人のせいにしてもフラクタルはフラクタル (当社比)。
で、きょうの人は形態素解析から最終的な情報の抽出までをすべて Baysian Network でやろうというものだった。 彼のアプリケーションは電子メールの 文章からセミナーのスケジュールを抽出しようというもので、たとえば
とかいう文章があったら、ここから 「日時 = 4/11 の午後、会場 = WWH, 102号室、講演者 = なんとか博士」 という情報を取り出すわけね。 彼はまず「メールの最初のほう → 40% の確率で日時を述べる → 77% の確率で時相名詞 → 24% の確率で“あす”」 とかいうどでかい確率ネットワークをつくって、こいつを いっぺんに解くことで形態素解析からなにから Baysian Network の 一枚岩な枠組みで実現できると。 確率ネットワークをくみあわせることにより形態素解析から文脈解析から いろんな統計情報が integration できるというのは、たしかにおもしろい。 ところで、なにが Dynamic なの? - と Dan が尋いたところによれば、 これは時系列で変化するから Dynamic なのだそうな。 聞けば HMM やら何やらもすべてこれらは Baysian Network の一形態でしかないという。 ほう。それはまあどーでもよろしいのだが。From: だれか@cs.nyu.edu Date: 4/10 Subject: せみなあ あすの午後セミナーやります。ひまならきてね: 講演者: なんとか博士 内容: 郵便ポストの赤方偏移について 場所は WWH, 102号室, まーさーすとりーと 251 です。
ところで個人的にいちばんおもしろかったのは Baysian Network をつかって 形態論を考慮した形態素解析をやらせることで、未知語の多い環境や別ドメインにも 対応できるというくだりだった。かれはその実証例としてなーんと ジャばウォッキー に 形態素解析を適用したりしてるのである! 性能は悪かったけど…。 でも英語ネイティブの人間がこれをやると、だいたいちゃんとおおよその品詞がわかるそうな。 すげーなそれって。まあ山形訳でも「ほさめる」は動詞で、「ねれたる」とかは 形容詞だ (a, 動詞の連体形か?) というのはわかるからそんなもんかな?
そして終わってからもまたノドモトな仕事の続き。 まだできてません。ごめんなさいごめんなさい。 でもね、もう今回はすごいよ! 大発生! ものすごいノドモトぶり! つーかこの調子で 月曜までノドモトな予定…。ていうかそれが終わってもまだ 2つも 3つもヤルコトが…。 ああ、だれか頃してくだ。
つーか、しゅくだいが…。
ところできょう、ふと自分が背筋をのばして歩いていないことに気づき、 背筋をシャンとのばして歩くようにした。そしたら、こんなことしたのは久しぶりだったらしく 腰がいたかった。落ちこんでいるとどうしても歩き方までが影響されがちであるが、 これはよくなき。つねに姿勢を正してニヤニヤしながら歩くこと (おなじ笑顔でも新山は「ニコニコ」というより「ニヤニヤ」のほうが あやしい表現で好きだ)。次の人のためにドアをおさえるくらいの余裕がほしいね。 余裕といえば、自分はどうも余裕がまるでない人間のように見える。 いつもチョコマカ、バタバタしてるか、そうでなければ落ちこんでいるという状態しかない。 たぶん新山の精神状態にはつぎの 3種類しかないのだろう:
そして次のノドモターな仕事がいまから始まる…。 もうまったくこいつはなんなんだ。ええ? お前こら、この、 反省してんのか、これはこれ。ええ? っったく。ノドモティスト。(nodomotist)
/usr/sbin/printconf-backend
が Python で動いていて、
これが XML の古いパッケージに依存していたらしい。そういうのは困るなあ。
で、けっきょく古いのにもどす。こうしてシステムはしっちゃかめっちゃかになっていくのだった。
東京でもニューヨークでもそうだが、街でふだん暮らしていて 一番うれしいのはこういったなにげない人々に顔を覚えてもらえるということである。 韓国料理屋のおやじや、デリのおばちゃんや、ベーグル屋のおっさん、 コーヒー屋のねえちゃん、そして中華料理屋のガキんちょ、守衛のおじさん。 最初は「thank you, sir」と言われていたのがそのうち「thanks, buddy」になったりもする。 コーヒー屋ではもうすでに「いつものやつ」で通じる (といっても英語で「いつものやつ」ってどう言うかわかんないのだが)。 こういうところで顔を覚えてもらったり、なじみの場所で知り合いと バッタリ会ったりするのが学生生活でいちばん楽しくて、幸福なところだと思う。 逆にいえば、それがなければこんなところで生活するのははっきりいって 堪えられない。正直いって、もう10年ちかくもこんな生活を続けていられる自分は ものすごいしあわせ者と思わなければならないと思う。 今日はちょっぴりポリアンナ。 (しかしこれって「びっくりするほどユートピア」にどことなく語感が似てるな…まあいいや)
