文字にならない生活には、いろいろな苦労がある。
'abc'
などの文字列を左からビット列に直したい。
もっと簡単なやり方はないのんかなあ。これじゃ C のコードみたいだよ…>>> s = 'abc' >>> [ (ord(s[x>>3]) >> (7 - x&7)) & 1 for x in xrange(8*len(s)) ] [0, 1, 1, 0, 0, 0, 0, 1, 0, 1, 1, 0, 0, 0, 1, 0, 0, 1, 1, 0, 0, 0, 1, 1]
ちなみに、新山はペーパードライバーの鏡です。
これに対して、日本では「餅は餅屋」という言葉があるように、 「なーんもわかってねえトウシロは生意気な口だすな!」という 空気が満ちている。専門家は基本的にイバるものだし、 それ以外の人々は黙って恐縮して聴いていることが要求されている。 でも、米国では「生意気」は大目に見てもらえるのだ。といっても、 いっぽうではこうした民主主義っぽさがどうもウソくさく見えるのも事実だけど。
今週の敗北: (時間がなくって) FreeBSD がインストールできなかった。 まってろよ softupdate!!
どうでもいいが、今年の晩秋はあったかい。 長野はもう霜がおりたそうだよ。
どうでもいいが (DDI)、「ボジョれー・ヌーぼー」なるものであんなに大騒ぎするのは 世界でも日本だけらしい。
で、ここにはなにか日本に固有の原因があるのかと考えてみるに、 あれがあんなに (← 非常に“遠い”代名詞的表現だ、自分とはゼンゼン関係ないって感じ) 人気なのは 「洋モノ」「おしゃれ」というもとからのイメージに加えて、 日本人の食生活における「とれたて」「旬のモノ」を重視するという感覚と 何かつながりがあるんじゃないか、と思える。 つまり、日本人にとっては「とれたてのワインですよ!」という売り文句は、 なにか「こりゃ今のウチに食っとかないとトウが立っちまうぞ!」と感じさせる ものがあるんじゃないか。な。つまり「新茶」「新サンマ」と同じような感覚だ。 実際にはこのワインはべつに「とれたばっかり」なわけじゃないし (あ、一応「とれたばっかり」なのか?)、 少々時間が立っても大した違いはない (というかむしろいいくらいだ) のに、 なぜかみんなで一斉に「それーーーーっ」っとばかりに群生する。 とーぜんここには「話題に乗り遅れるヤツ →→ → 阿呆」という 恐怖的心理も働いていることは否定できない。
で、ここからさらに拡大解釈すると、日本人はこの「新しいほどいい」 「若いほどいい」って感覚を何事にも拡張しすぎなんじゃないかと思える。 基本的にみんな新しもの好きで、新しいものが出るたびに流行が急激に変わるのもこれと 関連があると思うし、ほかにもどっかで読んだ話だけど日本人のスチュワーデスは若づくりにする傾向があるが、 同じアジア人でもシンガポール人スチュワーデスは子供っぽく見られないように わざと老けた (というか、自分の年齢より上に見える) メイクをするんだそうな。 それはありそうだな…。新山にはまったく理解できないが、 どういうわけか日本には「若い!」「ウイウイしい!」という属性を異常に重視する人々がいるような気がする。 おそらく、日本ほどロリコン趣味に“理解のある” (あるいは“同情的な”) 国は 世界のどこをさがしても他にないだろう。つまり、
ああまた朝からこんなことで貴重な時間を。というオレはいま洗濯中。
ゆうべは新たに買ってきた HDD 2基をバックアップ用の古いマシンにとりつけ、
そのうちの 1基は別のマシンから移動したのだが、あっちこっち分解したので
終わったときはヘトヘトだった。でも研究したくないときにはこういうのは
ヒジョーーに楽しいのよ。その後、夜通し NFS 越しにコピーしてようやくこの状態:
$ df
Filesystem 1k-blocks Used Available Use% Mounted on
/dev/hda6 381139 63722 297739 18% /
/dev/hda1 46636 10334 33894 24% /boot
/dev/hda2 26889532 760380 24763228 3% /usr
