sato suzuki takahashi tanaka watanabe ito nakamura yamamoto kobayashi daichi hatori muie itchi hanzo samuray saki itchigawa monoko kariushi sanomi saga daiki japan daisuke jun kaito kazuki kazuya mai platinum delete syed miho yoshi miki misaki miu momoko nanami natsumi yamazaki ishiyama ishikawa uketsuke shinjin kojyo ohtani zeimu saga-take saga-yoshi takeda shi-shi uekusa mizobuchi iwabuchi riko shiori haruka kenta kouhei naoki naoto ren riku ryouta ryuu shou shouhei souta takahiro takumi takuya ai aiko akako akemi aki akiko akio akira amaya arata arisu aya ayame chika chikako cho daichi emi etsuko gina goro hachiro hanako haruko hideaki hikari hikaru hiroko hiroshi hitomi hoshi hotaka hotaru ichiro isamu izumi jiro junko juro kaede kasumi katana katashi katsu katsuo katsuro kazuki kazuko kazuo keiko ken kenichi kenshin kenta kichiro kiku kimiko kin kiyoko kiyoshi kohaku kumiko mariko masuyo michi michiko midori miki minako minoru mitsuko miyako momoko moriko nana nanashi naoko naomi natsuko natsumi nibori nobu nori ran rei rem rokuro ryo ryota saburo sachiko saki sakura sango sayuri shichiro shinju shiro shizuka sho sora sumiko susumu suzu suzume takako takara takashi takana takehiko takeshi kumiko akimoto aki fujiwara miharu hamano chiaki hara michiyo ayumi iino itoe inoue nanaho ishimaru reina kamamoto emi kawazoe yumi kuroda matsuo kaori rie miyahara sayuri morita nakazaki emi nunokawa hitomi ogawa naoko ohmi miwa sakamoto etsuko saruwatari akane shoiriki kazuko somekawa miyako youko yamada sachiko yamaguchi mieko toshie yoshikuni junko yumi kanji takumi tamiko taro tomiko tsukiko ume usagi yasu yoko yori yoshi yoshiko yoshiro yuki yukiko yuko yumi yuriなんかマンガっぽい (あるいは源氏名っぽい?) 名前が目立つのだが、 これらの名前はどっから取ってきたんだろうか? "samuray" って?? どうでもいいけど、日本人で自分のファーストネームをもろに アカウント名にしている人は少ないような気がする。 たいていは苗字にするか、(イニシャル1文字 + 苗字あるいは名前7文字 (制限のため)) というようなパターンが多いと思うんだけど、 まああきらかにこのリストを作ってる連中は日本人ではないわな。 そもそも、日本じゃ ssh を使うようなユーザーは欧米に比べて少ないと思うんだよ。
またふと思ったんだが、「顧客」は「お客様」にすべきだったかもしれない。 もとの英文を誰が言っているかシチュエーショんが想像できないのでなんともわからんが。
「だよ。」
だけからなるファイルを開くと落ちるんだと。 ホントに落ちました。<A HREF=https:--------------------------------------------- >
ためしてみたい勇敢な有閑な方はこちら:
http://www.security-protocols.com/firefox-death.html
slashdot でもすでに叩かれてるが、こういうのをいきなり公開しちゃうってのはどうなんかね。
http://www.mozillazine.org/talkback.html?article=7307#3
によると、暫定的な回避策は about:config を開いて network.enableIDN
を
False に設定することだそうな。
