2006年 10月 (3()。

もしオレが死んだあともこの日記が更新されてたらどうしよ?

たこヤキ

Last Modified: Wed Nov 1 00:27:03 EST 2006 (11/01, 14:27 JST)

Oct 31 [Tue]


(09:05)
今日はアノ日か…。

朝方から上の階のガキんちょが廊下を何往復もドタドタドタドと走り回っている。 とってもうるさい。30分ぐらいやってた。

(13:37)
ミーてィングニ出ル。きょうはテンションが低かったので、 面白くもない発表をさも面白そうにうなづきながら拝聴するということはできなかった。 あれをやると疲れるからさ…。それにしてもあの人々はなぜあんなドーでもいい 研究を面白そうにできるのか謎である。ちょっとアルゴリズムを変えました。実験。 ちょっと評価データを変えました。実験。実装しました。実験。 はっきりいって、アイデアが一度動いてしまえば、あとは細かいところをどう変えようが ヒョータンから駒が出てくることはまずないんだから、研究のほとんどの部分は退屈なのだ。 しかも、彼らが楽しげにやってるのは楽しいからじゃなく、 ただ単に新しいことをやるのが面倒くさいからのように思える。 世間ではこういう人々のことも「研究者」と呼ぶらしい。 彼らはそれで時間かせぎができると思っているのだろうけど、そうやってるうちに 人生が終わっちゃうという可能性には…気づいてないだろうな、やっぱり。 というか、べつにそれでいいのか。
(16:32)
あーー、きょうは WTC まで歩かなければいけないのか。ぬんてこっ田
(17:58)
ようやく帰ってき田   帰へりに C-TOWN に買い物しようと寄ったら、 スーパーなのにガキんちょが「ちゅっかちー」してた。しかしここでもちゃんと 店員がロリポップを入れた袋を用意して待っているのである。ただしこれは レジを過ぎた出口付近にあるため、親御さんご同伴のお子様は先にお 買い物よろしくお願いします、ってことらしい。こういう住宅地では、 小学校低学年ぐらいのガキんちょはまだ親子同伴のことが多いようだ。 この場合、親はたいてい仮装をしていない。これがマンハッタンに行くと 高校生ぐらいのアホどもが大量にバーになだれ込んでいく… って、あれは高校生じゃねえのか。
(20:17)
ところで、きょう google について話していてふと思いだしたのだが、 新山はなぜそんなに google が嫌いなのか? っつうと、 たしかに広告料の決め方がナゾだとか、秘密主義でコケおどししてセコいとかはあるのだが、 新山がほんとに嫌悪しているのはもっと (一般的にみれば) どうでもいい部分である。 むかし、ドメイン名争奪戦が華やかだったころ、たぶんこう考えた人は沢山いただろう… もし ICANN かどこかが未決のドメイン名をすべて管理して、欲しがっている人に入札をさせ、 一番高い値段をつけた人間にそのドメイン名を販売したらどうなるか。 このときの取り分は全部 ICANN がいただく。ICANN の側には何も設備投資が必要ない、 「権利商売」なわけだからボロ儲けだ。これをドメイン名ではなく、 すべての名詞でやったのが Google なのである。全ての名詞は google が“所有”しており、 入札によってこれらの使用権が売られる。 まあ、Google は検索インフラを提供しなきゃいけないわけだから設備はゼロではないけど、 いまの状態を見れば設備投資なんぞはドーでもいい儲けぶりになっているのは明らかだ。 ようするに、この会社がスゴいのは、まるで SF作家でも考えつかなかったような 「言葉を切り売りする世界」を商売として実現させたところにある。 言葉の切り売りは昔から間接的にいろんな形でやられてきただろうが、 これほど直接的かつシステマティックにやったのは google が最初だろうと思う。 このことに気づいたのは 2〜3年ぐらい前のことだ。そしてなぜかオレはこれにものすごい 生理的な嫌悪感をおぼえた。なんでかわからない。政治的・商業的に言葉をゆがめるというのは、 昔からふつうにやられてきたことだとは思うのだが…。昔まだ google についてよく知らなかったころ、 この会社は検索サービスとか検索用のハードなんぞを売って儲けていくのかと思ってた。 しかし、こんなことを考えていたとは…。この悪魔的な「発明」に比べれば、 Pagerank なぞ全然ドーでもいい枝葉の技術にすぎない。たぶん、これからはもっとトンでもないものが 売られる時代になっていくのだろうけど、オレ個人としてはもうちょっとマシなものを売る 職業につきたいと思うのであります。

「世も末だ」と思うことは結構あるが、 昔からずっと世は末だったのだし、これからも世はずっと末だろう。 とうぜんのことだ。というか、むしろ末が博士か世なのである。つうことは つまり博士じゃないから世だな。大和田さん、檀さん、大和田さん。 ってどっちなんだよ!! 以下りゃく

(21:48)
うどでもいいが (うどでもよろ)、現在の日本においては、 SSH といえば スーハー・サイエンス・ハイスクール を指すことになってるらしい。

しかも、この 科学技術・理科大好きプラン ってのは、なんだっ! 誰かツッコめよ。

(00:01)
人の言うことをまったく聞かないとただのアホになってしまうし、 人の言うことを聞きすぎると人形になってしまうし。 まったくバランスというのはむずかしいものよ。

