自分を棚に上げるのはよくないが、神棚に上げるのならいいらしい。
まず、この本の姑息なところは、95年にマドラ出版から出たバージョン (つまり新山がきのう NYPL から借りてきたやつ) では、 表紙が黒い背景の中に黒い地球が受かんでいて、非常にオドロオドロしい見た目になっているのに、 ところがいま Amazon のページを見たら、その後の筑摩書房から出ている版では (目次がすべて同じなので同じ本であることはほぼ確実)、なんかいかにも少年少女ウケしそうな アニメ表紙になってるkotoda。くそったれ。そして内容もウダウダと…。 30ページぐらいで言うべきことを 300ページにひきのばしている。 なるほど、本で稼ぐにはこういう仕事をすればいいんだ? しかもこいつは“結局”のところ“宗教”とか“イデオロギー”とか“愛情”とかいう“抽象的”な “シンボル操作”をしている“ダケ”なのだ。どうでもいいけど (“どうでもよろ”)、 この人は用語や表現を“〜”で“囲む”のが“異常”に“スキ”らしい。 それにひたすら“頼りきって”いる。おまけにこいつはドストエフスキーを読んでいない。 …それはどうでもいいか。とにかく S/N 比が圧倒的に低い本だった。 ところどころに笑える(=面白い)ことも書いてあるのに、それを見つけるまでにすでに疲れてしまう。 まあこういう本を無条件にホメてる奴がオウムの原因なんじゃー、と勝手にオレは結論を出すことにして 強制読了。
そもそもこういうふうに抽象的なシンボル操作だけで何やら解説したつもりになっている、 あるいは理解したつもりになっている人々というのが現実にいるというのが怖い。 そういう人にはぜひとも自然言語処理をおすすめしますね。 楽しめることうけあいです。
どうでもいいけど、 ケーニヒシュタイン はドレスデンの本屋で写真を見かけて一目惚れし「ここは行くしかない!」と行ったのだが、 大当たりだった。ここは台地状の岩山の上に要塞がどっかん、と乗っているところで、 ドイツでは有名な観光地らしいが、日本人客にはぜんぜん知られてないらしい。 うちの親をつれて来たら喜ぶだろう。ドレスデンから日帰りで行くなら マイセンとかよりもこっちのほうが全然面白いのにな。 ほかにも、ドイツでは列車で移動していると山の上にふと石造りのナゾの僧院らしきものを みつけたりした。ヘンな遺物があちこちに残っているという意味ではイギリスもそうだが、 新山は山っぽい景色のほうが好きなのでドイツのほうが好みである。 イギリスは (長野県民からすると) 山らしい山がゼンゼンないもんね。
ちなみにマイセンでは日本人はいいカモらしく、案内所には日本語パンフがあったし、 日本人向けの専用サイトまである。 アホらし。しかし金持ちが集団でおし寄せてきて、あの「カタナマーク入り」の 高価な磁気をたんまり買っていくのは容易に想像がつく。ワケわかんない。
DDI が (どうでもよろ)、さいきん google で日本語の文字列を検索すると、 実際にはその文字列が含まれていないページばかり返される。 彼らには、中国やヨーロッパはサポートしても、日本語版をまともなものにする気はないらしい。 まあ別にいいれけど、中国語版だと関連語句検索とか、define: だって使えるのにさ…。 あきらかにナメられてない?
おや、夕立ちだ…
オレはどうでもいいことを深く考え、 どうでもよくないことをいいかげんに考える傾向のあるようの。 だから何 >?
.skk-jisyo
を共有していない。
これらを比べてみたら、いつのまにか自宅 (つまり、この日記を書いているマシン) のほうで
登録数が 1.5倍になっていた。というか、オレは大学にいるときはあんまり日本語を書かないんだな?
