2007年 5月 (2)。

あなたがこれまで考えた思考および意見は、誰かがすでにネット上に書いています。
だからあなたは何も新しいことを考えたり感じたりする必要はありません。 (長すぎる、これ)

Last Modified: Mon May 21 02:20:06 EDT 2007 (05/21, 15:20 JST)

May 21 [Mon]


(02:17)
きのう、今日と、ずっと花粉症で死んでた。

はたして花粉症で人を殺せるのか!?

花粉症で色盲が治るか??

痩せる英単語“やせたん” 大好評発売中!!

…あした薬もらってこよ。もうダメだ。

May 19 [Sat]


(11:56)
1日はながいなあ。
1日って、ながいなあ。

ひとつの懸念: コンランドリにつかう 25セント硬貨がもうない。両替しなければ! 両替! 両ょう替え!! Web 1.99!!

今日もほどよく墨発 (ぼくはつ) しておりますが、これは正常です。

(21:05)
ふと、そういえば、思ったのだが…。

いまから 10年後ぐらいの子供は、もう「ブラウン管」というものを知らないんだろうなあ。 そして箱型のテレビが珍しいものになる。テレビはもう平べったいものだからだ。

これが世代間ギャップというものだよね。

May 18 [Fri]


(11:33)
宋文洲のコラム、注目されるようになって以降、急速に質が落ちてつまんなくなったと思ってたのだが、 今日はまた久しぶりに面白かった。 基本的に構造的な問題というのは、もうほとんど変えられない、 変えるとしても 100年単位で時間がかかるようなものをいうわけで…。
(20:31)
うわ、ズルそう。
(21:40)
cursesアプリは GUI か?

おそらく、ある程度はそうだろう。 もちろん、curses で Illustrator や Photoshop の代替品なんかつくれない。 でも、ビットマップ表示でなければ GUI でないとか、アイコンを使わなければ GUI でないとかいうのは まったくアホげた意見だ。なぜ人々がコントロールパネルのようなものにまで GUI を使いたいかというと、

  1. アプリケーションの全体的な「見通し」
  2. 表示および操作の「統一性」
のためであると思う。「見通し」というのは、たとえば設定項目が あらかじめすべて目に見えているとか、メニューの選択項目をなんとなく 見ることができるということで、たしかにこれはシェルのような インターフェイスではあまり期待できない。 操作手順の「文脈」が見えるというのも重要だ。 つまり今なにをしようとしているかとか、次になにが起こるのかといったことも GUI では目にしやすい。でも、curses でもこういった見通しをわかりやすく 提供する方法はあると思うし、必ずしも視覚的なチャンネルを使う必要もない (視覚がかなり直観的なのは認めるけれど)。 しかし本当に重要なのは 2. の「統一性」であって、これがなければ他のすべての利点はパーだ。

で、新山が Web アプリを見て「これは GUI じゃない」と思うのは、 たいていの Web アプリが上の 2つの原則をみごとに無視しているからである。 まずたいていの web アプリには操作の文脈があって、それはほとんどの場合 ユーザの目には見えない (あるいは非常にわかりにくい) ようになっている。 検索のように一発で操作が終わるのものならともかく、何かを入力したり、 修正したりといった場面では、特定のページでどんな操作ができるのか、 あるいはすべきなのかが非常にわかりにくい。 そしてさらにひどいのが、これらがサイトによってまったく違う ということだ。表示方法も違えば場所も違う。ブラウザのインターフェイスそのものは 変わらなくても、その上のレベルのインターフェイスが毎回変わるのである。 ユーザ名を入力する欄はサイトによって違っているし、色も違うし、 ボタンもリンクだったり画像だったりする。 「取り消し」ボタンの名前も (ときには意味も) 違う。 まさに「インターフェイス版バベルの塔」ってかんじだ。 サイトによってはこれらのインターフェイスはある程度統一されているが (たとえば google 上のいろんなアプリなど)、 サイトが違えばまったく違うし、誰でも勝手に自分の基準をおしつけられる。 なにしろガイドラインが存在しないので。しかもこの分裂はますますひどくなる。

