それは大変!!
はっ、 これは!! |
オッペルとゲンガー (= 象)。
あーあ。こりゃもう日本でいうところ (=てくる) の「祭り」ってヤツだな。 たぶんソニーの側にも悪意はないのだろうけど、 用心しすぎて逆に墓穴を掘るっていうのはいかにも日本的でよろしい。
だうでもいいけど、(ろうれもいいけろ、) 新山はある特定の企業は日本語訳にするときにカタカナで書きたがる。 なぜか「ソニー」「マイクロソフト」「インテル」「アップル」は、今のところカタカナにしている。 なんとなく日本語ではカタカナ表記のほうが普及してそうな名前だから。 こういうのを英字で "Sony" とか "Intel" とか書いていると、まるで 「アメリカ」を「アメーリカ」とか発音してた NHKの某キャスターのようなバタ臭さが出てしまう。 「ブッシュ」とか (並べて悪いが)「ストールマン」とかの人名も すでに「辞書に載ってる級」の知名度の名前なのでカタカナにしている。 一方、"Grokster" とかをカタカナにしてもこの名前自体あまり日本で知られてないので、 こういうのは英語表記のまま。
じつは今日は雨ってるので、大学行かなくてちょうどいいっす。
こっちでいう "Manga" って、そういうモノのことですかい…。
英語では "Manga" と "comics" が区別されている (らしい) のには、笑える。 これってハマチ (yellowtail) とブリ (yellowtail) が区別されてるようなものだな。 つまり、アメリカ人にとって Manga と comics の違いはブリとハマチの違いと 同様、重要なものなのである。
やること todo:
どちらかというと、テーマの定まった講演というよりも、Joel Spolsky が 将来のプログラミング言語について散文的な思考をあれこれと話し、みんなで質疑応答する、 という形式のものだった。まあ、 LL の質疑応答が伸びたような雰囲気だな (ふぃんき)。 このおじさんの主な関心事は「どうやって web アプリを簡単に効率よく作るか」ということであり、 だからトークもそれ用のプログラミング言語はどういったものが望ましいかという点に 絞られていた。ほとんどの web アプリ開発者は 5種類のまったく異なる 人工言語を使う必要があるという。つまりそれは:
string
型を外部に実装させるためのお膳立てだったわけである。
この話はかなり説得力がある。
asm { }
でアセンブラに逃げられるという
道が用意されていた。
とにかくこの人は話も軽快で面白く、ためになるミーティングでありました。 ちなみにこのおじさんがもっとも有名なのはおそらく彼の書いているブログロなのだが、 彼の会社では、従業員は彼のブログロを読むことを義務づけられているらしい。 uge--. やだなあ、そんな会社。
そのあと、メーリングリストに Jay から面白そうなものが転送されてきた:
Co-presented with WIRED Magazine
THE BATTLE OVER BOOKS: Authors & Publishers Take on the Google Print Library Project
Thursday, November 17, 2005
7:00 PM
Allan Adler, Association of American Publishers
Chris Anderson, Wired Magazine
David Drummond, Google
Paul LeClerc & David Ferriero, The New York Public Library
Lawrence Lessig, Stanford Law School
Nick Taylor, The Authors Guild
ワーオ! これはまたスゴそうな企画だな。 いま渦中の 2団体 (原告) と Google、そしてレッシグまで登場する。 しかし、ただのミセモン以上のものになるのかは疑問だ。 入場料は 学生 $10 だが、こういうものでしっかり金をとる NYPL の商魂には恐れいる (ちなみに NYPL は "public" と名前がついているが実際には私立の図書館なので、 こういうことしてもまったく問題ない)。
でも正直なところ、新山はこの Association of American Publishers なぞが言うような 著作権うんぬんの問題についてはあまり関心がない。むしろ疑問に思っているのは 「スキャンしたデータが本当に誰にでも (図書館のふつうの利用の範囲内で) 利用可能なのか?」ということだ。
