2003年 2月 (1)。
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ヴォッカはいけるがステーキは腐っている。
Last Modified: Mon Feb 10 15:41:37 EST 2003 (02/11, 05:41 JST)
夢。デパート (日本人がたくさんいたからたぶん日本) で
買い物してると強盗の一段が襲ってきて、なぜか警備員が発砲して、
みんなで逃げる、という夢。
が、人はたくさんいたのに、オレは自分ひとりで
さっさと逃げていたような気がする。階段をおりる場面をよく覚えている。
なぜこうも鮮明なのだろう。でも下についてみるとすでに
みんな (知り合いが多かった) は先に脱出してて「遅かったね」などと言われた。
目がさめてから、自分がいかに利己的だったかを知り、落ちこむ。
google://あんたなんか死んでしまえばいい/ (16件)
新山の書いた technical report が置いてある
ftp.cs.titech.ac.jp が passive transfer mode を
受けつけないので、おいこら使えねーぞ、とメールしたら
「管轄外の firewall の設定がそうなってるのであきらめてくれ」との返事。
いや、いいんだけどさあ別に。そんなら http のほうに置けばいいと思うのはオレだけだろうか。
研究成果である論文にアクセスしづらくしてどうするよ?
日本ではもう結構な大学や企業が PASV でないと ftp は使えなくなってると思うんだけど、
いまさらそれを受けつけないというのは 見るな ということだろうか。
それとも論文なんかどうでもいいということだろうか。
研究室のページだって見てもほとんどなにやってるかわかんないところが多いのに、
このうえ論文も見えなくしてどうするのだろう。
東工大のパブリシティの下手さにはいつもがっかりする。
cs のページだってほとんど更新されてないし、田中・徳永研のページも
いまだにシライさんが修正したのが最後だし。これでは部外者に
「大学は真面目にやってない」と思われてもしょうがないと思う。
web ページの更新なんて学部生でもできるんだから、ちょっと手間かければ
状況はずっとよくなるのにな。
雪には月見草がよく似合う。
うわ、なんだこりゃ? (ステーンとこける音)
雪の光が反射して、あたりの建物がいつもより明るく照らされている。
雲ひとつない空がつづいている。
声がどこかにカーンカーンと反響していくかのような空だ。
でもあなたはいま、眠っているんだろうけどね…ゆっくりと。うっすら。
同時性という観点でしか語れない「いま (今)」に意味などあるのか。
わたしは自分の観点からものを語っているのだ。
あなたにとっての「いま」とわたしにとっての「いま」は同じではない。
誰にもわからないことがある: “同じ”
日曜日だから上の階の部屋に子供がきているらしく、
なにやらドッタンドッタン跳ねている。
ところがあまりの震動に、気づいたらうちの天井の火災報知器が
はずれて垂れ下がってきていた! ギャフン!
おめえ、これ日曜だからいいけど、毎日やられたらたまらんぜ。
バックアップには時間がかかる。
3時→9時→ときたらつぎは6Ji desune. deunse. dunees.
また
google で遊んでた
らおもしろいサイトを発見。Paul Brians 教授の
Common Errors in English である。
かなり気合はいってます。でももっと面白かったのは
NUKE POP だ。
ここには戦後あめりか人が核兵器をどういう目で見てきたかが集約されている。
だけど当時のアメリカ人が「キモいジャップどもをさくっと一掃」するこの爆弾に
狂喜しただろうことはよく理解できるよ。健全なものに同意するのはむずかしいが、
不健全なものに同調するのはとっても簡単。
それにしても昔の広告やら漫画やらってどうしてこうバカっぽく見えるんだろうなあ。
小説はそうでもないことが多いのに…。
研究日誌
いまいきなり思いついたんだけど、名詞 (あるいは名詞句) の uniqueness は
NE としての有用度というだけでなく照応解析にも使えるぞ。
この場合は multidocument な属性を利用するというところがみそだ (と思う)。
なんかこっちにきても照応をやっているってあまり嫌なのだが。
しかしこないだの「bunch of 名詞」的考えとこの IDF の概念を使うと、
たとえば「自宅」と「自宅のマンション」とかいう字句を一致させられないかな?
それにしても昨日はなんであんなに頭が狂っていたんだろ?
まあ、いつものことだが。
どうでもいいけれど「グプタ王朝」ってなんとなく好きなのよね。
とくにこの「ぐぷた」ってところのひびきが。
oMAetteyatuha! mattaku!
夜間離着陸訓練 を NLP と呼ぶのやめてほしいです。
なにをトボけていたか、sudo のパスワードでずっと root のパスワードを打って
「あれえ、なんで拒否されるんだろう」と思っていた。
ったくなんでパンツ一本買うのにこんなに時間かけにゃならんのだ。
きょうはなぜか歩きたい気分になり、23rd で降りて歩く。
34st あたりに来てから macy's に入ったら、valentine's day sale と買いてある。
そこいら中が℃・ピンクで装飾されていた。うげー勘弁してくれ。
どうも 6st 側から入ってしまったのが原因のようなので、
7st. 側に逃げる。アメリカの服屋でいつもアレなのが、
「パンツがやたら太い」ということだ。たいていは一番細いのが
30inch なんだけど、その数は極端に少ない。30 でもちょっとあまるのに。
あーこれいいな、と思うやつでもサイズがなくてあきらめたことは
結構ある。シャツは多少でかくてもなんとなるけどパンツはねー。
50inch のやつとか履いてみると逆に新鮮味があるかもしれないが。
つーかただのバカだな。
さて今日はカレーでも作るか、と思っていると Ryan と Ryan ママが
来て、メシ食いにいかない? と言ってきた。Ryan ママはときどき
Buffalo から出てくる。つーことで Ryan と Ryan ママ、
Owen と新山の 4人で Hoboken にメシを食いにでかける。
そういやー夜に Hoboken へ行くのははじめてだな。
じつはこの街は高級住宅街なのでいいレストランがけっこうあるのだ
ということを知った。すげー寒い。モンゴル風焼肉 fusion "Gobi" ってな
店だが、入ってみたらなんだかモンゴルというより国籍ごちゃまぜ。
天井はパオなのだが店内にはまねき猫が置いてあったりするし、
トイレには隷書のかけじくがあり、厨房の奧には若乃花ののれんが
かかってたりする。まあアメリカ人の思うアジアというのはこんなもんだろうけど。
そして焼肉だがバイキング形式で野菜や肉をてきとうにボールにほうりこみ、
エバラ焼肉のたれみたいなソースをかけてキッチンに持っていくと
その場でジュウジュウ焼いてくれる、という寸法。テーブルの上にはなぜか七味唐辛子。
Ryan と Ryan ママは 2人で何を話してんのかと思ったら、
店の中にいるいろんな客を見わたしてはかなりキツい感想を述べている。
Owen も参加してこんな調子だ:
Owen "She looks have something in her mind..." ({カップルを見ながら} あ〜、彼女は絶対なんか考えてるんだと思うね)
Ry ママ "Well? if she has!" (ええ? もしそうならね!)
