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2006年 8月 (2)。
サングラスにエプロン姿で。
Last Modified: Mon Aug 21 02:39:37 EDT 2006 (08/21, 15:39 JST)
資料を公開すりゃあそれで「アカウンタビリティ」か?
このごろ、しきりと「あるもの」を作っているのだけど、むずかしいんで時間がかかっている。
つくづく自分に才能がないという木になる。当然、例の言語で
作っているが、Python で
- 実行が速く!
- アルゴリズムは単純に!
- しかも、コードはきれいに!!
しようとすると、ホントにむずかしい。
前にも書いたけど、スピードと「きれいさ」は相反するような気のする。
ところで「相反する」は「あいはんする」ってよむの??
それとも「そうはんする」??? ?? どでもよろ。
もうこんな時間
もうこんな生活 (イヤだ)
この 2種類の「もう」は別の意味だよね。
宋文洲の単刀直入。
これ、おもしろい。米国にきてから「外国人がみた日本の意見」というものについて
わりと興味をもつようになったが、こういう記事はどれも考えさせられることが多い。
社会主義の理想に最も近い国「日本」
なんかは、やっぱ(著者が)中国人の言うことだけに説得力があるよ。
まえに友達 (中国人) が「もし日本が共産主義になったら世界最強だ」といってたのを思い出す。
というかすでに日本は世界最強の共産主義国家なんじゃないか?
「だれもかれもみんな一緒じゃなきゃ許さない」という偏執的平等主義がそうさせるんだと思う。
逆にいえば、「オレが不幸になったらオマエもつきあいで不幸になれ」というのが日本である。
心中国家だから。それに、意味もなく哀愁空気がただよっているため、日本ではたとえ全員が不幸になっても平気で
「みんなで一緒に死にましょう」っていえる。じつはこういう感覚ってすごく戦争向きなんじゃないか?
こういうところはきっと第二次世界大戦中から変わってないと思う。
個人主義の米国が、こういう国を属国として飼っている (←彼らの感覚では) というのはオモシロイ。
たいていアメリカンってのは「書かれているもの」しか見ないから、日本の法律で個人主義が (原理的に)
可能ならば、実際には日本のあらゆる慣習がそれを許さなくてもそのことに気づかないんだと思う。
バカだな。まあ、ある意味、これはバランスがとれているような気もするね。
しかし、この偏執的平等主義にもかかわらず、日本における身体障害者の扱いは欧米にくらべてひどく悪い。
一見これは矛盾するように見えるが、じつは筋が通っているのかもしれない。なんしろ日本人は
「みんな同じじゃなきゃ許さない」ので、最初からドーやっても同じになれない人はとにかく許さないのである。
たとえそれが本人の意思でなく不可抗力であったとしても、だ。言いわけは認めない強制平等国家。
まあ障害者の扱いがひどいのはアジア全体に言えることらしいんだけど。
スポンサー・ドリンクってなんだ?
ペプシコ? ダイドードリンコ?
Wikipedia の「編集合戦」に対する解決策を思いついた。編集合戦が起きたら、
「注意! このページは荒らされています!」とかいう注意書きを
(なんかのイラストとともに) ページ上部に目立つように貼りつけるのである。
この状態でも編集はできるが、注意書き自体は消せない。
ここで重要なのは、あくまでこれが「アホっぽく」見えるようにすることだ。
「バトル発生中! ウォッチせよ!」とかでもいい。ようはギャラリーを意識させ
荒らしている人々をバカらしい気分にさせるのが目的である。だいたい必死になっている人というのはいつも
ハタから見て自分がどれくらいバカっぽく見えるか気づいていない。
こうした場合は真面目に対応すると余計にひどくなる人が多いので、
周囲が積極的に冷水を浴びせるような仕組みが必要である。
そういう「ローカルルール」は言語ごとに違っていてもいいと思うんだけど、
現在の Wikipedia ではまだそこまでできていない。
(追記)
なお、新山にとって wikipedia というのはオモチャである。
あれは、Sudoku をやるような感覚でヒマつぶしに書いて遊ぶのが正しいやり方であって、
あれに人生の目的を求めてはいけない。
ごおgle はいつになったらページ中の日付をまともに認識できるようになるのか?