もともと米国の著作権法では著作権のある本を全文コピーするのは すでにそれだけで著作権違反なのだが (これは日本でもそう)、例外があって 「図書館」と名のつく組織には特別に (保存のためという名目で) 複製が許されている。 同じように図書館は DRM の解除も許されている。Google が狡猾だと思うのは、 かれらは NYPL などの図書館から「委託」されて書籍をスキャンするのをお手伝いしていますよ、 という立場をとっていることで、このため彼らには合法的に書籍をスキャンする権限がある (すくなくとも彼らはそう主張している)。 でも、それはあくまで技術的な援助であって、スキャンしたデータはあいかわらず 図書館に所有権があるよね? しかしこれはどのように利用者に提供されるのか、といったら いまの状況を見るかぎり、結局のところ Google によって管理されることになりそうである。 ほかのサーチエンジンもこのインデックスを利用して広告を表示できるわけ? もしその本を自分も持っていたら、その部分の電子化データは図書館から 自由に利用できるはずだよね? さらにいうと新山はこの企業がそんなに長続きするとは思っていないのだが、 Google がつぶれた場合、その電子化された書籍はどうなるんでありましょうか?? いずれにせよ、各図書館は自前で (Google に頼らず) インデックスを管理できるようになっている 必要があると思う。電子化はおおいに結構。 しかしいまの状況では、Google が一方的にスキャンしたデータを 「かこっている」ようにしか見えない。もともと、お前らのモンじゃねえだろ! でも、「著作権」を主張しようとしている この作家の団体には大したことはできなそうだな。結局のところ (ケッキョキ)、この "No evil" な会社は当分のあいだ、金にモノをいわせて やり放題なんじゃないかと思う (さいきんはロビー運動もしてるみたいだし)。
昨夜走らせておいた実験がやっぱりエラーで止まっていた。 がっくり。
言い訳その 2469。新山はいつも「FreeBSD を使いたい」といっているが、 ただ「インストールする」だけなら、これは手の空いているノートや vmware にインストールすればいいだけの 話だから簡単なことだ。しかし、これだけではその OS を「使った」ことにはならない (ときどき、いくつもの異なる OS をインストールしたがる(だけの)「インストール馬鹿」をみることがあるが、 新山はこういう人種をうさん臭く思っている)。 「ある OS を使う」というのは、その環境で文字どおり生活するということだ。 日常の業務を何もかもその上で (最低でも半年ぐらいは) やってみて、ありとあらゆるトラブルその他を 経験しなければならない。しかし、それができる時間は今のところない。いや、ガンバレばあるのかな? とりあえずハードディスクとニベアの手荒れクリームを買ってこよう。
そういえば行きの電車の中で、スコアの正規化について考えようと思っていたのだが、 こないだ買った 1ドル本を読みはじめたら面白くて結局電車を降りるまで読んでいた。 イカニよ!!
新山は、日本にいたときは周囲の「オタクっぽい人々」とほとんどそりが合わなかった。 こういうときに「日本人の社会は閉鎖的だ」とかいうお定まりの文句は使いたくないのだけれど、 連中に対してはそういう表現が使いたくなる。というか、あの慣れ合いぶりがイヤだったんだけど (とはいえ、ただ単に生理的にキライな奴が多かっただけかもしれない)。 こっちにもそういうタイプの人はいるが、平均的にみればみんなわりと外に対して開けているし、独立している。 で、たとえば LispNYC の中でみるとみんな仲はいいのだけど、「仲がいい」という概念自体が 日本とはすでに違う。だが、これはいいとか悪いとかいう問題ではなく、ただ新山はもとからそういう 個人主義っぽい趣向だったのだろう (これは家庭の影響が大きいと思う、うちの親は昔からかなり個人主義的だった。 ようするに変人一家なのだ、ウチは)。 オレは人づきあいの方法に関しては米国のほうが好きみたいだ。しかし、これまた そんなにハッキリ区別がつけられるわけでもなく、日本にも新山と似た趣向をもった人はいる。 ただし数は少なそうだけど…。
あーあ。とくにソニーに恨みがあるわけじゃないが (といってもぜんぜん好きじゃないが)、 こうなるともう往年の NHK か JR西日本か神奈川県警って感じだね。 飛ぶ鳥を落とす勢いでイメージ悪化中。まあ、slashdot はこの点ツウちゃんねると似ているところがあるが…。
てくるで。
ある人のメールの返事を書いていて、 オレってなんていい奴なんだ! と思った (自分で思ってちゃもうおしまいだ)。 とゆうか、こんなことしてたせいでまた今日も自分の趣味をやる時間なしだよ。ああ。
...
/boot/vmlinuz
ではなく
/vmlinuz
だった。すっかり忘れていた。
ひさしぶりに lilo.conf
とか書いちまったぜ。
Slack はなぜ Grub を採用しないのだろう。
は空リストary = [[]] * 10
「」
(わざと) を 10個生成しない。生成するのは 1個だけだ。
空リストが 10個ほしければこうしなければならない:
ary = [ [] for i in range(10) ]
どうでもいいけど (DDI)、日本の新聞で知ったのだが、 某所の知事がきょうのマラソンを視察したそうだが、 こっちの新聞ではどっこも取りあげてない。 まさにどうでもいい (DDI) ことだが、 あのおっさん、そんなことやってる暇あんの?