(予言: たぶんあとでこの段落を見たらもう恥づかしさのあまり首つって死にたくなるだろうこと必至)
つーか、名より実だろ、やっぱ。
新山に対する想像上のイメージいろいろ:
まあ、どう思われようが、やりたいようにやるのだ! (というか他人の目を気にしだしたらこのサイトはオワリである)
新山の夢にはしょっちゅう出てくる場所がある。それは現実には存在しない。 学校のようなところだが、どうもあやしい。 高校にしてはひろすぎるし、大学にしては工学部がない (工学部がない大学は大学ではない、とまでは言わないが、新山の場合は 「大学 ≒ 工学部」という世界で生きてきたので、工学部はあるモノということに なっておるのです)。そして必ずいつもどこかが工事中なのだった。 東工大やNYUでもいつもどこかを工事しているが、これらと決定的に違うのは、 その学校? が「田舎に建っている」ということである。 あれはどうみても長野かどこかの原風景があるとしか思えない。 学校のまわりは畑でなにもなく、すこし坂を下ったところに市街地があった (その点は高校と似ている)。街全体はゆるやかな南向き坂になっていて、 新山は敷地内での東西南北をつねに把握していた (「上」が北だから覚えるのは 簡単だ)。そして出口はなぜか西にある出口をいつも使っていた。 中学でも高校でも西に出口はあったが、なんかちがう。 ここが出てきた夢は何回かみているのだが、今回は久しぶりだったような 気がする。しかもやけにはっきり覚えている。そして、落ち込みは やや直っていた。
さて、いざ回復してみると (まだ完全ではなさそうなのだが) 「あの落ち込みは一体なんだったんだ?」ということになる。 自分がなんで落ちこんでいたのか全然わからない。 どうも足の指を切ったころに落ちこみだして、それが直ったころに 落ちこみから直ったようなのだが、それとなにか関係あるのだろうか…?
どうでもいいが「マイヤー (Meyer)」あるいは「マイヤーズ (Meyers)」という苗字は、 例の名前辞典によるとヘブライ語源でユダヤ系であるらしい。 ロッテンマイヤーさんも調べてくればよかった。
さて。きょう、あるところに 「ssh よりも telnet のほうがもしかすると安全では」と書いてあったのだが、 意表を突いて 80番とかを開けていたらもしかしてけっこう安全かもしれない。 しかしやっぱ最強なのは独自プロトコルでしょう。独自プロトコルに独自クライアントのシェル、 これ。これ最強。しかしクライアントまで自作というのはめんどくさいし どこでも使えない危険性があるので、既存のプロトコルを 2つ以上組み合わせた 独自プロトコルってのはどうだろう。たとえばある URL にアクセスすると どこかランダムなポートで telnet が 1分間だけ開く (listenする)、とか。 さすがにそこまで sniff する奴はいないから安全でしょう。 ボタンを押すと壁が開いて隠し通路が出たりする仕組みに似ているので、 名づけて「忍者屋敷プロトコル」と呼ぶことにしよう。 まあ「1分間だけ開く」ってとこに注目して「チューリッププロトコル」って 呼び方でも悪くはないが、でもチューリップなら確変しないとおもろくないよな…。 あいかわらず暇人だなオレは…さっさと頭痛治せよ。
ので、日付を変えてみる。
なんでねむれないのか謎だ。それなりに疲れてはいるんだが、 いざ眠りにつこうとするとさっぱり眠れない。 こんなことでは、またヨフカシャー (夜更しする人のこと) になってしまう。 きょう一日あんまり根暗じゃなかったからバチが当たったんだろうか。 いや、意味不明だ。とにかく眠れない。なんか頭がうっすら痛いんだけど、 とにかく眠れないにこしたことはない。
なにかが欠如しているような気がするのである。 最近思うのは、自分が目指すべき「理想の目標」たる人がいない、ということだ。 いやでも前だってそんな人いただろうか? いたようないないような。 とにかく、周囲に尊敬すべき人は多いのに、なぜかそれらの人達は自分の 「目標」とは違うと感じるのである。何いってんだかオレは。 しかしとにかくそう思っちゃったのだからしょうがない。
けど原因はそれだろうか? 歳をとると、男でもなにやら「生理的な落ちこみ期」というものが 生まれるらしいが、べつに自分はまだそんな歳でもないし、でも聞いた話によると 米国の Ph.D 学生の鬱病は多いらしい。おまけにソフトウエア産業にも鬱病は多いらしい…。 でもちょっと待った。統計が高いからといって自分もそうだというのは無理がある。 たぶん、余計なこと考える時間が多過ぎなんじゃないかと思う。…と、これはいま考えた仮説。 ああめずらしいな、オレがまともな日本語の長文を書いてるよ。おもしろくもないのに。 というか、中途半端にアタマで理解する癖が悪いような気がする。 ほんとうは、オレって何もわかっていないんだな、と思うようにしよう。つとめて。 そうすればちゃんと眠くなるだろうか? …ああ眠くなってきた、 だっていまアクビがでたもん。しかしこうやってキーボードをたたいていると またねむくなくなるのできょうは早めに寝てしまおう…。
もう遅い!
