情報は、どのように処理してもウソをついたことになる。
宝くじとは、算数ができない人に課せられる税金である。
(Lottery: A tax on people who are bad at math.)
日本の選挙は点字での投票することが許されている。 ときどきこのことを自慢げに語る盲人がいるが、 実際にはこれは慣例による「みなし投票」であり、 公式に点字投票の方式が定められているわけではない、ということを最近知った。 だから晴眼者が点字で投票しようとしても断られるし、 点字の形式も決められていない (候補者の名前を6点漢字で書いたらどうなるのだろう?)。 そもそも日本では国が定める統一した点字の形式というものはないし、 とうぜんそれを読み書きするための公式な手続きや資格というものも存在していない。 いっぽう手話では、いちおう厚労省公認の資格が存在しているが、 これも「政見放送に出てもよい」という程度の役割しかない。 だけどホントに手話や点字を公用語として認めることになったら大変だよ。 はっきりいって、この手のものは正式にやろうとすればするほど 規格がヘビーになって誰もやりたがらなくなるので、点字投票については こんなもんでいいような気がする。でも、点字が書けない盲人はどうするんだろう?
…ところで、今後の日本は確実に財政破綻国家になると思う。 しかし、案外それは日本人の心中気質に合っているんではないかとも思える。 新山としてもべつにそれで問題ない。でもオレが老人になったら若者にたかるのはイヤだなあ。
基本的に、アラブにしろイスラエルにしろ北朝鮮にしろ、気がふれている (その結果、マスコミで目立って取り上げられる) のは、一部の連中だけである。 ほかの多くの国と同様、ほとんどの住民は平和的な人たちだろう。 にもかかわらず、一部のアホのせいで、国あるいは組織全体に対してこれほど 強烈なレッテルを貼られてしまうってのは、どうなんか? …そういう意味では、やっぱ投票ってのは重要なんかもしれない。
(7:05) ... Listen, here is what I'm saying to you. If you don't vote, you're a moron, all right? I know what you're saying. "Well, not voting is voting." No it isn't. Not voting is just being stupid. Voting is not sexy. Voting is not hip, it is not fashionable, it's not a movie, it's not a videogame! All the kids ain't doing it! Frankly, voting is a pain in the ass. But here's the word to look it up. It is your DUTY to vote! "Duty!?" The foundation in this democracy is based on free people making free choices. So, young people, if your can't take your hand on your bag of Cheetos long enough for filling a form, then you can't complain when we will end up with President Sanyaja. ...... 聞いてくれ、言いたいことはこうだ。 もし投票しないのなら、あんたは馬鹿だ。いいかい? ああ、わかるよ、「投票しないのが投票だ」っていうんだろ? いいや、違うね。投票しないのはただの馬鹿だ。 投票はカッコいいものじゃない。投票はセクシーじゃないし、 ファッショナブルでもないし、映画とは違うし、テレビゲームでもない! 子供がみんなやるもんじゃないもんねーー!! …正直いって、投票は七面倒くさいもんだ。だが、この言葉を覚えておけよ、 投票するのは、お前の、義務だ! “義務だって!?” そう、民主主義の基本は、自由な人々が自由な選択をすることに負っている。 だから若者よ、もしあんたが自分で投票用紙に書けるその長い手を チートスの袋から離せないんならな、うちらの大統領が最終的に“サンジャヤ氏”かなんかに なっちゃっても文句言うなよ。...
(訳注: “サンジャヤ (Sanjaya)”はインド人の名前だが、 ここでは「どこの誰とも知らぬ者」の意味で使われている)
おねーちゃん: こんにちわ! バーガーひとつとフライドポテト、あとミルクシェイクをお願いね!司書のおばさん: ・・・。
司書のおばさん: ここは図書館ですよ。。。
(金髪のねーちゃんはあたりをキョロキョロし、ああそうかという顔。 おばさんは信じられないといった顔で仕事に戻る。)
おねーちゃん: (小声で) フライドポテトと、バーガーと、あとミルクシェイクをお願いします!
