2007年 4月 (3)。

それは失われているのではなく、ただ隠されている、という考え。

Last Modified: Tue May 1 01:28:13 EDT 2007 (05/01, 14:28 JST)

Apr 30 [Mon]


(12:05)
使いかけのマヨネーズを戸棚に入れ、 乾燥パセリのびんを冷蔵庫に入れて、正気に返ってから 自分の病状はかなり悪化してるのではないか? と思う。
(12:59)
Python 用のまともな GUI toolkit が欲しい。 (tooklit?)
  1. 簡単で、
  2. ピクセル単位の処理ができて、(Tk の Canvas はメンドくさすぎる)
  3. 多国語対応で、
  4. *NIX, Windows, Mac でもネイティブの look and feel で、
  5. ライセンスはゆるゆるで、
  6. 軽薄短小で、
  7. しかも Python 標準装備になる!

…GUI というのは出てこないもんか。よくばりすぎか。

Tk は標準だけど 2. がダメ。FLTK は 3. がダメ。 GTk は 4. を満たしてない。Qt は 5. がダメ。 そして wxPython は…デカすぎる! 6. がダメである。 ああ。

Lisp も GUI の標準がなくて苦労している。 いまんところ GUI まわりであんまし悩まなくていいのは Java だけだ。が…

はっきりいって、「API」という考え方が嫌い。NeXT の Display PostScript のように、 画面処理をやる部分だけ別の言語になってもいいのである。 それが標準化さえされててくれれば。つまり、ActionScript とか OpenGL のもっと汎用化したやつ (OpenGL は言語ではないが…) を、どのマシンにも乗っかるように作ってくれればいいわけ。 しかし、HTML と SVG ではとても高レベルすぎる。なんか、どれもこれも帯-タスキ症候群で (帯に短しタスキに長し)、 ニッチな部分がきてないなあ。

(14:38)
一人の人間はふたつに分けられないし、
二人の人間をくっつけてひとつにすることはできない。
ま、そういうこと。
(15:53)
wikipedia を見ていて (仕事です)、 そういえば日本語には英語の cancer に直接該当するような用語ってないんだなあ、 ということに気がついた。日本語で「癌」といった場合、それは悪性腫瘍を意味する。 しかし実際には cancer というのは異常化した細胞による病気のプロセス全般をさす用語であり、 腫瘍にかぎったことではない。 たとえば白血病は腫瘍ができてなくても cancer である。医療分野では一般に (ひらがなで) 「がん」といえば 腫瘍のことでなくて cancer をさすらしいけど、もともとが漢字の「癌」を拡張した概念のために 混乱しやすいなあ。

どうでもいいが、白血病はホントに怖い病気だと思う。まずこの字面からして怖い。 しかもそこにつきまとう不幸のイメージがすごい。 身体障害者とかダウン症児の人々は「不幸」という世間一般のレッテルがあるが、 別に彼らは必ずしも不幸なわけではない。しかし 白血病の人はホントに不幸というか、とにかく圧倒的な「不運」としかいいようがない。

…ところで (てくるで)、よく人々は「何の罪もないのに病気になった/障害をもった」といったような言葉を使うが、 この心理は実は「いい子にしていればいいことがある」という信念のあらわれであり、 逆にいえば「罪がある人間は病気になってもよい」という、おそろしい理論への支持を示している。 例の「カミさまが悪い人間を罰してくださる」ってわけですよ。 こういった連中は、「先祖が悪いから障害をもった子供が産まれる」とかいってるのと (電波の程度は違うけど) 同質だ。 実際には極悪な人間でもピンピンしているし、だいいち、こうした「脅し」によっていい子になっている人間ほど 信用できんものはない。まあ、ウケはいいでしょうがね。ちなみに、だからキリスト教では 「奇蹟を見せて人を脅迫するのはよくない」ってことになってて、なんの証拠も脅迫もなくても 自主的に神を信仰した人間しか天国に入れてあげないことになっとる。 しかし、この言明自体も「メタ脅し」になってるわけでして…こうした「メタ脅し問題」は、 なんらかのシステムによって教えを伝達する限り原理的に排除できないので、 結局は「完全に自主的な信仰」などというものはムリなのだ。たぶん、 完全に自主的に神を信仰できたのは、世界ではじめて神とゆう概念を思いついた人間だけだろう。 でも、そのときの「神サマ」の概念は今とはかなり違っていたんではないかなあ。。。まあいい。 というか、オレはさっさと論文書け。