しかし、サーバレベルでは最近わりとセキュリティは改善されてきたと思うけど、 クライアントレベルのセキュリティは、ユーザが人間であるかぎり (そして 計算機がチューリング-完全であるかぎり) 今後も絶対に 100% 安全になることはないだらう。 多くのセキュリティ対策というのは攻撃をとにかく防ぐことに集中しがちだが、 じっさいには「コトが起きたときのダメージをなるべく少なくする」対策が重要なんだろうなあ。 でも、システムを複雑化させることを好む人々にはどうもこのへんの発想がないのかもしれない。 だからアホなんだよ。
もしかして、誰かもう訳してるかなあ…。だとしたらアホだなオレ…。
・・・・・・・・・・・・・・・・・。
ダジャレを言ったあとで歯をミガいても無駄だぜ、 おまえは永久に落ちないぜ。
ああ、きっとこれは、アメリカンの遺伝子 (いでんこ) 組み換え風の ジャンクィーなフードで言語中枢がきっと脂肪化しているんだ、きっとそうだ。 早くまともな土地に帰らねば連中に同化されてしまう。
そういえば、ついでに (何のついでだろう???) あっちでリンクが貼れなかったのでこっちに貼っておく:
てくるで、ながの県人以外はおそらく誰も知らないだろうと思われる 「木製ガードレール」のニュースをみてふと思い出したが、 「ガードレール金属片の謎」って結局どうなったんだろうね? まあ、お約束の「煽るだけ煽っておいて飽きたら放置」って展開なんだろうが。 ほとんどのニュースについてそうだけど、たいていのマスコミは 「あるニュースを最初から最後まで追う」ってことを全然してないように見える。 もちろん大変だからなのと売れないからという理由があるんだろうけど、 そういうことをキチンとやるメディアはないのな。 それからよく新聞とかで「統計によると日本の○○における順位が」 というような記事をみるたび思うのだが、一次データをのせろ! と。 ヘンに結果の抜粋だけして思わせぶりなこと言うよりはそっちのほうがずっといい。 でも、たぶんこれも彼らはわざとしないのだろうな、と思える。 そういえば、誰かがどっかに書いていたが、CNN などの、 たとえば台風のニュースなんかで、現地レポーターがなにやら 喋っているときに画面にはずっと「各所の被害状況」のような映像が 流れているのだが、あれは日付も入ってなくていつ撮られたのかわかんないのだが、 思わせぶりにするためにわざと日付を入れてないんだと。 CNN でさえそうなのだから、ましてや fair and balanced な某メディアなどは どうなってしまうのかと気になる。
どうでもいいけど、漢詩がなくっても a か the かを自動的に区別できる日本語はすごいね。 最近あらためてそう思ったよ。ま、それをいえばそんな言語は世界中にいくらべも (=いくらでも) あるが。
某国の海外コンプレックスの人々をみていつも思うことがある。 なんぜ「世界で働か」なければいけないのか。地域のために働けよ! しょせん世界は地域の集合にすぎないということをその人達は理解してないようだる。
ちなみに「なんぜ」は「なぜ」をさらに強調したものです。
そういう意味では Apple の製品が日本人にウケているっていうのはすごいことだと思う。 単純に Apple 信者が多いのかもしれないけど。つうか、ぜったい Apple は日本ウケするように デザインしてるよな。今回の iPod nano にしたって、なにあれ? キチガイ的。 アメリカンにはあんなにチイさいの必要ないよ。 絶対なくすから。だいたいここは PowerBook 17インチを持ってる奴が ウロウロしてるような国なんだよ? いまだにラジカセ持って踊ってる黒人もいるくらいなんだよ? これにはさすがにびびったね。こんな種族 (=ラジカセ黒人) は 80年代のうちにとっくに死滅したものと思っていたが、 こっちへきてアレを最初に見たときは、正直「Whoa!? さすがニューヨークだぜ麺!」と思った。 まあそれはいいとして。
どうでもいいが、日本で PSP のかわりに売れているらしい Nintendo DS ってやつには興味がある。 なんかインタフェイスがヘンテコで面白そうなので。 というか、任天堂は新しい方向を追求しだしたんだな。やるな。でもまだ一度も現物を見たことない。 ウラシマ! Slashdot でレビューされてたのは知ってるけど、こっちで売ってんの? とはいえ、しょせん買う気はないのだが…
これを作った動機のひとつとして、「翻訳欲を満たす」というのがあった。 ある英文にピッタリくる日本語を見つけたとき、「これだっ!」と思うものがある。 ある意味、それは解が無限にあるパズルの解のひとつ (でもかなりいい解のひとつ) を見つけたときの 感覚に似ている。そういうものはどこかに書きつけておきたい、という欲求がオレにはある。 あるいはそれは最終的には「日本語欲」といってもいいかもしれない。 同じことは純粋に日本語で文章を書いていても起こるから。 だが、それがいつもいつもクルとはかぎらないんだなあ。
エラー処理について。エラー処理というのは、プログラマの性格というか、 力量がもろに現れる部分のひとつだ。そしてこれはじつに奥が深い。 ただ単に例外投げて終わり、というほど単純なもんではないのである。 小さな部分でのなんてことはないエラー処理がシステム全体の設計にもか かわってくるという意味で。はっきりいって、これだけで本が書けるよな。 これについてもっと奥行きのある議論やケーススタディが出てこないのはつまんない。 どっかにないんだろうか? 寡聞。
google で "error-handling" で検索するとトップにくる このページの論文。 これは業務用アプリケーションにおけるエラー処理の技法をいろんな角度から分析したもの。 ちょっと流し読みしただけだが、わりと深く分析してあるように見える。
新山は (まだ) 職業プログラマではないから何ともいえないが、職業プログラマはエラー処理が決め手!