検索すると、ときどきページによって「2006年8月19日」などと日付がついていることがあるが、
実際にそこに書かれているのは 5年前の日付の入ったニュースだったりする。
これはようするにニュースサイト中の html が動的生成されるかして Last Modified が
変わったということだろうが (あるいは webサーバがアホっているのかもしれない)、
あまりに何度も何度もこれにダマされたため、いっそのこと日付なんか表示しなきゃいいのにと思う。
同じことは google news にもいえる。「更新: 6時間前」とか書いてあるのに実際に
見てみたら 1週間前の記事だったり、フンヌ。
しかしこれは google が悪いのか、html を動的生成するサイトが悪いのかよくわからん。
結論: どっちも悪い。
このごろ (くぬぐる、) 最高気温が 27℃ぐらいなので、
冷房ナシでも快適にヒルネができて非常によろしいのです。
うちの親はこのごろ週末になると某所の別荘 (中古で買った) に喜んで行ってるらしいが、
いまは長野もあつくて大変じゃな。
ところで (てくるで、) 今日
こんな方法
を発見した (はっけそ。).
こいつはなかなか (ぬかぬか) いいかむしれぬい (いいかもしれない)。
昔から新山は www でリンクが「押せなそうに」見えることが気に入らなかったのである。
オレはいいけど、年寄りがね。もっと混乱するのは imgmap だ。webが発明されて10年以上たつのに、
こういうことをほとんど誰も改善しようとしてないのが不思議でしょうがない。
「中学生はこれを読め」リストを見て、漫画が少なすぎると思った。
ちなみに新山が中学生のときは時間がなかったので、本なぞ読んでる暇はなかった。
ついでにいうと高校生のときにもあんまりなかった。ような、気がする。
ちなみに新山はこのころからすでに「(修行と題して) ワザとイヤなことをやる」という
性癖があり、中学・高校ともに意図して運動系の部活に入っていたが、今から考えると、
時間のムダだった。あれをやってもちっとも運動が好きにはならないし、人間不信になるだけ。
なんであのとき誰も「運動なんてできなくたって健康ならいいんだ」
と言ってくれなかったのかな。あれのせいで新山は中学・高校ともいい思い出がない。
浪人して予備校に入ったら、部活しなくていい学校って、こんなに楽しかったのかと
思ったのを覚えている。おかげで偏差値は 45 から 65 まで上昇した
(これは、結構な伸び率だったらしい)。そりゃあ、そうだよね。
だって、日がなテキトーに問題を解いたり単語を覚えてりゃいいんだぜ。飽きたら友達と
缶コーヒーを飲みながら微分方程式やら共産主義やらについて延々と喋っていられた
(しかし実際にいちばんハマっていたのはトランプかもしれない、
あと模試の用紙をあつめて紙飛行機をつくること)。
あとは予備校の屋上でサボってぼーーっと雲を見ること。
このため、新山が受験勉強らしきものをしたのはほとんどこの一年だけだが、
大学受験が「つらかった」という思い出はあまりない。
しかしこれはもしかするとそれまで 6年間のあいだ部活で抑圧されてきた
経験があってのことかもしれない。とにかく、話を戻すと、
世の中には本を読みたいのに読めない人もいれば、
本なんか読みたくないのに読まされている人もいる。
どっちが不幸か? といえば、どっちも不幸だ。
というかさ、本なんてオトナになっても読めるじゃん…と思っているのは
いまだに学生やってるオレぐらいのもんだろうか?