Owen "She has... what?" (そうならって…何が?)
Ryan "A mind! (爆笑)" (もし彼女が考えるということをするんなら!)
Ry ママ "Oh〜 no, I didn't say that〜?" (え゛ー、そこまではいってないわよ?)
いやーおもしろいわこの親子。どっちもめちゃくちゃ陽気だし。
帰りは Ryan が道を歩きながら両側にある店の看板を見てコメントを述べるのだが
これまたかなりおバカで面白かった。
で、帰ってきてから、ちょうど JSQ 駅のデリに入ったときに、
みんなで「おい去年のあのまずいケーキを覚えてるか?」という話になる。
ああ この話 (2月2日) ね…。覚えてますよ。
とりわけ Owen はもっとも甚大な被害をこうむったため、
かなり詳細なところまで覚えてるらしかった。なんでも Jason が
そのケーキを一口口にして、"This cake tastes horrible!" と言ったのだという。
これをあのミもフタもない Jason が言ったというところが笑えてしょうがない。
いやー、こういうアホな思い出について話すのが一番楽しいのだよ。
オレも歳くったな、ふと。
Owen が電話している。相手は彼女 (フィアンセ) だろう。
中国語なので何をしゃべっているかはわからないが、
もはや喋り方でわかるようになっちまった。
自分は無神経だと思う。自分が鋭利な感覚をもっているかのように
ふるまう人間は嫌いだ。自分は繊細で敏感なのよ、とでも言いたいのか。
だからといって、何も感じないふりをするのもいやらしい。
しかしバカ素直になることはもうできない。
世の中には気をつかうべき場合はたくさんあるし、見てみぬふりをしたほうがいい場合も
これまたたくさんある。そしてそういう判断をとっさの瞬間に
できる人間というのはたしかにすごいのだが、そうなると今度は
なにやら怖い油断ならなさを感じる。で、そんなこんなを
こんなところにわざわざ書いてる人間はもっと最低だ。
ついでにいうと、人前で自己嫌悪をしてみせるような人間は
救いようがない。
つまり、世界はそこにある、ということ。それが世界自体だ。
これは善悪の判断を超えて、さいしょから放りこまれた。
むしろそのまま寝っころがってろ、と。
注意: これ以降の文章はあなたを不快にするおそれがあります。警告はしたからね。
とにかくひたすら自分を否定しつづけろ。そして、そんな自己を否定する自分をこれまたはてしなく否定しつづけろ。
否定の否定はどこまでつづくのか? どうせ 5、6重にもなれば疲れてやめるに決まっている。
だから結局のところどこまでいっても自慰的行為でしかない。でもとにかくやりつづけろ。目を覆いたくなるような
光景がひろがっても決して自分を許しはしないこと。許すもんか! でも、なぜ許さないのか?
それはね、許されないのが好きだからだよ!
自分のやっていることは何もかもわかっている。そしてそれは、何もやっていないのと同じだ。
そしてあなたはずっと素晴らしい、価値ある人生を送っているのだから、
あなたと一緒にするつもりはない。
ひどいもんだな。書けば書くほど泥沼に。おもしれー
名前欄と題名欄を書くとこまちがえました。
てゆうか、このままいくとまた夜更ししちゃまずいだろ? はやく寝れよ、このヤロー。
雪ですよ。。。ドカ雪。
洗面所の流しがまた詰まってきたので unclogger (「流しこむだけで詰まりがとれる!」ってやつ、液体の薬品)
を買ってこなきゃな。しかしさすがアメリカンらしくコレがまたえっらく強力なんだわ、コレが。
絶対さわりたくないって感じ。
自然言語もプログラムと同じようなもんだなあ。
どんな言語もほんとうに創造的な発話なんてものは数えるしかなく、
つまるところはパターンの集積だ。
他人の言い方を覚えたり、それに改良をくわえたりして再利用する。
そして自分の「ライブラリ」の中に、そういった言いまわしをためていく。
よく考えたら日本語でもそれをやっている。
いつか誰も自分を裏切ってはいないことに気づくだろう。
日本領事館からまた「テロに関するお知らせ」がきた。
危険度が "中 (elevated)" から "高 (high)" に上がったらしい。
が、これって「落石注意」みたいなもんだよな。
落ってこられてもどうしようもないという。
しょうがないので、おみくじの一種だと思っておこう。あは!
まあ、日記の更新が 3日以上止まったら、死んだ、ということで。
やつはいつもそのへんにいる。
明日は服かいにいこー。
いつもギリギリになるまで買わずにすますこの性癖。なんとけせねべねるめい。
親からメールがきて「知り合いから送られてきた Word 文書が見れん。そっちで見れるか?」という。
送られてきた文書を OpenOffice で開いてみたら、たしかに見れることは見れるが、
どう考えても読むに値しない文章だったので「読めなかった、あきらめれ」と返事。なんて親切な俺。
この手の…いや、やめます。
言うことを言いかけて途中で言わないのはよくないよ!