と、思う。
とゆうか、米国で TV などを見ていてむかつくのが、この国では 「人間は自分たちの意志で自然をコントロールできる / すべきだ」というような 発想がなんとなく感じられることである。これはキリスト教的なんかもしれないが (なぜなら、かの宗教では人間は選ばれた種族だから、すべての権限を委託されているのだ!)、 そういう思考方法ははっきりいって大っキライだ。といいつつ、 Astor Place あたりで animal rights を声高に叫んでいるやつも同じくらいキライだけど (というか、根は同じところにあると思う。どっちも人間の主観が一番エライと思っている)。
まあ、この国は宗教国家だからな。しょうがないさ。 それも合理的なね!
/var/log/messages
に残った sshd のログを見て、
アヤしきふるまいをした IP を自動的に /etc/hosts.deny
にかっこんでくれるというものである。
Python製。cron
から起動する。なかなか便利なのだが、どうにもひっかかるのが
“/etc/hosts.deny を動的に書き換える”という部分である。こうしたふるまいに
漠然とした不安を感じなかったら、プログラマとしては失格だと思う。
/etc/hosts.deny
というのはシステムの設定ファイルの中でも
かなり重要なもののひとつで、ヘタに設定したらログインできなくなるとか、
RPCが全滅するとか、あるいは最悪の場合クラックされることがあるので、
編集するときはいつも気をつかうのだ。それをプログラムで自動的に変更するdato?
少なくともここには 2つの不安材料がある:
で、ソースを見てみたら (Pythonなので)、トランザクションは基本的に
/etc/hosts.deny
を open(f, "a") で開いておいて、
"sshd: なんとか
" の行を追記するか、あるいは一時ファイルを作ってから
os.rename
でとりかえるという方法だった。だからクリティカルセクションは
そんなに長くない。テキストファイルの信頼性も、行追加だけだったらいいかな。
もしこれが「/etc/hosts.deny をじかに O_RDWR
で開いてごちゃごちゃ」
というような方法だったら即ボツにしてたと思うけど、まあ妥協した。
しかし排他制御はしてないようなので、前の cron プロセスがまだ残ってたらおかしなことになる可能性がある
(しかも /var/log/messages
はスキャンに時間がかかることがあるので、
これはそんなに可能性の低い話ではない)。
そもそも、オレは tcp_wrappers 自体があんまりスキな設計じゃないのだ。
/etc/hosts.deny
と /etc/hosts.allow
という 2つのテキストファイルを毎回パーズする効率の悪さ。
(これらは sshd の接続があるごとにパーズされる、エントリが数万行あったらどうなるんだ?)
sudo
よりはましだが)
libwrap
はすでに
あまりにも多くのプログラムに使われてしまっている。
でも日本の大学とどっちがマシかといったら、モノにならない授業で いくつも単位をとらせる日本よりも、数は少なくとも確実にモノにさせる 米国のほうが絶対にいいよな。だいたい、オレは日本にいたときは「電磁気」とか「地球惑星科学」とかも 履修した記憶があるのだが、いまとなってはそんなの授業の名前しか覚えてないよ。 「生命倫理」なんか一度も出席したことはなく、 試験の 1時間ぐらい前に教室へ入って、スズキに教科書借りて、 ちょっと読んだだけなのに単位きたよ (しかも結構いい点数だった)。「移動体通信工学」は 名前こそスゴそうだが、実際にはド○モの偉い人がきて、なんか講演して、 テキトーなレポート書いて提出。あとはなんだ、「自律分散システム」は JR の見学に参加すれば単位きた (しかもこれは学部の授業ではなくて、大学院の授業だった!)。 こういうのが日本の大学の現状だということはもうみんな周知だが、 これと同じ基準で米国の学生を判断してもらってはこまるのである。
いや、べつに困らないケドね、オレは…。
DDy (どうでもよろ)。
(追記: あとでこれを読み直してみて気づいたのだが、新山も含めて日本人はだいたい 「いかにして私は大学時代にナマけたか」を自慢するのがカッコいい、という風潮になっているもんな。 そして社会もそれを容認する傾向にある。それがカッコつけるための建前であれば別にいいのだが、 多くの大学生は本当にナマけている。)
sl
$ python Python 2.4 (#1, Dec 16 2004, 18:41:05) [GCC 3.3.4 20040623 (Gentoo Linux 3.3.4-r1, ssp-3.3.2-2, pie-8.7.6)] on linux2 Type "help", "copyright", "credits" or "license" for more information. >>> improt os File "<stdin>", line 1 improt os ^ SyntaxError: invalid syntax >>>
昼飯を買いにいったら lei と会った。 なんかアヤしいサングラスをかけてたので奴とは気づかず、あとから考えると笑える。 「なんだお前、きょう休日だと知ってて大学来たのか?」 「そういうお前はどうなんだ」 「オレは向こう (14st.) のジムに行ってた…」 「ああ、そんなのがあるの? Coles じゃなくて?」 「あっちのほうがいいよ、小さいけど、新しいし」 とかいう、どーでもいい会話をして別れる。 新山と話していると彼は中国人相手に喋っている気になるのか、 ときどきうっかり「対、対」とかいう返事をすることがある (対はyesの意味)。 そういうときはこっちも日本語で喋ることにしよう。
いやしょうがなくない!
