コーヒー豆にも重力がある。
いま作っているプログラムで使っているデータ構造をすべて言葉で説明するとこうなります。
UML図にしてもただ「完全グラフ」ができるダケデ、意味不明度は変わんない。
Mention と Mantion は違うよ!
それはそうと、まちがって tak3 さんの変更上書きしちゃった。ごめんね。
きのうはようやく実験結果が戦前と同じ水準に達したので 安心して眠ったってのに、なんてこった胃。
でも、このプログラミングが終わるまでは絶対食わない。 おあずけ。
しかし、奴はいつもこんな調子だが。
いいかげん窓を閉めよう。
■投稿する前に以下を確認して下さい■
- あなたが著作権を保持していない作品を許諾なしに投稿してはいけません! 他のウェブサイトからの文書の転載(コピー)は避けてください。これは立派な犯罪です。それらの著作権は、もし明示されていなくても、ほとんどの場合は元の文書を書いた作者に帰属します。
あなたの投稿する文章はあなた自身によって書かれたものであるか、パブリック・ドメインかそれに類する自由なリソースからの複製であることを約束して下さい。- Wikipedia(ウィキペディア)に投稿された文書は、すべて GNU Free Documentation License (GFDL)(内容はリンク先を参照してください)によって発行し、 かつ、GFDLをウィキペディアにおいて適用した場合の解釈については Wikipedia:著作権 の通りであることを宣言したものとみなされます。 GFDLは、英語で書かれたものが法的な拘束力をもつ唯一の正文ですが、GFDLの非公式な日本語訳は、正文の理解をきわめて容易にするでしょう。但し、この翻訳はウィキペディアによるものではなく、訳の正確さ等についてウィキペディアは何らの保証を行うものでもありません。
- 「謝辞」「献辞」その他これに類するセクション名は、GFDL上の問題を必要以上に複雑にしますので、控えてください。
- あなたの文章が他人によって自由に編集、配布されることを望まない場合は、投稿を控えて下さい。
また、あなたは、あなたの関与したページなどがウィキペディアにおいて不適当と判断された場合(不適当と判断される理由があなたの関与によるものではない場合を含む)には削除されることに、予め同意を与えます。
こんな長いの、誰か読もうとするか? 必要なことを全部書いているのだろうが、 読んでもらえなければ意味がない。
多少不正確でもオレならこうするね、という例:
確認:
- 変更部分はあなた自身が書いたものですか?
いかなる形であれ、他の文書からの転載は著作権の違反 (= 犯罪) になります。- 他の人があなたの書いた文章を複製、変更、あるいは削除してもかまいませんか?
「投稿する」ボタンを押すことによって、あなたはこの文書の利用条件を記した GDFL に同意したものとみなされます。
また、ウィキペディアにとって不適当と判断されたページは削除される場合もあることをご了承ください。- 「謝辞」「献辞」の類はお控えください。
これは GDFL ライセンス上の問題を複雑にします。ご協力をお願いします。
規則を「〜しなさい」という形式ではなく、質問形式で書くというアイデアは ライト、ついてますか からパクったもの。 「相手が常識をわきまえている場合には、問題をちょっと意識させてやるだけでいい」 というやつだ (相手が常識をわきまえていない場合は最初っから何を言ってもムダなので対象外)。 そういえば JSQ の駅でも、ホームの先頭に運転手のための看板が立っていて、 そこには "Do you need to apply snow brake? (スノー・ブレーキをかける必要はあるか?)" とだけ 書かれていた。
思いつくかぎりのルールをまとめるとこんなふうなる: (ここでも当然、圧縮を試みている)
ああ、ちなみに、このサイト自身はこんな基準にまったく従ってませにょ。(ませんよ。) なぜなら、なぜだから。
ちなみに「なぜならなぜだから」とは、 「なぜ? どうして?」と尋かれたときに「どうしても!」と答えるのを 一人で (尋かれるまえに) やってしまおうという試みである (そして失敗)。
vv こちら側のどこからでも切れます vv
今日の気温 … | 最高: | +12℃ | 最低: | -2℃ |
明日の気温 … | 最高: | 0℃ | 最低: | -10℃ |
nanikore? (なにこあー)
table
タグの border
属性は
どれくらいの大きさにしても耐えられるのだろう。
Firefox では 99999 にしてもまだ生きていた。
9999999 にすると表示がおかしくなるけど落ちない。
9999999999999 (すでに 32bit 超) にすると挙動がおかしくなるけど落ちはしない。
それ以上の値になると無視される。
SPECIAL COMPUTER SCIENCE COLLOQUIUM Thursday, February 23, 2006 3:30 P.M. Room 101 Warren Weaver Hall 251 Mercer Street New York, NY 10012-1185 Speaker: Zur Izhakian, Tel Aviv University Title: Extended Tropical Algebra/Geometry - Basic Notion Abstract: Tropical mathematics is a mathematics over the Tropical Semi-Ring, (R,+,max), the real numbers equipped with the operations of maximum and summation -- addition and multiplication respectively. The objective of the lecture is to present an overview of the fundamentals of tropical algebra/geometry defined over the Extended Tropical Semi-Ring -- a new structure that generalizes the former structure. The included topics will be: basic structure of the extended tropical semi-ring, its corresponding convex geometry and the compatible matrices' algebra.
