しかし、それが何か言えない時点で終わってい
る。
emerge -u world
して
今朝リブートしてみたら立ち上がらねえ。くそったれ。
今日はこれの原因追求で 2時間ちかくつぶれた。
ところで、日本ではあまり知られていない家具メーカーの IKEA だが、 こっちの人間は IKEA のことを「あいけあ」と発音するが、FAQ によれば 「アイケア」と呼ぶのは間違っているそうな。
あしたのノルマ (のるミスト):
we
の性能はあやしいな。
/etc/modules.conf
がおかしいぞ、こら。
を検索した途端、部屋の電気が
…約1秒間だけ。しかし当然のように計算機はもたず。e2fsck。 (自宅はまだ reiserfs じゃないのです、なぜならいまだに RedHat 7.3 だから!)
くそーーーー。ぜったい UPS を買ってやる。
日本語訳: NewsForge がダミアン・コンウェイ氏による『Perl Best Practices (Perlの規範)』をレビューしている。 「『Perl Best Practices』 は“パラパラめくる (ブラウズする)”のに向いた本である。 10分かそこらの時間があるって? 本書のページをランダムにめくって、コンウェイ氏の書いた 2、3のガイドを読もう。 本書の中でコンウェイ氏もいっているように、ほとんどの人は自分が正しいと思っているスタイルを確立する。 こうして身につけた習慣はこわすのが難しいので、きちんと座って、最初からストレートに本を読んでいくのは あまり利点がない。むしろ一度にすこしずつ規範をみにつけて、(必要があれば)それらの習慣をなおし、 前に進んでいくのがよいのだ」
この本、Perl だけど作者のいってることはまともだな。読んでみようかな。
map
の使い方…」
などと見せっこするのがいいのである。
「生産的な Scheme プログラミング」などという表現は
「盆栽を砂漠に植林しよう!」というのと同じくらいバカげている。
Python もまた、やや盆栽傾向のある言語である。 共通するのは「優雅」ってことだ。 でもまだ Python は辞書とかがあるから多少効率主義の匂いがする。 ほんとうに優雅にやるならやはり Scheme で配列も辞書も使わずに、 cons と alist だけでちまちまやるのがいいと思う。 (cons と閉包で B-tree を実装するというのも味わい深い) ハッシュテーブルとか socket とかの汚ないモンは CommonLisp にくれてやればいいんだ。
きょうの空はどよーんと曇っており、かすかに霧雨のようなものが ふっている感じがする (かもしれない)。五番街を通ると ESB は 下のほうしか見えておらず、遠くはまっしろで見えない。 オレはこういう天気が大好きである。なんだか微妙にあの世っぽい景色だからかもしれない。
…とぞ思はむ。
きょうがサムかったからって、明日から一週間の予想気温をいっせいに下げるなよ、ベキャロ!
明日やること一覧。あすなろ (って書くとなんか微妙に弱気な雰囲気 (←←ふいんき)):
こういうときはどうしようもないので、 なにか書いて気を落ちつけるしかないわね。 といってもそんな個人的なことをここに書きつけるわけにはいかないので、 たいていは非常に! 婉曲された! 歪曲された! 言いまわしを使うことになるが。 多くの抽象的な意味不明的な文章はこうして生まれる。 というのは、それは結局のところ「自分のせい」であるからで…。
まあ、あれは誰んな (=どんな) 人にきいても、10人が 10人、きっと 「そりゃ新山が悪い」と言うだろうな。 友達 10人もいないけど! (≒ 自虐的。)
てくるでニュウ・ヨーカァーが "VPN" のことを何て呼ぶか知っているかっ。 「う゛ぷぉん」だ。「う゛ふ゜ん」ではないぞ。「う゛ぷぉん」なのだ。 ウソはここまでにしておいて、いやこれからも続くけど、 アメリカ国には URL のことを「ぉあ〜る (ur を“ぉあ〜”とそのまま発音する)」 と呼ぶ人が本当に存在する。あと "vi" を「う゛ぃー」って言ってるのもきいた。 あと "ftp" は「ふとぷ (ウソ度 50%)」。"dtd"は「どとど (ウソ度 80%)」。 "pygame" は「○゜○○゛○ (ウソ度 100% のため検閲しました)」。などなど。
死にたくなったので、自分の身体を賽の目のようにこまかく切りきざんて味噌汁にいれる。 この世界では、オレは豆腐だ。しかし問題は、この味噌汁をいったい誰が食うのだろうということである? みそりす (味噌リス)? みそるし? mssr だね、とにかく。MSSR つ USSR ぬ缶食いゑ現在之所不関係。ぞんぞん違。
てくるで、こんなことはどこかの SF ではもうとっくに書かれているだろうが、 デジタルな情報を何億年にもわたって保持しつづけるメディアとして、DNA のほかに 言語がある。そういえば何かバクテリアの DNA の塩基配列を 2次元にプロットして、 じつはこれは宇宙人が残していったイメージなんではないか、といっていた 学者がいたなあ。これはなかなか賢いと思う。しかし、同じように、言語にも (少しずつ変化はすれど) 似たような機能があるはずだ! したがって日本語を詳しく調べれば過去に宇宙人が来た形跡があることがわかるのである! 電波、電波。
今日はオレなんでこんなこと書いてんだろ?
