test update
ついにオレもコレステロールを下げる薬なぞの お世話になる年齢になってしまったということで、 たいへんに感慨深い。
それにしても早く夏が終わらないかな。 毎年、この時期はテンションが落ちて困るよ。 まあ、理想的な解決策は東京に住まないことなんだけど…
暑い暑い暑暑い暑いい暑い暑
ところで話は変わるけど、サブカルっぽい「お洒落な」場所 (まあ具体的には蔦屋書店など) に行くと毒気に当てられるのはオレだけだろうか。 おそらく毒は「お洒落」の部分ではなく「資本主義まるだし」な部分である。 ああいう空間を何も考えずモルモットのようにすたすた歩き回れる被験者の人々を、 新山は理解しがたい。まあ、だから今だにこんなことやってんだろうけど。
それにしても久しぶりに emacs + skk 使うと落ちつく。ふー
ですよ!
Seriously, 「どこでも使えるメモ」がほしい。 それは文字通り、どこでも使えて、電池不要で、とうぜん 防水かつ軽量で、電車の中でも風呂場でも寝るときも携帯できるやつだ。 そんなものは SF の中にしかないように思える。
日記以外にも個人的なメモが必要な場合は山のようにある。 よくあるのは、なにかアイデアを思いついたときか、 「あーこれを検索しなきゃ」「この Youtube動画を子供に見せなきゃ」 等々の状況である。ホントに、これまでいくつのアイデアを忘却してるんだオレは。 しかし、もしそれらを本当に覚えていたら絶対に時間が足りないかもしんんない。 (誤字修正せず
移動中。 疲れていてアホなことしかできないので、 しょうがなく日記でも書いてみるかという気分になる。
あらためて思うのだが、やはりこういうのは書こうという気分になったときに すぐに書けなければダメだ。「あとで覚えておいて書こう」とかいうのは 絶対無理。まず「あと」の時点では書くことをたいてい忘れているし、 そもそも夜中に家族が寝静まってから書こうとしてみても、 ほとんどやる気が残ってない。
それにしても自分は最近、職場で「大学の先生っぽい」と言われるのだが、 これが何やら異様に複雑である:
世間はわかってくれないもんよ。
あー眠い。東京に着くまでまだ1時間近くある。寝るか
つーかもういいかげんにやめようca? ログインしてないと見れないって本当に非便利。もー。 しかし、他に使いやすい公開ブックマークがない。 mstdn? 結局は「一部の大金持ちの善意を信頼するか、 あるいは烏合の衆の善意の持続性を信頼するか」 って話になる。難しい選択だ。
最近自分の子供のことしか書いてないような気がするが、 彼は (新山が覚えているかぎり) 父親よりかなり社交的である。 今日も公園にやってきた、自分と年齢が近そうな (とはいっても ターゲットは 7歳ぐらいまでらしく、かなり広いけど) 子供に しきりにアプローチしていた。どちらも相手の反応はつれなかったけど。 それを見て、オレにもこんな時期があったっけなあ、と思ってしまった。 もしかすると彼はまだ人からひどいことをされた経験があまりないので こういう行動をとるんかもしれないが、彼自身の気質という気もする。 まあとりあえずここに書いておこう。
p.s. 最近、趣味で Slack アプリを作っている。ちなみにもう完成した。
仕事で macOS を使いだしてほぼ1年近くになるが、 さいきん Windows の微妙な安っぽさが気になってきた。 具体的には、解像度の異なるディスプレイをつなげたときの 拡大率の自動調整がヘボかったり、キーボードのバックライト調整が これまた微妙に下手だったりする。まあ安いから仕方ないかも…。 正直、UI は Windows のほうがなにかと軽くて好きなのだが、 それでも macOS に慣れてしまい、コピーしようとして "Alt+C" などと 押してしまうのは腹立たしい。ぷんすか どうでもいい話題だな