ふたたび djb について。前野さんにすすめられたので dns の ML に入る。
が、まったく話についていけん。前野さんは djb のソフトウエアを芸術品だという。
新山はそう呼ぶ気にはならない。そもそも新山は芸術という言葉の意味がよくわからない。
ソフトウエアを工芸品とは呼べるかもしれないが、
芸術品というと何か別のものになってしまうような気がする。
芸術作品と工業製品に共通するところがあるとすれば、それはたぶん
「思想は物品を通して表現されるべきだ」という点だ。
芸術家や技術屋がそれ以外に言葉をしゃべるな、とは思わないけれど、
かれらが使えるもっとも強力な伝達手段は自分のつくった「しなもの」なのだ。
自分のつくった物品よりも自分自身の口のほうが雄弁なら、
芸術家や技術屋よりも他の職業のほうが向いているといえる。
そういえば、こういうことはむかし
力武さんのコラムにも
書いてあったっけな…。(ついでな感想をいうと、
一般論に毛が生えた程度のことしか言わない連中が多い中で、こういうラディカルなことをいう人はけっこう貴重だと思う。)
で、話は戻るのだけど、ソフトウエアを選ぶときに
(新山にとって) 重要な基準は以下のようなことである:
- 不便なのより便利なのがいい。
- なに考えてんだかわかんない人間が作ったものより、
自分が信頼できる人間の作ったもののほうがいい。
この 2. の部分の比重がでかい人と、そうでない人がいるのだろう。
ところが、この基準は問題である。物は人間のようには言語を使わない。
このため「品物の主張」にはそれを使う人によってかなり解釈のばらつきがでる。
ここにたぶん不幸があるのだろう。たとえば、新山が djb のソフトウエアに
見る思想というのは「人間ってみんなバカだね」ということだ。
つまりしょっちゅうアホなミスをしでかすという意味で。
そしてすくなくとも新山に関しては、これは全面的にあたっている。自分がいかに
頭が悪いかということは、日々いやというほど思い知らされているのだ。
だからとりあえず自分自身については、この考えには手ばなし賛同である。
でもこれはあくまでも「新山にそう見える」というだけのことだ。
djb 自身はそんなことは一言もいっていないし、ほかの人はこれとは
まったく別の思想を見てとるかもしれない
(でもあのパラノイアじみた仕様とコードからはそう言っているようにしか見えないんだけど…)。
そもそも設計思想なんて最初からないのかもしれない。
さすがにそれは信じがたいがなあ…。
でも、ことソフトウエアに関しては、自然言語でかかれた「思想」なんて最初から信用できない。
信用できるのは自分が得た感触だけだ。そうすると以下の基準も重要になってくる:
- もし設計思想を表現するんなら、わかりやすく表現してくれ。
djb の設計思想はかなりあからさまなほうだ。
たとえば Apache や sendmail の設計思想なんてものが存在するかどうかは
わからない。つーかあの節操のなさからいくと絶対そんなのないと思うけど、
もしあるとすれば「人気のためならなんでもやる」ということぐらいだろうか…。
こんなのは信頼からはほど遠い。
とりあえず新山は人から好かれようと一生懸命な人間ってどうにも信用できない。
逆に djb のソフトはヘンテコだが、その思想には共感できるので多少ヘンでもまあ使う気になれる。
でも多くの人は 2. の基準をまったく無視しているように見える。
単に便利か不便かだけが判断基準のすべてなのだ。これは長いあいだ疑問だった。
でも最近思ったのだけど、たぶん多くの人は次の重要な事実を見落としているのではないか?
- ソフトウエアの生産というのはおそろしいほど人間くさい工程である。
つまり、素人目にはソフトウエアというのは確立されたプロセスで
すらすらと生産されているもののように見えるのかもしれない。大いにありうる。
でも実はソフトウエアは、熟練した大工が家を建てるのに比べれば
笑っちゃうほどたどたどしいプロセスで生産されている。こんな人間くさい環境の中では
信頼できない奴に何されるかわかったもんじゃない。しかしタチが悪いことに、
ソフトウエアというものはその性質上、大工の手抜き工事なんかよりも
ごまかしがずっとわかりにくくなっている。
いったいどうすればこの手のごまかしを消費者が見破れるようになるのか。
計算機科学がこれについてなにか役に立つことはできるのか?
むずかしいなあ。
シャワーを浴びてるうちに頭がさえてきたのでまた書く。
djb のソフトウエアに対する批判で (たぶん) もっとも多いのは、
それがオープンソースではないということだ。
ある人は djbdns を proprietary に分類していた。
でもこれはもしかするといいセンついているのかもしれない。
djb は一部のソフトウエアを完全にオープンソースにしているのに、
なぜ qmail や djbdns はそうしないのか?
これは次のように説明できる。
もし djb が上に書いたようにソフトウエアの「思想」を重視していたとすると、
qmail や djbdns はたぶんオープンソースにはできないだろう。
なぜならもしオープンソースにすれば、そのソフトウエアはもはや
(理論上は) 特定の個人の手を離れてしまうことになるからだ。
もちろん実際はみんながみんなソフトを改良しだすわけではないので、
Linux や Apache にはまだ確固とした authority が存在している。
が、理論上は一旦オープンソースにしてしまったら、もうそのソフトは
個人のおよばぬところで勝手に発展していくこともできるわけだ
(たぶん ESR とかの思い描いているユートピアはそういう世界なんだと思う)。
ところがソフトに人格をくっつけて配布することはできないので、
オープンソースにしたソフトウエアにはもはや思想や信頼関係をくっつけることはできない。
それはソフトウエアを人の気配のしないただの「物体」にしてしまう
(あるいは複数の人格がごちゃまぜになったものになるか)。
するともはやその物体につねに前とかわらぬ思想が塔載されているかどうかは
保証のかぎりではない。それは djb の望むところではない、ということなのだろう。
以下は新山の勝手な想像だが、つまり彼は「ブランドを守っている」んではないだろうか?
たぶん新山を含めた何人かの人は、djb の思想が好きだから
そのソフトウエアを使っている。それは「djb 製」だから意味があるのであって、
djb 個人を離れたらもはやそのソフトウエアの価値は落ちることになる。
ブランド信仰を宗教と呼ぶならまさにこれは宗教だろう (前野さんがなんと言おうとも)。
一部の人間にとって、ソフトウエアに対する信頼というのは、
結局のところ個々人の間の信頼の上に成り立っているのだ。
なんてこった! そんなウェットな関係はもう古い、という人は
完全なオープンソースを称揚し、djb を批判するにちがいない。
でもそう言いきる自信が新山にはない。自分はしょせん師弟関係や義理人情の
しがらみの中でしか生きられない、ふるい人間だからか?
このことはいつかもっとちゃんとした文章にまとめようと思う。
オレは3時間もこんなものを…ドあフぉ!!
研究日誌
午後おそくに重役出勤。きのうの議論だと、方角 (東西南北) や
家族関係名 (長女、妻、三男など) はどうしても NE として必要になる。
あと法的行為名 (なんていうの、現行犯逮捕とか略式起訴とか) もそうだ。
それに色が NE だとすると音階名などもとーぜん NE だろう
(これはいかにも見た目が名前っぽいし)。でも英語ネイティブな
感覚からするとこれは少なくとも Name ではないらしい (そりゃそうだ、どう考えても一般名詞だ)。
ちなみに「住所不定」や「無職」はそれぞれ地名、職業名に分類されるらしい…もういいよ。もう。
そしてまた新しいアイデアを得た。NEとしての有用度を empirical に測定できないか?
まず 2つの記事ペアが与えられて、ある程度の照応解決はできたと仮定する。
そうすると各単語の共起度がわかるわけだ:
- TF*IDF 高い → NE として有用。
- 共起度高い → NE として有用。
そしてケーススタディ:
- 「東京」「大阪」などの単語 → TF*IDF高、共起度高
- 「ナイフ」など凶器に使われるもの → TF*IDF低、共起度高
- 「昇進」「逮捕」「事件」などの一般名詞 → ?