というところで著者紹介のドラフトが送られてくる。 うげげげげ。みんなまともなこと書いてるよ。 オレももっとちゃんとした (=おかしな) こと書いたほうがよかったかしら。 いくつか考えてはみたのだ。たとえば物理情報に特化する形式とか:
新山 祐介: 1974年9月7日(土) 日本時間 午後5時24分、長野県中野市北信総合
病院にて生まれる。生後体重は 3070グラム、身長 51センチ。その後順調に推
移し、死亡推定時刻は 2038年1月19日(火) 日本時間 午後0時14分、死因は桁あ
ふれ。
自分の学歴をこまかく書く方式とか:
新山 祐介: 1977年、長野県中野市立西町保育園に入園。以後、中野市立
松川保育園を経て 1980年に千葉市稲毛区山王幼稚園に転勤。1981年千葉
市立山王小学校入学。1982年に長野県中野市立中野小学校に転勤。1988年
卒業、その後中野市立南宮中学校に入学。(以下スペースの都合により略)
…いったいオレはなにを朝から書いているのだろう。 あ、ちなみに数字はすべてデタラメですので本気になさらぬこと。
セキネさんからは「雪なんで行かない」というメールがくる。 スドウさんは延期されたらしい。そりゃそうだろうな、この雪じゃ。 だいたい何人が大学に来ているのだか。
ところで 世界初の“妊夫” Mr. Lee は もう何年も妊娠したままだ。 しかし金かけてるよなあ、こんなホラサイトに…。
あ のっ 人 は〜〜-! 。。。 自分より不幸♪ 自分より不幸♪ 自分より不幸♪ 自分より不幸♪ 自分より不幸♪ 自分より不幸♪ 自分より不幸♪ 自分より平等♪ 自分より不幸♪ 自分より不幸♪ 自分より不幸♪ 自分より不幸♪
どうだいこのページのすばらしさ! ごいっしょに!
…そしてまた何でもできるはずの一日を、何もせずに終えたのだった、
と、いうことに気づき愕然とする。
いや、正確にいえばこれは契約に反する。
残念ながら新山は物語の中に生きていた。
それは、創作なのだ! そう考えたら、何もかもがバカバカしい。
自分が死ぬはずはないし、ヤバくなれば必ずナニカが起こるに決まっているから
だ!
つうか、すばらしき偶然! というより、すばらしき偶然! 偶然を賛美せよ! 偶然を賛美せよ! つーか、てゆーか、グーゼンベルク! ダジャレ逝ってよし!
