2003年 5月 (2)。

その夢、水に溶けやすい、きょくたんに。

Last Modified: Mon May 19 19:53:49 EDT 2003 (05/20, 08:53 JST)

May 19 [Mon]


(03:06)
なぜか今日は晩飯を食ったら異様に眠くなりすぐに寝てしまった。 おきたらまだこんな時間。 これは寝るべきなのかそれとも寝るべきなのか?

やはり違いはそこだろうと思う。

(04:01)
だけれども、それを、そんな人間性をぼくに期待して何をする?

(おもわず「ぼく」なんて一人称を使ってしまった!)

…ところで、日記をすべて三人称で書いたらおもしろいだろう。
あ、それとも二人称で書いたほぐあ (←「ほうが」の打ち間違い) もっとおもしろいかな。
hogua
houga

「通常の新山口調」版:

自分はしょせん、夜中に喋ることしかできないたぐいの人間であるような気がする。
つまり日のあたるところで (人間相手の) まともな仕事はなにひとつできないという意味で…。
だいたい頭痛もしてくるし…。この身体が悪い、というのは言いわけにはならない。
それらは分離されてはいないからだ。

三人称版:

新山には人間性が欠如していた。そのために、彼の人生はまるで黴のようなものであった。
彼はつねにじめじめとしていなければならず、明るい場所でほがらかに笑うことができない自分を嫌悪していた。
しかし、その責任を彼以外の誰にも求めることはできなかった。彼自身の身体に対してさえも。

二人称版:

あなたは対人関係に大きな欠点を有していたが、それにはそれ相応の報いがあるということに、
ある日あなたはとつぜん気がついた。
あなたのその弱った頭の中に、大きな黒い劣等感のかたまりがつぎつぎと飛びこんできて、
いつしかその視界をずっしりと覆った。
あなたはこれから皆に避けられる生活を送ることになる。

...
持ち物を識別しますか? (y/n)

(04:30)
へっくしょ!!

「黴」って怖い字だな! なんか。

(05:17)
「よい」ことは言いわけにならない。

自分の唯一の得意技はプログラミングだが、 自分の大きな欠点もまたプログラミングだと思う。 つまり、プログラミングしているとき自分はあまりに他のことに気がなさすぎるのだ。 だから人に対してひどくつっけんどんな態度をとったり、 なにかべつの重要なことをあっけらかんと忘れていたりする。 これは、中毒なのだろうか。

どうでもいいけど「あっけらかん」て単語のひびきは好きなんだよな。
ラカンはべつに好きじゃありませんga。

(05:50)
うう、コロッケ食いたい。。。。

また寝まs

(10:20)
なぜか目の前にたくさんの花が咲いている。
(12:25)
駅の通路に直径 1センチぐらいの穴が空いていた。 これがもし無限に続く穴だとしたらどうだろう、と妄想してみる。

無限に続くということは、無限に深いということだ…。 つまり、それは無限大の容積をもつということになる。

だとすると、そこにいくらモノが落ちても (入れても) 穴全体の密度はゼロだから、入り口付近の気圧は つねにゼロ近くに保たれるだろう (これを思いついたとき、おお、オレって頭いい! と思った)。

つまりもしこの穴が無限に深かったとしたら、それはつねに物を吸いこみ続けるのである! こわいこわい。

…でももしこの穴がすべて空気でみたされていたら?

えーとえーと、私はエディーベイベ (Eddie Baby) と呼ばれるのが好きではありません!

は?

私はエディーベイベと呼ばれるのが好きではないのです。

私そんなふうに呼びました?

ええ呼びましたとも! あのですね、もしあなたがこのインタヴューを…

私そんなふうには呼んでないと思いますがねえ、子猫ちゃん?

子猫ちゃんって呼・ぶ・な!!

「シュガープラム」って呼んでも良いですか。

ノー!!

じゃ「天使のズボン」は?

ノー!! もう帰りますよ、わたしはもうこんな… (退場しかける)

あなたの最新作についてお伺いしたいのですが、エドワード卿

「それが芸術だ (It's the Art)」

(13:11)
google://手をたたきなさい、パチパチと。/

このフレーズをおれは、よほど気にいっているらしい。

(14:15)
サムイよ!

…サムイよ。マジで。マジ冷房が。
みんな上着をきている。デンキの無駄。 なんとかしろトーデン(東電)!! 原発食え!!

つまりまあそうゆうことだ。fu.

(19:35)
トコ屋へ。トコ屋とはなぜ床屋と呼ぶのか? べつに床を売ってるわけじゃないのに。…
とこや【床屋】 江戸時代、男の髪を結う髪結いが床店(トコミセ)で仕事をしていたことから。
だそうな。だそうさ! で、トコミセって何? つうわけde再帰的検索。
とこみせ【床店・床見世】 商品を並べるだけの、人の寝泊まりしない簡単な店。または、移動できる小さな店。
だそうな。だそうさ! で、「店」ってもしかして「見世」からきたの?
みせ【店・見世】 「見せ棚」の略。商品を並べて売る所。商店。
ガーソ! ということだそうです。勉強になりやした。

ところでトコ屋だが、またきょうもチクチク地獄になって帰還した。 きょうのチクチクぶりは、かなりひどい。帰ってから着ている服をぬいで振ると、 バサバサと髪の毛が落ちるくらいにひどいのだ。 もすこしなんとかしてくれよ…。しかも、またもや短くされすぎた。 おいおい、オレはオタクなんだからそんなに健全な髪型にしないでくれよ、 と思うのだが、そういうのは先方には許されないらしく、 あまり短くしなくていいよと言っても結局バッサバッサと切られてしまう。 日本の床屋はそのへんの気概(??)を察してくれるというか、「ああこいつはオタクだな」と 思えばオタクっぽい雰囲気を残してくれるのだけど、 おかげでこっちへ来てからは床屋はふたつきに一回でよくなってしまった。 ちなみに Astor の床屋はやっているのはみんな移民だ。いつもスペイン語が聞こえる。