ということだが、このへんパラメタ調整でなんとかなるのか、
あるいはもうひとひねり仕掛けを入れる必要があるのか。
これはけっこう論文のネタになりそう。
ようやく NE のタグづけは終わった。
が、今度は Entity のタグづけがあるのだ…。まだ最初しかやっていない。
また寒いなあ。
言い訳するな。空約束なバカと思われるのがせいぜいだ。
それにしても「理解されないこと」が救いになるときもある。不安定。
djb がこんなこと言ってる。。。
Oak DNS Server is a good example of why novices shouldn't try to
write DNS software. The digitallumber.net domain, served by Oak
DNS Server 1.0, is inaccessible to a huge number of clients that
try AAAA lookups before A lookups: the server incorrectly returns
NXDOMAIN for AAAA, effectively wiping out its own A record.
Oak DNS サーバ は、
よくわかってない人が DNS 関連のソフトウエアを書くとなぜまずいかという格好の例です。
この digitallumber.net ドメインは Oak DNS サーバ 1.0 で動いているのですが、
多くのクライアントが A レコードを検索する前に AAAA レコードを検索しようするため、
このドメインは大量のクライアントからアクセス不可能になっています。
このサーバは NXDOMAIN の値を間違って AAAA レコードとして返してしまうため、
A レコードの値はしっかりふさがれてしまうんです。
結論: 使用言語で人の気を引こうとするな。
(と、エサにつられた新山が申しております)
わははは。おもしれー。IIJ のイメージがこれでまたひとつ悪くなった。
この会社の 2流くささはなんなんだろ?
まあ、それをいったらどこの企業もほとんど 2流になってしまうけど、
世の中だましたヤツの勝ちだわよね。悟りを開くとああなるに違いない。
ああそうだそうだ、「路上観察学」っていうんだった。
google://路上観察学/ (750)
google://トマソン/ (13,100)
まあだいたいいつものことだが、新山は、嫌われるのを覚悟でものを言い、そして実際に嫌われる、
というパターンをくり返している。あいかわらずこれはまったく変わっちゃあいな
い。
そしてなにが重要かというと、オレは気にしないフリをして寝てやるぞ。ってこと。げっぷが出ても気にするもんか。
そういうこと。
けんきゅう日誌
きょうもタグづけで疲労。セキネさんと議論していたら向こうの話が
あまりにもヘリクツっぽかったので嫌気がさして帰ってくる。
だいたいなんで色の名前が NE なのに方角は NE じゃないの? わからん。
そもそも、新山はこういうふうに「なんでもかんでもカテゴリ分類する」というやり方が
きらいだ。根がいーかげんな性格だからかな。そんなもんいつか破綻するに決まってんじゃん、
と思う。「大学では毎日さかんに議論されている」という場合の「大学」は組織なのか、
建物なのか、それとも特定の領域なのか? そんなのは人間でもたいしてわかってない、
というのが本当のところだ。なにかやり方が根本的に間違っているように思えるけど。
あいかわらず自分は「極論」にこだわっているように思う。
純粋にアカデミックさを追求するなら細部まで理論的な妥協を許すべきでないし、
実用主義ならとことん「儲けとニーズ」のみを追求してこちらも妥協すべきでない。
何事も中間をとるのがいつもおもしろくないのである…いや、
オレの問題はすべてを純粋に「おもしろさ」の観点からしか考えてないことにあるのかも
しれない。結論は、もう大人なんだから面白くないことをやれ、ということだろうか。
しめきりしめきり!
しめきりしめきりしめきり!
しめきり〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜!
そういや、気づいてみたらもう向こうの大学では修論提出とか終わってんのな。
かれらは無事卒業できたのだろうか。いまごろ
発表会にむけて練習中というところか。
なつかしいなあ。これで知り合いももうほとんど研究室にはいなくなるのね…。
そういやテラダさんとかフルイ研のタグマ君とかも無事博士とれたんだね、
おめでとう、とここに書いておく。いや、見てないだろうけど。
草葉の陰よりお祝いもうしあげます。
google://寄らば草葉の陰/ (3件)
負けた…。
背筋をまっすぐにのばして歩くこと。
Google News って実はめちゃくちゃ便利じゃん。。。
ローカルなニュース以外ならこれ一個で十分ってかんじだ。
おそろしいモノを発見。
なんと 全部 Python で書かれた DNS サーバ だってサ。
こんなのありか??
ちなみにソースは LWN。
ああ…hazelnutのほうがよかった。
ところで、動作にキレがあるのと、動作が速いのはちがう。
新山の場合はただやみくもに手足をめったやたら速く動かしているだけで、
これではとうていまともな身のこなし方とはいえない。なにより、乱暴なのだ。
素早く、それでいて確実で、かつ気づかいのある動作をするためには、やはり腕力と
しっかりした訓練がいるのだろう。
ごまかしてはいけない。何事も基礎トレが重要なのは、
物理的身体的なこと以外にもあてはまるのである。このニセモノめ。
「優しい」って、漢字で書くとちっともやさしそうに見えないね。
授業終了後、また例の連中とメシ食いにでかける。きょうは総勢5人。
と、いうことで、今日の占いクッキー:
Get your mind set --
confidence will lead you on.
Lucky Numbers 20, 23, 37, 39, 40, 45
|
(裏面)
毎回、中華料理なのはご愛敬ってことで。
ところで国連の web サイトって、http://www.un.int/ っていうアドレスなんですねえ。
変わったアスドレ (ASDL) だ (あどする = ADSL)。??
研究日誌
セキネさんが proposal を書くので、「とりあえず今までに出た
サンプル結果をくれ」というので送ったところ「あまりよくできてないなあ…」
と言われる。表現が似すぎているらしい。動詞の同義語辞書で
取れるようなものを取ってもインパクトがないのだという。
そりゃそうだ。するとやはり VP-NP 間のマッチングもとらなければ
ならないということだろう。
タグの階層を変えたので、emacs のマクロを変更したまではよかったが、
新しいタグづけ基準に慣れるのに非常に時間がかかった。
けっきょき、きょうは昨日のプランの半分もすすまず。
ダメじゃん…。
いいアイデアを考えた。複数の文節からなる名詞句で、
おのおのの noun どうしを個別に判定するのではなく、
名詞ぜんぶをひとつのベクトル表現にした「bunch of 名詞」どうしを
マッチさせればよいのだ。よいのでは? よいのではないか?
