それは失われているのではなく、ただ隠されている、という考え。
…GUI というのは出てこないもんか。よくばりすぎか。
Tk は標準だけど 2. がダメ。FLTK は 3. がダメ。 GTk は 4. を満たしてない。Qt は 5. がダメ。 そして wxPython は…デカすぎる! 6. がダメである。 ああ。
Lisp も GUI の標準がなくて苦労している。 いまんところ GUI まわりであんまし悩まなくていいのは Java だけだ。が…
はっきりいって、「API」という考え方が嫌い。NeXT の Display PostScript のように、 画面処理をやる部分だけ別の言語になってもいいのである。 それが標準化さえされててくれれば。つまり、ActionScript とか OpenGL のもっと汎用化したやつ (OpenGL は言語ではないが…) を、どのマシンにも乗っかるように作ってくれればいいわけ。 しかし、HTML と SVG ではとても高レベルすぎる。なんか、どれもこれも帯-タスキ症候群で (帯に短しタスキに長し)、 ニッチな部分がきてないなあ。
cancerに直接該当するような用語ってないんだなあ、 ということに気がついた。日本語で「癌」といった場合、それは悪性腫瘍を意味する。 しかし実際には cancer というのは異常化した細胞による病気のプロセス全般をさす用語であり、 腫瘍にかぎったことではない。 たとえば白血病は腫瘍ができてなくても cancer である。医療分野では一般に (ひらがなで) 「がん」といえば 腫瘍のことでなくて cancer をさすらしいけど、もともとが漢字の「癌」を拡張した概念のために 混乱しやすいなあ。
どうでもいいが、白血病はホントに怖い病気だと思う。まずこの字面からして怖い。 しかもそこにつきまとう不幸のイメージがすごい。 身体障害者とかダウン症児の人々は「不幸」という世間一般のレッテルがあるが、 別に彼らは必ずしも不幸なわけではない。しかし 白血病の人はホントに不幸というか、とにかく圧倒的な「不運」としかいいようがない。
…ところで (てくるで)、よく人々は「何の罪もないのに病気になった/障害をもった」といったような言葉を使うが、 この心理は実は「いい子にしていればいいことがある」という信念のあらわれであり、 逆にいえば「罪がある人間は病気になってもよい」という、おそろしい理論への支持を示している。 例の「カミさまが悪い人間を罰してくださる」ってわけですよ。 こういった連中は、「先祖が悪いから障害をもった子供が産まれる」とかいってるのと (電波の程度は違うけど) 同質だ。 実際には極悪な人間でもピンピンしているし、だいいち、こうした「脅し」によっていい子になっている人間ほど 信用できんものはない。まあ、ウケはいいでしょうがね。ちなみに、だからキリスト教では 「奇蹟を見せて人を脅迫するのはよくない」ってことになってて、なんの証拠も脅迫もなくても 自主的に神を信仰した人間しか天国に入れてあげないことになっとる。 しかし、この言明自体も「メタ脅し」になってるわけでして…こうした「メタ脅し問題」は、 なんらかのシステムによって教えを伝達する限り原理的に排除できないので、 結局は「完全に自主的な信仰」などというものはムリなのだ。たぶん、 完全に自主的に神を信仰できたのは、世界ではじめて神とゆう概念を思いついた人間だけだろう。 でも、そのときの「神サマ」の概念は今とはかなり違っていたんではないかなあ。。。まあいい。 というか、オレはさっさと論文書け。
ちなみに、ウィキッペはこういう項目でもなぜか英語の記事のほうが日本語よりも深みがある。 残念なことに。いま思ったんだけど wikipedia 日本語版の記述というのはいつもどちらかというと 「百科事典的」というよりも「教科書的」だ。つまり、これを暗記しなさいって感じの事実の羅列が続く。 これは日本人の好みなのか、それとも時間がなくてこうなってるのかわからないけど…。 すくなくとも教育的な観点からみれば、百科事典というのはそうじゃないだろうと思う。
リアル・ニンジャ・ホームページ (翻訳)やあ、このサイトはニンジャ、リアル・ニンジャについてのすべてだよ。 このサイトはすごいよ。僕はもうニンジャのこと以外何も考えられない。 ニンジャはクールだ。クールというのは、つまり完全にスウィートってことだ。
事実:
- ニンジャは哺乳類である。
- ニンジャはいつでも戦っている。
- ニンジャの目的はキチガイ的に人を殺すこと。
証言:
ニンジャは殺そうと思ったら誰でも殺せる! ニンジャはいつでもだれかの首を切り落としてるし、そのことにまったく躊躇しない。 ニンジャはあまりにもキチガイでカッコいいんで、いつでも気が狂ってる。 聞いた話だと、このニンジャがあるとき晩飯を食っていた。そんでどっかの馬鹿が スプーンをおっことしたんで、このニンジャは街全体を皆殺しにした。友達のマークが言うには、 いちど子供が窓を開けたんで、ニンジャがそいつを完全にぶった切ったのを彼は見たらしいよ。
これぞリアル究極パワーーーというもんだ!!!!