なんか、グチばっかり書いてるが、それが目的なのでまあいいか。 というかオレは本来もっと楽天的な性格なのであル。 たまにわ何か「これはイイ!」って内容のことを書かせろよ!! いや、実際にはそういうことはたくさんあるのだけど、 どれも個人的なことなのでここに書けないのが多い。 なんしろ、ここはどうでもいいことダケを集中的に書くようにしてるんだからな。 どうでもよくないことは三クシイの日記に書いています! ウソじゃありません!! 断
じて!!!  !!!1

…断さん、太輪田さん、断さん。(つづく)

Oct 30 [Mon]


(11:59)
今日、大学にきて最初にやったことはフロアの時計 4台の時刻を合わせることだった。
(13:31)
Xin1Hua2She4Bo1Shi4Dun4 3 月Yue4 31 日Ri4Dian4(记Ji4Zhe3Yang2Zhi4Wang4)美Mei3Guo2Ma3Sa4Zhu1Sai1Zhou1Gang3Wu4Ju2 3 月Yue4 31 日Ri4Zai4Zhe4Li3Ju3Xing2Huo2Dong4,隆Long2Zhong4Qing4Zhu4Zhong1Guo2Yuan3Yang2Yun4Shu1(集Ji2Tuan2)总Zong3Gong1Si1“珍Zhen1He2Lun2”首Shou3Hang2Bo1Shi4Dun4Gang3Yi1Zhou1Nian2

新山の語学力では、ボストンで何かの一周年を祝った、ということしかわからん。

ちなみに、これが広東語ではこうなるらしい:

San1Waa4Se5Bo1Si6Deon6 3 月Jyut6 31 日Jat6Din6(记Gei3Ze2Joeng4Zi3Mong6)美Mei5Gwok3Maa5Saat3Zyu1Coi3Zau1Gong2Mou6Guk6 3 月Jyut6 31 日Jat6Zoi6Ze5Lei5Geoi2Haang4Wut6Dung6,隆Lung4Cung4Hing3Zuk1Zung1Gwok3Jyun5Joeng4Wan6Syu1(集Zaap6Tyun4)总Zung2Gung1Si1“珍Zan1Ho4Leon4”首Sau2Hong4Bo1Si6Deon6Gong2Jat1Zau1Nin4

あのー、、5声とか 6声とかって何ですカ?? でもこっちのほうがたしかに日本語の読みに近いよね。

なんで中国語がキレイに聞こえるかっつうと、たぶん一語一語の長さがほぼ固定長 (というか、量子化されている長さ) だからなんじゃないか。日本語だとこうはいかない。

(16:11)
UTF-8 を使っていながら Unicode 標準を無視しているサイトがあまりに多いことについて。 ほんらい、U+0080 などの文字は Unicode 標準では制御文字ということになってる。 ところが伝統的に Windows-1252 では 0x80 はユーロ記号として扱われてきた。 このためどうやら Windows では U+0080 (€) もユーロ記号として表示されるらしい。 ほんらいなら、U+20AC (€) を使わねばいけないところだ。で、Mozilla もこの アホな慣例をサポートしてしまっているため、ほとんどのブラウザでユーロに U+0080 を使っても まともに表示できてしまっている (Safari はどうかな? あとで試してみよう)。 だから、エンコーディングに UTF-8 を使っていてもいまだにユーロ記号には U+0080 を使っているサイトが数多く存在する。 たとえば ここ とか。 くそったれ。

あー、いま見たら Lynx でも (EUR) と表示されてら。

(21:07)
米国人が (いい意味で) 知らなすぎる民族だとしたら、 日本人は (悪い意味で) 知りすぎている民族である。
(21:56)
いま、あることを書き、そして消した。 ダメだ、ダメだ、これはバカすぎる!!
(00:24)
いま、あることを書き、そして消した。 ダメだ、ダメだ。こいつはバカすぎる!

おめでとうございます。

Oct 29 [Sun]


(10:20)
あれま、きょうから冬時間に戻った。

ヒョーヘュッショグング (heohasshewngng) を知っているかね? 性格を変えるのは大変だ、ということだ。大変だ、ということ。

久しぶりにヘンな夢を見た。 どこかの湖畔に高層ビルが何本か立っており、 新山はその間をプカプカ漂っている。 飛行しているというよりは、風で流されているという感じ。 なにか気球のようなものにつかまっているのだが、それは非常に小さい。 動力は謎。で、そのビル群のなかに非常に古くなって、もう使われていないビルが 風でグラグラ揺れていたので、近くを通ったついでにちょっと押してみたら、 これが本当にただ「石を積み上げただけ」でできており、ビル全体が 横向けにバターんとひっくり返りやがった! ちょうど隣にでかい空き地があったので、 ほかの建物にぶつかるということはなかったのだが、 新山は「やべーー、逃げよ」と思い、街の外のほうへ向かう (なぜかこの時はコントロールがきいたようである)。 その都市のまわりには湖にそってずっとカラマツの林が続いていた (というか、湖と都市の周囲はすべてカラマツの林に覆われていた)。 どういうわけか高度が上がらず、地面スレスレで飛行し、どこか高い山の上に不時着する。 新山にはなぜかそこが長野のどこかであるという確信があり、 山をおりようとしたのだが、ふとここには山をタテにくりぬいて集合住宅がつくられているということを 思い出した (あいかわらずどっからこんな知識が湧いてきたのかナゾだ)。この建造物は やや斜面にそって半地下な状態でつくられており、規模はそんなに大きくなく、全部で 10世帯ぐらいである。 ここの各層に 2世帯ずつぐらいが入っており、オレはそこを階段で降りていった。 しかしどの家もひどくひっそりして人の気配がまったくしない。 ふもとまで来たあたりで住宅のひとつのドアが開いており、見るとそこは 「ちょっと人が出かけた状態」がもう何年も放置されたかのようなありさまだった。 で、それを見てふと「ここに住んでいた人はみんな連行されて虐殺されたのではないか」 という考えがうかび、どういうわけかそれは事実に違いないと思った。 それでゾっとした…ら目がさめた。