May 18 [Sun]


(03:50)
眠れないのでもうアタマきた。徹夜してやるぞ。(のつもり)

「幸せ」という単語のあやしさについて。

自分は今までずっと 「(誰かが意図的に) 幸せに『なる』」とか 「(誰かを) 幸せに『する』」という言い方をする人間が 信用できなかった。単に「誰かが幸せである」という言い方なら許せるのだが、 この単語を能動的な場面で使われるとどうしようもなくうさんくさくなる。それはなぜなのか? 今日なんとなく思いついたのだが、幸せというのは「気づく」たぐいのものであって、 なろうと思って「なる」ことはできないからじゃなかろうか。 (おかしなことに、この感覚はたとえ継続したものであっても、 ときどきしか認識できない。これは人間の特性なのか?)。 つまり自分が感じていたウソくささというのは、 この手の太字の“幸せ”を意識的につくりだそうとすることに 対してのウソくささだったんだろう。別にそういう感覚を欲しがる人がいてもいいとは思うが、 でもそれはいわゆる、新山が知っている「幸せな状態」とはまったく別物のような気がする。 あー、うまく言えないや…。

「Seek Ye First」を信じる人々の貪欲さが怖い。 いまに彼らは何もかも食ってしまうぞ。 探すのは具体的なモノだけにしとけと思う。

(04:50)
gegeっっ、もう明るくなってきたよ。
(11:05)
けっきょき寝てしまいました。
(13:27)
冷房が寒い。。。
(16:38)
なんとなく散歩してたらこんな時間になってしまーた。 きょうは久しぶりにブロードウェイをくだり、観光客がカメラやら紙袋やらを もって流れている (!) ところを泳ぐようにしてさかのぼった。 きょうの新山はすごく地味なシャツを着てるので、とても観光客には見えないが、 そのわりには手ぶらで仕事してるようにも見えず、それはそれでけっこう浮いていたような気がする。 SARS がこわいからチャイナタウンにはあまり行くなと言われているのだが、 Canal St. はあいかわらず人でごった返していた。そこを過ぎて シティ・ホールのあたりまで行くと人はまばらになる。 さらに進むと新山がニューヨークで クライスラー・ビルディングについで 2番目に好きなビルである Woolworth ビルディング の前を通る。そのあとさらに南下して脇道に入ったが、 このあたりは道がせまくて曲がりくねっているうえに まわりがみんな高いビルの谷間なので、いまどこを向いているんだかよくわからない。 そうこうしてるうちにウォール街に来ており、米国連邦準備銀行、 そしてニューヨーク証券取引所。ブロードウェイに戻ると WTC 跡地だ。 FRB の建物ってなんか威厳があってカッコいいよなー。 とりわけ古いわけでも高いわけでもないのだが、どっしりした印象を受ける。 となりの CHASE 本社は近代的なビカビカした建物だが、FRB の隣りだとどうにも安っぽい。 平日ならおそらくこのあたりはビジネスマンだらけのはずだが、きょうは日曜なのでどこも閑散としてた。 そのあとブルックリン橋のたもとの FDR 沿いをとおって、疲れたので帰りは地下鉄にのって帰ってくる。 こんなふうに名所をカタカナで書きまくるとまるでどこかの三文小説みたいだな、ワハ歯歯 (…ちなみにオレは「わははは」や「ワハハハ」という文字列はあまり好きではないが、 「ワハ歯歯」という文字列は好きだ。なぜならこの字をみると人は歯をむき出して 笑っているかのように連想するからだ)。しかし長野が恋しくなるばかりだのう。

正直なところ、歩きながら新山はある種の優越感を抱いていた。 これは認めなければならないと思う。その優越感というのは「みんなこんなところを さも楽しげに歩いてるけど、本当はみんななにひとつ知らないんだな… この中でそれを知っているのはオレぐらいのものだ…ふふふふふ」というものだった。 この選民思想が! しかし基本的に自分は都市をぜんぜん信用してないのだ。 実際のところ、どこに住んでも「住めば都」にはなるかもしれないが、 「住めば田舎」には決してならない。

さて、そのご地下鉄は Astor で降りたので、ついでに日本食を買った。 長ネギを袋からはみ出さしてブロードウェイを歩いていると 日本人としての誇りを感じるオレは変ですか? (そしてそのあと荷物を片手に持ってカードキーを使って大学に戻ってくると、 学生としての悲哀を感じるのだ。そこらを歩いている観光客の方々はこのあやしい緑状の棒をもって 大学に入っていく東洋人を見て何と思うだろうか) ちなみにきょうの夕食は、サンマさ。(←不自然な日本語的言い方) そういえばあのあたりまで来ると潮のにおいがしていた。ガード下でなにやら人だかりが できているのでのぞいてみると、絵描きが大音量でロックをかけながら“スプレーでペイント”画をしていた。 さてサンマが悪くならないうちに帰るのでらる。おまけにやっぱし冷房、さむいし。

ところで市庁舎のちかくの教会には "BEATI QVI AMBVLANT IN LEGE DOMINI" と書いてあった。 意味不明だが、意味もなく覚えこむ。じっさいにはこれは V → U でしょうね。 ラテンガー (ラテン語+'er)

