ところでてくるで、日本は 3月中旬には花粉症の季節だということを忘れていた~! (新山は NY では 3月は花粉症にかからない) 大丈夫かな、こりゃ。そんなことよりさっさと論文あげろよお前。
週末に二日かけて生成した 2G強のインデックスファイルができていた。ふうー!
yu@gr/grape/yusuke/EQA_DATA[47485]$ ll */*.pats.tcdb -rw-r--r-- 1 yusuke 727816374 Feb 25 06:47 latwp.95/latwp.95.pats.tcdb -rw-r--r-- 1 yusuke 2360962408 Mar 1 03:13 nyt.95/nyt.95.pats.tcdb -rw-r--r-- 1 yusuke 974898614 Feb 26 15:28 reute.95/reute.95.pats.tcdb
ちなみに tcdb とゆーのは cdb を階層化して木構造を格納できるようにしたものである。
turkish dijon salad wrap を買ったら、酢を使いすぎてて激マズ。 とくにオレはあの赤いホシガキみたいなやつ (何て言うのか知らない) が好きじゃないのだ。
(exponential がなんだかわかんない人はドラエモンに出てくる「バイバイン」を想像してくださi)
(あるいは利率 100% の複利でもいいでs)
それにしてもブラインドのヒモできみは火傷のできることをきみは知りている
か???
新山は、30近くなって、周囲の人間はみんな結婚しだし、自分も将来の職を 考えなきゃならなくなってきたので、この教授のいうことは一理あると思う。 しかし自分は「役に立つソフトウエアを書かない (書けない)」傾向があるよーなので、 自分が将来にわたってもなにかで儲かるとは思えないし、…
いいや。またあとで書こう。(書けたら)
でも別にウイルスとか作ってるわけじゃありませんからね。
きわめて罪のない、人をバカにしたプログラムなんです。
静かになったので、高揚した気分はふっとび、窓から ESB のイタリア三原色 (白、赤、緑) が見える。 夕暮れ時はやつもなかなかきれいだ。きょうはよい天気で一日窓をあけていたので、そろそろしめよう。
なぜか freetype-2.1.7
をインストールする。。。
ur"ふぐ"
はいいのに ru"ふぐ"
はだめなのな。
Python はウルグアイがすきでロシアは嫌いとみた。
しかし ur はウラルかもしれん。ウラニウムかもしれん。ウルドゥー語かもしらんよ??
そんなこといったら ru だってルーマニアかもしれんしー
あっわかった。Ru(略)だ。納得
にほんに帰ったときやることTODO追加: 歯医者の検診
(とくに意味はないのだが、5本目の親不知らずが生えてきたらイヤなので)
ぬむいの!
…そいつぁー、すげーや。(以下同文!!i!)
いやあ、あなたのことじゃありません (何かを聞かなかったことにしているよ表情, 同情)
世の中には、他人とのかかわりを「質より量」でとらえる人と、 「量より質」でとらえる人の 2種類がいる (漢字が似ていてわかりにくいな)。 こう考えると、新山が「なーんか、合わない人」とそうでない人の違いがうまく説明できるような気がしたのだ。 これらはもしかすると「オープンな人」「クローズドな人」というふうに 呼ばれているかもしれない。べつにこれらは必ずしも友達が沢山いるか少ないで 判断できるわけではないのだが (といっても、たいていは相関していると思う、 もっとも両者の「友人」の定義もだいぶ違うだろうけど)、基本的に両者のちがいは ある人間とのかかわりを「代替がきくもの (そいつがいなくなっても、 ほかの人間でその場所を埋め合わせられる)」と考えるかどうかによる。 新山の性格は圧倒的に「量より質」の傾向があるので、オレにとっては人間関係は 基本的にとり替えがきかないものとして扱われる。つまりある人間と 仲たがいしたとしたら、その「空白」は死ぬまで残る。これはべつに根に持つとか 死ぬまで後悔するとかそういうのではなくて、とにかく他の人間と仲良くなったとして そいつと仲たがいしたことが取り消されるわけではないと思うのね。 新山にとっては「その場所」という概念自体がなく、 もしあったとしてもその場所はつねに一意に決定され、いちどそこが空席になったら もう埋まることは絶対にないのだ。
ところが世の中にはこれと逆のことを何の抵抗もなくやっていると思われる人々がいる。 新山のような人間からみると、こういう逆の性質をもつ「質より量」タイプの人間は理解しがたい。 「量より質」の人間は、まあ、たとえ気に入らないやつはいるとしても、 そいつとはきっと、状況が違っていたら仲良くなれたかもな、と思うことはある。 しかし「質より量」の人間はまったくわからん。新山にとっては そういう人とは人間関係そのものが成立しないように思えるのだが、 それでも、そういう人々は多くの知人に囲まれているように見え (そいつが独りのときに 本当はどんな顔でいるのかは知るすべもない)、そいつらと仲良くなれる人間も いっぱいいるらしいことはわかるのだが、オレはだめだね。これは「性格いい人」とか 「性格の悪い人」というのとはまったく別だ。性格がよくて周囲からも人気のある 「質より量」タイプの人間は実際に知っているが、新山はどんな状況においてもそいつを 理解することはできないだろうと思う。そして、この 2つのタイプは割合が半々では ないのかもしれないということ。ここでもオレはマイノリティなのかもしれん。 まあいいけどね…。しかしこの違いは一体なぜ生じるのだろうか?
