考えだすことはかんたんだが、考えないでいることはとてもむずかしい。
きょうの nytimes web 版トップに、いきなり いのちの電話・斉藤友紀雄 の話が載っている。この人って牧師だったのね。それによると “日本人の多くが信仰しているシントウは、キリスト教よりも自殺に寛容である”…きたきた! こいつら、わかってねえだろ。 まあこれは本人が言ったんじゃなくてこの記者が勝手に書いたんだと思うけど、 だいたい日本人は神道なんてふつう知らないし (すくなくとも新山のまわりでは知ってる人なんてほどんどいない)、 たぶん連中にとっては、なにやらキリスト教とは別のルールがある、 祈祷とかやってるあやしい宗教ってイメージなんだろうけど、 わかってないなあ、ほんとに。まあ最初から期待もしてないんだけどね。 オレもわかってないし。(まいったか!)
(オレ = あんた = 全員)
他人を怒らせるように書くのは簡単だが、 他人を怒らせないように書くのはとても難ずかしい (むずかずかしい)。
いついかなるときでも爆弾を作るほうが建設機械を作るよりずっと楽だ。
さて、文章はできたのだが…
いま終了しました。や、今晩は。
またこんな時間まで!!!!
夕食は簡潔にサンドウィッチ。パンを焼いてマヨネーズをぬって 野菜とハムをはさむだけ。ひさしぶりに SPAM を食う。 こんなのはとても料理とはいえないが、こっちの「お料理教室」に 出るとこの手のサンドウィッチやハンバーガーの作り方を 教えてもらえるらしいよ…。どこが料理じゃ!!
まあ、ハンバーガーをゼロから (挽肉から) 作るというなら それなりに料理ではある。
もう今日は頭が止まってしまったので寝る。
という思考はつねにある。 オレが悪い。おまえが悪い。悪いのは誰かじゃでなくて誰かだ。その他。
でも結局、それは言葉だから。
ほらさ、「悪」っていかにもワルそうだよな。 そもそも「亜」がワルいよ。この目つき! 何者なんだおまえは? 小林ア☆。
だからこう言いかえよう。
“自分が望まない結果になったのはオレ自身が原因なのか?”
あまりに長いからもうどうでもいいです。
というかそもそも「自分」という単語じたいが、たんなる言葉でしかないような。 「自分」って何? 「自分」を指さしてみろ。ちがうちがう! それはおまえの胴体であってお前じゃない!
どこまでいっても「自分」なんてものはありません。
心臓はべつに自分の代表じゃないし、
脳をとり出しても自分の代表じゃないし、
逆に腕や内蔵を切りとっても自分は自分であるという。おかしい。
つまりそんなものは最初からなかったのだ。
言葉を作れば、なんでも「あること」にできる。それってほんとに便利。
ただの音なのに。じぶんっていってみよう。じ−ぶ−ん。便利便利。
だらば自分はたんなる言語生成装置だということにしてもおかしくはない。 つまりここに機械があって、そいつが「オレがワルいノカ。」と書くわけです。
ホラまた自分って使った。
ホントに便利な言葉。
どんな言語にも、かならず「自分」を示す代名詞はあると思う。
しかしそれは激しく謎だ。
ヴィトケンシュタインなんか読んでませんよ。
オレは、36/(8+5430+36+3780) = 0.38% の中に入る人間らしい。
しかし日本人が本当に「ヤバい!」と感じる行為はいくつかあると思う。 すくなくとも新山にはある。新山はまともな社会人ではないし、 べつに宗教に熱心でもないから、社会道徳やら神への冒涜なんかは別に 気にもしないのだが、本当に「こわい」と思うのはもっと卑近なことだ。 たとえば誰かがお茶碗を箸でチンコンたたいているのを見ると、 反射的に「あれはやばい!」と思う。ほかにも箸をうっかりご飯の上に 垂直につき立ててしまっても恐怖を感じる。なんか食事関係ばっかりだな…。 あと誰か(生きてる人)の白黒写真に葬式風の飾りをつけるのとか、 冗談でもやりたくないし、樹齢数百年という木をガリガリ切るのも (そんな機会はないだろうけど) 純粋におそろしい。 そういう感覚というのは、いったいどこで身につけたものなんだろう? 柳田国男によれば箸で茶碗をたたくのは「下等な神々を降ろす」儀式だそうで、 だからむやみにやるとよくないことが起こるというんだけど、 その行為によって得られる「得体の知れない恐怖感」というのは 実際になにか直接的な感覚がもとになっているはずなのだ。 それはいったい、どこからきたのか?
