あなたがこれを読んでいる時は、もう手遅れだ。
…
世の中におけるすべての真実およびウソの集合は、 あなたに足をふみ入れてもらうのを待っている。 じっと口をあけて。
トヨタ車による某事故の、 実際の通話が公開されている。 (トヨタはこれが公開されてようやく動いたらしい。)
「119番です。どうしましたか?」
「いまレクサスに乗ってて…」
「すいません、いま音声が途切れました」
「125番線で北に向かってる…アクセルが固まってるんだ」
「はあ?」
「アクセルが元に戻らない、125番線だ、完全に…」
「125番線を北ですね、いまどこを通過してるんですか?」
「いま通過したのは…おい、いまどこだ? 120マイル (192km/h) 出てる。ミッション・ゴージだ! ヤバいよ、止まらない! ブレーキもきかない…あと半マイルで出口だ…」
「エンジンを止める方法とかないんですか?」
「もうすぐ交差点だ、もうすぐ交差点だ! 待て…つかま…祈るしかない…祈るしか… うわー、うわー (破砕音)」
このようなビデオを見ると、あらためて信頼性の細い鎖というものを考えずにはいられない。 新山は自動車にはまったく興味がないが (そもそも自動車ってどうやって買うのか知らない)、 たとえあるとしてもエンジンより制動装置のほうに興味があるだろう。 それにしても、これは米国産だけに特有の問題だったのだろうか。 いままでの歴史からして、日本人はこういうことに関して自浄作用がなさすぎるので、 あやしいよなあ。
しかし、パニックしてたからなのかもしれないが、彼らはなぜギアを N に入れなかったんだ?
http://www.youtube.com/watch?v=ykwqXuMPsoc
歌詞抄訳:
イッカク、イッカク
海を泳ぐぜ
嵐を巻き起こすぜ
だってイケテルもんね!
イッカク、イッカク
海を泳ぐぜ
まっ白でバカデカ
北極熊だってボコボコだぜ
まるで深海のユニコーン
顔からアチョー!なツノが生えてる
やつらは海のジェダイだ
クトゥルフに喰われるところを助けられたぜ
イッカク、やつらはイッカク
でもアソコだけには触らせるなよ
イッカク、やつらはイッカク
シシカバブーの発明者!
苦労したのは "kick-ass" を「アチョー!な」と訳す部分である。 翻訳エンジンなどでは、これらは "awesome" と同様に「すごい」などと訳されるのであるが、 それじゃこの単語のもつ滑稽なニュアンスが全然伝わってこない。 kick-ass にはもっと「ドカっとしてバキっとした」意味があるのだ…。 awesome にもそういう含みがあるけど、それにしても翻訳って難しいね。
新山の人生における目標は、 なるべく広いダイナミックレンジを持つことです。
…どうでもいいが、「サリンジャー」と「ゴレンジャー」と「バリンジャー隕石孔」は、 どことなく似て非なる者である。
、かもね。
問題はおそらく、新山は自分以外の人間に対していつも 「こいつは少なくともオレと同程度の理解力があるだろう」と 仮定していることである。オレの頭がよすぎるのが悪いのか? いやそんなバカな。実際、ほとんどの人間は新山と同程度の (あるいはそれ以上の) 理解力をもっているのだ。ただしときどきそうでない人がいて、 打ちのめされるというわけ。とはいえ、これも究極的には“お互いさま”なのかもしれないが…。 ある種のことに関してはよく理解する人間も、別のことに関してはてんで頑固で 考え方がこりかたまっててダメというのは、よくあることだ。 しかし理屈ではわかっていても、それでもオレは腹が立っているぞ! ぷんすか。
このようなとき、ひとつの究極的な解決策というのは、 こうしたバカがじつは「人間ではない、なにか別種の生物である」とみなすことだ。 でもそれにはものすごい心理的な抵抗を感じる。新山が バカな人間に対して腹が立つというのは、ある意味、こうした世界観を認めることを 本能的に恐怖/嫌悪していることからくる反応なのかもしれない。 わからん。
どうでもいいけろ (どうでもよろ)、このようなとき、日記を書くことはとてもやく煮立つ。
結局のところ、文化的発信地というのは (今の秋葉原がそうであるかはともかくとして)、 メインストリームにのし上がるか、さもなくば一貫した主張を持たないことには、 悲惨な最期が待っているのかもしれない。カネ目当てのブームが一段落した今では、 秋葉原はボコボコ穴があいて瀕死の状態に見える。 そしてこれは偏見かもしれないが、正直なところ、いま秋葉原に来ている メジャーな客層の人々が、なんらかの一貫した主張をもっているとはとても思えないのだ。 べつに彼らに対してなんの恨みがあるわけでもないが、 連中はただ死体をもとめてうろつくゾンビか、あるいは鈴が鳴ったから来てみるだけの パブロフの犬に見える。まあいまの時代、パブロフの犬は彼らだけじゃないけどね…。
(いかんいかん、また「評論家然とした文章」を書いてしまった)
(追伸) グリコのおまけ収集にはどんな思想があるんだい??
