7 やな。
でんでん
きょう、うちの息子は「おじさまカレーを食べた」といっている。 カレーの王子様のことか。
げんげんn
きょうの思考:
「いまだに Tarjan のアルゴリズムがなんで動くのかよくわからn」
「ゲームジャムのエントリを TDD で開発することはできるのか/やるべきなのか」
と思ったらもう19日じゃないか。
先日の日曜日に、某駅へ行ったらすみっこの変な場所に人が集結していて、 何かと思ったら、もうじきドク○ーイエ○ーがその場所を通過するというのだった。 息子を肩車して待っていると本当に1分ぐらいで例の黄色い救急車が来た。 まえに大井車両基地で止まっているのは見たことあるが、 それにしてもどこでそんな情報をゲットしてくんだろうね。
ちなみに息子は最近いろいろウケることを言うようになった。 彼にはどうやらお笑いの才能があるらしい。(oyabaka)
ふと思った。 「幸福な状態」というのは、単に「周囲のあらゆる問題を忘れている状態」 というだけじゃないかと。
しかしまた逆にもいえる。 「不幸」というのは、単に「いかに自分が恵まれているかを忘れている状態」 というだけなのかもしれない。
まあ「glass half empty / half full」と似たような話だな、 フントに。
TODO:
なにか書く。
このごろ、(めったに使わないので) 起動するたびに VS Code のアップデートがされる現状をニガニガしく思っている。 そして自分はトラックパッドがいまだに本当に苦手であるという現実。 マウスかトラックボールを使わないとまともなことはできない。
大学をやめてみて改めて思うことは 「オレは果たして本当に学術研究がしたかったのか」ということだ。 製品開発をしているときには、なんというか「役に立つものを作ろう」という 使命感があったのだが、大学で人のカネを使って研究しているときは そういうものはなく、むしろどこか後ろめたい気分があった。 繰り返すがこれは目標が「有用性」ではなく「論文」だからである。 もちろん有用な論文が出せればベストだが、ほとんどの論文は実用化しないわけで、 そう考えるとつねに斜に構えてしまうのであった。そう考えると、 新山には一部の研究者 (使命感をもってアザラシの生態とか、エキセントリックな 手法を黙々と研究できる人) がもつような「おめでたさ」はなかった、 ということになる。まあ、別にそれはそれでいいんだけど。
今度のゲームジャムには参加できるかな