結局、紙だろうとオンラインだろうと日記を書く時間がない。
きのうは朝から息子と二人で図書館へ行き、 その後近くのすき家で3人で待ち合わせして 「なんでも好きなもん頼めや!」とか言いつつ昼飯を食い、 夕方にはまた息子と散歩して新幹線を見た。 Low-key な1日だったが、 人生の幸せとはこういうものなんだろうと思う。 そんだけ
(句点は意図的に入れず)
日記を買った。それも、日記帳を。 実はこれは微妙にウソで、実際には「TODOメモ」なるものを買ったのだ。 Loftで360円也。じつは100均ノートでよかったんではないかと微妙に思っているが 260円分だけ「やる気のあるところを見せた」ということだろう。 それにしても世の中の日記はなぜあんなに高いのだか、 そしてなぜ「手帳」にそれほどこだわる人々がいるのか、 新山には、理解しがたい。 紙メディアの記録が重宝するというのには同意。 でも、なぜあれほど形にこだわるのか? そしてあれだけの種類と値段。謎。
超どうでもいい話だが (どうでもよろ)、 自分は都営地下鉄にある「チカッ都ビジョン」という 車内ディスプレイが好きである。別に内容はどうでもいいのだが (どうでもよろ)、 主に名前が。というか名前だけが、好きである。 この絶妙なバカっぽさを考えた人はいいセンスしてると思う。 (あくまで新山的には。)
しかし 1枠15秒で 50万円かあ。
何かを「どうでもいい (ddi)」と思ったら人生終わりだ。 世の中は、どうでもよくないことで溢れ返っている。 「どうでも」を恐れよ。「どうでも」を軽視するな。 それはよくない! bleah.
ふと思い出した。 このくだらぬサイトを始めてはや十数年。 そもそもの目的は、このページの上に書かれていた。
以下あらためて写経すると...
いま読み直しても、カンペキな目標だ。 何も変えるべきところはない。