中身なくしては、美しさは無も同然だ。
$ python Python 2.5.2 (r252:60911, Jul 22 2009, 15:35:03) Type "help", "copyright", "credits" or "license" for more information. >>> True+False == True True >>> True+False+False+False+False+False+False+False == True True >>>
きょうの予定:
新山は盲聾者のことをいままでわりと 「不幸な人々」のように思っていたが、今回の様子を見たかぎり、 それが偏見だったということがわかり、安心した。 ケッキョキのところ、彼らもほかの人間と同じように「にぎやかで、 ワガママな」連中だったわけだ。 たしかに彼らは「(生活するのが) 大変な人々」ではあるが、 不幸のようにはちっとも見えない。
(追記) むしろ、あまりいい印象をもたなかったのは (盲聾者自身でなく) ボランティアのほうである。 新山は人々の『善意』というものをまったく信じてないわけではないが、同時に 『善意』というものが、いかに人間を狂わせるかも知っている (いや、正直、まだまだよく知らない)。 新山自身もときどきボランティアっぽいことをやるから、これは自分へのイマシメとしても 言っておくのだが、一般にボランティアというのは、もっとも倫理的な罪を犯しやすい職業 (? というのはヘンだな、 行為ということにしておこう) だと思う。フリーソフト作者も同じ。
どうでもいいけど、きょう感動したこと: 無性にメンチカツが食いたくなり、わりと遅くにスーパーへ行き、揚げ物売り場で買った (つかんであの透明のプラスチックな容器に入れた) ところ、そばで商品整理をしていた おじさんがやおら新山の容器をつかみ、「2割引」シールを貼って返したこと。
きょう学んだこと:
どうでもいいけど、ホテルの血デジ対応のテレビを見ようと思ったら、 リモコンのボタンが沢山ありすぎて訳わかんね。
101 East - Japan elections - 20 August 09 - Part 2
(1:30)
レポーター: After five decades of being in power, how is it that the LDP can lose the public's vote? (50年間つづいている政権のなかで、いかにして自民党の人気は落ちたのでしょうか?)佐藤ゆかり: Well I guess that more than four decades of being a ruling party, the LDP has definitely lost its competitiveness in Japanese political arena, but I guess it is a time for the LDP itself to change itself. ... (40年間も与党にいると政治の競争力が落ちてくると思うんですよね、 しかしいまは自民党が自分で自分を変わる時だと思います) (訳注: 文法がヘンなのはわざと)
(8:55)
レポーター: You said that the LDP should continue its reform which hasn't even been really started, has it? What sort of reforms do you think the LDP should take immediately? (いま自民党が改革を続けるべきだとおっしゃいましたが、それはまだ始まってもいないんじゃないですか? 自民党が続けるべきだとお考えになる改革とはどんなものでしょう?)佐藤ゆかり: Well, the thing is that, うっ..., we have been advocating actually implementing the set of reform policies, as far as I know, since the time of Koizumi administration. But the problem is that there are some setback since then, but we do need to continue on its reform track that has been initiated in Koizumi administration. ... (ええと、つまりその… 私たちは改革を実行するよう主張しているんです、 私の知るかぎりでは小泉政権の時からですね。しかし問題は、それからいくらか 逆行しまして、でも小泉政権が始めた改革を本当に続けるべきだと思うんですよ)
なんだこりゃ。とりあえず質問と答えがチグハグ。まじめにやれ! どうせニッポン人はこんな番組見ないと思って適当にやってんだろうが、 これじゃ元アラスカ州知事なみにひどい。 (でも、少なくもあっちは笑えた)
そして、最高に笑えるオチはなにかっつーと、 こいつは新山と出身大学(院)が同じだということである。
きょうの教訓: 大学でヒトを判断するべからず。オレは関係ない。
新山は (抽象的な) 人の死というものに異様な興味を抱いている。 今回は久しぶりに身内の葬儀を始めから終わりまで観察し、なかなか興味深かったのだが その感想はまたあとで書く。
帰りの電車の中でだいぶコーディングが進んだ。あしたテストしてみよう。
追伸/きょうの喜び: 実家に帰るとき、しばらく留守のあいだ部屋にハエとり用のトラップをしかけておいたら、 沢山とれていた。ざまーーみやがれ!!