来週からインターンの開始である。むかつく。
しかし、オレも来年は (うまくいけば) あのガウンと角帽を着ることになるのだが、 なんかヤダなあ。アレは趣味が悪いんだよ…。 しかも、なんだか知らんが PhD 用の貸衣裳は高い! ただ借りるだけで 70ドルだと。ざけんな。だいたい学部用と何が違うってんだ。 おまけに大学側は「卒業記念に寄付を!」とかいってる。もちろんオンライン受付・クレジットカード使用可。 この大学の商魂たくましさには恐れいるね。
さて、今日は店が開くのをまって、前にメガネを買ったメガネ屋で メガネを直してきた。ワイヤーが切れたのはすぐに直してくれるようだ。ふう。 とりあえず今日はようやく研究を進められるんではないかと思う。
ちなみに中国ではプチプチで遊ぶという習慣がないらしい。 シートが 2枚あったので、1枚は最近ストレスのタマっていそうな H嬢にあげたのだが、 「これが何か?」という反応だった。いっぽう Anabela のほうは、 「アラ! あたしこれ好きなのよね! 1枚もらえる?」と言いだしたので、 結局もう 1枚も彼女にあげてしまったが、後悔している。 やっぱり自分用にとっておくんだった。
もうやってらんねーーー! 今日はサケ飲みに行ってやる。
たいていの研究者は自分の研究テーマを考えるときに、 「“問題を選ぶ”という問題」を解こうとしている。 しかしこのことに気づかない人は多い。 いったん選んだ「問題」はひどく論理的に考えようとするくせに、 「問題を選ぶ問題」はまったく考えず、いきなり結論にとびつく人が とっても多い。このことは最近小林秀雄を読んで思ったのだけど、 こまかいことはまたあとで書く。
本多勝一「職業としてのジャーナリスト」。 ブックオフで $1。 後のほうの文章になるにつれて、 じょじょにデンピーな度合が増していくのがなんとも言えない。 しかも解説は筑紫哲也。しかも朝日新聞社刊。 この人はマトモなことも沢山言ってるんだが惜しいよなあ。
ついしん: 古いメガネをひっぱり出してみたら、顔が変わっていた。
ちなみに QA といえば質問と応答のことである。 断じて品質管理なんかではない!
まあ新山も書いているモノと実際の印象は違うと思うけど (違わなかったらどうしよう!?)。
てくるで (ところで)、新山は知らなかったんだけど Theo様の
新しいインタう゛ューが kerneltrap で出たらしい。すばらっし。
それで、ある日本人の方から「このインタビューを翻訳したいが、
どうやって Jeremy (kerneltrap の管理人) から許可をとったらいいか?」と尋かれたのだが、
新山が翻訳するうえでいつも重要だと思っているのは
「先に翻訳して、それから許可を依頼する」ということである。新山のほとんどの翻訳は、
たいてい後先考えずに「訳しちゃった」ものである。
でも「翻訳しちゃったんだけど公開していい?」というメールは、
相手がまともな人ならたいてい返事をもらえる。しかし時にもらえないこともあるので注意。
新山は翻訳したが、結局相手から返事がもらえずに未公開になっている
文書がいくつかある。まあ、無断で公開しても訴えられることはないと思うけど
(営利目的のサイトを翻訳しているわけじゃないんだし)、返事がもらえないと
急速にサメて「どうでもいいや (DDI)」って状態になってしますのです。
ちなみに、去年翻訳をしたときに新山が Jeremy に出したメールは以下のとおりである。
Date: Sat, 10 Dec 2005 05:06:56 -0500
From: Yusuke Shinyama
Subject: Japanese Translation of Theo de Raadt's Interview
To: jeremy@
Hello Jeremy,
First of all, thank you for making such a great article! I know
this is a bit late, but I think this is still the best interview
about Theo. I've been working as a translator in OpenBSD project
for years, but I feel his style and personality is not well
understood (in a good way) among Japanese users... So I really
like to make a translation available.
I put a tentative version (which is not linked from any other page yet)
at:
http://www.unixuser.org/~euske/doc/openssh/theointerview2-ja.html
May I publish this page on my website? The page clearly shows the
credit of KernelTrap on the top of the page (in English), and I
will happily add or modify things if you want to change. I'm
looking forward to hearing from you.