さらにどうでもいい話題だが (どうでもyr)、 最近けっこうモノを書いておるのです。 この日記に書いているアホな文章よりも数百倍もまともな文章である (にもかかわらず、なんとなく新山臭さが出てしまっているのが笑える)。 最近、プログラミングをするのと技術文書を書くのでは、どっちが楽しいのか? と真面目に考えるようになった。もちろん技術文書のほうが断然に難しいのだが、 それゆえに面白いのだ。 プログラムは多少読みづらくても計算機が実行してくれるが、 日本語に少しでも意味不明な部分があったら読者はたちまち道に迷う。 業務でやるプログラミングは、これはこれで楽しいのだが、 基本的に日がな一日、数独をやっているような感じだ。 やっていることは毎回あまり変わらず、 glorified CRUD を作っているだけである (研究の実装でやるプログラミングはまたかなり違う)。 これに対して技術文書はテーマが違うと毎回さまざまなチャレンジがある。 やっぱりオレは「教える君」なのかもしれない。
自由と民主主義。
実はそんなことよりも、暑くて眠れないのが問題。
本来はこのようなタイミングで、いろいろなことについて 何やら意見など書きつけてみればよいはずだが (そしてそのような意見はいくらでも出てくるはずだが)、 残念ながらぜんぜんそんな気分にはならない。
自分の日記をあらためて見直してみると、大学勤務時代 (2020〜2022) に ほとんど書けていなかったのはやはり理由があったのだろう。 このときのほうが圧倒的に時間があった (独り身だったし) のだが、 なぜか妻子もちの今のほうが精神的にゆとりがあるらしい。 おかしなもんだ。
この歳にしてようやく emacs lisp で日付を扱う方法を知りました。 つうか emacs に関してはもう新しいことを覚えたくない。
いつか書こうと思っていたが、なんとなく時間が過ぎ去っていた。 実をいえば、東工大のことは結構どうでもいいと思っている。 正直なところ、勤めていたころからそう思っていた。 さらにいえば、学生のときから「パッとしない大学だなあ」と思っていた。 東工大をすごいと思っていたのは高校生・浪人生のときだけだ。 基本的に学生も教員も「優秀だし勤勉ではあるが、 ひたすら現状維持かつ事なかれ主義」という大学なので、 学長が保身をかえりみず賭けに出たのは大したもんだと思うが、 それでも結局「予算をゲットすること」以上のビジョンを 提供することはできなかった、ように見える。 本当、どうでもいいよね。 東工大にはいろいろガッカリさせられてきたが、 もういいかげんガッカリも底をついたところで大学自体もなくなって、 ある意味ではキレイにお別れできそうである。
なんというか、東工大にはあまり帰属意識がないんだよな。 といって、NYU に帰属意識があるかといえば、それもまた微妙である。 新山は基本的に、組織にあまり帰属しないタイプの人間なのかもしれない。 まあそゆこと。
このあいだ、へれんと再会した。 彼女とは NY を去ってから一度も会っていなかった。つまり約15年ぶりぐらいだ。 今回は日本の某学会にゲストスピーカーとして呼ばれたらしい。 彼女は某米国有名大学の教授になっており、かなり出世した感があるが、 あいかわらず小柄なわりには無茶ぶりで、つねに取り散らかっている 感じは変わっていない。つまりほぼ昔のへれんそのままである。 ちなみに彼女の旦那は少女のように繊細な感覚をもった大男で、 新山は学生時代から2人を知っているが、外見も中身もまったくの 凸凹コンビでおもしろい。
その日は朝から彼女が泊まっている日本橋のホテルまで行き、 そのあと秋葉原 → 上野 → 合羽橋経由で浅草まで歩いた。 道すがら、彼女が自分の身の上をずっと喋りつづけており、新山はもっぱら 「ほー」という程度である。いま考えると結構な距離を歩いており、 しかも途中でにわか雨に降られたりして結構な行程だったが、 彼女はケロっとしていた。オレはそのあと午後に会社へ行ったが、汗だく。 気づけば2人とももう「年寄り」の域になっているが、へれん曰く 「あんたまだ髪も黒いしシワがないじゃない! なんかスキンケアやってんの? あたしはもう染めてるのよ」ということで、彼女のほうが年齢を感じているらしい。 そういうこった。
これまで rsyncで同期していたこの日記を、gitで管理するようにした。 といってもサーバに 1行 hook を入れただけの超お手軽システムだけど。 まあいいや。