人生の目標になんらかの「客観的指標」が欲しい人は気の毒だなある。 ある種の病気とすら思える。どう考えても論理的に破綻しているように思えるのだが、 まあ彼らはスコープを割り切って考えているのだろう。 そもそも目標自体がない人もいるけれど。(別にそれはそれでいいよろ)
また1ヶ月たってた。
正直、ここにLLMの愚痴ばっかり書きたくないのだが… LinkedInなぞを見ていると (そんなもん見るな! そもそも) 「AI Apologetics」とでも言う人々がこれほど多いのにおどろく。 そしてまた謎が多い。「AIで生産性が爆上がりした!」って言ってる人々のうち、 AIを使って(単なるデモでない)実際の業務をしているのを見たことがない。 もちろん業務上の秘密があるからそんなものはそうそう見せられるはずもないのだが、 新山はより大きな理由は「それを見せてしまうと大したことないのがバレるから」 だと思っている。思うに「AIによる生産性向上」ってのは、中学生にとっての◯◯◯みたいなもんだ。 誰もがそれに対して興味津々で、あたかも見てきたようなことを言うのだが、 実際には誰もろくに経験してないという。いずれにせよ LinkedIn ってできるだけ見ないほういいよな。 他の SNS と同様、あれも各参加者の「下心の高さ」がミエミエで気分悪くなる。 まあ、あれだな、つきあいで酒飲んだら二日酔いするようなもんだな。 こんなこと書いちゃって大丈夫かどうか知らないけど、 まあここなら大丈夫だろう君
ああそうだ LLM の真の愚痴はそんなことではないのだった。
新山にとって真に理解しがたい (あるいは理解したくない、 理解したら悲しい、etc. ) のは、機械に嬉々として 自分のスキルを「委譲」してしまうプログラマーの多さである (でも実際多いのか? 要検証)。新山は基本的に「楽しくないことは、 機械にやらせてもOK」だと思っているが、この考え方でいくと 結局多くの人が AI にやらせていることは、彼らにとって「楽しくないこと」 ということになる…。どこへ行くのにもクルマを使ったら 当然歩く能力は衰えるし、調べものしたり文章書くのにLLM使ったら それらの能力も衰える。そして同時に「自分にとって、その能力はそれ以後向上しなくなる」 というコストもあるのだ。つまりそういうことなのね。 多くの (いや、一部の? わからん) プログラマにとって、 情報をみつけだす能力や他人に説明する能力、わかりやすいコードを書く能力は 楽しくもないし、鍛える必要もないということになる。それが一番悲しい。