暫定的に復活しました。
(以下略)
.bashrc
に絶対に入れてはいけない設定シリーヅ・その 666:
御利用的自己責任的夜魯死苦。TMOUT=1
新山、再手術決定!
そしてさらに驚くべきことは以下のようなことである:
その手術、もう終わった。
ホントだよ。しかし今朝、 新山がこれから手術を受けるなどとは誰が予想していただろうか。 オレだって予想してなかった。去年、NY で fistula の手術をしたのだが、 そのときの傷が完全にはふさがっておらず、そこに菌が入りこんで慢性的に感染していたようである。 きょう病院へ行ったらいきなり手術決定になった。「緊急手術」といえば大仰に聞こえるが、 しかし、まさかその場ですぐにやるとは…。 基本的に、医師との会話は以下のような感じに進行した:
先生「ああ、これは再発しているような感じですね…今日とかにでも切れますけど、どうしましょ?」
新山「そんなら願いします。で、このあとどうすればいいんでしょうか?」
先生「いまここでやります。準備するから、ちょっと待って」
新山「ええ!?」
先生「…おーい、オペの準備だ、キョクマ(局所麻酔のことだと思われる)を10cc! あと、ハサミ!」
そしてホントに診察台のうえで (ケツを出して) 横になったまま、その場で手術である。 びっくり。センセのほうは、まったく手慣れたもんだった。感心した。 麻酔のときだけはイタかったが (だって肛門に針を刺すのだから)、 その後はすぐに無感覚になり、文字どおり5分で終わった。 その後、ケツに大々的にガーゼが当てられ、「一晩たってから様子見ますんで、 明日また来てください」といわれて終了。
それにしても、米国で経験した、あのモノモノしい手術は一体なんだったんだ? あのときは予約で 1ヶ月近く待たされ、しかも当日は日帰り手術とはいえ 麻酔科医やらいろんな人々と事前面会させられたし、(死んだときのために) 宗教は尋かれるわ、 手首に例の識別ラベルをつけられるわで、 まさに死ぬほど不安な気分にさせられたというのに。 手術台の上で心電図やらマスクをつけられるというのは それなりに興味深い経験であったが、あんなのもうやりたくない。 米国の病院というのはやたら広くて人がまばらなので、手術の前に自分の着替えさせられるときは ロッカー室で一人きりになる。正直、いままでの人生であんなに心細くなったことはなかった。 そんで後日には山のような複雑怪奇な請求書が送られてきた。 それにひきかえ、今日の手術はふつうのガヤガヤしている診察室で行われたので、 ある意味、非常にアットホームであった。支払いもふつうに済んだし。保険も効いたし。
さて、そろそろ麻酔が切れるので徐々にイタくなってくる予定…。
さて、今日の午後は鎮痛剤を飲んでウトウト昼寝をしてから、ドラッグストアに行った。 そう、またぞろ生理用ナプキンを買うために! である。まったくなああ。 まさか生涯で二度もこれをやるハメになろうとは…。この調子だと、 3度目もあるんじゃないか? と思ってしまう。しかし今回は日本なので 「ロリエ」「ソフィ」「ウィスパー」などの、(ある意味) なじみ深いブランド名から 選ぶことができた。つっても新山はどれがどう違うのか、まったくわからんが。 そんなので「違いがわかる男」になってもしょうがないし (←ここは、笑うところ)。 それから、どうしても歩くとき微妙に前かがみの姿勢になる。 センセイは自転車にのってもいいって言ったけど、 月曜日には自転車で出勤できるかどうかは微妙だな…。