(出典: LCA: Static analysis with GCC plugins)
てくるで、きょうのうれしいことは、前からさがしていた ダニッシュのバタークッキー缶 (398円也) をドンキホーテで見つけ、 おもわず衝動買いしたこと。買ってみたらデンマーク産でなく、ポルトガル産だった。 (しかしそんなの気にしない!)
手作り有限状態機械で字句解析 (ウザいので別ページにしました)
自分の目標は「自分でない何か」になることじゃあないよ。
Liiiiine Pieeeeeece!!! FTW.
(このバカさ加減はそろそろどうにかせねべならない)
…どうでもよろ (ddy)。
いや正直な話、オレにはちっともわからんよ。 だいたい構文解析なんて、今のところロクな使い道ないし (アホな翻訳ソフトを作るくらいか?)。「ウチはこんなクールなことやってます」って言いたいのだろうか? いや、しかしそれすらも外している。なぜなら解析の精度を上げるなんてことは、 要するにカネ (=手間) さえあればどうにでもなる問題だからだ (といっても、ある程度までだけど)。 あるいは「ウチはこんな無駄な手間をかけました」って言いたいのだろうか? ナゾ。 そもそも、ひたすらカネに物を言わせてつくった建物やら、ミサイルやら、 政治家やらが立派に見えるのは、ある意味あったり前なのである。 そんなの面白くもなんともない。物量作戦に頼らずにいいものができるから 「クール」なのじゃん。新しいアイデアは一体どこなのよ? とはいえ、新山のこうした価値観は、どちらかといえば企業向きというより、 大学向き (あるいはナマケ者の人向き!) である。 世の中にはいかにもカネにあかせて作ったようなハデハデなものを見て 「クール!」とかいう奴もいるから、世間の認識というのはそんなもんかもしれないが。
実際には、いかにアホっぽくてラクそうなアイデアでも、 実現するにはけっこうな努力を要する。そして結局すべては徒労に終わるかもしれないのだ。 しかし新山は、できることなら自分の人生を“そういうたぐいのムダ”に使いたいと思っている。 自分の人生は、浪費されるためにあるんだけどね。
しかしこれはまったく油断できない。『変節』という言葉をみて よく思うことは、おそらく多くの人々が、長い年月のうちに 知らずしらずのうちに変節しているということだ。 「なにか衝撃的な体験があって、それから私は金の亡者になりました」というような人は少ない。 むしろ、社会の荒波にもまれているうちに、いつのまにか自分をある考え方へと 押しやっていたというケースが多いように見える。新山はよく口癖で 「自分自身を騙すのは、とっても簡単!」といっているが、これはまさにこのことを表している。 人間は、どんな状況でも自分の行為を正当化できるような理屈を考え出す能力をもっている。 ある意味これは脳内麻薬みたいなもんだ。なので、つねに自分の立ち位置をチェックして 「うん、オレは流されていないな」と確認していないと、麻薬の波にのまれてしまう人はとっても多い。
あんたのことをいっているんですよ。
(追伸) 俺は正しい。俺はいつだってつねに正しい。俺は絶対間違ってない。俺は正しいのだ俺は正しいのだ俺は正しいのだ俺
他人の頭の中の声が推測できてしまうのは、オレの才能か、はたまた統合失調症か。
(註*) ↑この人、風呂上がりにはときどきこうなります。
(註**) ↑これは本当の註なのか。フリをしているだけなんじゃないのか。
} while (1);
でも明日のパンがない。またオートミールになてしまう。
そして以前に書こうと思っていたことをすっかり忘れていta。
しかし、たかが数キロバイトのプログラムなのに、慣れてないと けっこう時間がかかる。だいぶ核心に近づいてきたと思うのだが、 まだ肝心のところがわかってない。なんか構造体っぽいものを操作しているようなのだが…。 きょうはメシもくわずに解析に没入し、 気がついたら目まいがする状態になっていた。こういうのはよくない。andeq r0, r0, r0
(ついしん)
思うに、逆アセンブルによる解析の楽しさというのは、
