火は消してはならない! (|| 灯 || 日 || 非)
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またここに書くこと忘れた。目が覚めた瞬間は覚えていたのだが。
これを見てつくづくスゴイと思うのは、最初のテキスト入力が1971年におこなわれたということだ。 この当時のコンピュータって、一体どんなんだろう?? 新山には想像もつかない。 おそらくメモリ 1バイト = 1万円、あるいはもっと高かったような時代だ。 このときからコンピュータに何キロバイトもあるテキストを入力して、 しかもそれを一般人に読ませようというのは、どう考えても完全に気がふれている! にもかかわらず、世界は結局そのとおりになった (ケッキョキ)。 つくづく思うのだが、真に先見的な人々というのは、まさにキチガイと紙一重である。キチガイ万歳。
それにしてもAnthemがネットで見れるとは知らなかった (日本ではまだ著作権があるのかもしれないが)。
新山は、必ずバレるウソしかつきませんよ。
会社で 100円の虫メガネで遊んでいたら (…?)、 レンズの仕組みというものについてぜんぜん理解してないことに気がついた。 とくに拡大率とレンズの位置の関係について。いったいあれはどうなってんのよ? おそらく小学生級の疑問だ。
新山は Appleの技術力を (まあ、MSと同程度には) 評価しているつもりだが、 基本的にあそこがやっていることはただ単に物事を「カッコよくしているだけ」だと思う (「とっつきやすさ」もスタイル性の改善に含まれる)。 たとえば、メールを書くのにしろネット検索にしろ、おそらく iPhone でやるよりは Blackberry でやったほうが圧倒的に速い。にもかかわらず人が iPhone を欲しがるのは 「ボタンはカッコ悪い」からだ。で、Apple がやらなきゃいけないのは、そういう人々のために 「スタイル性を上げつつ、なおかつ効率を極端に落とさないようなUIを提供する」ことなのである。 Apple がいつも新しい奇怪な UI をもちださざるを得ないのは、そういう理由である。 しかし、人々が裕福になる (効率があまり重視されなくなる) に従って、 ああいう製品が売れるようになるという点で、Appleはビジネス的には正しい。
たいていの人が忘れていること。 「見た目」が重要なのは、その人・モノに初めて会ったときだけだ。 見た目による第一印象は、その後の「行動」による印象によってじょじょ上書きされていく。 そして、たいていのことがそうであるように、短時間のうちに構築されたものは 変更もたやすい。時間をかけて構築された印象は、ますます変更不可能になっていく。
大人がいまの世の中に希望をもってないのに「子供たちに希望を」などとよく言えたもんだ。ばーか
いままで新山は知らなかったのだが、世の中にはいまでも batch game というものを作っている人々がいるらしい。 クールすぎる。なんつうやつらだ!
新山の行動パターンは、つねに心理的コストを最小化するような行動を選んでいる。 まあ人間だれしも心理的コストは減らすように行動するものだが、 新山の場合はとくにこの傾向が強い。 しかも、オレはわりと長期的なコストを削減するように行動しているようだ。 んなぜかって? ngr.
OpenSSH 5.9 リリース。それはいいとして、LWNの このコメントを読んだら、 「どこまでが OS/Framework の範疇で、どこまでがアプリケーションの範疇か」という議論は まさに政治における共和党と民主党、保守と革新の差と同じようなものだと思った。 まあ、クルーグマンせんせいによれば最近の共和党は保守というよりももっぱら アンチ科学党 らしいけど。
きょうふと気づいた。新しい言語を習うのは、たとえは悪いけど「雨に降られる」のに似ている。 どういうことかというと、最初はまったく相手の言っていることがわからない。 これは「雨が降っていない」状態である。でも、ときたま「アれっ、いま水滴が当たった?」と思う瞬間がある。 1回だけなら気のせいかもしれないが、そのうちにポツリポツリと当たりだし、 「ああこれは雨だな」と思う。そして最後は疑う余地のない本格的な雨になる。 もちろん、このあいだずっと継続して学習していれば、である。 このあいだ最初の一滴が当たってから本格的な雨になるまでには、何年もかかるかもしれない。 しかし、ときどき言われるような「ある日いきなりわかるようになる」というのは 正しい記述ではない。個人差はあれど、誰しもだいたいこういう経験をしているはずだ。
nmake を日本語入力オンで「んまけ」と打ってしまった人、いますか?
