きのう、とあるワークショップに出てきたのだが (あいかわらず何のワークショップだかは言わないことにして)、 それにしても、さいきん思うのは「財団法人ちゅうのはスゲーー金持ちだなあ〜」とゆうことである。 彼らの一番の謎は「どうやって活動を評価してるのか」ということだ。おそらく、 評価なんてろくにやってないんだろうけど…。でなきゃ、こんなくだらねーワークショップに わざわざ要約筆記とか同時通訳なんてつけるわけねーよ。ちなみに新山は 「同時通訳がついている会議」というものに出たのはこれがはじめてだが、 おそらく通訳があってもなくてもほとんどの人にとっては同じだったと思われる。 ちなみに、質疑応答で質問をしたが、多くの人から「おめえ何モンだ?」という目で見られた (そして、そういう状況にはもう慣れている)。それにしても、あのパネルディスカッションの グダグダな進行ぶりはいったい何? 新山よりもずっと年上のオトナが集まって あの程度の議論しかできないとゆうのはお笑いでしかない。こういうところでいつも感じるのは、 日本人参加者の去勢されたニワトリのごときおとなしさと、そいつらが必死で演出したがる “和気あいあいとした空気”である。もう、ホントに嫌。 だからこういうところにはなるべく参加したくないのだが…。 まったくなあ。同窓会をやるなら飲み屋へ移動してくれよ。
しかしそれにしても思うのは、この業界ではなんと多くの事柄が政治的な問題にされてしまうか ということである。“この業界”ってのは、ようするに障害者とか福祉関連の業界のことだけど、 いつもかならず「権利」とか「平等」とかいう言葉が 大好きな人々が出てきて、これは技術に関するワークショップなのにそういう政治的なモンゴンで 場を埋めつくしたがる。基本的に、新山も技術だけでこの問題は解決できないということは わかっているが、彼らはそもそも問題を解決したがっているのかどうかさえ謎だ (おそらくそんな気はないのだろう)。それでも、技術的な解決の余地があるかぎり、 技術屋は臆面もなく出ていって叩かれてくるべきだと新山は思っているので、 これからも恥をかきに行くつもり。しかしストレスたまるね。
そして彼らは剣を打ちなおして鋤とし、槍を焼きなおして刈り刃とした。
-- Isaiah 2:4
それともうひとつ、夜7時ちょっとまえに池袋から西武線に乗っていたところ (なぜそんな時刻に新山がそんな場所にいたかは永遠の謎とされる)、 東のほうは雨雲でまっくらになってるのに西はまだ太陽があり、空全体が オレンジ → 黒のグラデーションになっていた。そしてそのあとしばらくすると、 この世のものとは思えないような夕焼けになった。それが今日のよかったこと。
教育が大切だ…。という話はよく聞くし、新山も漠然とそう思っている。 しかし、これは見方を変えれば、これほど危険なものもない。 さらにいえば「教育 == 知識を与えること」ではない。 実際のところ、これまで深夜まが見てきた例によれば、 ある種の人々は、知識を与えられても、それをそのまま受け売るだけで活用することはない。 こういった例は「えらい人」の間にさえ見られる。 だから知識なんて与えてもムダだ、という主張も (devil's advocate としては) 十分にできる。 さあどうかな?