5秒後、そのあまりの電波さにひとりでニヤニヤしながら寝た。
みそしるにタマネギを入れる。
あすは New York City Marathonなので、 きょうのセントラル・パーク内は準備のために車両規制がされていた。 セントラル・パークはマラソンの終点である。Ryan は今年も走るのかな。
Daniel J. Bernstein: すでに存在するセキュリティ上の問題を修正するだけでは十分ではない。…(中略)… 私はプログラマーには、ものすごいプレッシャーをかけるべきだと思っている。 そうすれば彼らはセキュリティ上の問題を避けるのに十分な時間を費やすだろうから。 もしあなたがそのプレッシャーに堪えられないのなら、ネットワーク用の ソフトウェアを書くべきではないのだ。…(中略)… 恐怖というものはじつに素晴らしい動機づけだ。 (下線は新山)Theo de Raadt: 残念ながら、上の Dan のいうことには同意せざるをえないね (これはホントに嫌なんだが)。
djb は「セキュリティ上問題のあるソフトウェアを書いたプログラマは、 バグが発見されたら、すぐさま exploit つきで full-disclosure されることにより 罰を受けるべきである、そうすることでプログラマはユーザを失うため、 よりセキュリティに気をつかうようになる」という思想をもっている。 で、新山はかならずしもこれには同意しない。なぜなら
まず、朝ころきあに出た。
COARSE-TO-FINE CLASSIFICATION AND SCENE INTERPRETATION
Donald Geman
Johns Hopkins University
トークは先週のようにはおもしろくなき。 来てる学生や教授の面々から察するに、きょうもスピーカーはそれなりに 名の知られた人っぽかったが、とくに関心するようなアイデアはなかった。 画像認識の話だが、よくある典型的な「アメリカの発表」っぽく、 イントロの部分では大風呂敷を広げておいて、だんだんだんだん問題が 矮小化されていき、最後にはどうということもない (と新山には見える) 普通の機械学習に 落ちてしまった。この人がいうには、これまでの discriminative なモデルと generative なモデルとはもうひとつ別の、静的なデータ分析ではない 「動的に手続きを変化させる学習モデル」がある! ということで、その抽象的な アイデアまでは非常に期待がもてたのだが、それが実際にどういった具体的な 手法になるかというと、結局のところ、ただの binary classifier を 階層構造にして、計算しなくていいところはなるべく計算をはぶくというダケのものだった。 Dan が「結局のところ、凝った決定木なんじゃないの?」といっていたが、 その発表者は否定していたが、新山にもやはりただの決定木に見える。 ただそのノードにあるのは素性ではなくて binary classifier なのだが、 こんなの誰でも思いつくでしょ? とくに機械学習でスピードを稼ごうと思ったら 階層化して分割する、というのは一番オーソドックスなやり方だ (つうか、AdaBoost の人もたしか似たようなことをやってたような…)。画像認識だって、 はじめに認識対象を "zoning (正式にはなんて呼ぶんだろ? narrowing か?)" するということはみんなやっている。これはたんなる前処理ともいえるが、 ぜんぜん違う手続きを使ってはいるものの、認識プロセスの一部ともいえるわけだし、 アイデアとしてはなんにも変わらない。これのどこがすごい研究なのか?
てくるで (ところで)、ウチには機械学習の先生が 2人いるが、テーマが 1次元 (つまり文字列) のときは Mohri がきて、2次元 (=画像) のときには LeCan がくる。 だから、聴衆をみるとだいたいその日のテーマがなんとなく読めてしまう。 さらにネットワーク系やプログラミング言語系の人がくるときはまた違う顔ぶれになる。 今日はめずらしく自然言語処理でもないのに Dan が来ていて 「なんだお前、vision に興味あんのか?」と尋かれたので 「なるべく毎回出るようにしてるんです」「えらい!」という話だったが、今日のオレの目的がトークではなく タダ飯 (= コーヒーとベーグルにクリームチーズ、スコーン、そして果物) にあったというのは 黙っていた。とーぜん今朝は朝食ヌキである。しかし、はっきりいって、 どんなテーマでもおかまいなしに聞きにくるあやしい暇人は 学科内でも新山ぐらいのもんだ、という自負はある。しかし、ワケのわからん分野から アイデアをもってこれるくらいでないと研究者なんてつとまらない、と自分では思っているが、 セキネさんや H嬢にこう言っても「そんなことよりタガーの精度を上げなきゃ!」 と言われてしまう。キミらには好奇心というもんがないんだね?