新山の夢は湖がでてきたり、山の中で起こるものがけっこう多い。 やはりこれは、原体験によるものが大きいんだろうか?

(15:16)
あぁ〜 pyvnc2swf が 5000行を超えたぁ〜。もうイヤだ。 オレはこんなデカいコードを保守できる自信はねえぞ。
(21:31)
へえーーー、コンサルタントって儲かるんだなあ。何やってんのか知らないけど。
(22:54)
さいきん、Python でも EasyInstall とかネットワークからモジュールを ひろってきて勝手にインストールするのが目立つようになった。 これ、嫌いだ。古くは CPAN を見たときからそう思っていたが、 一見こういうのは便利そうに見えても、長い目で見れば害になるだけだろう。 Firefox のプラグインなどもそうだが、みんなこの手の機能を自前で実装して 自前で認証し、おまけにいらんセキュリティホールをもちこむ。 こういうのは本来 OS のパッケージ管理にまかせるべきだろ。 将来的に絶対ぶつかってシッチャカメッチャカになるのは目に見えてんだから。 proxy やらその他のネットワーク設定もぜんぶ個別だし、退化してるじゃん。 しかし一番ハラ立つのはこうしたシステムが結局はたいして使う機会がないことだ。 だから、できればこんなのはインストールしなくても動くようになってればいいのだが、 モノによってはネットワークからインストールしないとうまく動かないものがある。 こいつらって、ベータと VHS の時代から何も学習してないよな。

Firefox を起動しておくと、一定時間おきに aus.mozilla.org に接続する (しかも、クッキーつきで) ということを知ってたかな?

(23:33)
英会話学校ってコンプレックス産業だよなあ。 ちなみに、新山が ny にくる前に英語をどこで勉強したかというと、 恵比寿の英語喫茶に行ったのと、アルクの 「1000時間ヒアリングマラソン」をやっただけである (といっても実際これは結構タイヘンだったが…我ながらよくやったよ)。 質実剛健だぜ麺! 出来心で自由ヶ丘の AEON とか NOVA の受け付けにも行ってみたのだが、 アホらしく高いのですぐに帰ってきた。 それにしても NOVA はすごい。ネーちゃんのヤクザな気迫におされて 逃げ出してきたのであるが、電話もってないと言っても信じてくれないんだもん。 ホントだって! 知り合いには 「NOVA でお試しレッスンだけ受けて講師にケンカ売って帰ってきた」 という人もいたが、オレには無理そうだった (いまなら図々しくなったからできるかも)。 基本的に英会話学習にウン万円もかけるやつはアホだと思う。 ヒアリングマラソンもいまだったら中古をオークションで買うかすべきだよな、 べつに新しくてもいいことないんだから。

でも考えてみれば受験産業もコンプレックス産業かもしれない。 新山は英会話にはさほど金を使ってないが、これには金と時間を使いすぎた。 そしていまだにそのツケを払っている。

Oct 28 [Sat]


(08:45)
一日中雨なの?
(14:04)
web ブラウザに必要なのは「先読まれ」ではなく「先読み」であると思う。 あるいはその逆。
(15:18)
人間が一日にとるカロリーに制限があるのと同じように、 人間が一日に受けとる情報は一定の量までにしておいたほうがいい。 さもないと狂うよ。それと、排出する情報もね。

あ、晴れた?

(21:40)
やったね長野県! いまのところ 30校で、北海道・岩手についで全国第三位!! これって、多ければ多いほどいいんでしょ?

Oct 27 [Fri]


(10:15)
まあ、なんにせよ、取り繕ってばっかな人は根本的にカッコ悪いんだよ。 見た目にしても、性格にしても、頭の良さにしても、だね。
(15:24)
疲労困憊。。。

つうか、今日一日の体力は使い果たしただろ。もう帰っていいすかね?

(16:20)

(UNIX-HATERS Handbook, P. 123 より)

X-Windows の悲劇

50-MIPS ワークステーションを 4.77MHz の IBM PC みたいにする方法

もし X の設計者が自動車を作ったら、運転席には最低でも 5つのハンドルが隠されていて、そのうちのどれひとつとして 同じ動きをしないだろうね -- でもカーステレオでギアを変えたりできるかもしれないよ。 便利な機能だね。

-- Marcus J. Ranum, Digital Equipment Corporation

X Windows は GUI界のイラン・コントラ事件である。 政治的妥協ともつれた共謀関係、誇大広告、そしてひたすら欲望の惨劇である。 X Windows とメモリの関係はロナルド・レーガンとカネの関係のようなものだ。 何年にもわたる『ブードゥー人間工学』がまるで前例のない途方もないメモリ不足を生み出した。 分裂的な依存関係、分散デッドロック、そして迷宮プロトコルなどが入り乱れて、 渋滞と、排他競合と、すでに広まったダブルスタンダードを一層深刻にしている。

