。でもちょっと待て。 そもそも「少数派」ってのは「みんなに聞いてもらえないから」少数派っていうのだ。 ある少数派の意見をみんなが聞くようになったら、そいつは定義によりもはや少数派ではない。 それは放送だ。そして、そのような放送機構は地球上に無限には存在できない。なぜなら、世界じゅうの人間の 「話を聞く能力」の合計は有限だから! 「人気」という概念を「話を聞いてもらえる資源の配分」というふうに考えると、 上にあげた以外の分布が現実に起こりるだろうか? とてもそうは考えられないけどな。 だって、「少数派の意見をみんなが聞くような社会」ってのは、 この分布がほぼフラットな社会のわけだよ:
順位 | 訪問者数 |
1 | ■■■■ |
2 | ■■■ |
3 | ■■■ |
4 | ■■■ |
5 | ■■■ |
6 | ■■■ |
... | ... |
こんなこと、ありえる? ありえない! …結局のところ、たとえ「少数派」が台頭してきたとしても、 最初の分布と同じような偏った分布に落ちつくだろう。 とすればそれはべつに「社会の構造が変わった」わけではない。 ある権力が別の権力に入れかわっただけだ。 そして、そういう「放送」の能力をもった人々がいつもマトモなことを言うかというと、 そんなの無理に決まってる。これは新聞やテレビやブッシュや ローマ法王につねにマトモなことを言えってのと同じくらい無理な要求である。 そんなことは起こるはずがねえよ。 彼らがつねに間違ったことを言っているとは思わないが、「放送」の能力をもった人々というのは 自分の言いたいことをすべて言えているわけではない。自分に与えられた「放送」の能力を 守ろうとすれば、かれらは必然的に内部的あるいは外部的な圧力によって自分自身を規制せざるをえない。 つまり「政治的な」配慮がどこからともなく生まれてしまうのである (「人気ブログロぁー」は確実にそういう政治的手腕の持ち主だと思う)。 もちろん、その影響力を利用しておカネを儲ける (これは“広告”と呼ばれている) こともできるだろうけど、そしたらなおさらマトモなことは言えなくなるよね…。
しかも、人は「放送」を嫌ってばかりいるわけにはいかない。 たとえば新山はコンピュータの問題に関してなら「人気のない」人の言うことも聞くが、 医療や法律の問題はどうする? 結局、「人気ある人 (≒権威のある人)」の 言うことを信じるよりほかにやりようがない。なぜって、新山のような部外者にとっては (医療や法律の分野では) 知名度以外に人を信頼する基準がほとんどないからだ。 (まあ、「顔が生理的に気にくわない」という程度の基準ならあるけどね…。これはけっこう当たる。) すべての人間がどんな分野に対しても平均的な知識をそなえており、論理的に思考し、 しかも無限に近い時間を与えられていれば「ブログロで社会を変える」こともできるかもしれない。 でもそれって共産主義の仮定以上に無理な仮定だ。
最近思うんだけど、けっきょく (ケッキョキ)、技術というのは人間の個人的なライフスタイルを変えるかもしれないが、 社会の構造というか、人間の精神構造はどうやっても変えられないのだろう。 この手のことを考えると、いつも「カラマーゾフの兄弟」に出てくる“大審問官”の話を思い出す。 たぶん「ブログロで社会を変える」とかいってる人は、この話を知らないんだろ。 結局のところ、人は“大審問官”(あるいはその仲間) になるか、あるいはそれに盲従する民衆になるか、 あるいは誰からも相手にされず孤独にのたれ死ぬヘンクツ者になるか、 のどれかの選択肢しかない。で、オレはなぜか「ヘンクツ者」っぽい道を選んだわけだ (つっても、べつに意識して選んだというより、ふつうに行動してるとそうなるダケなんだけど…)。 でも新山は大審問官がいなくなればいいとはまったく思っていないし、 むしろその逆だ。大勢の人をコントロールしてくれる一握りの独裁者がいなければ、 人の意見がまとまらなくなって、世の中はひどく不安定になってしまう。 けっきょく (穴居キ)、結論はなにかっていうと、 ブログロはなにも変えはしないだろうということである。 なんか似たようなことを前にもここに書いたな。 ああそうだ、「検索エンジンは人間の能力を上げるわけではない」と書いたんだ。 ただし不幸なのは、道具は世の中を変えはしないが、 道具それ自体は変わるんである。だからなにか新しいものが出るたびに、 表面的なことしか見ないアホな人々が、これぞ変革のツールだ! と騒いでも、そんなにはビックリしない。そういう人にとっては それが生き残り戦略なのかもしれないが、なんか連中はそればっか繰り返していそうなので、 よく考えると退屈なつまらん人生をおくっているんだと思う。
まあ、自分もオタクだから人のこと言えないんだけど、 とかく技術屋は世の中が技術でなんとかなると思いがちである。 実際には、技術はまったく役に立たない問題が世の中にはごまんとあって、 そっちのほうがたぶん多い。そして技術屋は、技術の物理的・原理的な限界ではなく、 「人間のサガによる限界」というものをもっと知るべきなんだと思う。 それを理解したうえで設計しろと。考えてみりゃセキュリティの問題なんてほとんどコレだ。 ある意味「絶望」を理解することが必要なのである。 だいたいこういうことって、工学部ではサッパリ教えないよな。 日本でも米国でも。たぶん教えられる人があんまりいないからかもしれないが… 自然言語処理をやっていても感じることだが、 自然言語処理の研究者はどこからが「絶望するべき問題」で、 どこまでが「絶望するべきでない問題」なのかまだ知らない。知らないというより、 そもそもそんなこと考えたこともないのだ。それで必死にあがいてるんだけど、よくわからない。 おっと、考えてみりゃアメリカ人のほうが日本人よりもずっと 「技術だけでなんとかなる」と考えがちのような気が?? するね?? 最近のアレを見てると。
とにかく、オタク風情が「社会をうんたら」などと考えるとロクなことにならんので、 そんなことよりオレは Python とムーミンの話をするべきである。以上。
結論: なんない。
とゆーか結論はどっちにしろ前からとうに出ている (?) ので、 オレとしては「どうやって説明するか」の最適化パズルをやっているだけだな。
てくるで、
ラジむか。 (オレとしては、どうしても google で「ラジむか」の検索でこれが出るようにしてほしい、 url 打つのがめんどくさいので)