けどいまだにそういうタブーわざと破った芸術表現を日本でほとんど見ないのはなぜだろう。 それをやるとマジでシャレになんないからだろうか? たとえば音楽なら、 楽器のかわりに全部箸 & 食器をたたいて演奏するバンドとかが もしあったら個人的にはロックなんかより全然「反社会的」だと思うし (でも売れなそう)、 いたるところでご飯に箸をつき立てて食ってみせたりするのもかなり 挑発的なパフォーマンスだ (で、当然おかずはハシとハシで渡しっこするのね)。 きっと見ていてすごい嫌悪感をおぼえるだろう。 でもその嫌悪感のもとが一体なんなのかはわからないな。 そういう感覚は、文化的なものもあるが、自分が生まれ育った土地の 風景にもかなり依存しているようにも思える。 あと食事のマナーにかんする禁じ手が多いのはなぜだろう。 やっぱり日本人にとってはものを食べること自体が宗教的な儀式だからだろうか? (ちなみにのいまんサンによれば「日本人にとって胃は神聖な器官であり、だから『腹』が出てくる諺も 多い」というのだが…)
あ、そうだ。「反社会的」がニッポンの産業基盤や思想に影響をおよぼすという意味なら、 ハクライ物はどれもみんなかなり反社会的だな。というかそれをいうなら、 もう日本はとっくに「反社会化」されてるような気がするんですが…
ぜーんぜん関係ないが、まえに SOHO で あの一時期話題になった「じんじゃあ」に乗ってる人を みたことがある。「へえーあれって本当に使ってる人いたんだ?」と思った。
ところでこっちでは電車の運転士は Driver って言わないことに気がついた。 「Conductor (車掌)」と「Engineer (機関士)」なのだ。機関士がいわゆる運転士である。 でも機関士のほうが呼び方がカッコイイよな。 そういえばもともとエンジニアってのは「エンジン」から来てんだから、 こういう使いかたは本来の意味にかなっているといえる。
police, people, cattle, gentry, poultry, fowl, vermin.
しかしその後知ったのだが、チョムスキーはぜんぜん有名人であった。 でも、物事なんてあまり沢山知らないほうがいいんだと思う。
ほんとうはね。
無 能 (incompetent)
」であるということを
まざまざと思い知った。
いや、いつも思い知ってはいるのだが、それにしてもすごい思い知りぶりだ。
しかしそれ以上はここに書かない。
とにかく、もうフテ寝したい気分。フテ寝。フテ寝。ふてね。
やや恐しげものをみたが、 それはちっとも規則にしたがっていないので、恐しくもなんともない。 真の恐しさは「予測可能性」だ。
鼻をかむ
鼻にかまれて
鼻せない
ここで各人の性質というものがわかると思う。つまり:
思うに、人は自分が幸せだと他人の顔も幸せに見え、 自分が不幸だと他人の顔も不幸に見えるのではないか。 いやむしろその逆かしら。
なにを綺麗ごとを。ふn
きょうは地下鉄に乗っているときにかるい事故 (のようなもの) があった。 たぶんあれはちょうどハドソン河下だったと思うんだけど、 いきなり「ドすっっ、ばスン、ガっ」という音がして 窓の外をみたらオレの乗っていた側の外で火花が散っていた。 おいおい、こりゃヤバいんじゃねえの? なんか金属が車体にぶつかったような感じだが、 なんしろトンネル内は暗いので何がどうなったのかわからない。 (ちなみに NYC Subway のトンネルは日本の地下鉄のトンネルよりちょっと狭いのだが、 PATH のトンネルはさらに狭くてほとんど車両1台がぎりぎり通れるくらいの 大きさしかない。まあ日本の地下鉄では大江戸線があんな感じだったろう)。 とにかく、「なんか事故った」と思ったのだが、列車はかまわず走り続けた (もともとそんなにスピードは出ていない)。そのあと車掌が無線でなにやら話していたが PATH では車掌は乗客と同じところに立っているので会話はまる聞こえである。 向こう (その無線機の相手、おそらく管制室か何か) は 「たったいま、どこぞの電力系統が故障した、おマエの列車は大丈夫か?」と尋いてたような気がする。 それって、この列車が壊したんだろ…。 しかしこの車両は「他人に迷惑をかけつつ自分は平気」という運命だったらしく、 そのあとも何事もなかったように走り続け、無事河を渡って 9st. の駅に着いた。 新山はそこで降りたが、それにしても、あれはあのあとどうなったんだろう? 帰りもちゃんと動いているといいけどなあ。
