2009/4 (a)

Last Modified: Sun Apr 26 17:36:49 JST 2009

今月の反省: 「夜型」というところで、うっかり「夜用」と言ってはならない。

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(17:34)
reStructuredText について。 こいつを好きになろうとしばらく努力してみたが、やーめた。 これを使えば実装はすでにあるのでいいと思ったのだが、 “Wikipedia記法”に慣れてしまった新山にとっては、もはやほかの形式は受け入れがたい。 簡易mediawikiパーザとでもいうものを作ったほうがいいや。 以上

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(09:35)
いつのまにか今日も雨。洗濯は明日にすっか。

てくるで、新山はマスコミが嫌いだが、マスコミ自体はよくも悪くもない。 これは「なんでも拡大してしまう」という機能をもつ。 マスコミにかかると良いことは 100倍ぐらい良く見え、 悪いことは 10000倍ぐらい悪く見えるようになる。 全体像の把握という意味では、個人の偏り方もマスコミの偏り方もあまり差がないので たいして役に立たない。ようするに、これもまた機械のようなもんなのだ。 だから善悪を言うのはあまり意味がない。使い方が問題なぬである。

(11:18)
新山はだいぶ前に親に縫ってもらった布団カバーをずっと使っているが、 きょうはそのファスナーが生地を喰ってしまい、はずすのに 30分ちかくかかった。 ムカーーーーーっ!!

ちなみに、このカバーはたぶんカレコレ15年ぐらい使っていると思う。 米国にも持っていって使っていた。

ところで「カレコレ」って何語??

(18:14)
そういえば、3年くらい前に youtube で見つけて大笑いして以来、 ずっと行方不明になっていた動画があった。 これ。 こういうシュールなのが好きなので。 つぎの会話だけでも十分笑える:

Carl 「スティーブ?」
Steve 「カール…」
Carl 「やあスティーブ、元気かい?」
Steve 「ここで会うとはな」
Carl 「ああ。それで、ここへは休暇か何かで来てるのかい? それとも…」
Steve 「いやいや、ただ静かな時間をすごしてるのさ」
Carl 「それで奥さんと子供は? 元気か?」
Steve 「おかげさまでな」
Carl 「そうかい」
Steve 「…」
Carl 「じゃ、そういうことで…」
Steve 「くーらえ!! (ドスっ)」

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(07:41)
M.T.T. = 桃太郎トマト

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(07:52)
こんなのあるんだ、 ステルス戦闘機 F-35 の C++コーディング規範。 どうやらこの戦闘機の制御コードは C++ で書かれてるらしい。全部で218個あるルールをみると、たいていはごく常識的なものばかりである (AV Rule 88 などはかなり長いけど)。でも、これはバグを少なくするための規約というよりは 「どこでコンパイルしても同じように走る」程度の要求を満たすにすぎない。 ちなみに自動車業界では MISRA C という C のコーディング規範があるが、これも似たようなもの (JSF AV C++規範も MISRA C を参考にしたと書いてある)。 まあ、頑張ってチョーダイ。はっきりいって、このように表層的な基準だけで バグの入りにくいコードが書けるとはまったく思えない。ほんとうのキモは設計にあり、 しかも、それをどのように日常的な言葉で記述できるような体系につくりあげるかが重要だと思うのだがそれを書くにはまだ自分自身考えがまとまっていないしこの余白はそういう目的にはせますぎる。

てくるで、新しく見つかった udev の脆弱性はかなり深刻らしいね。

(21:56)
きのう環境問題のことを書いたら、今日は alJazeeraEnglish の このニュース をみつけた。 いわく、インドネシアでは水銀中毒になる人が急増している。 水銀を使うと個人でも簡単に金が分離できるのだそうな。動画をみるとわかるけど、 多くの個人採掘者 (彼らの労働環境は劣悪であり、決してリッチではない) は その危険をまったく知らずに、素手で水銀を扱っている。 水銀は神経毒であり、皮膚からも吸収され、じょじょに体内に蓄積していく。 このように長期にわたってゆっくりと水銀中毒になった症例は医学的にも まだわかっていないことが多く、診断もむずかしい。 …さて、過去にこのような大規模な水銀中毒を起こした世界的にも有名なケースがあり、 それは Minamata disease と呼ばれている。 ちなみに熊本大のウェブサイトにある資料は、 一般向けに書かれていてわかりやすく、ぜひとも読む価値がある。 つうわけで、新山の中では、熊本大ってのはやたらと印象がいい (知りあいはいないけど!)。

