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2010/10 (c)
Last Modified: Mon Nov 1 13:12:07 UTC 2010
"I'm a human being, goddamn it! My life has a value!"
htmlの line-height について。これまで新山は、
日本語文の行間を開けるのに body { line-height: 120%; }
などという属性を使っていた。
一般的に、英語ページでは line-height はそれほど必要とされていない。
英語では普通に大文字と小文字を使っているかぎり、行間はそれなりに空くからだ。
しかし日本語では各文字がより真四角に近いので、行間を空けないと読みにくい。
しかし、body に line-height を指定するには問題があることに前から気づいていた。
とくに <h1>〜</h1>
などフォントの大きさが変わる部分では、
ああああああああああ
のように、行が折り返したときに重なってしまう。
とくに IE ではこれはページ先頭の <h1>〜</h1>
見出しの上端を
切ってしまい、非常に見苦しい。そのために body 全体に margin を指定したりしていた。
きょうようやくわかったのだが、正しくは line-height: 1.2;
とすべきだったのだ。
こうすれば行が折り返されたときもきちんと表示されるし、IEでもページ上端が切れたりしない。
ああああああああああ
で、ケシカラヌことに、ほとんどのHTML解説サイト (日本語のサイトも含む) では、
行間にはただ「%
指定とか、em
指定をを使え」と無造作に書いてある。
これはナゼなのか? 実際には数値のみ (倍率) で指定したほうがよほど推奨できるのに、である。
Dreamweaver を使っている人々や、その他デザインにメチャメチャ凝ってる人々は
別の理由があるのかもしれないが、新山は css なんて本当は書きたくないし、
書くとしてもできるだけ簡単なものにとどめておきたい。
Xコンビニで切手が買えるって知ってた? …オレは、とーぜん知ってたさ!
とーーーーーぜん。
ときどき日本語を習っている外国人が「日本語の二重否定はわかりにくい」ということがある。
たとえば、彼らにとって「…シナクテハ ナラナイ」等の日本語表現が混乱するらしい。
でも、英語の二重否定だってじゅうぶん混乱することがあるよ:
例:
- I see no reason to believe that variations in the security requirements cannot be accommodated
by analogous variations in the partitioning of code into sandboxes.
これらセキュリティ要求における多様性が、コードをサンドボックスに分割することによる
多様性によって対応できないと考える理由は何もない。 (意訳: 対応できるはずだ)
- This was too much of a coincidence not to be a design flaw.
これほど偶然に同じことがおこったら、設計上の欠陥でないはずがない。
(意訳: 設計上の欠陥である)
なんで休日に家でプログラミングしていると、
会社ほどには進まないんだろう? イスが悪いのだろうか。
台風の日に洗濯をし、エアコンの掃除もするというのは本当におすすめデキない。
ほんとうに。
ハラいっぱ
教科書界においては、著者の“読者に対する誠実さ(あるいは親切さ)”と書籍のページ数は、だいたい相関する。
まあこれは洋書の話なんで、日本ではどうだか知らない。
緑茶ファンの方々に朗報:
緑茶に含まれているカテキンは、実はガンを予防しないことが判明。
…なぜこれがスバラしいのかって? それはこれで
「医学的な根拠」をたてにお茶を飲むような不信心者が一掃されるからである。
伊藤園その他の企業には気の毒だが、
新山はたとえ医学的にまったく利益がなくても、
いやむしろ健康に害があると言われても、
これからもお茶をガブガブ飲むぞ! それが嗜好というもんだ。
新山は自分の好きな食べ物に対して、
科学的な後ろ盾を求めるような人間を根本的に好かない。
「荒唐無稽なるがゆえに我信ず」
という言葉を新山はいまも pretty much 信じている。
しかし、緑茶はおいとくとして、このことは医学的にはより大きな問題じゃないだろうか。
なぜなら、カテキンの効果は動物実験では証明されているというんだから。
キチガイ集団である PETA などは「(薬理の)動物実験は役に立たない」と主張しているが、
これは正しい面もあるのかもしれない。
ちなみにゆうべは夜中からひどい下痢しちゃってさ。原因不明の。
でも緑茶はのむぞ。意味不明の。
間違いと失敗について。
My father used to say, "Your best teacher is your last mistake."