なにかを出力しなければならない、という脅迫観念にとりつかれているように思う。 がらくた以外のなにかを。
しかしこれは錯覚だと思う。 やはりお前は自分自身の罪悪感 (そもそもそんなものがあるとして) を減らすことしか考えていないのではないかと。
くだらん。外に出てこよう。
しかし考えてみれば文字が似たよな言語はローマ字以外にもいくつもあり、 日本人にとっては Yiddish と Hebrew の違いなんてわからんし、 Arabic と Urdu の違いもわからんし、Tamiru と Telugu の違いもわからん (直感的には、Telugu のほうが昔流行した「丸文字」系みたいだけど…?)。
そのあと、reference 系のフロアをうろうろしていると (用もないのにこんなとこをうろうろする奴はそうはいまい)、 「アメリカ人名辞典」なるおもしろじみたものを発見。 これはアメリカに住んでいる人々のいろんな苗字の出自や語源が 書いてあるもので、かなりおもしろい。ほとんどは英語、スコットランド、 アイルランド、ドイツの苗字だが日本の苗字も多少は載っていて、 たとえば "Yamada" の項をひくと「(Jap.) Mountain, rice field」といったぐあい。 なるほどこれがあれば何人だかわからん苗字から出自をあるていど推測できるわけか。 だがなにしろ日本人は苗字が多い民族だからそう沢山は カヴァーされていなかった。さすがに "Shinyama" とかはない ("Shintani" さんは存在し、「(Jap.) New, valley」と書かれていた)。 知ってる苗字をいろいろ調べて遊んでいるうちに数十分経過。
きょうははじめて図書館の「自動貸し出し機」を使ってみた。 カードを入れて、本を開いてレーザーにバーコードを通すだけ。 すると「貸し出しレシート」が横のプリンタからガリガリと印刷され、手続きはすぐに完了する。 キー操作は一切必要なし。すごい。てゆーかこんなに簡単に貸し出しできちゃっていいのか。 しかしなぜかみんなは貸し出しカウンターにぞろぞろ行列していた。わからん。
.
が
通ってないだけだった。てめー、これくらい自分で直せよ! それでも修士卒か!
といいたかったがまた逆ギレされても困るのでさっさと直して帰ってくる。
こういうときに他人がいちいち助けてしまうという状況はたいへん不幸だ…。
しかし聞けば理系の研究室で女の子がこのテのことにちっとも詳しくならないのは、
みんな周囲のオトコ共がよろこんでやってしまうからだそうな。
これは前に Aさんからも同じようなことを聞いたなあ。
「男の子ってほんとにそういうのが好きよね」って、べつに好きでやってんじゃねえええんだよ!
いや、好きでやってるのかもしんないけど。セキネさんからとかからは
新山は環境設定オタクと思われているようだが、実際にはオレはただ怠惰なだけだろう。
たとえば新山は、一部の人がやっているように壁紙に凝ったりスキンに凝ったりはしない。 とゆーか、壁紙に凝っている人の発想って激しく理解不能なのだが、 だいたい見にくいじゃん。 新山のような仕事だと使っているアプリケーションは もっぱら端末とブラウザだけなので、これらはふつう画面いっぱいにしている (で、端末のフォントは Kappa20-bold なわけですよ、狩野さんありがとうございます)。 そしたら壁紙なんて全然見えないじゃないですか。 KTerm やブラウザを (できるかどうかは別として) スケスケにする? でもそんなことしたら激しく見にくくなりかえって目が疲れること必至である。 だいたいこの路線はまえに Emacs 透過パッチまで作ったりして一度とことん追求したのだが、 どうやっても見にくいもんは見にくいということが判明し、あきらめた。 画像の輝度を落としてもだめ。落としすぎると暗くってそもそも壁紙の意味なしだ。 よって、どう考えても「壁紙は不要」という結論になってしまふ。 だいたいどんな仕事してても、デスクトップがそんなに露出してることって、 あまりないような気がするがなあ…。それともちょっと手を休めたときに いきなり画面が切りかわる「スクリーンセーバー型・壁紙」ならいいんだろうか? 激しくうざいです、やめてくださいそれは。しかしなぜか周囲を見わたすと カベガミャー (壁紙er、壁紙をはる人のこと) は多い。これはまあ、 科学では説明のつかない現象ってことで。
ところで個人的にはダイヤブロックよりもやっぱレゴだろうと思う。ハクライモノ。
ちなみに、(ぜんぜんナボコフと関係ないが) Paul Auster とかは原書でも平易な英語でたいへんに読みやすい (City Of Glass のアレが特殊なだけだろ、などと言わぬように)。 が、個人的にはオースターは読後感がまったくヨクナイんで嫌いである。 そういや本人の肉声 (アルクの教材に入っていた) とかも すごく日本人に聞きとりやすい英語だった。でも、 日本で聞いたときは「わかりやすい英語だなー」と思ったが、 こっちへ来てすこし慣れてからあらためて聞きなおしてみると わかりやすいを通りこしてむしろ「たどたどしい」というくらいの印象になっていた。