好きな本はいろいろあるけれど、「中学生のときコレに出会っていたら人生変わっていたか?」
という本があるかといえば、謎である。たぶんその頃に読んでもワカんなかったと思う。
新山の場合、人生変えたのはワンボードマイコンで、しかもそのころはまだろくに字も読めない歳だったので、
オレは本に出会う前からすでに人生変えられてたことになる。
それがいいことなのかどうかは何とも言えぬ。
どうでもいいが (どうでもよろ)、偏差値といえば
「偏差値70からの大学受験」ってサイトがあるのですが、
ここの文章のテンションはめちゃくちゃ高くて笑える。
「僕は怒りに満ちた。」とか、
「涙に浸る屈辱の12月10日」とか、
微妙に日本語がアレしてる感じがなんともいえない。
しかしいまどき大学ブランドにこれほどこだわる人々がいるとは思えないので、
最初からケッコーわざとらしいケド。
似たようなので、「リアル鬼ごっこ」の日本語はスゴイって聞いたんだけど
まだ読んだことない。
久しぶりにナガシマ病患者の文章を見た。クラクラした。
いま自分が書いた上の文をあらためて読み返してみると、ひどくイヤミったらしく見える。
こういう人間にはならないようにしていたのに。
さいきん、歯みがき。よくなき
食み餓鬼??
噺家っていうのは、はたから見りゃあ、じつにいい加減な商売ですよ。
それを自分の天職だと思って食っていこうとするから、粋なんですよ。
-- 志ん朝
どっちをとっても
うそつき!
てくづれ (tekudure)、昔は“悪の象徴”だったのに今はすっかりどうでもよくなったもの:
google://Д/
さいきん、寝坊ぎみ。よくなき
てくるでさー (ぽころで、)、
「なんとか 2.0」って命名法 (?) はまだ流行っているんだろうか。
これって、新山の覚えているかぎりでは 10年ぐらい前に
山形浩生が「ケイザイ 2.0」って連載やってたよね…。
当時からすでにこの名前はダサイと思ってたが、
まだやっている人がいたというのが驚きだ。
まあ新山は 2.0 よりは 1.5.2 のほうが好きですけどね。
それにしても、気が重いよ。。。
ヤルコンネーー=
ぬるいオチャ。
役員の家にゲリラ的におしかけて玄関を封鎖し、強制的に休みにしてしまう
盆正月
という恐しいイベントがあるらしい。毎年、秘密結社によって実行される。
新山はさっぱり知らんかった。カッコイイな。
しかも正月だからちゃんとシメ飾りとか鏡餅が置いてあるってのがすばらしい。
ロックな精神を感じる。上伊那とかあのへんになるともう異文化って感じだからな。
帰ってきたよ。
きょうもよろりい天気ですねコラ。
知らなかったが、オクラってのはアフリカのどっかの言葉らしい。
いやーー、オクラはいいよね!
湯がいてカツヲ節と醤油で食うもよし、味噌汁に入れるもよし。
NY でもオクラを使った料理ってのはわりかし見る。
マリネになっていたりスープに入っていたり、肉のつけ合わせになってたりする。
とくにトマトスープに入っているオクラはなかなかうまい。
だからなんだって? いや別に。オクラを食っただけ。
一部の人々がいっている「誤解や偏見をなくす」というのが
どうしようもなく聞こえることについて。誤解や偏見を完全に「ゼロにできる」と
思っている人は、そもそも誤解や偏見について何も知らないし、
あまり考えたこともないのだろう。ただ彼らの人生にとって、
聞こえのいいお題目にはなるかもしれない。
新山にとって「誤解や偏見をなくす」というのは、誤解や偏見の
総量を減らすことじゃあない。そんなことはできっこない。
ただ視点を変えるだけである。誤解や偏見が完全になくなるということは、
これは上下左右 360度の視野を持つというのと同じように、人間ができるワザじゃあない。
見る方向を変えたら、あるものは必ず見えなくなるわけだ。つまり、ヒトはまず
この不完全さを認識しなきゃいけないし、そのうえで、すすんでみずからの偏見を
選択しなけりゃいけない。逆に言えば、
人生には偏見が必要なのである。しかしそれを選ぶだけの覚悟はないし、
そもそも洗濯しなけりゃいけないことに気づいてすらいない人は多い。新山も含めて。
なにか表の方で、ズルズルとものを引きずるような音が。。。。
おう、ぉぅ。
うちの phd 学生に配られた Dell のラップトップのバッテリーが、
「例の型番」に該当するかもしんないらしいというお知らせがきた。
まあ、新山にはカンケーないけど。
北京海天瑞声科技有限公司はくだらん spam を送りつけてこないように。
オレは中国語の音声コーパスなんていらねーーーーーよ!!