(16:40)
そういえば 浮世絵 が、 英語では "pictures of the floating world" と説明されてることにショックを受けた。 「浮世」って「浮いている世界」って意味だったんか?? まあそう言われてみればソウかもしれない…。

ちなみに、ウィキッペはこういう項目でもなぜか英語の記事のほうが日本語よりも深みがある。 残念なことに。いま思ったんだけど wikipedia 日本語版の記述というのはいつもどちらかというと 「百科事典的」というよりも「教科書的」だ。つまり、これを暗記しなさいって感じの事実の羅列が続く。 これは日本人の好みなのか、それとも時間がなくてこうなってるのかわからないけど…。 すくなくとも教育的な観点からみれば、百科事典というのはそうじゃないだろうと思う。

(22:02)
ぢあぶ ("daibu" と打とうとして "diabu" と間違えた) 前から冷蔵庫に入っていた 長ネギを切ったら、ゴリっっって言った。きょうは花粉が多い。

Apr 29 [Sun]


(14:41)
リアル・ニンジャ・ホームページ (翻訳)

やあ、このサイトはニンジャ、リアル・ニンジャについてのすべてだよ。 このサイトはすごいよ。僕はもうニンジャのこと以外何も考えられない。 ニンジャはクールだ。クールというのは、つまり完全にスウィートってことだ。

事実:

  1. ニンジャは哺乳類である。
  2. ニンジャはいつでも戦っている。
  3. ニンジャの目的はキチガイ的に人を殺すこと。

証言:

ニンジャは殺そうと思ったら誰でも殺せる! ニンジャはいつでもだれかの首を切り落としてるし、そのことにまったく躊躇しない。 ニンジャはあまりにもキチガイでカッコいいんで、いつでも気が狂ってる。 聞いた話だと、このニンジャがあるとき晩飯を食っていた。そんでどっかの馬鹿が スプーンをおっことしたんで、このニンジャは街全体を皆殺しにした。友達のマークが言うには、 いちど子供が窓を開けたんで、ニンジャがそいつを完全にぶった切ったのを彼は見たらしいよ。

これぞリアル究極パワーーーというもんだ!!!!

もしもきみがニンジャにはリアル究極パワーーーがあると信じないのなら、 いちどまともな人生を送るべきだ。さもないとニンジャがお前の首をチョン切るぞ!! 簡単な選択だよね。

ニンジャはすーーーーーーーんごくスウィートなんで僕はもうパンツにウンコもらしちゃうよ。 時々それは信じられないくらいだが、ハートで感じるんだ。ニンジャは完全にカックイイくてそれは事実だ。 ニンジャは素早く、スムーズで、クールで、ストロングで、パワフルで、そんでスウィーートだ。 来年からヨガを始めるのが楽しみで仕方がないね。ぼくは自分の身体すべてでニンジャを愛する (ぼくのピー・ピーも含めて)。

Q and A:

Q: なぜみんなそんなにニンジャが好きなの?
A: ニンジャは究極のパラドックスだ。一方では彼らは気にもしないし、他方では彼らはとっても注意深くて正確だ。

Q: ニンジャはいつも残忍で卑怯だと聞いた。彼らは何がそんなに不満なのか?
A: そんなことを言うやつは誰もかれも完全なウソツキだ。他の哺乳類と同じように、 ニンジャは卑怯にもなれるし、あるいは、完全にカックイイくもなれる。

Q: 首を切り落としたり気が狂ったりしてない時、ニンジャは何をしてるの?
A: 彼らはほとんどのあいだ、空を飛んでる。でもときどき刺したりもするよ。(信じないんならマークに聞け)

[マークの写真]
ぼくの親友、マークが威嚇してるところ。 彼はぼくよりずっと歳を食ってるし、そろそろ適齢期も終わるんだよ。 これって、自慢できるよね。

(01:35)
誰を信じるのか?