(18:58)
書きすぎたが家に帰って米を研ぐ。 米の研ぎ方によってメシの味が変わるということを知ったのは大学のときだが (とくにおかゆを作ると違いが顕著になると思う、なぜならおかゆを食うときというのは たいてい米そのものしか食わないような状況が多いから)、 はたしていまの自分のやりかたが適切なのかどうかはなんともいえない。 ま、とにかく米を研いているときはしあわせだからいいのだ。 この「じゃきっ、じゃきっ」ていう音と感触がいいよね。 こういうことで喜んでいるとふと思うのだが、 自分は派手な料理を作れる人より、こういう米の研ぎ方を ちゃんと知っている人や、ダシがじょうずにとれる人や、うまそうな魚を スーパーで見分けられる人のほうを尊敬する。 何事も基本を知らない奴はろくなものではない、といつも自分に言いきかせている。 それは研究でもおなじだ。

そうこうしていると Owen が「洗面所から水モレしている」とさわぎだす。 またか。まったく水まわりはこの国はまったくアテにならないことが多い。 これも原因のひとつだ。(何が?)

(20:25)
きょうのごはん(=米)は失敗だった。なんか鉱物くさい。 水の状態がよくなかったようなきがする。 まあサンマはうめかったからいいけど。

ところで新山は個人的に一生たばこを吸わずに死ぬつもりだが、 べつに吸っている人間が近くにいてもたいしてヤダとは思わないのだが、 それにしても健康ゾウシン法ってこえーな、ひびきが。 「ゾウシン」ってところがもうめちゃくちゃ怖いよ。 どうしても「ゾウムシ」とか「ゾウリムシ」とか「ゾウシン会」を思い出してしまう。 雑炊とか増刷は追もい出さない そんなことより自分としてはタバコの 匂いよりもシャンプーつけすぎの若者臭気やオバチャンの化粧の匂いやオッサンの酒臭さや ある種の人々の知ったかぶりトークのほうがはるかに健康に悪いと思うのですが、 ああいう人々は分煙してもらえないんでしょうか? 減圧室に隔離でもいいです。

May 17 [Sat]


(17:12)
「永遠」とは、2〜3年という意味である。

しゃ断機、しゃ断、ゃし断

(18:56)
いま日本国内ではきっと某医師に対する「大規模えんがちょ」が起こっているのだろう…
(20:25)
この部屋は呪われているんだ、きっとそうだ。
(21:53)
かーーーんーー・・・。

(ナレーション)

“響く低きわたる時計の世界からきたその音は、階段を降りる客たちの脚音にしのびより果てしなく愁いを催す。”

こっつ、こっつ、(隠れている何かそれらしき物音)

とってんかーーーーーn

→→→→→→→→→→→→→→→トンカチと星☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
ジャランジャランジャラジャラン

おや。たれかきたみただよ。
「Aye, Aye... Dost thou congramme splout it for ever, dostn't ye?」

「ええ、みなさま、もうしばらくお時間を−」
しかしそのとき、すでに連中は市長をひと目見ようとじりじりにじり寄ってき、 口々に微分方程式を泣きわめくので、おもわず崖はわたしをつき落とされた。

まもなく汐が満ちてきて、このへん一帯はもはや足のふみ場もなくなるほど 憂鬱になるので、わたしはライオンをさがす旅にでかけた。

それはこういうわけである。あるとき、眠気 (ネムケ) が 「まったくせわのやけるやつだ、おい、ライオンはどこにいる?」と 言ったので、おもわず私はおっこち、前置2習慣の怪我。あういは故障。

「これ、故障してますよ」
とその馬はさもうれしそうに言うので、わたしは順接した。 あるいは、応接間。

何事にも間が必要だ。夜が明けなくても朝はくる。

(22:32)
「では、その後世界はどうなってしまうのですか!??」
「よいかな博士…世界の発展は大きく分けて 4種類じゃ!!」
「博士はあなたですよ」
「おおそうか、まあそれはおいておくとして、世界の発展には大きく分けて 4段階ある!」
「聞いてませんよ。」
「まず最初の段階は『り』じゃ。」
「そしてそれにひねりが加わる。するとこうなる。」
「これは何ですか? 『み』ですか? それとも『の』? 『よ』?」
「『З』じゃ。数字の『3』ではないぞ。ロシヤ文字の『Z』じゃ」
「これにさらにひねるが加わると、こうなる」
「これは『ゆ』じゃ。だが話はここで終わりではないぞ。まださらにもう一段階あるのじゃ! 世界は4次元じゃからな」
「これが完成形じゃ。読め」
「読めねーよ」
「(無視して) まあそういうわけじゃ、博士。」
「だからオレはハカセじゃねーって」
「そういえば『ハカセ太郎』って『キャベツ太郎』に似ているとは思わないかい??」
「思わねーよ」
「いや、思う、思うよ普通、だろ?」
「うんそう思う」
「ひとり芝居すんな」
「オレじゃねーよ」
「オレじゃねー!!!」
「誰のせいだ? こうなったのは。」
「こいつ。俺。(←)」
「じゃあだったらオレだった (爆)」
「(爆)」
「(暴)」
「(恭)」
「じつはそれちがうよ。」
「句読点をカギカッコの前に突けるんじゃねえ、常識だろが」
「だったらあんたはいいのかい? 世界漢字憲章」
「ガーンガーン!」
「なにそれ?」
「擬音。」

おもわず、自分のどうしようもなさにア然とする新山がそこにいた。

May 16 [Fri]