Thank you,
Yusuke Shinyama
まず最初に相手をホメるのはこちらのお約束ですね。 いや、実際にこのインタビューはすごくいいと思ったんだけど (だいたい翻訳なんて元の記事を好きじゃなきゃやってらんないよ)。 Jeremy からの返事も速くて好意的だった。
自分の好きなモノだけを趣味で翻訳するなら、翻訳っつうのは非常にたのしい仕事である。 好きでないモノまで訳しだすようになったら地獄だけど。
どうでもいいが、「にんい」で変換すると新山の skk では 「任意のコード実行」が最初に来てしまう。毒されてるな。
reg.py
を読んだ人から
「Python の re モジュールは、実は 100個までの正規表現をキャッシュしてるよ ;-)」とのコメントをもらった。
それはドキュメントしておくべきだ!
$ dd if=/dev/hdd1 of=/dev/hdc1 (...8時間経過...)
vmstat するとどういうわけか書き込みは平均 8MBytes/sec. しか出ていない (しかも、なぜか読み込みのほうが倍近い転送量になっている。どういうわけだ?)。 パーティションは 320G あるので、320G/8M = 40,000(s) ≒ 11時間かかるってことになる。 朝から動かしてるのに。もうこんなこと 2度とやらんぞ。
ちなみにこのパーティションのデータがもしすべて失われると、 3人ぐらい死人が出るものと思われます (新山含む)。
こういう人は尊敬しないね。
かうものL: コーフィー用の神フィルター
(追記: 4枚 挿せない仕様のメモリもあるらしいです。 でも起動してからおかしくなるのではなくて、BIOS でなんか言ってほしかったけど)
どうでもいいが、この日記は傍若無人にやる (=読者の存在を信じない) ことを モットーにしているので、この日記をなにかちゃんとした文章のように扱ういかなる試み (丁寧なコメントを送るとか) に対しても新山はやる気をなくします。 そうでなくても世の中はすでにヤラセが多すぎるというのに。
新山「この大学は組合 (union) があって、いまストライキやってるって知ってた?」
P「ゆ…ゆにおん? 集合のこと?」
A「No, sindicato のこと」
P「ああー、sindicato! Si, …(イタリア語でまくしたてる)…」
というぐあい。おもしろいが、やや疲れる。
java.net.InetAddress.getLocalHost().getHostAddress()
あたりで
止まっているようだが…。ポリシーは許可にしてあるし、一体なんでここで止まるのか謎。
java は信用できねえよ。くそったれ。もう疲れたので今日は帰ろう。
Hi, isto é Yusuke. Sua chamada pode estar verificada o registo sonoro ou gravada de propósitos de certeza qualidades.
もとの文:
Hi, this is Yusuke. Your call may be monitored or recorded for quality assurance purposes.
で、この翻訳が正しいんだかどうかわからん、と。 まあたぶん合ってないだろうけド。
どうでもいいが、さいしょ「いまが一番いい時期かも。」と書いていたのだが、 そのあとすこし考えて「かも」の部分をけづった。 オレは「かも」という語尾を使う人が嫌いかも。
