てくるで (ところde)、Wikipedia を見ていたら、 きみはあの ヴェクサシオン が MIDI でダウンロード可能なのを知っているかっ (時制のあわない文章、でも、どうでもいい)。 zip ファイルはたった 14キロなのに、展開すると 1MBytes 以上の MIDI ファイルが 2本も入っていたよ。 これ、何時間かかるんだろ? いやー居ながらにしてこの曲が完全に聞けるようになるとは、世の中便利になったものっす。 でも、Timidity では "Overflow the sample counter" というエラーがでて演奏できなかったけど。 ちなみに東工大にいたとき、音楽の細川先生という 先生の話を聞いたことがあるのだけど、かれはこの演奏を「生涯で 2度聞いたことがある」といっていた。 これを聞いたとき新山がおもわず尊敬のまなざしを向けたことはいうまでもない。
どうでもいいですが、新山がよく「…を知っているかっ。」と促音つきで書くという 書きぐせ (?) は、 「お前は狸汁ということを知っているかっ」のパクリです。 新山の文体はこうした微妙な影響をじつに沢山受けている。 まあそういう影響を受けてない人なんていないだろうけど! 「てくるで」がどっからきたのかは秘密。
と、ころが、その舌の寝も乾かぬうちに、 これってもしかすると「心理的な形態素」を解明するのに役立つんではないか、 ということを思いついた。もうこんなの心理学とかでは絶対にやってそうだけど、 つまり新山の内部(?)では 「おれさま」という語は「おれ + さま」という形態素で構成されており、 「やりがい」という語は「ヤリ + ガイ」という形態素で構成されてるんではないか、 という推測。そうでなければ、これらがまとめて入れ換わるという理由が見当たらない。 しかし、これはただ単に音的に 2つのモーラがくっつきやすいというだけかもしれないな。 どのみち「言語を構成する最小単位」などというものが本当に実在するのかどうかは あやしいもので (モデル的にも!)、オレにとっちゃどうでもいい話なんだけど。
あー NYPost (いわゆるニューヨークの“東スポ”) はどうやってもダメみたいだな (crawl が)。 クッキー使ってもすこしたつとすぐ login を要求しゃがる。あきらめよう。 なるべく nyc のニュースをたくさん集めたいのだが… (ローカルな記事を研究につかったほうが純粋におもろいから、という理由)。 つぎは villagevoice もやってみるかね?
たいていの crawler は、重複をふせぐために「どの URL をすでに探索したか」を記録しておくフラグ をもっているが、新山の自前の crawler では各 URL について「すでに探索したかしないか」 の 2種類の状態しかなかった。ところが実際には最低でも 3種類の状態が必要らしい。 つまり、
それから注意しなければならないのが "/
" で終わっているウラル (うrlのこと) を
自動的に index.html
だと思ってはならない。なぜなら、ある URL では
"/
" はみつかるのに "index.html
" は Not Found ということがありうるからだ
(とくに Apache の mod_dir がそう)。
どうでもいいけど「クローラ」ってカタカナ表記は嫌いだ。 どことなくこれはカローラか、あるいはサンクロレラAを思い出させる。 どっちもいいイメージない。
新山はなるべく OnceAndOnlyOnce の考えに従うようにしている。 さいしょ、c2 Wiki でこの項目を見たとき「これだよ、オレはこういう議論が読みたかったんだよ!」と思った (ところで、ここは Wikipedia と並ぶ数すくない「目を通す価値がある Wiki」だね、 たとえオブジェクト指向馬鹿や xp馬鹿でなくとも)。似たような項目に DontRepeatYourself がある。 この「Once」とはいったいどの部分のことを指しているのか? なにをもって Once と定義するのか? についてはこのページでもいろいろ議論がある。ふつう OnceAndOnlyOnce というとき、 これは「同一の処理はなるべく一箇所にまとめよ」という意味になるが、逆に高速化にまつわる バグをつぶすときは、これとは別に「情報のソースをなるべく一箇所にまとめよ」という 原則があてはまることが多い。そしてこれはプログラム的にはこれはかえって重複する部分をふやす結果になる。
多くの場合、高速化というのは「重複したことを繰り返さない →
一度出た結果はどこかにキャッシュしておく」ことにより実現されるが、
このキャッシュをあちこちの変数に分散させると、バグはさらにふえる。
たとえば
ということがありうるからだ。これを
def doit(x):
tmp = enormous_calculation(x) # なにか時間のかかる計算
foo(tmp)
bar(tmp) # ここで何か変化が起こって、tmp の値を再計算する必要が生じた
baz(tmp) # バグ! この値は使っちゃダメ!