(09:34)
また寝坊。きょうは夢の中でも実験のアルゴリズム高速化について考え、 デバッグもし、ついでに計算機で走らせて「あれ、バグじゃん」といっていた。 実際の計算機がなくてもバグがわかるんならコンピュータいらないじゃん…。
(11:51)
camera-ready原稿の締め切りがまたもやあんな日程で、 まったくオレはつくづくノドモトが好きというか、 逆にノドモトから好かれているという感じ。どうにかなんない。
(21:18)
Other Music にいってみたが、 何を買ったらよいのかわからず、そのまま帰ってきた。 "An unparalleled selection of underground and experimental CD's, LP's, imports and out-of-print rarities." と書いてあるところを見ると、そういうものなんだろう。 「In」「Out」「Then」「Electronica」というヘンテコなジャンル分けをしているところを 見るとかなりのこだわりがあるようだが、新山にはわからない。また暇があるときにじっくり見てみよう。
(22:28)
デンシャ。

デジャう゛。

…にきょうは乗っているとき、気づいてしまった、ふと、デンシャに。(構文ぐちゃぐちゃ)

オレの腕ってのはほんとに細いことを。

前から他人よりはやせていると思っていた。 日本にいたときにはまわりもガリなのが多かったのであまり気にしていなかったのだが、 こっちにくるとひしひしとその細さを感じる。ひとしお。電車でつり皮につかまっていると、 まるでいまにもポキっと折れるんじゃないかと思うくらいだ。まわりの人もたぶんそう思っているだろう。 なんしろ新山の腕ハ同一車両中ノ誰ヨリモ (女性ふくむ) 細イノダカラ…。

まあ、いまさら鍛えてももう筋肉がつくことはないと思うのであきらめているのだが、 それでもときどき恐怖的妄想におびえるときがある。しかしそれはある意味、自業自得だ。 むしろオレはそれを望んでいるのではないか…? いや、それはさすがに不健康すぎる。でも、

(01:11)
疑いは、その罪の度合いに応じて迷路の配分が決められる。
(01:38)
いろいろな制約。これあメモですよ。 で、オレはいつまで日本にいるつもりなんだろう…
  1. 6月中旬あたりから行き ACL が終わったら帰ってくる
  2. ACL が終わったらすぐ帰って 8月にまた行く (あまり意味ない)
  3. 8月初旬あたりで帰る (NY 暑くて地獄)
  4. ぎりぎりまでねばる (そんなに長く日本にいてもヤルコトない)
  5. 長期滞在しない (泣きます)

てゆうか欧州旅行はどう考えても日程的にムリじゃないか?

May 15 [Thu]


(08:34)
きょうはまともな時間におきたぞー。 でもなにやら落ちこむ内容の夢だった。夢の中では Washington Sq. に桜が満開に咲いていたが、なんかスケールがおかしかった。 現実よりやけにひろいのだ。それにあんな桜並木もない。 しかも桜はなんか梅のような濃い色をしていた。

新山はいつもみんながあるひとつのことに熱中しているときに それとは別のことをやるという性質がある。あまのじゃく。 夢の中でもその性格が如実にあらわれていた。でもいい。 本当に落ちこむ理由はそれじゃないんだけどね…。

どうでもいいけど夢の中でも実験について考えていた。 きのうの夜中にスクリプトを走らせておいたためである。 が、いま見てみたら途中でエラー止まってて (「えらーどまる」:【動詞】 エラーで止まること)、 がっかり。

自分の中で、どうしても認めたくないことがあるのだと思う。 この何年間かのあいだ…。まったく、クールじゃないなあ、と思うのだが、 そういうクールさはオレの目指すところではない。

ところで今朝みのるから「重大発表」と書いてあるメールがきたので、 ついにキターーーーーーーーー!! か? と思って開けてみたら、 「29歳になりました。」とだけ書かれてあった。

そりゃたしかに重大だ。おめでとう。 だいたい 29歳といえば平安時代のあたりではもうすでに平均寿命に近かっただろうからな(←適当)。 平均にさからえ。世の中はそんなに簡単ではないのだ…

(…と平均的人間をめざす新山祐介がお送りします)

(10:10)
だが、自分はそのようには絶対に言わない。 それは負けを認めるのが怖いわけではなく、むしろ

なあ、いつ誰が自分の性格を決めたんだい? そんなものは最初から未定義のままだ。最初から

(10:44)
受理されたようです。これで札幌にいける。
(19:50)
きょうはわき目もるふぁず (←「ふらず」と打とうとしてミスった、残しておく)、プログラミ

んグをしていたために何も書くことはなカッタ。 途中ちょっとお昼買いに出かけて銀行よっただけ。 ルーチン化してるなあ、よくない。きのう教えてもらったレコード屋には 行けなかった。歩いて1分43秒ぐらいの位置にあるのに、である。 人もうらやむダイトカイの生活、と人は思うだろうが、いまだにメポビ (メトロポリタン美術館を勝手に「日本の若者風」に略して呼んでミタ) すら行ったことがないというこのちぐはぐ性。でも 「いつでも行けるけど行かないよ〜ん」という状態はかなり 人をバカにしたかんじで気に入っているのだ。 というか、だいたいふだん旅行したときにも観光名所とかって ぜんぜん行かないんだよ…。

さすがにこんな略語をキーボードで打ちこむ馬鹿はオレ一人だけだったといえる。

(20:09)
それにしても、やはりオレはおシリに火がつかないとやんない性格らしい。 そして一度火がつくと進むのは速いのである。だったらいつも爆発してればいいのだが、 そうすると焼死しそうだからやめてほしい (笑止)。 今回も「いい加減そろそろやんねーと単位やらんぞごらあ」と言われて いざ意を決してはじめてみたら、わりとあっさり終わった。 これは新山がすごいのか Python + cdb がすごいのかわからんが、 結構複雑そうなコードでも書きはじめてみるとそんなに複雑ではなかったりして (当然その逆もしょっちゅうあるのだが)、そゆこと。