しかし、あにはからにゃこのページは本来こうゆう事を書くための
ページなのであ
る。甘くみてはいけない。こうゆう事ってどうゆう事?
それはお
前のセリフ
(暗転)
てくるで、秋といえばビッグバードだが、
…と、いうことをいま考えてあまりにウケて一人で大爆笑していたので、 思わずここに書きつけておく。
かうもの: せんざい。
忘れることと圧縮することはどう違うのだろう?? それらはみなおなじだ。おんなし。
テクノロジー、こと計算機に関する言説のなかで一番気にいらないのは、 これが「人間の能力を高め、拡張してくれる」というような考え方だ。 たしかに、一部の人々についてはそうだろう。計算機はおそらく 障がい者や、情報を得にくい人々の生活を助け、いい意味で向上させるだろう。 実をいうと、新山がほんとうに興味のあるコンピュータの使いみちというのは それしかないといえる。しかしこれらの機械が、人間のもともと持っている欠点、 たとえば軽率な判断や、ケアレスミスや、差別や偏見まで消してくれるというのは大きな間違いだ。 どうも、そのことに気づいてない人が多すぎる。
オレも気づいていないけどね!
研究者になることの是非について。 おととい、去年 5月まで NYU の学生だった OB と話したのだが、 彼は久しぶりに NYU の授業をうけて「学生な感じ」を味わい、 非常にエキサイティングだったという。そんなもんかね。 新山はまだ一度もまともな社会人になったことがないので、 社会人の側から見た学生の印象というものについてはっきりしたイメージがない。 まあ、でも、おおむね「怠け者」というふうに見えるんじゃないかな、とは思う。 実際、そうだし。少なくともオレに関していえば確実にそうだ。 でも同時に「学生はひたすらアホなことに挑戦できる」というイメージもあるらしい。 で、やっぱりまともな研究をするんなら企業の研究所に就職するんではなくて、 大学などの機関に就職したほうがいい、というのだ。 ここでいう「まともな研究」というのは「十分にブッとんだ研究」というくらいの意味である。
そうなのかなあ。実際には、オレ自身は企業の研究所にもべつに興味はないので その可能性を考えたこともない (それに、企業の研究所の採用は年によって かなりバラつきがあるらしいから、運が悪ければ働き口があるかどうかもわからないそうな)。 しかし大学に就職したらしたで、たとえ新山が米国のもろもろの欠点 (飯がマズイなど) にすべて耐えられたと仮定しても、研究者になってほんとうに「十分なキチガイ性」を 確保できるのかどうか、あやしいのである。いまはまだ自分で自分のことを 「それなりにキチガイ的」と思っているが、もしかすると、大学に就職したら自分はすぐに 「フツーな奴」になってしまうんではないか (はっきりいって、たいていの研究者は 「フツーな奴」だ…彼らは事務的に研究しているだけであって、とりたてて面白いわけでもない)。 そして、「どこかの大学かなんかでのうのうと生活している自分」というものを いとも簡単に想像できてしまうのである。 たぶん、新山は環境をキチンと整えられて「さあ、研究しなさい」といわれて できるような体質ではない、と直感的に思う。抑圧が必要なのである。 もって生まれた貧乏症というか。 なんの悩みもなく、ただ自分の研究に向かって爆進しているという自分の姿は ちょっと想像できない。新山の場合だと、たぶん悩みがなくなったら、 研究もしなくなるだろう。それに「なんとなく研究者になる (なってしまう)」というのが嫌いである。 人生には選択が必要である。 このまま職業研究者になっても、「なんとなく」感から抜けだせそうにない。 そのためにも一度、研究的なものからきっぱり離れてみる必要があると思う。 それで戻ってこれないようなら、そもそも自分は最初から資格がなかった。