そうすればparsing のエラーを多少なりともカバーでき、
よりロバストなものが取れるようになるカモ…しれない。
でもこれは木の形状をチェックしてみないとなんともいえんね。
要考察。
また文字どおり「夢でよかった!」という夢を見た。
しかしその内容はここには書けない (ある人の死)。
これでそういうメールが本当に来てたらホラー以外の何物でもないのだが、
そういうことはいまのところ起こってないらしい。よかった。
とりあえず、彼が死んだときに自分はかなり悲しむのだということがわかった。
そりゃそうだ。現実シミュレーション。そして Undo。
しかし、ヘンな夢を見たので調子わりー。雨が降っている。
HLT2002 の Proceedings がいまごろ来た…。1年かかってやんの。
ところで学会の年会費とかをいつも払うの忘れたまま放ったらかしにしておくのは、
オレだけでしょうか?
google://お前だけ/
電話のベル音にはいつもむかっとさせられる。それがどんな電話でもだ。
こんなもんは世の中からなくなってしまえばいいと思う。そして誰もかもが不便になるのだ
(新山を除く)。きょうもいじわるなお天気。でも確実にあったかい。
でもでも週末あたりからまた寒くなり気配。
ふとミスタイプした語感からまたあらたな preferable なが生まれるということはありうる。
ところでこのへんのデリはなぜいつも韓国人がやっているのだろうか?
大学の近所にあるよく行くデリ 5つのうち 4つが韓国人経営のだ。
なぜデリは韓国人
デリはなぜ韓国人
赤い大きな電話
大きな赤い電話
英語では色はかなり即物な名詞 (名詞の近くにくる) らしく、
ネイチブ人は a large red telephone とはいうが a red large telephone* とは
ほとんどいわないらしい。しかしそれは wordnet。
…ふと思ったのだが wordnet を使った 3次元空間表示。
それはそれでじつにポストモダン (かっこわらい) な感じだ。
ところで括弧の中に「かっこわらい」と書くと
「かっこかっこわらい」と読まねばならない。cdr-car.
google://かっこわらい/ (397件)
たいして寒さはないのだが、風がつよくてフキ飛ばれそうになった (← さ)。
なにしろ目の前からダンボール箱やらビールの空きカンやらが新山めがけて
飛んでくるほどの強さなのである。メガネがなかったら目にごみが入ってさぞかしだったろう。
ところで「めがけて」ってゆうのもかなり特定の動詞としか共起しない単語だな。
いちおう動詞なのだが「めがけることにしよう。」などとは使わない。
つねに「めがけて」連用形のみである。だからなんだ。つーことで。
google://使用前 使用後/ (15,400件)
へれんから「ホームページ作った」とかいうメールが来たので見てみたら、
なにやら激しく加工された写真が…。おまえはネットアイドルか!
ところで「ネットアイドル」という言葉のもつ薄暗い響きを
外国人に理解してもらうのは至難のわざと思う。そんなん説明する気もないけど。
さて、新山がこんなところで 極右 虚空に向かってウンチクをたれてることは
彼女は知るまいが、こっちはさいきん管理している web ページが増えてきてワケわかんなくなりつつある。
ほんとはこういうのは好きじゃない。が、なんでもこれ一個で完璧! という適切な場所は
なかなかないのだ。いちおう新山の主なページは unixuser.org だと思っているのだけど、
ここは基本的にひとさまの場所なのであまり私的な (新山の「私的」はかなり不健全なので) ものを
置くのは気がひける。といって tabesugi.net は回線が細いため、あまりデカいものは置けない。
なにしろ大学から自宅にログインして作業していると時々あきらかにレスポンスが悪くなるときがあり、
「ああ誰か web にアクセスしてるな」とわかるほどの遅さなのだ。
もうちょっと登り速度が出てくれればいいんだが…。
どこかのホスティング屋を使えば回線問題は解消されるのだろうが、
それなりにマシなところを選べば金がかかりそうだし、なにしろ自宅サーバの便利さは捨てがたい。
いっぽう cs.nyu.edu にもページがあるが、こちらは大学のサイトなので
うかつに「ブッシュ ≒ チンパン」とか書けなそう、という問題がある
(しかし学生として web ページを持つ必要はあるので適当に vi で書いて置いている、英語はラクでいいよねー)。
これだけでもすでに 3つなのに、まださらに sourceforge があるのだ…。
こいつらは sourceforge にホスティングしてもらったほうがいろいろと便利そうだから
今のところそうしているが、しかしこれも私的なものは置けないし、しかも
プロジェクト (現在 3つ) が増えるたびにサイトも増えることになり、なんかもううちのローカルな
ディレクトリはしっちゃかめっちゃかになっております。思うのだが、
ただの凡人があっちこっちに分散している web ページをいじっているというのは
いかにも生意気な (おまけにだらしない) 感じがして、よくない。xoom や virtualave に垢を
とりまくってる厨房と同じですだ (いつの話?)。なんとかならんもんでしょうか?
研究日誌
ミーティング。
「論文書かなきゃね」といったら「何かネタはあんのか? 結果でたんか?」
と言われる。「まだ出てないけど書けるところから書きます、イントロとか…」
「そりゃ Adam がやってた戦略だ」などと言われる。あまりふざけたことをいうのはよそう。
elsif のばか! elsif の馬鹿! elfis のバカ! esfilのばk! esflinBk,a,er!! %- (@うmg.1#,,!!!! .....
Google で、elsif を検索すると、
「予想されるキーワード: else」と出てくる。わかってないなあ。これはもう英語だよ、英語の一部なんだよ!
elsif を使わない言語はばか!! elif 万歳!!!
..世の中、矛盾だらke。
なぜか difflib に LCS (Longest Common Subsequence) の計算ルーチンがなかったようなので、
しーげる先生の教科書を見ながらてきとうに書いてみた。
#!/usr/bin/env python
# find an LCS (Longest Common Subsequence).
def find_lcs(s1, s2):
# length table: every element is set to zero.
m = [ [ 0 for x in s2 ] for y in s1 ]
# direction table: 1st bit for p1, 2nd bit for p2.
d = [ [ None for x in s2 ] for y in s1 ]
# we don't have to care about the boundery check.
# a negative index always gives an intact zero.
for p1 in range(len(s1)):
for p2 in range(len(s2)):
if s1[p1] == s2[p2]:
m[p1][p2] = m[p1-1][p2-1]+1
d[p1][p2] = 3 # 11: decr. p1 and p2
elif m[p1-1][p2] < m[p1][p2-1]:
m[p1][p2] = m[p1][p2-1]
d[p1][p2] = 2 # 10: decr. p2 only
else: # m[p1][p2-1] < m[p1-1][p2]
m[p1][p2] = m[p1-1][p2]
d[p1][p2] = 1 # 01: decr. p1 only
(p1, p2) = (len(s1)-1, len(s2)-1)