しかしいま新山のマシンでは 250MBytes ぐらいの Python プロセスが 何時間もずっと走っている (nice値は 10)。こいつはメモリ 512MB しか のっけてないので、これ以上 Py君が拡大してくるとやばい。 swap しだすと目も当てられないほど遅くなるからな、勘弁してほしいよ。 それにしてもいろいろなコードを付けたしていったら 1回の iteration に 1時間以上かかるようになってしまった。明日の朝までにまともな結果が 出ているといいのだが…途中で止まったら泣くぞ。呪うぞ。 ところで「呪うぞ」って「野風僧」に煮ていると思うのですが、 小さいころオレはこの単語をなんだかトンでもないものに聞き間違えていたような気がします。

(00:38)
…うーむ、まだ遅い。いまだに 3回しか iteration が終わってない。 まだ (プログラムを) 書き直す必要があるのかな。 しかしメモリ使用量は 250 前後で安定している。 明日じゅうにはまともに完成させよう。

そういやあきょうはあまりにも呆けていたんで書き忘れたのだが、 9st. 駅で電車を一本とり逃がした。間に合わなかったのではなく、 つっ立ってる目の前でドアが開いていたのに気づかなかったのである。 これはすごいよ。自分でもビックリだ。電車で「乗りすごす」ってのは よくある話だけど、その反対はよほどのバカでないとまず起こりそうにない。 しかし、オレの場合は起こった。ちなみにこれは生涯で 2度目である。 1度目は忘れもしない大学1年のとき、大岡山駅で 教習所の予定表をみながら「あー教習やりたくないなー…」と思っていたら、 気づいたら電車がそこに「いて」、もうドアが閉まった後だった、というもの。 きょうは実験についてずっと考えていて、目の前に電車がきたのはなんとなく 意識していたのだがオレはそれをろくに見もせずに Hoboken 行きだと思っていた… でもドアが閉まったとき表示を見たらしっかり「JSQ」って書いてあるじゃん!! もう笑ったよあれは! 笑うしかない! これは「乗らなすごす」とでもいうのか。 全日本 absentminded 大賞というのがあればオレは応募するぞ。まったく。

ああそうだ。ちなみに新山は大学時代に「長野駅で東京行きかと思ってとび乗ったら名古屋行きでした」 現象も経験したことがある (そーゆーのは現象とは呼ばない、このバカ)。 しかも特急。松本まで停まらず。もーあれが車掌にバレたときはマジで死にたくなったね。 しかし松本まで行ったんだからそっからあずさに乗りかえりゃいいのに、なぜか意地で 長野まで (鈍行で) 戻って東京行きの特急に乗り直したという非常にアホなことをやっていた。 まあ学生ですから。むかしも今も (←泣)。

誕生日とかどうでもいい記念日よりも、 「自分が生涯で最もマヌケだった日」とかを記念したほうがおもしろいのではないか。

(01:04)
5月14日の Snoopy は、かなりかわいい。 とくにこの "sometimes" のコマの目つきとか、すげー好きだ。 しかしさいきん知ったんだけどこいつ結構キツい奴なのね。 5月16日の回では、チャーリーブラウンを前にして 「無能に所有されることとはどういう気分か」などという記事を書いている…

May 14 [Wed]


(12:10)
また夜更しするのがいやでメラトニンを飲んだため、眠すぎて何度も起きて何度も 二度寝、三度寝した。ううう、寝すぎだ。

そしていくつか夢をみた。

なにか神保町あたりの古びれた古本屋みたいなところにいるのだが、 そこはなぜかニューヨークで、しかも本屋じゃなくてパーツ屋なのだった。 店主は黒人のおばちゃんで、客も外人が多かった。 可変抵抗とトランジスタを買おうとしたが、「可変抵抗」ってのがうまく 英語で言えず、黒人のおばちゃんに「ハア?」と言われる (あとで調べてみたら "variable resistor" であってるじゃんかよ、 夢の中の新山は自信がなかったのね…と思ったら「resistor」と 発音すべきところを、「resistor」と発音していた、 これだと "register (登録する)" と同じイントネーションになってしまう。 でもだいたいわかると思うけどなあ…)。 そのあともうだうだ説明していたら「ああ、バリオームね」と (英語で) 言われたが、 「バリオーム」ってどう考えても日本製の略語だと思うんですけど…。 まあいい。そしておまけにトランジスタはなんだかへんな銀色に光る立方体で、 4本足だった。ヘンなの。そのあと店の奧のほうへいってみたら、 そこは日本の安アパートでよく見かけるような古い台所 (いまは倉庫として使われている) になっており、そこには在庫のダンボール箱が置いてあって、なぜか割烹着を着た 日本人のおばちゃんが在庫管理をしているのだった。 「じゃまだからあっちいって!」と言われたが、そこにころがってた 古い洗剤 (名前忘れたが、とにかく今じゃみかけないブランドだ) の空容器や、 広告がプリントされたせっけん入れ (これもすごく古い名前、でも忘れた) を見て すごくなつかしくなり、そこにいたおばちゃんとしばらく世間話をした。 「出身はどこ?」「長野です」…そのうち目がさめた。

起きてから、こーゆー夢を見るということは、 やっぱり自分は内心とても日本に帰りたがっているんだろうなあ、と思った。 むかし千葉に住んでいたころ、やはり夢で「アパート (そのとき住んでた) の 近くにある細いけもの道をしばらく歩いていくと、いつのまにか長野の実家の庭に出てしまう」 という夢を何度も見たことがある。これほどまでに自分の中で原風景の束縛が強いというのは、 おどろきだ。まあ、そういう人生もまたいいだろうよ。