(あとで書いたもの) きょうは high-performance で high-availability のある web サービスを どうやったら提供できるか? というビジネス直結な話だった。 さいきんの colloquium じゃなんか実学よりの話が多いが、まあいい。 web へのアクセス向上をはかる研究には現在のところ 2つの流れがある。 ひとつはネットワークそのもののスループットを改善する話で、 これはプロトコルとか routing の研究になる。もうひとつは サーバを多重化してあちこちに置き、そのうえで同期をはかるという研究。 ようするに "akamai化" するわけね。ただし静的なコンテンツとちがって チケット予約システムのようなものは複数化するのはかなり気をつかう。 サーバ間の同期が重要になるからだ。
で、TACT というのはこのサーバ間同期のためのフレームワークなのだが、 従来よく行われてきた研究というのは「信頼性をとるか、スピードをとるか」のどちらかだった、という。 データの同期は基本的にサーバ-サーバ間のジャーナリングで行うのだが、 サーバ間同期を重視するとスピードはガタ落ちになり (そりゃそうだ、けっきょくそれじゃ 単一のサーバにアクセスしてるのとあまり変わらない)、スピードをとるとデータの同期が問題になる。 それを「continuous に」調整できるようにしたものが TACT、というわけらしい。 で、並列化されたシステムではサーバ間でデータに相違がでるのは当然なのだが、 彼はここで CONIT という「不一致許容度」のような抽象的な値を定義することによって、 「どれくらいまでのデータ不一致までなら通信しないか」を変更できるようにしたという。 CONIT は 3つのパラメータ (レコード数の数値的な差、レコード順序の差、および最大伝播時間) を 指定し、各サーバはこの制約を満たす範囲で通信をおこなう。で、この CONIT というのは データ依存の基準であり、その数値の意味はアプリケーションによってちがってくる。 たとえばチケット予約システムならレコード数の差は「残りの座席数」に相当するし、 USENET のようなものならこれは「あるスレッド上にあるメッセージ数」に相当するわけだ。 これを抽象的にしたところが従来の「物理的なデータのレベルで同期させるシステム」とは 一線をかくすところなのだという。
…ところが、ここまではよかったんだが、その後彼が例として「航空機のチケット予約システム」を 持ちだしたところで、周囲から「航空機のチケット予約みたいなのは信頼性を絶対重視するから この例はあてはまらないんじゃないの?」というツッコミ続出。 「むしろこういうのが使えるのは Amazon だよ」と。聞けば Amazon は 複数のサーバを使っているが、このテのデータ同期問題で多額の損を出しているという。 Amazon でも Ebay でも、この手の性能が 0.1% でも向上できればすごい利益につながるのだそうな。 そういや新山も Amazon で注文して、一回 OK だったのに「すんません、やっぱダメでした」 というメールがあとからきて憤怒した覚えがあるもんな。ユーザ全体の 0.1% でも改善できれば たしかにそりゃいいかもしんない。だからスピードと信頼性のトレードオフを綿密に 調整できるといいわけだ。そのあと「この(CONIT パラメータにある) 最大伝播時間というのは何だ? なんで必要なんだ?」と誰かが尋いたら、発表者が困っていた。そしたら前のほうにいる Gottlieb が 「たとえばゲームにこのシステムを導入するとしてだな、最大伝播時間=1min. で ある奴を撃ったら 1分後にはどのサーバでもそいつは死んでるのが保証されるってことだよ」 すばらしいたとえでございます。
近所の - HEAD:近所 TYPE:体言 CON:連体 ┗コインランドリーへ - HEAD:ランドリー TYPE:体言 CON:へ ┃洗濯に - HEAD:洗濯 TYPE:体言 CON:に ┗┻出かけたら、 - PAST:1 PUNCT:1 HEAD:出かける TYPE:用言 CON:連用 ┃少年ジャンプに - HEAD:少年ジャンプ TYPE:体言 CON:に ┗┻混じって - HEAD:混じる TYPE:用言 CON:連用 ┃山岸凉子の - HEAD:凉子 TYPE:体言 CON:連体 ┃┃『日出処の - PAREN:1 HEAD:出処 TYPE:体言 CON:連体 ┃┗┻天子』 - HEAD:天子 TYPE:体言 ┃ ┗全 - HEAD:全 TYPE:体言 ┃ ┗11 - HEAD:11 TYPE:体言 ┃ ┗巻が - HEAD:巻 TYPE:体言 CON:が ┗━━━━━┻積んであった。 - PAST:1 HEAD:積む TYPE:用言 CON:連用