# now we traverse the table in reverse order.
s = []
while 1:
c = d[p1][p2]
if c == 3: s.append(s1[p1])
if not (p1 and p2 and m[p1][p2]): break
if c & 2: p2 -= 1
if c & 1: p1 -= 1
s.reverse()
return ''.join(s)
if __name__ == '__main__':
print find_lcs('abcoisjf','axbaoeijf')
自画自賛。配列の添え字チェックを行わずにすましてるところがかなりクールだと思ってほしい
(激しく行儀悪いけど)。LCS の長さだけが必要なら (今回の場合はそう) もっと短くなる。
所要時間 O(|s1|×|s2|)。
セキネさんとガクガクな議論のあと、いくつかのことを決める。
まず、行動記録ちゃんととっとけ。なにやったかわかんなくなるから。
あと、一度に複数のパラメータを変えるな。原因追求するのに時間がかかるから
(これは悪いくせだ)。まずベースラインの確立が第一目標。
とりあえずは文レベルの matching 正解率を測定すること。
そして、正解データは 4種類あるのだ。
- NE レベルでの正解データ。
ここでは NE は version4 の階層 (top 8 のみ) にしたがうこと。
- Entity (coreference) レベルでの正解データ。
これはカッコの種類を変えることで同一ファイル中に含ませられるだろう。
- Sentence レベルでの正解データ。
- そして最後が、表現レベルでの正解データ。
さいしょの 3つは明日中につくること (できるんかいな)。
で、簡単な interdocument coreference resolver はもうこれでいいや
(まだ細かいところでエラーってるけど気にしない)。ただ同一 document 内での coreference があるな。
これをなんとかすべし。たぶん解決すべきは「同」問題だけ。
そしていまのところ python のモジュールとして呼び出してるが、
ちゃんと preprocessor として使えるようにすること。これは簡単だろ。
Todo:
- 生成する部分木を述語に限定しない (名詞句も含む) ようにする。
しかしどうやって数の爆発を抑えるか? 考えろ。
- knpfixer は文レベルでの正解率のあと。
ふと気づいたのだが今日は節分だ。
節分といえばうちの父は毎年近所じゅうに響きわたる大声で豆まきをするので
恥ずかしくて仕方がないのだが、今年もやっているんだろうなー。
キチガイ一家。
しかしなぜ父が豆まきにそこまでコダわるのか謎である。
うちの一家はなんでどうでもいいことにばかりこだわる人物ばかりなのか?
きょうもナサーなニュースばかり。
つまりそれ以外のニュースは「その程度」のどうでもよさってこと…。
どうでもいいけど TCP/IP を「とくぴっぷ」と読むのは新山ぐらいだろうか。
だろうな! だろうさ!!
独り言のときにしか使わないからどうでもいいけど
(ちなみに Tcl/Tk は「トクルトク!」だ、こっちはカタカナで書いて感嘆符をつけなければならない)。
あと、寝坊したので colloquia に行けませんでした。ばかばか。
Todo:
税金申告。
google://存在しないはずの/
google://アタマガイタイ/
メモリー増設。お駄賃にもらったのは古いメモリー。
でもスロットが足んなくて差せない。そういう世の中でござ!
コーヒー買ってこよ。
きょうは、とてもあたたかな一日であった。
外で本を読んでる人も結構いる。
きょうはほぼ一日宿題で費やされたが、それはある意味救いかもしれない。
そういう言葉遣いをする人は巷にあふれているのだ。
dig や host より dnsip や dnsname のほうが使いやすいのだが、
これに慣れてしまうと djbdns がインストールされてないマシンでは
何もできなくなってしまうのである。つまりこれは、
すべてのマシンに djbdns をインストールせよ、ということだね?
うげーもうこんな時間かい。帰らなきゃ。
何をやってたかはヒミツ。。。あー、緊張した。
PATH 駅で電車を待ってたら、向こうからインド人らしき男の 2人組が
歩いてきたのだが、一瞬かれらが日本語を喋っているのかと思った。
よく聞くと違うのだが、なんかイントネーションや子音のつながり具合が
それっぽいのである。こうなると大野晋のドキュソ学説
(ドキュソ度は中程度だがこう呼ぶと歯切れがよくてよいでしょ) も
それっぽく思えない? まあ DDI… (どうでもいい)。
Ga-so! (C-x C-j) ガーソ!!
AI のレポート手直ししようと思ってたら、印刷したまんま忘れてきた。
しかも悪いことにフロア共有のプリンタに (7階には日本語が出力できる、
日本人集団しか使わない PS プリンタのほかに、ふつうの共有 PS プリンタもある)。
やべーよ。カンニングされたらどうしよ。まあ、たぶん誰もしないと思うが…。
誰もとんなよー! fge. あした朝一で奪還せねば。
Todo: 早起きそして奪還。(もうすでに危険危険あぶない危よ険)
ムガーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーール帝国!
つねに言葉で相手を判断。そして真似。
研究日誌
今週の目標:
- 簡単な coreference resolver をつくる。
おもに対象とするところは日付の照合と“同”問題、苗字と姓名の一致。
- KNP があまりにもよく間違えるところを
ピンポイントで (別名 adhoc に) 修正する "knpfixer" の作成。
「東工大の教育評価に関するアンケート」というものが実家に送られてきたらしい。
教育評価あ? どう考えてもこっちのほうがずっといーでしょ! 以上。
だいたい東工大でいちばんよかった授業がこっちの並の授業くらいだ
(ほかの日本の大学とくらべてどうなのかは知りませんが)。今では東工大もどうかしらんが、
こっちでは授業ではみんな綿密に資料を作って PowerPoint で発表するし (しーげるを除く)、
サンプルなんぞも実際に走らせて見せたり、宿題もきちんとやらせるのだ。
そこまでやる先生は日本ではほとんどいない。すくなくとも、うちの学科にはいなかった
(デモなどをする場合はだいたい先生自身では操作ができないので、学生がひとり「お供」につくのが普通だった)。
こっちの先生は某Y崎先生のように述語計算をはじめたまま帰ってこなくなる
ことなんかないし (しーげるを除く)、某T中先生のように電総研時代の思い出話を
とつとつと語り出したりはしない (しーげるを除く)。その、しーげる先生の授業でさえ、
東工大の平均的な授業よりはマシだったのである。ああ、そういえば某T永先生はちゃんと
綿密に資料を作っていた。新山のいたころは彼が唯一ではないだろうか。
でも宿題の量は全然ちがうし、学生側のやる気も圧倒的にちがう。
こっちの学部の授業はあまり見てないんでよくわからないが、
とにかく大学院の授業ではその差は歴然としている。
それでも私立の大学とかはカネもらってんだからある程度まともな
授業すんじゃないの?と思うが (給料ぜんぜん違うらしいし)、
うちの学科で停年退職したエラい某S村先生 (授業ぜんぜんだめ) が
理科大に引きぬかれたりしてるから、あまり期待はできない。
たしかに日本の大学でも何年かたつうちに得るものはあるのだが、
こっちの大学院の1年と日本の大学院の1年では密度がぜんぜん違う、ということは
確実にいえるだろう。つまり結論: 留学してよかった、オレは正しい。ということ。
自画自賛。
でも最終的に自分が出た学校なんてどーでもいーだろ、とは思う。
自分には学歴をどうこういえる資格はない。が、“学校歴”よりも、
文字どおり自分がどれだけ勉強したかという、広い意味での“学”歴は
どっかで役に立つこともあるだろう (役に立たないかもしれない --
そんなん知ったことか!)。そうとでも思い込まなきゃやってらんねー。
以上、一般論おしまい。
そういやー予備校でも (弱小なとこだったので) 「停年退職した高校教師を雇う」のが
常習手段だった。とくに高校のときの数学教師がちょうど新山の卒業と同じ年に
退職して同じ予備校に来ていて「あれっ!? 先生もここに!?」という状態になったのは笑えた。
給料すげえいいらしいよ。予備校つっても高校とたいして変わらない先生もけっこう多く、
停年してありゃーおいしいわな。で、その先生とはその後もときどき会ったのだが、
彼は「いやー昨日はゴルフに行って肩いたくてね」とか言っていた。
いや…まあ悠々自適で結構なんだけどさ、ああいうふうにはなりたくないな。なんとなく。
もちろん新山に年寄りを批判する資格はまったくないってことはわかっております。
A Better Way Backtracking Chant Complications Garbage Collection Intermod Interference.