return
としておけば、上のようなバグは起こらない。
しかしこれは重複した計算を何度もくり返しているので、
「悪いプログラミングスタイル」ということになるのだろうか?
効率化という点ではそうだろう。しかしオレはこっちのほうを好む
(まあ実際には遅くなるから、いつもはやんないけど)。
思うに、変数を使っていいのは、それが
「アプリオリに本当に同一のものを指している」
ということを示したいときだけにすべきだと思う (理想的には)。
関数型言語を使っていると、この概念がより直接的になってくる。
というのは、ふつう関数型言語では変数を使うのは
「同じ値を複数回使いたい」ときだけだから。
def doit(x):
foo(enormous_calculation(x))
bar(enormous_calculation(x))
baz(enormous_calculation(x))
return
(update: 21:09 EDT, 「このようなキャッシュの仕方は悪い方法であり、 ほんらいキャッシュ機能は enormous_calculation の内部に隠蔽すべきだ、 というご指摘をいただきました。そのとおりで、この例ではキャッシュの方法が単純なんで ひとつの関数の中に隠蔽できますが、この tmp の値が別の形式に変換されて、 さらにその値が別のプロセスや別のマシンに貯蔵されていることなどもあるので、 キャッシュの管理は外部から行う必要がある、ということが言いたかったんでした、 「キャッシュ」という単語を非常に一般化して使っています)
手続き型言語でこのように変数をつかって 値を分散させる場合、その元となる情報の流れをトラッキングするには 言語レベルの手助けが必要だ。データフローのコンセプトをもっている ライブラリはあるけれど、そういう言語があってもいいような気がする。
尻切れ思考
2階では MoMA と Whitney かどこかがやっている新人建築家の発掘プロジェクトの 報告が書いてあって、最終選考にのこった 5人のアイデアが書いてある。 しかし、どれも微妙につまらない。アイデアはどれも奇をてらっているのだが、 なんとなく「アメリカ流の」奇のてらい方なのである。 ほんらい「奇をてらう」のにはきまった型などないはずだが、 ここにあるのはどれもテクノロジーに乗っかっただけの、技術楽観型とでもいうものなのだ。 ぜんぜん覚悟が感じられないというか、とんがった感じがない。 アメリカ流のウケねらいの方法というのは 予測こそできないものの、だいたい「ああ、いかにもだな」っていう傾向がある。 なんとなく「マスコミ指向」なのである。といって完全に大衆的でもない。 レストランでいえば、New Yorker に載ってそうな奇抜な (そしてそれだけが売り物の) 店。 あるいは Game Show Network 的とでもいうか。ウス味なんだな、どうにも。 この程度が米国の発想の限界ともいえる。
ところで今日ふと 山形さんがおもしろいネタ文章を書いている のを発見した。たぶんネタなのだろうと思うけど、この人の文章がいつもそうであるように 本人はこれが完全 100% のネタだとは思っていなくて、きっと 47% ぐらいは本気の部分があるだろう (いや、31% ぐらいかもしれない)。そしてここにはネタっぽい部分をぜんぶさし引いても、 まだ残る部分がある。それは強調で書かれている 創造は差別や不平等から生まれるという部分である。 はっきりいってこれはもう別にレヴィ=ストロースとかレッシグとか関係ないと思うけど、 新山の感覚からいってもこれはなんとなくうなづける。新山は差別や不平等はあまり経験してないけど、 「なんか (プログラムを) 作ろう」と思うのは、たいていの場合、
しかし、正直なところ、この人の日本語の文章はいいのだが、 英語になると日本語よりもさらに軽薄な、ヘラヘラした感じがしてそんなに好きじゃないな。
(ほんとうはさっさと寝るつもりだったのが、 タイトルだけ訳したらそのあまりのマヌケさに嬉しくなり、つい本文まで訳してしまった)
