ココはなかなかおすすめであった。Guggenheim なんかよりもずっといい。 ここはほんものの消防署を改装して博物館にしたもので、署員の寝室なんかも 残してあって、中がどんなふうになっているのかを見ることができる。 どこで摺り込まれたのか知らないが、よく映画なんかで、夜の火災時に 消防署員が 2階から鉄棒をつたってダーっと降りてくるというのがあるでしょう、 その棒もちゃんとある。でもなにより古い消防車がいい。 消防車といっても馬車なんです。ウマで引くんですよ、蒸気ポンプを。 車輪はまだゴムですらない。しかしその蒸気ポンプはちゃんと 銀やら真鍮やらでメッキされていて、ワシの彫刻まで乗っている。
そこにあった、当時の蒸気ポンプを讃える詩 (抜粋):
``Behold! How she shines in her beauty,
Resplendent in silver and gold;
Ne'er shrinking from doing her duty,
When workded by her members so bold;
So peacefully innocent standing,
You'd dream not the work she can do;
But when we her aid are demanding,
She always proves faithful and true.''
やっぱりこいつも she なんですね…。
「消防車の色 = 赤」ってのは一体誰が決めたんだか知らないが、 とにかく NY では 150年以上まえから消防の色は赤であった。 ほかにも、全米初のホース会社の話とか (1803年 Philadelphia で最初にホース会社が誕生した、 当時はまだ皮のホースで、ゴム製のホースが実用化されたのはずっと後である)、 人力ポンプ、ガレキにはさまれた人を取り出す謎の空気圧をつかった道具など、 エンジニア魂とでもいうものを感じるね。消防員の分隊は「An engine」と呼ばれているらしいが、 こいつらの感覚は基本的にフットボールチームやトラック野郎とあまり変わんないらしく、 "ASTORIA TIGER" とかいってトラの絵が描かれたポンプもあった。 もちろん 9/11 記念館もあるがこれは省略。
というか新山は今までに一度も合コンというものを経験した覚えがありません。 まあ「覚えがない」だけでじつは宇宙人に連行されて合コンさせられたあと 記憶を消されているかもしれないが、そんなことは知ったことではない。
まあこれからもそんな機会は金輪際ないだろうが、それも知ったことではない。
ニッポンでは黄金週間だろうが、こっちでは拷問習慣だ!
ニッポンでは黄金週間だろうが、こっちではオレゴン州刊だ!
だから?????
????
うん、そうだとも。
get
のセマンティクスはおかしいだろの巻:
>>> import cdb >>> m=cdb.cdbmake("a.cdb", "a.tmp") >>> m.add("a","1") >>> m.add("a","2") >>> m.finish() >>> c=cdb.init("a.cdb") >>> c.get("a") '1' >>> c.get("a",None) Traceback (most recent call last): File "<stdin>", line 1, in ? TypeError: an integer is required >>> c.get("a",0) '1' >>> c.get("a",1) '2' >>>
こりゃあ、ふつうの辞書の get と違うよ! まったくもう。 そういうのは名前を変えてくれ、と思う。 あるいは名前を変えてけろ、と。
(やや狂い気味ですがいつものコトテス)
夕食は余った豆腐と味の素の「ごはんがススムくん麻婆豆腐」である。 ほんらいこれはひき肉が塔載されてゐるので、 ほんらいこれは豆腐意外に何にもつけ足す必要性を感じられ得ないような 構造そのものになってゐるのだが、 ほんらいこれは, 存外な理由にょり、なぜか理由のことだか長ネギとぶた肉が余っていたので これもついでに入れる。投下する。つまりこれは上陸だと。 まあそれはいいとし。て、いいかげんしつこいのでもうやめて、ねる。
で、「にょり」って何タ??
ノボセアガァるよ? こんなこた。
どうでもいいけれども (ちっともyKNI) きょうもまたミーティングに出るのを忘れていた。 こんなんじゃこまるよ。まったく。どっちがda.