(追記: …というか、これはいつも思うのだが、 分野が違うから自分とは関係ない、という態度は 研究者として大丈夫なんかいな、と思わざるをえない。 どのみち、人間が取り組んでいる問題なんて普遍的な部分では みんな同じなんである。ある分野で得られたアイデアを抽象化し、 それを他の分野に対して比喩的に対応づけられなければ、これはただ効率が悪いだけでなく、 分野の“断絶”とでもいうものにますます拍車をかけることになる。 新山は基本的に研究者という職には興味がないからどうでもいいが、 実際の職業研究者 (あるいはそれ志望) の人々がコレじゃこまるじゃないの!)
で、そのあとなにやった? 本当は実験用スクリプトをデバッグするはずだったのに、 なぜか管理者っぽい仕事に手を出しはじめてしまい、ついでに Moinmoin を 1.2.x から 1.3.5 にアップデートした。けっこう時間かかんのね。 それから、それから、使ってないノートに Slackware-10.2 をインストールするという 不要かつ不毛な作業を始めてしまい、 「くそ、APMが効かねー」とかいうところで2時間ぐらい無駄にする。 オレが今日落ちこんでいた原因はこれだ! 思うに、インストールとか設定とか、この手の作業で何時間も使ってしまうと、 あとでかならず精神的にぐったりしてしまうのである。なぜだろう? なんか、張り合いがないんだな。あ、そうか。 この作業はしょせん「やらなくてもいいこと」だからだ。 しかし工場のベルトコンベアとかで毎日単純作業してる人もこういう疲れを感じるのだろうか。
マンハッタンの紅葉はいい感じになってきた。 ギンクゴ (銀杏) はまだビッグバー度 10% ぐらいだが、ほかの広葉樹はもうかなり黄色くなっている。 来週あたりがヤマだろうね。
お昼はドサにしようと思ったが、もう遅かったので、サモーサを 2個たのんで食った。 Washington Sq. ではなにやらボサノヴァっぽい曲を演奏しているグループがいた。
しかし、問題は Linux のときとちがって、 周囲にバリバリ指導してくれる師匠がいないということだ。 まあ、Linux を覚えたときが恵まれすぎていたのかもしれないけど、 いまでもプログラミングやシステム管理の技術というのは、 ひたすら独学するか、師匠についてワザを盗むという方法しかないように思える。 そして独学のほうがやはり時間はかかるようだ。 新山は年功序列にはこだわらないが、師弟関係にはこだわるのである。
UPS (一部の adminny はこれをアップスと発音する、マジで) を 3台のサーバにようやくインストールした。ついでにもう一台は 新山の自費で買ったものでデスクトップにつないであるのだが、 これ、おカネ出してくんないかな。これでようやくウチも 瞬電地獄から解放されてマトモな環境になったワケだ…。 といってもまだ 3台だけだけど (web サーバをふくむあとの 3台はまだ救われない、 その他のデスクトップは無視、オレの実験データだけ助かればいいのだ)。
きょうは午前中にうだうだと RPM を作成したあと (apcupsd を RedHat-7.3 に入れるため)、あっちこっちの人に「止めていいっすか?」と お伺いにまわって、そのあとマシンを止める旨のメールを出して、午後は怒涛のように コードを書き、そのあと 5時になったので shasha せんせいの授業を久しぶりに聴講して、 そのあとメシ食いに行って、8時すぎに帰ってきてサーバの電源をぜんぶ切り、 掃除をして配置換えをし、UPS をつないで起動し、テストし、master/slave が正しく 動いているのを確認し、10時半ごろになってやっと帰れた。 翻訳をやる時間もなし。ごめんね
ちなみにいまの状態はこんなかんじだ:
$ apcaccess
APC : 001,052,1227
DATE : Thu Nov 03 02:05:39 EST 2005
HOSTNAME : mango
RELEASE : 3.10.18
VERSION : 3.10.18 (21 July 2005) redhat
UPSNAME : mango-ups
CABLE : Custom Cable Smart
MODEL : Smart-UPS 1500
UPSMODE : Net Master
STARTTIME: Wed Nov 02 21:59:29 EST 2005
SHARE : NetworkUPS
STATUS : ONLINE
LINEV : 123.8 Volts
LOADPCT : 42.9 Percent Load Capacity
BCHARGE : 100.0 Percent
TIMELEFT : 29.0 Minutes
MBATTCHG : 10 Percent
MINTIMEL : 5 Minutes
MAXTIME : 30 Seconds
MAXLINEV : 123.8 Volts
MINLINEV : 123.8 Volts