Apr 28 [Sat]


(07:45)
きのうはヨッパラって早めに寝てしまった。

そしてその罪ほろぼしに、今朝ははやく起きてみたりする。 そしたら、土曜日だぁ。

(11:56)
そういえば 2年ぐらい前から週一ぐらいのペースできている spam に 「cialis」という単語が書いてあるのが多かったんだけど、 いままで新山はこれを「claris」だと思い込んでいて、 なんでこいつらはそんなにファイルメーカーが売りたいんだろう? と思っていた。そしたら、違った。
(13:07)
なぜ「さ」は可能だが「み」が可能でない形容詞があるのか!
(13:23)
新山ゆうすけのオヤグャグ講座 (その 1・最終回) :

ちょっとやってみたかったんだっ。ほんの出来心です。

(21:47)
わかってやってます、当然。わかってやってます。

Apr 27 [Fri]


(11:44)
前髪は
切っても切っても
nobiてくる

《それがあなたの質感です。》

いやあ、反射的にウソをつける人って尊敬するね。 新山は綿密に計画しなければだめである。だめだある。

(11:54)
それにしてもインスタントな人生だなああ。
(12:29)
「賭ける」などという行為は世の中に存在せず、それはただ捨てているだけ。

カモね!!

(15:23)
留学生センターへ行った帰りに、なぜみんなケーキを持って歩いているのかと思った。 ら、今日は strawberry festival の日だった。これは nyu で毎年恒例でやってるイベントであり、 4st. を封鎖して出店がならび、学生にイチゴのスウィーツ類 (ケーキ、クッキー、苺、シェイク、飴など) を配ってくれる。 当然タダである。今日はなんかあの雰囲気を見たら異常に食いたくなったので、並ぶことに。 おまけに連中は ID のチェックも何もしないので、あきらかに学生じゃなさそうな オッサンも並んでいた。どっからこの予算が出ているのか知らんが、 あきらかに全学イベントとしては一番の部類だよ、これは。
(15:45)
ところで (てくるで)、こないだの例の射殺事件のあと、 誰も気にしてナイのに韓国が勝手に騒いでいるらしいというニュースを見て、 いかにかの国が自意識過剰であるかを思い知った。 まるで日本と同じくらいの自意識過剰ぶりだ。 人のふり見てわがふり直せといいますよ。

ちなみにいま wikipedia の英語版と日本語版を比較するって作業を やっているのだが (研究のために)、日本人の自意識過剰ぶりがいろいろとかいま見えてオモシロイ。 この手の研究は社会科学系の人々がもっとまじめにやればいいと思う。 slashdot と違って wikipedia は言語間でシステムに一貫性があるので、 ネット上のコミュニティ比較はやりやすいはず。

新山の経験とあわせて考えてみるに、結局のところ (ケッキョキ)、 「グローバルな人間を育てる」というのは、英語を話せるようにするということじゃなく、 「ヘンな欧米コンプレックスや自意識がない人間を育てる」ということだと思う。 まあ、現在の日本は見事なまでにその逆を行っているが。

ny に 6年間住んでみて気づいたことは、 「カリカリすんのは新山のスタイルじゃない」ということだ。 汲々すんのはもううんざりだよ。

(16:27)
熱力学の第二法則が言うことにゃ:
  1. クズな情報を入力しても産み出されるものはクズな結果ばかり。
  2. 質のよい情報を入力しても産み出されるものはクズな結果ばかり。

ただし 2. は、ごくまれには、そうでないこともある。(←このへんが熱力学)

(16:45)
将棋では、たかが一コの玉将を取るために、相手の陣地全体をメタメタに破壊しなければならない。 これは実際の戦争でも同じことである。悪いヤツはほんの少数なのに (どっちの側も)、 なぜもっと簡単にいかんのよ、と、いつも思うんだよな。

Apr 26 [Thu]


(10:19)
やはおきーー!

l(typo修正せず)

(11:59)
bash completion sucks!