もしもきみがニンジャにはリアル究極パワーーーがあると信じないのなら、 いちどまともな人生を送るべきだ。さもないとニンジャがお前の首をチョン切るぞ!! 簡単な選択だよね。
ニンジャはすーーーーーーーんごくスウィートなんで僕はもうパンツにウンコもらしちゃうよ。 時々それは信じられないくらいだが、ハートで感じるんだ。ニンジャは完全にカックイイくてそれは事実だ。 ニンジャは素早く、スムーズで、クールで、ストロングで、パワフルで、そんでスウィーートだ。 来年からヨガを始めるのが楽しみで仕方がないね。ぼくは自分の身体すべてでニンジャを愛する (ぼくのピー・ピーも含めて)。
Q and A:
Q: なぜみんなそんなにニンジャが好きなの?
A: ニンジャは究極のパラドックスだ。一方では彼らは気にもしないし、他方では彼らはとっても注意深くて正確だ。Q: ニンジャはいつも残忍で卑怯だと聞いた。彼らは何がそんなに不満なのか?
A: そんなことを言うやつは誰もかれも完全なウソツキだ。他の哺乳類と同じように、 ニンジャは卑怯にもなれるし、あるいは、完全にカックイイくもなれる。Q: 首を切り落としたり気が狂ったりしてない時、ニンジャは何をしてるの?
A: 彼らはほとんどのあいだ、空を飛んでる。でもときどき刺したりもするよ。(信じないんならマークに聞け)[マークの写真]
ぼくの親友、マークが威嚇してるところ。 彼はぼくよりずっと歳を食ってるし、そろそろ適齢期も終わるんだよ。 これって、自慢できるよね。
そしてその罪ほろぼしに、今朝ははやく起きてみたりする。 そしたら、土曜日だぁ。
ちょっとやってみたかったんだっ。ほんの出来心です。
《それがあなたの質感です。》
いやあ、反射的にウソをつける人って尊敬するね。 新山は綿密に計画しなければだめである。だめだある。
カモね!!
ちなみにいま wikipedia の英語版と日本語版を比較するって作業を やっているのだが (研究のために)、日本人の自意識過剰ぶりがいろいろとかいま見えてオモシロイ。 この手の研究は社会科学系の人々がもっとまじめにやればいいと思う。 slashdot と違って wikipedia は言語間でシステムに一貫性があるので、 ネット上のコミュニティ比較はやりやすいはず。
新山の経験とあわせて考えてみるに、結局のところ (ケッキョキ)、 「グローバルな人間を育てる」というのは、英語を話せるようにするということじゃなく、 「ヘンな欧米コンプレックスや自意識がない人間を育てる」ということだと思う。 まあ、現在の日本は見事なまでにその逆を行っているが。
ny に 6年間住んでみて気づいたことは、 「カリカリすんのは新山のスタイルじゃない」ということだ。 汲々すんのはもううんざりだよ。
ただし 2. は、ごくまれには、そうでないこともある。(←このへんが熱力学)
l(typo修正せず)
そもそもよー、complete -G
と complete -X
の
違いっていったいなんなんだ。どうやらファイル名補完のときには
-f -X
を使わねばならないらしいが、man を見ても
よくわからん。おまけに web 上にもあまりヒントがない。
-G globpat
The filename expansion pattern globpat is expanded to
generate the possible completions.
-X filterpat
filterpat is a pattern as used for filename expansion.
It is applied to the list of possible completions gener-
ated by the preceding options and arguments, and each
completion matching filterpat is removed from the list.
A leading ! in filterpat negates the pattern; in this
case, any completion not matching filterpat is removed.
かといって、web 上には bash_completion とかゆーパッケージが落ちていて、
これを .
すると (oioi, そもそも「.