しかし、まあ、何だったのかわからない。
それにしてもリスのしっぽについて思いをはせるのだが、 やつらのしっぽはなぜああも長いのか。おまけに太い。 といってもフワフワしてるのは毛のせいで、実際の部分は そんなに太くないのだが、じつによく動く。ピンと立ったかと思うと くるっとねじれたり、しっぽの動きだけを見てても飽きないくらいだ。 そして実際のしっぽはほとんどの部分が毛であるので、ピンと立っていると ちょうど鳥の羽根みたいに向こうが透けてみえる。よくできてるよなあほんと。
明日は早起きしたい仮定と推定。および予定。
それにしても再帰は油断ならない。 問題の再帰的な記述はしばしばもっとも効率のよいプログラミングのひとつだが、 開発効率がよいかどうかとはまた別問題である。 新山はバカなため、ときにこいつには非常に混乱させられる。 愚直な手続きのほうがわかりやすいことも多い。 しかし、どうしても再帰が必要になる場面というのがある。 ひとつは、問題の大きさが指数的に増加するような状況だ (たとえば木の traversal とか、正規表現の closure のマッチングとか)。 これらの問題は再帰を使わなくてもできるのだが、 結局手動でスタックじみたものを導入しなければならないので、 やっていることは結局同じである。これはもうちょいちゃんとした文章 (いまこれを入力したらじつは「ぶしょう」と打っていて、「不精」と変換されてしまった) に まとめようと思う。つうか書きはじめてはいるんだけど。
人間、名前が知れてくるとロクなことにならなそうだな、やっぱ。 どう考えても。
個人的には「コイツ何者だ?」と思われつつ、 あっちこっちに顔を出す、というのが好ましいと思うわけです。
「思うわけです」が多すぎると思うわけです。
じめじめじめじめじめじめじめじめじめじめじめじめじめ雨
そういえば「家出」と「出家」て一字違いだな、と 思った (そうゆうのは一字違いとは言わない、このばか)。
…てゆうか、こういう「ひっくり返せばじつは別の単語」語(?) って、 いったいいくつあるんだろう? と思ってみた。つうことで実験開始。
ところで、それってそれってもしかして…。
空が曇っているからといって嫌悪感をもよおしてはいけない。 人が評価される側面はひとつではないのだ…。 句読点のひとつひとつまでがいまわしいから何だって? そしてそれがわかっているかどうかは実はどうでもいいことだし、 自分が生理的に嫌いかどうかもどうでもいい (まあ圧倒的に嫌いなんだけど以下略)。 ただいえるのは、その薄笑いを解剖するには時間がかかるだろうね、 ということだけ。気の毒なのはオレ以外の誰かなのかもしれないが、 それはそれでまた問題だ。
不幸な!
もちろんヤツに器官じみたものは何もない。でもそれに気づきませぬように。 およそ寒気がするほどどうでもいい話題。
この手の「わたしゃー、アレ風なのよ」って雰囲気はどうにかなんないんですか
ね…。
誰かは見るだろうが、誰でもない人が見る。
今朝来たときは雨のせいで足元びっしょりだったのだが、 いつしかスボンはすっかり乾き、同時に心もすっかり乾いていた。
42秒間の沈黙
と
100年の孤独
どっちも長い
(いーーーーや怒ってはいかん…怒ってはいかん…。 怒ると早死にしますよ? つうかいいから早く氏ねよ、いいから。 いーーや怒ってはいかーーん…)
(以下50回ぐらい繰り返し)
それ以外になにができる?