ブルンストレム、11月11日
待機。鰊の流し網を仕掛けておいたので、小魚もろとも 3キロほどの収穫があった。 彼女たちがバルト海の鰊を焼いてから煮る。6羽のコオリガモを捕まえたが、 こいつはどう煮ても焼いても、思うような出来になるとはかぎらない。 北西風が吼える、歌にあるように。
それからこれはボートの発動機について記したところ:
…それからついに運が向いてトゥーティはヤマハと遭遇した。 ヤマハは美しく、電気系統でスタートする。ヤマハはトゥーティの指示にすみやかに従い、天候を選ばない。 トゥーティがキイをひねると、ヤマハが旋回しはじめる。ヴィクトリアは速度をあげ、 ものすごい迫力で岬を迂回し、9.5馬力を全開させ、トゥーティといっしょに外海めがけて驀進するのだ。
飛蚊症ってのは、(新山の場合) 基本的に「しらたきが目の前を飛んでいる」というような現象だる。 これが数が増えてきたり長さが長くなってきたりすると、目の前のものが一瞬かすかにゆがんだり (しらたきが正面を通っているときそうなる、通りすぎたあとはもとに戻る)、 「オヤ? 今なにか動いたぞ?」という感覚があったりする。比喩的にいうと、 「つねにガラス戸を介して世界を見ているような感じ」なのである。 あるいは「水の中にいて、どこかが常にゆらいでいるような感じ」といってもいい。 もちろん、目をこらせばどこでも細部まで見えるのだが、視野全体が均一にくっきり見えることは決してない。 いつもどこかが微妙に汚れており、それがたえず変化しているっていう状態なのだ。 飛蚊症は数が減ることはないっていうから、自分が一生これからこんな景色で 暮らさなければならないというのは、ちょっとおちこむね。
「自分の身体がなにかしら (不可逆的に) 変わった」ということを本当に自覚症状として感じたのは、 たぶんこれがはじめてだと思う。ヒトが歳をとったと感じる瞬間は、 体型とか、髪の毛とか、人によっていろいろあるだろうけど、新山の場合は「視力」なのだ。 それ以外はいまだに 20歳か高校生のころとほとんど変わらない (少なくとも、自覚している部分は)。 顔つきも昔はフケ顔だと言われていたが、その後あまり変わらないので、 いまはちょうど年相応になったんではないかと思う。
(追記) あとで上の部分を読み直してみると、けっこうネガティブな記述になっている。 実際には、新山にとって多少の視力の低下などどうでもいい。ドーーーでも。 だいたい今までだってオレは、妊娠する能力やら、100メートルを9秒で走れる能力やら、 モテるルックスなどは持っていなかったのだ。できなくなったことを嘆くより、 これからできることを考えよ、といったのは誰だったっけか? まあいいや。 とにかく、安っぽい感傷は酒や煙草よりも身体に悪い。
新山はド近眼 + 乱視である。さいきん、目の中を何かがヒラヒラ飛んでる現象 (いわゆる飛蚊症) がウザくなってきたな、と思ったので、きょうは眼科に行ってきた。 そしたら「いま来てよかったわね」と言われる。どうやら新山は網膜が薄くなっている箇所があり、 いまは問題ないが、このまま放置すると「運が悪けりゃ網膜剥離になるかもしれない」という程度の リスクはあるらしい。新山はこれまでに全盲の人の話をいろいろと聞いているが、 「網膜剥離で失明した」という人もいるので、あんまり他人事ではない。 予防処置をほどこすこともできるらしいが、どうするのがいいのかな。 それよりも、点字をちゃんと習ったほうがいいのか。
こういうとき、最近のオレはほんとに気弱になったと思う。ある意味、 自分の運の強さを信じるならば、かからない病気のために無駄な予防などする必要はない。 しかし、最近の新山は自分がそれほど強靭な運の持ち主だとは確信できなくなってきた。 7年前、はじめて NY に行ったときには、たとえテロがあっても「自分がここで死ぬハズがない」という 感覚があったものだが…。これが加齢というもんなのか。ああいやだやだ。
ところで飛蚊症についてだが、こいつはもう何年も前からあるのだが、 四六時中見えており、しかも連中は視野の中で一定した位置にいるのではなく、あちこち動きまわるので、 一度気になりだすとなかなか気にさわる。うちのママン (ド近視) もそうだというから、 こりゃあもう遺伝だと思う。あんまり邪魔になってきたら、こいつの形 (さまざまに変化する) を 使った占いを考案しようと思っているが…。しかし失明したらそれも無理だしなあ。
新山は (仕事がら) 失明した人をわりと沢山見ているが、いろいろと不便そうである。 電柱にはぶつかるし、ホームには落ちるし、看板は読めないし、電話がかかってきてもすぐにメモをとれない。 おまけに、目が見えなかったら、魚の焼き加減をどうやって判断したらいいのだろう。 とはいえ、彼らは料理もするしスポーツもするし、できないことよりできることのほうが多いのだが。 「ブラインドテニス」には驚いたね。ま、ともあれ視覚障害者が いちばん不幸だと思うのは、iPhoneを使えないことですケドね。
ええ、ほんとにほんとに心からそう思っていますよ。hontouni.