Oh by the way、熊本大チームの調査が終わったあとにやってきて、わずか数日のテキトーな調査で 「原因は水銀中毒じゃない」ってまったく逆の結論を出して逃げてったどっかの大学権威ある学者を知ってるかい? 彼の名前はキヨウラ教授という。某大学はこのような人物を 名誉教授にまでしたという事実をよく覚えておく必要がある。誰がなんといおうとも、汚点は汚点だ。

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(08:08)
新山はふだん「デスクトップ壁紙」というものを一切使わないが (アホらしいから)、 今回いいことを思いついた。点字学習用壁紙である。 Pygame で作っている。ソースは tenjiwp.py。 Enjoy!
(20:45)
多くの人と同じように、新山も日々「環境にやさしい」生活をしようとなるべく心がけているが、 実際には冷房も使うしティッシュも山のように消費するしで、本当のところはどうなんだかわからない。 そして「なんかアホらしいことをしている」と頭のどっかで思ってもいる (まあ、この程度のぐらつきは人生には必要だ)。新山はときどき安井至のページとかを 見るのだが、この人は専門家だけあってちゃんと資料を分析してるし、 いろいろと勉強になる情報が書かれている。しかし問題がひとつある。 それは、この人はとてもわかりやすいエリート意識を持っていて、 「環境問題を考える人は徳が高い」と本気で考えているようなふしがあることだ。 たとえばこの前 日経に書かれていた記事 などを見ると、「知性の高い人間はエコカーを欲しがる」とでも言いたげな感じがうかがえる。 ほかにも日本の海外貢献をやたらと推進したがる所や、 よくわからない LOHAS をホメるあたりも微妙に優等生くさい。 専門家としてはこういう人は必要なのだろうが、まあ、なんだ、こういうおじさんが 表に出てくるようじゃいわゆる「エコ運動」はうまくいかないだろうな、と思う。 (まえに山形浩生が安井至の批判をどっかに書いてたような気がするが、 どんな内容だったか忘れた。)

新山はムダ使いがキライなので、気分的には 「環境保護論者」に肩入れしたいのだけど、どうもこっちの側には バランスのとれている人が少ないという印象がある。前からそうだ。 みょうにお高くとまっている、説教くさい人々か、そうでなけりゃ ゴアみたいなプロのハッタリ屋しかいない。 むしろ「地球温暖化などはありえないんだ!」といっている極端なアメリカ人の意見のほうが、 バランスがあるように思えてしまう。地球温暖化とかいうスケールの話になると、 科学と政治がどうしたってくっついてしまうわけで、つまりこれは世界全体をまき込んだ ディベート合戦であるのだが、これは「科学論争」であると同時に「パブリシティ戦争」でもある。 科学的な事実だけでは人を動かすことはできないし、かといって人気取りだけでもそのうち破綻する。 総合的な戦略が必要なのだ。新山としてはこのバトルが今後どうなるのか、たのしみではある (じつに他人事のような言い方だ) けど、今のところどっちもプレイヤーがまだまだ足りないし偏ってそうで、 こんなんじゃ、つまらんよ! そして新山個人は、どちらかといえば CO2 なんかよりも ゴミとか大気汚染のほうが気にかかるよな、と思うキョーこのごろ。

(追記) しかしまてよ、どっちも総合的なバランスのとれた奴が出てこないということは、 つまりはみんな結局、地球の将来なんてドーでもいいと思ってることの 現れじゃないだろうか? ちなみに新山は結構、そう思っている。 地球環境がどうなろうと、ひとの一生が簡単になることは決してないのだ。

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(19:08)
なぜジョン・レノンの "Imagine" はこんなに人気 (ひとけ) があるのだろう? 新山はとくにこの曲が嫌いじゃないが、「Imagineはサイコーだ!」というような態度を 表す人々には、かなりの嫌悪と恐怖を感じる。

Imagineの歌詞は、こうなっている:

Imagine there's no countries
It isn't hard to do
Oh, Really? It seems very hard to me...