「とろぴかる半環」って何だネ? 熱帯的な代数?? 意味不明。オレにわかるのだろうか。
(追記) 概要: きょうの講演のテーマは「ルネッサンス期の画家はほんとうに“いんちき (cheat)”をしていたのか?」 というものだった。 背景: ルネッサンス期 (15世紀中) のころから、ヨーロッパの絵画は異様なまでに写実的になった。 中世に描かれた絵画と比べるとほとんどそれは写真のように見える。 これはいったいなぜなのか? Hockney と Falco は 2001年にある学説を発表し、 たとえば Jan van Eyck の "Portrait of Giovanni Arnolfini and his Wife (1434)" に描かれているシャンデリアなどは、 「ほとんど正確無比で、人間業とは思えない (Hockney)」 ため、これは彼らが「(当時としてはおそらく最先端の技術だった) 凹面鏡をつかって 画像を壁に投影し、それをなぞって描く」技術 (投影法) を開発したためだと主張した。 つまり、ルネッサンス期の画家たちは道具を使って写実的に書くという 「いんちき」をしていた、というのである。この学説は美術界に大論争をまき起こした。 今日のトークのおじさん (David Stork) は画像認識の専門家かつ 美術研究家としてこの主張に反対している。 そのおもな根拠とは、絵がほんとうに投影法をつかって描かれていれば、 それらの画像は透視画法の数学的な性質 -- つまり、平行な線を延ばしていくと それはかならずある高さの地平線上で交わる (vanishing point) -- を満たしていなければならないからである。 ところが、Jan van Eyck のシャンデリアを実際に分析してみると、これらの線は 透視画法であるべき位置から著しくズレていた。しかし、これはシャンデリアが完璧に対称であるという 仮定をもとにした 2次元画像からの推測にすぎない。実際のシャンデリアそのものが歪んでいた可能性もある。 当時ヨーロッパで作られていたシャンデリアはそんなに歪んでいるのが普通だったのか? -- 答はノーで、製法からいっても当時のシャンデリアは通常ずっと精密だった。 さらに例の絵では、その絵の中に描かれている凹面鏡自身が 使われたと説明されていた。ところがこの説明には問題がある。 通常 3次元を 2次元の画像に投影するときは焦点距離が存在するはずで、 この絵と同じ構図を実際に 3DCG モデルで再現してみると、この絵の登場人物をこの構図におさめるには その焦点距離が 60cm程度なければならない。つまり、絵の中に現れている凹面鏡 (18cm程度) よりも ずっと大きい鏡を使う必要がある。また、凹面鏡の説明は Georges La Tour の "Joseph the Carpenter (1645)" のような作品で問題をひき起こす。通常、レンズを使うと画像は非常に非常に暗くなるので、 ものを描くときには被写体にほとんど太陽光に近い明るさが必要になる。 ところがこの作品は非常に明度が低い状態で描かれている。 Hockney の説では、この絵は左右 2つに分けて描かれ、 どちらも太陽光を照明に使って描かれたあとに貼り合わされたと説明されていた。 もし太陽光を使ったのなら、その光源は絵の外側にあるはずだ。ところが、 この絵の陰影をアルゴリズム的に分析してみると (一般的な立体画像の光源推定は難問だが、描画面と平行な法線ベクトルの光度を推定すれば解ける問題になる、 これってスゲーかしこいやり方!)、その光源はキリストが手にもっているロウソクに ほぼ完璧に収束するということがわかった。つまり、この絵が太陽光を使って投影法で 描かれたという説明は非常に苦しい。さらに、実際の画家らによる実験では、 簡単な器具 (X字型のコンパスのようなもので、一定の比率で 2点間の距離を拡大縮小するのに使われる、 これはローマ時代にすでに発明されていた) とよく訓練された技術があれば、こういった超写実的絵画も “人間業”の範囲内であることが示されている。しかも、投影法が実際に文書によって説明されていたのは これらの絵より 2世紀もあとで、それまでには何の記録も残っていなかった -- こういうことを合わせて考えてみると、最初の質問 「ルネッサンス期の画家はインチキをしたか?」に対する答えは "Probably No!" …というのがおもな内容だった。ちなみに このテーマは WebExibits にもある。 日経サイエンスにもあった。 それにしてもこのおじさん、cs の研究者なのに美術史も教えているというのがすげえ。 よほど絵画が好きなんだろうな。「あの天才画家がじつはインチキだった」という主張は きっと許せないものだったのだろうと思われる。 しかし真贋論争ってのは美術でも科学でもいつも燃えるよねー (ラゐブドアもある意味、真贋論争だ)。 みんな「転落」が大好きなんだろうよ。新山もまた転落は大好きである。 しかしそもそも何かが「上にあった (落ちる状態にあった)」と考える (思いこまされる) こと自体が、 じつは本質的な罠なんだと思う。あるいはこれが民主主義的な息抜きというもの。
…で、講演が終わって、 7階のオフィスに帰ってきてみたら、ある人が無線 LAN につながらなくなったという。 見てみたら D-link の無線 LAN スイッチが暴走していたことが原因だった。 なぜ LAN スイッチはどいつもこいつもしょっちゅう暴走するのか。 ふざけやがれ!