…道端にゴム風船を売る婆さんがいた。二人がちょうどその前を通りかかった時、 並べてある風船の中のひとつが割れて、パンという音がした。
「なんです、あの音は」
「ゴム風船が破裂したのです」
「ゴム風船とはどんなものです、私はまだ知らない」
「ゴムの袋の中に水素ガスか何かを入れて、ふくらました物です。子供のおもちゃですよ」
「それのどこが面白いのです?」
「どこが面白いって…困りますね。人間は丸いものが好きですよ。 それに空気より軽くて上に上がるから、なんとなく逃げそうで、そこが面白いのかもしれない」
「面白そうですね、ひとつ買ってくださいませんか」
そこで百鬼園氏は菊山さんをひっぱって後戻りし、大きな風船玉をひとつ買った。 婆さんは、あっけにとられたような顔をして、二人を見比べている。 菊山さんは風船玉をなで回した上、もう片方の手に糸をまきつけて、 にこにこしながらまた歩き出した。
「だいぶ引っ張りますね、逃げようとしているらしい。離したら大変だ」
「やあれやん。見ろ見ろ、お目くらさんが、風船玉をもって歩いてらあ、やあれやん」
道端にいた子供が急に騒ぎ出した。
「目くらが、のっぺらぼうのお化けと歩いてらあい」
「だいぶ騒ぎますね、みっともないですか? 捨ててしまいましょうか」
「捨てるとすれば、空に捨てるんだからヘンだな」
「なるほど。まあかまわない。持って行きましょう。どうも、こう引っ張るところを見ると、 これを子供に持たしておぶっていたら、背中の子供がいくらか軽くなってラクでしょうね」
「あんまり沢山持たせたら、子供が空に浮き上がってしまうかもしれない」
…
この周囲のガキんちょの「はやしかた」が、現代と比べるととっても健康的だと思う。 いまでは、小学校でも「盲人 == かわいそうな人々」「盲導犬 == 愛と感動」 とかいう公式を教えているというのに。さらに、この 2人の会話はこうつづく:
…
「あなたはどうしてその人を知ってるんです」
「以前に私のもとへ地唄を習いに来ていたのです、非常な美人ですよ」
「そうですか、しかしあなたにはわからないハズだ」
「なに、見なくたって美人かどうかはわかりますよ」
「おかしいな、なでて見るんですか?」
「バカなことを。この盲人の世界というものは、また特別ですよ。 どう説明していいか、あなた方にはわからないかも知れないが、目がないから見えないと。 それは確かですが、しかしあなた方が見える目をふさいだ場合とは違いますよ。 我々には視野はないが、そこにはまた、何と言いますか、要するに、説明のつかない ある感覚が、美人を認識するのです」
「どんな感覚だか知らないが、油断がならないな」
「まったくですよ、我々だって醜婦はいやですからな」
…
この「どんな感覚だか知らないが、油断がならない」という内田百閒の台詞、 このバカさ加減は偉大だ。なかなかできることではないよ。
世の中、(あるところには) あるのだ。そして、(いるところには) いるのである。 世界はなんと偏っているのだろう! この偏向ぶりを称揚せよ。
と???