べつに誰かとケンカしたわけではないよ。ただ今日ふと気づいたのだ。
そういえば OpenSSH 翻訳をやるときに、山形さんが「日本でも翻訳プロジェクトがあるらしいが、 句読点のつけ方とかどーでもいいこと議論してて肝心の翻訳が進んでない」といってたのを思いだした。 そういうのホントに多いんだよな日本人は。なにが本質的に重要で、なにが重要でないかの 価値判断がまともでなければ、どんな技術もまともではなくなる。そして、それを身につけている人はほとんどいない。 新山もふくめて。で、他人の日記にリンクはって深刻そうな顔してみせたりするんだよね。
そうそう! この「どーでもいい枝葉の話を、さも人生の最大関心事であるかのように大々的にとりあげる」のが 好きな人は多いみたいだ。そしてそれに煽られるのが好きな人も。これは重要な特質として考察する価値がある… またいつか。
やはり寝不足のためか自主規制回路が働いてないようです
宿題をやろうとしたら、以外に (自主) トレーニングには時間がかかるのこと。
意訳: ウソも方便。
世の中はさあ、トビクラゲがさああ、
風力警報とは、風力が正確に (1 + √5) / 2 ≒ 1.62 になったときに生じる警報です。 風力警報が発生した時点で、以下のすべての風力警報は、取り消されます。 風力警報は (株) 風力警報TM の風力警報であり、現在位置は 南 3、西 4、上 6、大盛り×2、マグカップ 大さじ×3 です。 なお、以下の風力警報における伝達は、その帰結があらかじめ引用の結果に先だったものであるようなときのみに、 適用されます。
かれはニュウ・ヨウクでいちばんおかしな宇宙人だったよ
オレとぼくを一緒にしないでくれ!!
(「ヤバい」を軽量化したもの)
まあアレだね…。人間、一週間に一回は狂わないと (オレの場合は毎日のような気もするがそれは気にしない)、 ストレスがたまって爆発 (比喩的にではなく物理的に破裂する、うっかりそういう時に居合わせると 破片が飛びちって血だらけになり、以後トラウマになるので注意危険) するので、あれだ。 ところでドラえもんには人の怒りを抑える「まあまあ棒」という道具が出てきたが、 あれはやりすぎると最後に爆発 (物理的に) するのだ。それと同じことだ。なにが??
google://おごって君/ (2件)
どうえもdいいけど (どうでもいいけども) 深夜まは激しくブンレツ的な物なために (新山は激しく分裂的な気質のために) ひとつのことを 3分間以上つづけて考えることができない。この日記のおそろしいブンレツぶりはそのへんに 原因があると思われる。
でもさあ、昨日と今日はべつの世界じゃん。まったく。
寝るたびに世界は「うしろのほうへ」移動していると考えたらどうだろう (HMM的に)。 そんなこた知らんね。
ところで(てくるで) 「隠れマルコフモデル」を「かくマル」と呼ぶのは秘密です (秘伝 = hidden だから)。
陰謀的なうまさ。(delicioso conspiratomente → 適当なスペイン語)
屈辱的なうまさ。
↑この表現はいま思いついたものだが、なかなか気に入ってしまた。
なお、このドメインはたべすぎ・・・ねっとです。
ところで中島みゆきの「ひとり上手」と「わかれうた」はなぜこんなに似ているのか、
という疑問がふと電車の中で…
以下略
ところで現在アジアの某国では「オープンソースっていう言葉が気に入らん」とかで なんかやりあってる人々がいるそうですが、つくづく平和でよろしいことですね?? まあどうでもいいんだけど。
どーでもいいけど japan.linux.com
の記事って誰か読んでるのだろうか??