/dev/hda7 256667 102518 140897 43% /var
/dev/hdf1 288451232 134649732 139149020 50% /backup3
/dev/hdg1 288451232 139235560 134563192 51% /backup4
このあと cron
をセットアップして差分ダンプがちゃんと動くようにし、
チェックしてうんたらかんたら。こーゆー部分が神経つかうんだよねー。
上司より「週末にやっといてね」との
お言葉をいただいております。フンだ。
月曜日の todo: 確認、あと wiki に反映する。
ちなみに、東工大にはかつて水俣病のときに「原因は有機水銀じゃない」と主張したことで有名な 某名誉教授がいたが、この大悪人とされる人物について知っている人は学内でも少ないと思う。 オレもよくは知らない。
旧いものを毀(こわ)そうとするのは無駄な骨折だ。ほんとうに自分等が新しくなることが出来れば、旧いものは既に毀れている。-- 島崎 藤村
新山はこういうときミョーに完璧主義者であるので、 なるべくテストを沢山してからリリースしたがる傾向がある。 自分としてはこういう地道なプロセスこそが重要だと考えているんだけども、 これがもうめちゃ時間がかかるようになってきた。 だいたいオレは Windows 機をもってないので、わざわざ vmware を立ち上げてテストしてるのよ (つうか、もはや vmware はそのため「だけ」のマシンになった、あと pygame実況中継の録画用)。 使っている vnc の種類やバージョンやプラットフォームが分散してくると もう趣味というより「お仕事」っぽくなってくるんだわ、これが。 もう ESR のいうような「バグがあろうがなんだろうが、とにかくしょっちゅうリリース」という ポリシーに切り換えるべきだろうか? でもそうすると、いずれ自分でコードの全体像を把握できなくなってしまうことは目に見えている。 オレはなるべくきれいに整った、コンパクトなコードを維持したいんだよ。 多くのセキュリティ的に欠陥のあるコードというのはそれができてないために起こるものと思う。 これはまだセキュリティにあまり配慮する必要のないローカルなプログラムだからいいのかもしれないが、 でもなんかやだな。オレが潔癖症すぎるのだろうか。
ちなみになんでこんな時間に起きとるかというと、 晩メシくったあとに中途ハンパな時間に寝たからです。そろまた寝ようかな。
まず最初に、けさ地下鉄の中で見かけた太ったゴスに告ぐ: ゴスがデカい口あけて菓子パン食うな! カッコ悪いから。 そもそもこの車内は飲食禁止だ!
それから、話は変はるが、自分の間抜けさについて。 4年もこのビルに勤務しているのに、いまだにトイレの 洗面所にとりつけられている「ペーパータオル引出し器」の 開け方がわからない。まあこれはふつう掃除の人が開けるもので べつに新山は開け方を知らなくてもいいのだが、このペーパータオルは アホなことにときどき中でローラーが紙づまりを起こしてしまうのだ。 こうなるともう押しても引いても出てこないんで、開けて直すしかなくなるのだが、 新山はいまだにその開け方がわからない。説明書きもついてないし、 周囲の人に聞いても誰も知らない (ま、当然だわな、こんなコマカイこと気にするのオレぐらいのもんだ)。 ちなみにこのフロアに 2箇所ある時計の電池換えと時刻合わせ (および夏時間 ←→ 冬時間の手動変換作業) をやっているのは新山だ。 もっとも誰も気づきゃしないだろうけど、そういう裏方作業が人生には大事なのよ。
現代の消費者がインチキ詐欺やらに騙されないために理解しておかねばならない 科学の根本的な法則 (というか“常識”) というものがあると思う。