アメリカんの無神経さがあちこちの紛争をさらにひどくしているんではないかという 義足と推測。やつらは、一般的にいって「怨恨」というものを理解しない。 なんでか知らんが、そういうふうに育てられているらしい。だから、ボスニアあたりや ガザ地区あたりで殴り合いが起こっても、「やめろよ、なんでそういう非生産的なことするわけ?」 という反応になってしまう。それが彼らにとっての合理的ってことなんだろうけど。 ところが他の世界の人々 (東欧とか中東とかアジアの某地域の人々) にとって、 怨恨はほとんど人生の目的である。ここにぜんぜんわかってない連中が 「まあやめろや」とチョッカイ出したところで、事態はさらにひどくなるだけのような気がする。 しかし、そういうアメリカ人も、合理的とはいいながら中絶にはゼッタイ反対だったり、 ゲイは絶対結婚しちゃダメ! とかいってんだから、彼らのいう“合理”もしょせんは 矛盾だらけのしろものだということにたぶんやつらはあまり気づいていない。…ように見える。 そしてただっ広いプールつきの家に住み、家事はほとんど機械まかせにし (たまにペンキだけはぬる)、 ステーキをたらふく食い、バカンスにはカリブ海をクルーズすることが「幸福」の定義であるから …ようするに、論理的な一貫性なぞというもんを考えだしちゃいけないんだよ。きっと。
いつもこういうときにダメだと思うのは、 サッサと帰ればいい時間帯に「あーこうやってもダメだうだうだ…」と ハマリ具合をさらに深めてしまい、あげくのはてに 10時すぎに家に帰ると もう疲れきって何もできない、という状態になっていることである。 これは悪循環だ。 だから帰る!!!
もうネムイのでさっさと書いておくが (ホントはもっと書きたいことがあったのに!)、 けさ見た夢は「国立おもちゃ図書館」に入った夢だった (言い忘れたが、新山は図書館に行く夢はけっこう見る)。 もちろんそんなものは現実には存在しないのだが (「おもちゃ図書館」という名称はあるらしいが、 新山は行ったことない)、夢の中で出てきたそれは都心のどっかにある非常に巨大な 図書館で、建物は新しかった (玄関にある金属製の文字の形もよく覚えている)。 ここには「おもちゃに関する文献」だけが集められているらしい。 そこらへんの図書館よりぜんぜん広く、はっきりいって 「なんでこんなにあるんだ?」っていうくらい文献が多かった。 そんであちこち探検していると (新山は現実世界でもよく図書館の中を探検したがる)、 大ホールでセミナーをやっており (図書館のくせに、大ホールがあるのだ!)、 そこではどっかの大学教授が「おもちゃの“音”」という題で講演していた。 そしてこの教授がこれまた非常に情熱的に話し、 オレはもう内容をまったく覚えていないのだけど、 話がすごくおもしろくて (たしか子供は破裂音などを喜ぶ、 そういう音を発生させる代表的な力学的メカニズムに関する内容だった)、 思わず聞きいってしまっていた。…そのうちに目がさめた。
リアルな夢だったなあ。 どっかで似たような話を聞いただろうか? (自分で全部創作したとは思えない)
ゆうべから今朝にかけてとてもすずしくよい天気だ。 そしてなぜか、オフィスの冷房温度もあきらかに上がっている。 なんでだろう? やはり、外気温に反比例して冷房温度は下がるの仮説は 正しかったのでわないか。うんとこさ。
てくるでふと思ったのだが (オレの日記にはこういう書き出しが多いな、もう何度使ったことやら)、 新山のこの「新しい日本語表現を勝手に作りだす」というくせは、たしかに母親から 遺伝したものと思われる。しかし、多くの人は自分が気づかないだけで、じつは各人が 自分用にカスタマイズされた言語セットを (その解釈も含めて) 持っており、それは 決して他人と同一ではありえない。結局同じようなことをみんなしているのだと思う。おんなし。
どうでもいいが、最近、英単語の定義やスラングを調べるのにはもっぱら UrbanDictionary を使っている。用語を調べるにはこれと、あと Wikipedia か MathWorld が あれば十分という感じになってきた。とくに英語版 Wikipedia はかなり充実しているし、 最近では日本語版もそこそこおもしろい。検索エンジンはランダムリンクか、 「よくある言いまわし度」を調べるのにしか使わなくなってきてしまった。
いまもよくわかってないけど!