アホな人々はつねにせかせかしている、ように見える。 たとえ急ぎの用がまったくなくても。
真実よりもオイシイものがありうるか?
Wheels Up! (車椅子でパラグライダーにチャレンジ)
アンソニー・レデティック、米国陸軍 (引退) … (半身麻痺になった) 2004年から2009年まで、自分は外出さえしなかったんだ。 ぼくは周囲からは決して諦めない、およそクレイジーでどんなことでもやる人間だと思われていたから、 そのプレッシャーがひどくてね…。人に会いたくなかったし、スポーツも見たくなかったよ。 なぜなら自分には二度とできないとわかっていたからね。でも2009年に米国退役軍人会の 車椅子スポーツ大会がワシントンであって、行ってみたら、そこには自分と同じような 連中が一杯いて、みんな限界に挑戦してるじゃないか。 それで、自分だって同じようにできると思ったんだ。
こういう映像をみると、やっぱりオレってアメリカンなノリが好きなのかもしれない、と思う。
やっぱり古くからの言い伝えは正しかった! 自分が本当に好きなことを飯のタネにしてはならない。
多くの人が中間的な選択肢をとれない。極端な選択肢ばかりとりたがる。 そして自分が見落した中間になにがあったのかは問おうとしない。新山も含めて。
そういえば最近、都バスかなにかの車体に Western Union の広告が描かれていたのをみた。 英語しか書いてない。ついに路線バスにも外国人専用の全面広告が出るまでになったか! しかしこれがもしオール英語じゃなくてオール中国語か韓国語だったら、 おそらくある種の民族主義的な人々は文句をいうのだろう… こういう連中を一般的にはなんと呼ぶのだろうか? ホシュか? しかし新山のイメージでは Wall Street Journal を愛読してるような人々も「保守」なのだ。 まあどうでもいいや。こういう点では、日本人もアメリカンもバカ度という 意味ではまったく同等だる。もちろんのことね。
バカ℃
教訓: 悩んではならない。 一般的にいって、悩めば悩むほど状況は悪くなる。
待つべからず。 一般的にいって、待っていても状況は一向に改善しない。
こりゃあ怖い話だ (ただしWiredなので5割引き)。 Lawmakers Call for Probe of Medical Devices After Researcher Hacks Insulin Pump.
ようするに、インシュリン・ポンプに遠隔攻撃できてしまうのを防ぐために 医療機器メーカーはセキュリティ対策しなければならないということ。 こういう問題はホントにむずかしい。たしかにインシュリン・ポンプは 糖尿病患者の人生を変えたが、bluetoothで制御できる必要とかあんの?
Ah, くると思った。あるアメリカンによれば、今回の東海岸の地震は 同性婚を許したことに神が怒った ためであるということが判明。やっぱりアメリカ人はこうでなきゃな。 ばーかばーか
誤変換には慣れていたが (盲人からくるメールには誤変換が多い)、「無戦乱 (無線LAN)」には笑った。
きょうは久しぶりに部屋の大掃除をし、風呂場と洗面所も全面的に掃除し、 ここ1〜2ヶ月のあいだにたまった生活のグダグダぶりを fix した。 カーテンの洗濯がまだだけど、これはもうちょと涼しくなってからやればいいや。 先月と今月は日記もほとんど書けていない。ふだんの生活で考えることは結構あるのだが… ICレコーダとか持ち歩いてみようか? いやいや、オレは「絶対に必要でない限り 持ち物は絶対に増やさない」という原則でやっているのだ。 そのわりにはいろいろヘンテコな物品が部屋にあふれているけれど、 これらはその新奇性ゆえに人生には絶対に必要である。 実際、新山の部屋はすべてのオブジェクトに明確な用途と “避難計画”が定められているのだ。われながらつくづく整理整頓が好きな 人格と言わねばならない。(人格だって!?)
きょう判明したこと: 目白駅から自宅まで徒歩35分。
ゆうべは久しぶりにボウリングなぞやったら右腕が筋肉痛。
東海岸で地震があったらしい。 日本ではニュースにもならないし死者も出てないが、 すでにメーリングリストでは「おい、大丈夫か!?」というメールが飛び交っている。 あんたら何騒いでんだ。NYCなんか震度1か2でしょ?
きょうの教訓 (今天的教訓) : デスクの上でトマトジュースをボトルから注ごうとしてはならない! 実際、これでひどい目にあった。
Prepare to be rejected!!