疑問。あんなの何の役にも立たんのにね、すごい(ヒマ)ですよね。
だいたい「どこそこがナニナニと提携! コレコレを開発!」みたいな記事ばっかりじゃん。
あるいはあんなライセンスの定義うんぬん記事を見たところで何の役に立つっちゅーんじゃ。
それとも、みぃぃーんな開発者なのか? そんなことより、ESR がやったみたいに、
CUPS の設定のクソさをただヒステリックにわめいてもらったほうがまだ役立つ
(まあ、個人的には ESR はもうモウロクしてるって感じなのでどっちでもいいけど)。
っつーーか日本語の記事で Linux 関連で「読んで役立つ」ニュースサイトって全然みたことないんだけど、
みんな本当に楽しいのだろうか。職場で「いやーナニナニが提携しましたね」とかいって、
知ったかぶり会話に花を咲かせるぐらいにしか使えないと思うのだが、
知ったかぶり会話だけじゃ実際の仕事は進まないわけよ。わかる??
予想。たぶん実際はみんな Linux なんてまともに使ってないんだろう。 本気で活用しようとしてる人は、結局のところ英語圏の情報で十分な一握りのユーザなんだ。 そうにちがいない。くそー、changelog.net 復活させろ、ぶつぶつ…。
ドイツとか欧米圏は、アメリカへの反発もあるだろうが、 ちゃんとニュースサイトも充実してたりしてすごい (ドイツ語だから実際なにが書いてあるのか細かいところまではわからないが、 それでも日本語サイトよりはましなことだけはわかる)。 それにひきかえ日本はけっきょく、マ社 (および米国) のペットだかんな。 なんだかんだいって。
眠いので口調をおだやかにする回路に支障があるようです
そして (夢の中の) 朝食はコーヒーとマフィンだったので、素直に夢のお告げに従うことにする。 げじげじ
まあ、地味な仕事ができないようじゃ一人前とはいえないわな。
人生は
仕事とは
違う!
オレはいたって大真面目なのです。
ここに 2つの数字があるとするよね。ひとつは風邪で、もうひとつは海ヘビだと。 するとこれらはスープに入れたとき、互いに目を見ないようにするのか?? と。
あるっと。
南阪急では、季節がこちらとは逆なため、 きっと冬→秋→夏→春と逆の順序で季節が変わるのだろう。
きょうの空はサランラップで覆われていta
例外的なページが 2つだけあるが、それはオレ個人の問題だ。
robots.txt
を置いた。べつにポリシー的にはどうでもいいんだけどさあ、
もうちょっとなごやかに (しめやかに? おごそかに!!) やってくれればこんな必要ないんだけどね。
ちなみに、最初これを robot.txt
という名前にして (s が抜けている)
相手にされなかったのは秘密です。
「あんたがそんなふうだから」という論法はよく使われる。
いや、そんなことはないだろ? ぼくらは 100万べん言えば 100万みんなちがうんです。
ときどき、自分が自然言語処理をやってる博士学生だということを 忘れそうになることがある。忘れないように毎日 3回はくり返さなければ。
それにしても春山さんはきちんと最新情報をチェックしててえらいと思う。
そういえば昨日、帰りの電車が JSQ についたとき、車掌がこういってた:
"Final stop! This train is out of service! So am I."
[-9, -8, -7, ..., -2, -1, 0]
という
シークェンスを簡単に生成する方法がない。range(N-1, -1, -1)
は汚ない。
いちいち range して reverse するのも美しくない。「逆 iter」のようなものは一般的でないし。
あと、ぜんぜん関係ないが、file("foo")
を iterator として
ファイルの各行をとり出すという方法はすごく嫌いだ。なんだかすごく恣意的に
聞こえるからである。ファイルの primary な機能がそんなだって誰が決めた?