などとか、フザけている場合ではなかった。 GLARFで、自分が改造した部分に重重大大なバグがあることにより発見。落ち込むる。
まだフザけ過多が足りないるって? たしかにあんたにゃ、十字架ってもんがないよ! (そりゃあそうだ、なんしろオエには協賛主義ってものがないからね! 高校生かおまえは!)
「おれ様」とか「おまえさん」っていう呼び方はあるのに、 なぜ「おれ殿」とか「おまえ君」っていう呼び方はないんだろう。 きょうはじめてまともな疑問を呈した。
昨日はべつだん遊んでいたワケでもないのに、 いろんな人に話しかけられ、仕事があまりできなかった。
てくるで、明日の午前に画像認識系でおもしろそうなトークがあるぞ。(少なくとも、題名だけは)
Thursday, February 16th, 2006 at 10:00am
719 Broadway, Room 1221
"Did the Great Masters 'Cheat' Using Optics?: The Mysterious Rise in Naturalism in Renaissance Painting"
David Stork
Chief Scientist, Ricoh Innovations
どっちもできない場合 → 終わってる。
while なんとか: if foo: if bar: if baz: うんたら else: かんたら else: break
こう書くよりも、次のような書き方を好む:
while なんとか:
if not foo: continue
if not bar: break
if baz:
うんたら
continue
かんたら
つまり、頭の中のスタックをなるべく増やさずに 「結論が出る部分はさっさと結論を出す」ようにしむける。 これはたぶん多くの人がやっているだろうけど、 コードの書き方にクセとなって現れる人はどれくらいいるのか。
それと、間違いなく新山は goto 的なモノが好きである。 もっとも goto 自体はあまり使わないが、break とか continue とか、 「何かをスキップする」という表示をよく使う。 同じく goto が好きらしい Knuth にもどことなくシンパシーを感じる。 でも TeX は嫌いだけど。
それにしても、Google は日本語インターフェイスで使うに限る (「補足結果」とか日本語が少々ヘンだけど…)。 英語だと検索するたびに毎回毎回、広告が上と右にぞろぞろ出てきてとても見にくいのである。 かなりクダラナイ単語でも広告が表示されてうざい (しかも、広告は検索した一部の単語だけがマッチしても表示されるらしい)。 Firefox には「Google の広告を自動的に見えなくするプラグイン」があるが、 たしかに英語だとこういうのが欲しくなるかもなあ。 これが流行りだしたら連中はどうするんだろうか。 そもそも彼らは (IE用の) google toolbar にポップアップ広告のブロック機能をつけていたんだから、 自分たちが同じことされても何も言えないはずだよね。
ちなみに、今回の雪は大雪だということになっているが、 今年の長野ではもっとふってた。大したことない。
さて、「ニューヨークでは長靴が流行っている」というのをどこか日本のメディアで (というより、より正確には、たぶんミヤノ日記を通して…) 聞いたことがあるが、 そんなのはしょせん日本のマスコミがでっちあげたネタに違いないと思っているが、 こういう雪グシャグシャの日になると、たしかに女性のゴム長部隊が出動するようである。 とはいってもデザインはそんなに派手というわけでもなく、 「薄ピンク地にパステル色系の水玉」とか、「緑の地に青い縞模様」とか、 なんかかなりビミョ〜〜〜。
どうでもよいが (どうでもよろ)、今日はセキネさんは来ていないようである。 ついでに Ralph も来ていない。たぶん、どっちも雪でクルマが出ないから 来ないんだと思う。というか数学的に無理なのである。 どうでもよろ。
それにしてもだな (なにがそれにしてもだ?)、 うちのフロアのホワイトボードに何者かが「へのへのもへじ」を描いたのを発見。 こんなことをやりそうなのは新山ぐらいのもんなのに誰だろう!? どうでもいいけろ (どうでもよろ)、「へのへのもへじ」って なんか困ったような顔してるよね。なんでだろ。歴史。
とやるのを「ひあ・どきゅめんと」って呼ぶのは知ってたが、 これは "hear document" なのかと思っていた。 ところがじつは、"here document" のことだとわかった。 アホってた。 そんだヶ。cat << EOF なんとか EOF
て、ゆうか、次回の論文は (たとえ間に合うとしても) 「記念受験」的な性格のものなので、どっちにせよロクなもんではない。 前回のはそれなりに自分でも面も白いと思ったが、 「これは面白いネタだ!」と自分自身で思えるようなキチガイ性をもったものというのは、 はっきりいって 5年にいっぺんぐらいしか出てこないんではないかと思える。 つまりオレって研究者に向いていない。
てくるで、emacs の dired で .zip アーカイブの中身が見れるって知ってた? オレは知らんかった。
どうでもいいけど、この間買った海苔「瀬戸内の旬」はひどいしろもんだ。 なんか生臭さがやたらつよいし、すぐ崩れる。 おまけに玉子の黄身はつぶれるし…。