これらはただ暗記するだけじゃなくてそこから導かれる帰結を理解しておかねばダメだ。 つまり 1. から導かれる結論は「永久機関は存在しない」ってことになるし、1. と 2. を合わせれば エネルギーは保存されていても「使えるエネルギー」は有限である -- したがって熱効率が 重要だ、という結論になる。(あとはインチキ宗教やインチキ健康ブームから身を守るために 「オッカムの剃刀」とか「大数の法則」もあっていいかな。) これらにくわえて、コンピュータを使うこれからの消費者が 絶対に知っていなければならないのが 3. だ。ここから導かれる結論は 「プログラムの危険性を前もって完全に予測する術はない」 → 「プログラムの実行はそもそも本質的に危険」 → 「CD 入れただけで勝手に実行すんな!」ということだからだ。 そもそも新山は機械が頼まれもしないのになにかを勝手に実行するのが大キライである。 しかし世の中にはこのことをそんなにイヤだと思わない人々が多いのだろう。 だから MS やソニーのような陰険な企業がつけ上がるんだよ。 消費者として、こういう仕組みには積極的に文句をつけるべきだと思う (オレは今のところ Windows もソニーの CD も「消費者」じゃないんで、とくに文句をつける資格はないけど)。 だが、これは「表面的には便利」に見えるところがいやらしい。 「便利なんだからいいじゃないの」と人はいうかもしれない。 同じように、60年代あたりにも人は「便利だからいいじゃないの」といって 石油を使いまくっていたわけだしな。結局のところ、本当にヤバい状況に陥らないと 人は気にしてくれないのだろう。しかし個人のコンピュータのトラブルが本当に 世界規模でヤバくなるような事故って、いったいどんなんだ。 そういう瞬間にはできれば直面したくないなあ。
これを翻訳するのにかなり苦労したよ。
ちなみに新山がはじめて使ったハードディスクは Mac SE/30 についてきたやつで、 Jasmine の 40MBytes のモデルだった。すんげーうるさいやつ。 15年前の話だ。あのころから比べると容量は 8000倍になっている。 15√8000 ≒ 1.82 なので、ムーアの法則的にいえば 1年間にハードディスクの容量は 約1.82倍ずつ増加していることになる。しかもあのころの Jasmine のドライブはもっと高かったはずだ。 いま state-of-the-art のやつだと日立かどっかが出してる 500GB って容量があるから、 これと比較すると 12500倍か? つまりいまから 15年後にはさらに 10000倍の容量のドライブが 出てるってことか? それは 5PB (ペタバイト) ってことだが、それって後楽園球場の 何倍なんだか見当もつかない。
jacus.py (8kbytes)
さる事情によりこのサービスを使わざるを得なくなり、クライアントをさがしたが、
Gaim とか Adium (OSX) とかのメチャクチャ不細工なクライアントしかない。
こんなプログラムに画面の一部を占領されることは許しがたい。
おまけにこいつら、メッセージがくると勝手にウィンドウを raise しやがる。
ウザいっての。といって、新山は画面全体をただひとつの kterm (+screen) で埋めつくしているので、
ウインドウが下にあるままだと今度はメッセージが来ても気づかない。
ようするに、端末で動かないソフトはダメってことである。
Emacs で走る Jabber クライアントはあったのだけど、
なんかうまく動かない。そのうち Python で書かれた Jabber用のライブラリを
めっけたので、ためしてみたらあっさりつながった。ということで、このクライアントは
そのライブラリについてきたデバッグ用サンプルを改造しただけのものである。
アホみたいに単純だが、欲しい機能はひととおりそろっている。
なにより screen の一枚で動かしておけばまったく邪魔にならないのがいい。
しかしまだバグがあって、なぜだか知らないがしばらく操作しないでほうっておくと
数分後に自動的に接続が切れてしまう。たぶん keep-alive に相当するメッセージがあるのだろうが、
ライブラリをちょっと見てもわからなかった。めんどくさいので明日におあずけ。
この実装はまだ甘い。将来的には完全にシェルと統合できるのが望ましい。
つまり、コマンドプロンプトの出る直前に "New mail." って出るのと同じように
IM を出してほしいのだ。たぶん bash の prompt_cmd
を使えばできるだろうけど、
それはまた今度。
…わお、vnc2swf を mpg 出力にするパッチを送ってきた人がいる。
よう
か???
「ぼく」だって?
ボクダト??
ddy.
アホか??