f.xreadlines()
のほうがまだましである。
言語を使うにつれて不満がでてくのはしょうがないと思うが、
この機能はあまり Python らしくないと思った。これじゃ Perl の <STDIN>
と同じだ。
また話は飛ぶが、たとえば Python のほかの機能、lambda や zip を失敗だという Guido の意見は、理解できる。
これらは「便利だけども、コードを読みにくくする危険性もかなりでかい」両刃の剣だからだ。
最近わかったのだが list comprehension のほうがずっと読みやすいし、
lambda よりも def
で関数定義したほうが
(コードは冗長になるとしても) スコープが明確になって explicit である。
でもこの file()
の機能はやりすぎだと思う。
どうでもいいけど、新山は xrange()
をほとんど使わない。
この授業では、ほかの学生はみんなシステム系の専門なので、新山がいちばん OS に詳しくない人間なのであるが (これが自然言語屋の集まりにいくと、新山がいちばん OS に詳しい人間になってしまうのが不思議だ…恐ろしいことよ)、いつも彼らとの問題意識の差を おもしろく感じる。たとえば OS 屋はシステムの細かい (マイクロ秒単位の) パフォーマンスにものすごくこだわる。 Kernel ←→ Userland のスイッチなどは、マイクロレベルで見れば非常に長い時間のかかる 「高価な」操作なので (パイプライン中の命令全フラッシュ → ドメインのスタック退避 → lookup テーブル参照 → その他いろいろの validation を行わなければならないのだ)、 多くの論文は「いかにしてこのオーバーヘッドをなくすか」に焦点をしぼっている。 Userland thread の研究がさかんなのはこのためね。じっさい FreeBSD などは そういった学術的な研究を実地に応用しようとしているし (5.0 では Schedular Activation が実装されている)。でも、kernel ←→ userland switching は ネットワーク操作にくらべればまだずーーっと安いのだった。今日やったのは RPC の高速化に 関する論文だったので (現在の distributed programming モデルのほとんどはいまだに RPC の意味論に大きく依存している、CORBA しかり、SOAP しかり、XMLRPC(!) しかりだ、 HTTP のようなものさえ、(coarse-grained ではあるものの) 要求→返り値という構図では RPC を参考にしている)、 彼らの焦点は「なるべくローカルですませる」「Marshalling をいかに効率よくやるか」 「パケットサイズを小さく」といったことに絞られていた。たとえばほとんどの RPC 呼び出しでは、渡されるデータは最大で 1400 バイト程度しかない。 RPC は仕様上はいくらでも大きなデータを送れるように設計されているのに、である。 なぜならそれは Ethernet の MTU が 1500 バイトだからで、RPC アプリケーション開発者は この値を超えると通信が 1パケットでは済まず、クソ遅くなるのを知っているからだ。 (これに対して Java RMI はそんなことおかまいなしに通信するため、それが 「なぜ RMI はクソか」という理由になるのだった。) つまり、彼らはパフォーマンス向上のためなら 階層構造を平気でつき破るコードを書くし、特定ケースのためだけに特化した設計もする。 彼ら、その手のおっそろしくこまかいチューニングはいくらでもできるのだ。 システム屋というのは、CS の中でもおそろしく「頭がキレる」人々だと言わねばならない。 「頭がいい」というのとはちょっと違う、あくまでハッカーっぽいのだ。Python なんか使っている 新山からすると、細かいパフォーマンスよりも構造の単純さとか、メンテナンスの簡単さとかのほうが 重要なのだが、それは彼等の問題意識の中にはない。この違いがおもしろい。 そして彼ら OS 屋がパフォーマンス以外に重視するのはセキュリティ (健全性)、 そして公正さ (fairness) である。