今日の学習…中国料理屋へいったので占いクッキーをたのしみにしていたが、 でなかった。こちらの中国料理屋では、支払いが低額だと占いクッキーが出るが、 (多人数で行ったりして) 高額の支払いをした場合にはクッキーのかわりに フルーツが出るということがわかった。まあたしかにクッキーよりオレンジのほうがいいけど。
そしてオフィスに返ってきて宿題をやんなければいけないのだが、 やはり食いすぎたためにねむいのである。
ああちがった。google://たべすぎ/
TODO: あしたハセガワさんに $20 返すこと。
オレは、絶対まともなオペレータにはなれないと思う。盆ミスやりすぎだ。 凡と正月。ミス凡人。どーーでもいい。
ええと、オレは、いちおうこういうのを公開するときはかなり気を使っているし、事前にテストもしているのだ。 にもかかわらず、ちょっとしたポカで大ポカ。つまりはたしてポカはつねに大大なのか??? 減減
きょうは jinyuan とくっちゃべっていて遅くなった。 それにしても中国人に対する入国規制は厳しいらしいという話。へれんからもほぼ同じことを聞いたが、 かれらはいったん米国に入ってしまったら、勝手に海外旅行とかに行けない。 ビザが 6ヵ月しかもたないからだ (その後は I-94 の効力で滞在する)。 ヨーロッパ諸国はきちんと(米国に)帰国できるという証明がないと入国許可をださず、 そのためには米国ビザの残り期間が最低でも 3ヵ月はなければならない。 つまり中国で米国のビザをとってから 3ヵ月のあいだなら米国から欧州に旅行に行けるが、 それをすぎたら米国ビザをとり直さねばだめである。しかも、中国人が米国ビザを もらうのはカナダでは難しいという話。 (注: 一般に、外国人は米国内では 米国の入国ビザをとれない、必ず一度海外に出て米国大使館で取る必要がある)
しかし、これほどの不平等をモロにみせつけられるといろいろ思うところある (これを中国人口調で 「思うところアル」と読まないこと、いや、読むこと)。たとえ共産主義中国がキチガイ的国家だとしても、 そのへんにいる CS の博士学生なぞは政治的には新山とさして変わらない「てきとう君」なのだ。 まあ、南京大虐殺の話は彼ら依然として大好きだけどね…
きょうはぐりむ先生の授業の最後だった (実際には、あともう一回 term project の発表会があるが)。 きょうのネタは Saltzer の例の論文と、Hints for Computer System Design という論文。 最後なのでなにやらメタっぽい話だが、Saltzer の論文はおそらく 「システム系の論文の中でいちばんよく引用されている…」らしい。 具体的には、Saltzer は次のような場合について述べている:
これが最初の end-to-end な議論である。ようするに結論は 「結局、アプリケーションレベルで動くのが一番!」ということだ (とこのように新山は勝手に解釈する)。 いくら下位層が正しく動作しても、どのみち最後にはアプリケーションに特化した 検証が必要なのだ、結局のところは。だったらすべてのレイヤーを完璧にしようとして 無駄な労力をつぎこむよりは、end-to-end に徹したほうが物事がすっきりするのじゃない?
しかしこれは「レイヤーは必要ない」とか 「下位層の性能をまったく気にしなくていい」ということを意味しているのではない。 たとえば、たいていのアプリケーションは TCP レイヤーの通信を必要とする。 このコンポーネントの便利さと正確さが多くのアプリケーションにちょうどいいからだ。 ほとんどの開発者にとって、TCP と同等のものを再実装するのは時間の無駄でしかないので これが「区切り方の妥協点」である。しかし TCP を意図的に使いたくないアプリケーションも あきらかに存在する。それは音声や画像のライブキャストだ。TCP はパケットの完全な配送を 目指すので、もし途中でデータに欠損があるといつまでも再送しようとして、その結果ライブキャストが 遅れに遅れてしまう。アプリケーションの側から見ればそれは「余計なお世話」でしかないので、 だからほとんどの webcast や音声チャットは TCP を使わないのだ。ちょうどこの論文が発表されたのは OSI の「階層化されたネットワークシステム」の議論がさかんな時であったので、 Saltzer はこの哲学を利用してよりよい階層 (階層と下位層って声に出すとまぎらわしいな) が 考えられればいい、というようなことを言っている。
で、ぐりむ先生によると、この哲学はその後の Microkernel ブームにも よく反映されているという。たとえば MIT の Exokernel は、 「カーネルの機能をなるべく柔軟にして最小限にし、あとはアプリケーションの コントロールにゆだねよう」という思想だ (でも Mach はそうではないらしい)。 ということで、この論文はじつに有名なのだが… しかし自然言語処理について見てみるとどうなんだろうか?