きのうの夕方、帰省して長野市内の病院に寄り、祖母のお見舞いをした。 容態があまりよくないとは聞いていたが、祖母はもう何年も入院中だったので、 そのときは普通のお見舞いのつもりでいた。そしたらその後の夜に 電話がかかってきて、再び病院へ行ったら、バアちゃんはもう冷たくなっていた。 なんかすごい。物理世界の変化がいかに (残酷的なまでに) 速いかということを実感する。 こういう変化には人間の頭はすぐに対応できない (ショックというのは、基本的にそういう状態をさすのかもしれない)。 こういう状況で見てみると、死というのはとても離散的である。 たしかに人が死ぬときには「1→0」というはっきりした状態変化が起きているように見える。 死体を見ると、自分とあんまり違いがあるとは思えないのだが、 なぜか一方はもう動かなくて、一方はまだ動いている。 これは、とっっってもおかしい。
それにしても、ゆうべ感心したのは「葬儀屋さん」である。その葬儀屋は 地元ではよく知られた会社なのだが、2代目であるというその葬儀屋の社長は、 新山と歳が同じくらいらしいのだけど、真夜中だというのにピシっとした正装で長野市の病院に現れ、 なにもかもカンペキな手際のよさで処理して帰っていった (かたやオレはTシャツにぼさぼさの髪でその場に口をあけてポカーンとしてたダケ)。 仕事とはいえ、たいしたもんである。 人はみんな勝手な時間に死ぬので大変だろうなあ。 彼にくらべたら自分の仕事はぜんぜんプロっぽくない。
ああ、寝不足 (しかしうちの親はもっと寝不足のはずである)
さいきん、人々の行動にはある傾向があるということがわかってきた。 このごろの人々はみんな「とにかく、動かなくて良い」選択肢をとりたがるのである! 昔は、こういう考え方をするのは、体育が苦手な一部の人間 (新山とか) だけかと 思っていたが、どうやら最近は違うらしい。なぜITがこれほどもてはやされるのか? とか、 なぜ個人投資がこれほど人気あるのか? といったら、それは、 これらのものが基本的に「とにかく、動かなくて良い」からである。 ただ机の前に座って、なにがしかの「選択」をしていればいい。 これで世の中が変えられる、という考えは、どうなのよ? 基本的に、人間は「入力」と「出力」だけで定義される関数である -- 理論的にはそれでかまわないし、 むしろ理論家はそう考えなければならない。しかし、同時に、まともな理論家は理論と現実とのギャップが いかに大きいか (つまり、理論全般というものがいかに不完全か) も認識している必要がある。 世の中みんなが「出来の悪い理論家」になったら、それは最悪だ。
(追記) どうでもいいけど、新山の政治に対する考え方は、ボトムアップ指向すぎるんだろうか? “市場原理主義”ってのも、基本的にはボトムアップ指向だよね? ボトムアップ的な思考の欠点ってのは、局所的にはまともそうなふるまいをするけど 大局的には間違っているかもしれず、トップダウン的な思考の欠点はその逆である。 あるいは「小さなことはきちんとできるが、大きな事業には手がつけられない」のがボトムアップで、 「大きな事業をできるが、間違っていることが多い」のがトップダウンかもしれない。 どっちも、不完全だ。
If you're so sure about something, you must be already wrong.
きょうは夜中になって銭湯に入りたくなり、発作的に出かける。 近所の風呂屋は au bon で休みだったので、おそるおそる隣駅まで行ってみたら、 「一の湯」はあいていた。灯りの消えた街中に銭湯の入り口が煌々とともっているのを見ると、 なんともいえずホッとする。「ありがとうございます!」という気分になる。 新山は風呂に関してはかなり執着するほうなので、入りたいと思ったときに やっている銭湯があることはとてもありがたい。そのあと浴槽に入って思ったのだが、 「これ以上、ヒトは人生に何を望むのか?」と。誰が何といおうが、ニッポンに生まれてきてよかった!
…その後、風呂から上がってエアコンの前に置いてあった新聞を読んだ。 ら、その新聞 (産経) の一面で桜井よしこがコラムを書いており、なんでも 「日本人にとってもっとも重要なのは、経済なんかよりも心の問題」であるそうで、 その結果「つまりヤスクニに産廃しない首相はバカである」という結論が導かれており、 はっきりいって爆笑した (まわりの人からは変な奴と思われたことだろう)。
ちなみに、このおばさんを 15歳ぐらい若くして、 もうちょい過激な発言をするように加工したものが米国では人気を博しており、 それは "Ann Coulter" と呼ばれている。ちなみに、さらにそこから過激さを除いて よりバカさ加減をふんだんに取り入れたものが “サラ・ペイリン” だ。 しかしオレは一体なんでこんな政治活動家の (べつに好きでもない) オバさんたちについて 語っているのだるか? 世の中には、もっとよくできたコメディがあるはずだ… いや、そうかな?