X は、価格 5000ドルの便器と共通するところがある -- Sun の Open Look 時計のように。 これは 1.4メガバイトもの実メモリを消費するのだ! 22台の コモドール 64 から RAM を全部ひっこ抜いてきても、まだ時刻を告げるには足りないのである。 生の X11R4 "xclock" でさえ 656K を必要とする。そして X のメモリ使用量は増大しつづけている。

X -- 史上初の、完全モジュール化されたソフトウェア大惨事

X Windows は、 MIT CS 研 5階のオフィスにいたある男のプロジェクトとして始まった。 この男はウィザード級のハッカーで、W というウィンドウシステムに精通していた。 これは当時スタンフォードでやっていた V プロジェクトの一部として設計されたものである。 彼は分散型のグラフィック・ディスプレイサーバを作ろうと思いついた。 基本的なアイデアはクライアントと呼ばれるプログラムをある計算機で 走らせておき、別の計算機で走っているウィンドウサーバと呼ばれる 特別なプログラムに表示できるようにするというものだった。この 2台の計算機は ネットワークにつながれていて X プロトコルが話せるようになってさえいれば、 VAX でも Sun でもどちらでもよかった。

X は真空の中で生まれた。当時 Unix にはグラフィックスの標準というものがなかったので、 X はそういう標準を提供したのである -- しかもフリーの実装つきで。 X はほとんどのアプリケーションの敷居を上げた。みんなのハードウェアが、 突如としてフリーの MIT X サーバを動かすだけのものになってしまった。

今日でさえ、いまだに X サーバは速いコンピュータをアホアホ端末に変えてしまう。 X を高速に走らせるには、トンでもないハードウェアが必要だ -- ハードウェアメーカーが喜びそうなすごいやつが。

ノングラフィカル GUI

X は 3つのプログラムを動かせるようにデザインされている。 xtermxload、そして xclock である。 (ウィンドウマネージャの概念は後から考えられたものだ。) MIT で開発された最初の数年間、このウィンドウシステム上で走るプログラムは これだけだった。これらのうちどれ一つとして グラフィカルなインターフェイスを持っていないことに注意してほしい (xclock をのぞく)。 これらのプログラムのうちカット・ペーストらしきものを実装したのはたったひとつだった (おまけに単一のデータ型しかサポートされていなかった)。この中に洗練された カラーマネジメント機構を必要とするものはない。すると、近代的な X がたどりつくものは 結局これらがすべてなんだろうか?

さて 10年が経過し、いまや X を動かしているほとんどの計算機は 4つのプログラムを走らせていた。 それらは xtermxloadxclock、 そしてウィンドウマネージャである。そして、ほとんどの xterm では Emacs が走っていた! X は Emacs を開くためのもっとも高価な方法となったことは 言うまでもない。こんな文字ベースのアプリケーションを走らせるのに高価な ビットマップを買わせるよりも、カーネルに端末制御を任せればこれらは もっとずっと安価で簡単なものになっていたろう。そのかわりにユーザは これらのキタナイ文字を見られなくなっていただろうが、それはトレードオフというものだ。

Motif 自傷キット

X は、それまでベンダが何年にもわたって欲しいと言いつづけてきたものを与えた。 それは異なる機種を相互に接続できるような標準である。しかし X はそれを十分な形では与えなかった。 X はプログラマにウィンドウやピクセルを扱う方法は与えたものの、そこにはボタンやメニューや スクロールバーなど、グラフィカルなインターフェイスに必要不可欠なものが欠けていた。 そこでプログラマーは自分で発明する。ほどなくして、Unix コミュニティは 6つかそこらの 異なるインターフェイス標準を持つようになってしまった。10行ほどのコードも書いたことのない 連中がマサチューセッツ州ケンブリッジのレンガ造りのビルに集まり、のちに失敗することとなった コンピュータ会社を設立し、「ソリューション」を考え出した。 それが Open Software Foundation の Motif である。

Motif が何をやるかというと、これは Unix を遅くする。ほんと遅いよ。 Motif の当初の目標は、1988年ごろの HP のウィンドウマネージャ 程度のウィンドウ管理能力と、Microsoft Windows 程度の上品さを X Window System に与えることだった。ちなみにこれは冗談ではない。

惨劇のレシピはこうだ: まず Microsoft Windows のメタファーから始めよう。 これはアセンブラで設計され、ハンドコーディングされている。 X の上に 3層か 4層のレイヤをかさねてこれを Windows みたいに見えるようにし、 それを "Motif" と呼ぼう。さて、ここに 2台の 486マシンを用意し、 1台では Windows を走らせ、もう 1台では Unix/Motif を走らせる。 どっちが息切れするか観察しよう。どっちが早くしぼむだろうか。 どっちのほうがロシア動乱より先に終結するだろうか。プラットフォームとして、 Motif は Macintosh OS や DOS/Windows には太刀打ちできない。