しかし「力学」をひっくり返すと「学力」になるというのはウケタ。 やはり物理は大事、ということだろうか。 「男優 (だんゆう)」と「優男 (やさおとこ)」なんてのも笑える。 「外国」と「国外」も意外と気づかなかった。イントネーションが違うからだろうか。 (ひとりで面白がってる新山)
くり返し。
くり返しという言葉をくり返し。
くり返しはすべての基本である。(笑いの基本ではない)
しかし本当の「くり返し」なんてものが本当にあるのだろうか。 世界はすべての瞬間で互いに異なっているのだ。 くり返しのようでもじつはすべてが一度だけだ。 真の「くり返し」は時間が戻ったときしか起こらない!!
だから?????????
儀式。
ところで、Gospel の歌詞とかを見ていて知るのだが、 「He」が God をさす時は決して he と小文字にならない。 これは固有名詞だから (オレはそれを認めないのであくまで the をつけてやるぞ)。どうでもいいけど。
キリスト教嫌いなのに Gospel 聴くのはおかしいですか? この矛盾については 133年後に考える予定。 けれどもこいつらは世界を善悪に二分する分類君。 "Evil なヤツが来てお前を試すときがきてもつねに joyous でいろ" だとよ。「悪は自分の外側にいるのであって自分ではない」という 考え方には嫌悪感を覚えるが、そんなときは「そんなヤツいねーよ、馬鹿」といって笑ってやれ。
「心配しなくていいわよ、ここには私たちより悪いものなんて、いやしないんだから」
なにもかも明確には分離できず、すべては不確かだという感覚がオレを安心させる。 とりえあず豆がハト鉄砲くらったような生き方をめざしたい、地面を這う人間として。
(なに言ってるだカ)
(↑ あまりにもひどかったんでコメントアウトしました、どうしても見たい方は「ソースを見る」してください)
ふと、待てちゃアという声がきこえた。
他人に対して腹を立てるというのはもっともくだらん行為のひとつで、 できればそんなものはなしで世の中すませたい。 それだったら自分に対して腹を立ててたほうがまだましだ。 ぷsぷs。
それにしても。
(後を向いて) あーバカバカばか!
でも。
オレってムカついてるときのほうがいきいきしてるよな、と自分で思う。
理念として、工学は学問というよりもむしろ奴隷解放運動のようなものと思う。 なにより計算機はまず人の役に立たなければいけない。 しかしそれは逆に新しいタイプの奴隷をつくりだしているだけではないかという不安。
いや、もっと根本的な問題がある。 もし人が奴隷になるほうを望んでいたとしたら? それを否定できるだろうか。 とりわけ計算機に対してキチガイ的に服従する人々 (新山自身も含まれる…だろうな、やっぱり)。
で、起きてから、あすこはいったいどこだったんだろう? たしか前に行ったことがある場所のような…とぼんやりと考えていたら、 自分の記憶にあるその場所もやはり夢で見たものだったということに思いあたる。 なんともハヤ。なんか実際には存在していないのに「夢で行ったことある場所」が増えてきているなあ。 これはいいのか悪いのか。まあ夢の中でもそれなりに旅行を楽しんでるような 気がするのでいいんだと思うけど。
1度目の夢の 2つ目のストーリー (ややこし) では、 なぜか NY の地下鉄駅にいたが、そこはなんだかやけに入りくんだ構造をしており (実際そういう駅は多い、Times Sq. なんか迷いそうだし)、なぜか Shubin がいて、 「ここはどこだい?」と聞いたら彼は「わからん、Columbia の近くじゃないかな」とかいってた。 そんな駅はたぶん利用したこともないのに、なぜ夢でその名前が出てくるのか謎である。
で、そのあといったん目がさめてトイレへ行き、 2度目は NY でノートパソコンを買ったという夢。 20センチ×15センチぐらいでたいへん小さいのだが、なぜか RICOH 製だった。意味不明。 でも店にはアメリカ人がいたけど、ありゃあ秋葉原だよな。 なんか河の近くにある店だったので、オリジナルはきっと万世橋か昌平橋付近だらう。
それにしても、自分は我ながらかなり多種多様な夢を見ていると思う。 パターンはいくつかある。
で、起きてから「ああ、たのしかった」と思うのはだいたい 3番目の「紀行」バージョンである。 そういえばまえに一度、海岸沿いのデカい橋が出てきたことがある。 そのちかくには案内図があって、そこには「か い ひ ん 大 橋」と記されていたから、 きっとアレがかいひん大橋だったのだろう。でもそんな橋にいった記憶は現実ではどこにもない。 検索してみてもゼロ。兵庫には「赤穂海浜大橋」ってのがあるらしいが、新山は 兵庫には行ったことない。こういうのはどっからつくりだされてくるんだろう? 少なくとも本で読んだものにはあまり影響されないようだ。ふしぎだ…。
だいたい、それが実体験じゃないからどうだというんだ?