なにより OS はセキュアでなければならない! セキュリティに関していえば、すでに世間一般の人々 (= セキュリティといえば「暗号」だと思っている) と新山との意識にもだいぶ差があるのだけど、彼らはさらに厳しい。ユーザプロセス自体に 悪意があるとき、OS はその被害をどうやってくいとめるか? ここでいう「悪意」というのは コンピュータの破壊とかだけではない、割り当てられた時間を超えて CPU の計算力を使おうとする プロセスはみいーんな「悪意ある (malicious) プロセス」である。OS (とくに、スケジューラ) は、 個々の (同一の権限をもつ) ユーザや、個々の (同一の優先度をもつ) プロセスに対して fair でなければならない! priority inversion なんかは決して起こってはいけないのだ。ついでにいうと、 OS とアプリケーションの間にはいつも tension が存在する。OS はなるべく一般性のあるサービスを、 よく抽象化されたインターフェイスによって、そこそこの性能で提供したい。 ところが SQL サーバなどのアプリケーションはそれを嫌がる。特定の目的のためにバリバリに チューニングしたいので、へたにファイルシステムなんか OS がいじってくれるな、 オレに低レベルの構造まで全部いじらせろ! というわけだ (てくるで、 Oracle がまえに自社 OS を作るとかってぶち上げた話はどうなったんだろ?)。 計算時間の感覚もまるでちがう。言語処理屋からみると、O(n^2) の計算オーダーなんてのは、 それほど対した問題ではない、O(2^n) に比べれば、である (空間オーダーが O(n^2) だったら イヤがる人は多いと思うけど、SVM の欠点はこれだし)。ところが彼らは O(n) でも いい顔をしない。Linux 2.6 からは O(1) スケジューラになったしね。 機械語レベルでの固定時間を望むのである。これが世界の差だ。そして新山の場合は OS屋 ←→ 自然言語屋のスイッチングにいつも非常なコストがかかる。 いやー、うまくオチたね。
ちっこっちっこっちっこっちっこっちっこっちっこっちっこっちっこっちっこっちっこっちっこっちっこっちっこっちっこっちっこっ
と、云ってゐる。
もちろん新山はどっちも嫌いじゃないが、やたらと OOP いってる人にはアホが多い、という印象はもっている。 アホが多いのは絶対的な人数の違いによるものかしらん。
感覚的に、「頭のいい人」というのは、「知的な誠実さ」がある人のことをいう、のかもしれない。 しかし、ただ懐疑的なだけの人を誠実とはいわないと思う。 なにか別の要因があるような気がする。それは一体なんなんだ?
とうぜん、言語で表現不可能なものを安易に「センス」などと呼ぶのはとうてい誠実とはいえない。
0.4, 0.34, 0.23, ...
ところで (tekurude),、
そうでなくても web 上のベタベタした関係は嫌いなのだ。 たとえば「相互リンク」ってのは非常に陰湿な (腐りそうな) 感じがする。 とーぜんこれもバカ判定のひとつの指標になりうるね。 新山は誰がこのページにリンクしているかなんて知りたくもないし、 誰か特定の人間がここを見ていると仮定するのもいやだ。 そんなもんに気をつかっていたら、「Ruby 使ってる奴とは口も聞きたくない」とか、 「XMLRPC を使ったブログロツールなんてダサすぎ」とか、書けなくなるからね (でももっとヤバいのは身内ネタである、まあたぶん大丈夫だろう)。 バカは馬鹿にすべきだし、同時にオレのほうもバカにされるべきだ。 ブックマークには、こっちが一方的に好きなサイトで、 まずこっちにはリンクしてこないだろう、というところしか載せない。 基本的に Web というのは「片想いの世界」であるべきだと思う。 各人が勝手に一方的に誰かのページを気に入っていて、 それらがバーっと網の目状に広がっている、というイメージが好きなのだ。 慣れあい関係は世界を腐らせるだけである。腐りたい (あるいは、すでに腐った) 人々が 世間に沢山いるのは知っているが、そいつらとはただひたすら離れているよう努力するしかない。 2ちゃんねるも殺伐とした雰囲気が昔は好きだったのだが、最近はもうだめだな。
昨晩は夢を見なかったので、かなりぐっすりねむれた。
いやそれともぐっすり眠れたから夢を見なかったのか?
