2006年 10月 (1)。

明日の自分になることはできるが、昨日の自分には二度となれな
い。

Last Modified: Tue Oct 10 23:40:34 EDT 2006 (10/11, 12:40 JST)

Oct 10 [Tue]


(04:33)
どわっっ!

まだ直ってない!! とっこべとら子!

いーかげんにはやく解放してくれよ…とか言いながら、 濃い緑茶を飲む。ガブガブと。これじゃまた眠れない。(予定)

(08:09)
夜が明けてすぐに大学へ。(さいきん夜明けがかなり遅い)

来がけに五番街で大規模な交通整理がおこなわれていた。 なにかと思ったら、またぞろ Washington Square North 一帯を封鎖して 映画撮影をやってるのだった。今回もこりゃかなりデカいぞ。トレーラー 20台。 いつも思うのんだが、ここまで手間をかけて映画を撮りたいってのは、 わからんなあ。

(12:22)
冗談としか思えないカンファレンスを発見。笑える。 www.theajaxexperience.com あの洗剤の使い方をえんえんと議論するのだろうか? どうでもいいが (どうでもよろ、) 日本人だらば絶対これは「アジャっくす」って読まなければならないよな。 そのほうが強そうだから。それに、なんだか邪悪な感じもするし。
(13:57)
あーーー、カラかった。 久しぶりに昼食を dosaったのである。 やっぱり、しばらく食わないと無性に食いたくなるんだなあ。 おっそろしい行列ができていたが、15分ぐらい待ったか? しかし今日も昨日と同じくやや暑めなので、こんな日は ドサがぴったりだと思はれる。(辛さのせいで) 頭もリフレッすュシるし!

それにしても今日の撮影はでかい。 2階建ての楽屋車なんて初めて見た。 さっき、その横を通ったら、アクションシーンの練習している人々がいた。 あれはたぶんアクションシーンだろう。息を切らしてたけど、 ああいうのって疲れるだろうなあ。

さて、うちの博士課程に興味あるんだけど、 どんなんか様子を教えてほしいというメールがバングラデシュかどっかの学生からくる。 新山のアドレスをどっかでひろったらしい。 こういうのに相談にのるのも学生の仕事といえると思う。 (教授よりは気楽な地位にいるからね。) オレだって、真面目なメールにはマジメに返答するのだ!

(15:21)
コルーーパスの分析あきた。
(23:20)
lispnyc in westside ぶるわりー。 もう眠くてダメだ。

Oct 09 [Mon]


(05:22)
某国の人々はじつにすばらしい知的好奇心をお持ちだ。 そしてオレはまた時差ボーだ。 もういっかい寝よ。(うん、一応努力はしてみる)
(07:41)
そしたら寝すぎたりして。
(09:07)
でもあんがい早くオフィッスに着いたりして、さ。

さあ、仕事、仕事。sbcl.org (= sf.net) がつながんなくてムカつく。

(16:18)
そんでいつのまにかこんな時間。
(20:38)
それは「記憶」と呼ばれている。
(22:22)
今日はあれやこれやとしているうちにじっくり考えず一日が終はった。 こういうことはよくあることだが、よくなければならない。 (いみ不明。) もう眠くて死にそうなのですが、そういやー今日は Chen の攻撃を受けなかったな (毎週やつはなぜかオフィスにおしかけてきて どーでもいいことを喋りまくる)。今日は N&D 授業なし。 明日もミーティングなし。つまり、サボりの一週間。 あーオレはいつになったらコノ夏休み気分が抜けるのだや
ら。。。。 。

Oct 08 [Sun]


(08:32)
とりあえず朝さね。
(11:15)
とりあえず崩さね。
<p?>
クもひとつない朝だ。いや、ひとつくらいはあるか。
アフリカもくそもあるか。動揺もくそもあるか。
やばい。体内時計の狂いぶりにより思考まで狂っている (いつものことで)。

[[ 何か書こうとしていたのだが忘れてしまった ]]

ところで新山は「知的好奇心」という言葉がだいっっきらいだが (まるで「知的」じゃない好奇心があるかのようだ)、 一部の人によると、「知的好奇心」とは 他人がすでにやったことを (すこし手を変えて) 後追いしてみることをさすらしい。 ほう。