ばか。
学会名簿からアドレスとられたらしい。
サイアクだ。
またもや (マタモャー) 締め切りギリギリのノドモト原稿提出です。
毎回こうなんだよねーー
(他人のふり、他人のふり。)
ども、ようやく出所してきて、
きょうから (また) 学生になった新山です。
あのいかがわしい会社に行かなくなって、なんか
自分がちょっと「きれい」になったような気がする
(「キレイ」にはなってません、念のため)。
そんでも今日は 9st. の駅で思わず乗りすごしそうになったが。
慣れってコワイね。Unicomp のキーボードとましな空調、
そしてテキトーな人々にかこまれて、
オレはとっても幸せだ。
きょうも過ごしやすくていい天気だる。最高気温 28℃ってとこかな。
"Effective C++" を読んでまだ C++ が使えてる奴はマゾだけだ。
オボニストとはお盆な人のことをいう。
あるいは obonist.
google はブっこわれてしまったらしいね。
上の検索結果 (こんさく・こっか) のどこにも「オボニスト」という文字列は含まれてない。
それじあこれはどうだっ!
オボナーー
hobokenist (ハテ?? なぜ "-ist" か??) でゴハンを食ってきたらこんな時間になっていた。
どるどる。どるどる$$$.
このごろ、毎日のように「インターンどうだった?」という乾燥を尋かれるのだけべれも、
そのたび説明するのがじつにややこしい。じつは公平を期すためにいっておけば、
会社はキライだったけど、新山のまわりの人々は
基本的にみんな非常に感じのよい人々であったし、
インターンの仲間もみんないいやつらだったし (うちらはみんな仲がよかった)、
個人的にかなり好きなキャラクターもいた (まあそうじゃない奴もいたけど)。
でも、彼らとは結局のところ表面的にしかつきあえないだろうと思う。
この会社に対する違和感はもっとずっと根本的なところからきていて、
たぶん彼らは自分がある種の態度を (知らずしらずのうちに) 開帳しているとは
気づいてないだろう。
オレは自分の意見についてウソをつき通すことが非常に苦手だる。
これまでは彼らに対して「自分の態度を表明しない」ことでごまかしてきたが、
あの会社に長期間いたらそのうち対立は決定的になる。
そうならないうちに (3ヵ月ぐらいで) 逃げ出せてこれたのはじつにラッキーだったよ。
やれやれ、こいつもいるのか…。
ちなみに、新山はこの人が嫌いである。
なぜかっつうと考え方がアメリカンぽくて嘘くさいからだ。
そのわりには破天荒なところがなくていい子いい子してる。
誰のことかって?
Paypal から入金確認の電話が来た。びっくり。
てくるで、昨日の話の自己否定。
よく考えたら日本にも「すごいソフトウェア」はあるじゃん!
それは、ゲームだ。しかしなぜゲームだけでほかが出てこないのか?
そいつは、よく、わからない。読点多し。ゲームを作っている人々は
もっぱら「好きモノ」だからだろうか? まあ、PHP や MySQL なんかを使っている仕事に比べると
たしかにゲーム業界のほうが「好きモノ度」は高そうだけど。
それに、「日本はハードがすごい」というのもじつは神話なんではないかと思っている。
まえに日本は半導体の技術はすごいが、作れるのは「いいメモリ」だけって聞いた。
つまりいいプロセッサを設計するのは無理なんだと。新山は実際にプロセッサーのよしあしを
うんぬんできないのでこれ以上は知らないが、なんかありそうな気はする。
そうか。つまり、ソフトウェアでもプロセッサでも、最終的にいいモノってのは
「クセのある人間」が設計してるような気がするんだよ。
花森安治は「編集長は独裁者でなければならない」と言っていた。
これはようするに「思想を持たない人間にまともな設計なんかできるわけがない」というふうに
言いかえられるかもしれない。実に正しいと思う。ソフトウェアの根本部分ってのも、
これと似ている。設計ってのはある意味「独裁」によって決まるもんだから。
いっぽう日本人は一般的に「みんな、なかよく」をモットーとする人々が多いので
(これは中国なんかと比べても明らかに統計的に差異があると思うのだけど…
どうやって検証するかはわからず)、いくら 100人の優等生を集めてきて話し合わせても、
いい設計はできっこない。100人の優等生がいてもいい小説は書けないのと同じだ。
って、これ、誰かすでに似たようなこと言ってたよな。誰だっけ?