どうでもいいのだけど、今ふいに、温州みかんが食いたくなった。 この時期この地域ではどーーーやってもムリだ。きっと。
Washington Sq. N. を封鎖してやってた映画の撮影、 今回はなんだか大規模。
ゴーール!
ド・ゴーーーーーーーーーーーーーー
ーーーーーーーーーーーーーーー
ーーーーーーーーーー
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーール!!
きみたちがそうやって進歩している間にだな、オレはかくも前進主義 (頭ゴチっとぶつける) だ。 わかるか? 本館の便所。
あるいは、|-1|個のウソといったほうがいい。
てくるで (とこ)、 continuation を最初に「継続」って訳した人は誰だろう。 用語に関しては Lisp や ML のほうが Python より先をいっている気がする。
(さっきの文章を書いたあとにいきなりこのカタカナ語ばっかり使うはめになり、気分悪くなった)
ちなみに今日はまだ 25℃ぐらいでひじょうにすずしい。 これくらい涼しいと生きているのが楽しくなるね。 しかし、なぜまだ冷房?
ひどいコードを他人に読ませるのは「コードハラスメント (コドハラ)」って呼ぶんだろうか、な…。やっぱ。
ネムいので久しぶりに solarwolf にハマる。 けど 2回死んだらもうやる気がなくなった。 もう今は世の中のことすべてなにもやる気がない。 呼吸さえも。
選択された言語のページからは該当するページが見つかりませんでした。ウェブ全体からのgnggnの検索結果:
新山が大学でついてきた役職一覧:
雨がふったので、外はガクンと温度が下がった。 お、この「外は温度が下がった」というのは「象は鼻が長い」構文だな。 しかし、厳密にいえばちょっとちがうな。この場合、「外は」の“は”は (ややこし)、 「外では」という場所を示しているが、象の場合の“は”は (ややややこし)、 「提題」を示している。どうでもいいが「山古志村」というのは「ややこし村」とちょっと煮ている。グツグツと。モサモサと。
どうでもいいが (DDI)、ものを食べるときの擬音で「むしゃむしゃと」というのは、 いかにも馬が牧草を食っているような風情を感じさせる。しかしどこかしら攻撃的だ。 もしかして、「武者武者」が語源だったりして? どうでもいいが (DDI)、 これヲサラニ敗北的ニスルと、「モシャモシャ」という語感になる。?。 これはどことなく敗戦的な匂いがする擬音だ。さらにこれが陰気さを増すと 「ぼそぼそ」になる。まあ、ホントにどうでもいいケド (HDDI-KEDO)。
…あ、もう夜か。でも。
こういうときに、安全な部屋の中にいて外の雨をじっと不安そうに 見上げている、というのが好きだ (暗いなー、オレって)。 部屋の電気を消すと外だけが不気味に灰色に見え、 ときどき稲妻がビカビカと光る世界になる。
あまりに激しい雨なので、雨粒は風にあおられて均一でなくなり、 さしずめ黒い煙が舞っているように見える。 ここはビルの谷間の 7階なので、雨は上の細長い隙間から 入りこんできて、はるか下へと落ちていく。 この隙間こそ宇宙と世界 (この2つは別物!) をつなぐ柱だ…。 そんなに大した高さではないはずだが、 そこは建物に囲まれているため、いっそう深く見えている。
で、これ、いつやむのよ?