この数週間というもの、なんだかあまり「心をこめて」仕事をしていないような気のする。
とかいうと古くさい表現だが、「ていねいさが足りない」といってもよい。いや、ちょっと違うな。
静かに考えて細かい部分までこだわった仕事をすることがあまりないという意味だ。
文章もそう。この日記もそう。
新山の仕事というのはもっぱら「プログラムを書く」か、あるいは「文章を書く」ということなのだけど、
自分であきらかに「ぱぱっとやっている」という雰囲気を感じる。
こういうのがいいときもあるのだけど (とくに何かの霊感を得て一瞬のうちにキチガイ的な
アイデアを試したくなるとき、
そういうときはウダウダ考えていると逆にいつまで立っても進まないので、サッサとやってしまうのがよい)、
やはり継続してなにかを洗練していくプロセスは落ちついている時でないとできない。
といって、あんまり落ちつきすぎるとネムーーくなってしまうので、
落ちつきすぎてもいけない。やや紅葉高揚していなければならない。
でも最近そういう時間があきらかに減っているようの気のする。
これはよくなき。なぜだろう? 一日はたくさん時間があるというのに、
自分はその多くを無駄にしているようだ…。
新山は独善的な人間なので、自分で自分の仕事に満足できるかどうかが 結局のところ (ケッキョキ、) いちばん重要である。人からホメられることには関心がない。 といっても、無理に自分を落とすようなことはしていないつもりだけど…。 本当をいうと「どうせ他人にはわかりっこねーや」と内心では思っているのかもしれない。 当たり前だ。オレは他人とは独立した人間なのだから (もちろんこれはオレだけでなく、ほとんどすべての人にあてはまる。もっとも いまだにそのことがわかってない人も結構いるようだが…)。でも、だからどうし
た?
基本的に、新山は「盆栽的な人生」が好きだ。 少数の限られたものだけを身の周りにおいてつつましく末長くやっていくような生活が好きである (だから“盆栽言語”である Scheme も、ただ愛でているだけでいいならば好きな言語だ)。 オレは開かれた人間ではない、と思う。
「支配する側」の人々がみんな破滅的な人々なので、
いやあ、ガンバルねー、君達。 ところで (てく)、前を通る車がストを応援するときはクラクシぉンを 鳴らすもんだということを知った。トラックなどが通るとパフパフやっている。 もともとマンハッタンには通勤用の車はほとんど走っていない。 走っているのはタクシーを除けばトラックのような運搬車両か工事車両だけだ。
てくるで (とこr)、鳥インが大流行の昨今 (サッコン) だけど、SARS はもういいんかね? サッコン! サッコン!
どうでもいいが (どうでもよr)、
「クラクション」を「クラクシぉン」と書くと、
なんだかフランス後を喋っているように見こえ
る。(見える
+ 聴こえる
の造語)
(ガバっ)
いやこんなことしている時間はない! 今日はやらなきゃいけないノルマがあるのだ!
(ばたっっ、)
…ときどき思うのだが、一日の生活にノルマがあるというのは、おかしい。 同時に人生にノルマがあるというのも、ばからしい。本来それは 「ある」から「やる」のではなく、「やる」から「ある」ようになるのだる。 一体なにがナン?? わけ不明。(よのなか的゛゛)
[[ ここから先は信仰の世界になります ]]
自由の国ってすばらしいね。
正直なところを言えば新山は、ホゲ〜問題についてはなんの意見もないので (鯨の肉だってとくに好きじゃないし)、上のような主張に対して ムカつきはするけどとくに賛成も反対もしない。どのみち日本人だって他国の文化とか 全然理解してないし。
どうでもいいけど、いま日本人が馬肉を食うことも批判されてるんだそうな。 一部の人々にとっては、牛はバカで生命としての価値がない物体なので 何千匹殺そうが闘牛場でなぶり殺しにしようが許されるのだけど、 馬は知的な動物なので殺すのは 非人間的・非倫理的なのだそうだ。もちろんクジラと同様にイルカも知的な 動物なので、米軍はこいつらを兵器としてトレーニングしているわけだよね。
なんでオレが突然こんなこと言いだしたかって?
土曜日の朝でいちばん気にぬ (=な) ることは「センタク機が空いているかどうか」ということである。 なんせ、コインランドラーな日々なので。いつも朝早くに行くとだいたい空いているのだが、 今日はネボったから、どうかな〜〜と思った。ら、空いてた。ので、「カルトチャンス!」と思って (この言葉の意味がわかるやつはこの世界に 3人ぐらいしかいまい、しかも彼らがこのペえジを見ているとは 思へないのだが、したがって書く) 一目散で洗濯物をツッコミ。これでもう今日の仕事は 73% 終わったようなもの。 ひと安心じゃ。
ところで、大学の RedHat 7.3 をようやく gcc-3 (3.3.6) にした。
新山にとっては 2.95 で十分なのだが、一部のアホな C++ のコードがコンパイルできないらしいので。
それにしても C++ の互換性のアホさはすさまじいばかりだ。
おととい、すごいことを発見したんだよ。string::compare
の引数の順序が、
libstdc++ のバージョンによって違うのである。これには戦慄が走った:
s.compare(0, 3, "ABC")
s.compare("ABC", 0, 3)
きょうはキッパリした青空でとてもイイ天気なので宇宙が落ちてこないうちにサッサと出かけるの
じゃ!!