もちろん米国も食い物という点では 非常に抑圧されているのだが、ここで言っているのとはちょっと違う。 なんらかの生涯にわたる研究テーマがあるとして、もしちょっとの障害で 研究ができないとダダをこねるならば、そんなものは最初から生涯の研究テーマでも なんでもなかったのだ、と思う。新山はそうしたテーマをひそかに決めているが、 まだほとんど人に話したことがないし、まだ非常にぼんやりしたものなので、 そもそもそれが本当に (たとえ一部でも) 「ものになる」かどうか 正直いってまだ自信がない。そして、これまでの経験だと そうした問題というのは、すぐに全力でとりかかっても解けるというものではなく、 すこしの間、自分の中で「遊ばせておく (あるいは発酵させておく)」のがいいらしい。 それで本当にものになりそうだということがわかれば、 そのときは職業研究者になってもいい (なれれば、の話だけど)。 それが何年間かかるのかわからないが、その間つねに問題を意識していれば、 いつかはっきりその形が見えてくるようになることもあるだろう。 こんなのはひどく幼稚な考えといわれるかもしれないけど、 これがダメだったら、研究者などという他人様の資源をムダ使いする職業には 就くべきでないと思っている。(新山はまだ PhD をとってないからエラそうなことは言えないが、) たとえ PhD をとったからといって、自分が研究者としてやっていける資格があるとはまったく思わない。 ほんとに研究者としてやっていけるかどうかの基準は、他人に決めてもらうのではなくて、 自分のなかにしかないのだろう。たぶん。 まあ、こういうふうに思えるようになっただけでも、留学する価値はあっただろうね。
てくるで (ところで)、「資格」ってのは誰が決めるんだろう?
(追記) いわゆる「職業研究者」の中には、出世街道を気にする方々がいる。 つまり「どこそこの大学の教授になれれば本望」というような目標をもつ人々が。 名より実をとるタイプの新山としては、こういう動機はサッパリ理解できない。 べつに偉くなったからといって何ができるようになるわけでもなし、 雑用が増えるだけのように思える。研究費がたくさん使える? といっても、分野にもよるが、ほとんどの研究はそんなに大量のおカネは必要ない。 ボス顔をして威張りたいという欲求も理解不能。とにかく理解不能。
TRIMPATS = [ re.compile(ur'^.+ (-+|\x97|\u2014) [A-Z`"]'), re.compile(ur'^[A-Z][A-Z][A-Z ]*, [A-Za-z\.]+\. [A-Z`"]'), re.compile(ur'^\([^\)]+\)[^A-Z`"]+[A-Z`"]'), ] def trim(s): s50 = s[:50].replace(u'\xa0',' ') for pat in TRIMPATS: m = pat.match(s50) if m: return s[len(m.group(0))-1:] return s
(注: 一日じゅうこればっかやってたわけではない)
しかしオレは、米国の国家予算により行われたこの研究成果を こんなところにやすやすと書いてしまっていいのか、ということに対して、 罪悪感なぞまったく感じない。さてこれをもとに論文でも書くか。
それにしても Java はなんでこんなにバカメモリを食うんだバカヤローーー
fopen
したら返り血チェックすんのは当たり前だろ?
ヤツのプログラムはどうあっても使いたくないな。
しかし、考えてみれば、他人が書いた自然言語処理のツールで
「これは使える!」と思ったものは今までの人生のうちひとつもない。
ひとっつも。これは何かどこかで重大な誤算があるようの気のするである日本のマスコミでこのニュースを伝えるところは何紙あるのか?
いま、あっちこっちの web から (英文の) ニュース記事を集めているのだが、 新聞によっては、最初の 1文に記事のクレジットが入っていることがあり、 これが構文解析をミスらせる原因になる。たとえばこんなかんじだ:
(CBS/AP) Jessica Simpson and Nick Lachey are ... FORT BRAGG, North Carolina (AP) -- Three people who taught ... LONDON, Oct 6 (Reuters) - British Prime Minister Tony Blair said ... MEXICO CITY, Oct. 5 - Federal prosecutors in New York ... WASHINGTON -- The Bush administration is beginning ...