国境も戦争も存在しない状態、それはつまり すべての人が同じように考え、同じように話し、同じように行動しなければ成り立たない。 そんな世界がほんとうに楽しいかい? 我々はそういう世界を“imagine”できた人を知っている。 その人の名を George Orwell という。そこでは争いはない (といっても "1984" では、 オセアニアはつねに仮想敵国と戦争状態にあることになっている) が、人々は誰も 他人に反対できず、自分の意見を持つことも許されない。すべての人々は同じ思想によって支配されており、 従わない異端分子は夜中にこっそりと「消される」運命にある…。

結局のところ「平和」を声高に叫ぶ人々は、幼稚園や小学校なぞで「みんななかよく」 といっている教師と一緒だ。こうした社会では、表面上は誰もが和気あいあいとした雰囲気を 演出しているが、こういう所の裏面がどんなにドロドロしているか、新山は想像すらできない (というかしたくない)。 集団にとけこめない人々は、こうした社会では笑顔で拷問を受けるだろう。 もし人間の多様性というものを認めるなら、意見の衝突というのはいつだって起きることを覚悟しなければならないし、 そのうえで人間どうしの協力を推進するなら、組織間の衝突だって起きる。 そのスケールによっては、人が死ぬこともあるだろう。衝突を無理して回避しようとすれば、 残るのは全体主義だけだ。夜中にこっそりと「平和的な」殺人をおこなう政府が出てくる。 どっちにしろ、人はつねに殺されるのだ。 結局のところ (ケッキョキ)、とりうる選択肢は「ウソで塗り固められた世界が好きか、嫌いか」ってことになる。

それにしても、この曲のウソくささは「歌詞が英語によって書かれている」という時点で すでに終わっている。なぜジョン・レノンは "Imagine there's no language" と言わなかったのだろう? 答えは簡単だ。「すべての国はなくなってもいいが、英語だけは残ってもらわないと困る」と この手の人々は思っているからだ。もちろん、彼らは意識的にはそう思っていない (でも特定の言語で自分の意見を表明した時点で、この思想は反映されている)。 多くの人々は、自分がいかに自分自身に騙されているか気づかないもんだ。新山も含めて。

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(15:44)
「仕事」と「ものを作ること」の微妙な重なり合いについて。 中国語では職業のことを「工作」という。 JSLの「作る」という手話は、ASLでは「仕事」の意味をあらわす。 このように、「仕事 == 作る」という概念の重複は多くの文化に見られるようだ。
(21:04)
キョーは某所の帰りに、ふとした出来心で、いつも行列のできてる新井五差路にある店 「はらドーナッツ」でドーナツを買ってみた (珍しく3人ぐらいしか並んでいなかったので)。 その後、帰りに野口屋 (豆腐屋) の行商のあんちゃんに遭遇したので、豆腐を1パック買う。 なんか、今日は大豆づいてる 1日だな…。 「はらドーナッツ」のほうは、あっさりしていていい味だと思うが、 これ、アメリカじゃ絶対ウケなさそうな味だよね。 しかし正直なところ (てくる)、行列してまで買うほどのモンだろうかと思う。

それにひきかえ、野口屋の豆腐はいつもながらうまい。 この豆腐は冷ややっこで食うときに、醤油をかける必要がまったくない。 なぜなら大豆の味がめちゃくちゃ濃いからで、はじめて食ったときの新山の感想は 「あれ、豆腐に味がついてる!?」というものであった。ふつうにスーパーで売ってる豆腐などと比べると、 そもそも重さからして全然ちがう。あきらかに比重が多い、ズッシリと密度ある感じなのである。 それに加えて、よくできた豆腐は水けが少ない。ふつう、豆腐を切って皿の上に置いておくと 水がでてくるでしょ? これはその豆腐がそれだけ薄められた豆乳を使ってるからであって、 大豆の濃い豆腐だとほとんど水が出ないのである。野口屋の豆腐はたまにしか食えないので (リヤカー販売が来たときだけ、こんなの買うためにわざわざ伊勢丹まで行くほどオレは暇ではない)、 じつに贅沢な感じだ。

きょうは夕方に銭湯へ行く。そのあと 夕食は例の冷や奴とブリの煮物、ほうれん草のおひたし、ミョウガの味噌汁。 いや、サイコーの食事だね、 日本人に生まれてきてよかった! これならもう明日死んでもいい…が、 明日は出張で静岡まで行かなければならないから、死ぬのはそのあとにしよう。