それにしてもだ。いまになって考えてみると、どうも NYU のあの医者は 経験不足だったんではないかという気のする。あのときの医者は 「これはけっこう複雑なケースだ」みたいなこと言ってた。 しかも向こうはけっこう忙しいらしく、あんまり質問させてくれなかった (答えがかなりテキトーっぽかった)。 しかしきょうの先生にはかなり詳しく説明してもらえた。それによると、 新山のケースは非常に軽いものらしい。実際、病巣は肛門の入り口から 1cm ぐらいのところで、 場所が浅いし、括約筋も通ってないので、ばっさり切除してしまっても大丈夫 (そのうち生えてくる) とのことだった。というわけで、今日は肛門に直接ハサミをつっこんで切ってもらった。 なにやらジョキジョキやっている感じがしたが、こっちとしてはただ待つしかない。 途中で「ハサミが小さくて切りにくいので、 普通のハサミを使いますから」といって本当に普通のハサミを持ってこられた。 ギョっとしたけど、無事にすんだらしいので結果オーライ。 そういえば、外科医というのは西洋ではもともと床屋が兼業していたんだっけ…。
今日の手術を終えて新山が考えたことは、「じつにやり方が“ハック的”だな」ということである。 米国のときは眠らされていて、終わってから recovery room で意識を回復したので何をされたのか まったく記憶になかったのだが (それに担当医はとっくにいなくなっていて、 まわりにはリカバリ専門の看護師しかおらず、質問してもラチがあかなかった)、 今日は何をやっていたのかある程度は見ることができた (といっても、場所が場所なので切ってるところは見えないが)。 基本的に、外科的な考え方というのは「悪くなった部分を切除して、自然に再生するのを待つ (あるいは永久に再生しない場合、その器官なしで生きのびる方法を考える)」 というものであるが、この病気ではそれが際立っている。古来から、この病気における基本的な術式は、 感染した箇所を切除してそのあと放置し、自然治癒させることにより傷をふさがせる、 というものであった。瘻管が括約筋を貫通している場合はそこをくりぬいて穴をあけるのだが、 ようするにこれは「肛門の横にもういっこ別のアナをあけ、一時的に肛門を 2つにする」というおそるべき状態になる。 「肛門が閉鎖されそうです」どころじゃない、むしろ開通しちゃうんだよ。 そうするとウンコは一時的に 2つの穴から出るのだが (!)、縫合せずに そのまま放っておくと、じきにその穴は勝手にふさがってもとの肛門に戻るという、 Chris Angelもびっくりの 手法なんだからすごい。まさに「人体のモノスゴサ」をフル活用した方式といえる。 今でもそうやって治療しているのだ。でもむかしは麻酔とかなかったからさぞかしイタそうだなあ…。 ちなみに新山の場合は切り開いてしまったので穴は開いていない。
いつの場合も、自分が (なんらかの) 病気だ、と言われるのは気のめいるものだが、 きょうのいきなり手術でだいぶ認識が変わった。これからは、 たとえ死ぬときでも、自分の死に方を好奇心たっぷりに観察することにしようと思う。 でも、今度こそちゃんと (再発せずに) 治るといいんだけど…。
きょうの結論: 病院とトイレは日本に限る。
ちなみに、新山はよく youtube を見ているが、実はこのサイトは嫌いである。 投稿される動画はおもしろいが、サイトそのものの使い勝手はおおよそ最悪だ。 youtube は「テキトーに作ったら有名になっちゃった」サイトの代表例だろう。 たぶん、中身はゴッチャゴチャだと思う。
追記: きょうおろしたダイコンおろしが激辛だった。
def foo(a,b,**c): print (a,b,c)
さて、以下の呼び出しのうち、正しく動くのはどれで、エラーになるのはどれでしょう?