ICEキューブ: リーサルウェポン

X 基本設計のゴールのひとつが、ウィンドウマネージャをウィンドウサーバから 分離するというものだった。「メカニズムを提供し、ポリシーは提供しない」というのが中心教義だ。 つまり、X サーバは画面にものを描いたりウィンドウを管理したりする能力は提供するが、 ユーザインタフェイスについての特定のポリシーは提供しないということだった。 これは当時はよく思われたのかもしれないが (とりわけユーザが研究職で、インターフェイスの研究のために いろんなものをとっかえひっかえしている場合には)、実際にこれが生みだしたものは まぎれもないインターフェイス版バベルの塔だった。

ある友達の Macintosh の前に座って、シングルボタンのマウスを使ったとする。 それはたぶん問題なく使えるだろう。同じように友達の Windows マシンの前に座って、 2ボタンマウスを使ったとしても、たぶん問題なく使えるだろう。しかし友達の X 端末の前ではどうなるか。3つのボタンがあり、それぞれが異なった機能を 異なった動きで、しかもそれが日によって異なった方法で設定されている -- しかも、これはまだ Control-左ボタンとか、Shift-右ボタンとか、Control-Shift-Meta-中ボタンとかを 試す前の話である。プログラマの観点からみてそんなにいい話とは思えない。

その結果、X コンソーシアムからもっとも驚くべき文献のひとつが世に出ることになった -- それは "Inter Client Communication Conventions Manual" というもので、 通称 "ICCCM"、"Ice Cubed"、あるいは "I39L" と呼ばれている。 これは X クライアント同士が X サーバを介してお互いに通信するときに 従わなければいけない規約を定めたもので、そこにはウィンドウ管理から、 選択範囲から、キーボードとカラーマップのフォーカスから、セッション管理までが 含まれていた。一言でいえば、これは X の設計者が忘れていたものを 全部カバーしようとし、間違ったものをすべて一挙に直そうとしていたのである。 しかし時すでに遅し -- ICCCM が出る前に人々はすでにウィンドウマネージャや ツールキットを作ってしまっていた。そこで ICCCM は過去の失敗と 互換性を保つために歪曲を余儀なくされてしまった。

ICCCM の内容は信じがたいほど濃いものである。 これを最後の最後まで一字一句忠実に守らなければならず、それでも結局は動かない。 ICCCM への準拠は、X のツールキットや、ウィンドウマネージャや、たとえ 単純なアプリを実装するものにとってさえも、もっとも厳しい試練となった。 あまりに大変なので、これだけの労力を費やしてもそれに見合うだけの メリットがほとんどない。そしてもしひとつのプログラムがこれに従わないと、 全体がコケる。X でカット・ペーストが (ASCII テキストを直にカット・ペーストするのでない限り) まともに動いたためしがないのはこいつのせいだし、ドラッグ&ドロップすれば システムが固まり、カラーマップは決して正しいタイミングで切り替わらず、 キーボードフォーカスはカーソルに遅れをとり、 キーをたたけば間違ったウィンドウに入力され、 ポップアップウィンドウを閉じるとアプリケーション全体が終了してしまうのはこいつのせいだ。 もし互換性のある ICCCM 準拠なアプリを作りたければ、現存するすべての アプリケーションやウィンドウマネージャとクロスバーテストをし、 次のリリースでは問題を修正してもらうようベンダにお願いに行かねばならない。

要約すると、ICCCM は技術的な大事故だったということだ。 猛毒のいかれたプロトコルが大量投棄され、後方互換性の悪夢に悩まされ、 時代遅れの「問題未満」に複雑怪奇な「解決策未満」が与えられ、 大量のカサブタと爪跡によって業界標準の裸の王様の 倫理的・知的な悪行を隠蔽しようとしているのである。

こいつらツールキットを使うのは、マッシュポテトで本棚を作るようなもんだ。

-- Jamie Zawinski

ちなみに「X-Windows」とあるのは前書きによれば 一部の読者をムカつかせるためのわざとだそう。 それいいな! これからはオレも uniX とかコミニュケーションとか書くことにしよう。。。

(20:29)
ヤル気がねいので、どうでもいい文章を翻訳して時間をつぶし、 さて帰るか! と思ったらそのころになってへれんや Javier がドヤドヤ質問攻めにきやがった…。 おめーら! もっと早くに来れよ!! 結局 (ケッキョキ)、またフラフラな状態になって帰宅。 いやーデンシャの中はネムかった。しかし今日はまだ時間が時間なので、 いまのうちに洗濯をしてしまえることに気づく。つまりまだ寝むれない。
かた積むり。
(20:59)
作詞作曲不詳。

google://なら誰でもいい/ (96,300)

Oct 26 [Thu]