いや、記事の内容とか写真はどうでもいい。問題は「ゴジャース」という単語だ。 たぶん「ゴージャス」のことだと思うんだけど、 一瞬 typo かと思ったが、記事中で計 3回も使われているのでおそらく意図的なものである。 韓国では「ゴジャース」ってふつうに言うのだろうか? (ちなみにふだん朝鮮日報も芸能関係のニュースもまったく見ない新山が、 いかにしてこのページに到達できたかは永遠の謎だ)
ふと 往年のなつかしいスッドレ を思い出した。いやあ、このころはまだツウちゃんねるを喜んで見てたんだな、オレ。
def max(seq, cmp=cmp, default=None): r = default for x in seq: if r == default or 0 < cmp(x,r): r = x return r def min(seq, cmp=cmp, default=None): r = default for x in seq: if r == default or cmp(x,r) < 0: r = x return r
スーパーの商品棚でふと立ち止まって考える。 米国にはなんでシリアルの種類がこんなに沢山あるんだろう? たいていのスーパーでは、棚一列の片側がまるごと「シリアルの棚」である。 たぶん 100種類以上はあるだろう。しかも箱がデカい。 おまけに伝統的な「コーンフレーク」というものはまず見当たらず、 たいていはチョコレートが入っていたり、ビタミンが増強されていたり、 low fat だったりする。形も“わっか状”のものから格子状 (ホラあの「カルビーサッポロポテト」の四角いアミの形だよ!) のものまでさまざま。あそこからひとつ選べと言われても、 「もう、どれでもいいよ」って気分になることは間違いない。 たかがシリアルで何だよ。 それでもアメリカンはお気に入りのブランドが見つかるまで、 いろんなシリアルをとっかえひっかえ試す人が多いようである。 だからメーカーとしてもこれだけの種類を出すのだろう。
きのうの「選択」についての考えのつづきだが、 じつは人生におけるほとんどの選択はこのシリアルを選ぶようなもんなのかもしれない。 選択肢は非常に沢山あれど、 結局のところ、どれを選んでも所詮はシリアル、というような。
さいきん、フランスの人から vnc2swf に関するメールが来たのだが、 "declenche" とか "espere" とか、英語にない単語が混ざっていて よくわからん。どうでもいいけど、ヨーロッパの人は "Apache" を「あぱーしぇ」と呼ぶね。
結論: 上げてない。
こういう話はよくセキネさんと議論になるのだが、 ヒトがある情報を「検索する」作業というのは、じつに複雑だ。 たとえば彼はまえに四国に行ったときに、うどん屋をさがして web を あっちこっち検索していたが、(彼が考えるところの) まともなガイドは 見つからなかった。で、1〜2時間ぐらいして、ようやくある人のブログロに 詳細な情報が書かれていることを知り、それを参考にした、という。 この結果、彼は「ブログロは情報源として重要だ」という結論に到達したらしいのが笑える。で、 最初からブログロで効率よく情報が得られれば、「この 1〜2時間が 3分間に短縮できる」というが、 それは論理が飛躍しているように感じる。
で、いまの時代は情報が多すぎるので、めんどくさがりな人は 自分が情報を選ぶ基準をだれか他人のそれにペグしてしまえということになる。 それは人によってマスコミだったり、検索エンジンだったり、有名人の発言だったりするわけだ。 でも、マスコミや有名人の発言を 100% 信頼している人間がもしいたら、 そいつはアホだろう。同じように、google でトップに出てきた ページの内容をすべて信じるような人間がいたとしたら、そいつも同じ種類のアホだ。 しかし、逆にまったく他人の言うことをきかない人間というのも考えられない。 このような「他人への依存度」というのはたえず変化するもので、 たとえば普通の人が google の結果をある程度までしか信用しないのも、 その人が「web が信頼できるのはこの程度」という基準をどこかで 学んだからだ。そして、その学習時間を機械によって短くすることはできるかというと、 できないのである。なぜなら人があるものを信頼するには、生理的な時間が 必要なのだ。ある情報を受け入れるときに、人は悩む必要があるのであって、 それは機械に肩代りしてもらうことはできない。いや、機械どころか、 だれか他の人間に肩代りしてもらうこともできない。最終的に信頼するのは自分なんだから。