しかし、長野から出て東京に下宿すると長野(と親)のありがたみがよくわかり、 日本から出ると今度は日本のありがたみがよくわかる。なんか逆行的だけれど、 「気づく」プロセスというのはこういうものなんだろうと思う。 結局、(気の毒な)人は自分の生まれた土地が一番だと気づくのに、宇宙の果てまでも 行かないと気がすまない、ということだろうか。それでも「山のあなたの空遠く…」と 思っていられる人ってスゴイよ。オレはもうそういう「新天地」が世の中にあるとは思わなくなった。 これをカッコよく変換すると、もうメイフラワー号には乗れない。 もっと脱線的に変換すると、灯台もと暗黒。もっともっと変換すると、クェーカー教徒 (←さすがにここまでくると意味不明)。 このようにして自分の故郷を肯定していくのは勝利であるのか、敗北であるのかよくわからんが、 どっちでもいいや。

そういやー受験生のときはまだ「特急あさま」で上野駅着だったしなあ… (遠い目)。 東京に来るとそれはそれはキンチョーしたもんだ。

それにしても、こっちには秋葉原みたいなパーツ屋ってあるんだっけ。 こっちの研究所などではちょっとした電子工作をするときに 人は材料をどこで揃えてくるのだろう…。

(追記: ある方からのメールによると通販だそうです)

(14:28)
明日は commemcement (卒業式) らしく、Washington Sq. のまわりに NYPD の柵が準備されてる。あしたもきょうと同じような天気であれば、 いい卒業式びよりになるだろうよ。新緑の中で卒業式が行われるというのは なんだか示唆的だな。

で、大学の中通りに "GRAD ALLEY" なるモノができている。 いつもの NYU 色のデカデカ風船アーチが設置され、出店集合ってかんじ。 ありゃなんだ?

(16:28)
最近お気にいりのモヅュールはじつは python-cdb である。 これはイイヨー。なんたって速い! ゲキハヤ! 新山の研究ではあらかじめ計算した 大量のデータをランダムに取り出したりすることが多いので、そういう用途なら gdbm なんかより圧倒的に速いのだ。それにデータベースのサイズもほぼ オリジナルのデータと同じくらい小さい。

どれくらい速いか簡単に比較してみよう。まず適当な乱数をつかって、 cdb, gdbm それぞれのデータベースをつくる。レコード数はそれぞれ 10万件:

#!/usr/bin/env python
import cdb, gdbm, random

d1=cdb.cdbmake("spam.cdb", "spam.cdb.tmp")
for i in xrange(100000):
  d1.add(str(i), str(random.random()))
d1.finish()

d2=gdbm.open("spam.gdbm", "n")
for i in xrange(100000):
  d2[str(i)] = str(random.random())
d2.close()

つぎに各データベース用のテストプログラムを書いて time で走らせる:

cdb用:

# dbmtest-cdb.py
import cdb, gdbm, random

d1=cdb.init("spam.cdb")
for i in xrange(100000):
  x = d1[str(i)]

gdbm用:

# dbmtest-gdbm.py
import cdb, gdbm, random

d1=gdbm.open("spam.gdbm","r")
for i in xrange(100000):
  x = d1[str(i)]

で、その結果。

yu@gr/grape/yusuke/lab1[5695]$ ll spam.*
-rw-r--r--    1 yusuke    4290921 May 14 16:37 spam.cdb
-rw-r--r--    1 yusuke    7766016 May 14 16:37 spam.gdbm
yu@gr/grape/yusuke/lab1[5696]$ time ./dbmtest-cdb.py

real    0m0.348s
user    0m0.340s
sys     0m0.010s
yu@gr/grape/yusuke/lab1[5697]$ time ./dbmtest-gdbm.py

real    0m1.583s
user    0m0.820s
sys     0m0.760s

データ量でいえばほぼ 4割減、スピードでは 4倍近くの差がある。 これを使わない理由なんてあるか。いや、ない。

(00:10)
言葉はハンカチみたいなもの。

…なのかもしれないと、きょう思った。オレにとっては。 それは思考の中心を意味しない。むしろそれは道具。 それも、ささいな道具のようなものだ。それは机の上に ひろげてみれる。折りたたんだりまるめて口の中に入れたりして遊ぶことができる。 愛着がわく。鼻をかみ、手をふき、ときには涙をぬぐう道具として。 でもいつも清潔にするよう心がけること。  [類推を広げすぎないよう注意せよ]  それは…人に向かって振ってみたりすることができる。 誰かに渡してあげることもできる。たいていの人は 新山のハンカチなど汚なくってさわろうとはしないけど、 ときどきちょっとつまんでひっぱってみる人もいる。

[ ... 類推を広げすぎました! 3日後に天罰!! ... ]

じゃあパジャマでもいいよ。どっちらかっていうとパジャマのほうが愛着があっていい。 でもそれよりおふとんのほうがもっと愛着がある。 いま使っている羽毛ぶとんは高校のころからのものだ。 下宿したときに東京へ持っていき、アメリカに来てからは しばらくなしですごしたのだが、「やっぱしアレじゃないとダメだ」と思って わざわざ送ってもらった。ライナスの「セキュリティ毛布」。 つうよか、こっちの「シーツに身体をはさんで毛布をかけて寝る」というのが いまいちなじめなかったというのが本当の理由。

こいつは新山の感情的なひとりごと (というか、言葉になっていないときもある) をおよそほとんど聞いていると思われる。 ヤバいよ。こいつに暴露されたらオレはもう生きていけない。