(12:31)
今日書くこと:
ヘビ。
プログラミング言語学習と英語学習の類似性について。
季節について。

そのうちに。

(12:50)
<OYAGAG>
ボーンチャイナとゴメンチャイナはどう違うの??
</OYAGAG>
(12:56)
いまだに意味がよくわかっていない擬態語が「もっふり」である。 よく使っている。おまけに語感的にかなり好きなのだが、いまだに意味がよくわかってない。 たぶん「ふっさり」にやや近いところがあるのだろう。なにやら毛が生えているとこまではまちがいない。 しかし問題はそれからだ。「もっ」の部分が最大の謎であるが、 これはやや太っている、どちらかといえば「ぽっちゃり」を微妙に連想させるところがある。 しかし「ぽっちゃり」は通常ツルツルしてそうな雰囲気があるので、 すると「もっふり」というのは「ぽっちゃり」に毛がフサフサ生えた状態であるということか?? でもなんかちがうなあ。思うに、「もっふり」は「ぽっちゃり」ほどには太っていない。 どちらかというとその太り方は見た目上のものであり、「毛太り」のような感じがする。 これはナゾだ。ほんとーーに謎だ。「もっふり」の真髄を理解するのに人生は 80年で足りるのかどうか、 今のオレには自信がない。ほんとに。
(13:06)
いまいついた言葉: 「ゴールまんじゅう
(16:07)
Python には logging っていうモジュールがついてるけど、 スピードが重要な局面ではこれは複雑すぎて使いたくないんだよね。 同じように、debug() とかいう関数を作るのもやりたくない。 なぜならそれは
debug('fungee: %r' % x)
とやると、たとえログに出力しなくても ('fungee: %r' % x) の部分が評価されちゃうから。 これは結構時間がかかる。いっぽう、
if debug:
  print >>stderr, 'fungee: %r' % x
などとしておけば、ログを出力しないかぎり実行時間はずっと少なくてすむ。 しかしどうしたもんだろうね。デバッグと assert に関しては、 Python にもマクロがあればいいなあと思うよ。
(16:33)
\baselineskip
\baselineskip
\baselineskip

バッファリングってなんんnのためにあるんたっけ?

バファリンとは何の関係もな

(20:13)
帰ってきたら台所でゲジがひまそーーにしてた。 このやろこのやろ死ね@!!#! かのように、毎日は闘いである。
(21:34)
今日もずっとプレゼン資料を作っていて忙しかったので (まだ完成してないが…) 書けなかったことのリスト。
(01:14)
ふえ。やっとスライドが終わったよ〜〜。さて寝るか。

だいたいだな、いつも念入りに準備したプレゼンに限ってさっぱりウケず、 テキトーーーにやったやつがウケるというのはどういうわけだ。 むか津く。

(追記: きょう Citarella で買ったリンゴは蜜たっぷりで激ウマ。 いつのまにかすっかりリンゴの季節っすね。)

Oct 25 [Wed]


(11:22)
まだ新山が小学生だったころ、 「年上の人々」は、いつもなにかしらカッコよく、 自分が将来なれると思っているよりもずっと大人びて見えたものだった。 それがいつのころからか次第にその印象が薄くなってき、 いまじゃあ 10歳 20歳年上の連中を見ても、ほとんどの場合は 「ああアイツラなんて幼稚なことをしてるんだろう」としか思わないようになった。 これは何が悪いのか?

成長するにつれて、成長率が鈍化していくというのはたしかにあるだろう。 だが多くの人々は、すこしでも成長するというよりは、むしろ積極的に後退しているように見える。 これはつまり 30 をすぎたあたりから人間はまたアホな方面に 逆戻りするということか? つまりオレは放物線の頂点に近づいているか、あるいはもう過ぎてしまったかだ。 頂点がこんなに早くくるとは予想外じゃよ。

今日も風が強いです。フウが強い。フぅ。

(15:05)
新山は「めくら」「片輪」「キチガイ」などの言葉をわりと日常的に使うほうである。 これらが放送禁止用語であることは知っている。 その理由は、これらの言葉がいわれのない人々を傷つけ差別を助長するからだという。 しかしそんなら「デブ」「ハゲ」「ブス」なんかのほうがよほど人々を傷つけると思うのだが、 これらは差別用語とはみなされていないらしく、放送禁止にもなっていない (個人的にはこういう単語のほうがよほど使うのがためらわれる、 でもテレビでは日常的に使われているという謎)。これはなぜだろう? 「めくら」は好きでなってるわけじゃないけど、デブは好きでなってるから? それとも「めくら」は特に明確な悪意があって使うわけじゃないから気をつけなきゃいけないけど、 「デブ」は明確な悪意があって使うから気をつけなくてもいい? どうでもいいが (どうでもよろ)、「めくらめっぽう」という言葉は放送禁止用語に含まれるんだろうか? もし含まれないとしたら、うっかり「めくら」と発言したあとでも、 あわてて「めっぽう!」と付け加えれば、 アナウンサーは不適切なお詫び表現を言わなくてよくなるんだね。 文脈依存の解析が必要になるけど…

一方で、もし「めくら」を部分文字列として含む表現がすべて放送禁止にされるとしたらおそろしいな。 「目くらまし」も言えなくなるし、そんなこといったら「オシ」はどうすんだ。 テレビ局は謝罪しまくりになるぞ。ああ、でも、いつもやってるのか。 いっそのこと、画面の下にいつも「只今不適切な表現を言っています」というテロップを出しておきゃあいいのに。 そうすりゃあ誰も差別のことなんか考えず、好き勝手に言いたいことが言えるようになるだろう。 理想的な社会とは差別を忘れられる社会のことだね! もっとも、差別というのは意識されなくなることが一番おそろしい差別なのだけど。 なにこれ? なにそれ?