(父はこう言ったものだ、「最高の教師とは、直前にやった間違いである」と。)
-- Ralph Nader
My son and I are Americans, we prepare for glory by failing until we don't.
(俺も息子もアメリカ人である。俺たちは失敗しつづけ、いつか失敗しなくなるその日に栄光を手にするのだ。)
-- Craig Ferguson
Try to make original mistakes, rather than needlessly repeating theirs.
(彼らと同じ過ちを繰り返すのではなく、オリジナルな過ちをおかしなさい。)
-- Donald Rumsfeld
きょうはセーターを着なきゃだめだな。
過労死Linuxという
ディストリビューションがあることをはじめて知った。
Uh, oh. Firefox.
てくるで、今月の始めはまだ冷房つけてなかったっけ?
季節の進歩(?)というのは早いものだ。タシルンポ寺。
JRの「えきネット」を使ってみようとしたら、
JR東日本のサイトが致命的な使いにくさなのにビックリした。
これはオワッテル! まずサイト全体に「本サイト内ではブラウザの『戻る』ボタンを使わないでください」って
注意書きがある。そしてクレジットカード番号を認証するときのメッセージには笑った。
「与信中...」って出るんだぜ? “与信”って日本語か? はっきりいって
こりゃ企業イメージを傷つけてるよ。なぜ誰もなんにも言わないのか??
まともな企業なら (少なくとも JR 程度の企業なら) ふつうは
社内テストの段階で文句が出そうなものなのに。
もしかすると上層部の老人は自分でネットから申し込みなんかしないから、
チェックもしてないんじゃないだろうか。まあ、ひどいのはJRだけじゃないのだが、
なんで日本のサイトはどれもこれも人をナメてるのが多いのか。
いや、多すぎるのか。郵便局のサイトとかもそうだ。
まともな常識のある奴が設計してないことは確かだが、
使う側も「使いやすさ」を追求しないのは問題だる。そもそも、一般人はみんな
「コンピュータってのはこんなもんだ」と思いこんでいて、
文句を言う気すらないんじゃないかろうか。それに現状の日本では、
たとえ誰かが文句を言っても、それらはみな専門用語を並べたてて
煙にまく通称「お客様サポート係」によってさえぎられてしまう。
…ここで実に不可解なのは、彼らの屁理屈のほうが、
常識的な議論に勝ってしまうという現状である。
どんな技術的に正しい理屈を言われようと「でもこれ使いにくいよ」という
一言のほうがずっと強力なのに。べつに Amazon.com だって USPS.com だって
すごく使いやすいというわけでもないのだが、米国のサイトは
日本より (多少は) ましなのが多い。新山はホントに思うのだが、
もし日本のITが遅れてるとすればそれはもっともである。しかもその理由は
技術が劣ってるからじゃなく、技術者に常識的なセンスが欠如してるからだと思う。
あるいは、常識的に考える技術者が保身のあまり常識を無視せざるを得ない状況にさせている。
この状況は、実に、救いがたい。
(追伸)
この状況はなにも計算機システムに限ったことじゃない。
駅とか公共機関にあるゴミ箱を「テロの危険性があるから」
「家庭ゴミを捨てる奴がいるから」という理由で撤去してしまうというのも、
これまた「屁理屈が常識に勝っている」例である。新山の知るかぎり、
こんなアホな理屈がまかり通っているのは日本だけだ。
それに地下鉄サリン事件が起こるまでは日本にはどこにでもゴミ箱があったのだ。
テロとの戦争王国(?)である米国ですら、ここまで極端なことはしていない。
(しかしおそらく本当の理由はテロを恐れてるわけじゃなく、ただ単に手間がかかるから
うまい言い訳をみつけて撤去したかったんだと思う。あいからわず人をナメてるよなあ。)
(さらに追伸)
ちなみに米国にも非常識なのは沢山いる。
正直な話、シンヤマは既視感 (でじゃ・う゛ー) というものを生まれてこのかた
一度も経験したことのないのですが、これは何かの病気なので
せうか?? ?