そんなことはどうでもいい。どのみち, かの世界では人生の 3分の1 を過ごすことになるのだから。
あまりに背中のかゆみがひどいので、大学付属診療所に行く。まず、血圧と脈拍を測定。 そのあと診察室に入れられて待っていると (米国の病院では患者がひとりひとり別々の診察室で待たされ、そこに医師が入ってくるという方式)、 医者が入ってきて、背中を見せたら「ワーオ! pretty impressive!」とか言われる。 気がついたら背中に数十箇所の斑点ができており、かなりグロい状態になっていた。 うげーーー。なんじゃよこれは。いきなり緊迫した雰囲気に。数人の医師が来て かわるがわる背中を見せられるが、みんなわからないらしい。「これはダニじゃないわね…、 菌系 (fungus) かもしれないわね、あなた大丈夫? 熱でてたりとかしない?」などといわれ、非常に不安になる。 その後「皮膚科の専門医にアポをとるから待て」といわれ、 「dermatologist がいま上の階にいるから、そっちへ行け」と言われて 4階の「speciality care (特殊治療) 受付」で待たされる。なんかものものしい所で非常に心配。 そのうち呼び出しがきて、ここでまた血圧と脈拍。そしたらものすごい上昇してた。 「リラックスして」と言われるが、こんな状況でリラックスなんかできるかっての! そのうち 2度目の呼び出しがきて、めでたく dermatologist のドクター・すとらっちゃん (名前) に会うことができたのだが…
病名: pityriasis rosea (ジベル薔薇色枇糠疹)
なにそれ? 「ウイルス性の発疹で発症後数週間で自然治癒する。かゆみと見た目以外にとくに害もなく、伝染性もなし。 でも原因となるウイルスはいまだに発見されていないし、 感染経路も解明されていない」とのことだが、 それにしても「薔薇色」って何だよ?? "Rosea" というのが ラテン語的に「薔薇の〜」を意味するものと思われるが、日本語で「薔薇色」が 入っていると、なんかオメデタイ病気のように 聞こえる。おまけに「これといった特効薬はないので、かゆみどめクリームをわたすから、 あとはひたすらガマンしとけ」という処置なのだった。ふんげa。 先生はイージーなかんじの黒人ねーちゃんで、「あっこれね、平気よ〜ん」という 雰囲気で診断された。とくに北米にかぎったことではなく、 どこでも起こる病気らしい。 まあいいや、ダニじゃないことはわかったし (でも部屋にダニがいたことは確かなのだが)、 とくに命に別状はないけどヘンな病気にかかったし、 なにより薔薇色ということで、で、
それにしてもかゆいい。
ちなみに変な病名だったので、そのねーちゃんにわざわざ病名を紙に書いてもらってきたのだ。 ところで「いちおう、念のため血液検査することになってるから」ということで 採血してもらったのだが、採血するのは専門医ではなくべつの医師で、 ジイちゃんで、なんか手がふるえてたりしてそっちのほうが心配だった。 で、終わったら「これは良い子の患者さんにあげることになっとる」とかいって、 アメをもらう。子供あつかい!
薬局で処方されたクリームはなんかハミガキ粉のチューブみたいなとこに 入ってて、予想以上にデカかった。アメリカンはなんでもデカい。
g
z
dottiどっちが近いかというと微妙なわけだが、といっても今んとこ sOHo のどきに
できるのかわからずじまいだが、 , lf([1,2,3])
は何を返すでしょうか。
def f(v): if not v: yield [] else: for c in f(v[1:]): yield c yield [v[0]]+c return
だって。
米国のとある一企業からお願いがあったんだそうな。
ぼーーーーーーーっと
しかしいま一番つらいのは、カユイことよりも、 「熱いシャワーあびちゃだめ、治りが遅くなるから、あと石鹸もなるべく使わずに」といわれたことである。 おいおい、オレはオフラー (一日最低 1度は沐浴しないと精神に著しい異常をきたす性格; オフリスト) なのに、熱いシャワーあびちゃだめってのは…無情。 日本に帰るまでに治るといいけどなあ、熱いフロに入れなかったら日本に帰った意味ないよ (おいこら、お前は何しに来とるんじゃ)
いったいどっから入ってきたんだ!! (一人で狂ってる) ガツン、ガツン!
まあここまで書けば察しのいい人でもだいたい気づかないと思いますが…
今まで使ってたやつは $30 ぐらいの、ちっこいやつで、いかにも「軟弱」君だったのだが、 はっきりいって絨毯には効いてなさそうであった。おまけに Owen がいなくなって (彼は相当の潔癖症だ)、 掃除の回数が減っていたのでなおさら。 今日は激怒していたのでまっすぐ C.H.MARTIN へ行って (ここが日曜でも営業していることは知っていた)、 フンパツして、$80 の、ひどく憎らしい面がまえ (といっても米国の掃除器はみんな似たような格好だが) を したやつを買う。その名も Dirt Devil だっ! これ、なんて意味? 日本語に翻訳すると「ホコ魔」とでもいうのだろうか。なんだかカッコ悪い。 しかし肝心の性能は、さすがアメリカンなだけあって、 超はいぱわ〜だ (定格出力は書いてないが、120V/12amp とあるから 1400W 前後か…?)。 これでもくらえ! …で、部屋じゅうのモノをあちこち移動していたら、 そのうち「そだ、ベッドをこっちに置くと気分が変わって好ろいかもな」と思ったため、 漢字の使い方が変だが、これは「よろい」と読むのだが、まあそれはいいとして、 当初は予定していなかった模様替えまで実行。出来心で。やばいこれは病気かもしれない ちなみにうちの母はなにかってえと部屋の模様替えをしたくなる、 通称「模様替え病」だ。これは遺伝性なのか?