だうでもいいが (だうでもよろ)、Anabela と (彼女の) 研究について話しあっていたら 1時間以上もたっていた。オレはお前のアドバイザーじゃあねえぞ。そもそも なぜ彼女の話が長くなるかというと、彼女は毎回なにか言うたびに「because ...」といって 理由を言いたがるのである。そんでその理由が長い。いっぽう新山はわりと アッサリ先を予測して結論に到達してしまう傾向があるので (それが正しい予測かどうかはともかく)、 「ああわかった、おまえの言いたいことはわかった!」という状態になっていて、 あとは相手の話が終わるのを待っている、ということが多い。しかしこれはポルトガル人に 共通の傾向なのかもしれない。「ポルトガル人はよく話すねえ」というと、 「アラあたしなんかまだいい方よ、友達なんかは…」といって 5分や 10分は平気で脱線してしまう。 Cristina もかなりどうでもいいことまで話したがる性格だったからな。 ようやく逃げ出してきた。
ちなみに、「身体の距離感覚に差がある人」とは一緒に歩きにくいことが多い。 新山は人とはなるべく距離をおいて歩きたがる傾向があるので、 相手が距離を短く保とうとする人だと、向こうが近づこうとして こっちは離れようとするので進路がナナメになってしまう、 といった現象がおこりうる。日本人でもときどきそういう人がいるので、 これは文化の違いにかぎった話ではないけれど。相手が中国人の場合は この距離感覚はわりあい一致している。といっても、背が小さい人 (H嬢とか) の 場合は歩く速度が遅いので、今度は縦方向に調整しなきゃなんないけど。
しかし、ひとつだけ学習したことは、いまはチップ設計においてもソフトウェアのコストがめちゃくちゃ 上がっているということである。なんしろ 1チップ上にあまりに複雑な機能が乗るようになってるもんで、 回路設計よりも、ソフトウェア設計をするコストはどんどん肥大しているそうだ。 だからオープンソース的な手法をもちこむ余地はある! …というのだが、 もうひとつこのトークで激しくムカついたのは、これがすべて「企業の論理」でしかないということだ。 ちなみに、プレゼンの最初に提示されたスライドでは今後もマーケットが指数関数的に 拡大すると想定されていた。そんなワケ、ねーーーーだろ!! ばか。 この手の「経営者向け」な話でいつもウソっぽいのが、彼らはただ数字をいじっているだけということである。 なにも「具体的な便利さ」が見えてこない。 一般消費者にはどういうメリットがあるのかまったく考えていない。まあ、 具体的に「こういうことができる」という話をしないんだから、メリットなど考えられるはずもないんだが。 ウソつきめ。
新山がオープンソースのソフトウェアをおもしろいと感じるのは、 これが「消費者にとってイイ」からである。あきらかに新山は消費者として恩恵を受けているし、 他の人にもそれを味わう権利があると思う。PC-UNIX がなかったらオレは いまごろメモ帳でこの日記を書いて、「ATOKサイコーーー!」とかいってたかもしれないのだ。 おそろしや…。よく Linux 関連のくだらないニュースサイトで 「どこそこが新製品を発表」とか「どこぞ社が 20% の増益」とかいう記事が バカっぽく見えるのも、消費者としての視点がまったくないからである。 新山が思うに、いまもっともソフトウェアを評価しなければならないのはオタクな若僧ではなく、 「主婦/主夫的な」感覚をもった人々だと思う。そこらへんのオバちゃんをつかまえてきて Firefox のレビュー記事を書かせろよ! あるいは停年したうちの父でもいいけど、 オヤジはあんまり生活感覚ないからな。実際には同じことは研究でもいえるのだ。 とくにセキネさんなんかと話していると、この人は主夫的な感覚がまったくないので、 「これが便利だろう」という感覚が激しくズッコケている。 そもそも家事もできねえ人間に工学の研究などやる資格はないんだ。 Python 習ってるヒマがあったらタマネギのみじん切りでも練習しろ。
てくるで、風邪の噂に、 日本政府がアメ資本の某サーチエンジン G に対抗すべく、 国産サーチエンジンをつくる計画をぶちあげたという話を聞いたのだが…。 で、セキネさんもそのワークショップだかに呼ばれて、 日本で講演してきたらしいのだが…。なんでも 200億円の予算が投下されるとか? (あれ? ひとケタ多いかな?)