チャイナタウンへ行ってみた (が、今日はカメラを忘れたので写真なし)。
めちゃくちゃ混んでた。Mott st. (街路には漢字で「笏街」と書かれているが、
これは広東語で発音するとまさに "Mott" という音になるらしい、Deyun から聞いた) の
あたりはもうメチャこみ状態で、警官が出ており、
道ぜんたいが爆竹の燃えカスと色つき紙テープでうめつくされていた。
というかあれは爆竹と呼ぶのだろうか。火をつけるのではなく、
地面に叩きつけるだけで破裂するのである。道端には「one doller, one doller」と
叫びながらこの爆竹の入った小箱 (party pop とか書かれている) を
売っているおばさんがおり、中国人のガキんちょがうれしそうにそれを買ってもらっては
地面に投げたり踏んだりしてバッチンバッチンやっていた。
新山はあの音はにがてだ。とくに耳のすぐそばでやられるとすっげうるせーの。
耳キーンとなるし…。そのあと Nolita をあがってきたがどこも混んでた。
どうでもいいが、Soho とか Nolita あたりで日本人をみるとなんかみょうにキメキメな格好してて笑える。
あのあたりは店はおしゃれだが、歩いている人は一般的にたいしておしゃれではなく、ルンペンもいるし、
なんかチャンチャンコみたいなの着て紙袋もって口になんかほおばってるおじさんが
いたりして、一体お前どっかのコタツから抜け出てきたんよ? 職務質問されんじゃねえか?
というのもいるし、「なんか金かかった格好してる」と思う男女は全体の 5%にも満たないのだ。
まあそんなに着飾った人間が沢山いたらこわいからいいんだけど。
しかしなんか一部の人はあいかわらず「都会ではみんなオシャレしてるにちがいない」という
思いこみがあるらしく…これって地方から上京してきた若者がみょうに勘違いしてキメキメなのと
同じ状態ですね。こういう人々は日本でも地方に住んでいるか、あるいは NY にきたとたん
そういう意識をもってしまうのであろうか。どちらにせよたいへん面白く、
新山はそういうのを見ると思わずニヤリとしてしまうので
変態に思われることはまちがいないだろう。しかしお前らも同じ穴のムジナなのだ。ざまーみろ田舎者!
さて、screen のステータス行にメールの通知をさせるプログラム。.xinitrc で実行する。
#!/usr/bin/env python
import poplib, time, os
statusline="%{= W}%m/%d %D %c %{= R}@@MAIL@@%{= W} %-Lw%{= BW}%50>%n%f* %t%{-}%+Lw%<"
password=file('/home/yusuke/.pop3pass').readline().strip()
while 1:
p=poplib.POP3('slinky')
p.user('yusuke')
p.pass_(password)
n=len(p.list()[1])
if n:
s = statusline.replace('@@MAIL@@', '<%d>' % n);
else:
s = statusline.replace('@@MAIL@@', '');
os.system("screen -X hardstatus string '%s'" % s);
p.quit()
time.sleep(60)
あーもうどのニュースを見ても NASA のことしかやってなくてむかつく。
なんだこりゃ? そりゃ税金の無駄が悲しいのはわかる。でも、
こういうことを言うとなんかワルぶってるガキんちょみたいで非常にアレなのだが、
たかが 7人死んだだけでしょ? はっきり言って。
しかもべつに高校生が銃を乱射したとかじゃなくて、
この人々は最初っから死んでもおかしくないようなことしてたのだ。
いったいこの騒ぎはなんなんだ。
思ったのだけどアメリカ人は国をあげて壮大なワイドショーを演出するのが好きで
しょうがないらしい。もしかするとこの国はほとんどそのためだけにしか動いていないのではないか?
という気さえしてくる (しかも大多数の人間は気づいてないらしい、タチ悪い)。劇場国家。
きょうはどこへ行っても半旗があがっていた。
帰ってきた。おまえ書きすぎだ。こんなの誰も読まんつーのに…
あああ。きょうはなんだかとっても「ダメなこと」を書いたので反省している。
ダメなことというのはなにも悪口をメタメタ書くことではなくて、
「自分になにか直接的な利害があるわけではなく、
具体的に手を下せるわけでもないことについて、あれこれいう」ことだ。
つまり高見の見物。これは最低だ。
にもかかわらず、きょう自分の書いたものを読みなおしてみるとしっかりそうなっている。
一体おまえは何様かと。こんな奴は (形而上学的にいって) 死んでしまえばいい。
素人が自分の関わってもいないことについてこういうふうに「意見」を述べたりする
ページというのはすでに web 上にくさるほどあって悪臭をはなっているんだから…。
ここを誰が読んでいようと知るまいが、
オレはつねに自分の利害だけを書いてればいいんだ。いつでも。
お前の意見なんぞ誰も聞きたくはないということを思い知るべし。
かかわる気がないのなら語る資格はない。
ちなみに slashdot って、じつはそういう高見の見物のための野次馬サイトなんだよね。
(2ちゃんねるもそういう傾向はあるが、こっちはまだ直接自分に利害のあることを
喋っていると思う、板にもよるけど)
極論や暴論こそが面白いんじゃん。
なるほど空中分解は「disintegrated」というのか。
しかし
Peter Jennings
はあいかわらずカッコいいよなー。
重大ニュースのときに CM なしで何時間も仕切ってるのに、ひどく落ちついた口調。
いかにも「ニュース・スピーク調」ってかんじで。
日本にこういうタフなキャスターがいるかしらん。
「djb がスペースシャトルを設計したら」というネタを書いたのは私です。
新山のような不謹慎な人間は地獄に落ちるべきだと思うが、
洋風な地獄ってちっとも面白くなさそう。ひたすら火で焼かれるだけって、何それ。
おまえらバーベキュー以外に料理というものを知らないのかと言いたい。
ネボったし偏頭痛ったので、いまごろおそい朝食をとる。
さいきん気にいってるのはベーコンをカリカリにいためて、ほうれん草
(あらかじめカットしたやつが袋づめで売ってる) と一緒にコショウで
いためたやつだ。それにベーグルを焼いてクリームチーズをぬり、コーヒー。
なんてウエスタンな朝食。ちょっとカッコつけすぎだろ (実際に手際よく調理しているときは
自分に酔っていたりする、でもコーヒーをいれつつベーグルを焼きつつ
炒めてるのでそれなりに大変)。
さて、調理しているうちに電話中の Owen (相手は彼女である - いまやフィアンセというべきだが) が
近付いてきてキッチンをのぞきこみ、「それ、ウマそうだけど、ちょっともらっていい?」「ああ、いいよ」というと
箸ですこしつまんで電話ごしに「好是、好是」などと話している。こいつオレが何を作っていたか
電話ごしにずっと彼女に報告してたらしい。ヒマなやつらだな。
それ以外は中国語なので何をいってるかよくわからんが、
「ベーグル」とか「チーズ」とかいう単語が聞こえる。そこまで言わんでいいっつうの!