それにしてもだ、もともとが土足の国だからこの手のものが発生しやすいことは わかっていたのに、最近まともに掃除してなくてうっかりこの手の連中に 脆弱性を突かれたというのは、まことに恥ずかしいことである。 これじゃいまどき I LOVE YOU ワームに感染するようなもんだ。 というか、新山は中学・高校のときまでは潔癖症で通っていたのに、 大学・大学院と共同生活をつづけているうちに今ではすっかり イヌ畜生にも劣る衛生観念 (それでも平均的アメリカンや、 Navneet よりはマシだと思うが) を身につけてしまったことはまことに 情けないというべきである。やっぱりこの国に住むのはいやだ。 ちなみに PC も分解してきれいに中まで掃除したため (静電気がかなりあったので心配だったが、いまんとこ何事もなく動いてるからいいや)、 いまではかなりパフォーマンスも向上しているハズである! どうでもいいけど大学のマシン達もホコリがすごいことになってんだけど、 掃除のおじさんに掃除器かりれないのかなあ。ありゃあいっくらなんでもマズいでしょ!
いま勝手に考えたのだが、「ウラン 235 の分離」というのはアメリカンジョークとしては 結構イケるんじゃないか、と思った。この国の国民は科学的素(げじげじ)養レベルが高いからな。
todo (long-term): trasncan, ほんだな, 衣料用ケース
だめだ。狂ってる。
新山は瀬戸内海に行ったことはなく (名古屋以西に行ったことがないのだ、九州はあるけど)、 それがどんな色をしているかをこの目で見たことはないのだが、夢の中に出てきた瀬戸内海は なんだか海というよりも湖のようなかんじでひどく凪いでいて、すきとおった水だった。 空はやや紫色がかった群青で (雪山で見るような色だ)、すじ雲が 2〜3本走っていた。 どうもありゃあおかしいな。なんかの情報とゴッチャになっているぞ。
ちなみに新山の夢には「山奥にひっそりとある湖」というのがよく出てくる。 湖といってもそれほど広くなく、大きさ的には池のようなかんじで、 新山はその湖のほとりを誰かと歩いていることが多いのだが、これは昔から 志賀などによく行っていた原体験によるものだと思う (志賀高原には大小あわせて 48 の池があるとされている… といってもオレは四十八池めぐりをしたことはないし、池の名前も 4つぐらいしか 覚えてないのだけど、丸池、木戸池、三角池…大沼池)。そしてそういう夢は だいたいいつも昼間でとても明るい。水面には周囲の木が映っていてとても美しい。 そしてなぜか会話がほとんどないというのも共通している。ふしぎな体験といえばいえる。 そういう景色を一度きちんと書き残しておきたいのだが、新山に絵心がもっとあれば。
ああそういえば蓮池、ビワ池ってのはあったっけ。たしか蓮池にはボートがあるんだよ。 そういえばただ一回だけ、夢の中で何もかもが青い池 (水も青ければまわりの景色も全部青みがかっているが、全体としてボーっと光っている) に お目にかかったことがある。たしかこの上にかかっている吊り橋を渡っていた記憶があるのだが、 「池モノ」の夢で昼間じゃなかった (というか太陽はなかったが夜でもないようだったし、 時刻不明) のはあのときだけだな。
ちくしょお、この2〜3年というもの、スキーを全然してないぞ。 しかし新山がスキーで楽しいのは滑ることじゃなくて「景色を見ること」なのだった。 とくに志賀からは北アルプスが こんなかんじで 見えるため、スキー場にいくといつも「ああ、遠くにカベが見える」と思っていた。 あそこになら何か人知を超えた存在 (ヤマンバとか) が棲んでいても不思議はないだろう。 自然崇拝はこのようにして生まれる。 山を聖地としてあがめるのはなにも日本に始まったことではないけれど。
ちなみに、某Linuxディストリビューションで「Ruby を広範囲に使用する」ことを 目標のひとつに挙げているのがあるが、ジョークならともかく、 彼らは真面目にそう思ってそうでこわいよな…。 言語はものの考え方を規定するかもしれないが、 規定されすぎてしまう人がいるのは困ったもんだ (人ごとだけど)。