それにしても、python の object
タイプの存在意義がいまひとつよくわからない。
この説明を
見てもわかんないよ。
きょうは暑い。でもオレはコーヒーやお茶はいつも必ずホットで飲む主義なので、 いまも汗をかきながら熱い紅茶を飲んでいる。
ところで、新山がなぜこのLinux環境をこれほど気にいっているかについて。
#!/bin/sh mpc clear curl "$1" | tr '\r' '\n' | sed '/File/s/File[0-9]*=//p;d' | mpc add mpc shuffle mpc play
$ playpls http://smoothjazz.com/streams/smoothjazz_128.pls
Key Pause A A Exec exec mpc toggle
そういうワケです…。
こういう仕様を推進してる人々っていうのは、世界を動かないバグだらけの機械であふれさせたいか (今でさえもう十分すぎるほどなのに!)、あるいは何者かによる独占的な支配を望んでいるかの どちらか、ってことになる。そしてわからないのは、その結果、ウチらが何を得るかってことだ。 そりゃあんたがたは個人的に地位も財産も築けるし、 ご自身のつまんない自尊心も満たされるしで (大企業の社員で W3C かなんかのワーキンググループに名前が載ってる人に名刺をもらうと、 デカデカと W3Cロゴが書いてあって「いまは W3Cのほうにおります」とか挨拶される。 そのときの彼らの得意気な顔といったら!)、 イイことばっかりだろうよ。 だけど come on、技術者以外の人間は何を得るのか? ますます複雑でワケわかんない動きをする機械に、ますますワケのわからないことをいう乖離した人びと、 そしてそいつらの育成と維持にかかる費用…こういったものとひきかえに、 ウチらは何を得るのか? それは本当にわからないし、説明できる人もいないだろうと思われる。 (彼らが言えるのは、せいぜい「それが人類の進歩というものだ」といった趣旨の回答だろう)
だいたい、本当に HTML の見た目をちゃんとしたかったら、CSS2 など役に立たないのだ。 あれは日本語の傍点がサポートされてないじゃないか。ほかにも文字詰めとか、 回りこみ指定はどうするんだ。CSS が Quark や InDesign 並の機能を完璧に持てば 使えるかもしれないが (それでも画面サイズが変わったときにどうするのか謎である)、 繰り返すけど、そんな世界を本当に実現したいのか? Webを派手にしたい人には申しわけないけど、結局のところ我々の「やめどき」は 1998年あたりだったように思える。これからも、我々はこの時期のヘボい web 仕様で 我慢するしかないんだよ、きっと (偶然かもしれないが、Office も 97 以降は 実質的にドーでもいい改良ばかりだった)。そしてそれのどこがまずいのか? 新山はぜんぜんオッケーだと思うのだが、そうではない人も沢山いるよーだ。 きっとみんな人生退屈してるのだろう。
疫病や感染症に心配しなくていい時代になったら、人々はシステムの誤動作という 「心配のタネ」を争って求めるようになった。 …こう考えると、共産圏との戦争が終わったあとに 「テロとの戦争」なんかをもちだしてきて常に人々に 「タネ」を与えておく某国の人々ってのは、じつはすげーー賢いのかもしれない と思えてきた。もちろん、新山は賢い人々はキライである。
「ごろつきの親分」とは何か? 自分では他人を攻撃せず、 かわりに子分 (=信者) に攻撃させる人間のことである。 つまり「ヤロウども、やっちまえ!」といって子分をけしかけておいて、 自分は安全なところでニヤニヤしながらそれを眺めている、というタイプね。 とくに日本のネットだと、そういった「子分」は匿名で活動することが多そうだし、 ときには「親分」自身も匿名かもしれないから、さぞかしタチが悪かろう。
ちなみに、多くのネット上の「ごろつきの親分」は、高い確率で「お山の大将」でもある。 そういうサイトを見るとこっちまで人格が歪むよ。ジンカックになるよ (注: “ジンカク”が歪んだものが“ジンカック”である)。 もし自分に子供ができたら、巷でいう「有害サイト」よりも そんなサイトのほうがよっぽど有害だ。
(追記) 上のリンクをクリックしようとした人々へ。 新山がそういうサイトを実際に紹介するわけがない。 そんなことをしたら、それこそごろつきだ。
てくるで、かつての同級生である H嬢から卒業式の写真が送られてきた。 なんか、(彼女がチビなので) 着ているガウンは XXL サイズかなにかのように見える… って言ったら怒るだろうな。でも、もう言っちゃったケド!