そもそもよー、complete -Gcomplete -X の 違いっていったいなんなんだ。どうやらファイル名補完のときには -f -X を使わねばならないらしいが、man を見ても よくわからん。おまけに web 上にもあまりヒントがない。

    -G globpat
            The  filename  expansion  pattern globpat is expanded to
            generate the possible completions.

    -X filterpat
            filterpat is a pattern as used for  filename  expansion.
            It is applied to the list of possible completions gener-
            ated by the preceding options and  arguments,  and  each
            completion  matching filterpat is removed from the list.
            A leading ! in filterpat negates the  pattern;  in  this
            case,  any completion not matching filterpat is removed.

かといって、web 上には bash_completion とかゆーパッケージが落ちていて、 これを . すると (oioi, そもそも「. する」って一体何なんだ?? bash を知らない人には意味不明どころか単語としてすら認識不能である)、 10000行近くある複雑怪奇な complete が定義されてしまうし、まったく、 ムカつく。

(12:30)
批判について書いておきたいこと。批判にはいくつかのレベルがある。 新山があるものについてムカつきを表明するとき、 そのムカつき性には大きく分けて 2つのタイプがある。 ひとつは「技術的なムカつき」であり、もうひとつは 「価値観によるムカつき」である。もちろん、これらはきちんと分けることは できないけれど、たとえば上の complete に対する愚痴は技術的なものである。 新山は、complete そのものが必要だということには同意しているのだ。 ただその実装に同意していないだけ。こういう批判は簡単だし、対処もそんなに難しくない (次のやつに比べれば)。しかし、もっと根本的な不同意もある。 それは特定の価値観にもとづいて「こいつは世の中にとって害悪だ」と断定する場合であり、 どっちかっつうと、新山のグチはこっちのほうが多い。 たとえば ipv6 とか、自然言語処理における機械学習べったりな方法とか、 rss + web2.0 + ajax crap とかである。こいつらは、技術的にはいいこともあるのだが、 それよりはるかに悪い社会的な面をもっている。それはこうした技術が 人々の視野をせばめ、技術の比重をおかしな方向に歪めている、という事実である。 たとえば ipv6 を見よ。新山は個人的に ipv6 にはまったく恨みがない。 むしろ、うまくいってほしいと思っている。でも、こいつの害悪は、 日本人の偏狭なナショナリズムを必要以上に煽ってしまい、その結果、 日本のネットワーク研究がおそろしく歪められてしまった (ように見える、すくなくとも新山には) ことだ。 ネットワークで重要な問題はほかにも山のようにあるだろうに。 同じような感覚は昔の ruby にもあった (いまでも少しある)。 言語処理も同じことで、おマエら、ほかに面白い問題は山のようにあるだろうよ! いったい何やってんの? …と思うのだが、彼らはそれが面白いと信じているのだからしょうがない。 新山は「人間は広い視野をもつべきである」と思っているので、 必要以上に人の目をくらませるものは基本的になんでも悪であると思う。 流行りのモノが嫌いなのもそのせいかもしれない。 だが、これはあくまで価値観の問題で、人におしつけることはできない (だからここに書いているわけ)。とりあえず今はなるべく自分の視野を広げるように 努力するだけである。でも、はっきりいってこれはかなり見通しの暗い方向だと、自分でも思う。 なぜなら…。「どこにも偏らない」ということは、結局のところ (ケッキョキ) 「どこにも所属しない」ということに等しいからだ。 そもそも「ある方向に偏る」ということは、一定の集団に属するということである。 どのグループにおいても、仲間に入れてもらうためには、偏らなければならない。 もっというと、人を差別しなければならない。 「目がくらんでいる人々」は、集団心理という観点からみれば、かなり理解できる。 ようするに、多くの人々は「どこかに所属したい」「一緒になりたい」 「同意を求めている」人々だからである。たとえツウちゃんねるの多くの人々とか、 表面上は批判しているように見える連中でも、彼らの多くは 「批判する」ことによって結束しているので、ある意味かれらは同意を求めているのだ。 それを拒否しようとすれば、誰からも孤立してしまうのはまちがいない。 まあ新山はそれにはだいぶ昔から慣らされているんだけれども、 積極的に孤立しつつ「まだ立っている」というのは、きっと並大抵のことではないだろう。 なぜ新山がそうしなければならないと思うのか、自分にはまだわからない。 しかし公平になるということは、究極的にはそういうことを意味する。 自分にそれができるのかどうか、まだ自信がない。