この状況を誰かが止めようと思うなら、web 上のすべてのアプリケーションを 同一のツールキットかなにかで作るようにさせるしかない。でも、そんな状況が 本当におこりうるんだろうか。もしそうなるとすれば、そのツールキットを 提供する組織・企業は強大な権力を手にすることになる。 まさに Web アプリにおける Microsoft のような存在になるだろう。 そういえば、そんなのを狙っていそうな企業がどこかにありましたね。 実際、かれらはすでにブラウザの仕様をコントロールしたがっているわけだし…。 それにそういう世界のほうがホントに便利かもしれない。 やっぱり大審問官は正しかった。民衆は支配されたがっている。 個人の自立や自由なぞよりも、強制と便利さのほうがイイのだ。

May 17 [Thu]


(11:47)
そして H嬢は上海へ旅立っていった。無事に帰ってこいよ。
(14:10)
コーヒーフィルターかうこと。もうない。

そういえば、きのう昼飯を買うときに 5セント硬貨を出したら 「これは違うよ」と返され、よく見てみたらそれはカナダドルの 5セントだった。 い、いつのまにオレのサイフに…。だまされた。誰じゃこんなのを渡したのは〜〜! しかし、カナダの 5セントって、米国のそれとまったくサイズが同じなのね。

(16:37)
あるサイトに 2GBytes ちかくのファイルをアップロードせねばならないんが、 これが上り 50kb/s ぐらいしか出ないサイトなんよ。くそったれ。 しかも使ってるプロトコルはいまどき FTP だし。 90年代初頭じゃあるまいし。このぶんだと 10時間以上かかるぞ。腐っとる。

Curl で自動的に FTP アップロードする方法:

$ curl -v -u 'user:passwd' -T localfile ftp://ftp.example.com/incoming/directory/
(19:00)
DamnSmallLinuxのサイトに行ったら、 「noscript 広告売ります」という文句があった。 いわく、 「JavaScript をオフにしているあなたはエリートです。Damn Small Linux ではJavaScript をオフにしたユーザによる ページビューが毎日 5000 以上あります。このようなユーザは好みにうるさい人々ですが、 よいと思ったものには価値を認める人々です。」

だって。世の中なんでも広告時代だな。

(21:48)
ようやく (アップロードが) 終わったみたい。さて帰るか。冷房さむいし。
(23:46)
「勝ち」「負け」という言葉が使えるのは、公平かつフェアな勝負のときだけだ。 しかし、地球上のほとんどの勝負は公平でもフェアでもないので、実際にはこの言葉は 人をバカにする時以外に使い道がない。
(00:27)
はあ?? あすの最高気温 12℃ だと?? どーーーなっとるん蛇。今日も帰りはサブくて半袖着てきて失敗した。 明日は長袖 + コートだな。

May 16 [Wed]


(09:58)
考えるとは、合理的に考えることだ。どうしてそんな馬鹿げたことが言いたいかというと、 現代の合理主義的風潮に乗じて物を考える人々を観察していると、どうやら能率的に考えること を 合理的に考えることだと思い違いしているように見えるからである。当人は考えているつもりだが、 実際は考える手間を省いている、そんな光景がいたるところに見られる。… (強調は新山)
-- 考えるヒント「良心」、小林秀雄
この考え方によれば、能率主義が浸透するにしたがって、 人はますます考えなくなる傾向がある、ということだよね。 そして能率主義が普及しているのは今のところ否定できない。 つまり…
(11:29)
あーもう今日は花粉症最悪。
(12:02)
どうでもいいけど google groups のサービスを使うと、毎回のメッセージに 「このメッセージは、次の Google グループへの参加を申し込まれたことを確認するために送信されました。XXX グループ」 って入るんだけど、これっておかしいだろ?? 英語版は "You received this message because you are subscribed to the Google Groups XXX group." なんだから、誤訳どころじゃなくあきらかに変である。しかも 1年ぐらい直ってない。 この会社が日本のユーザをナメきっていることはもうずっと前から知ってるけど、 態度はともかく物理的にマトモなサービスがここぐらいしかない、 というのは悲しいかぎりである。Yahoo JAPAN の groups は spammer 扱いされてるし。 (godaddy のメール転送サービスを使うと、Yahoo-jp groups からのメールがブロックされてしまう)