話は戻るが、オレは自分の言葉に異様に愛着を感じているにもかかわらず、 ある根本的な部分で本当は別のものを信用しているように見える。 言葉と心中することはできない。だから逆に言葉をたんなる 文字列としていじっていられるのかもしれない。 本当に言葉を大事にする人は自然言語処理なんかおそらくやっていられないだろう…。

自分に人から共感される資格なんてあるだろうか。 しかしたとえ資格がないにせよ、自分の本質的な感覚を変えることはもういまさら不可能だ。 きっとあるところに「しあわせの certificate」があって…。

誰も気づかないところに(確率的に)落ちている。
それは、量子力学的にみれば存在しないのと同じ。

(01:39)
あ、マクラには (なぜか) ぜんぜんこだわりません。

May 13 [Tue]


(19:01)
電車の中で、車掌の鍵束についてる鎖がゆれるのを見ていた。ふらふらと。

人工物であるために、それはいっそう感情的に見える。

(21:54)
というか、たべすぎ。
ねっと。

いや、マジで。たべすぎ。
ねっと。

「ねっと」て 言! う! な!!!!!

それにしても、自分で言うのもなんだが、このドメイそ名はひどく気に入っている (もはや「ソ」をひらがなで書くというところがミソだ、明らかに…つめり、もう、やる木なしと)。

あいかわらずなんで「たべすぎ」なのかちっとも定かではないのだが、 「あまり深く考えてなさそうなところ」がいい。 自分がふだん使いもしない言葉を使うとイヤミったらしく見えるし、 といってあんまり長いやつ (ousamanomimiharobanomimi.com など) は入力するのが 大変だし、このくらいがちょうどいいと思う。自画自賛。

[オモシロミ] という単語がなぜか好きだ (カタカナで)。 「ミ」で終わるところがなんとなくいいらしいが、 ひらがなで「おもしろみ」と書いてしまうと雰囲気が失せる。 たぶん「シロミ」の部分が気に入ってるんだろうな、と思う。 なにか、こう、なにかが左からジョロっとそそがれて、 右側にトロっとたれてる (何が??) かんじじゃないですか。 …なぜだ!

(22:21)
- 両手がふさがっているときのクシャミ。

オレはそれを枯れ木のように嫌悪する。

- 片手がふさがっているときのクシャミ。

オレはそれを干し草のように嫌悪する。

- どっちもふさがってないときのふつうのクシャミ。

とにかく嫌いだ。

(02:49)
どうしてオレはこんなに気むずかしいのだろう。このうそつきめ。 というか、そんなことをここに書くはずじゃなかったのだが、じつは書くこと忘れた。
なんだっけ?

そうそう、なんでオレはこうも思考がとろいのかとゆうことだ。 これじゃ長生きしちまうじゃないか! …あーもうねむいや。

May 12 [Mon]


(10:49)
親からメイルがきて、「どうだい調子は? あいかわらずうちらはテンション高いぞワッハハハ!、 おマエもテンション上げて試験をのりきれ!!!」みたいなことが書かれてあった。 …試験はもう終わったよ母ちゃん…。

実際には、新山は父と母のことを 「ちち」「はは」と呼んでいるのだが (これは昔からのとりきめである -- 新山がかなり小さい頃、うちの母は父のことを「旦那さん」と呼んでいたのだが、 ある日息子のオレまでもが公衆の面前で父に向かって 「旦那さん! 旦那さん!」などと叫ぶようになり、 これはヤバイ、ということで呼称を変更したらしい、オレはよく覚えてないけど)、 でもうちの親同士までもがお互いに「ちち」「はは」と呼び合っているのはヘンだとおもう。 変態家族。アンタらは妻と夫だろ! だが、オレはなぜか他人の前で「うちのははがいつもお世話に…」などと言うのは なぜかなぜか気恥づかしく、「うちのオフクロがいつもお世話に…」と 自動変換してしまう。「はは」のほうがずっとフォーマルな言い方だと思うんだけど、 なぜだか (日常的に使っているからというだけの理由で) それを使うのは 礼儀正しくない、と考えてしまうらしい。おかしな現象。

ちなみにうちの親はまだ 56k モデムを使っている。はやく DSL にしてあげたい。 しかしヘタに接続環境をよくするとなんかおかしなことに手を出しそうでこわい。 そういえばまえにいちど親から 「“新山祐介”で検索してみたらなんかヘンなページがひっかかったんだけど アンタなんか心当りある?」と聞かれたので「いや、たぶん同姓同名か何かでしょ」 とゴマかしておいた。が、ひじょーーーに苦しい言い訳だ。アホかおれは。

(12:06)
ヂスペンサーなおった

山本山 下からよんでも アマヨトママィ (AMAYOTOMAMAY)

(13:45)
トボけるのが上手い (じょうずい) 人って損敬します。損敬!
(17:50)
実験用のスクリプトを走らせて、外へ出る。 broadway沿にはキョー風がふいており、行くときは後から押してもらえるので楽だが帰りは地獄。 strandbook へいくがなんだかみょうにネムくてほとんど見ずに帰ってきてしまった。

そして帰ってきたら、もうすでに帰られた後だった。やられたし

(23:16)
ふえーーー。久しぶりにすげー頭つかった。 プログラミングでこんなにパズル的に頭を使うことはほとんどない。
(02:29)
つまり思うわけ。だ。人の評価というものはそいつが 予想外の出来事に会ったときにいかに優雅にふるまえるかにかかっている。

「どひゃー」とか「どしぇー」とかいうを実際に出す奴は入間失格! つまり入間市に住む資格はないということ! もう寝たい。 でも毎日のよふかし (夜更しと漢字では書くそうな、でも「よざらし」ではない、 そう読むと生血をするわれるぞ注意!) のせいでもうウデウデに…。