結局のところ、これは「自己肯定ができるか」という問題に帰着されるようの気のする。 ある種の自尊心のない人々 (この業界には多い…のだろうか? 他と比べて?) と会話すると すぐにわかるのだが、こういう人々は「所属する」ためになんでもやりそうなので、ひどくおそろしい。 ああわなりたくないもんた。

(追記) いっぽうで、「完全な公平性」などという蜃気楼を追求すると、 きのうの South Park で出ていた PETA の人々のようになってしまう。 結局、「公平な」「偏らない」という言葉の定義自体が、偏っている必要がある、 ということだろう。なんだこれ。矛盾しているような。まあいい、この日記は矛盾の宝庫だ。 世界と同じように。いや、しかし、実際には「矛盾」というのは階層の問題で、 あるレベルで見ると矛盾しているように見えるが、それより上のレベルでは…。 もういいや。

(14:00)
\begin{discussion}

以上 2つの言明から、次のうちいずれかの結論が数理論理学的に導かれる:

  1. アル・ゴアは忍者である。 (この場合、アル・ゴア忍者参照であることに留意せよ、つまり 「アル・ゴア == 忍者」ではなく、「アル・ゴア is 忍者」なのである)
  2. 世界には最低 2つのインターネッツが存在する。
  3. フランすの国王 := (フ サ フ サ, None)

答えは CM から!!

\end{democracy}

(14:21)
tokorode いまふと思ったが「アル・ゴア」ってどことなく「アンゴルモア」を連想させるひびきがあるよな、 それって。ちなみにモンゴルは関係ない。ゴア副大統領のことを「ゴワ副大統領」って呼んでいたら、 たぶん世界の歴史は變はっていたものと思はるる。以上、昼休み終わり。ごちそうさまでした。
(14:36)
どうでもいいけど、 欧米における Monty Python のセリフのパロディというのは、 日本におけるガンダムのセリフのパロディみたいなもんなんだろうか?? しかし Python のセリフはいまの若い連中も知ってるけど (それが「古典」たる所以である)、 日本ではガンダムなんて、もうおじさんしか知らないじゃん。 少なくともオレは知らないね。
(15:17)
「世の中が豊かになった」というのは、ある一面では「(計算機的に) lazy になった」 ということもあると思われる。たとえばオレとかはいまだに就職を決めるのをノビノビに 先延ばしできているわけで… 世の中、つねに (計算機的に) lazy なほうがいいじゃん。 無理に決断を迫られるとろくなことがない。そうかな? 本当にそうかな?
(16:10)
ぐああ。 論文に書く必要があるので wikipedia のカテゴリを調べていたら、完全にハマった。 日本語版は、まだいい。問題は英語のほうである。いったい、全部でいくつあんだ? 数千は下らないのは確実。 あるカテゴリを説明する文書とカテゴリ内の記事そのものの一覧がたどりにくい。 さらに問題なのは、 「Wikipediaに関するカテゴリ」 「Wikipediaに関するカテゴリのカテゴリ」 「一覧に関するカテゴリ」 「カテゴリに関するカテゴリ」 「カテゴリの一覧」 「Wikipediaのカテゴリ分けに関する議論のカテゴリ」などが ほとんど何の脈略もなく完全にゴッチャになっていることだ (これらはすべて別々のページである)。 おまけにカテゴリは木構造になってないし ← これ自体は正しいと思うが、 これだけ数が増えてくるともうやってらんない。 最初から理解するのを放棄したくなる。