(追記: 多くの人々はすでに忘れている)

(19:23)
きょうの SRG ミーティングはソーシャル・ネットワークについて。 この論文によれば、 インターネットが普及しはじめた当初、このツールは人とのコミニュケーションをより簡単にするため、 コラボレーションや自己肯定を促進し、多くの人がよりよい精神状態に落ちつくだろうと考えられていた。 ところが実際は予想に反して、オンラインで過ごす時間が長くなるに従って、 人はますます精神的に悪い状態になっていった。…ということだが、「何をいまさら?」って感じである。 あいかわらずオレは、MySpace の何がそんなにすごいのか、面白いのか (翻訳: ミ○シ○の何がそんなにすごいのか、面白いのか) さっぱりわからん。 しかしこれは世代の差なのかもしれない。

(追記: 新山は実世界でも友達がほとんどいないので、ネット上でのこうした“<code>友達</code>”に 興味がないのは当然か。そもそも、友達を積極的に「作ろうとする」という行為がまったく理解できん。 政治家じゃあるまいし。 友達ってのは作ろうとしてできるもんじゃなくて、勝手に「できちゃってる」もんなんだよ。 ある人間について、オレはいつからこいつと口を聞くようになったんだろうなあ…と思っても、 ほとんど場合そのきっかけは思いだせないのだ。 そういやー新山の大学時代の友達は苗字が「サ」行で始まる奴が多いのだが (スズキ、サトウ、サイトウ、セキグチ)、 これは明らかに物理実験の班分けが近かったことが原因だろう。このテキトウぶりを見よ。)

(00:58)
プレゼン資料つくっていますが、 Keynote を使ってると (遅いので) ストレスたまってしょうがない。 くそー
(01:13)
また用もないのにぱいじゃぐのページを見てしまった。 月に一度くらいの頻度で目を通しているのだが、 オレはいったいなぜ面白くもないサイトをわざわざ見にいくのだろう? たぶん、「相変わらずサビれてんなあ」ということをチェックしてるのかもしれない。 イヤな奴だな〜、オレって。 しかし、Python を日本で普及させるとビジネス的においしい人ってどんなんだろう? C とか Java ぐらいに普及すれば人材を探すのが簡単になるとかいうメリットはあるかもしんないけど、 しょせん Ruby 人口に追いついたところで依然としてマイナー言語だることには変わりないのだ。 イベントに人集めたいんだろうか。

Oct 24 [Tue]


(16:08)
http://www.google.com/codesearch?q=%22*+XXX%22

よくみるよね。

(21:42)
なんでこんたに風が強いんたよ今日は。ったくチクショウ。
(22:50)
質問です。
「静電気は料理をおいしくするのでありま賞か?」
  1. Yes.
  2. No.
  3. No.

くりかえします。
「静電気は料理をおいしくするのでありま賞か?」

  1. さあね。
  2. どうだかね。
  3. わからん。

一瞬そう思った。一瞬そう思っただろ! 答えは、味噌汁だけが知っている。

ちなみにこのサイトは 3禁 (= 3歳以下の大人は閲覧禁止) です。

(軽パッチョ)

(01:02)
他人の評判を軽々しく再生産してはならないと思うよ。 (実際には、それをやってる人のなんと多いことか。) 自分の目で確かめないヤツは何をやってもダメだ。

Oct 23 [Mon]


(10:16)
「あんまり」ってのは「ぜんぜん」って意味なんだよ!

Phrase of the day: "debugging as autopsy" (検死によるデバッグ)

(00:05)
サ ム イ ヨ

おれは 1時間以上も立ち話していたのか? なんとまあ。

きょうは network & distributed system の授業にでてきた。 Lakshmi (教授) は教え方がいい。かれはいつも授業のはじめに アルゴリズムを理解させるために簡単なオモチャを使ってみせる。 (オモチャといってもたいていは紙きれで、 裏紙をみんなの前でビリビリ破って使うだけなのだが。) こういうのはうまいなあ。 きょうは TCP の congestion control (渋滞制御) についてだった。 これは、以下のようなゲームとしてモデル化できる:

  1. ゲームには複数のプレイヤーが参加している (が、全部で何人のプレイヤーが参加しているかは、各プレイヤーにはわからない)。
  2. 各プレイヤーはひとつの場を共有しており、ここには単位時間ごとに、 ある決まった個数の「モノ」が配給される (が、その数はプレイヤーには知らされていない)。
  3. 各プレイヤーは毎回、この「モノ」を好きな数だけ要求することができる。 プレイヤーの目的は、各時間でこの「モノ」をなるべく多く取ることである。
  4. ところで、プレイヤーはいま場にいくつの「モノ」があるか知らない。 そのため、場に出ているモノよりも多くを要求してしまった場合、そのプレイヤーは 「お手つき」としてペナルティを与えられる。 ペナルティのコストは非常に大きいので (実際には「ないのに取ろうとしたモノの数」に比例する)、 プレイヤーは可能なかぎりこれを少なくしたい。
  5. このゲームの参加者は随時変化する。 誰でも断りなく途中からゲームに参加できるし、勝手に離脱できる (しかしこのことに他のプレイヤーは気づかない)。