(追記) 去年 9月のメールを見てみたら、そのときのは 「これは、お客様が次の Google グループに申し込まれたことを確認するメッセージです。」 となっている。微妙に文言が変わっているが、どっちも「確認」とか根本的にオカシイ。 新山が邪推するに、これは国際化された文字列一覧を作るときに、 なにか別の英語メッセージに対応する日本語メッセージをまちがって対応させていると考えれば説明がいく。 誰も気づかないっつーあたりがすでに敗北的。

(13:04)
鉄筋コンクリート造りの部屋つき木造住宅を商品化

おお〜い、信毎〜! 画像がデカすぎてまるで荒らされたあとの掲示板みたいになってるぞ。ワハハ

(13:19)
ウィキッペですごいものを発見: 日本の便所

しかし本当にすごいのは日本語の記事そのものではない。

なんだこりゃ…。"A high-end wireless toilet control panel with 38 buttons (38個のボタンがついたハイエンドなワイヤレス・便器・コントロールパネル)" などという写真の註釈にはもう爆笑するしかない。 日本がトイレ大国だということは知っているが、ここまで世界的に認められていたとは! とくに女性がウンコするときの音をカムフラージュする「音姫」なるマシンが存在するなんつうことははじめて知ったが、 ここまでくるとちょっと頭オカシイと思う。 ちなみに YouTube には日本のトイレがいかにハイテクかを外人が紹介するビデオがいっぱいある。 "Japan Toilet" とかで検索するとわかるよ。 アニメとゲームのつぎはトイレ立国ですよ! たぶんそのうち INAX っていうバンドが登場するね。

どうでもいいけど、各国の 1人あたり公衆便所の割合を示した統計って、 どっかにないのだろうか。日本は文句なしにダントツだと思うが、どれくらい他を引き離しているのかが気になる。 すくなくとも NYC のそれと比べれば東京の公衆トイレ数は 10倍程度じゃあきかないほど多い。 新山はハイテクなトイレのことを「IT便所」っていってるんだけど、 日本に帰るたびに携帯よりもむしろトイレに驚くことが多い。驚くっていうか、「感動する」んだな。 たぶんこの感動は日本に来た外国人とも共有できると思う。

(14:08)
シャシー (chassis) ってフランス語だったんだ?
(15:28)
新山が「身近な人の死」にいちばん最初に立ち会ったのは、7歳のときだった。 そのつぎは 10歳。そのつぎは 19歳。そのつぎは 20歳。そのつぎは21歳。 2歳のときは記憶にないから無視するとしても、けっこうあったもんだなあ。

いま考えてみると、たぶんこの 3年連続の葬儀のせいでオレは電話恐怖症になった。 このときオレは東京にいたのだけど、当時の下宿には新山個人の電話機がなかったので、 電話がかかってくるとだいたい大家さんに取りついでもらっていた。 そして、じっさい電話がかかってくることはほとんどなかったのである。 90年代なのに、トイレ・キッチン共同の下宿で (アパートじゃないんです、ホンモノの「間借り」なんです)、 風呂は銭湯、そして親との連絡は手紙だったからね。 個人的にはこのオールドスタイルな生活がすごく気に入っていた (特に大学ではワークステーションをいじってるというギャップが好きだったんだと思う)。 でも親から電話がかかってくるときは、ほとんど必ず「悪い知らせ」だった。 これはトラウマになりますよね…。

なぜこんなことをいきなり書いたかって? それは

(17:32)
いっけねー
もうこんな時間だ

May 15 [Tue]


