あーもうね。
ここに生活のグチを書きたくないのだが (いや実際、自分の人生はものすごく恵まれていると思っている)、 まあ書くぞ。5年ぐらい前と比べると、最近どうも頭がボヤけてきたと感じる。 それはいわゆる「記憶力が低下した」的な老化のたぐいではなくて (それも当然あるだろうけど)、 「最近、全然エッジぃなわけわかんないことに触れなくなったので、 頭が凡人化してきた」ということである。 具体的には
ps. ああ、それから最近 Linux をゼロからインストールしてない、これもm
COVID以降、まだ一度も海外へ行っていない。 おまけに結婚し、子供もできてしまったので、 「一人で気ままに海外旅行」なんてのはもう到底できないだろう。 しかし、あいかわらず自分にとって興奮するのは 「海外の見知らぬ場所に行くこと」なんだな。 別に一人でなくてもいいや。
こないだ発見 (いや、耳で聞いたから、発聞?) したのだが、 山手線で新橋にさしかかるとき、車内アナウンスでは 「次の停車駅は、しんばし」というイントネーションなのだが、 浜松町ホームで流れるアナウンスでは、 「次の停車駅は、しんばし」といっている。 これが気になって仕方がない。どっちかに統一しろ、JR東日本。
そういえば、こないだ久しぶりにオリンピックをみた。 まだやってたんだ? そして (不本意にも?) 見世物としてはたしかに面白いなと思った。 が、正直これほど大騒ぎする価値があるんか。 スポーツと学術研究はある意味で似ている。 どちらも趣味でやるぶんには結構だが、資金が必要となってくると、 余裕のある社会から「施し」をめぐんでもらわないと成り立たない。 そしてどちらも、究極的には世の中の役に立たない。 (まれに役立つ研究もあるだろうけど、 そんなの全体のごくわずかでしょうよ。) あえて世間的な意義を挙げるとすれば…見世物ぐらいだ。 なので、新山は学術研究も「見世物」としての意義が一番大きいと思っている。 しかしそう思っている研究者はあまりいないようだ。 なんでだろ
あーもう、たまにはバカな日記でも書かないとやってられないよな。
先週、義理のばあちゃん (つまり、息子の曾祖母) の葬式にいった。 ほとんど知らない人ばかりだった。まあ当然なんだけど。 その人は兄弟姉妹が多いので、いわゆる「はとこ」と呼ばれる人々が 沢山集結したことになる。こういう「義理の親戚」が結婚すると いきなり50人ぐらいできるというのは予想してなかったことだ。 ちなみに葬儀そのものは新山家のそれと宗旨が同じこともあり、 なんとなく見慣れた印象。ただし火葬の方法は地域差がある。 もうこの話はおしまい。バカな話を書くんだった
きのう考えたアイデアとは 「ヒゲのじょりじょりが最も痛くなる長さはどれくらいか」 ということなのだ。つまり最痛点だな。 以下の図だあるよ。
我ながらすばらしい論文のネタになりそうな話だ。