^ up
< 3月 (1) へ。
2007年 3月 (2)。
隠したがる過去と、隠されたがる人間。
Last Modified: Wed Mar 21 10:07:23 EDT 2007 (03/21, 23:07 JST)
just plain absurd.
あれっ、ファイル変えるの忘れた。
サランラップといえば、あいかわらず新山はNEWクレラップのほうが好みで…云々。
だいたいサランラップは米国商標のパクリじゃないか!
しかしこいつはなにしろ
普通名詞化してるからな。
ブランド力ではこっちのほうが圧倒的に強い。
最近わかったこと。人が車輪の再発明を嫌う、というのはウソだ。
実際には、人は車輪の再発明が大好きなのだ。
好きで好きでしょうがない。というか、世の中のほとんどは車輪の再発明のために動いているようなものである。
なぜなら人生そのものが、個人が独立してやっている車輪の再発明なわけだから。
これからもおそらく何億回という車輪の再発明がくり返され、
それをさして人は「オトナになった」などという。
親が子に望んでいるのはまぎれもなく車輪の再発明である。
それ以上の何を望むのか。
もっとも、中には再発明すらできてない人もいるけれど。
あいたたたたたた
futile と fruitless は意味が似ているが、ついでに綴りも似ているが…。関係ないだろな。
まじめに議論するためには、まず、まじめに議論する気のある人を探さなければならない。
それは結構な大変である。
- お茶
- しんぶんし
- 箱テッシ箱
(なぜ箱を 2回繰り返すのか? と問はれれば、それはなんとなくそのほうが箱っぽいから)
えらい目にあった。
cleanlinks
は危険なコマンドだ。
こいつは実行するとカレントディレクトリ以下の
無効なリンクおよび空ディレクトリを断りもなしにすべて消してしまう。
しかも man がない。X11 まわりのツールはあやしいのが多くてやだ (lndir
とか)。
すんごいジョークサイトを発見。
Shelley the Republican
だる。一見すると白人至上主義のキチガイおやじのように見える。
凝ってるなあ。こういうやつ、もしかしたら本当にいそうだもん。
オレはだまされた。
はっきりいって、アメリカ風の「毒」に慣れてしまうと、
日本人のつくっているサイトはどれもぜんぜん気合いが入ってなくてつまんないように感じる。
いや、中にはおもしろいのもあるのだけどさ…。
ある意味、「労力をかけてバカをやる」ということにかけては、
日本人はアメリカンや英吉利人にはかなわないような気もするね。
実際には、オレはふざけているように見えるのかもしれない。
まあ、自分で主張する自分の姿などというものは所詮まやかしだ。
はやおき
して、スキーに行ってきた。
述語 術後 3週間にして、スキーができるぐらいまでに回復したことになる。
すばらっし。しかしもう病人としての言い訳はこれで使えなくなるな。
それにしても、つかれたーーーー。
連日の大雪で、積雪量はスゴいことになっていたのだけど、
これがもうものすごいベタ雪で、重いのなんの。
寝不足のせいもあるが前回よりも確実に疲労した。
明日はキンニク通を覚悟せぬばならないものと思はるる。
きょうは völkl の板をためしてみたが、あまりに重いので
途中でヘタれて短いヤツに変更した。どのみち、この雪じゃスピードは出ないからな。
しかしそれでもかなり疲労。今日はコブ斜面全然だめ。やっぱり体力ない。
なんか自分がヘタになったような気がした。
殺されるよりも死なれるほうがもっとつらいことを知ってる。
そうかあ? (じぶん否定)
正直いって、あそこまでひどい目にあって彼女がなぜいまだに堪えていられるのか謎である。
ある意味 偉大だ。オレだったらとっくにブチキレてるだろう。
dbm類ファイルって、いったい何種類ぐらいあるんだ?
- “古い”dbm (
.dir
とか .pag
とか使うやつ)
- ndbm
- gdbm 1
- gdbm 2
- bsddb 1.85 (ndbm と同じか?)
- bsddb 4?
- bsddb 7
- bsddb 8
もうどうでもいいです。神様助けて。
(通常、神様は、こういうバカバカしい問題に対しては積極的に助けてくれそうな気がする。
しかも過剰に)
酒気帯びプログラミング
やはりオレは遺伝子によって風呂好きなんじゃないかと思った。それは自由かもしれない。
またサミくなった。雪とか豚とか降ってるし。
博士論文提出 (第1回目)。とーぜん、まだゼンゼン未完成であるが、
とりあえず今日が第1回目の締め切りなので未完でも提出しなければならない。
このように何度も論文を提出させるのは学生を追いたてるためと思う。
ついでにその他のアホな書類 (卒業後どこへ行くのか、とか) も山のように提出する。
しかし…なんつうテキトーーーぶりだ!