ふと、頭の中に思いうかんだ構図。
とくに並べて書いたのに意味はありません。
しかし、あいかわらず、このテの対処療法的なアイデアには脱力させられる。 まあ、ほかにできることがないからなんだろうけど、本当の問題はソレじゃないだろ? たぶんΣとか第五世代のころは「アメリカがやらないことをやろう」としていたのだろうけど、 今度のコレはもう完全に「アメリカの真似をしよう」って発想になってるんじゃないかな。 よく知らないけど。フランスも去年に電子図書館をぶちあげたけど、あれも google を意識しすぎ。 しょせん google なんてのはスケールメリットに乗じて力ずくやってるダケの会社なんだから、 そんなアプローチに追随すんのは洗脳されすぎている。それより日本はむしろ 巨大システムに対する“カウンターカルチャー”にとりくむべきだろ。個人的には、google の機能をうんと圧縮・単純化して、 光回線もってる 3人ぐらいの好き者が集まって PC 用意してクローラ走らせて P2P で共有すれば、 日本国内の全ページぐらいは検索できちゃうっていうシステムができると非常におもしろいと思う。 そうすると「自家製 google」ができるわけですよ。 あるいは、特定の傾向をもった趣味サイトだけをあつかう検索エンジンを作るとかね。
そういえば昨日はひとつうれしいことがあった。 それは大学のトイレの、ペーパータオル引出し器の開け方がようやく判明したことである。 またペーパータオルの引出し口がつまっていて (ツマらせたのは新山ではない)、 アッタマにきていたのだが、 じつは今まで「どうもあかないな」と思っていたのは、たまたまそのトイレにあった インスタンスでは開けるための釦が欠如していたためだった。他の場所にあった同じモデルでは ちゃんとその釦がついていたので、なんなく開けることができた。 その仕組みを学習して、元のトイレに戻ってきて、釦がとれた所にあいている穴から なにか細長いモノ (昨日の場合はカギ) をさしこみガチャガチャやると開くのである。 やった。すんごい達成感有。
そのあとひとつショックだったのは、 いつのまにか Flash がバァージぉん 8 にアップされていて、 しかも macromedia.com というサイトはすでに消えており、 Adobe にリダイレクトされるということであった。 さようなら、MacroMind.
どうでもいいが、いまから 10年以上前に MacroMind Director や Aldus FreeHand、 QuarkXPress にさわれたのは非常にラッキーだったというしかない。 あれから GUI ってちっとも進歩してないどころか、退化してるように見える。 いうまでもなく悪の元凶は www だ。
どうでもいいkedo、最近デぃスクがやたらと増えていテ、 いまでは通常のディスクで 3T近く、バックアップも含めると 5T ぐらいの 容量があることになる。いつのまにこんなに増えたんだろ? しかも、謎なのは、新山はほとんど何に使ってんだか知らないことだ。 まあ、さぞかしすばらしい研究をされてるんでしょうよ、知らんけど。
それにしても、学科の事務が Anina から新しいおじさんに変わって、 これがなんかダメそう。非常に手際が悪くてムカつく。 これじゃ手続きが間に合うのかよ。なんとかしてくれ〜
日本は平和ボケとか言われているが、 大学を比べてみても本当に日本は平和ボケしてると思う。 こっちじゃー学生も教授もヒーヒー言ってるのによ。 ときどき海外から日本に帰った人が危機感を感じるとかいってるけど、 その気持ちはわかるような気がする。 ほとんど「逆カルチャーショック」に近い平和ボケぶりだもんな。ほかにも、 某言語のユーザ会じゃろくなコンテンツもないのに 会則がどうたらいう、すばらしく有意義な議論が展開されておりますよ (まあ、ああいう集まりではずっと宴会だけやってりゃいいんだと思う)。 しかし、逆にいえば、あれだけのんびりしてもまだ日本がやっていけるというのはすごいことかもしんない。 日本はアメリカなんかよりも本当に豊かで育ちのいい国なのかもしれない。 そう考えると「別にいっか」という気分になれますね。(ウソ度 43%)
日本では ECCメモリはメジャーじゃないのだろうか? Dell のサーバ機はほとんど ECC 使用だし、 デスクトップでも ECC を使ってるやつがけっこうあるのだが…。 それとも日本は諸般の事情により、宇宙線が控えめなのか。
Google日本語で商品を検索するやつはいないらしい。
yahoo.co.jp と google.co.jp では検索キーワードで出てくる広告の質がぜんぜん違う。
Yahoo! のほうがあきらかに有名メーカーが広告を出しているのに対して、
Google はアヤしい店しか出てこない。
これは Yahoo! と Google の日本におけるブランド力の違いなのか。
うちのママンは Yahoo は知ってたけど google は知らんかったもん
なあ。。。
いまのところ 3勝 2敗だが、あまりやりすぎると頭クラクラするのでやめる。
このー、薬用メンソレータマイズめ!!
Document ID: 970e0e20d16578aed3ffea0dfdd02c55
Yusuke Shinyama