ちなみに新山にとって好奇心とは自爆スイッチを押してみることである。 それ以外の定義は許さない。

(12:09)
ハトの家族。

タンブラー乾燥とタンブラー関数。 タンブラー乾燥した後、乾燥機の中における洗濯物の位置をあらわす関数をタンブラー関数という。

タンブラー関数 T としたときの T(センタク物ブクロ) の値は 新山にとってつねに重要な問題でありうる。 よく、悪役が滅びる時に「人間にアクの心がある限りオレはまた返ってくるぞ!」みたいなことを言うが、 この悪役は世の中のエントロピーの少なさに感謝しなければならない。いずれエントロピーが飽和して 熱的死になった後は、善人と悪人の差別化はどうやってもつけられなくなるだろうから。

途中で脈略なく話を変えるのはうちの家系の伝統です。 デンカ(電荷) の宝刀ってやつっすよ。 あるいは殿下が放蕩? ちくしょ、このタオルまだ乾いてねえ。

(14:09)
どっかの誰かさんと違って、オレはまだ定義を変更してねえぞ。 …といっても、はたしてそれがいいことなのか悪いことなのか知らない。
(16:24)
ちょっと攻撃的すぎます。
(22:11)
St. Marks Books に行ったら、 「ウォーリーをさがせ!」のパクリ版である 「ビンラディンをさがせ! (Where's Bin Laden?)」という絵本があって笑った。 しかも、けっこうむずかしい。ここで一句!!

○○○○○ ○○○○○○○ ○○○○○○○○○○

Oct 07 [Sat]


(19:40)
おきたら午後 7時だった。土曜日がまるつぶれ。ショックだ。 これでは完全な中也逆転人間でわない蚊。 これからどうしよう?
(20:26)
nemukunattekita...
(03:33)
ふうふ (¬夫婦)。きょうはようやく時差ボーの恐しさを思い知った。 同時に、ふだんの自分の体内時計のありがたさを思い知った。 正常な人間だらば、いっくら明け方まで起きていてそのあと寝ても お昼ごろにはたいてい目がさめてしまう。ところが時差ボーの世界では 完全にこの期待が裏切られる。こわい。話は変わるがついでにゆうと うちの大学の bursあr から金 $1,136.00 也を納入せよという通達 (ステイトメント、文) が最近うちアテに 来てるのだが、これはオレが払うべきカネなのかそれともまた奨学金関係のミスなのか?? 广广。ところでこれは全然ついででない。なにゆへか。▽ (SKK風味)   てくるでオレはいつも正常でなさそうな言葉遣いおよび文章で書いているが、 実物はまったきのマトモな人間である (マトマー)。だから睡眠薬も効かない。
(04:33)
もあしかしてオレはその答えを最初から知っていたんではないか? 知ってはいたが、知らないふりをしていた、と考えザルを得ない。 サルとザルは似ているようだけど違うよ。サルは鳴くし、ザルは泣く。 そして嗚咽する。おや嗚だ。嗚と鳴が違う文字だということをオレは今知ったね…。

オマエらの問題性にかかわる問題には、もうきりがない。おわりだ。

(顔をおぼえ
られてる!)

でももうオレにはそれは必要ないのだ、はっきり言って。

(04:38)
雨じぇす。

Oct 06 [Fri]


(06:05)
あーーーー…、時差ボケ。。。
(08:39)
最近読んだ本のうち、おもしろかったもの: テヘランでロリータを読む

はっきりいって原書で読むべきだったが、日本語書店で見つけちまったんだからしょうがない。 それにしても、新山はイラン革命とかそのあたりについてまっったく知らなかったんだけど、 じつはあの当時のイランって、キムじょんいるもビックリのスゲー世界だったんだな。 イランではいまも女性が (一般の前で) 肌を出すことが禁じられているため、 多くのスポーツ (たとえば水泳) ができないと聞いたことがあるが、ここに書かれていることは とてもそんなレベルじゃない。13歳の女の子がオヤジと結婚させられるとか (むかしはイスラムで結婚できる最低年齢は 9歳だったらしい)、 高校生ぐらいの女性がビラをまいたかどで投獄され、看守に………され、処刑される。 「服装が刺激的だった」という理由で意味もなくムチで打たれる。 そのくせ男は結局のところ好き放題にチカンして、罪は受けない。 そしてアメリカ帝国主義や「西洋化された、退廃的な」人間を迫害する人々。うげーーー。