学生課に行って「論文提出したいんですが」といったら…
おねーさん「(書類一式封筒を受けとり) はい、いいわよ」
新山「へ? …これだけ?」
おねーさん「うん、あとでメール送るから」
ガーソ。領収書とか何もなし。こんなんでいいの?
まあ博士論文を出す奴なんて少ないだろうから、いいんだろうが、
しかし書類の確認ぐらいはしてくれ、と思う。
それに封筒だってただ名前が書いてあるだけなんだが、
あんなんでちゃんと識別できんのかね?
まあどうでもよろ。この国はいい加減な国なのだ。
どうでもいいけど (DDI) 「こだわり」を stickiness と最初に英訳したヤツはどこの誰なんだ?
Objective-C のコードが diff -u
の出力と同じに見えるのはオレだけか??
@ なんとか
- かんとか
+ ぬんとか
もちろんそうだ。しかしなあ、Objective-C、この変態文法を除けば
言語そのものは C++ なんかよりよさそうなのだが。
昨年の NYCBSDCon の開催者から、
今年はカンファレンスを NYU でやりたいんだけど、と打診された。
オレに言われてもこまるよ。オレはただの学生だし、それにじきに
学生じゃなくなる予定だし…。
どっかのキョージュをひっぱってきたほうが楽だけど、
誰かそういうんに乗ってくれる人はいるんかな。
もし、内容が十分にアカデミックなものであれば、けっこういけると思う。
先生がいそがしくなければ。
オイオイ、おいおい、
ナンなんだよこの雪はよ!!
あれからさらに 10cm ぐらい積もってるぞ。
なんなんだ本当にまったくもう。
今日の目標 :: どうでもよすぎないこと!!
ずるずる
スルスル
簡単なコトを難しく言ってる。
from sys import *
>From sys import *
今日はだいぶうまい説明を思いついたので満足だる。
なんというか、こういうのってやっぱ開館よねえ。
あるとき、自分の言いたいことにピタっとはまる表現が見つかった! ような気がする! 瞬間があるのである。
そうすると「お? これはこれはもしかして!」と思っている間に一気に筆が進んで、
ついでにその余波で別のところもバタバタ開けて、まあアレだな、
フリーセルやってて一気に進んだような感じだな。
しかしまだまだ残りは沢山あるんだけど。
おまけにもうフリーセルはあんまり残ってない。
つまり、まだ十分ヤバい。
あア! やりけるか。
どうでもいいが (どうでもよろ)、
日本が昨今から outbound 25/tcp をブロックしているという話を聞いた。
米国ではほとんど聞かない…わけでもないらしいが、とりあえず、うち (Comcast -
米国では AOL に次ぐ大手プロバイダー)
からは平気で大学の smtp に接続できる。
で、新山としては、25/tcp ブロックはまあイイことだと思うのだが
(東工大にいたときは研究室内からも 25/tcp をブロックしていた、当時、勝手にメールをばらまくウィルスがあったため)、
これってもう「インターネット」じゃないよなという気がするのである。
恣意的な制限を入れるにつれて「インターネット」はインターネットじゃなくなってくる。
もうこれは tcp/ip じゃなくて「tcp/80」とかいう通信方法だと割り切ったほうがいいんじゃないの。
以前、ipv6 はコスト的に流行らん、というような文章を書いたが、
ipv6 が普及しないのにはもっと他の (政治的な) 理由があるような気がした。
25番をブロックしろとか、Winny をブロックしろ、という主張の裏には、ようするに
「あんまり (規制できないような) 柔軟な通信メカニズムが普及してもらっちゃ困る」という思想がある。
グローバルに ipv6 を普及させるというのはこの思惑に完全に逆行する決断だ。
みんな、この矛盾に気づいているのかな?
べつに新山としては ipv6 が普及しようがポシャろうが知ったことではないのだが、
お前ら自分の意志をはっきりさせろ、とは思うね。
あるいはトレードオフを考えずに問題を解きはじめるとロクなことにならない、
という半分教訓。
どーでもいーけど、latex
はいつから pdfetex
になったんだ?