(なんできょうはこんなにテンション高いんだろう??)
これは何かの罰ゲームか何かか。
(いきなりテンソン上昇) てくるで (ところで!!)、君はココナツ入りマカロンを知っているかっ
(ジッサイニハマカロントイウカタカナハタダシクナイ)。
これは名前がマカロニと似ているが何か親戚動詞のやうな関係がありなさるのだらうか???
???
l
<うl>
ul>
きょうは
&gr;
ストなのでころきあも休みなのかと思ったら、
いまごろになって通知がきた。おそすぎ(ル)。
ニューヨークの冬で一番つらいのは気温の低さではなくむしろこの風である。 この風ささえなかったら、零下10℃の世界だってべつに平気なのだ (-20℃近くになるとさすがに風が吹いてなくても平気じゃなくなるけど!)。 まだこっちの冬を知らない日本人のひとが「今日は寒いですねえ」とかいうので、 「こんなの、まだ序の口ですよ」といっておいた。べつに嘘ではない。 ホントーにこんな寒さはまだ序の口なんだから。すでに手袋は欠かせない。 でもまあ、長野もこの季節はこんなもんだった。問題はこちらでは冬は 雪がたいして降らないかわりに (それでも東京よりは降る)、気温がずっと下がることだ。 (ことだ)。そしてそれは我々の意志ではない (意味が不明)。
Better k-Best Parsing, Hypergraphs, and Dynamic Programming Liang Huang University of Pennsylvania Friday, November 11 2:30PM Room 102 Weaver Hall 251 Mercer Street NYU, NYC, NYS
そしてなぜオレはトークが行われているこの時間に日記を書いているのか? 答え: 確信犯的にサボっているから。
面白くなさそうなテーマであることも理由だが、なにより一番の理由は、 「いま調子いい時間なんだから、邪魔すんな」ということだ。 新山には他人の講演を聞きたい時と、聞きたくない時があるのである。 行きづまっているときはどうでもいい話でも聞きたくなるが、 ノっているときに (ましてや構文解析の話なぞ) 聞いていられるか? いや、いられない。つうことで欠席。しかし自然言語処理に関する話じゃなかったら、 聞きに行っていたかもしれない。最近つくづく思うのだけど、 オレって自分に対してまじめすぎだよな。 こんなことではいかん! もっと自分自身を騙さなければ。
どうなんだろうね?
djb のドキュメンテーションは杓子定規な文章で知られるが、これらの文章をみると あきらかに違う。ドキュメンテーションはわざとああいう文体にしているのだろう。 この人、じつは淡々としているけどおもしろい文章を書く。 まあ、オレは djb“信者”だから、なんでもよく見えても仕方ないけど! ちなみに UIC には、 この人が講演している映像が公開されている が、新山には非常にカッコよく見える (カメラがいくら引いても画面からハミ出してしまう djb には笑った!)。 なんせオレは“信者”だからね。
ところで (てくるで)、JSQ駅前はもうすでに年末のための電飾がかざられていた。 もうそんな季節かね。
mango
(左), strawberry
(中), orange
(右)。
横を向いている 2台が apple
(奥) と plum
(手前)。
その前をふさいでいるのが lime
。デスクの上に乗っている
白いマシンは pear
。右側と手前にあるのは UPS。
なお、ここに載っているディスク容量は全部あわせると
2TBytes 近くになるのだが、どのマシンに何があるのか誰もきちんと把握してない。
べつに google に対してとくに恨みがあるわけではまったくないのだが、 なぜいつもこういう話題になってしまうんだろう? 火のない所に煙は立たないと申しますが、いや、ほんとに…。