おそらく自然言語処理や AI でいまみんなが (というのはやめておこう − とくに新山が)
悩んでいる本質的な問題は、「パイプラインによる性能劣化問題」というやつである。
形態素解析はアホってるし、構文解析もアホってるし、しかもこれらはすべて
前のやつの性能に依存しているのだ。だからシステムの階層が増えるに従って性能は落ちる一方。
どうすんのよ。ここでいまのような end-to-end 議論が適用できりゃー言うことないのだが、
問題はどうやって適用するのか? ということだ。この点についてはきょう授業でも
ひとしきりぐりむ先生とやりあったのだが、彼は「end-to-end が有効であるための
必要条件は情報の冗長性ではないか」といっていた。ふーむ。しかし通信やファイルシステムの問題は、
簡単なチェックサムで確認できる程度の冗長性だから (基本的に「一致しているかどうか」をチェックするだけだ)、
end-to-end は比較的簡単に実現できる。
しかし、形態素解析のような複雑な過程が下位層にある場合、これはかなり opaque だよね…
この状況で「冗長性」をいったいどうやって見つければよいのか?
これは個人的に (研究的にも) もうすこし考えてみる必要があるが、
まあ、とりあえずいまは眠いってことで。
もう 3時じゃねえかよ!!
ちなみに、新山が苦労してサマリーを送った軌跡は このへん で見ることができます。。
おもしろかったのは、ユーザに「らーららららー♪」でハミングさせたときよりも 「たーたたたたー♪」でハミングさせたときのほうがヒット率が上がるということだった。 「た」で歌わせると無意識のうちに音をはっきり区切るようになるらしい。
しゃべってるうちにナンダカわかんなくなってくるぞ病。
にもかかわらず、だ…。
お。セキネさんが 600GB (= Maxtor 200GB × 3) のハードディスクを買ってきた。 STAPLES でうりだし中らしい。オレももういっこ買おうかな (パンを買うような感覚で HDD を買う生活!! 堪えられない!!)。
ぐn
InitGraf(&qd.thePort); InitFonts(); InitWindows(); InitMenus(); TEInit(); InitDialogs(NIL); InitCursor();
Saltzer の "End-to-End Arguments in System Design" を読んだのだが、 これって通信にしか適用できない話じゃないのかなあ。
そこは日本製です。
気づかないうちにしりとりエンジンにエンバグしてた! くぬやろ google め! (= オレが悪い)
というわけで、元気がなくなってきたので帰ります。
そういえば、きのうスドウさんの発表が相変わらずヘタだったので、 授業中に「どこがどうマズイのか」を詳細にまとめたレポートをつくったのだが、 今日になったらどうでもよくなったので結局渡さずにおく。 だいたいオレは無駄なおせっかいをしすぎだ。 これは田舎者気質がそうさせるのだろうか? まあ、だとしたら、 オレは一生 田舎者でありつづけるのがいいなぁと
思うに、プレゼンのうまいへたに語学力はあんまり関係ない。
ねむいうえに腹が減っている。 原理的にこれは眠いはずはないはずだが?? と、思って、帰りにテロリストの道具を買って帰ってきた (注: これは米国のスーパーでは普通に売っているものなので、 公安の方はこのページを見たからといってむやみに逮捕しないでください)。 テロリストの道具は一般市民の道具でもある由。それは黄色い。 そして放射線を発する。たまには。
google://ケッキョキ/ (約13件)
おそらく新山の中には、ふつうの日本語とは別の「オレ言語領域」というものがあって、 そこには棒大な一般人には理解できない語彙および文法字句規則が格納されているのだろうと思う。 しかし、そんなもんわ、だれにでもあるのではないか? ただ書き出さない (シリアライゼーション) のでそれが明らかにならないだけだ。
オレは疲れてなどいない!! [[中のヒチョ]]
いまなにげなく思いついた言葉。 シームレスに生きていますか。
おや、あなたも、もう来てたんですか。私はいま来たとこですよワッハッハ!