はっきりいって、いーかげんもう tex とはオサラバしたい。
ある意味、これって sendmail よりひどいよな。
新山がオサラバしたいのに (代替品がないので) できないもの:
- Emacs
- TeX
- NIS/NFS
- X Windows
- Mozila (Firefox)
- OpenSSH
- Python
書きすぎ (まし) た。
Free Software and Freedom: Free Software in Ethics and in Practice
A talk by Richard Stallman
Wednesday, March 21st @ 3:30pm - 4:45pm
Courant Institute,
251 Mercer Street, Room 109
どーせまた人多すぎて入れないんでしょ。
というか、そんなに興味もないが。
おカネになる有罪、
おカネにならない有罪、
いやあ、つくづく思うのだが、オレって感心するぐらい世渡りがヘタだなあ〜。
すくなくとも某氏のようにはいかないね。考えてみると、新山が誰かに向かってズバズバ物を言うのは、
自分が「それ」を隠しておけないということを知っているからで、ある意味これは敗北宣言ともいえるのだ。
しかし、実のところ本当に「それ」を隠せしおおせる人間はほとんどいないと思う。
たいていの人は、「それ」を隠しているつもりでも、本人が意識していないところで
堂々と漏れてしまっていることが多い。いわゆるセキュリティでいうところの
covert channels というやつですよ。人は言語をとりつくろうのには慣れていても、
それ以外のところをとりつくろうのには慣れていないからな。表層的にはとりつくろっているように見えても、
文脈からしっかりバレている、というケースもある。まあ、どのみち、人間が自分でコントロールできる
部分なんて限度があるからな。で、こういう人々を見ると
「こんなんなら最初っからタレ流してるほうが健康的でいいや」と思てしまうあるね。
ようするにオレは、人生において
Fail Fast, Fail Often を実践していることになる…。
「人生、あきらめが肝心」とはよくいったもんだ。
baby-mulching machines
自分の本当の性格なんてもんは、そもそも観測不能であるよ。
さふいえば、このごろ、Tisch School の前を通ると、
我が校の卒業生がオスカーを受賞!
という看板が立っているのを見かけるのだが、これ誰?
そういえば今日も 9st. でなにか映画を撮っていた。
「Paramount Picture Supporting」というトレーラーが何台か止まっていて、
道端に撮影器材がゾロゾロと置いてある。よく撮影クルー用の
「差入れテーブル」に食い物が山のように置いてあるのを見るんだけど、
あれってつまみ食いしてもバレないよね?
2年前に sf.net に出した httplib のバグへのパッチが reject されて戻ってきた。
理由は「もう直ってるから」。
遅いよ!!
Aaargh!!
深圳に抜かれつつある秋葉原。
まあ、秋葉原はもうだいぶ (10年ぐらい?) 前からダメだけどさ。
これが日本人の選択なのだからしょうがな。
monte carlo を検索すると
ラスベガスが一位にくるというこの皮肉。(実際の Monte Carlo があるのはモナコである)
欧米人には 3音節でもすでにむずかしいという話。
suduko で検索すると、
ほんらい "sudoku" であるはずのものが大量にひっかかる。
しかし、サイトによっては本当に「suduko」といっている場合もあり、
ようするに彼らにとっては母音はどうでもいいようである。
もしかすると知らなくて驚くかもしれませんが、
ニューヨークに住めばカッコよくなれるって訳じゃないんですよ。
いまだにこのことを理解していない方が新山の近所におられてしばしば驚くのです袈麗堵喪。
昼飯に kebab を喰ったのでゲップをするとジンギスカンのような匂いがします。
夕方までに終わらそうと思ってたのにもうこんな時間だよ?
(いつの摩尼椰拉)
かえろ帰ろ。しかし問題 (モンディー) は kpathsea がインストるーデキナイことニアルノダ。
時間の問題。時間的問題。
(今日うは頭の遣いすぎで狂っていル) うどんこ秒
帰ったら NYU Medical Center から、なにやらブ厚い封筒が届いていた。
スワこれは多額の請求書か!? と思っておそるおそる開いてみると、
"We need your feedback!" と書いてあって、
手術と病院の施設に関するアンケートが入っていた。
とーぜん、着払いの返信用封筒つきである。スゲーな。
まるで米国の病院は自分たちがサービス業であるということを認識しているようだ…。
きょうはほとんど一日じゅう文章を書いていた。
やっぱり文章を書くのが一番むずかしい (同時におもしろくもあるのだが)。
とにかく制約が多いのである。複雑にからみあった概念をいかに順を追って
読者を混乱させずに説明するか?
きょうは何度となく「この概念を説明せにゃならんが、
なんか自然な説明がいまにもノドまで出かかってるんだけど…」というもどかしい
思いを何度も経験した。おかげで、かなりノドがつかれた。
で、きょう論文中に入れた図を見ているうちに、
これはかなり一般的に使える説明だということに気がついた。
それは「ユーザのニーズ」と「技術的な可能性」と関係についてである:
ユーザのニーズと技術的な可能性
たぶん「役に立つモノ」というのは、この 2つの要素が重なりあったところにできてる。
(実際に論文の中では、これは「ユーザの求める情報」と「システムが提供できる情報」として描かれてるんだけど。)
で、技術者ってのはこの左と右の境界線を両方知っておかなきゃいけない。
もちろん、技術者としては、右側の「なにが技術的に可能で、なにが可能でないか」という
境界線をなるべく詳しく知っておくのは当然のことだが、
左側の境界線も知らなければまともな開発はできないのだ。
なぜなら技術開発の方向 (= 右側の境界線を広げる方法) ってのはそれこそ何通りもあるからで、
自分の進もうとする方向を知らないと以下のようにアホな結果に終わるからである:
労力のかかったアホな研究開発
こうした研究は果てしなく沢山ある。
新山が「技術のことしか興味がない」人々を見ていて思うのは、
左側の境界線をぜんぜん知らずにこうしたアホな研究をしている人が多いということだ。
もちろんオレだってまだまだ左のほうを全然知らないが、連中はそれを知ろうとすらしていないんじゃないか?