博士学生が着るガウンは学部生のと違ってて、なんか余計な飾りがいっぱいある。 そんで、こいつらはなぜか値段も高く、レンタルだけで 80ドルもするのだ! けっっ、そんな無駄金を払わされるんなら、卒業しなくてよかった!
さて、大学や大学院で身につけるべき、もっとも重要な知識とは何だろうか? 新山の意見では、結局のところ次のようになる:
ようするに、最初からこれらのことがわかっている人は大学に行く必要がない (事実、そういう賢明な人は大学に行っていない)。しかし新山は人並みはずれて アホだったので、何年もかけてようやく上のようなことを理解した。
ssh-vulnkey
をつかって検査してみたところ、新山がふだんから使っている
ssh鍵は別に影響なく、今年に入ってから会社のマシンで実験的に生成した鍵はアウトだった。
で、LWN の当該記事をみると相変わらず詳しく書かれているが、ようするに
「Debian の誰かが OpenSSL のコードに valgrind を実行した。 そしたら『初期化されてないメモリ内容を参照してる』警告が出たので、 それをつねに初期化するようなパッチを (Debian 側で勝手に) 入れた。 ところが、そのルーチンは乱数生成 (RNG) をやるために わざとメモリを初期化せずに参照していたのだった。 このパッチは upstream が知らなかったので、誰も危険性に気づかず、 そのまま2年間放置」
ってコトだったらしい。まあ、debian 側のパッチのポリシーがどうたら、 とかいろいろ言われてるけど、こんだけシステムがデカくなってくりゃ (ここでいうシステムというのは、純粋にコードのことだけじゃなくて、 それを維持する社会的構造のことも含む)、どっかですれ違いが生じてもしょうがないわな。 不幸な話だったと思う。こういうのを見ると、オープンソースでよく言われていた 「人数さえいればバグは発見できる」というようなウソ (いまもまだ言ってるヤツはいるのかい?) について、あらためて考えさせられる。これはもうずーーっと前からそうだけど、 基本的にオープンソース・プロジェクトにかかわる人数はその注目度に比例するので、 品質がよくなるのは「目立つところ」「派手なところ」だけである。 本来は OpenSSL みたいなところにこそ人手が沢山かからなきゃいけないのに、 Firefox とか OpenOffice とか Compiz なんて、ドーーーでもいいじゃん! …しかし、ウィンドウマネージャというのはいつの時代も 「自分の画面をめいっぱいクールにしよう」という哀れな人々によって 犠牲にされる存在のようだ。Enlightment を覚えてる人いる? 新山には残念ながらこの手の自意識はまったくないっので、 いまだに fvwm を使っている。べつの種類の自意識はあるが、 それは文章でもコードでも表現できないのでしない。
ところで、計算機におけるセキュリティ対策を進めるにあたっては、 ひとつ心に留めておきたいことがある。それは「『テロとの戦い』って言われないようにしよう」ってことだ。 同じ“未知の敵”を相手にしているんでも、ブッシュの偏執狂ぶりとTheo様の偏執狂ぶりは、 それぞれ質が違うものなのか? もちろん違う!…といいたいが、 決定的な違いは何かと尋かれたら、うまく答えられない。ひとついいのは、 OpenBSD はどっかの国防総省みたいに fearmonger 政策をとらない、ということだな。 新山は fearmonger が嫌いだ。fearmonger だけじゃなく、 人生における本質的な不安や未知のものに対する恐怖心を利用しようとする人々が大キライである。 だれのことかね。
あんたが面白いと思っているものは、本当に面白いのか??