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(09:20)
そういえば今週いちばんよかったのは、会社のコキタナイ 懐疑会議テーブルが新しくなったことだ。 これはたしかにここに記しておかねばなるまい。
(11:20)
ところで (てくるで) 「田舎で働き隊!」って聞いたことある? オレはない。周囲の人々も知らないようだ。 おとといの New York Times で記事になっている。 ついでに、写真特集も。 伝統的に、日本人は 1980年代ぐらいまでは世界でもまれな高い貯蓄率を誇っていた。 しかしバブル崩壊後の貯蓄率は落ちる一方で、2005年以降は 5% を切っている。 だから新山は何が言いたいかっつうと、別に何も。
(15:47)
ようやくトコヤへ行き、ボサの助から脱した。ちなみにオレの名前はユウスケである。

(ごそごso)

…ああっ、くそ、あのケンタッキーの店員め、フォークは要らないって言っただろ!!

(00:08)
昔のクールなMacのCM。 実のところMacやAppleはどうでもいい。が、これはカッコいい。 ちなみに "power", "communication", "confidence" は日本手話と似ているように見える。 つうか「コミュニケーション」って手話は外来手話だな、きっと。

それにしても、インタビューを見ると、 この人はかなりスゴい人生を送ってきたことがわかる (インタビュアーのおばさんもズケズケ尋くよなあ)。

... But you know what? The message is that, I knew when I wrote the book, I will show people I was able to overcome it at all. How else could I be here today if I hadn't overcome it? It's all inside me, but I know there're so many people out there for whom my message, hearing the message can help them. And they can do something on their own. It's just simple as that. I hope that I can inspire many more people than just being a Deaf person. But I'm not worried about losing fans, I'm not worried about all that kinda stuff. I trust that I will just gain from this experience. ...

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(07:25)
おそろしい夢を見た。豪華3本立ての夢だったが、ひどい悪夢だった。 オレは夢でけっこう1日の気分が左右されるので、こういうのはよくなき。

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(19:56)
Disruptive technology の脅威、あるいは驚異について。 これって日本語で何て訳すんだろ? 「破壊的な」とかいうとややズレた感じがする。 新山の感覚では「ダサい技術」というのが近いと思う。

この用語を最初に耳にしたのはおそらく 2003〜2004年ごろだが、 当初は「またこういう新語を流行らせたい奴が登場したか。 いいかげんこの手の連中をどうにかしろ!」と思っていた。 いまもあいかわらずそう思っているし、 Wikiペdiaにも「マーケティング用語」と書かれているが、 この概念は、後知恵で考えると、ことソフトウェアやネットワークプロトコルに関しては 結構あてはまる部分もあるのである。…

このように「後知恵で」観察すると、ソフトウェア業界には disruptive な技術と呼べそうなものが結構ある。 ただし、注意: この分析はあくまで「後出しジャンケン」にすぎない。 成功したすべての技術が disruptive なわけではないし、disruptive ならば普及するとも限らない。 Disruptive な技術は、どれも当初はその設計者自身が、おそらく こんなもんが普及するとは夢にも思ってなかったに違いない、という点で共通している。 だから、成功を夢見て disruptive な技術をやっても、失敗する可能性が高い。 なぜ disruptive な技術は普及したのか? これまた後知恵だが、だいたい次のような 理由が挙げられると思う:

それから、disruptive な技術の多くは、OSI やら Xanadu やらの 「disruptiveでない」連中が生真面目にちゃんとしたシステムを作ろうとして あがいているうちに普及している。ようするに、第二システム症候群と同じようなもので、 物事を「きちんと」しようとしすぎて失敗した人々を追い抜いてしまったのが disruptive な技術というわけなのである (だから真面目な人々から見ればなおさらムカつくだろう)。 しかし、いいことばっかりではない。 これらの多くは、もともとかなりテキトーに設計されたために: という大きな問題をかかえている。そして、たいていの場合、 これらの問題は後になってから判明し、人々は莫大なツケを払わされることになる。 ちょうどバブルみたいなもんだ。成功したあとの代償もでかいよ。 そしてみんな「なんでこれこれのことを最初から考えておかなかったんだ?」と文句を言う。 しかし、それは酷というもんである。なぜなら disruptive な技術は、まさにその 「何も考えなかった」という事実により成功したのだから…。 つくづく世の中は皮肉なものだと言うしかない。