新山自身は今でも (ラッキーなことに!) うつ病とはほぼ無塩なのだけど、 たまに落ちこむことはあった。まあ、たいていは寝れば次の日には 治るのだが、この状態が一週間もつづくようになったら、さぞかしつらいだろうなと思う。 さて、新山の理解では、うつ病の人々というのは「この状態」がずっとつづいている人々である。 新山のまわりには何人かうつ傾向の人がいる。かれらは障害者手帳とかを持っていて、 「精神障害者」とか呼ばれているのだが、この呼称はやめたほうがいいと思う。 オレだったら、こんな名前をつけられたら、それだけで落ちこむね。 だって漢字がモノモノしいじゃん。まあそれはいいとして…
「うつ病は心の風邪」とかいう表現をよく目にする (耳にする?) が、 これはあんまり適切でないように思う。(もちろん新山はこの言葉の適性をうんぬんできるほど この病気について知らないんだが − でもとにかく書く!) 思うに、「心が風邪をひいた状態」とは、新山がときどきやるような、 日常生活で落ちこんだ状態になることである。でも風邪はふつう 2、3日たてば 勝手に治るものだ。風邪が 1ヶ月以上も長引いたら、それはあきらかに深刻な病気の疑いがある。 風邪とのアナロジーでいえば、うつ病というのはこうした状態に近いと思う。 こうなるともう、放っておけば治るというようなもんじゃない。真面目な治療が必要だ。
さて、うつ病と風邪で共通してることは、どちらも「抵抗力が重要」ってことだ。 健康な人間は誰でも「精神的な抵抗力」とでもいうものをもっている。 つまり、たとえ一時的に精神的に落ちこんだ状態 (= 風邪) になったとしても、しばらくすれば 免疫機構が働いて、勝手に身体が回復してくれるようになっている。 これは基本的には、人間の本能的な図太さ、あるいは「どーにかなるさ精神」 といったもので、健康的な人間の場合は、最後にはこの免疫機構が勝つ。 ある意味、現代人の生活はほとんどこの「精神的な抵抗力」によって 支えられているといえる。ところが、このたとえでいくと、うつ病の人というのは この免疫が働かなくなっている、いわば「免疫不全」の状態にあるわけだ。 抵抗力がないので、ちょっとしたことですぐに寝込んでしまうようになるし、 風邪 (落ちこみ) から回復するまでの時間もずっと長い、ということになる。 そりゃあつらいだろうよ。しかしその「基本的な抵抗力」とやらは、いったい どうやったら身につける (あるいは強化する) ことができるんだ?
…さて、議論はここからぜんぜん科学的でなくなるのだが、 新山は「毎日の食いモノこそが重要」と考えている。食いモノといっても、 物理的な食物だけじゃないよ。「精神的な食いモノ (food for thought)」が重要なのだ。 といっても、何が精神的に「よい」食いモノなのかは、オレにはよくわからんが、 確実に悪いであろうと思う食いモノは極力避けるようにしている。それは一体何か? っていうと、 つまり「精神的ジャンクフード」である。それは本物のジャンクフードと同じように、安く、口あたりがよく、 大量生産されている。そして、これまた本物のジャンクフードと同じように、それは 多くの人々に絶大な人気を博している。しかしこの精神的ジャンクフードの 栄養分析はなされないので、誰もそれが害であることを科学的に証明できない。 しかし人間、いつかは、そいつらに向かって中指を立てる必要があるんではないかと思う。
連休だと? そういう大事なことは早く言えよ!!
フントにもう。とゆうことで、明日は急遽予定を偏向して避暑に出かけることにする。 SSHのマニュアルなぞ知ったことか!
