明日の自分になることはできるが、昨日の自分には二度となれな
い。
まだ直ってない!! とっこべとら子!
いーかげんにはやく解放してくれよ…とか言いながら、 濃い緑茶を飲む。ガブガブと。これじゃまた眠れない。(予定)
来がけに五番街で大規模な交通整理がおこなわれていた。 なにかと思ったら、またぞろ Washington Square North 一帯を封鎖して 映画撮影をやってるのだった。今回もこりゃかなりデカいぞ。トレーラー 20台。 いつも思うのんだが、ここまで手間をかけて映画を撮りたいってのは、 わからんなあ。
それにしても今日の撮影はでかい。 2階建ての楽屋車なんて初めて見た。 さっき、その横を通ったら、アクションシーンの練習している人々がいた。 あれはたぶんアクションシーンだろう。息を切らしてたけど、 ああいうのって疲れるだろうなあ。
さて、うちの博士課程に興味あるんだけど、 どんなんか様子を教えてほしいというメールがバングラデシュかどっかの学生からくる。 新山のアドレスをどっかでひろったらしい。 こういうのに相談にのるのも学生の仕事といえると思う。 (教授よりは気楽な地位にいるからね。) オレだって、真面目なメールにはマジメに返答するのだ!
さあ、仕事、仕事。sbcl.org (= sf.net) がつながんなくてムカつく。
[[ 何か書こうとしていたのだが忘れてしまった ]]
ところで新山は「知的好奇心」という言葉がだいっっきらいだが (まるで「知的」じゃない好奇心があるかのようだ)、 一部の人によると、「知的好奇心」とは 他人がすでにやったことを (すこし手を変えて) 後追いしてみることをさすらしい。 ほう。
ちなみに新山にとって好奇心とは自爆スイッチを押してみることである。 それ以外の定義は許さない。
タンブラー乾燥とタンブラー関数。 タンブラー乾燥した後、乾燥機の中における洗濯物の位置をあらわす関数をタンブラー関数という。
タンブラー関数 T としたときの T(センタク物ブクロ) の値は 新山にとってつねに重要な問題でありうる。 よく、悪役が滅びる時に「人間にアクの心がある限りオレはまた返ってくるぞ!」みたいなことを言うが、 この悪役は世の中のエントロピーの少なさに感謝しなければならない。いずれエントロピーが飽和して 熱的死になった後は、善人と悪人の差別化はどうやってもつけられなくなるだろうから。
途中で脈略なく話を変えるのはうちの家系の伝統です。 デンカ(電荷) の宝刀ってやつっすよ。 あるいは殿下が放蕩? ちくしょ、このタオルまだ乾いてねえ。
○○○○○ ○○○○○○○ ○○○○○○○○○○
オマエらの問題性にかかわる問題には、もうきりがない。おわりだ。
(顔をおぼえ
られてる!)
でももうオレにはそれは必要ないのだ、はっきり言って。
はっきりいって原書で読むべきだったが、日本語書店で見つけちまったんだからしょうがない。 それにしても、新山はイラン革命とかそのあたりについてまっったく知らなかったんだけど、 じつはあの当時のイランって、キムじょんいるもビックリのスゲー世界だったんだな。 イランではいまも女性が (一般の前で) 肌を出すことが禁じられているため、 多くのスポーツ (たとえば水泳) ができないと聞いたことがあるが、ここに書かれていることは とてもそんなレベルじゃない。13歳の女の子がオヤジと結婚させられるとか (むかしはイスラムで結婚できる最低年齢は 9歳だったらしい)、 高校生ぐらいの女性がビラをまいたかどで投獄され、看守に………され、処刑される。 「服装が刺激的だった」という理由で意味もなくムチで打たれる。 そのくせ男は結局のところ好き放題にチカンして、罪は受けない。 そしてアメリカ帝国主義や「西洋化された、退廃的な」人間を迫害する人々。うげーーー。
しかし著者によると、抑圧されている人間にこそ文学は必要であるという。 この本の中では、著者はおもに現実からの逃避として読書したことが多いみたいに書いているが、 実際にはこうした物語は現実を受け入れ、それでいてなお自分の平静 (というか、良心というか) を 保つために必要であるという主張が読める。なぜなら自分の良心というものは、私的なもので、 これを保存するためには自分の内なる世界をつくらなければいけないから、というような…。 文学に何ができるのか、というような話は、新山にはどうでもいい。 一般人にとっては小説もまたひとつの道具だし、それをどう使うかは人によって違うと思う。 まあオレはあんまし使ってないケドね。
はっきりいって、本としてみると、書き方はいまひとつだと思う。 話が時系列で行ったりきたりしてて追いにくいし、翻訳もそんなによくない (原文がそもそも学者っぽいのかもしれない)。 でもこの全体的な状況のために、細かいところはどうでもよくなっている (どうでもよろ)。
好奇心はもっとも純粋なかたちの不服従である。-- なぼこふ
たしかに、あらゆる人間の欲望のなかで 潜在的にいちばん危険なのは好奇心かもしれない。 しかし世の中には生まれつき好奇心の強い人とそうでない人がいるように見え、 なぜそういう違いが生まれるのかはナゾである。 ま、とにかく、オレは生まれつき不服従だったということだな。それでいいよ。