(11:36)
やべー、またネボったよ。
(13:26)
知識ベースにはじつは 2つの形態、「事実ベース」と「真実ベース」がある。 この 2つを混同している人が多い。Wikipedia は真実ベースではなく、ただの事実ベースだ。 たとえば、極端な話 Wikipedia には「太陽は東から昇る」とは書けない。 「研究者 A によれば、太陽は東から昇る [1]。」と書かなくてはいけないのだ。 いっぽうで、 「研究者 B によれば、太陽は西から昇る [2]。」と書いてもまったくオッケーである。 したがって、Wikipedia のどの部分を信じるかというのは、結局のところ (ケッキョキ) どちらの出典を信じるかという問題に帰着する。 だから厳密にいえば、Wikipedia をオントロジーとして利用することはできない。 ただし現在の Wikipedia では、ほとんどの人が正しいと思っている考えが一番デカデカと (引用もなしで) 書かれている確率が高いので、 「真実 == ほとんどの人が正しいと思っている考え」という定義を利用するかぎりにおいて、 近似できるだけである。もちろん、真の真実(?) などというものはナイので、 そんなものは探すだけムダだ。しかし出典の数だけを頼りに記述される Wikipedia的「真実」が、 ふつうの人の考える「真実」とは違っている可能性もまた無視できないような気のする。 それは google で一番上に来たサイトがつねに一番正しいか? というのと似たようなもんだ。 Wikipedia では、「真実」は出典の数を被リンク数として機械的に決定されるようなとこがあるからな。

でもよー、Controversial な事柄 (例: 人種間に優劣はあるのか、温暖化は深刻か、味の素は人体に有害か) でこれをやったら明らかにまずいけど、でも、そもそもどこまでが Controversial だとわかるんだ?

統計的言語屋の本:
「87パーセントの人が声に出して読みたい日本語」

ちなみに、新山が声に出して読みたい日本語といえば、だんぜん「ドブロク」だね! どうして世の中の人間は気取った言葉ばかり持ちあげるのか。

May 14 [Mon]


(07:20)
おはようございます[要出典]
(12:48)
おはようございます[要出典]

ところで (てくるで、) あるページを見ていて思ったのだが (新山はめったにこういうページを見ない)、 ネット上で人気が出るためには「読者の対象年齢を中学生ぐらいに」しなければだめなのだな、ということに気づいた。 統計的に大半の読者が中学生か高校生ぐらい (あるいは精神的にそれとほぼ等価な大人) であるということを考えれば、たしかにそうか。そういうページはふつうなんやら気取った タイトルになっているが、真の (深層にある) タイトルは「ちょっと背伸びしたいキミに」とでもいうものになっている。 とりゃーえず今のところオレにゃーそういう文章はかけないなあ、と思って、 しかしそこまでしてネット人気が欲しい人々の心理ってどんなんかしらね。オヤおれは文法的に日本語的に変だぞ。

(13:30)
「ふうん。しかし、そいつは鳥だよ。かわせみというんだ。」
(13:52)
自分のやっていることがいかに意義のある (あるいは楽しい) ものであるか、 そのことを声高に言う人は、たいていの場合もうその仕事に意義を感じていない。
(16:13)
言葉はまったくやさしいものです。

意味 : やさしい :

  1. 易しい
  2. 優しい
  3. やさし-い
(20:19)
グリコから出ている "collon" って、カタルーニャ語で「キ○タマ」って意味らしいよ。 ごめん、下品で。
(23:39)
追記。きょうセキネさんと (またえらく感情的な) 議論をしたのだが、 (新山の中では) 現在の日本の NLP 研究者のなかでいちばんまともなのは京大のサトウ先生である、 という結論になった。サトウ先生の印象についてはすでに こことか ここに書いてるので繰り返さない。 でも、ああいう達観したオヤジっていいよなあ。 それ以外の連中はだいたいヨダレをたらしたガキンチョか、あるいは死にぞこないの年寄かのどちらかだ[要出典] …というわけでもないだろうけど (←フォローのつもり)。 まあ、どのみちオレはもうオサラバする準備を着々と進めているんでドーでもいいんですけど。 好きな方をお選びくださいな。