とか。
あくまで
クールな
わたくし
というもの。の、希薄性。
にもかかわらず、ドストエフスキイーとか、我ながらよく読んだものだと思う。 しかし考えてみればこれもほとんどひたすら「日本語の構文解析をしてた」 という読み方だったなー。よく覚えてないけど。 そして火曜日までに 65ページのオニのように長い論文を読めるのか、 という問いが現在のところ一番重要なような気がする。もっと読め! ということだよ。ようするに。
ちなみに「ヨノナッキブ (yononackive)」というのは「世の中的な」という意味である。 日本語でも訳がわからないがまあそのへんで。
END
文がなかった。
なので、ZX のソースには END
のかわりに GOTO 999
と書かれていた。
これが新山がおそらくはじめてみた ZX-81 (Spectlum+ ではない) のプログラムである。
あのころ日本で ZX のプログラムを載せる本などベーマガぐらいしかなかったワケだが。
でもきのう見た ZX もプログラミングの編集画面はちっとも変わっていなくて
なつかしい。たしか PRINT AT (Y,X)
とか「あー、あった、あった」
って感じだ。新山は ZX にさわったことはなかったが、ひまさえあればいつも
いろんな機種のソースを眺めていたような気がする。いやあ、むかしはソースが読めなければ
なんにもコンピュータにさせることはできなかったのに (読めてもできることはたかが知れていたが)、
いまじゃー文字が読めなくてもコンピュータを使える時代になっちまったね。
(Office の上に並んでいる幼稚なアイコンどもを見よ)
ふんげえ。
人間は大きくわけて哺乳類型、鳥型、爬虫類型の 3つのタイプに分けられており、 新山は基本的に鳥型である。だから爬虫類型の人間や哺乳類型の人間はあまりよく 理解できない…。なにいってんだかわかんない場合は以下略。
TODO: たまごをきらしていた。買お
いろいろやってたら、帰るのが遅くなっちまった。 夜中のマンハッタンはやはりいろいろ変なのがワラワラとわいて出てくる。 その大くは害のない酔っぱらいだが、たまに叫んでる兄ちゃんや 叫んでるネエちゃんに出くわす (酔って叫んでいるのではなくて、真顔で)。 電車の中はうるさかった。
「大く」だって。馬鹿ね。
どうでもいいって言ってんらろ!! !!! !1
obaka.
ネズミのシチーー (ネズミのシチュー) ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー!!!!!
我ながらもう、完璧な感動的な演出だな。感動的な完璧な演出なだ。
かっこ、国家、かっこ国家かっこ、国家。かっこ国家。 ((( )
) ()).
いやー、もうなんていうのかな、
なぜか美術館に行きたくなり、Guggenheim美術館 へ。 ここは、金曜日は夜 8時までやっているのだ (ちなみに Whitney は金曜夜 9時までやっている)。 6時半すぎに大学を出て、7時ごろ到着。なんとなく。ここはコンテン美術の館である由、 ほとんどの展示品はワケがわからずかったが、それなりに価値のあるモノも見た。 それは動作中の Sinclair ZX Spectrum と、 同じく動作中の SMC-70 である…。 この 2つの名詞を知らない人は放っておくとして、これらは初期のコンピュータ・アート (?) の 焼き直しを展示するギャラリーで陳列されていた (動きつつ)。ZX のソフトは Windows のエミュレータに、 SMC のやつは Vaio に移植されていた。それ以外には…黒い飴だね。 壁に無数の黒い飴がただバラまいてある。 という、展示。「ひろっていいよ」と書いてあったので、 ひろってみる。本物のアメであった。しかし、まずい。8時ちかくになったら追い出されたので そのご 5av. を南下し、Whitney の前を通り帰ってくる。ここはまだやっていたが (Museum Store が人でごった返していた)、さすがにもう疲れたのでなし。 やはりアッパーイーストは歩いている人が違った。
まだなんかおかしいな…
しかし、あそこの ZX で動いていたゲーム、あれは一体なんだったんだろ? ほとんど中学生が作ったような感じだ。まさに「ピコピコゲーム」って雰囲気そのままであり、 実際ピコピコと音がしていた。そしてその音は、ZX 自体はスピーカをもってないので、 そこにつながれたラジカセのオーディオ出力から出ているのだった…。 これぞコンテンアート!!