ヒエログリフの解読と似ているかもしれない。バイナリの中ではコードも
データも一緒くたになっているために (といっても文字列などは通常別セグメントに分けてあるが)、
一見すると雑然とした数値の羅列に見える。しかしこれは人間が書いたのだから
「そこに意味がある」ことはわかっているのだ。ある意味、これダケの確信をたよりに解析をすすめていく。
そこから「これはアドレスではないか?」「この部分は else 節ではないか?」などと仮説をたて、
検証することによって、徐々にコードの中に「意味」を作りだしていく。
鍵となる判断基準はその一貫性だ。きょう新山が作業したコードはシンボルテーブルも失われているので、
ほんとにただの数値の羅列に近かった。しかしそのうち慣れてくると、だんだんどこがコードで
どこがデータであるか、わかるようになってくる。こういう楽しさには独特なものがある。
新山はその昔 Z80のダンプリストをそのまま読んでいた世代だが
(いまとなっては 3E
, AF
, 21
, CD
, C9
, 18
,
そして ED 79
ぐらいしか覚えてない)、最近はもっぱらソースコードレベル、あるいは
もっと上のモジュールレベルでの「意味」ばかりやっており、思えば
だいぶ甘やかされたもんだ。しかしたまにはこういう世界に入りこんでみるのもいいよ。
(毎日はイヤですケド)
(追伸) "haiti earthquake" で検索すると、関連項目として "pat robertson" が表示されるのには笑った。ほかにも "yele haiti" とか…。 たしかに最新のホットな(?)話題であることに変わりはないが、 こんなドーでもいいことで盛り上がってるのを見ると、 じつは米国もハイチなんかどうでもいいと思ってんじゃないか、と思えてくる。
そもそも、なんで日本語版のwikipediaの品質は 英語版にくらべてこれほどまでに低い (といっても英語にもクズ記事はあるけど) のかといったら、 その原因はネットに積極的に書きこむような人口の年齢層がまだまだ米国などに比べて低いからだと思う。 ようするに、日本でウィキッペに書くようなのは、基本的に子供か、あるいは 他人と協議するのに慣れてない大人 (新山の定義では、やはり子供) の どちらかである。自分の意見と事実の区別がつかない連中は米国にも沢山いるが、 日本人の典型的な問題は「(意見の違う) 他人と冷静に話し合うことができない」ところにある。 これは日本にきている外国人からもよく「なんで日本人は、あんなに交渉が下手なのか?」 と言われるからなあ。残念ながら、この手の傾向は今後もしばらく (数十年といったレベルで) 続くだろうよ。もしかすると永久に続くかもしれない。 だとしたら、まあ「まともな(オンライン上での)議論」というものを見るためだけにでも、 英語を学ぶ価値はあるかもしれないね…。
しかし新山はこれもかなり怪しいと思っている。 なぜなら言語の能力と、この手の社会的な能力は別物であるので、 たとえ英語を知っていたとしても、外国人相手に「じゃぱにーず・かるちゃー・いず・ぐれーと!」 みたいな内容のことしか喋れない人間になるかもしれない (英会話喫茶に行ってみれば、そういう日本人はざらにいる)。 結局、日本人であることの劣等感が原因なのかもなあ。しかしいっぽうで、 米国に行ってみれば、米国人であることに罪悪感を感じている暇なベジタリアンな人々 (PETA とか Greenpeace とかに入りたがる部類) が結構いそうなので (とくにロサンゼルスあたりは多そう)、 それはそれで問題である。世の中、つくづくあちらを立てれば、こちらが立たずですね…。