そんなこんなであんなです。うん、結索 (けっさく、けっかく)。

ふと世の中は F = -GmM/r2 に支配されてるということに思い出した。 あるいは ma = F だ。F = ma ではないことに注意。なぜならなぜだから! = != ==? 知らんよ

(02:55)
てくるで(ところで)、よのなか的には「なくて七くせ」などと言ひますが、 自分的にはプログラムな作法でついたおかしな癖がいくつもあるわけで… えーとえーと、なんだ、6つしかないじゃん。なんだ。

May 11 [Sun]


(03:53)
あれ? そういえばフジイさんっていつのまに図情大 (一発変換した…!) から ツクバ大に移ったのですカ? …と思ったら、合併 (というより吸収) したんだっけか、これらは。

まだ夜 10時すぎまえです。はやいですね。

(04:34)
はー。きょうはいちにちじゅう texparse.py でひっかかってた。 (小指が疲れるとかんじへんかんをさぼる、skkユーザの特徴)

ようやく動くようになったのだが、実はなんで動くのかようわからんという、 実にアレな状態になっております。明日もうちょいテストして、 コメントをきちんとつけることにしよう。もうねる。おやすみ

(11:18)
げっっ。もう 5時すぎだ。(まだしぶとく時計逆さ生活を続けている、バレバレなのだが)
(22:19)
Owen が豚の足 (猪脚, ju-jiao) を煮てくれたので、白米とともにいただく。ウマかった。 これぞ中華っちゅう感じka。台湾の屋台事情についていろいろしゃべる。

台湾の屋台はもともと神社の参拝客向けに始まったもので、その後一般化して全国に広まり、 いまでも台北などには屋台があつまる有名な神社がいくつかあるという。
「日本ではヤタイはメジャーじゃないのか?」
「さあ、東京ではあまりメジャーじゃないね。こんな (「チャルメラ」の袋を持ってきて見せる) 屋台は一部にはあるけど、 そもそも屋台に食いに行くという習慣があまりないんだよ、 博多あたりではメジャーなのかもしれないけど」

屋台はいまでも手軽な外食産業として台湾ではどこでも非常にポピュラーであるそう。 日本じゃもう手軽な外食産業つったら「吉野屋」とかになっちゃってるもんなあ。 新山は台湾には行ったことがないが、いつかは行ってみたいもんです。今はやばそうだけど。

ちなみに「屋台」を和英辞書で引いてみると、 street stall とか booth, stand と書いてある。 ああ、street って使えば雰囲気出そうだな。

(00:03)
つまり、気分は浪人してたころと何も変わっていない、オレは。
たぶん

そういうことが疲れたという人は

何がそうさせるかというと、それでも

(01:53)
早く寝なくちゃ。早く寝なく
ちゃ。早く寝なくちゃ。早く寝な
くちゃ。早く寝なくちゃ。早く寝
なくちゃ。早く寝なくちゃ。早く寝
ゃ。早く寝。早<寝。早<侵.

旅は満ちずれってね。

はいはい正直にお答えします今日は一般的な世紀表現パターンマッチングライブラリ (文字列ではない、一般的なシーケンス構造) をつくってました。 yield を使うとなんかバックトラックな部分が 美しく書けそうなのでこれに挑戦してみるつもり。 しかしこういうときはやっぱ再帰呼び出しっていいよな。(意味不明独り言)

…ところで今すごいことを発見(はっけそ)したああ!
html-helper-mode で C-c SPC と入力すると   が、 C-c > と入力すると > などが、それぞれ、入力さるる!!!

5年以上このモードを使ってていままで気づきませんでいた。

話は戻るが、この手のライブラリ (一般的な世紀表現パターン認識器とか、 自分の出所を記憶する文字列とか) って絶対だれかが作ってると思うんだけど、 車輪の再発明ってことはなんとなくわかるんだけど、 こういう特殊な用途のコードってどうやって捜しゃいいのよ。 そもそも機能を自然言語で記述するとふくざつだし、かといって Google で "python string origin preserves" とか 検索して出てくるほど世の中あまくないし、たとえ運よく見つけたとしても そのまま自分のコードに使えるかどうかわかんないし。ぶつくさ。

思うに「あるライブラリが使いものになるかどうか」は、 そのインタフェイスのイニシアチブがどちらにあるかがかなり重要だと思う。これは慎重な設計を要する。 たとえば sgmllib はつねにライブラリの呼び出し側にデータを feed させるようになっている (ユーザに制御の initiative がある) が、これがもしライブラリの関数側が 勝手にファイルを read してくような制御構造 (ライブラリに制御の initiative がある) だったら かなり使い勝手が違ったろう。いつでも user-initiative のほうが設計がむずかしい。 ほとんどどんなアプリケーションでもそうだ。system-initiative なインタフェイスなら、 制御されるのはユーザのほうだからシステムにとっては楽だ (つまり John Bentley だか誰だかがいった 「コンピュータの立場から見るとユーザはたんなる入出力装置のひとつにすぎない」という 格言がもろに適用されるわけだ)。でも user-initiative はそうはいかない。 その結果、場合分けがめちゃ多くなる (たいていの CUIアプリはコントロールが system-initiative でユーザは自由な行動ができないのに、GUIアプリは一般的に user-inititative だ、GUI アプリを組むときにイベント駆動なんかを考えないと やっていけないのはそういう理由だからで、見た目の「グラフィカル性」は じつはあまり難易度に関係ない)。 これはもうちょい真剣に考えるべき問題だけど今はねむいのでまた。

引退顔 (インタイフェイス)。死んできますさよなr。


Yusuke Shinyama