ここにいるとあんまり研究がはかどらないし日記もかけないのは、 やはりオレが「ひとりで考えごとをする必要」があるからだと思う。 ここでは一人になれる時間はどうしようもなくすくないので…。
思うに、計算機の仕事も また「ひとりぼっち」の仕事である。誰かと共同作業することはあるにしても、 やっぱり自分ひとりで考えなければいけないことが圧倒的に多い。 似たような仕事は他にも沢山あると思うのだけど。 そういう人間が、なにか、日記のようなものを書きたくなるという気持ちは理解できる。 けれどもそれは「いきどまりの孤独」とでもいうようなもので、 世の中の人々にひろく読ませるべきものじゃない。
でーんでん関係ないことだが、新山はこういう場合はわざと断定的に書く。 本当は頭の中ではこれほどオレは断定的にものごとを考えてはいないのだけど、 書きだすときは極端になるようにする。なぜならそのほうが後で読み返してみて 楽しいからだ。というか、学術論文とかだと「ツッコまれないように議論を展開しろ」って よくいわれるんだけど、オレとしてはわざと「ツッコまれる余地を残しておく」ほうが いいと考えるわけよ。誰からもツっこまれないように意図して書かれている文章 (しかもその意図がみえみえ) なのは時々見かけるが、ああいうのははっきりいって 何も言ってないのと同じことだからな。
Buroguroについて、日本では絶対広まらないだろうと思うものに、 「(なかばゲーム感覚でやる) 議論」というのがある。 みんな、コーヒー豆を売ってない地域にコーヒーメーカを輸入してきてなにを喜んでいるのか?
>>> tuple( i*i for i in xrange(10) ) (0, 1, 4, 9, 16, 25, 36, 49, 64, 81)
きょうは雪だった。20センチはつもっている。いまはもう晴れているが、雪カキ大変。
てくるで (ところで)、 こないだ空港にいたときに「ある種の笑い方は、日本人に特有なのだ」 ということに気がついた。つまりこれは『日本語』の笑い、というものか。ブウ。
(てくるで) ところで、「定年退職」と「停年退職」はどう違うのか。辞書をひくとどちらも 同じ意味で使えると書いてあるが、一般的には「定年」のほうが圧倒的にメジャーである。 「停年」はやはり縁起が悪そうに思えるのか?
ところできのう初めて野口英世を見かけた。 オレがもっているのはまた夏目漱石であり、パスネットはもう 2年も前のやつだ。
うっかり喫煙車に乗ってしまったため心の底までヤニ色になった。
てゆうか、寝てないのですが、大学に来たので日付かえてみました。
キーボードうつのがつらいです。
ああああ?
今朝は、玄関あけたら、サトウのごはん。
…ではなくて、それは雪だった。つうか、外は吹雪で白くかがやく世界だった。 ってゆうか、冬時間なので、あたりはまだ完全に夜。 ハれえ?? もしかしてこれは罰ゲームかなにかですかしらこと?? しかし行かざるを得ないので、 しょうがないから泣きながら駅まで歩いた。こんな時間なので、まだ道は除雪されておらず、 人の通った跡もない。でもあんまりアレだった。新雪をふむとクイクイと音がした。 地下鉄の中ではほとんど記憶がないうちにマンハッタンについた。でも、まだボーーーーっとしてる。 新山は飛行機ん中ではいつもネレないのだが、きょうはさすがにねむれるかな。 つうか、今寝たい。もう寝かせてくれ。バタっっ
世の中、詐欺師ばっかり。
個人的に、津波よりも気になったニュースは石垣りん死去である。 というか、まだ生きていたとは知らなかった。この言葉を覚えている人は多いだろう。 google://ドレモコレモ ミンナクッテヤル/