真のコンピュータセキュリティとは何か? 究極的には、 コンピュータセキュリティとは「コンピュータを守る」ものではなく、 「生活を守る」ものでなければならないと思う。 だとすると、はっきりいって「コンピュータの」セキュリティという 問題だけを分離して考えるのはなんかウソくさい。むしろ、コンピュータがぶっこわれて一切動かなくなって、 それでもまだ日常生活を (なんとか) 続けられるような状態 - それこそが真の“セキュリティ”だと思うからである。 ただしそれを「コンピュータ」セキュリティと呼ぶかどうかは疑わしいが、とにかく セキュリティが分割不可能な問題であることはたしかだ。だからある意味、 「コンピュータのセキュリティ」の中には「なるべくコンピュータを使わずにすませる」という 目的が入っている。さらに、これよりもっと広範囲な対象として、電気や水道のセキュリティがある。 さすがに電気や水道がなくなったらかなり困るけど、それでも「いざ電気や水道がなくなっても 数日間は死なないようにすること」が真のセキュリティであるように思う。そう考えていくと、 新山の考えているセキュリティというのは「サバイバル」的な要素をふくむ。 新山は情報の検閲には反対だが、情報を他人の検閲から守ることがイコール「安全」なのか? といえば、実はそれははっきりしていない。新山は、社会にとって「よい (それがどんな意味であれ)」から プライバシーが重要だと思ってるわけじゃない。単に「オレはそのほうが好き」だから そう思ってるだけだ。新山にとって、プライバシーとは 「権利」じゃなくて「個人の勝手な希望」にすぎないように思える。 (なぜなら、中国は政府が情報を検閲することこそ社会の安定に必要だ、 というのだから。そして実際、科学的には彼らのほうが正しいかもしれないのだから。)
「侵入」とか「攻撃」とかいう用語は、狭義の“コンピュータセキュリティ”の分野で
使っているときのみ正確に定義できる。たとえば暗号化通信で暗号が解読されたら、それは
(どんな親切心からであっても) 技術的には“攻撃 (attack)
”とみなされる。
しかしここでの“攻撃
”という用語には、価値判断が入っていない。だがそれ以外の文脈ではどうなのか?
googleは、こうした技術的な“侵入
”とか“攻撃
”という用語と、もっと一般的な意味での
(価値判断が入った) 「攻撃」という単語を、一般人が区別できないのを承知の上で、
あえて意図的に混同させて使っているように思える。中国政府からしてみれば、
googleのほうこそ国内に「侵入」してきたとも言えるわけだから、価値判断を考慮すれば
どっちも「正義」なんかじゃなくて、ただお互いの利害が衝突しているだけにすぎない。
しかもgoogleは意味の二股をかけているので、ただの技術用語を使っているのに、
あたかも「悪いのは中国」であるという印象を
相手に与えることができる。まあ実際、中国は悪そうだが、googleのこうした微妙な印象操作も
けっこうイヤらしい。だいたい google 自身だって、どれだけ個人情報を取得して
その説明責任を果たしているのか疑わしいんだから。ようするに
彼らのモットーというのは "Don't be evil." ではなくて、
"Don't be considered evil." なのね…。
それって、中国 (とか米国とか日本とか、世界のほとんどの国) と同じだよ。
ちなみに、「自由と民主主義を実現すれば平和で豊かな社会が実現するはずだ」とかいってる人々は、 ボスニアやいまの中東やアフガニスタンの状況をどう思ってるんだろう。 こういう現状をみると、じつは自由や民主主義は単なるツールであって、 目的ではないのかもしれない、という考えにも一理あるような気がしてくる。 どのみち人生の目的なんてワケのわからんものさ (少なくとも新山にとっては、 それは電波に囲まれた領域に存在している)。
どうでもよくないが (ddy)、新山はいつもなんとなく、 「火事や地震などの災害は万人に等しく起こりうる」と考えがちである。 しかし、実際には『金持ちは死なない』という確固とした 傾向があって、災害で死ぬ確率はかなりの割合で「貧乏度」に依存しているという話を聞いた。 神戸のときは知らないけど、ニューオリンズなんかではまさにそういう統計が得られたらしい。 まあ、そう言われてみりゃ、中野区にもいまだに木造モルタルの、 いかにも火事が起きたらヤバそうなアパートなんかがあって、 ああいうところに金持ちは住まなそうだもんな…。 ま、新山が今いるアパートも似たようなもんだが!