…で、いまブッシュの演説やってる。毎度毎度何かが起こるたびに誰かがこのスピーチ作ってんだよねー
(本人がやってるとは絶対思わない新山であった)。えらいもんだな。
しかし原発でも航空機事故でも、こういう大惨事が起きるとたいてい
「まず起こりえない事故」とかいう解説がなされるのだが、そういう物言いにはいつもむかつく。
あんたらには謙虚さというものが足らんよ。まあオレもそうだけど。
slashdot を見たらもう 1500 もレスがついてた。すげーな。
ところで slashdot.jp のほうだが、こちらをみると「大手コンビニに客をとられた潰れそうな商店」
というかんじでなんともやりきれない。それでも本物のひなびた商店は味があっていいんだが、
こっちは当初から存在意義がようわからんサイトなのでほんとにどうでもよく見える。
あそこはいっそ「slashjot」という名前にでもしたほうがいいと思う
(いま一人で大ウケ、でもこれくらい身を犠牲にしたギャグをやったらすごいんだけど)。
そういえば昨日あるところでまたおかしな話題が出てしまい、ここぞとばかりに
「辻仁成の顔って
どうみても
若い立松和平
ってかんじじゃない?」と言ったのだが、理解してもらえなかった。
これは自分では必殺のネタだと思っていただけにとても残念である (新山は二人とも嫌い)。
そういえば椎名誠 (なぜか SKK 辞書に一発で入っている) って昔は好きだったのだが、立松和平と
組みはじめたあたりから徐々にエセ自然保護論者な感じが強まっていき、いまでは
2ちゃんねるの某スレッドなぞを見るとその傾向はとどまるところを知らないらしい。
しかしもう見捨てた人がさらに落ちぶれているのを見てもいまさら特に感想ないけどね・・・
地獄について。地獄に関する記述は古今東西いろいろあるが、
どれもいまいち説得力に欠けているように見えるのは、
「どうせしばらくすりゃ感覚麻痺しちゃうんだろ」と思ってしまうことだ。
だから地獄で何をされようが正直なところどうでもいい。
すると結局「地獄の沙汰も一期一会」というヘンな結論になるなあ。
そもそも「感覚が永続する」という仮定自体、理解しがたいものだ。
だいたい人間の認知システムをアテにしている時点ですでに想像力の貧困である。
そして感覚がなくなったからといって、それが恐しい罰か? というと、
そんな実感もわかない。たとえば自分が娑婆でしたことを「永遠に後悔させられる」というのは
肉体的な責め苦なんかよりずっとリアリティがあってこわいのだが、
これまたそんな感覚が本当に永続しうるのかどうかじつに疑わしい。
「どれだけ後悔がつづくか、ギネスブックに挑戦!」という人はいないんだろうか。
やっぱり、サルトルのいうように…以下▽りゃk
きょうは旧暦 1月1日である。けっきょき、チャイナタウンに春節を見に行けなかった、な…。
さて、あなたがわたしに貼ったレッテルと、わたしがあなたに貼ったレッテルの数では、
どちらが多いでしょうか??
ああ暗い暗い。先のことを考えると暗くなってしまうのはどうすればいいでしょう?
- 考えないようにする。
- 考えるが、理不尽に考える。
- 考えるが、すぐに忘れるようにする。
びっくりするほどディストピア!
それにしても、忘れるってことは、とてもすてきだ。
忘却が唯一の救いとはよく言ったもんだね。
おなじことが何回も起こっている。
…あるところに、「幸せな理論 (幸せのではない)」の完成をめざす男がいた。
彼によれば「それは、もうちょっとでできあがる」のだという。
しかし私が思うにその理論は決して完成しないだろう。
そもそもただの「理論」ごときが幸せを感じるということが、どうしてありうるのだろうか?
彼はいう。「理論はその中に含まれている不確定要素の量で決まる。
不確定な要素が少ない理論は全体として他からカタストロフが起こることがなく、
安定しており、結果として長生きする、つまり生に対する執着」
彼は説明する。「そのためには、まず、すべてを、世の中のすべてを説明しきらねばならないよ!
一字一句! 寸分の互いもなく! わずか5文字で (句読点含む)!!」
まるでなにかにとりつかれたようだ。
「それはうねもさだ!
わかるだろ。道が…。そこからきみに向かって伸びる木だ。木が生えている。
そしてそれはつきささる。そこからだ。根っこ。わかるか?」
「わからん、わかりまセーンネ!」
となぜか後半を片仮名まるだしにしてしゃべる俺。
いつのまにやら話の主導権は鉱石ににぎられてしまっている。
こいつ (=石ころ) ごときに! いまさら気づいたがこいつは頭から木を生やしているたぐいの下降岩だ。
私としたことが! 何という失態だろう。失態とは、つまり、失墜を意味する。
目の前にはすでにまったく抽象的でない白骨だらけの道が見えていた。
つまり、砂時計=日時計的関係、とゆうことだ。まずいじゃないか!!
…え? ある? あるって? とりあえず落ちることはできるらしい。
ならば彼の理論というものも、いずれかの日には、月を見ることがまたあるかもしれない。
それは、しずむのだ。
わーいわぁい。どじょっ子、ふなっ粉。
Yusuke Shinyama