むかしから新山はヘンテコな言葉の使い方をする人にひかれる傾向があるらしい。 この日記にもその影響は現れていると思う (劣化したかたちでだが)。 幸田文とかもけっこう好きだった。とくに幸田文は体言止めの使い方が絶妙で感心する (実際には「体言止め」というのは俳句・和歌にかぎった言い方らしいのだが、 ここでは「文の最後を名詞で終えること」ぐらいの意味)。 誰から教わったのか知らないが、大学生ぐらいのころから、 自分の中にある信念のようなものができていて、それは 「日本語の文法や規則なぞ、自分で好き勝手に作りかえてしまっていいんだ」ということである。 もちろん、実際には「好き勝手」ではないが、ある程度わざとスタイルをくずして遊ぶ、 ということを好んでするようになった。「ところ(で)」を「てくる(で)」と書いたり、 「結局」を「ケッキョキ」などと発音するのもそのひとつである (もちろん真面目な状況ではやりませんが、 相手によってはほんとにそう言うことがあります)。 これに何か意味なんてあるのか? ない。論理的根拠? まったくない。ただオレがそうしたいだけ! これはノートに意味のない図形を落書きしている人に「なぜ落書きするのか?」ときくようなものだ。 ただオレは自分の直感に従って、好きなようにラクガキしているのである。ほっといてくれ。 バカにしたけりゃしろ。 むしろ web をみてもこうしたことをしている人がほかにほとんどいないのが不思議だ。 だが、当然のことだけど、「型があっての型破り」というように、 まず日本語のまともな型を身につけてからでなくてはそこからはずれることもできない。 そしてその作業に終わりはなく、いまも現在進行形である。たぶん、古典とかを読むように なってきたのはそういう理由からだと思う。そして、こうした遊びは、自分のネイティブ言語でなければ ほぼ (絶対に) できないだろうという確信がある。昔からの皮膚感覚というか、今後いくら英語が上達しても 英語ではどうやってもダメだろう。
…いま思いついたのだけど、もういっそのこと Coral CDN 経由でしかアクセスしちゃダメってことにしたらどうだろ? PlanetLab の IP一覧は http://www.scs.cs.nyu.edu/coral/stats/ から入手できるし、 つうか、通常はしなくても、なにかで負荷がおもいっきりかかったときにはリクエストはすべて これらの IP のみから受け付け、それ以外の IP から来たリクエストはすべて Coral のほうに redirect する、 という手はいいかもしれない。slashdotted-耐性のあるサーバってことで。 しかし PlanetLab ってどのサイトもそんなに回線ふといんかいな。
(追記: 「はてなアンテナのロボットが頻繁にくるのは、このページの更新頻度が高いため」という ご指摘をいただきましたが、でも、そんなルールはこちらの知ったことではありません。 新山はサーバを公開する以上、どのクライアントもなるべく平等に扱うべきだと思っているので、 相手が誰であろうがせまい回線から大量に GET していく人にはムカつきます。 ただし 30分に一回程度というのは「横柄だが、完全に非常識でもない」という点でタチが悪い。 もっとひどいロボットならすぐに拒否できるのですが (最近 msnbot が狂っていたので止めた)、 はてなアンテナのロボットにはムカつきつつもアクセスを拒否したことはありません。 いまはもうたいして気にならないけれど、上り 128k でやっていたころにはこれは結構きつかった。 最近は google も 1日に何度も来るし、ほかにも似たような横柄なロボットがいくつもあるらしいので、 はてなへのムカつきは相対的に減少したけれど。しかし、ニュースサイトでもないところをそんな 必死にチェックする必要ないだろう、アホか? という疑問は依然として消えていない)
眠い…でも寝たら絶対飛行機トバすから寝れない。
飛行機がトバされるなら結構なことではないか!
ぞんねんながら
ある人がきて言った。「実はこれ、夢なんですが…」
ああそうなのか??
「利己的なプログラミング言語」という考え。おっと!