OUTPUTV : 123.8 Volts
SENSE : High
DWAKE : 060 Seconds
DSHUTD : 090 Seconds
DLOWBATT : 02 Minutes
LOTRANS : 106.0 Volts
HITRANS : 127.0 Volts
RETPCT : 000.0 Percent
ITEMP : 31.5 C Internal
ALARMDEL : 5 seconds
BATTV : 27.4 Volts
LINEFREQ : 60.0 Hz
LASTXFER : Automatic or explicit self test
NUMXFERS : 0
TONBATT : 0 seconds
CUMONBATT: 0 seconds
XOFFBATT : N/A
SELFTEST : NO
STESTI : 336
瞬電よりデカい停電が起こった場合は悪あがきしてもどのみちムダだろうから、 停電して 30秒たったら (たとえバッテリーがまだあっても) さっさとシャットダウンするようにした。 ようするに、毎朝 6:10分の定期瞬電さえしのげればそれでいい。
ところで米国の科学教育がだいぶ前からオカシな方向にあることはすでによく知られているけど、 「インテリジェント・デザイン」のような寝言を称揚するアホが権力をもっている米国と、 そういうのには免疫があるけれど、そもそも一般人がほとんど科学に興味のない日本のような国では 一体、どっちがまともなんか。そもそもインテリジェント・デザインというのは証明するのは ほとんど不可能だと思うけれど、完全に否定することもまたむずかしい。(まともな)科学の側からの 唯一のよりどころは「オッカムの剃刀」だと思うのだが、「オッカムの剃刀」自体が 科学法則というよりは「常識の一部」って感じである。しかし「常識」ってのは 一体なんなのか? ある意味、これは「究極の法則」といってもいい。 科学法則のように厳密ではないが、人間がこの地上で生活しているときには ほとんどあらゆる場面で適用可能な法則である。 ようするに、このインテリジェント・デザインの場合でいえば、なんらかの理由で直感的に 「そんなことあるわけねえだろ、バーカ」と言わせるのが常識、だな。 しかし、これが学校のような教育でほんとうに教えることができるのか、 そもそも「常識」というものに対してなんらかの合意が得られるのか、といったら、 これはまったく絶望的だる。新山が「常識」だと思っているものは、そのほとんどが 親から受けついだものだ (まあ、ここでは「受けついだ」という言葉を使っていいと思う)。 それ以外のところで「常識」といえるようなものを習った記憶はない (ご焼香のときに遺族の前で一礼するとか、 宛先には「御中」と書くとかいう「ニッポンの常識」はべつとしても)。 他の人はどうだかしらないけど、もし他の人も同じようであれば、アホな親からは ほぼ必ずアホな常識をもった子供しか生まれないことになる。 すると結局のところ、これからも未来永劫、アホな理論は生まれつづけるし、 人はいつまでたってもお互いを理解できずにケンカをくり返すのだろう。
新山は基本的に「才能のよしあし」という概念をまったく信じていない。
顔がいいとか背が高いとか、物理的な違いが明らかにものをいう場合はしょうがないけど、
基本的に「アタマのよさ」というのは実はみんな変わんなくて、
同じように努力もまったく信じておらず、
ただひたすら人生は「運のみ」で決まると思っている。
しかし、考えてみれば、「世の中はひたすら運のみじゃ」と考えているのと、
インテリジェント・デザインを信奉しているのとでは、はたしてそのマトモ度には
どれほどの差があるの
か。
ラウンヂに昨日の残りキャンディーが大量に散らばっている。
地球(ちきゅう)は宇宙(うちゅう)のはじっこにあるってホント
かな?
答え: ○
地球(ちきゅう)がある太陽系(たいようけい)は、銀河(ぎんが)の真(ま)ん中(なか)から
約(やく)3万(まん)光年(こうねん)もはなれた場所(ばしょ)にあるんだよ。
ホントか? それってはじっこっていうのか、星ベソくん!?
ところで「星ベソくん」っていうのは真ん中にヘソがあるから星ベソくんっていうらしい。 そんなのはじめて知った。
ところで (てくるで)、クラスタリングはだいぶうまく動くようになってきたが、 ひとつ気にいらないこととして「スコアが 0.0 〜 1.0 の間の fraction ではない」ことがあげられる。 これは美しくない。スコアはつねに 0.0 〜 1.0 にしておくべきだ。そのほうがいろいろと計算しやすいから! でも、こいつをどうやって正しく (意味のあるやりかたで) 正規化すればよいのかわからない。
openssh/ftp.html
の url が 4.1以降ぜんぶ .tgz
から
.tar.gz
になってたのにずっと気づいてなかった。半年以上もずっと間違っていて、
ぜんぜん気づかなかったわけ? ひどい話だ。