「もったいない」についてひとこと。日本人は、 物質を捨てることに対してはひどくもったいながる (? ヘンな日本語) のに、 可能性を捨てることに対してはまったく気にしない。 これはどうにかしたもんだ。
今日の(昨日の)ワークショップはうまくいったと思う。生徒どもよ どうもありがとう!
なんで休みをとったときに限って雨なのよ?
まあいいや、では戸山サンライズでお会いしましょう。
そういやー、3.11地震の加速度情報は ここからダウンロードできる。 知らなかった。
このアパートは、夏だけ床暖房が入る仕組みらしい。
toolkit ←→ tooklit
最近の検索エンジンは、どれくらい賢くなったか?
…残念ながら、それほど賢くなかった。 かれらはジョークを解しないようである。
国境なきオタク団 (Geeks Without Frontiers)という組織があるらしい。 じつにあやしい団体だ。 なんでも「国境なき〜」をつけりゃ高尚に見えるわけじゃないという例だな。
Firefox はバージョン番号は、ほんとに "Sun化" してるなあ。どうにかしろ!
買い物は悪の行為じゃないよ! もちろん!
(追伸) 教訓: 訴えられそうになったら、その団体をまるごと買ってしまえ。
めずらしくTV番組の感想について。 うちの母親は「リフォーム劇的ビフォーアフター!」のような番組が大好きである。 で、こういう番組は UI 設計の観点からみてもわりと面白いのだが、 新山がいつも腑に落ちないのは、『匠』が毎回考える「細かい心くばり (=余計なお世話)」である。 なんか、あちこちをやたらと凝って設計するのだが、「この通路にはコレが収納できて…」とか 「この棚はこういうふうに使ってもらって…」などといっても、本当にユーザはそんなふうに 使う (使いたい) のか? おおいに疑問だ。新山が思うに、たいていの道具は、 設計者の想定した通りには使ってもらえないことがほとんどだ。 これはソフトウェアにもあてはまる。それから、どうもこの手の『匠』はあんまり保守性を 考えてなさそうな気がする。個人の住宅のようなものの場合、新山だったらとくに気にするのが 耐久性および保守のカンタンさである。もしも凝った設計がブっこわれたら、そのへんの大工に頼んでも 直してくれるのか? 材質の疲労や劣化はどれくらいと見積っているのか? そしてもし壊れたら補修用の部品は容易に入手可能なのか? …などなど。 エンジニアリングの観点からみると、「快適さ」とはある一瞬だけのものではない。 10年、100年にわたって、同じ「快適さ」を保つことが重要なのだ。 新山はソフトウェアでもまったく同じことをいっているが、保守を考えれば 凝った設計はあまりペイしないと思う。もっともビジネス的に考えれば、回転を速くしたほうが 儲かるのかもしれないけど…。
話は戻るが、ユーザへの親切心 (=お節介) というのは、たいていの場合は 裏目に出ることが多い。個人的な経験からいえばそうだ。結局、 すべてのユースケースを想定することなんてできないのである。 システムがこれに適応するためには、なるべく単純なメカニズムを沢山準備しておいて ユーザに勝手に選ばせるしかない。つまり toolbox アプローチである。 UNIX がここまで長生きしているのは偶然ではないと思う。 いっぽう、ユーザ側を強制的に型にはめこむアプローチも存在する。 Mac がまさにそうだが、最近このアプローチは長持ちしないと思い始めてきた。 Mac のここ20年間の UI の変遷をみると、変わりまくっている。 昔もてはやされたデスクトップメタファーはどっかへ行ってしまい、 いまの Finder は iTunes風の整理されたリスト表示になっているし、 かつてはウィンドウを沢山開くのがいいとされていたのに、いまじゃ フルスクリーンがいいんだとかいってる。DOS時代に逆戻りか? 結局、おんなじトレンドを何度も行ったり来たりしているのだ。 かといって、この「お節介」インターフェイスは、じっと止まっているということができない。 ユーザのニーズにつねに近づけるために、変わらざるを得ないのだ。 まあ、これは一般的なユーザの PCリテラシーがより上がってきたための 変化ということもできるが、このまま進んでいくと結局 (ケッキョキ) 最後に世界の人々は「やっぱり一番効率がいいのは CLI だよね」という、どっかで聞いたような 結論に到達するような気のする。それが何年先のことになるのかは わからないけど。だから新山はいまだにタッチスクリーンUIがカッコいいと 思っている連中は「ただヨッパらってるだけ」だろうと思っている。 たぶん10年か20年後には、画面をペタペタさわったりこすったりしてる過去の人々というのは とてもバカっぽく見えるに違いない。まあドーでもいいんだけど… (DDY)。 人間のハイテクへのあこがれというのは、一見合理的なようでいて、 なにか根本的なところで合理的じゃないよな。