GUI にデータフローの概念を持ちこむのはなにも新しいことじゃない (Kennyはいまだに Cells という Common Lisp用のデータフロー用マクロを自画自賛しているし、 かつて Adobe は Atom というフレームワークをオープンソースとして公開していた。 これがいまの Flex や AIR とどの程度関連しているのかは知らない)。 データフロー処理における鍵となる概念のひとつとして挙げられるのは、 「決まった制御構造が存在しない」ことにある。 ほんらい GUI における各オブジェクト (ウィンドウやらボタンやら状態変数やら) は、 個々に独立して動作するものであり、各自が勝手に通知を受けとって動作してもよいはずだ。 しかし従来的なイベント処理ループを使った枠組みだと、イベントはかならず逐次的に 処理されてしまうので、このアイデアが見えにくい。 キューを使った逐次的なイベント処理は、処理を簡単にするために 必要なときもあるが、じつは本質的なものではない。 ただお手軽なのでみんなイベントキューを使っているだけなのだ。
C# の event について欲を言えば、こいつは今のところ単なる手続きの (即時) 呼び出しだけである。
これをもっと言語レベルのサポートを充実させて、
柔軟に制御できるようにしてもよかったと思う。どういうことかというと、
データフロー的なプログラミングにおいては、実際にイベントを処理するタイミングを
どうスケジュールするかで効率が大幅に違ってくる場合があるのである。
実際には、これはグラフ探索問題と関係している (と思う、ちゃんと習ってないので自信ないけど)。
「イベントを受けとったら、すぐに動作を開始する」設計というのは、
つまり深さ優先探索なわけだ。これはときに効率が悪いときがある。
たとえば、あるノードが同一のイベントを何度も繰り返し受けとるような場合である
(アホな実装だと無限再帰したりもする)。それから、複数のスレッドが相互にイベントを
送るときなどは自分でちゃんとシリアライズしないとおかしなことになる
(Windows Forms の Invoke
ではこれをやっている)。
ただし、あんまり仕様を追加したら、複雑すぎてかえって使いにくくなるのかもしれないけど…。
しかし、ほとんどの時間はいまでも Python をいじっている。 たいした会社だ。
いや悪いのは ALSA だけではないのだが…。
さいきん、パソコンにマイクで声を録音しようと思って、 500円ぐらいの安いマイクを買ってみたら、ほとんど音が入らない。 ふつうに喋っても「ガサガサ?」程度にしか聞こえない。 大声で喋ったりマイクを叩いたりして、やっときこえる程度。 もちろん入力はちゃんとマイク端子につないであるし、音量設定も最大にしてある。 いちおう音は入っているのだが、非常に小さい。なんで? 新山はオーディヨにまったく詳しくないので、 「マイクなんて、ただ買ってきてつなげりゃ動くだろう」と気楽に考えていた。 まず、マイクのインピーダンスとかブリッヂ出力とかの用語が、まったくわからん。 おまけに、コンデンサマイクとダイナミックマイクの違いもわかってない (原理が違うということぐらい知ってるが、周波数特性の違いとか、電圧とか、その手のこと)。
やっぱ、安いマイクだから悪いのかな? とか思って、 5000円ぐらいする高い (といっても、これはかなり安いほうである) マイクを買ってみたが、 あいかわらずぜんぜん音が小さい。なぜじゃー!! …と思い、 この段階になってようやく調べたら、ひとつの事実が発覚した。それは PC サウンドカードのマイク入力というのは、もともと Creative が勝手に開発した規格で Creative SoundBlaster に準ずる。これは通常のオーディオ機器における 「マイク入力」とはぜんぜん違っているらしい。まず、アナログ回路が安物で、 増幅がかなりヘボい (つうか、ほとんど増幅しない)。あと +5V電源が供給されている。 このマイク入力に直接接続できるのは、基本的に「PC用」と銘打たれたコンデンサ・マイクだけなのだそうな。 それでもたいていは音が悪い。まともに声を取るためには、楽器屋などで売っている 「プリアンプ」を接続しなければならない。 関連情報は以下のページ参照。(とくにシュアーのページは親切で参考になった。)
で、新山にはプリアンプを買ったりするほどのズクはないので、 結論をいうと、録音を手軽にやるためには...