しかし著者によると、抑圧されている人間にこそ文学は必要であるという。 この本の中では、著者はおもに現実からの逃避として読書したことが多いみたいに書いているが、 実際にはこうした物語は現実を受け入れ、それでいてなお自分の平静 (というか、良心というか) を 保つために必要であるという主張が読める。なぜなら自分の良心というものは、私的なもので、 これを保存するためには自分の内なる世界をつくらなければいけないから、というような…。 文学に何ができるのか、というような話は、新山にはどうでもいい。 一般人にとっては小説もまたひとつの道具だし、それをどう使うかは人によって違うと思う。 まあオレはあんまし使ってないケドね。

はっきりいって、本としてみると、書き方はいまひとつだと思う。 話が時系列で行ったりきたりしてて追いにくいし、翻訳もそんなによくない (原文がそもそも学者っぽいのかもしれない)。 でもこの全体的な状況のために、細かいところはどうでもよくなっている (どうでもよろ)。

好奇心はもっとも純粋なかたちの不服従である。
-- なぼこふ

たしかに、あらゆる人間の欲望のなかで 潜在的にいちばん危険なのは好奇心かもしれない。 しかし世の中には生まれつき好奇心の強い人とそうでない人がいるように見え、 なぜそういう違いが生まれるのかはナゾである。 ま、とにかく、オレは生まれつき不服従だったということだな。それでいいよ。

追記: そういやーむかし東工大にハータミー (当時イラン大統領) がきたことがあったな。 まだ新山が東京にいたときのことで、あのときは前日から警備員がわんさと入っていて すごい状態だった。大学は「大統領のすばらしい講演」に出席する 学生を募集していたが「スーツで出席すべし」だったので、背広来てまであんなのに出たがる学生が 何人いたのだかは知らない。(新山の予想では、どーーせドタン場になって担当教授んとこの 学生がサクラとして何人も動員されたに違いない)。それにしても、 なんで東工大だったんだろ? あそこはイラン人が多かったのかな? しかしうちの大学にもしニポン国の首相がきたとしても、オレは絶対行かないがね。 こういうことになると人はいつもナチスみたいにふるまいたがる。 総理大臣なんて日本を出たらタダの人なのに。

(16:06)
あーーーーーーーー…

時差ボ-………。。。。。。。。。

(23:59)
そういやー、ほかにも面白かった本があった: ゴミにまみれて

わりと古い本だけど、これは結構すごい。これを読むと世の中の仕事はどれも 同じくらいに頭をつかうということがわかる。一見簡単そうに見えるゴミ集めでも、 おそるべきノウハウがあるのだ。まず、ゴミ袋は素手でつかむ必要がある (手袋だとすべってしまう)。そのとき中に入っているガラスで手を切らないために、 内容物をすばやく見分けて適切な「つかみポイント」を探す。ゴミ袋を収集車の中に 投げ入れる方法にもコツがある (これらは何千回と繰り返すことに注意)。 そしてこれらを朝の住宅街で猛スピードでやらなければならないので、 経路の選び方から車の停め方からすべてに対してコツがある。 そしてさらにすごいのがそのダークな側面。こういう清掃員ってのは、 新山からみると「いつもいつもありがとうございます!」って感じなんだけど、 基本的に彼らは (一般的には) 人間扱いされていないのだ。 自治体の中でもそういう扱いだという。そして彼ら自身にもものすごいコンプレックスがあって、 世の中を恨んでいるって話。このへんの恐るべき暗さは読んでると確実に落ちこむね。 いまはこういうゴミ収集の仕事はほとんど自治体からアウトソースしたところが多いらしいが、 それでもやる人が変わっただけのように思える。都会ではとくにヒドそう。 新山は幸か不幸か実際のゴミ捨て業にかかわっているのではなく、捨てているのはもっぱらコードであるが、 さて、これが計算機科学になると、コードを捨てるのはゴミを捨てるよりもずっと簡単だろうか?