さて、ソフトウェア設計者にとっては、これら一連の観察はかなりの教訓を含んでいるように思われる。 ソフトウェアに disruptive な技術が多く現れるのは、偶然ではないと思う。 ちょうどそれは「計画倒れしたソフトウェアプロジェクト」が多いことと関係していないだろうか? つまり計画倒れにならなかったソフトウェアは、ほんとうに賢かったか、 あるいは多かれ少なかれ disruptive な要素を含んでいたと。 新山は disruptive な技術を「目標」ではなく、むしろ 「人のふり見てわがふり直せ」な対象として見ている。まあこれは人によると思うけど、 オレはバブルに踊ってそのあと破産するよりは、地味にそこそこの仕事をやりとげるほうを望むね。 なにはともあれ、ここでの教訓は、だいたい次にあげるようなものに近い:

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(07:52)
どうでもいいけど、ひさびすりにslashdot.orgをみてみたら、つまんないニュースばっかりになっていた (スラッシュトッド日本じゃないよ、あっちは最初から海面下である)。LWNはあいかわらずよく書けているのにな、 なんでだろう? これはオレが成長したためか、あるいはslashdotが落ちたためか?

新山はもとから「アホなプロジェクト」が大好きだった。 昔は Web上で結構アホなことをやっている人がいたのだが (たとえば ncurses を使ってキャラクタ端末用の Xサーバを書いたりとか)、 最近はそういうニュースを見かけることが少なくなった。 いまじゃ「アホなこと」をやる人々はもっぱら YouTube上に移ってしまったという印象がある。 これは、アイデアが出つくしたということなんだろうか? それとも 全体数がでかくなったから埋もれているのか? Linuxの話題にしても、slashdotなんかよりLHBのほうがぜんぜんヒネリが効いていて笑える。 なにみんなマジメになってんの?

自分の経験からいうと、基本的に「役に立つか、立たないか」という 1次元的な視点でしか 物事を考えない奴は、実際にはほとんど役に立たない奴であることが多い。 まあそれが人生の矛盾というものでして…

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(19:04)
Jung-Wei から、おもしろい記事のリンクが送られてきた: Computing as Social Science

概要: (学生を教える教師の立場から書かれている)

もちろん、この話はあまりに単純化されすぎている。 現実はこんなに甘くない (世の中には、問題を解くつもりで、逆に問題を増やしてしまう人々も沢山いるのだ)。 それでも、この記事には、普段の生活であまりに簡単に忘れられてしまいがちな、 あるひとつの信念が述べられている。それは 「計算機科学は、人の役に立てる」ということだ。 青臭いと言われようが、オレは何度でも言うぞ。 計算機科学は、人の役に立てる。しかも、ものすごく直球なやり方で、である。

もともと、工学というものは最初から社会的な学問だった。 政治や経済と同じくらい社会的だ。しかし、いまの日本で その社会性をきちんと理解している人がどれだけいるだろうか? (新山だってよく理解していない) ところで思うのだけど、みずから医学部や看護学部に (親に行かされるのでなく) 志願して行くような人は、その学問の 「社会性」というものをすこしは認識していそうである。しかし工学部へ、とくに 情報系の分野へ行く連中はどうなのか。ただひたすら「オモチャをいじっているのが楽しい」 だけの人が多いんじゃないか? アホな連中が、やれ facebook だ twitter だ cloud だ、と騒ぐのを見て、 新山が圧倒的に「…どうでもよろ」という気分になってしまうのは、しょうがない。 そんなものは、しょせん「問題のための問題」であって、誰のためにもならないからだ。 練習問題をやっているだけでは世の中は良くならないのである。

まえに Siegel がいっていたように、“工学の女王”である計算機科学は、 未分化な細胞の塊のようなもんだと思う。これは、それ自体では何もできないけれど、 方向が定まればどんな形の花でも咲かせることができる -- そう新山は信じている。 上の記事にはその見方が明確に示されている。学生に与えられた指令は "Find someone or something in trouble and save it. (何か問題をかかえている人・モノをみつけて、行ってそれを救いなさい)" というものだ。なんてカッコいいんだろう! 新山はこういう「カッコよさ」に憧れる人は沢山いるだろうと思っている。 そして、将来ほんとうに計算機科学を身につけてほしい人々というのは、 実はこういう社会的な視点をもった人々だ。 C++やHaskellでアクロバティックなコードを書ける子供などではなく。