…どうでもいいけど、まえに Ulrich Drepper の評判を紹介したが、この世には
Jörg Schilling賞ってのがあるらしい。
別名“すでに普及したあとで勝手にライセンスをGPL非互換なのに変えちゃったよ”賞である。
そういえばオレも聞いたことがある…往年の cdrecord
や mkisofs
といった
コマンドを実行してみれば、作者にこいつの名前が挙がっているのを見ることができるだろう。
しかし最近の Debian (とUbuntu) では、mkisofs
というコマンドはもう存在しない (エイリアスとしてはあるけど)。
かわりに genisoimage
というコマンドになってるのだ。Debian は
このライセンス変更を受けて、cdrkit という別プロジェクトに fork させたからである。
連中はこれでかなり煮え湯を飲まされたらしい。LWN では
「Jörgのプライドは今後どうなるの?」
などといったアホなヤジ馬議論が白熱してる。しかし、正直なところ
OSS 関連のゴシップにはうんざりだ。はっきりいって、
これよりもJay と Conan の戦いのほうがはるかにおもしろいね。
(ちなみに、新山はどっちも嫌いである)
註: 真に言い訳のうまい人は、誰もそのウマサを理解してくれない。
(ついしん) あんまり関係ないが、 google は PDF reader を javascript で書くべきだと思う、本当に。 Pythonでできんだからjsでもできんだろ…
(さらについしん) wikileaks って最近止まってんのね。
Hon-kawagoe
" と書かれているのをみて
"Hoge
" と読んでしまうオレはばかだろうか。
…ある人の現実認識が、どこで「途切れている」かを見るのは ときに楽しく、ときに哀しくもある。まあそれが人生ってことで。
(一体オレハナニヲ大人みたいナくちノきき方ヲしていルノダか??)
ちなみに今年の抱負は、味噌が切れかけているので買うことと、 コンロ回りの掃除をすること、それから目医者に行くことです。
タイガー・ウッズが仏教徒だということはあまり知られていないが、 米国ではあるおバカなニュースキャスター (より正確にいえば Brit Hume) が 「彼はキリスト教に転向すれば許される」 とかいいだした。
あるいは、別の質問でいえば、Fox ってなんでいつもこうなのか?