新聞記事の最初の 1文というのは、ふつう非常に重要なことが 書いてあることが多いため、これをとり逃がすわけにはいかない。そこでこのようなノイズを あらかじめ削除することが必要になる (、ということがわかった)。 しかしこれはどの記事にも現れているわけではないので、下手に切りすぎると以下のような文に支障をきたす:
このための超ハイテク・最先端技術ともいえるプログラムを開発したので ここにサラしておく。コレじゃよ。Both groups -- DeLay's and Blunt's -- were ...
import re PATS = [ (re.compile(ur'^"'), False), (re.compile(ur'^[A-Z][a-z]+ +[a-z]+'), False), (re.compile(ur'^.+( -+ | \x97\xa0| \u2014 )'), True), (re.compile(ur'^[A-Z][A-Z ]+, [A-Za-z\.]+\. '), True), (re.compile(ur'^\([^\)]+\)[^A-Z"`]+'), True), ] def trim(s): s50 = s[:50] for (pat,trimmed) in PATS: m = pat.match(s50) if m: if trimmed: return s[len(m.group(0)):] else: return s return s
関数 trim()
には最初の 1文の文字列 (unicode であると仮定している) を与えると、
その最初のクレジット部分をトリムして返す。いまのところ正解率は 98% ぐらいである。
ちゃんと測定してないけど、たぶん。でもこれは米国のメジャーな新聞にしか通用しない。
変な unicode 文字 (―) が入っているのは ABCNews やロイターの記事がダッシュに
そういう文字を使うためだ…。
いやーーーー自然言語処理ってほんとうにサイエンティフィックですね!!
(追記) この分野でムカつくことのひとつは、このようなアドホックなアプローチをとっておきながら、 数パーセントのエッジケースに対しては「複雑すぎるから無視」という態度をとらされることだ。 本質的に「マイノリティは切り捨てよ」という立場なのである。 このやりかたに嫌悪を覚えない人がいようか (いや、ない)。 これはエラー処理やセキュリティの考え方 (少数のエッジケースにこそ注意を払う必要がある) とは 正反対だ。このため自然言語処理に結局なにが起こっているかというと、 「むずかしいから」といっていろんな部分をだんだん切りすてているうちに、 最後にできあがるのはまったく使えないガラクタになっている。 切り捨てたところに実は何か重要なものがあったんではないのか? と考える人はほとんどいない。
GRADUATE STUDENT RECEPTION & ORIENTATION@ NYPL Trustees' Room (206, 2nd floor) Humanities and Social Sciences Library, Fifth Avenue and 42nd Street The New York Public Library Research Libraries cordially invite you to join us for drinks and hors d'oeuvres, and to meet fellow graduate students from other metro-area schools. Learn more about the rich and unique collections, the scholarly opportunities and services available to you in one of the world's great research libraries. Please see below for RSVP details. Tuesday, October 18th, 6:00 PM - 8:00 PM Thursday, October 20th, 3:00 PM - 5:00 PM
まあ、正直にいって、ニューヨークではこういったレセプションから、 あっちこっちの大学やら美術館での講演やら、ワークショップやら、 「好き者のためのイベント」が毎日のようにそこかしこで開催されており、 そういうところは結構好きだ。情報収集を熱心にしていれば、 こういうところで沢山のことが学べるだろうし、知り合いもできるだろう…。 もっとも新山はヒキコ森なので、ぜんぜんそんなことには熱心ではないけれど!
どうでもいいけれどオレは Guggenheim の会員になるべきかどうかについて、 いまだに迷っている。いちばん安い位の "Friends" という会員 (会員には、出すカネに応じて、いろいろ階級がある) になると、 学生は年に 5回以上行けばモトがとれるわけよね…。でも、そんなに行くかあ?