ところで今日の目標はおでかけすることである。 ずっと家にいるとまた死にたくなるからな。
そしていつものサンドイッチ屋へ。 ここはアラブ人がやっているのでいつも hatten みたいな曲が流れている。
http://www.snoopy.com/comics/peanuts/archive/peanuts-20030514.html
もうこいつがあまりにもカワイイので、印刷して机の前に貼っちまった。 ちなみにいま貼ってあるのはこれを除いて時間割と大学まわりの地図と… あとひとつは秘密だ。
“…人生は一行のボオドレエルにも如かない。”
ところでボードレールとボーヴォワールって間違えませんよ、わたしなんか。オルヴォワ!
シマリスくんには
カゾクがいる
やはり物事というものはですねえ、いざ「やるっ」となったときに、
「ゃるぞぉー!」「うりゃー!」 ガシガシ!! ドガっっ。 ・・・・・(足の指をカドにぶつけた音)・・・・
…という具合に進めなければならないわけです、意味的に。なんかアレですが
さて、意味不明的な意味になってきたんでもうよしとしましょう。
「他人に理解させる能力」というのは、ある種の親切さに関係していると思う。 思うに、人が重きをおく「親切さ」の“種類”というものはいろいろある。 ちょうどオシャレにもいろいろな“種類”があるように…。 表面的な単語のきれいさ (=美辞麗句) には異様にこだわるけど実際はひどくいんぎん無礼な人、 使っている語彙はひどくやさしいものばかりなのに、ぜんぜん言ってることがわからん人、 などなど。しかしそれは人によって違っているので。
新山はあきらかに「いちばん表面的な階層」には (少ししか) 興味がない。 かといって、ものすごーく深い部分で人に親切にするなんて荷が重すぎる。 重要なのは、表面から「一歩か二歩」、入ったところにあるように思うんだけど。 うまく言えないや、。
ところでアメリカ人がバカだと思うのは、こっちの人は 「健康的で、なおかつウマイ食い物」というのをぜんぜん知らないことだ。 うまい食事はかならず不健康なもので、健康的な食事をしたかったら ぜったいにまずい生野菜を食わねばならない、という二者択一だと信じている。 そもそも野菜や魚をおいしく調理する方法をまったく知らない。 ベジタリアンの食事もひどくまずそうだし。バカだなあ。 たしかにこっちは食材がどれも大味で、それはひとつの原因かもしれないが、 それにしてももうちょっと工夫のしがいとゆうものがあるでしょう。
(しかし、煮物とかをうまいと思うようになるにはある程度の慣れが必要で、 それをかれらに期待するのは無理というものでしょうが)
ところで、いまいきなり思いついたのだが、 クリスマスまではまだ幾分遠いのだが、 「クリスマス木」っていうとなんか計算機科学っぽいことに木づいた (←アホ)。 「パトリシア木」や「二分探索木」なんかと語感が似ているために、一瞬、新しいデータ構造か? って木になる。ああ、やべえ。skkの第一候補に「木」が登録されちゃったよ。 いままでは「気」だったのに。でもこれでいま「気」を選択したからもとに戻った。 元も木阿弥。ところで木阿弥って観阿弥・世阿弥となんか関係あるんでしょうか? と思って検索したら 「観阿弥・世阿弥・鈴木阿弥」とか書いてあって笑った。まあそんなとこ
てくるで (ところで)、きょうは帰りに Union Square の BN に入ったがすぐに出てきた。 ぞうぴい (Zope) の本も欲しいけどこれ以上並列処理を増やしてもアレなだけだし。 ところでよく「TODO」ってのを書いてる人がいるけど、あれは本当にみんなちゃんと消化できてんだろうか? たいていの場合 (というか新山の場合) TODO 項目のほとんどはただ単に 忘れ去られる。だから書いておいてもほとんど意味がない。 むしろそういうことをしだすとスケジュール管理に柔軟性がなくなるからイヤ。 どうでもいいことをうっかり TODO に書いたりすると悲惨である。 さて、どうでもいいが、担当分の翻訳がやっと終わった。 これでまた Pygame のほうの翻訳に戻れる (ホントかっっ)。 きょうはようやく Pygame 1.5.5 をインストールして、また solarwolf に10分ほどハマった。 でも翻訳すると勉強になるからいいよねー。 今回の件でずいぶん MIME まわりに詳しくなってしまった、ような、気がする。