それにしても、firefox はいつから utf-8 の url を勝手にデコードするようになったんだ? これじゃコピーできんじゃないか。それに % 表記をすべてデコードしたら復元できないし。 新山は Firefox はまだ phoenix-0.5 だったころから使っているが、1.0.7 ぐらいのバージョンが 一番よかったと感じる。1.5 以降はあきらかにダメだし、最近は意味もなくバージョンが上がりすぎだ。 ソフトウェアの規模がでかくなって、“政治的”な要素が入ってくると、バージョンアップするたびに 悪くなるのはよくあることだが、これがどのような力学で生じるかは観察する価値がある。 もっとも新装開店して悪くなるのはソフトウェアに限ったことじゃなく、レストランでは ほぼ 100% あてはまるけど。(新装開店して味がよくなった店って、新山は今までに一回も出会ったことがない) てゆうかこんなことしてないで会社行かなきゃ。
(決っして“振り出す前”とか“触り出す前”ではない)
それから、tabesugi.net を復活させた。いまのところ、 サーバには slicehost.com の VPS を使っている。最初は vpsland.com というところの VPS を使ってみたのだが、これはなんかダメそうだった。 Amazon EC2 もためしてみたが、これは瞬間的に起動するだけならいいけど 連続して走らせるとなると結構高いので、趣味サーバとしてはあんまり使えない (それにファイルシステムが特殊だし)。で、けっきょく (ケッキョキ) slicehost にしたのだが…。 この会社はおそらく繁盛するだろうというあらゆる理由がある。 まず、インターフェイスが単純で使いやすいし、値段もそれなりに安いし、 設定から起動までにかかる時間も早い。それに、vpsland よりも多少軽いような気がする (まあ、同居してる人々が何をやってるかにもよるのだけど)。だいたい vpsland の あの Plesk とかいうアホな web ベースの管理画面は遅いし、使いにくいしで、 さんざんだったからなあ。
それからもうひとつ、これに時間をだいぶ費やしてしまったのだけど、 パソコンを買った。ようやく。Dell の安いやつ。Windows XP が入っているモデルなのだけど、 届くなり 500GB のパーティションを全消しして Xubuntu 8.04 をインストールした。 ウイソドウズなど VirtualBox の上で動かせばよいのだ (正規CDはついてきているし、 それにどのみち新山は一般人であるので、普通の生活では Windows などほとんど用がない)。 正直いって、Ubuntu はかなりキライなのだが、山のような文句はまたあとで書く。 Hardy になってからまた設定まわりが変わってしまった。新山は会社で Debian を使っているので、それなりにこいつの変さ加減には慣れているつもりなのだが、 Ubuntu はまたさらにヘンだから。ほんとうは OpenBSD とか FreeBSD にしようかと 真剣に考えたのだが、SATA やサウンドカードがまともに動くかどうか自信がなかったので (実際に RealTek HD Audio にはやや問題があった)、結局また Linux にしちゃったよ。
で、今日は外付けスピーカとかCD-Rを買ってきたのだが、自宅に帰ってきて あれこれパッケージを開けたりテープをはがしたり電源コードにからまれたりしていると、 "my life sucks!!" という気分になってきた。このような生活はどう考えても優雅じゃない。 とくに、こいつらのケーブルの多さにはアッタマくる。おまけにACアダプターばっかりやたらと増えるし。 しかし、環境を設定していたらやっぱりオレってパソコンオタクなんだなあということを しみじみと思った。やっと画面いっぱいに kterm (+Kappa 20) をひろげて、 音楽をコマンドラインから制御できる生活が帰ってきた。やっぱ、こうじゃなきゃな。 日記を書くにしても、Mac で書いているのとこうやって書いているのとでは 進みかたが全然ちがう (姿勢も楽なので)。ありがたいこったる。 しかし今のところバックアップがぜんぜん動いてないので、来月あたり 500GB のディスクをもう一本買ってきて RAID にしようか。
NY にいたときに使っていた自宅マシン (つまり、旧tabesugi.net) のディスクをもってきたのだが、 こいつをマウントしてみたら 250日ぶりにマウントで fsck にえらい時間がかかりやがった。 tabesugi.net (と、このマシン) については、これからもゆっくり整備していくつもり。
それにしても、画面が広いのはいい!!
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Yusuke Shinyama