このように、def f(): x=1 def g(): f.x = 2 return return x
g()
内から f
の変数 x
に対して、
f.x
でアクセスが得られるようにしたらどうか
(現在の仕様では x は参照のみ可能で、代入はできない)。
ただしこの場合はちょっと注意が必要で、f.x
へのアクセスが有効なのは、
関数f()
の内側からだけである。f()
がまだ実行されていないうちから
f.x
にアクセスすることはできない。しかし f()
がジェネレータとして生きている場合には
アクセス可能だ…。でも、そうすると f()
の文脈が複数存在することになってしまうな。
そうすると Singleton なクラスしか実装できないということになるのかな。
いや、それとも「オブジェクトは continuation である」ということにすればいいんだ。んか??
頭がこんげらがってきた。
しかし、これがうまく実装できれば、クロージャとオブジェクトの違いはほとんどなくなる。
f.g()
のようにすれば f
内の g()
をじかに呼び出すこともできるので、
ほとんどこれはメソッドと同じになるではないか。でも、そんならなぜ最初から
class
を使わないの?? いや、この方法には「オブジェクトの存在時間が明示的に定まる」
というメリットがある。オブジェクトは関数が呼び出されてから return
するまでしか
存在していないので、オブジェクトの時系列の動きがよりはっきり記述できるようになる。
ただし通常の関数では f()
の外に制御が出ることはないから、
ふつうは yield
かなんかを使わなければならないだろうけど。うーん、結局、わけわかんない。
でも状態遷移機械のようなものを実装するのにはいいと思う。でもやはり概念が複雑になりすぎるのか。
どうでもいいけど最近、Slashdot の RSS に URL の重複 (というか、記事の重複。 Traiss は URL の md5 で記事を判別しているんで URL の重複は関知できない) がやたら 多いんだけど、これは向こうがなんかアホってるのだろうか? それともオレが悪いんだろうか?
…はあ。はあ。
よし、これは何としても言ってやらなければならない。 「こんなんではダメだ、ダメだ、ダメダメだ!」と。 いうぞ。よし。いうぞ。
ところで、C++ のコンパイルエラーは「暗号のようにわかりにくいもの」の例えに使うのに有効である、 と思う。
新山は「プログラムを、それを走らせてるあいだに変更する」という危険なことをよくやる。 これは、その「プログラム」はだいたい非常に時間のかかるものであるので、 それが終了するころまでには変更は終わっていて、次のテストの準備 OK、 という状態になっていると期待しているからである。ところが (てくるが)、 シェルスクリプトではこれができない。なぜならシェルスクリプトは ファイルから動的にコードを読み込んでいるからで、ファイルを実行中に 変更するとオフセットがずれておかしなことになり、あらぬ部分を実行してしまったりするのだ。 これはじつに危険だ。しかしなぜ、ファイルを一度ぜんぶバッファに ためこむようにしなかったんだろう? これは「無限に長いシェルスクリプトを実行する可能性がある」 ってことだろか?
ところで、新山はまだ「シェルスクリプトを書くときの流儀」というものをよく知らない。 おそらくみんな自己流でやっているのだと思うが、これはけっこう奥が深いと思う。 シェルスクリプトの場合、たいていは実行に時間がかかるうえに、 途中で予期しないエラーが起きると最悪の場合システムをぶっこわしたり他人様の マシンに大量のメールを送りつけたりなど、恐しい結果になることがある。 まあだから楽しいといえば楽しいのだが…。
どうでもいいけど、psyco を使っていると pychecker が落ちるよね。
Berlios ってどうなんかね。ドイツ政府から金が出ているらしいけど。 まあ、sourceforge がよくないことは認める。 もっと謎なのは sourceforge.jp だ。 インターフェイスが日本語であるという以外になにも特徴なし。 ホントか?