まあ、ある意味では。

(00:18)
てくるで (ところで)、こないだ「みんなのPython」をみつけたので立ち読みしてみたんだけど、 ひどい本だった。どこがひどいか書く必要もあまりないが、まず誤植がメチャクチャ多い。 Jython のサイトの URL が python.org になってたり、「p.110 を参照」と書いてあるのに 実際には 117ページだったり、こういう URL とかページ番号とか周囲から類推できない部分が 間違っている。しかも新山が 5分ぐらいパラパラとめくっただけでコレだから、 本全体ではトンでもない数のミスがあると思われる。これだけを見ても 「短時間で適当に書きました」ってのがバレバレ (そもそも、ちゃんと校正したのかどうかさえあやしい)。 おまけに説明もまずい。「Python はインデントが重要」ってことで、図を使って コードを視覚的に見せようとしている…らしいが、ちっともそれが生きていない (ただ変数名やメソッド名を四角で囲って矢印を書くだけではなんの意味もない)。 インデントのブロック構造なども絵になっているが、実際のコードを使わずに 「ただの四角」を使って説明するものだから、ひどくわかりにくい。 そのくせ、本当に図で説明する必要があるような概念、たとえば イテレータなどは、抽象的にテキトーな説明が書いてあるだけ。 そもそもこの著者は図を使ってものを説明するのが得意でないように見える。 レイアウトも基本的にサボっていると思う。ライブラリの紹介もひどい。 たとえば pickle の項には loads(string(文字列)) というふうに メソッドが紹介されているが、これは string が 文字列型だって言いたいんだろうけど、これじゃかえって見づらい (実際には、最初のカッコと2番目のカッコは微妙に違うフォントだが、どっちにせよ誤解する)。 コード部分のフォントも弱いし、用語索引も貧弱だし、紙メディアであることの 利点をぜんぜん生かしてない。いい所があるとすれば、それは 日本語で書かれているということと、Python 2.3 (2.4?) に対応しようとしているらしい ということだけ。しかしそれも dive-in-python 翻訳と日本語リファレンスがあればすむ話で、 そっちの翻訳をきっちりやったほうがみんな幸せになれる。それでも、 こういう本がどっかのページで (あきらかにまだ読んでもいない人から!) 持ち上げられているという有様をみるにつけ、 「日本の Python ユーザは不幸だ!」という印象が強くなっただけだった。 まあ、でも、売れりゃなんでもいいのだろう。話題性さえあれば人は中身も見ずに買うわけだから。 Google 様様ですなあ。

結局のところ (ケッキョキ)、 こういう本を欲しがる人ってのは Python を勉強したいわけではない。 彼らはただ「Python を勉強しようとしている」という言い訳がほしいだけだ。 参考書をいっぱい買って安心する受験生と同じようなもんですよ。 こういう「おまもり本」が売れるんなら、やっと日本の Python コミュニティも Ruby のそれらしくなってきたということか。 そしてこれこそが、一部の…いや、多数の? Python ユーザが望んでいることでもあるのだ。 たぶn

Oct 05 [Thu]


(20:54)
帰還。 もうねるからな! コノヤロ。

ひとつだけ思い出したことを書いておく。 帰りの PATH の中で、オレの 2つ隣の席にすわってた 中国人とおぼしきおっさんが「ぐがーーーっ」と 車内じゅうに響く大イビキをかいて寝ていた。 どういうのかっていうと、コップの水をストローで最後のほうを「ぞーぞーーっ」って吸ってるような ああいう音なんである。しかもそれが規則正しく繰り返されるので なんかダースベーダーをも連想させる。すごかった。すごかた。どうやったらあんな音が出るんだろ? 一般に電車の中で眠りこけている人間は日本のほうが多いが、 あんなにすごいイビキをかくのは日本でも見たことない。 しかも車内はけっこう混んでいたので、まわりの人々は オドロキの目で彼を見ていた。っていうか、あまりにイビキとかけ離れた異常な音だったので、 みんな一瞬「なんだこの音は?」って周りをキョロキョロみるのね。 正面に座っていた女の子 2人はバカウケしたらしく、下を向いてケラッケラ笑ってた。 まあそういうことである。そんだけ


Sep 20 - Oct 04

(某国にて職探しの旅へ)


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Yusuke Shinyama