はっきりいって、そろそろ wikipedia はゴミの山化してくるだろうな、という気のする。 spam のせいではなくて、デカすぎて何がなんだかわかんなくなってくる、という意味で。 検索技術はこれを解決してくれない (そもそも、「検索する」というのは、構造が把握できてないときの最終手段だ)。 まあ、これは web 自体がそうだったけれど、 ある時点までは「これはすごいぞー、役に立つぞー」ということがさかんに言われ、 ある時点を過ぎると急速にゴミ化する、 というのが定番になっている。もっとも、中にはいい記事あるにはあるのだが、 全体としての平均はある時点までは上昇し、ある時点から下降するのだ。 しかし、人々の認知はたいてい実際の状態とは遅れてやってくるので、 これからもしばらくは「wikipedia はいい!」という意見がネット上に増えつづけるでしょうが…。 むしろ日本ではブームになるのはこれからだろう。 しかしオレはここではっきりいっておくぞ。Wikipedia == ゴミである。 まあどおでもいいけどね、オレはただのいち編集者でしかないんで、べつになにがなんでも アレを誉めなきゃいけない立場じゃないのよ。

(17:47)
最近の統計によれば、地獄にいるのはエンマ大王ではなくて細木カズコである確率が高いのだそうだ。

またどうでもいいけど気づいたこと。 「スポンサードリンク (sponsor drink)」という言葉を最初に使いはじめた google が、 実はこれを「スポンサー」と「ドリンク」という単語として認識しているのは笑える。tee-hee. きょうはなんでこんなに文章量が多いんだろう??

(20:02)
帰りがけに思ったこと。Washington Sq. にはじつにさまざまな花が植えられている。 で、そのうちある花は、ある時期にいっせいに咲き、そして消える。 染井吉野はもうすべて葉桜になってしまった。で、そのあとはべつの種類の花が咲きだす。

花がこれほど短い時期に同時に反応するというのは考えてみればすごいことだ。 彼らどうしは何も通信しているわけではないのに、である。 人間もこれほど統制をとれた動きをすれば、政治家にとってはうれしいでしょうなあ。

Apr 25 [Wed]


(11:59)
気づかれないうちに消した。

…と、このような表現が使えるのは、それが単なる「情報」だからである。 これが人に対して使われるようになったらえらいことだ。エライコッタ。

(15:59)
ふむ。つまり、ある人が 「あわわわわ!」的タイプに 見えるのは、そいつが内部状態をもっていないからだ、と考えることができる。 いや、ちょっとは持ってるだろうけど、基本的にはそいつらには内的な目標や観察というものが (ほとんど) ない。 つまり彼らは "stateless" な人々、ということができる。あるいは reactive な人々というべきか。 基本的に、ただ外部の評価や欲求に反応してるだけ。 すると、当然、これと反対な人々は "stateful" な人々ということになるだろう。 どうゆうこと? 知らない。まあいいや。 そんで、これは MBTI 性格テストにおける「E」型な人と「I」型な人に それぞれ対応するんではないか、ということを今日いきなり思いついた。 しかし E な人間すべてがバ○なわけではないと思うがなあ。その逆も同様。 まあいい。どのみち MBTI なぞは 血液型性格テストと同じようなモンなんだから。
(17:24)
差別について新山がひとつだけ確信していることがあるとすれば、 それは「差別が永遠になくならない」ということだけである。 それ以外は、まあ、どうでもいいよ。基本的に差別は「アイデンティティの自覚」とかいうのと 同じ現象なのだ…。これは、あるひとつの現象をそれぞれべつの面から見た名前にすぎない。 ああ、ここでいう「差別」というのは認知状態のことで、表面的にどうふるまうかという話じゃないからね。 この 2つはほぼ独立である (少なくとも、通常のオトナはこれら 2つの面を使い分ける方法をある程度知っている)。 区別はふつうかなり意識の下の層で起きているために、分離するのはむずかしい。 たとえ分離できたとしても、そのときはもうそれを観察する「自分」は、 存在できなくなっているのである。ゲンリテキに。

…オモチャの世界を相手に何を言っているのだか。

だが、まあ、しかし、原理的に、誰からも嫌われないようにすることはできないよ。 なぜなら、「誰からも嫌われたくない人」こそが、 オレが一番キライなタイプの人間だからだ。以上、証明始まり。

(18:28)
一般性 … 一般性 …… 一般性 … …・・・・ ふぁ〜〜〜 〜 〜〜

nemu.