COMPUTER SCIENCE COLLOQUIUM Friday, October 7, 2005 - 11:30 a.m. Room 109 Warren Weaver Hall 251 Mercer Street New York, NY 10012-1185 Speaker: Philip Rosedale, Second Life Inc. Title: Building a World with Digital Atoms
な〜んかあやしいトークだなあ。 トぁ〜くね、トぁ〜ク。
comp.lang.lisp
病気だ…。
音楽を大容量で聴いていると誰かに自分の名前を呼ばれたような気がしてふと後をふり向く。 するとそこには (部屋の電気をつけず、スタンドだけで作業しているので) 暗闇のなかにひとすじの空間が… (本当に呼ばれていることも結構あるので油断できない、 何に? いや、あれらの存在にである。あれらだよ、あれら。 キミにわはからなゐのか。)。()
ここは地上 78階です。(あるいは、さういへば)
大学にいるあいだにこういう意味不明な日記を書くことはめったにないのだが (まあ、最近は)、なにかときどき非常に論理を虫したい時があるのだ、オレが人間の場合は。 なぜなら、バグっているからである。?? それはうそだね! それはうそだ。嘘つき。→ → ・ ←
へれんに PhDの漫画を教えたら 「知ってるよ。超有名だよ。知らなかったの? 理系の学生はみんな知ってるかと思ってた」 といわれ軽くガーソ。と、いうか、アレを読むと「学生は怠けるのが当然」という 意識がますます加速されそうで困る。べつに困らないけど。
どうでもいいが、彼女はインターンをしてから平日と休日の区別が きっちりつくようになったという。オレはいまだにきっちりついてない。 しかし平日は人が多くていろいろとウザいので、どちらかというと人のすくない 週末にオフィスに来て一人で寂しくコツコツやるのが好きなのだが…。 こんなんじゃダメだああぁぁ! しかしいまだに彼女はオレと同じように寝坊魔なので、 そのナマケ者ぶりにはたいして差はないと思うが…。 しかし、彼女の場合は某コンテストの締め切りがあと 1ヵ月しかないので大変そうだな。 オレはそういうしばりがなくって楽だな (というかそのためにより堕落しそう)。 このあいだ、日本人の人々でちかくの店に『ニューオリンズ・料理』を食いにいったんだよ。 ニューオリンズ料理といってもようするにナマズをはさんだサンドイッチを食っただけだが。 なまずってのは英語で "catfish" というのだけど、この名詞については日本語より英語のほうが インパクトあるよな。…えーとなんでこんな話はじめたんだっけ? ああそうだ。そこで、研究についていろいろ言われましたのです。 つまりお前はへれんと違って余計な縛りもないんだからその分しっかりやれというようなこと。 へいへい。そのとおりでごぜえま。
ちなみに新山は H嬢のことをよく「彼女」「彼女」といっているが、 ここでいう「彼女」はあくまで代名詞であって、一般名詞ではない。 これはもしかすると読者を混乱させるのかもしれないが、 どのみちここの読者なんていねえからどうでもいい。 以下同文。
今日の占いクッキー:
The days you work are the best days.なぜこのラッキーナンバーは昇順になっていないのだろう? 気になるじゃないか。ちなみに裏側はこうなっとル:Lucky Numbers: 25, 36, 14, 47, 5, 19
LEARN CHINESE: BirthdaySheng-dan-jie 生日
ちなみに、また発音が間違っとるよ。しかも、2重に間違っているそうな。 「Sheng-dan-jie」は「生誕日」の発音だが、へれんによれば中国語で 「生誕日」というと、これはキリストの誕生日のことで、ふつうはクリスマスのみを指すのだそうな。 つまり固有名詞ってわけね。知らじよ! (メシを食っているときでもこういう話題はのがせない、職業病か)
♪んぷ: べりべりすり〜ぴ〜〜〜〜〜〜〜 べりべり
おん♪
さふいえばけふは途中から星占いの話になって、 正直、ついて行けなかったのだが、だれも「十二星座」の英語がわからんかった (まあ、日本人と中国人とポルトガル人の会話じゃあね)。しかし帰りの電車の中で 思い出した。"Zodiac" であるっ。まあだからどうしたってこともないのだが。 ちなみに新山の誕生日はすでに彼女らに知られていたが、 それでも新山はしつこく「オレは“ふたご座 (Gemini)” だっ」と主張していた (注: 本来、双子座とはぜんぜん別の星座なのだが、「ふたござ」という語感が好きなので、 オレはつねに自分がふたご座であると信じるようにしている)。 われながら、自分の星座にコンプレックスのあるような気のする。 ええ、ありますよ。 これではまるで逆転ではないか。
ところで、こないだスズキさんから (あっちの鈴木ではない、べつの鈴木) PhD という漫画 を教えてもらったのだけど、 これ、いいわ。なんつうか、笑える。それもマゾ的に。 かなり内輪ネタだけど…。 ここしばらく、どうも夏休みが終わってからというもの、 自分が博士学生だということを忘れていたようなかんじだが、 これを見て自分の置かれている状況を再確認した。 いやあ、どこの学生もみんな似たような状況なのよねえ。