ヤク中 (≒訳注):
新山の「どうでもいい」表現には幾通りかある:
ああああああ
あああ
ああ
あ
あ
ぁ
ぁ
ぁ
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|
:
:
.
オッス! オラ牛肉!
(深刻) ふとまじめにときどきたまに考え(かんがうぇ)こむことがある、 もし自分が自分以外の人間だったならば、きっとこんな奴のことは大嫌いだろうとね。
いや、ときどきは。ときたまに。玉子とじ。もう寝ます (NLTM)
ところで、ひさびすりに froogle を試してみたが、 インターフェイスがアレなうえにゴミばっかりで、ぜんぜん使えなかった。 "lcd display 17" などで検索すると LCD ディスプレイは一応出るのだが、 「価格」でソートすると上位には LCD ディスプレイじゃないものの値段ばっかり出てくる (ディスプレイのスタンドとか… 検索カテゴリを "monitors" に限定しても、あいかわらず出てくる)。 いっぽう "best match" でソートすると価格ではソートできない。くそったれ。 最近では彼らは web からの情報抽出に頼るのはあきらめて、業者からも 直接データを入れだしたらしい。まあそんなもんだろうとは思っていたが、 それにしても業者の「ランキング」ってどうやって決定してんだろうね。アヤしいね。 しかし web からデータをとっているかぎり、ゴミは入りつづける。 おなじ問題は自前でデータベースをつくっている Shopzilla のようなところでもやはり発生している。newegg はちゃんとモニタだけの検索結果を返す。 しかも安い。 結局のところ、いい店というのは現実でもオンラインでも口コミで広まるのが 一番確実だと思う。Google ももともとは口コミだけで広まった検索エンジンなんだし。 ちなみに新山は ML の情報源をかなりアテにしており、ふだんの会話から 「このヒトはすげーな」と思っている人が言うことはわりとよく聞く。 この「ふだんの会話」を聞いているという部分が重要で、これはすくなくとも どっかのサイトでどこの馬のホネとも知らんやつの 2、3行のレビューよりはずっと信頼性がある。
はからづも、GLARF のバグを発見しちまった。 いやーー有意義な一日だったなあ〜〜〜〜〜〜 (ドクロ)。
ちなみに、このコード量 (Lisp)は全部で 2万行近くある。
dousurebaiinda. koreha.
解決策: メシ食うこと。
…いま PDF 仕様書の色空間のあたりを読んでいたら、気が狂いそうになった。 ったくなんじゃこれは。ふだん何ということもなく見ている「色」というものを 印刷で再現するのに、これほどキチガイ的なまでにこだわる人々がいるというのはおどろく。 たぶん新山はあんまり色に対するこだわりがないんだろう…。オレは色盲ではないが、 自分の目のキャリブレーションが「どっかおかしい」という自覚があるので、 色についてはあんまり文句いわないようにしている。 たぶん、音感と同じように、ある色がどれほどこまかく区別できるかという 「色感」というのはあると思う。そしてオレはたぶん色感がにぶい。 さらに新山の場合、左目と右目で景色を見たとき、その色合いが微妙に異なって見える。 左目で見た世界のほうがほんのわずかに赤みがかっているような気がする。 どっちの色が「真の色」なのか、オレにはわからない。たぶんどっちも真の色ではないのだろうが…。 まあいいや。それにしても印刷の世界というのは奥が深い。 なんたって、歴史が違うからね!
それにしても、図形関係のことをやっていると、 いやーー高校の数学ってのは役に立つんだなあ ってことが、よくわかりますね。。。 たとえば 2次の曲線を 3次の式で表現するにはどうするか? 媒介変数 t に関する恒等式を解けばよいのである! 逆はむずかしいが、これは完全な解が簡単に求まる。ちなみに色空間の変換もたいていは 行列で求まる。affine 変換などが出てくるとたま〜に 大学初年度の数学も使うことがあるが、こんなのほとんど高校生でもできるレベルだ。 でも、いまは、行列ってもう高校で習わないんだって? 惜しいことよ。
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