こんなのはだめ:
「もう - PAREN:1 CON:連用 ┃一つの - PAREN:1 HEAD:一つ TYPE:体言 CON:連体 ┃┗道」の - HEAD:道 TYPE:体言 CON:連体 ┃ ┃なんとか - CON:連用 ┗━┻┻細いことか。 - HEAD:細い TYPE:用言
やはりカッコは別処理で扱わせるようにしたほうがいいと思う。それにしても。
ときどき、自分がものすごくイヤな奴に見えてしょうがないときがある。 たとえばいまはそうだ。いや、自分がイヤな奴なのは前からわかっていたはずなんだけど、 もうこうなると自分の顔とか目つきとか (自分では見えないけど)、喋り方とか ニオイまでが「生理的に嫌」なのですよ。他人が生理的に嫌いになるのはときどきあるが、 自分自身がその対象になってしまうとこれはもうかなり苦しい。離れることができないのだから。 唯一の解放は自殺である。でも人はこういう気分のときに自殺するのだろうか? なんか違うような気がする。ふつー自殺つったら 「もうなんにもやる気がしなくなりました…さよなら…」 という状態でするもんでしょう。 いや、こういうときはむしろ「自分を他人化」するのかもしれないな。 化粧したりとか。しかしその選択肢はオレにはむりなので、 つまり残る道はひたすら自分を罵倒しながら米を研いでろ、と。永久に。
(まだすこし残ってるらしい)
なんか最近また tabesugi.net へのアクセスが増えたりへったりしているような気がする。 どっかからリンクされているのだろうか? しかしこのサイトに リンクするに足るほどの情報があるとはどうしても思えないんですが… (「ぞうぶ」に関する考察を除いて)。それとも、
きょうは自炊した。Owen から教わった数少ない中華料理 (というほどのものでもないが)、 チンゲンサイをおひたしにして中国風オイスターソースをだぼだぼかけて食べる。 これがけっこう白米によくあうのだ (なんか椎名誠な雰囲気)。みそ汁はオーソドックスに豆腐+わかめ。 最後に納豆が残ってたので納豆。なぜか大根もすこしあったので全部大根おろしにしてしまう。 …なんだか肉をぜんぜん食ってないな、ほんとに。 こんなことでは周囲の凶暴な肉食人種に負けてしまう。 しかしこっちの人は「肉を食っている」というよりも 「小麦粉を食っている」といったほうがなんかあってるような。
まえまえから、寄付や募金でいちばんいやだったのが、 「寄付するかどうか」を自分の感情によって主観的に決めることができてしまうということだった。 個人的にはそういう甘えが寄付行為に入るのは許しがたいので、いまは己にルールを課すことにしている。
この規則を実践してからは罪悪感にさいなまれることもなくなり、 イキイキした毎日をおくれるようになりました。
ところで彼ら(募金活動やってる人)はいつも金を入れたあとに "God bless you!" っていってくれるのだが、本当にカミのシュクフクを 必要としている人間はオレではないだろうと思う。 それに新山の神サマはこんな異国の街のことなどは知りませんので (いや、たぶんね…)、 お前らのわがままでお節介焼きな神サマと一緒にしないでほしい。
なぜこれが iconv で utf-8 にできないのかなぞだ。
新山は、春がきらいでした。 みんな、春のことが、なんにもわかっちゃいないんだわ。 春なんて、ほんとにあてにならないんだから。 風でバタンとあいてみたり、また、しまってしまったり…。
この人はいつもおかしな所へいくので期待しているのだが、 今回はジブラルタル海峡をわたりにスペインから入ったらしい。 (が、フェリーでは寝てたらしい、それじゃ意味ないじゃん!)。 でもカッコよすぎるぜ、こいつ。そうかそうか。 しかしこの葉書はふいにオレの旅行熱 (というほどのものは本当のところないのだが…) に 火をつけたらしい。この夏休みにはぜったいどっか行ってやるからな。 どこにしよう?? いまんとこ考えてる候補がいくつかあって:
あともうひとついきたいのはロシアだ。しかしこれもつらそうなのでまたにしよう。。。
「おはようボブ」
「やあマイケル、どうだい調子は?」
「なめ茸のビンのフタが開かなくて死にそうだったよ」
「パッチはあてたかい?」
「あてたよ、ちゃんと」
「それは大変だね、フセインも草葉の陰からアルサムードってわけだ! (←意味不明) ワッハッハ!」
(↑意味不明、でも 4分25秒)
てゆーか、だれかこのネムケから解放してくださいな…
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とかいう
オプショソがあるのをいまさら知った深夜ま。