(きょうの教訓)
たまには日本のカレンダーも見たほうがいい。
dic
" という名前をけっこう使っていたりする。
dict
にすると builtin を上書きしてしまうので。
母音を変えることの罪。
罪とその鋼材について。(cookie~) だらんべるしあん。
$ python Python 2.5.2 (r252:60911, Apr 21 2008, 11:12:42) [GCC 4.2.3 (Ubuntu 4.2.3-2ubuntu7)] on linux2 Type "help", "copyright", "credits" or "license" for more information. >>> a='−' # 全角のマイナス >>> unicode(a, 'cp932') u'\uff0d' >>> unicode(a, 'shift_jis') u'\u2212' >>>
ガーーーソ! これはバグなのかそれとも仕様なのか?? とにかく、unicode の codec には用心しなければいかんと (あらためて) 思った。 こいつはフカグャク (不可逆) になる恐れがある。 (ちなみに、euc-jp でも全角マイナスは \u2212 になる)
そういやー、新山は前まで pickle が好きだったが、 こないだのバグで判明したコイツの名前空間の扱いにおける本質的な問題と、 いろいろ dubious なエッジケースの多さから、最近では pickle をやめてデータは ElementTree に変換して手動でシリアライズすることにしている (不本意だけど)。 なにより、互換性がいちばん重要だからな。セキュリティ的にもこのほうが安心だ。 いままで pickle で生成したデータも変換しなきゃ。しかしこれも Python 2.5 になって etree が標準ライブラリに入ったからようやく使う気になったんであって、いまだ標準に入ってない yaml その他の形式は使う気にならない。新山が設計でいちばん重視するのは、 標準的なインストールでそこそこ使えるってことである。 それから誰でも知ってる形式を使うこと。このへんオレはかなり保守的かもしれない。 思うに「新しいデータ形式を考案する」っていうのは、システム設計屋としては、 かなり“罪深い”行為である。それがほんとうに多くの点ですぐれた形式ならばいいが、 残念ながらそういう例はほとんどない (cdb はそういう貴重な例のひとつだ)。たいていは それによってもたらされる非互換性のほうがはるかに悪い。とくに限られたエッジケースで わずかなメリットのために互換性のないファイル形式を作るというケースは最悪。 プログラミング言語でも似たような例はあるよ、Ruby はまさにそういう生誕をとげた言語だ。 こういう連中は、長期的に見て世の中を住みにくくしてるだけだと思う。 これはほら、経済かマーケティングでいうところのアレだ、「短期的には非互換性をつくりだしたほうがメリットがあるが、 長期的にみるとその戦略は万人にとって不利益である」っていうやつだ。 (しかし、団結による一体感を味わいたい人々にとって、いくつもの党派に分裂した 世界は非常に魅力的に移るのだろう。そうした症例はすでにいくつも見ている。) 新山はこれまでとある分野で「どうでもいい箇所でアホらしい努力をする」人々を 沢山見てきたので…。まあ、それがクールだと信じている人に、信仰を変えるよう 説得しても無駄である。
ちなみに pickle とは、この場合は野沢菜のことだよ。
人がひとり死ぬたびに、残った人々はかくも長い手続きを繰り返さねばならないのだろうか? これでは絶対にいつか破綻する。ついでにいえば、死んだ人間にいくら手間をかけても なんにもならない。喜べるのは生きている人間だけだからだ。 (新山の身内はぜんぜん関係がない、この場合)
いや別に。
てくるで、なにげなく 「オンリーワン」で検索 してみたら、風俗のサイトが 3つも上位にくる。こりゃ一体何だ? 「オンリーワン」という名前にそれほどいい (風俗的な) イメージがあるのか、 それとも Google はそんなに風俗が好きなのか。ちなみに、 Yahoo ではこれらのサイトは出てこない。
じっさい、新山の印象では、google 日本語版は「18歳以上向け」サイトを上位に返すことが異様に多い。 もっとも新山はほとんど英語版しか使わないのだけど、英語で アホなキーワードを検索しても、 こうしたサイトが出てくることはまずない。これは一体どうゆうことかというと、 この手の検索結果はユーザの傾向を反映していることが多いと考えれば、日本では海外よりも google を「エロ系サーチエンジン」として使っている人が多いのではないかという邪推に到達する。 一般的に「ヤバそうなものを見つけるには yahoo よりも google のほうがよい」という傾向が あるように思う。たとえば、ツウちゃんねるが大好きな人々と、そうでない人々のあいだで利用する 検索猿人を比較してみると、おそらく有意な差で「ツウちゃんねる → google」という結果が 出るんではないか? もっとも、2ch はすでに創価学会のごとく社会になじんでいるので、 これから徐々にその差は目立たなくなると思われるけど…。
(追記) この統計は日本では知られているんだろうか?
今回の 5.1p には新しく "Fingerprint visualization" という機能がついている。
鍵の指紋の違いを確認しやすいように、視覚的な表示をするんだと。たとえば、こんな具合:
$ ./ssh-keygen -f foo
Generating public/private rsa key pair.