…とはいっても、本当に自分のことを心配してくれている人ならば、 ある程度は肩代りしてくれるかもしれない。しかしそれは本当に自分のことを 知っていて、将来にわたって自分を心配してくれそうな無私の人に限られるだろう。 たとえば、子供がマンガを探しているときにわざと教養的な本を渡してくれる親とか (それが本当にいいのかどうかは別として)。でも、当然、こんなことを検索エンジンに 期待することはできない。最近よく研究されている「個々人向けにカスタマイズされた検索エンジン (パーソナライズド検索エンジンというらしい)」にしたって、 彼らがやっていることは、「彼ら自身の目的のためにユーザを最適に (広告的に) 搾取する」ということだから。
で、現在の (検索も含めた) web というのは、けっきょく新型の百科事典みたいなものを世界中の人々に 提供しているということで、これは新しい教育カリキュラムの一種といえるかもしれない。 新しい教科書を渡しているようなもんだから。しかし、いくらいい教科書を 渡したところで、人の能力がほんとうに上がるかというと、それはまったく別の話だ。 もっとも昔は web は「整理されてない百科事典」と言われてたんだから、 それが整理されただけでも大したもんだけど。 整理されたために消えた部分もあるけどね…。
matamoyadoudemoiikotodejikanwotsubushimashita.
きょうのマンハッタンの pollen alert は "VERY HIGH" だったらしい。 そりゃあくるわけだ。
世の中にはしょうもないことで喜ぶ人がいるが (それはおれだ!!)、。
そのしょうもなさが宇宙の誕生当時からすでにあらかじめ定められている
という事実を信じる人は少ない。
トイレにいったら、シッダルタに会った。「やあ、帰ってたんだ?」ということで少し世間話する。 彼はこの夏イギリスの Cambridge にある Microsoft の研究所でインターンしていた。 なんでも普通に MS に申し込んだら、「お前のやってる研究はケンブリッヂでやってるからそこへ行け」ということに なったらしい。例のテロがおきたときはちょっと心配したが、とくに影響もなかったそう。 ケンブリッヂの MS 研究所はデカいらしい。彼の専門は分散ファイルシステムだが、 WinFS もあそこでやってるのかな。MS は自然言語処理でもかなり有名な研究者を何人も 集めているが、その研究成果がちっとも生かされているように感じないのはオレが偏見だから? まあ、どちらにせよ、企業の研究所ってぜんぜん魅力を感じないのだが…。
セキネさんのような零細企業の社長 (そう、彼はシャチョ〜〜なのです!!) でちょっとうらやましいのは、 すくなくとも彼がちゃんと「お客」をもっていることである。そしてお客との距離が近い。 ソフトウェア産業ってのは製造業というよりも圧倒的に「サービス業」に近いと思うので、 お客との距離が近いってのはいいよな。
むったくむう。
「…もっとも、あの人は義務なぞを抜きにしたって、やはりお前に惚れこんでしまいます。 わたしはあの人をよく知ってるんだからね。…とにかく、お前の言うことを聞くように躾けなくちゃだめだよ、 − それができなければ馬鹿さ。また首がくくりたいなぞと言って脅かすだろうけれど、本当にしちゃいけない。 ただほんのでたらめなんだからね。本当にしちゃいけないけれど、それでも油断なく気をつけるんですよ。 まかり間違ったら、本当に首をくくるから。ああいう人たちにはよくあることなんですよ。 それも力が余って首をくくるんじゃなくって、力が足りなくってすることなのさ。 だから、決して一か八かというきわどいところまで連れていってはいけない − それが夫婦(めおと)ぐらしの第一の秘訣だからね。 それから、あの人が詩人だということも頭に入れておおき。 よく聞いてちょうだい、ダーリヤ。自己犠牲より大きい幸福はほかにありゃしないんだよ。…」ドストエフスキー 「悪霊」 米川正夫訳