実家。きのうは会社から東西線で大手町まで直行し、ギリギリで指定席とれた。
最近、あることに気がついた。インチキは一生治らない病気だということに。 たとえインチキしてる連中をつかまえて「おまえらインチキすんな!」と いってみたところで、連中がそれから改心して真面目に生きるようになるとは とても思えない。もっと見つからないように巧妙になるだけだ。 つまり、一度インチキな世界に足をつっこんでしまった人は ほぼ一生そこから出られないのである。 このことは、ある種の結論を示唆してると思う。 彼等がいずれマトモになるだろうと期待するのは無駄なことだ。
今朝は「うジぇえeえええ〜ー〜~~~…:?」と言いながら目ざめた。 朝から unsubbingly hot だある。夏はいつもそうなのだが、慢性的な寝不足になりやすい。 うちの親は長野も暑いと言うけれど、夜はちゃんと25℃以下に下がるのだから、 東京よりはずっといい。
うごゃー。Arch のカーネルがすでに 3.0 系列になっちまった。 おまえら早過ぎだ! こんなディストリビューションはぜったいサーバ用としては使わないぞ。 絶・対・に。
ロボットが単純作業をすべて肩代りするようになったら、 人間はより「創造的な」「楽しい」仕事に集中できるのか? … この The David Pakman Showを見たら、 やはりそんなことはないという気分を新たにした。人間にとって、 世俗的な「つまらない」仕事は、じつは人生の意味そのものだ。 他になにがありようか。いやない
新山は自分の「健康」については多少は気にしているが (まあ、死なない程度には…)、 自分が健康「的」かどうか、についてはまったく気にしていない。思うに、健康「的」とは 「党の奨励するライフスタイルに忠実に従っている」という意味であり、 実際の健康とはほとんど関連がないと思うからだ。 ようするに、これは「名誉」のようなもんなのである。 そしてぼかあ名誉が嫌いだ。
岩手と若手って似てるよね。
そういや「ペーパーレス社会」って誰も言わなくなったna。
日本は地震についての対応が(他国に比べ)進んでいる、と思っていませんか?
いまの日本で、素人が「地震」についての知識を学習したいと思ったら、以下のようなサイトがある:
…しかし、上のサイトを見たあとに以下のサイトをみると、 日本のどんな地震関連機関も (一般大衆への啓蒙という視点では)、 米国にはるか遠く及ばないということがわかる:
以下、FAQ からいくつか秀逸なものを抜粋…
Q: 地震って予知できるの?A: いいえ。USGSでもカリフォルニア工科大学でも、どんな科学者も大きな地震を予知できたことはありません。 私たちは近い将来どこで地震が起きるかを知ることはできないし、それを知るすべもわからないのです。 しかしながら、科学的なデータを基にして、起こりうる地震の確率を計算することはできます。 たとえば、今後30年間にサンフランシスコのベイエリアで大規模な地震が起こる確率は 67% であり、 南カリフォルニアでは 60% といったぐあいです。
A: 大規模な地震が起こる直前に動物たちが奇妙なふるまいをしていたという最古の記録は、 紀元前373年にさかのぼります。(中略)...しかしながら、信頼できる一貫したふるまいが存在するのかどうか、 そしてそれがどうして可能なのかという説明は、いまだにはっきりした証拠がありません。 このような研究をしている科学者は、すべてではありませんが、おもに中国と日本に多いようです。
A: 紀元前4世紀ごろ、アリストテレスは地震が風によって起こるのだという説をとなえました。 (中略)...しかし実際には「地震向きの天気」というものはありません。地震はどんな気候でも均等に起こります。
A: 太陽フレアや磁気嵐は一般に「宇宙気象」と呼ばれるものの一種です。 現在社会でこれらの現象が機器に影響を及ぼすことはありますが、これまで地震がこれによって引き起こされたという 証拠はありません。太陽のこうした活動は11年周期で起きており、この間に太陽フレアや磁気嵐は 強まったり弱まったりしていますが、地震にそうした11年のサイクルが発見されたことはありません。
A: 地震のときに地表に浅いひび割れができることはありますが、大きな断層 (fault) が 地震の最中にできることはありません。もし地割れができたとしたら、それによって摩擦がなくなるために おそらく地震は起こらないでしょう。
A: いいえ。火山が噴火するメカニズムは地震とは別のものです。 噴火の前後に地震が起きることはありえますが、これは噴火を起こした活動の結果として起こるものであって、 地震が噴火を起こしているわけではありません。
...