きみたちにひとつ言い訳しておこう。 一般性の議論とゆうのは、ネムケに比例するのだ。 つまり 一般性 ∝ ネムケである。 覚えてろよ!!!

つまり、その逆もまた同様。

(18:52)
おどろくべき中国の自殺率。 ふつう、ほとんどの国では女よりも男の自殺件数が 3倍くらい多い。 男女比がほぼ同じくらいと仮定すると、ようするに男は女の 3倍自殺しやすいわけだ。 ところが、中国ではこれが逆転している。もっとも、H嬢によれば 「中国の統計を信用してはいけない、たぶん自殺者数はもっと多い」とのことだけど、 それでもこの男女比は異常だ。ええっと、オレは何が言いたかったんだっけ?
(19:32)
新山の生き方のパターン:
  1. アホな人、もしくはアヤしい人 (集団) をみつける。
  2. その人達と仲良くなり、なるべく近くまでいって観察する。
  3. ある時が来たら、背に足がつく勢いでダーーーーっと走って逃げる。この時、決して後をふりむかない。
  4. go to 1.

…こんな (=こんあ) ことを続けていたらそのうち誰かに本当にブチ殺されるんではないかと オレは心配である。で、とうぜんこんなことしてる奴が性格いいわけない。 でも、それは、いいよな。まあ。

Apr 23 [Mon]


(10:45)
どっぷりしてんのさ。
(10:49)
マスコミ == ビッグライト説。

マスメディアの機能のひとつに「大したことないモノを大したことのように見せかける」というのがある。

たとえそれがどんなにヘボくても、ひとたびメディアを通せばアラ不思議!

まあオレは、クシャミと鼻血さえ出なければどうでもいいんだ、このごろは。

(15:18)
で、いきなり今日は 30℃近く。一体なんなんじゃこりゃあ! ふんげあ野郎。ということで、暑いので昼食 dosa にする。 10分以上並んだと思うが、とにかく今日は dosa が食いたいのだ! いやひさしぶりのこの味。花粉症。
(00:52)
論文に新山の名前を載せないでくれ、と頼むと、人は妙な顔をする。 たいていの人は論文に名前を載せたがるからだ。 でもオレはそういうのがきらい。なぜかというと、 そういう「水増し」でひたすら論文数を稼ぐ人を見ているからだ。 オレはほんとにまともなアイデアがなければ論文を書きたくないし、 大したことない論文で業績を水増ししたくない。

研究者の業績というのは、引用された論文数で決まる。 学術的な研究者の仕事というのは、究極的には、ほとんど論文を書くだけのものだ。 で、自分の論文が多くの人に引用されるには、すごい革新的な研究を発表することが必要である。 ところがほとんどの人の研究はたいして革新的でも何でもないので、 そういう人が何をするかというと、なにか本筋とは関係ないところで目立つか (ネームバリューを利用するとか流行りの buzzword を利用するとか)、 あるいはひたすら似たような論文を出して数で勝負する。またはその両方。

彼らがどのような方法で生きのびるかはオレにはどうでもいいことだ。 そしてオレは研究者にならないと決めているので (今のところは)、 それを真似したくない。これってワガママなのかしらん。

Apr 22 [Sun]


(23:06)
今日はアッタカったね。しかも極いい天気。

今日は早起きして午前中に論文を書き、午後はアキたので美術館に行って そのあとツぇんとらる・ぱルクを散歩した。桜はもう散り始めていた。 おいおい、いつ咲いたんだよ!

そのご戻ってきてまた論文を書く。 本屋に寄ろうと思ったが疲れたのでやめ。 しかし、どうやら、犬が問題らしかった。 なんお (=なんの) ことかって?? さあね。

うもれた写真

Apr 21 [Sat]



Document ID: 865b28e5b9e3982e703396678b214dbf

Yusuke Shinyama