擬人化してるわけではない。
オレが過去を水に流してサラサラと生きていけるような人間ではないことはわかった。 そいつはいつまでもずるずるとひっついている。オレはそれをひきずり続けなければならない。 でもうんざりしているのか、実はそれが好きでしょうがないのか (そうかもしれない)、 自分でもよくわからない。
自分が嫌いというのはそれはつまり自分が好きだということなのか。病気
ところできょう、自分が「…」と「・・・」「。。。」「、、、」、そして「...」を 分けて使っていることに気がついた。これらはまるでちがう !
そんなのは錯覚だと。自分に言いきかseてみる。
そんなのは錯覚だと。
錯覚。
こういうときに自分の頭の悪さを再確認できるんだ。 タナカ先生によれば、こういうことがあるから「プログラミングは人を謙虚にさせる」んだそうだが、 しかし万が一動いてしまったら「オレって世界一頭いい!」と思ってしまうから、 その弊害のほうがでかいような。ま、いいや。とにかくやるのだ。
誰ですか? ラウンジで「新春かるとた大会」をやっている人は。
ちなみに新山は百人一首は 3句ぐらいしか知りません
(最近古典を読み始めたからほんとは
もうちょい知っているかもしれないのだが、知ってるという事実を知らないので同じこと)。
6:34pm up 27 days, 4:04, 4 users, load average: 1.10, 0.94, 0.75 92 processes: 88 sleeping, 4 running, 0 zombie, 0 stopped CPU states: 0.5% user, 0.9% system, 0.0% nice, 98.4% idle Mem: 513912K av, 507412K used, 6500K free, 0K shrd, 628K buff Swap: 1044216K av, 559508K used, 484708K free 6008K cached PID USER PRI NI SIZE RSS SHARE STAT %CPU %MEM TIME COMMAND 29614 yusuke 15 0 829M 390M 52032 R 0.5 77.7 3:14 python 29605 yusuke 15 0 1120 1052 872 R 0.3 0.2 0:01 top 1370 root 15 0 2140 1444 1116 R 0.1 0.2 2:37 screen 27440 root 15 0 56980 1716 868 S 0.1 0.3 0:51 X 1 root 15 0 472 428 416 S 0.0 0.0 0:04 init
1日1リットルは飲んでんじゃないか。
聞けば米を研いでからロクにつけおき (←なんていうの、これ) しなかったらしい。 Owen いわく「ハラがへって我慢できなかった」というのだが、 もうちょい待てばずっとよくなるのに。とかくせっかちにやるといろいろと無駄にしがちだ。 なんかそんな格言が「人月の神話」にあったな…ええと、これだこれ。 "Faire de la bonne cuisine demande un certain temps." (Good cooking takes time.) というようなことを Owen と喋っているうちに食い終わり、かれはビデオを見だした。
「ああ、ユウスケも見るか?」
「いやオレは映画はダメなんだ、面白くなるまで待ってらんなくてね… うまいモノのためになら待っていられるが、映画のためには待っていられない」
「なんだ、そりゃオレとすっかり逆だな」
(ほんとうに彼がこう言ったわけではないが新山は この「すっかり逆」という表現がなぜか好きなので入れてあげた)
なるべく暗い顔をしてキイボードをうっていたら、クシャミがでました。
これを暗い顔アレルギイと、これ人はこういう。オレのみが。オレぐらいが。
class May_21(Wed):
def __init__(08:27):