しかしゲーム業界では独裁者がいそうな気がするのに、なぜか日本の
その他のソフトウェア業界では独裁者はいないような気がする。なぜだろう?
それが日本の伝統的なビジネス慣習だから、といってしまうと、
やはり結局「どうやっても治すのは無理」という結論になっちまう。
日本国内でも、雑誌の編集はまだ小規模なプロジェクトなので花森安治のような
独裁者が生きていけるのかもしれない。でも規模のデカいソフトウェアプロジェクトじゃたぶん無理。
嶋正利もきっと独裁者だったんだろうが、日本のメーカーにいたら
8080 はできなかったろうと思う。
うん、こっちのほうが教育の問題よりもずっとありそうな気がしてきた。
しかしこれは教育よりさらにドーーにも解決しようがありませんね。
まあ、どうでもよろ。
気温 23℃、快晴。
すばらしい秋晴れだ。こんな日はどっか山とかに遊びに行きたくなるね。
といってもこの付近に山はないし、車もないので無理だけど…。
ようするに、オレは基本的に都会が嫌いである。
しかしアメリカの田舎も嫌いだ。
そういや昨日は浜辺に行ったんだった。
遊園地は海沿いにできているので、すぐ隣はビーチで人が泳いでるんである。
砂浜を歩いて波打ち際まで行ったが、やぱり海じゃダメだよな。
そういえば昨日、電車の中で例のハンガリー人に
「なぜ日本はハードはすごいのに、すごいソフトウェアというのがでてこないのか?」と
尋かれた。同じようなことは前にも考えたことがあったけれど、というか
これは日本国内でもみんな思っている疑問だと思うけど、
基本的に「わからん!」と言うしかない。
産業界の構造がウンタラという議論はどっかで読んだが、それはたしかにあるのかもしれないが、
それ以外でひとつ確実に目に見えることがある。
それは「『ポインタ』についてちゃんと理解してない奴でも
情報工学科を卒業させてもらえるのは日本だけ」
ということである。そんな大学があるのかって?
ありますよ、ここに。
もしかするとこの大学が非常な“甘やかし大学”だったんかもしれないが、
こいつらと米国の CS を出た学生を比べたらまず入社時点でバッチリ差がある。
なぜなら、プログラミングつうのは頭の良さも関係するのかもしれないが、
なによりも長時間の練習が必要なものであるから。スポーツや語学と同じようなもので、
練習しない奴は絶対にできるようにならないし、逆に練習すれば誰でもある程度は
絶対にできるのだ。そういう練習がキライな人には向いてないというだけ。
これだけが原因じゃないとは思うけど、たぶん小さな原因のひとつではある。
でも、これは特定のカリキュラムが悪いというよりも、
そもそも「世間が学生に勉強することを期待してない」から悪いんでしょ?