前頭葉が
泣いている
最近思うこと。会社で働くようになって、
生産・流通の大変さというものを思い知らされた。
ウチは物理的な「品物」を扱っているので、
この手の問題は (大手メーカーとはケタが違うかもしれないが)
ミニチュアなスケールではなんでも起こりうる。いわく、在庫が足りない、
運送会社が遅配した、ハコがつぶれている、初期不良があった、
マニュアル (点字) が足りない、等々である。あとはクレームとか
支払い上のミスとか、先方の事情で別の領収書を作ってくれ、云々。
また、ほとんどの出荷を人手でやっているから (なんしろ規模が小さいんで)、
扱う商品の数をふやせばふやすほど商品管理とそれにともなう混乱も大きくなる。
新しい商品を出すなら、まず値段を決めなきゃいけないし、マニュアルも作らなきゃなんない。
パンフレットも印刷屋さんに頼んで作ってもらわなきゃいけない、展示会に出品しなきゃいけない、
代理店にも紹介しなきゃいけない、サポートもしなきゃいけない。
あと、型番は? 規格は? それから、ウチは卸売りのほかに自社生産もやっているので、
もちろん製造や納期や原材料のトラブルも出てくる。ちいさな会社なので、
機材や商品の置き場だって大変。もちろんソフトウェア開発の問題もあるが、
会社全体でみれば大した問題じゃない。
それから電話応対とサポートにおける担当者間での情報の共有、などなど。
たかだか10人程度の会社なのに、すでに問題が十分複雑であるということにオレは驚いた。
もちろん、これらの業務の多くは新山の直接かかわっているわけではないので、
ある意味これは他人事といえる -- でも問題は問題なのだ。大学で研究をやっていたときは、
企業では研究開発が一番頭をつかうのだろうと思っていたが、今考えると、あれは
現実世界というものを知らない人間のアホな発言だったと思う。正直いって、
実際の社会では「研究」なぞよりも「実務」のほうが、はるかに頭をつかう。
研究ではほとんどすべての制約を無視できるし、自分で勝手な仮定をこしらえることができる。
しかし現実ではすべての変数を考慮せねばならず、制約も多い。
自分はそのことをちっともわかっていなかったなあ。
はっきりいって、いまでも新山は実地向きの人間じゃない。
架空の世界でフワフワ浮いているほうが合っていると自分でも思っている。
しかしやはり人間だれしも一度は現実の社会を見てみるべきなのだろう。
最近あらためてそう思った。そうゆうこと。
うっかり自転車で出かけたら雨とか槍とか降りがやって…もーーー!!
今日はサムくなってきたね。
こんにちの Linux界では、
いまだに「Qt をデフォルトにするかどうか」って議論に終始してる。
新山がはじめてまともな GUI を見たのは 1990年 (Macintosh) である。
あれから 20年たって、いまだにまともな、標準化された、そしてある程度普及した、
機種依存でない GUI プラットフォームがひとつもないという現状は一体どうしたこんだ?
Windows上でさえ GUI は混沌としている (WPF が普及するのはまだまだ時間がかかるだろう) し、
HTMLはバベルの塔だ。思うに、根本的な問題というのは「ポリシーが決定されていない」ことなんだろう。
しかし20年経験をつんだあとに、このお粗末さというのはじつに哀しい。
ありそうでなさそうで、じつは現実に存在する (した) もの:
- ユダヤ人のナチ親衛隊
- ゲイのカトリック教徒
- アラビア語で書かれた聖書
すでに成人してしまってから、個人の性格を変えるのはほぼ不可能に近い。
キョーーはようやくトコヤへ行き、手話講習会に出、そのあとインド料理を食って、
やっと落ちついた週末らしい週末になった。今週 (というか今月全体) は、
アっという間に時間たったいたようの気のする。日本語がおかしいって?
スズメを読みなさい。彼らはいつも暇そうにしている。
gngn (广广), or GFY. ところでいつも思うのだが、
GFY とは「ガロア体よぅ! (Galois Field Yo!)」のことかい?
It's easy to protest when you're not hungry.