もう一本の夢はなにやら北朝鮮から亡命したという人とどこかの 薄暗い事務所のようなところ (たぶん日本国内) で話していたのだが、 ふと入り口から誰か入ってきたな、と思って見るとそいつは某“将軍様”であった。 しかしその時のかれはいつものパーマをかけておらず、ストレートヘアで あった (髪はあいかわらず薄かったが)。かれはたどたどしい日本語を話し、 そいつ (亡命したという人) に向かって「ちゃんと偵察活動してるだろうな」と 念を押すと出ていった。しばし呆然としたが、 「へえー、ここにはいろんな人が来てるんですね?」と聞くと相手は 「うん、あの人もちょくちょく来てるみたいだね、なんたって日本じゃ まともなモノが食えるからね、ほら、そのへんをあさるだけで…」という。 一国のあるじが海外で浮浪者生活かよ! しかしたしかに日本のルンペンのほうが 北ちょんよりまともな食生活を送っているかもなあ、と思い、 オレはみょうに納得した。そのあと、なぜか同じ部屋にいた 別の知り合いがだれか別の人と喋っていて、 なにか飲み屋のメニューで「ラテンなんとかサラダ」がどうのこうの… という話をしていたが、『なんとか』の部分に何が入るのか 今となってはどうしても思い出せない。「野菜」だったような気もするんだけど、 もっとなんかこう、ハイカラな名詞だった気がする。 それにしてもその人は新山が知っている人物と比べるとずいぶん お行儀の悪い口のきき方をしており、内心ガッカリしました。
そのあと、屋上 (なぜか灰色の雲がたちこめていた) に上がって、 あたりの街並を見ているうちに目がさめた。
def __repr__(09:18):
def __str__(13:39):
バグがとれないともう死にたくなる。きょうのはすげーー複雑なプログラム (双方向ポインタが 4つぐらいの連想リストの間を循環的に飛び交っている) なんで、そもそも自分で作っててだんだんワケわかんなくなってきました。
「こいつがこいつを参照してて、こいつもこいつを参照してて、 あれ? するとこいつを削除するとこいつはもういらなくなるから… あれあれ? でもこいつも参照してるからまだ消しちゃダメってこと? でもでも…ふぎゃ〜〜〜〜〜〜〜〜〜!!」
って感じ。おまけにひるめしくうとふがふがしてるのよね。 GC ある言語なら別に参照カウントなんて関係ないじゃん? と思うでしょうが、今日のはメモリ一杯ぎりぎりまで使いきるような ヤツなので、使用済みオブジェクトをいつまでも配列につないでいると アフレてしまうのです。。。
ところでこないだの床屋でじつはかなりオカッピー (occappy…オカッパ頭なこと) な髪型にされたことにいまさら気がついた。というか、 マエガミを降ろすとキッチリ揃っててなんじゃこりゃって感じになる。だまされたよ。
def __iter__(15:56):
def __len__(23:08):
def __getitem__(00:36):
きょうは結構暑くなるらしい。
言語 | コーディングにかかった時間 | コード行数 | 実行時間 | 精度 |
---|---|---|---|---|
C | 2〜3週間 | 約7000行 | 52秒 | 約60000個のデータ中 92%が正解 |
ぱいそn | 6時間 | 400行 | 75秒 | C版より 2個だけ正解が少ない |
まあ cdb とか辞書とか使いまくってるのだが、
アルゴリズム自体はひどく非効率なしろものである。
にもかかわらずこの程度の差しかないということは…
まあとにかく言語処理は C でやるなってこった。
たとえ C++ を使ったとしてもやはりコーディングにはもっとかかるだろう。
だいたい C++ じゃ、map(f,filter(g,map(h,zip(map(r,x+[y]),q)[z:z+n]))
とか書けないもんな。
しかも Python 化しておけば改造メチャ楽。さっさとこうすりゃよかった。
たしかに Python は遅いのだが、とくに言語処理のような研究目的の場合、 アルゴリズム (とそれに伴うデータ構造) を大々的に変えつつ 試行錯誤することが多いので、とにかくデータの扱いが多様な言語のほうがよいのだ。