A: マグニチュード (Richter scale、リヒター尺) とは物理的な器具ではありません。 これは数学的な公式です。ある地震のマグニチュードは、一定期間にわたって地震計に記録された 波形の振幅の対数によって求められます。
…この親切丁寧さを見よ。エセ科学っぽい質問からアホっぽい質問までカバーしているが、 みなそれぞれ真面目に答えるべき質問であって、軽くあしらう類の疑問ではない。 こんな基本的なことはバカにされるから訊くことすらできないどこぞの国とは大違いである。 つうか、上の日本のサイトと比較してみてほしい。 日本のどんなお役所も研究機関も、米国の公共機関である USGS のような サービス精神は持ち合わせていない。日本の地震パンフレットがみな 「地震は怖いぞ〜」「こうやって避難すべし」などの話題に終始しているのに対して、 USGS のキッズページには 「地震に関するトリビア」とか 「地震の研究者になるには?」というページには、 地質学者の給料についての記述さえある (“初任給は通常3万ドルから5万ドルぐらいで、管理職にならないかぎり年収10万ドルを超えることはまれです”)。 「科学者への質問コーナー」では、 どうやら本物の研究者が答えているらしい。なぜなら米国では、研究者というものは 一般市民の教育に貢献すべきものと思われているからだ。これにひきかえ日本では…以下略。 これじゃ日本で地震の教育がちゃんと行われているなどとは、恥ずかしくってとても言えないね。
しかし、欧米式のこうした教育は「頭でっかち」になりがちである。 たとえば日本人は地震のメカニズムなど知らなくても、小学校で地震が起きたときに ガキんちょが机の下に隠れるスピードなどは、他のどんな国民も勝てないほど よく訓練されている (と思う)。アメリカンの子供はぜったいにこんな迅速には反応できないだろう。 ほかにも、意味はわからないけど言われるままに防災用品を完備している家とか、 こと「身体で覚える」ことに関しては、日本人はたしかに進んでいるのだ。 そして新山はこうした「手続き型文化」は、けっこう好きなとこもある。 しかしいっぽうで (この USGS のサイトを見るかぎり) 日本の子供よりも 米国の子供のほうが地震に関する知識は正確に持っていそうだ。 これは日本に限らず、アジア一般でそんな傾向がありそうにも思うけど、 やっぱりなんでも「身体で覚える」対処ばかりやっていて、 頭での理解を軽視する風潮というのは、 長期的に見るとやっていけないような気がするんだな。
で、この問題をさらにややこしくしているのは、 そもそも日本ではお上が大衆を教育しようという発想がないし (「連中はバカなほうがコントロールしやすくていい」ぐらいに思っている、原発がいい例だ)、 一般人は一般人で「専門家のやることはうちらが知る必要がない」 「政府が国民を守るのは当たり前だ」などと愚直にも思っている。 そんで、役人の汚職が起こると「裏切られた!」などといって怒るのである。 こういった態度は、バカさ加減を硬直化させますよ、ホントに。
合理的配慮ってなんだ?
…この考え方は日本のお役所が特に嫌うものだと思われる。 なぜなら、自分の頭で考えなきゃなんないから。で、 文科省のこのリストとかを見ると、 結局のところ (ケッキョキ) こういう一覧がそもまま「絶対要件リスト」として使われそうな気のする。 新山に言わせれば、合理的配慮に完璧はありえない。これは「お互いが我慢できるところで妥協する」という意味であって、 当事者どうしが両方とも (対等な立場で) 譲らなきゃいけない。しかし、そもそも相手の意見に 反対することもできないような社会でこれは可能なのか。 ま、なんだかんだいって国連にカッコつけるためにむりやり (形式上) やることにするんだろうなあ。 で、また本音と建前の落差が生まれると。不毛なことよ。
よく考えたら締め切りまであと3週間しかないじゃん! ふんげあ。