する」って一体何なんだ??
bash を知らない人には意味不明どころか単語としてすら認識不能である)、
10000行近くある複雑怪奇な complete が定義されてしまうし、まったく、
ムカつく。
結局のところ、これは「自己肯定ができるか」という問題に帰着されるようの気のする。 ある種の自尊心のない人々 (この業界には多い…のだろうか? 他と比べて?) と会話すると すぐにわかるのだが、こういう人々は「所属する」ためになんでもやりそうなので、ひどくおそろしい。 ああわなりたくないもんた。
(追記) いっぽうで、「完全な公平性」などという蜃気楼を追求すると、 きのうの South Park で出ていた PETA の人々のようになってしまう。 結局、「公平な」「偏らない」という言葉の定義自体が、偏っている必要がある、 ということだろう。なんだこれ。矛盾しているような。まあいい、この日記は矛盾の宝庫だ。 世界と同じように。いや、しかし、実際には「矛盾」というのは階層の問題で、 あるレベルで見ると矛盾しているように見えるが、それより上のレベルでは…。 もういいや。
\begin{discussion}
以上 2つの言明から、次のうちいずれかの結論が数理論理学的に導かれる:
アル・ゴア
は忍者
の参照であることに留意せよ、つまり
「アル・ゴア == 忍者
」ではなく、「アル・ゴア is 忍者
」なのである)
(フ サ フ サ, None)
答えは CM から!!
\end{democracy}
はっきりいって、そろそろ wikipedia はゴミの山化してくるだろうな、という気のする。 spam のせいではなくて、デカすぎて何がなんだかわかんなくなってくる、という意味で。 検索技術はこれを解決してくれない (そもそも、「検索する」というのは、構造が把握できてないときの最終手段だ)。 まあ、これは web 自体がそうだったけれど、 ある時点までは「これはすごいぞー、役に立つぞー」ということがさかんに言われ、 ある時点を過ぎると急速にゴミ化する、 というのが定番になっている。もっとも、中にはいい記事もあるにはあるのだが、 全体としての平均はある時点までは上昇し、ある時点から下降するのだ。 しかし、人々の認知はたいてい実際の状態とは遅れてやってくるので、 これからもしばらくは「wikipedia はいい!」という意見がネット上に増えつづけるでしょうが…。 むしろ日本ではブームになるのはこれからだろう。 しかしオレはここではっきりいっておくぞ。Wikipedia == ゴミである。 まあどおでもいいけどね、オレはただのいち編集者でしかないんで、べつになにがなんでも アレを誉めなきゃいけない立場じゃないのよ。
またどうでもいいけど気づいたこと。 「スポンサードリンク (sponsor drink)」という言葉を最初に使いはじめた google が、 実はこれを「スポンサー」と「ドリンク」という単語として認識しているのは笑える。tee-hee. きょうはなんでこんなに文章量が多いんだろう??
花がこれほど短い時期に同時に反応するというのは考えてみればすごいことだ。 彼らどうしは何も通信しているわけではないのに、である。 人間もこれほど統制をとれた動きをすれば、政治家にとってはうれしいでしょうなあ。
…と、このような表現が使えるのは、それが単なる「情報」だからである。 これが人に対して使われるようになったらえらいことだ。エライコッタ。
…オモチャの世界を相手に何を言っているのだか。
だが、まあ、しかし、原理的に、誰からも嫌われないようにすることはできないよ。 なぜなら、「誰からも嫌われたくない人」こそが、 オレが一番キライなタイプの人間だからだ。以上、証明始まり。
nemu.
きみたちにひとつ言い訳しておこう。 一般性の議論とゆうのは、ネムケに比例するのだ。 つまり 一般性 ∝ ネムケである。 覚えてろよ!!!
つまり、その逆もまた同様。
…こんな (=こんあ) ことを続けていたらそのうち誰かに本当にブチ殺されるんではないかと オレは心配である。で、とうぜんこんなことしてる奴が性格いいわけない。 でも、それは、いいよな。まあ。
マスメディアの機能のひとつに「大したことないモノを大したことのように見せかける」というのがある。
たとえそれがどんなにヘボくても、ひとたびメディアを通せばアラ不思議!
まあオレは、クシャミと鼻血さえ出なければどうでもいいんだ、このごろは。
研究者の業績というのは、引用された論文数で決まる。 学術的な研究者の仕事というのは、究極的には、ほとんど論文を書くだけのものだ。 で、自分の論文が多くの人に引用されるには、すごい革新的な研究を発表することが必要である。 ところがほとんどの人の研究はたいして革新的でも何でもないので、 そういう人が何をするかというと、なにか本筋とは関係ないところで目立つか (ネームバリューを利用するとか流行りの buzzword を利用するとか)、 あるいはひたすら似たような論文を出して数で勝負する。またはその両方。
彼らがどのような方法で生きのびるかはオレにはどうでもいいことだ。 そしてオレは研究者にならないと決めているので (今のところは)、 それを真似したくない。これってワガママなのかしらん。
今日は早起きして午前中に論文を書き、午後はアキたので美術館に行って そのあとツぇんとらる・ぱルクを散歩した。桜はもう散り始めていた。 おいおい、いつ咲いたんだよ!
うもれた写真
Document ID: 865b28e5b9e3982e703396678b214dbf
Yusuke Shinyama