と、ここまではよかったが、…とゆうわけで、ALSA である。 ALSAに関してひどいのは、どこさがしてもテキトーな生煮えの情報しかないことだ。 ALSA の設定はたいてい$ uname -a Linux grouchy 2.6.24-24-generic #1 SMP Fri Jul 24 22:46:06 UTC 2009 i686 GNU/Linux $ lsusb Bus 008 Device 001: ID 0000:0000 Bus 006 Device 001: ID 0000:0000 Bus 005 Device 020: ID 0d8c:0008 C-Media Electronics, Inc. Bus 005 Device 019: ID 0461:4d22 Primax Electronics, Ltd Bus 005 Device 001: ID 0000:0000 Bus 004 Device 038: ID 04f3:0103 Elan Microelectronics Corp. Bus 004 Device 037: ID 0d8c:0001 C-Media Electronics, Inc. Bus 004 Device 001: ID 0000:0000 Bus 007 Device 001: ID 0000:0000 Bus 003 Device 001: ID 0000:0000 Bus 002 Device 001: ID 0000:0000 Bus 001 Device 001: ID 0000:0000 $ cat /proc/asound/cards 0 [Intel ]: HDA-Intel - HDA Intel HDA Intel at 0xfdff4000 irq 22 1 [Audio ]: USB-Audio - USB Audio C-Media INC. USB Audio at usb-0000:00:1a.1-1, full speed 2 [default ]: USB-Audio - C-Media USB Audio Device C-Media USB Audio Device at usb-0000:00:1a.2-2, full speed
.asoundrc
か /etc/asound.conf
でやるのだが、
これの文法が意味不明。オフィシャルな説明書なし。
本家 alsa-project.org の文書は不完全な Wiki だし、
/usr/share/alsa/pcm/
以下の設定ファイル例なんか見たらなおさらワケわかんなくなること必至。
そのほか Ubuntu の文書も中途半端で、しかも古いのが多い。
「いつのバージョンのカーネルで、どういうハード構成か」によって設定ファイルが
違ってくるので、いったいサンプルがいつのもので、いまのバージョンで
正しく動くのかどうかもわからん。しかも、一般人にはほとんど必要ないマニアックな設定
(“サウンドカード 2つを使ってサラウンド出力を各チャンネルごとに割り当てる方法”など) ばかり載ってる。
くそったれ。
じつに1時間近くあーでもない、こーでもないと設定をいじくりまわしたあげく、 ようやく dmix とともに使える設定をでっちあげたのでここに貼りつけとく:
pcm.Intel { type hw; card Intel; } ctl.Intel { type hw; card Intel; } pcm.usb { type hw; card Audio; } ctl.usb { type hw; card Audio; } pcm.input { type hw; card default; } ctl.input { type hw; card default; } pcm.dsp0 pcm.dmixer ctl.mixer0 ctl.usb ctl.!default ctl.usb pcm.!default { type plug slave.pcm dmixer } pcm.dmixer { type dmix # mpd が別ユーザ権限で動いているので、誰でも勝手にアクセス可能にしておく。 ipc_key 1024 ipc_key_add_uid false ipc_perm 0666 slave.pcm usb }
ALSA に限ったことじゃないが (PFや Sambaでもそうだが)、この手の設定ファイルで とくにむかつくのは、文法があまりにも柔軟すぎることである。 理想的には、同じ構成の設定ファイルはかならず同一のテキストになるようにすべきだ。 「こう書いてもいいし、こうでも書ける」みたいな設定は、 まったく同じ機能なのにサイトによっては別々の書き方が解説されてたりして、 結局のところ (ケッキョキ) ユーザはその文法のすべての書き方をマスターせざるを得なくなって、 混乱するだけ。とにかく、ALSA はひどすぎるのでもう寝る。
さいきんあまり日記を書いてないが、とくに時間がないわけではない。 しかしなかなかプログラムが完成しなくてイライラしているのは確か。 書くことは沢山思いつくのだが、なぜか書かないうちに忘れてしまうし、 自転車に乗っているときは「そうだ、これを書こう」などとよく思うのに、家につくとすっかり書く気をなくしている。 なぜだろう。
どうでもいいけどこんな動画を発見した:
Penn & Teller: 世界一・金のかかったカードマジック (1994年)
(総費用 5万ポンド … 当時の相場で1000万円程度か?)
概要:
おそろしくバカっぽくてよい。しかし 設備を見ると「ハードディスクが100MB、RAMが12MB」とかいってて泣かせる。 15年前ってそんなだったっけ?
今日はなんかもうひとつ書くことあったんだけど忘れta.
どっちも、クソくらえ。
Document ID: 79e1b567dfe27923947583c9d4dadc9e
Yusuke Shinyama