物理的な遺伝子は残せなくても言語的な遺伝子は残せるかもしれない、などという考えを始めると電波になるので注意! じっさい、それはもう起こっている。しかもそれは人から人へ伝染るのにとどまらず、 言語から言語へも伝染るのである。こんなことは昔から言語学者が言っていることだけど。 Scheme には Algol の遺伝子が、Python には Scheme と ABC の遺伝子が、そして新山には Python と Scheme とその他数えきれない人々から (多くは音声または電子的に) 感染した特定の言いまわし、 言いよどみ、その他、その他。
むしろプログラミング言語はプラスミドであると考えるべきだ。
なんだ、結局「イデン子」って病気のことか? ケッキョキ。
てくるで (ところで) PDF にも動画を埋め込めたりサウンド再生できるって知ってた? オラは知らなかった。(おっと、他人の遺伝子が)
静かな一日だ。まあ日本でいえば元旦みたいなもんだからだが、 道には車も走ってないし、人も歩いてない。でもなぜか 「チャイナタウンならやってるだろう」 という確信があり (ヤツらはクリスマスなんか気にしない)、ろうあーまんはっ端へ行く。 いつも新山がいっているギョーザ屋はちゃんとやっていて、これまた いつもいる太ったおばちゃんが今日も鼻歌をうたいながらギョーザを焼いていた。 えらい! 食ったあとは食後の運動に大学まで歩く。 もう外は氷点下であるので、道路には薄氷がはっていた。
今日はまず PATH WTC 駅でおりてから World Financial Center の Winter Garden へ 行ったのである。
(追記: もしこの黒人が、わざわざ学校が呼んだ留学生ではなく、ふつうに日本で育った 日本人だった場合、この発言にふくまれる人種的偏見を反省し永久に damned されます。 そうでない場合はまったく取り消しません)
そのひとつはこんなことが書いてある。 引用: http://reorient.com/forum.htm
日本に住んでいる外国人だと何回も経験しているはずですが、銀行やデパートの カウンターに近づくと、店員達はさも忙しそうに目をそむけてしまいます。
と、と、とんでもない! 我々日本人はガイジンとハクライものを限りなくありがたがるんですよ! (ああ、ただしここでいう「ガイジン」ってのは日本人とあきらかに見分けがつく人種に限ります。)
やっとパーズできるようになった「だけ」で、まだ有用なことは何もできない。 こりゃ、とてもクリスマスプレゼントにはならないな。 使いものになるレベルにするためにはやることが山ほどある。
で、ここまで作って、じつは pdftools なるものが すでにあったことを知り、かなりやる気なくす。
つーか、もともと PDF 解析用に、単なる tokenizer のようなものが欲しかったのだが、 このフォーマットのひどい文脈依存性のためにけっきょくほとんどの構造を理解しなければ ならなかった。こんなのは仕事でもないととても手を出す気になれない (と、いいつつ、これは仕事とはなんの関係もないのだけdo)。 ほぼこみ入ったところはだいたい理解したと思うのだが、まだ仕様に謎な部分がある。 PDF 仕様書はへたな推理小説なぞを読むよりもよっぽど謎がふかいので、 秋の夜長にぜひどうぞ。 もう秋じゃないケド。
ややクールかもしれない点は、PDF のオブジェクト (辞書、リスト 等) をそのまま
Python のオブジェクトとして扱っているところである。というか、単にこのほうが楽なので。
Python にない型 (名前リテラルなど) はぜんぶ文字列にマッピングしちまうことにした。
/Name
はそのまま "/"
で始まる文字列にして、
true
などの symbol は "@true"
のような文字列にする。
通常の PostScript 文字列 (abc)
は "$abc"
のようになる
(これだけカッコ悪いけど、ほかにいい記号がなかった)。
なんで雨なんだ?
どうでもよさ度: ■■■■■■■■
記事中の写真にはこう註釈がついている:
Japanese women with images of their idol Bae Yong Joon, whom they call Yon-sama, awaited his arrival at Narita Airport last month.
"Yon-sama" って、ローマ字で書くといっそうきわだってバカっぽい。 この記事を書いたのはオオニシ記者で、かれはいつも日本の奇妙キテレツな現象や 天皇制についての記事をうれしそうに書く。今回も基本的には「日本人はこんなにグロテスクですよ」って 言いたそうに見える。基本的に、アメリカンに受けるのはそういう面だけなんだろう。 こっちではお高い新聞なほうである nytimes がこの程度だが、日本のマスコミも 同じようなもんだからあまり気にならない。
(追記) まあ、PhD っていうのは「未知の問題を自分で発見して解決するトレーニング」を おこなう場であると理解しているので、こういうことをやるのは (たとえそれが現実となんら結びつかない問題であっても)、間違っていないと思う。 学生の間ならね。
web 上にちらばる占いサイトの結果を毎日自動的にロボットで収集し (別に RSS でもいいけど)、 各サイト×星座ごとの運勢を2次元で一覧表示するのである。これにより、いちばん自分が気にいった 結果の出た占いサイトを信じるか、いちばん運勢がよさそうな 星座になる (自分がその日の生まれだと思いこむ) ことができる。すばらしい!
