…ので、 きょうは学生時代、米国へ行く前までお世話になっていた大田区の某下宿へ 野沢菜を持って挨拶に行き、そのあとそれをはるかに上回る量の 野菜やら冷凍食品やら菓子やらをオミヤゲに持たされて帰ってくる。 しかし、あれから9年もたったとはね…。でも周囲の景色はあいかわらず おんなじで、今日は夕暮れ時の富士山もよく見えた (多摩川の向こうにね)。 その後、新山が毎日のように行っていた銭湯 (その下宿は風呂がなかったので) に入ったら、 そこも以前とちっとも変わってなくて、壁に貼ってある広告まで 10年前と同じだった。 でも、鵜の木にあったもういっこの銭湯は、駐車場になっていたけど。 帰りは蒲田経由。フロに入ったあとだったので京浜東北線ではナチュラルに熟睡した。 あやうく乗り過すところだった。
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Listen, I don't give shit to your "unitedness" or any ideological crap. All I care is the quality of your products and the responsiveness to incidents like this.
もちろん、こうした事態に対応するには社員の間で合意があったほうがスムーズだろうし、 安全性や品質に対するなんらかの信念の共有はあったほうがよいと思われる。 しかし、それは社内のすべての人間が同じように考え、行動するという意味でない。 「全社一丸」とかいう響きになると、必要以上の強制がされているように見える。 そんな環境でマイノリティがまともに扱われるはずがない。 オレは自分以外の社内のすべての人が一致する意見があったら、 どんなにまともな結論でも反対するからな。
(追記) todo: 日本人が大企業に対して及び腰なのは、そういう理由じゃないか?
これは実際の村へ行った印象によるものではなく、 あくまで語感・漢字感 (なにそれ?) のみによる選択だる。 しかし、実際のところ、売木村と喬木村以外は何らかの理由で 通ったことはあると思う。原村なんて一体何あんの? と 人は思うでしょうが、これが実に景色いいのですよ。 ああいうところに住むのは新山の生涯の夢である。 でも、おそらく行っても仕事がないだろうな。 それが一番の問題だ。
…それで思ったんだけど、昨今の若い(バカい)人たちに 「ストロベリーライス」とかいう商品名をつけて売り出したら、 売れるんじゃないかな? あるいは「苺ごはん」でもいいよ。
どうでもいいけど (ddy)、新山はどういうわけか食い物の名前は 漢字ではなくカタカナで書きたいような気がする。 たとえば「ご飯」よりも「ゴハン」のほうがいいし、 「蜜柑」「苺」よりも「ミカン」「イチゴ」のほうがいい。 これは、なぜなんだろう? どうもカタカナで名前を書いたほうが、 キャラクター性が強まる (???) ような気のする。
実は、これらは設計の時だけじゃなく、実装する時でも ほかの日常生活のすべての瞬間においてもつねに求められている。
「いまどき telnet なんか使ったら、かえって安全だったりして??」
…オレじゃない! オレじゃない! 悪魔がおれに吹きこんだんだ!
Please do not be cynical. I hate cynicism. ... Nobody in life gets exactly what they thought they were going to get. But if you work really hard and you are kind, amazing things will happen. I'm telling you, amazing things will happen. It's just true.どうか皮肉な気分にならないでほしい。皮肉なのは嫌いだ。… 人生、思ったとおりにものが得られる人なんか、誰もいやしないんだ。 でも、もしきみが一生懸命やって、他人に親切であるなら、 驚くべきことが起こる。これは本当だよ、驚くべきことが起こるんだ。 ただもう本当にそうなんだ。
-- Conan O'Brien (2010/1/22, 最後の The Tonight Show のおわりに)