Enter passphrase (empty for no passphrase):
Enter same passphrase again:
Your identification has been saved in foo.
Your public key has been saved in foo.pub.
The key fingerprint is:
37:88:f7:c3:0e:1e:b7:0d:df:43:5f:96:be:2d:75:2f euske@godot
The key's randomart image is:
+--[ RSA 2048]----+
| |
| |
| |
| . . |
| . S o .|
| . + . ..=|
| o * ..++|
| . = * .E.+|
| . o o .=o|
+-----------------+
べつの鍵だとこうなる:
$ ./ssh-keygen -f baa
Generating public/private rsa key pair.
Enter passphrase (empty for no passphrase):
Enter same passphrase again:
Your identification has been saved in baa.
Your public key has been saved in baa.pub.
The key fingerprint is:
41:09:8b:c4:cf:0b:f9:b8:ac:30:02:c0:f1:f3:ae:d5 euske@godot
The key's randomart image is:
+--[ RSA 2048]----+
| . .. .... |
|. o... o. |
|.. o.+. . |
|. = o . |
|. = .S |
|. o + |
|+ . + E |
|.o = |
| .o |
+-----------------+
オレが真に構築したい環境はそんなものではないのだ!
ははっはははははははhhaあ。まあそうゆうことだ。$ aptitude -vvvvv moo
ちなみに、もうかなりの間バージョンアップされていないにもかかわらず、 ひとつだけ大丈夫な dns server があった。それはもちろん、
"Dan Bernstein is the first person to implement the port number randomization... he completely solved a bunch of security problems that he even didn't know about... that's awesome!"
とーぜんだよね。
"DNSSEC thing may fix this... ah I know it's a fantasy!"
ちなみに、このインタビューでは「IT部署の上司にこの深刻さを報告するときに どういう台詞をいって怖がらせたらよいか?」という話題も紹介されてる。 発見者の Dan Kaminsky は DNS についてもう何年も研究していたが、今回のバグは 「他のところを見ていて、偶然、みつけた」といっている。それでもベンダー数社が同時に パッチを出せるところまでやるのは大したもんだ。これ自体、かなり面白いドキュメンタリーになりそうである。
声の大きい人々の言うことはいつもよく聞こえるよね。
と思う。
と思う。
(追記) そうだ、ヨダレが多いことの副作用として個人的に自覚しているものとしては、 平常時にやたらとツバを飲むのでゲップや屁になりやすい、ということがある。
恐るべき分量。それもなにやかや。
しかし、自分でいうのもなんだが、tcdb は辞書構造としてはかなりイイと思っている。 なにより、アホみたく単純だ。まあ、いまの仕事で使うことはほとんどないけれど、 fooling では日常的に使っているのにバグに気づかなかった。
以下、とりわけ印象に残った部分を抜粋:
GvR: App Engine をどうやってセキュアにしているか、具体的なことは何も話せないんだが ...
(中略)
GvR: すまない、その情報は外に漏らせないんだ。...
(中略)
GvR: だが、その詳細についてはここで議論できる自由がない。...
はっははっっはあ。この、カネに魂を売ってしまった人間を見よ。 もう奥歯にモノがはさまったどころじゃない、Guido のアゴには火星がはさまってるようだ。 個人的には彼に何の恨みもないが、このヒトの魂の売られ具合や 今の Python の現状は、もはやほとんど「オレは Python が嫌いだ」とまでいえる レベルに達している。それでも、他に使いたい言語がないのには困ったもんだ。 オレはまたさらに別の言語を作るとかいう無駄な努力をする気はねえぞ。 新山が興味あるのは言語でなくアプリケーションなのだ。まったくもー
(追記) ひょっとして、オレは金持ちをひがんでいるのだろうか? いまの年収ぶりを考えれば、たしかにそうとられても仕方がない。 ま、どうでもいいけど。いや、まったく、オレにももうちょっと ましな脳味噌があったら! と思うね。
Document ID: 80ec2f5c54a4a5a730d15ecd68161b21
Yusuke Shinyama