demo, 知らなくて驚くかもしれませんけれど、じつは人生の時間というものは幽玄有限であり、
同時に地球の資源も有限だったんである (オレもつい最近まで知らなかったが)。
いっぽう「やる意義のある」研究開発というのは、下のようにユーザのニーズに
食いこむような方向で開発することである:
労力はそれほどでもないが意義のある研究開発
まあ、実際には話はこんなに簡単でない。
「ユーザのニーズ == 短期的な金もうけ」と考えれば問題定義は楽になるかもしれないが、
長期的になにが必要かを見きわめるのは、技術的になにが可能かを見きわめるのなんかよりも
はっきりいって数億倍むずかしい。もちろん完全に知るのは政治家でも社会学者でも無理だろう。
ユーザのニーズはつねに変化しているし、
その形もずっと複雑なのである。まあ、そういうこった。
もちろんユーザのニーズそのものを変化させるのもひとつの手だが、それは技術屋のやることじゃない。
オチなし
きょうから夏時間だ。
ところで、 (てくるで) ふと気づいたのだが cron なぞのタスク設定を
ローカル時間でやるのは危険だなあ。だって時刻が EST → EDT に変わったら、
各タスクをやる時間が 1時間ずつズレちゃうじゃないか。
普通はほとんど問題ないけど、タイミングが重要な場面では cron をやろうとする瞬間に
時刻が変わってしまうかもしれない。
といって、わざわざ UTC で設定すんんのは面倒くさい。
キョーーはあったかいが、このまま本当にアッタカくなるんだろうな。
いままで何度も「きのうまで 10℃ → 明日から -10℃」とかいう組み合わせに
ダマされてきたので、いまだに不安である。そういや nycbug-list に AsiaBSDCon に出ている Ike が
メールを出していたが、日本はいまさぞかしいい季節だろう。
一斗三県。
おいコノヤロ、sf.net のメーリングリスト機能はいつ復活するんだよ?
てゆうか、google groups を使うべきだったような気がする。
でも、あれってあのころからあったっけ?
もう人が増えてるのでいまさら移動するわけにもいかんしなあ。
ふと思ったの
ですが…。
「モヨ子は呉一郎がお気に入りで、よく一緒に遊んでいた。」
という文章があったとき、この「気に入っている」の主語はどっちなんだ?
この文章からは
- モヨ子が呉一郎のことを気に入っている。
- 呉一郎がモヨ子のことを気に入っている。
のどちらの意味にもとれる。
しかし、どちらか一方であり、両方が成り立つというふうには読めない。
考えてみれば、これはイントネーションにもよる。
「モヨ子は呉一郎がお気に入りで、よく一緒に遊んでいた。」
と発音すれば、これは 1. の意味のように思えるし (新山の感覚では)、
「モヨ子は呉一郎がお気に入りで、よく一緒に遊んでいた。」
と発音すれば、2. の意味のように思える。
これを
「モヨ子は呉一郎のお気に入りで、よく一緒に遊んでいた。」
のようにすれば、1. の意味には取れない。
(追記)
書いてからふと気づいたんだけど、「モヨ子」のフルネームは「呉モヨ子」だから、
「呉一郎」というのはじつは「くれいちろう」で、「苗字 + 名前」なんじゃないだろうか。
オレはずっと「ごいちろう」が名前なのかとばかり思ってた。
(さらに追記)
たぶん文脈はイントネーションよりもはるかに強い制約としてはたらく。
つまり、それまでの文脈でモヨ子と呉一郎のどちらに「フォーカス」があるかで
デフォルトの主語が影響を受けるのである。
「呉一郎の近所には沢山の子供が住んでいた。モヨ子は呉一郎がお気に入りで、よく一緒に遊んでいた。」
とすれば、これは 1. の解釈のほうが妥当になるし、
「モヨ子は昔を思い出した。モヨ子は呉一郎がお気に入りで、よく一緒に遊んでいた。」
とすれば、これは 2. の解釈になる。ように思える。のかもしれない。可能性あり。だ。
^ up
< 3月 (1) へ。
Document ID: 2f5b8dd6d166884c61d79a7fe8006a66
Yusuke Shinyama