関数型っぽい書き方はときに混乱をもたらす。たとえば
print a(b(c(x), y), z)
というような書き方はカッコいいのだが、各関数呼び出しの中で
いったい何が起こっているのか、コメントのつけようがない。
つまり、継続に注釈をつけることができないのだ。
いっぽうで
p = c(x)
q = b(p, y)
r = a(q, z)
print r
のようにすれば、たとえコメントがなくても
変数名さえきちんとつければ何をやっているか見当がつく。
きょう久しぶりにガーソと思ったこと。
Arch Linux のデフォルトの /usr/bin/python
が、
Python 2 → Python 3 になったために、至るところで動かないスクリプトが続出した。
くそったれ。はっきりいって、Python 3 は「Python界最大の失敗」だと思う。
学習用途には Python 3 はオッケーだと思うが、
いまだに業務で Python 3 を使うべき (まっとうな) 理由を
新山は聞いたことがない。個人的には Python 3 は
まったくの別物として扱うべきだと思う。
ドンブラー, dombler (n.) … 丼物を喰う人、あるいはドンブリ勘定をする人。
...probably not.
まーったく、東京はなんでこんなにまだムシ暑いの?
布団で寝ていると暑くってしょうがない。うるうる。
うるさの山
けさは久しぶりに支離滅裂かつ劇的な夢をみた。(改行)
ストーリーはこうである:
まず、主人公 (新山) がプロボクサーになるために会社をやめる。
そしてジムの入会受付などを済ませていろいろ説明を受けているのだが、
この時点で新山は「オレは本当にボクシングなんてやりたかったんだろうか?
オレってまだ仕事の途中じゃなかったっけ? こんな状態で会社をやめてもいいんだろうか?
あとで社長にメールしなければ…」などと考えている。
そのうち、ふいにビルの中に(拳銃をもった)強盗が潜入してきて、
みんなひとつの大きな部屋に避難させられる。で、隣で新山の肩をたたくやつがいるので
見たらそこには小学校時代の同級生がおり、なぜかそいつは顔色が悪く、いまにも吐きそうだ。
そこでトイレに連れていこうとすると、周囲から「いま部屋を出たら殺されるぞ」と止められる。
どうしようかと思っていると、別の誰かから「このハミガキ粉で歯をみがけ」という
アドバイスをもらい、渡されたハミガキ粉のチューブを見てみたら、そこには
カタカナで『オフィスシエラレオネバイオハザード』と書かれていた。(おわり)
このランダムさを見よ。ストーリーラインからモノの名前まで、すべて予測不可能だ。
すばらしい! ちなみに新山はボクシングにはまったく興味ないし、
シエラレオネについてもまったく知らない。たぶん、新山は夢を見ているときに
頭の中で勝手にランダム文を生成して、それをシーン生成に利用しているのだろうなあ。
まったく、われながらすごいことよ。
どうやら新山はパンナコッタとパンナチェッタとパニーニを
混同していたらしいことが判明。でも、どうでもいい。
きょうは某所でチャリテぃーバザぁーーーーの値付けをやったが、
なぜか途中でクシャミが連発 (ホコリのせい?)。かなりつかれた。
それにしても、ああいうとこに出ると人間の価値観というものはじつに多種多様だと驚かされる。
新山の提案した値段が他人と合わないことはしょっちゅうあるし、
「こんなもんに誰がカネ払うんだよ??」というものも、
あんがい高値 (といっても、もともとガラクタを集めたバザーだからたかが知れているが) で
売れたりするらしい。世の中というもんは本当にワケがわからんよ。
どうでもいいけど (どうでもよろ)
キミはThe Suzuki Couplingを見たかっ。
てくるで、さっき銭湯に行ったら、脱衣場のソファで
ガーガーと大イビキをかいて寝ているおっさんがいて微笑ましかった。
ウム。
かりに、意味のある犠牲なんてものが存在しないとしたらどう
だろう。(要出典)
パンナチェッタ。
わお、夏も終わったのにいまさらな話題だが、きょう TSD で見た:
ある条件下では自動車のエアコンをつけたほうが燃費がよくなるって知ってた?
その鍵は空気抵抗にある。いまの自動車は昔よりもずっと流体力学を意識して設計されているので、
高速で走っているときは窓を開けるよりも、エアコンをつけて窓を閉めたほうが燃費が上がるのだ。
常識というのはときに突然通用しなくなるので、たえずチェックするようにしていないとね。
→ ときどきこういう冗談をやるのは大好きだ。 ←
そういうわけか??
そういうわけだ。うn
このカッコ悪さはオレの理解を超えているな!
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Yusuke Shinyama