実は、ここでいう「モノ」とはある経路上のネットワーク帯域のことである。 各プレイヤーは ホストに相当し、プレイヤーが「モノを取る」というのは、 ホストが TCP パケットをひとつ送信することに等しい。 各ホストは相手ホストまでのネットワークの帯域 (供給される「モノ」の数) を知らないし、 他に何台のホストが同じ回線を利用しているかも知らない。 しかも、これらの数は時間によって上下する。プレイヤーが得られる唯一の情報は、 「モノが取れなかった (つまりパケット送信に失敗した)」 というペナルティ情報だけである。プレイヤーがモノをとりすぎた場合 (つまり、ネットワークの許容量を超えてパケットを送りすぎた場合)、 それらのパケットは drop するのだが、あるパケットが drop したという事実はすぐにはわからず、 しばらくたってから (ACK が返ってこないという事実により) 判明するため、そのあいだにパケットはどんどん無駄に送られ続け、 ホストは再送のための著しいコストを支払わねばならなくなる。 さて、ここですべてのプレイヤーが同じように行動すると仮定した場合、 全プレイヤーの取り分を最大化するようなアルゴリズムはあるだろうか? -- それが 4.3BSD の (そして、その後のほとんどの OS の) TCP スタックに内蔵されているロジックなのだ。

これは、基本的には各ホストが TCP のパケット流量を動的にコントロールすることによりおこなうのだが、 このアルゴリズムにはトレードオフがあって、 帯域を最大限に活用しようとすると収束が遅くなってしまい、 早く収束させようとするとあまり帯域が有効利用されなくなってしまう。 その具体的な論拠はこの論文で解説されている。 これはとくにわかりやすかった。なにより図が明快でいい。 もっと詳しい実装は、Stevens の教科書でも読んでくれってことで。

(01:43)
「サラリーマン」を「サラリーパーソン」とか、
「オンブズマン」を「オンブズパーソン」とか、
言う人は largely 意図不明だる。 そこまでして和製英語を作りたい意図でもあるのんか? なんで「サラリー人」とか「オンブズ人」と言えばいいのに。 「おんぶず人」なんていかにもオンブしている人みたいで格好よさそうである。 微妙に宇宙人っぽい響きもあるし。一石二鳥。

Oct 22 [Sun]


(10:19)
"buffer" ってのはもともと「緩衝地帯」って意味だったんだ。そう、そう。

きのう Wavery Pl. でやってた市。

(11:02)
心配しすぎて病気になる。
(13:04)
すでに誰かがとっくにやっているであろう Python シリーヅ その 196463:

継承できる辞書を考える。 親がある場合は親のエントリを共有する。

class proptree(object):
  
  def __init__(self, parent=None, **args):
    self.__parent__ = parent
    self.__dict__.update(args)
    return
  
  def __repr__(self):
    return repr(self.__dict__)
  
  def __getattr__(self, k):
    if self.__parent__:
      return getattr(self.__parent__, k)
    raise AttributeError(k)

d1 = proptree(a=2, b=3)
d2 = proptree(d1, c=4)
print (d2.a, d2.b, d2.c) # (2,3,4)
(17:53)
テストをしていて発見したんだけど、いつのまにか yahoo.com って、想像をはるかに超えるヒドさになってたんだな。 その点、日本の yahoo はまだ簡素でえらいと思うのである。
(20:31)
(00:07)
あざやかすぎるというのはよくないことなのか。
それとも。

Oct 21 [Sat]


(11:40)
世界とはじつは一次元だったらしい。▽

昨日とはうって変わって、スカーーっと秋晴れている今日は (こんにちは)。

しかし寒くなってきたよな、それにしても。

新山はここにどうでもいいことばかりいつも書いているので、 たまにどうでもよくないことをすべり混ませても誰も気づかない (だろう、たぶん)。 つまり群衆の論理ってやつですよ。(何が? 何を?) とうぜん、そんなものはここに書かないがね。

(12:21)

さいきん発掘した写真:

(12:34)
書籍について。テレビが壊れたからといって買い直す人はいるが、 本が壊れたからといってもう一冊買う人はほとんどいない。 つまり売る側の論理だと、テレビはなるべく早く壊れたほうがいいが (早すぎても困るが)、本はそうではない。 むしろなるべく長く売れ続けるような本のほうがいい、 ということになる。もっとも人によっては、一発ドカーンと 花火がくることを望む (そして、ブームが去ったら目もあてられなくなる) 人もいるだろうけど。なるべく長く売れるような本にするためには、 時間をこえて生きのび(la)れる普遍的なことを盛り込む必要がある。 それって、なかなか簡単ではないよな。新山は本来カタギな気質だるので、 一発ネタよりはそういう本を書いてみたいと思うが、 そういうのはきっと生涯の仕事になるだろうなあ。

計算機関連で 10年以上生きのびてる本ってのは、 それだけで「名著」と呼ばれるに値すると思う。 日本人が書いた本でそういうのってあるかなあ。 rootから/へのメッセージ なんかは、間違いなくそのひとつに含まれるだろう。

(14:47)
もっとも頭が冴えている時間を、日記書きなどに使ってはならんよ!
(19:07)
Godaddy の spam ポリシーは厳しすぎるという指摘。
(00:12)
食事をし、インクリメンタル皿洗い (食い終わったそばから皿を洗っていくというひとり暮らしならではの手法) をしたら、 もうこんな時間である。

きょうは一日じゅうプログラムを作っていた。 プログラミングをしていると、いやなことを忘れられる。 ムカつく連中を一人ずつ変数に代入して、pickle してやるのだ!! それってどういう意味? ところで焼きギョウザにバルサミコ酢をかけて食うとあんまりうまくないことがわかった。 (なんだ、これは。こういうのはふつう「うまくいった」ものだけ書くべきなんじゃないのかっ。) なにがまずいって、妙にあまいのだる。これはよくないね。 どうでもいいけどまた冗長化してきたのでこのへんで止


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Yusuke Shinyama