どうでもいいけどさあ (どうでもよろ)、やっぱ、頭が切れてかつ良心的な人間というのは、いずれ

という選択肢のいずれかをとるしかないんかなあ。 とかね。
(00:29)
またもワラってしまった。

マイクロソフト、Linux が 235個の特許を侵害していると主張

しかしあいかわらず RMS のこの写真が…。これだけで 20秒ぐらいは笑える。こういうのをヤラセっていうんだ。

ところで、どうでもいいが (てくるで、どうでもよろ、) Darl McBride はどうなったんだ? コイツの脳味噌あるいは遺伝子 (いでんこ) が MS に移植されて培養されでもしたか? あるいは再就職? あるいはタイプ 4 クローン? (←「タイプ4」の部分に意味はないが、なんかそうつけるとカッコよさそうなので)

以下、「とくに意味はないが、つけるとなんかカッコよさそうな名詞句」一覧:

さあ、みなさんもご一緒に!

(論文、論文)

May 13 [Sun]


(15:58)
やらせ」の英語訳というのは存在するのだろうか。 media manipulation が近いが、 これはかなり大規模なものを指すような気がする。 どうも動詞 (あるいは行為をあらわす名詞) としての「やらせ」に相当する単語は英語には存在しないんではないか。 「なんとかism」系の単語もない。近いものがあるとすれば sensationalism だけど、 これはやらせとはちょっと違う。あるいは「media bias」という用語が、 かなり「やらせ」に関連しているが、これは行為そのものではない。

もしかすると「やらせ」を独立した概念として扱うのは日本語独自の発想なのかもしれない。 「たてまえ」と似たようなもんかな。実際には米国で「たてまえ」がないかといったら、 そんなことは全然なくて、むしろ米国は「無理にでも人をホメる、アホ賞賛文化」なのだが、 「たてまえ」は賞賛に限らないし、そのものに相当する英語はない。これを独立した概念として切り出すのは 日本独自の発想といえる。

ある抽象化した概念について、それを「他言語にどう翻訳するか」考えてみるというのは けっこう面白い思考実験だ。抽象名詞というのは言語によって微妙にズレがあるので、 翻訳を試みることによって、その言語に固有な「隠された層」を明らかにすることができる。 かもね。

(18:12)
世の中にゃあ、疑問やツッコミを「はげまし」としてとらえる人と、その逆としてとらえる人の 2種類がいる。 ヨノナカにゃあ。
(18:17)
きのうのずつき。Lisp では、condif (あるいは unless) によって、 いちおう「並列的な分岐」と「従属関係のある分岐」を分けることができる。 C の switch もこれに似ているが、不十分。 しかしオレがやりたかったことは、そういうことなのかな。

くっしゃみ

(21:12)
あー、今日はヒドかった。偏頭痛が治ったと思ったら、つぎはカフンショーがすげくて目が真っ赤。 おまけに鼻水が5リットルぐらいでるし。こんなら薬のんどくんだった。もう最悪。

ところでふと思いついたこと:

こいつら、中身はそんなに変わんないと思う。 じっさい、この 2つの会社では研究者レベルの交流はじつはけっこうあるらしいので、 両者がライバルっぽく見えるのは表面上だけである。だいたい Apple だって あんなこといいながら MS としっかり提携してるわけだしね。

(追記) Google … No-evilness through obscurity (隠蔽による『悪さしない主義』) ってのでもいいよ。 うわ、よく考えたらこっちのほうがピッタシって気がしてきた。 しかしこれじゃまったくタダの「いい子ぶりっこ企業」じゃん。 まあ、新山は昔からこの企業にそういう印象を持っていたんだけど。 (註: "昔" … 白亜期のこと)