日本のように、手術で一週間入院しても合計10万円もかからないような国にいると (まあ、手術によりますが) 想像できないが、アメリカの医療はバカ高いうえに 効率も悪い。これを改革できるかどうかがオバマに課せられた 最も重い試練であるとされている。で、これをめぐって人々の意見はまっぷたつに割れている:
この番組はヴァージニア州リッチモンドで、実際に医療が受けられずに 困難に直面している人々を取材しているが、アメリカで 驚くのはこうした人々 (貧乏人) の中でもまだ公的保険に反対している人々がいることだ。
シンシア・ローゼン。50代、教師、乳がん治療中、私的保険加入。 民主党支持者で公的保険に賛成。… 「いまの健康保険は職場で加入している。乳がん歴があるので、もしいま仕事をやめたら もう個人として私的保険に入りなおすのはほとんど無理。このまま仕事をつづけるしかない。 企業としての保険会社の目標は利益だけ。 私たちのほとんどは、ホームレスから“1病気分”だけしか離れていない」
エド・サーワン。58歳、もと設備業者だが現在無職で、いまは一家まるごと健康保険なし。 共和党支持者で公的保険に反対。… 「健康保険のためだけに合衆国憲法が決めた自由を捨てられるかい? ノーだね。ただ数カ月間、保険がないのを我慢すればいいだけだ。 ヨーロッパの国々がもう何十年も公的な健康保険をやってることは知ってるがね、 我々アメリカは個人主義だから、自分のことは自分でやるんだ。 政府のお世話にはならない。だからといって自分がガンにならないという訳ではないよ。 早く次の仕事を見つけなければ (家族のためにも) まずいということはわかっている。 しかしそれが責任というものさ」
トマス・デイビー。33歳。 先天性な持病があり、肺移植をしている。生涯、大量の薬を飲みつづけないと生きられない。 公的保険に反対。…「Medicare (米国唯一の高齢者・障害者向け公的保険) は肺移植に保険を認めなかったが、 おれが入っている私的保険は認めてくれた。私的保険も悪いもんじゃないよ。 もしすべてが公的保険になったら、医学的な見地からより、お役所の予算で治療方法が決められそうだ。 日々の生活でも、政府のサービスと私企業のサービスがあったら、間違いなく企業のほうに行くね。 なぜなら彼らはいいサービスを提供しようと競争してる人達なんだから」
この手の“保守的な”アメリカ人と個人的に話をしたことがないので (NY, NJ あたりではみんなリベラルが多かったし、日本に来るようなアメリカ人も 基本的にはリベラルが多い)、彼らの考え方がどういうふうに矛盾してないのか 新山は知らない。 「国が医療をやるなんていうのは、社会主義 (socialism) への第一歩だ」というが …なんで道路をつくったり軍隊を拡張したするのは OK で、医療はダメなのか? そもそも、「社会主義」の意味するものは何か? 慈善事業だけで医療は成り立つもんなのか? といって、公的保険がどんなときにも常にいいとも言えないだろうけど…。
とにかく、自分はこの手の心配をほとんどしなくていい状態で幸運である、とは言える。
"Don't Repeat Yourself."
じゃ、DRYSの原則って知ってる??
"Do Repeat Yourself Sometimes."
…これまた意味論の話になるが、たとえば
X; A;
X; B;
X;
が、
じつは P; Q;
と分割できたとする。
しかし Q;
は必ずしも a., b. の両方に必須の処理ではなく、
いま現在、たまたま a., b. で同じことをしているだけかもしれない。
このようなときは、逆にこれを展開して
P; Q; A;
P; Q; B;
2つの処理をまとめたほうがよい時というのは、 それらが、先験的に同じものである時だけだ。 2つの処理が偶然、同じである時には、 むしろくり返したほうがよい場合もある。
なんでも原則にしてしまうと、何にもなくなりますね。
つーか、もはや「文」と「理」になんの関係があるんだ? ここまできたら、「Type A のバカ」と「Type B のバカ」とでも呼んだほうがいいようの気のする。 あるいは業界標準。
おわまい。
忙しくて曜日を忘れるという話は聞いたことがあるが、 季節を忘れるとはね。
さいきん思うこと。 良いことはみんなハードの性能のせいにされ、 悪いことはみなソフトのバグのせいにされる。 あるいはその逆。
#!/bin/sh ( /bin/echo -ne '\037\0213\010\0\0\0\0\0' ; cat "$@" ) | gzip -dc 2>/dev/null
どうでもいいけろ (どうでもよろ、DDY) 新山はいまだに「圧縮」の対義語として“解凍”という言葉を使っている。 なぜってこれ“展開”とか“新潮”よりも言いやすいじゃん。 まあいいけど。ddy.
しかしtar用語ではほんらい "expand" ではなくて "extract" というんだよな。 ちなみに "compress" ←→ "decompress" のように、 "de-" をつけることにより 逆の動作を表せるのは英語の便利な特徴である。特徴だる。
いまふと思ったこと。新山のコードの書き方は、 画面の大きさにかなり影響される (go for 「視覚的プログラミング」, men)。 なるべく画面で一度に把握できるように書くので、関数やメソッドの長さが それ相応になるような設計・構造になるらしい。なんてこっ田。
Document ID: 3c3b14dc199289875b858aba9f99659d
Yusuke Shinyama