ちなみに新山は「ふたござ」という語感の響きが好きなので、 生まれは双子座じゃないのに運勢はいつも双子座のところを見るようにしている (まあ、そんなサイト普段はまったく見ないのだけど、ときどき何かの拍子に そういうサイトにぶち当たることがある)。重要なのは、かならず 「双子座の占いを信じる」ということだ。結果が悪いからといって 「双子座やめた」などといってはいけない。なぜなら占いとは信仰の一種だから! しかしたいていの占いには、信じたところでどーってことねー内容しか書いてないので、 つまんねーよな。だれかランダム文生成でもっと過激な占いをつくらんもんだろうか。
ところで (てくるで)、いま思ったのだが、ホロスコープのつもりでランダム文生成にしたら、 罰せられたりするんだろうか? つまり星座占いには天気予報と同じように 免許皆伝のようなものがあって、「これこれの資格をもってないでホロスコープの 予言をするヤツはダメです」みたいなのがあるのかな。それがなかったら何でも言いたい放題ね。 と、いうか、ホロスコーぷ業界 (そんなもんがあるとして) の信用のためには、 なるべく各占いの結果が一貫している必要があるだろうから、だれかが「今日はこれですよー」と ブロードキャストせねばまずいような気がする。もっとも、先の「占いサーチエンジン」は、 そんなもんはどうせ各自が勝手にでっちあげてるだけだろという仮定が先にあるのだが。 まあいい、いずれ「占いサーチエンジン」ができればはっきりすることだ…。 オレはそんなのやる気ないけど。
head
や tail
を使うとき、
head -100
のように入力して
といちいち警告を言われて、ムカつく。おっと、日本語入力がオンになってた…。やりなおしへあ: `ー1' おちおん い おそete; use `-n 1' since this will be removed in the future
といちいち警告を言われて、ムカつく。 おまけにオレはいつもhead: `-1' option is obsolete; use `-n 1' since this will be removed in the future
tail
で、「N行目以降の行をぜんぶ表示」っていうののやり方を忘れてて、ムカつく
(古い UNIX や Solaris ではこれは tail +N
でできたのだが、 GNU の tail
では使えないのだ)。
だからあらためてここに書いておくよ:
tail
は行番号を 1 から数えるので、ムカつく。
sed や awk は 0 からなのにだ。こういう不統一はどうにかなんないのかと思うが、もうどうにもならない。
とにかく、はやくこの新(あらた)しい形のオプソンに慣れること!
しかし新しい世代の UNIX ユーザは、そもそも head
と tail
を使わない
(かわりにかれらは Ruby でワンライナーを書くか、OpenOffice の表計算に import してマウスで shift+クリックして行削除する)。
しかししかししかし、本当に本当に本当に新しい世代の UNIX ユーザは
head
と tail
なんて知らない。
今宵はなぜかメチャあったかかった。手袋なしでいけた。 この時間なのにまだ 10℃以上ある。信じらんない。 おとといの激寒なときに比べると 20℃以上もあったかいことになる。 これはこれでなんか変。
いま、かっこいい格言 (? のようなもの) を思いついた: “人生の syntax には従え、でも人生の semantics には従うな”
ハガキ届いた?
あのアブラっこいケーキを食ったら、夜までもった。 なんだか得した気分だがそんなことはない。今日はまともな食事をなにもしてないのだ!
しかし、これで swf フォーマットもほぼマスターしたと思う。 仕様書にけっこうミスはあったが、まあ 2日あれば感覚はつかめる。 でもずっと前に買った Flash MX の使い方はいまだにマスターしてないんだよね…。