追記: そういやーむかし東工大にハータミー (当時イラン大統領) がきたことがあったな。 まだ新山が東京にいたときのことで、あのときは前日から警備員がわんさと入っていて すごい状態だった。大学は「大統領のすばらしい講演」に出席する 学生を募集していたが「スーツで出席すべし」だったので、背広来てまであんなのに出たがる学生が 何人いたのだかは知らない。(新山の予想では、どーーせドタン場になって担当教授んとこの 学生がサクラとして何人も動員されたに違いない)。それにしても、 なんで東工大だったんだろ? あそこはイラン人が多かったのかな? しかしうちの大学にもしニポン国の首相がきたとしても、オレは絶対行かないがね。 こういうことになると人はいつもナチスみたいにふるまいたがる。 総理大臣なんて日本を出たらタダの人なのに。
時差ボ-………。。。。。。。。。
わりと古い本だけど、これは結構すごい。これを読むと世の中の仕事はどれも 同じくらいに頭をつかうということがわかる。一見簡単そうに見えるゴミ集めでも、 おそるべきノウハウがあるのだ。まず、ゴミ袋は素手でつかむ必要がある (手袋だとすべってしまう)。そのとき中に入っているガラスで手を切らないために、 内容物をすばやく見分けて適切な「つかみポイント」を探す。ゴミ袋を収集車の中に 投げ入れる方法にもコツがある (これらは何千回と繰り返すことに注意)。 そしてこれらを朝の住宅街で猛スピードでやらなければならないので、 経路の選び方から車の停め方からすべてに対してコツがある。 そしてさらにすごいのがそのダークな側面。こういう清掃員ってのは、 新山からみると「いつもいつもありがとうございます!」って感じなんだけど、 基本的に彼らは (一般的には) 人間扱いされていないのだ。 自治体の中でもそういう扱いだという。そして彼ら自身にもものすごいコンプレックスがあって、 世の中を恨んでいるって話。このへんの恐るべき暗さは読んでると確実に落ちこむね。 いまはこういうゴミ収集の仕事はほとんど自治体からアウトソースしたところが多いらしいが、 それでもやる人が変わっただけのように思える。都会ではとくにヒドそう。 新山は幸か不幸か実際のゴミ捨て業にかかわっているのではなく、捨てているのはもっぱらコードであるが、 さて、これが計算機科学になると、コードを捨てるのはゴミを捨てるよりもずっと簡単だろうか?
まあ、ある意味では。
loads(string(文字列))
というふうに
メソッドが紹介されているが、これは string
が
文字列型だって言いたいんだろうけど、これじゃかえって見づらい
(実際には、最初のカッコと2番目のカッコは微妙に違うフォントだが、どっちにせよ誤解する)。
コード部分のフォントも弱いし、用語索引も貧弱だし、紙メディアであることの
利点をぜんぜん生かしてない。いい所があるとすれば、それは
日本語で書かれているということと、Python 2.3 (2.4?) に対応しようとしているらしい
ということだけ。しかしそれも dive-in-python 翻訳と日本語リファレンスがあればすむ話で、
そっちの翻訳をきっちりやったほうがみんな幸せになれる。それでも、
こういう本がどっかのページで (あきらかにまだ読んでもいない人から!)
持ち上げられているという有様をみるにつけ、
「日本の Python ユーザは不幸だ!」という印象が強くなっただけだった。
まあ、でも、売れりゃなんでもいいのだろう。話題性さえあれば人は中身も見ずに買うわけだから。
Google 様様ですなあ。
結局のところ (ケッキョキ)、 こういう本を欲しがる人ってのは Python を勉強したいわけではない。 彼らはただ「Python を勉強しようとしている」という言い訳がほしいだけだ。 参考書をいっぱい買って安心する受験生と同じようなもんですよ。 こういう「おまもり本」が売れるんなら、やっと日本の Python コミュニティも Ruby のそれらしくなってきたということか。 そしてこれこそが、一部の…いや、多数の? Python ユーザが望んでいることでもあるのだ。 たぶn
ひとつだけ思い出したことを書いておく。 帰りの PATH の中で、オレの 2つ隣の席にすわってた 中国人とおぼしきおっさんが「ぐがーーーっ」と 車内じゅうに響く大イビキをかいて寝ていた。 どういうのかっていうと、コップの水をストローで最後のほうを「ぞーぞーーっ」って吸ってるような ああいう音なんである。しかもそれが規則正しく繰り返されるので なんかダースベーダーをも連想させる。すごかった。すごかた。どうやったらあんな音が出るんだろ? 一般に電車の中で眠りこけている人間は日本のほうが多いが、 あんなにすごいイビキをかくのは日本でも見たことない。 しかも車内はけっこう混んでいたので、まわりの人々は オドロキの目で彼を見ていた。っていうか、あまりにイビキとかけ離れた異常な音だったので、 みんな一瞬「なんだこの音は?」って周りをキョロキョロみるのね。 正面に座っていた女の子 2人はバカウケしたらしく、下を向いてケラッケラ笑ってた。 まあそういうことである。そんだけ
(某国にて職探しの旅へ)
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Yusuke Shinyama