ちなみに、新山は別に東工大が嫌いなわけではないのですが、
というかむしろかなり好きなほうだと思っているのだが、
「個人的に好き」だからといってecho=贔屓にする必要はまったくないよね
(よくこの 2つを混同しているバカを見るのですが)。
そういえば誰かに尋いたけど、授業であまり沢山の学生を落とすと
教務課からお叱りがくるという話。でも教務課が悪いのかっていうと、
教務課もただ学生の親や「世間」からくるプレッシャーに対応しているにすぎない。
たとえば大学が学生を 1割しか卒業させなかったら、
世間はこれを「ちゃんとした教育」ではなく、むしろ
「お粗末な教育のため」と見るだろうし、
メディアはこぞってバカにするだろうと思われる。
結局のところ、これは永久に治らない。
ところで (てくるで)、新山が
個人的に興味あるのは「センスのいいプログラミング」であって、
これは練習とはあんまり関係ないような気がする。
「センスのいいプログラマ」ってのは日本にも他の国と同程度には絶対いると思うけど、
まあ彼らは産業とはあまり関係ないわな。
センタクが終わったので、さっさと出てくる。
まったく今日はすばらしくステキな天気だな〜〜。
ていうか、昨日もかなりいい天気だったが、こういう日がずーっと続いてくれたら
すこしはオレの人生も上向きになるのだけど。
あっそうか、そういうことか (陰気)。
さて、きょうはいつも行ってる kebab 屋に顔を出し、
ひさしぶりに chicken kebab を食す。途中、ワシントヌスクウェアにさしかかったら、
木々がかなり濃くなっていて、誰かが日陰の中でボンゴ + コンガ系の打楽器を打っており、
うっそりとした (欝蒼 + ひっそり の造語) 雰囲気の中にタイコの音がぽんかぽんかと
響いてなんやら幽玄な雰囲気だった。(当然、人はそれ以外にもいっぱいいるのだが、
この音だけがやたと通るので)
よろよろ。(よろしい、という意味。決っしてフラフラしてるのではない)
「心の問題」じゃない問題のことは何と呼ぶのだろう。
「おヒィす・デいぽぅの歌」というものを考えた:
ボクはコルシカ棟の生まれ♪
好物は蕎麦とタマゴの鼻と金塊よ〜〜〜♪
あと知らね♪
誰か考えて♪
といいうか忘れたんだ、忘れたということにしようううlppppnskpnskpnskpn
明日は病気です。(タマゴに鼻があるならば)
きょうは大学でへれんと遭遇し (ったく、どいつもこいつも土曜の午後だつーのに
何やってんだか)、「インターン先のグチぶちまけ大会」を開催、
2時間ぐらい話しこんでしまった。
彼女もまたミッドタウンにある某社で仕事中なんである。
メシを社内で食わねばいけないのがつらいといってた。ああ、それはつらいな。
少なくとも新山のいた会社は仕事中にわりと自由に出入りできたので、
その点ではよかった。タイムカードもなかったし。
まあそれはいいとして、きょうは make で初心者が陥りがちな
ミスをひとつ教わった。彼女はリンクで undefined symbol が出るといって
コケていたのだが、main()
から呼ばれる関数のある
.o
しかリンクしていなかったのである。ソースコードと違って、
オブジェクトファイルには #include
のようなものがないので、
リンクの際には依存してる .o
(通常は全部) をぜんぶ
指定してやらねばならない。まあ、IDE を使ってりゃ普通は
そんなこと勝手にやってくれるからな。しかし、それでも正しい Makefile を
書くことは習う価値があると考える。
あと、某プロジェクト (って GALE) に関する愚痴も聞いた。
いまや評価段階なので政治的駆け引きがすごいコトになってるらしい。
まー、来年度のカネがもろにかかわってくるから。
Ralph も大変そうだ。彼はあんまり政治は得意じゃないと思う。
しかしこんなことはデカいプロジェクトに関われば絶対出てくるはずのことで、
企業に行ったら行ったで社内の部署での駆け引きがあるだろうし、
どこでも起きてることなんだろうなあ。へれんはこれを嫌っていたが
(ACL sydney でもかなりアホな政治的やりとりを目撃したらしい)、
「大物」になりたいんなら政治は避けて通れませんぜ、と言っておいた。
でも米国では中国よりはるかにマシだという。
たぶん日本よりもマシなんだろうけど、だいたい
アジアではどこでもそういう上下関係があるような気がするね。
ま、オレにとっちゃどうでもいいが (どうでもよろ)。
なに今夜の最低気温は 14℃だと? すばらっし。
永久に 14℃でいいよ。
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Yusuke Shinyama