そういやー IE って <q>〜</q> タグが使えなかったんだね? 知らなかったよ。

May 12 [Sat]


(13:57)
大敵なのは「偶然」だ!
(15:51)
ほわっ ほ
(16:03)
条件分岐で「並立」と「従属」を意味的に表現するというアイデア。 なんとかできないものか?
def func1(x):
  if x == 1:
return sub1(x)
else:
return sub2(x)
上の 2つの return は、 並立である。それは、どちらも内容が等質であるという意味で。ところが
def func2(x):
if probe(): # なんかマズいことが起こった return -1
doit(x) return 0
この最初の return は 「抜け出し」の意味であり、次の return とは意味が異なる。 すくなくともオレはそう表現したい。こういうとき、誤解をなくすためには どういう書き方をするのがいちばんいいか?

プログラミング言語は、このように、より高度な「意味」というか、 プログラマの「意図」を表現できるようになっていくべきだと思うが、 同時にそれの使用をプログラマに強制するのは簡単ではない。 たとえば forwhile の使い分けにしたって、 ヘンテコなことをしようと思えばいくらでもできるのだ。 結局のところ (ケッキョキ、) それは「説明とはなにか」という より本質的な問題に帰着されるんではないか。

(20:20)
麺垂る ディースおーだ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 (mental disorder)

どうして「パリ症候群」という言葉はあるのに「ニューヨーク症候群」はないんだろう。 パリなんかよりニューヨークのほうが全然ヤバいのに! やっぱり、ねえ? アレかしら?? そもそも、日本人のうちで「パリに行きたがる人」と「ニューヨークに行きたがる人」は かなり異なるキャラクターのようの気のする。ヨーロッパ指向の人のほうがなんとなく 精神的に脆弱っぽそうというか (←とーーぜん、偏見)。そういう人が パリのあのバッチさを見たら、たぶんショックを受けちゃうだろうよ。 しかもフランスってのは、裏表の差が異常にハゲしい印象がある。 つまり、空港とか「うわべだけはキレイ」ってのがかなり多いのである。 だから観光地ばっかり行ってると、あれがフランスの平均なのかとカン違いしそうであるが、 実際はすっっっげーーー汚ねえじゃん。はっきりいって、 新山の印象ではニューヨークのほうがまだパリよりもだんぜん清潔だ。 だってパリと違って犬がウンコすればみんなちゃんと掃除するし。 (パリでは誰もそうしているのを見たことがない、あれはたぶん「散歩中に犬のウンコなんか掃除するのは プライドが許さん」って奴が多いんだろう。だからフランス人は嫌いなんだ。)

そういやー、前にパリで乗り換えしたときには入国審査の若僧がフランス語しかしゃべんなかったので オレはずっと日本語を喋っていた。

どうでもいいけど (どうでもよろ) こないだ本屋でビックリしたのだが、 かつて天然系アナウンサーの代表格だった雨宮塔子がいまじゃすっかり 「パリの奥様」みたいな存在になってしまっていて、なんかサンジェルマンみたいな (?) 本を書いていた。 ワーオ。この人は、結局のところ (ケッキョキ) こういう人生がやりたかったんだ? そう考えると笑える。かつて永六輔とラジオで大バカをさらしていたころの自分は 「ウソの自分」だったのかしらね。

ぜんぜん関係ないけど誰か敵性語に関する解説をwikipediaに書いてくれないかなあ。 どうも日本語版は戦時中の記事に弱い傾向がある。

May 11 [Fri]


(14:59)
このオフィスは…寒いです。
(17:09)
これらは、人間だ!
(17:50)
手がつべたいです…。もうカンペンしてくぇと。ね? わかる? わかりける???

おまけに外は夕立ちってるし。ぼうさいあぐ (もう最悪)。 tehse crappiness of whether is the worst of horrid pumpking BBQ loflmao de raadt.

(00:35)
美しい日本語
美しい牛乳

Document ID: 33d9aa23d330d2e3c80cd9096be36b05

Yusuke Shinyama