秋葉原にある某Nゲージのショールームに息子を連れて行ったあと、 お茶の水で丸の内線を見てハンバーガーを食し、総武線に乗って帰ってきた。 せっかく座席が空いていたのに、うちの息子はあいかわらず車掌室が見たいと主張し、 前に立ってひたすら車掌室をのぞきこんでいたが、 四ツ谷あたりでいきなりその若い車掌がドアから車内に入ってきて、息子になにやらカードを 渡して出ていった。見るとJRの電車が書かれた非売品カードである。 JRはときどき子供にこのようなファンサービスをする。 前にも東京駅で新幹線を見ていたら、いかにもエラそうな年配の駅員が お付きの者2名とともに巡回してきて、息子を見るとシールを渡して去っていった。 そこには「また来てね! JR東日本 東京駅長」と書かれており、つまりあれも駅長の仕事だったことになる。 この戦略はうまくいってるのか? わからんが、まあいいや。
なるものに父兄として参加した。 そして新山はこの手のものが大変に苦手であることがわかった。 なにって、この「やらされてる感」が苦痛でしょうがない。 園児もやらされてるし、先生もやらされてるし、 そして親も…あれを本気で楽しんでる親っているのか? いや、いるのかもしれない。ベスト撮影スポットを求めて かけずり回っている親々を見ると、彼らは本当にやりたいのかもしれない。 しかしそれも妙な義務感かもしれず、ようするに「本音では誰も楽しんでないイベント」なのに 開催され続けてるのだ。そしてもうひとつイヤなのが 「協調性」「がんばりました」をしきりに強調する風潮である。 日本人のマインドセットはここ100年ぐらい変化してないんだな、と。
ふとそう思っただけ。
新山は子供のころから、いわゆる「ヒーローもの」が嫌いで、TVでもほとんど見たことがなかった。 なんでかっていうと…あの「おどろおどろしい演出」がイヤだったのである。 ただ単に怖かったからかもしれない。今でもヒーローものは嫌いだし、子供にも見せていない。 しかし昨日は夢の中で、なぜか「スペース大納言」という戦隊モノ? のような番組が登場し、 影山ヒロノブ調の声で 「♪ダイナゴ〜ン ♪ダイナゴ〜ン ♪ダイ、ダイ、ダイナゴ〜ン〜」 という歌が流れていたのを覚えている。そんなんあるか? なぞ
英語で "don't get me started" という表現があるが、 「終わってる人」ではなく「始まっちゃってる人」と呼んだらどうか。
よく言葉は道具だという人がいるが、 服と同じで、長年それを着続けていると言語は自分の アイデンティティと同一化してくる。そういうこと。
AI がいろいろなものの代用に使われる時代において、 家族を持てるというのは贅沢なんかもしれない。