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(19:21)
今日も暑かったね。
(22:28)
ダウンドーロ違法化ってなんだろう。いいか悪いかの議論のまえに、 そもそもどうやって取り締まるのだろう。まるで雲をつかむような話である。 だれも技術がわかるやつはいないのか? しかし、こういう 検出できないものを法制化しようとしているのは、いかにも日本っぽい。 つまり「事実はどうでもいいんだ、これはココロの問題なんだ」ということだろう。 死刑と同じだ。ココロの問題! なぜ我々はハードな現実ではなく、こういうハートな真実で 物事を気分的に判断するのが好きなのか。

しかしダウンロードが違法化されようと、オレにとっては結構どうでもいいんだが…。 それにしても、オレってよく考えると日本の消費者としては最悪だ。
なんたって:

まるで非国民。 日本の経済にほとんどまったく寄与してないし、苦しんでもいない。 “心中国家”日本の一員になるという、以前の心意気はどうなったんだ? ちっとも党の方針に従ってないじゃあないか!

最近は英語の書籍でさえ図書館にあればなるべく買わないようにしている。 つぎは新宿区中央図書館も攻略しよう。つうか、他の人もみんなテレビなんか見るのやめて 洋書を読み、洋楽を聴けばよいのに。個人的には、バカな人々に牛耳られている 日本のコンテンツ産業など、 別になくなってもいいと思っている。まさに国賊。

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(10:55)
それにしても、このところいきなり暑くなった。なんで? おまけに花粉症っぽい症状はまだ続いているし。くんにゃろ
(12:35)
同じ固有名詞でも、冠詞によってぜんぜん意味が違ってしまう例:
(15:20)
あついdeath.

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(20:34)
さっきスーパーへ行ったら、なぜかチャックが全開で赤面。 それはどうでもいい。

ハードな週だった。「合宿」と称して、新山が去年書いたコード (Python 25k行、C++ 10k行) を 2週間かけて学習するというイベントである。 午前中の頭がサエているときは新山が狂ったように資料を準備し、 そのあと午後は 2時間ぐらい喋り通しでそれが終わったら疲れて溺死、 という毎日だった。家に帰ってきてもすぐにネムくなり、 日記も書けなければプログラムも進まない。 まだあと来週もある。これが終わっても、まだ生きてるといいな。

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(11:37)
今日は疲れてなにをする気もおきない。 こんなこったろうと思って、しっかりと有休を取っておいたのだ。

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(00:55)
きょうは、夜桜を見に行った。 この週末はあまり日記を書く時間がない。

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(07:43)

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(08:06)
ガーソ! 4月っていつよ!

そういえば、きのう引用しわすれたけど GhostNetの研究。 103ヶ国、計1,295台のマルウェアに感染しているPCを調べた結果、多くの国の大使館や省庁、 ダライ・ラマの亡命政府などがボットに感染していることが判明したそうな。 攻撃の出所は中国国内のコンピュータであることが多いが、中国政府がバックにいるのかどうかは はっきりしないという。

しかし、まだレポート詳しく読んでないのだけど、政治的な話はどうでもいいんだ…。 新山がたまげたのは、ボットの制御用ソフトウェアのスクリーンショットである。 いまのマルウェアは、感染したPCの "webcam" とかもコントロールできるのな。 Skypeがこれだけ流行っている現在ではカメラがふつうについているPCってのも珍しくないが、 これは怖い。のぞき放題である。だいたい、ウェブカメラが動いてるのかどうか普通はわからない! USBの外付けカメラならケーブルをひっこ抜けばいいけど、ビルトインされてる機種じゃどうしようもない。 いや、つくづくアホな世の中になったもんだ。

(19:31)
今日はまたムカつくことがあった。おい Facebook、招待スパムを何度も送るのはいい加減やめろ! オレは絶対に参加しないからな。しかし3年ぐらい前までは、Facebook なんて 「中学生のやるもの」という風潮がまかり通ってたのに、今はイイ歳した大人がナニやってんだか。

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Yusuke Shinyama