とか今更いってるようはアホな氏んだほうがましですね。
新山は、コンピュータの全然わかんない人間が コンピュータオタクに対して言うお世辞が嫌いである。 「すごいね、よくそんなのわかるね」というたぐいのやつ。 なんでだか知らんが、かなり嫌いだ。それはさしずめ 日本語のわからん外人が漢字やひらがなを見て 「すごいね、そんな言語よく使えるね」と言われたときの気分のに似ている。 すごくねえよバカ。誰でもやりゃあできるんだよこんなの。 同じことはほぼどんな職業・技能にもなりたつだろう。 だからなるべく自分がまるで知らない分野に対して、 あまりすごいすごい言わないことにしている。 といいつつ、反射的に「すごい!」と口から出るときはけっこうあるよなあ…
ぶほっぷ
…
…わかっ
たか!!!
まあよく自分で文字を書いてて思[u]のだが、 「!!!!」をたくさん使う奴ってのは頭悪そうに見えるよな。~!!!!
ボクは一階しか使ってません。
ヨノナッキブは油断ならない。たとえあした死んでもよいように、 日々思いつくかぎりの電波な発言をここに書きこんでおくだけだ。 いずれ時がくればキャッシュされるだろう…。 Google はこの単語「ヨノナッキブ」をはやくインデックスするんだ!
じゃあなあ、聞くけどなあ、(東京都民に)
東京タワァーーにのぼったことあるんか!!
しかし、東京都民は誰も東京タワァーなど気にしないが、 こっちの美術館はそれなりに地域と交流があるようなのでちょっと違うともいえる。嘘
オレがエディタで見るように、AS IS
まるでそれは自分自信に言いきかせるように お角ちがい 御門違い
(gomonjanakuteyo)
あー↑あー↓あー↑あー↓あー↑あー↑あー↑ ?
これからの日記は暗号化して (日本語でいえば符牒をつかって) 書くのがのぞましいと、 まあこういうわけだ、ワッッッッッッハッッッッッハ!!!!っっっっっ!!!!
イテッッ
とかくよりも
イテっっ
とかくほうが
イタそうに見える。
まあどちらにしてもこんなこと書いてるオレはアレ
まあどちらにしても
まあどちらに
まあどち
いまなにげなく思いついてしまった恥ずかしい文字列をここに記しておこう:
google://ウンコーディング/
あー恥ずかしい。
しかしこれは自分でもなか中よくでき田と思ぶので、 これからは「腐ったエンコーディング (utf-16 とか)」のことを言うのに 「ウンコーディング」という言葉を使ったらどうか、と提案する。
日本宇宙学会に。
まあぼくはそんな下品な言葉を所かまわず口にするのははばかられますが。良家は悪家を駆逐する。
いま思わずそんな学会は本当にあるのかと思って調ぶてむたら、ぬかった。 のかったの。
ええとね、きょう、あるひとつの比喩について思いついてしまった。 それは OS と政府の類似性である。またあとで
OS の基本的な構造というものは、システムの基本的な維持と保護を つかさどるカーネルと、ユーザプロセスの走るユーザ層 (userland) に分けて考えることができる。 同じように、国の構造も、政府 (お役所) と、 企業の活動する民間に分けて考えることができる:
ユーザプロセスは、なにか基本的なサービスを受けるために システムコールを使ってカーネルを呼び出さねばならない。 これはお役所へいってなにかの手続きをやるのに似ている:
しかし世の中に新しいタイプの要求が出てくると、 それに応じてカーネル (政府) を拡張せねばならない。 こうしてカーネル (政府) は大きく複雑になり、効率が悪くなってしまう。
そこで、サービスを OS がぜんぶまかなうのはやめにして、 ユーザ層のプロセスにまかせたらどうかという発想がうまれる。 これらのデーモンがファイルシステムなどの処理を担当し、 OS は基本的に彼らの保護や通信だけを担当するのだ。 これがマイクロカーネル (microkernel) の基本的な発想である。 同様に、政府も全部お役所でやるのはやめにして、一部を民間の NGO に 委託しようという動きがでてくる。これによって政府が縮小し、 柔軟かつ効率がよくなるだろうといわれている:
しかしマイクロカーネルを使ったシステムって一般に遅いんだよね。 これが NGO とどう関係するのか、いまのところは謎であるが。
JC とは Jersey City の略でもなければ Jesus Christ の略でもない。
それは