2003年 5月 (3)。

考えだすことはかんたんだが、考えないでいることはとてもむずかしい。

Last Modified: Sat May 31 21:37:54 EDT 2003 (06/01, 10:37 JST)

May 31 [Sat]


(11:06)
よくねむれなかった。

きょうの nytimes web 版トップに、いきなり いのちの電話・斉藤友紀雄 の話が載っている。この人って牧師だったのね。それによると “日本人の多くが信仰しているシントウは、キリスト教よりも自殺に寛容である”…きたきた! こいつら、わかってねえだろ。 まあこれは本人が言ったんじゃなくてこの記者が勝手に書いたんだと思うけど、 だいたい日本人は神道なんてふつう知らないし (すくなくとも新山のまわりでは知ってる人なんてほどんどいない)、 たぶん連中にとっては、なにやらキリスト教とは別のルールがある、 祈祷とかやってるあやしい宗教ってイメージなんだろうけど、 わかってないなあ、ほんとに。まあ最初から期待もしてないんだけどね。 オレもわかってないし。(まいったか!)

(13:34)
ふしぎ・国・トムキンス
(15:04)
学歴は欲しい。でも戒名はべつに欲しくない。 たぶん多くの人が「学歴」といっているものはじつは単なる戒名だ。レッテルである。 くだらん。 「こいつと同じ大学を出た」という表現は、そいつと実際にかかわりがあったときのみ 意味があるのであって、どこにあるかも知らない学科の卒業生がノーベル賞取ろうと痴漢で逮捕されようと知ったことか。 自分が「学歴が欲しい」というとき、それは文字どおり「歴」を欲しているのだ。紙きれや履歴書の上の文字が欲しいのではない。 ある種の「具体的な体験」が欲しいのである。宿題で徹夜して「ふげー、こんなの絶対間に合いっこないよ、 もう死にたい」と思ったり、本館入口にある大理石の柱にほっぺたをくっつけて 「あーつめてー」といってみたり、講師を質問ぜめにしたけど結局よくわかんなくて そのあと教科書にヨダレをたらしながら居眠りしたり、隣のビルから吐き出されてくる 芸術学科のおねーちゃん達のド派手な服装にあっけにとられたりしたいのだ。 そういうものに価値がないというのなら、そもそも学校教育などというものにはまったく価値がない。 個人的には単なるレッテルをほしがる人には、お安く貼ってあげればいいのに、と思う。 ぺたぺたとね。ほんとうに。心から。学校出てもレッテルしか持ってない人だって沢山いるわけだしさ。 逆に「匿名大学システム」ってのはできないもんだろうか。 つまり「こいつはたしかに大学をまともに卒業しました」ってのを証明してくれるけど、 その名前は隠しておけるようなサービスね。 大検はあるのに、その大学版や大学院版がないのはなんでだろ (単純にめんどくさいから、というのが一番ありそうだが、放送大学もあるし)。
(16:21)
そういえば東京に住んで嬉しかったことのひとつは、 「放送大学が聞こえる」ということだった。 意味もなく宇宙論とか日本十進分類法とか西郷隆盛の伝記についての講義を聴いてたなあ。 そしてやはり講義中に寝た…。ただしあれは夜12時ごろまでしかやっていなかったので、 本当に夜中眠れないときには使えない。NHK 人間大学も睡眠薬としてはかなり効果ありますね (そして「気象情報 (NHK第2)」とかではなぜか「“南大東島”ってどこだ? “天気不明”とは何事だ!?」などと逆に目が覚めてしまう。 「ラジオ深夜便」も逆効果)。
(18:11)
だれもオレなんかには尋いてないです。

(オレ = あんた = 全員)

他人を怒らせるように書くのは簡単だが、 他人を怒らせないように書くのはとても難ずかしい (むずかずかしい)。

いついかなるときでも爆弾を作るほうが建設機械を作るよりずっと楽だ。

(20:13)
学校教育の話のつづき。ようするに、オレはなんてぜいたくなんだ。 ぜいたく猫。(いかんいかん、すぐにこういう余計な単語を挿入したくなってしまう) 自分にそんなぜいたくが許されるのか? この調子じゃ負債は増える一方だのう。 夫妻は増えない。ψ (プサイ) は? 知らん。

さて、文章はできたのだが…

(21:37)
あははははは?

May 30 [Fri]


(09:29)
いま起動しました。や、おはよう。

いま終了しました。や、今晩は。

(17:41)
雨あがりはいいね!
(19:16)
ろけんろという言い方がじつは好きだったりしる。(本当は「す」と打ったつもりだが、まちがえたのでそのままにしておく)
(21:28)
Los Ilegales (スペイン語...illegal なヤツらという意味か?) というバンドは結構おすすめだ。 たぶん曲は典型的なラテンポップスだと思うんだけど、かなりおかしい。 まずこいつらは曲中で景気づけにやたらと「はあーっ!!」とか叫ぶ。 で、歌詞もとーぜんスペイン語でさっぱりわからんのだが、 「キンカン! キンカン!」と絶叫しているところがあったりして、わけもわからず笑えるので 試聴して一発で気にいってしまった。それと必ず曲のどこかで自分たちのバンド名を連呼 (絶叫) する。 しかもこいつらの、「カッコつけてるつもりだけど、全然ハズしてる感じ」がなんともいえない (ホメてるつもり)。 プログラミング中に景気づけのために聴く曲はへたに歌詞がわかると混乱するので、 こういうワケのわからんもののほうがよいのだ。 しかし、これを大音量で聴いていると人に呼ばれても気づかないという欠点がある。
(22:52)
ぎゃああああああ

またこんな時間まで!!!!

(23:58)
運がよかったのでさっさと帰ってくることができた。

夕食は簡潔にサンドウィッチ。パンを焼いてマヨネーズをぬって 野菜とハムをはさむだけ。ひさしぶりに SPAM を食う。 こんなのはとても料理とはいえないが、こっちの「お料理教室」に 出るとこの手のサンドウィッチやハンバーガーの作り方を 教えてもらえるらしいよ…。どこが料理じゃ!!

まあ、ハンバーガーをゼロから (挽肉から) 作るというなら それなりに料理ではある。

(03:28)
おとといからずっとある文章を書いているが… ああ、オレは一体なんのためにこんなことに時間をかけているんだ? 悲しい。

もう今日は頭が止まってしまったので寝る。

May 29 [Thu]


(11:21)
あれ、8時半に起きたはずなのになぜ11時なんだ。
(12:49)
“オレが悪いのか?”

という思考はつねにある。 オレが悪い。おまえが悪い。悪いのは誰かじゃでなくて誰かだ。その他。

でも結局、それは言葉だから。

ほらさ、「悪」っていかにもワルそうだよな。 そもそも「亜」がワルいよ。この目つき! 何者なんだおまえは? 小林ア☆。

だからこう言いかえよう。

“自分が望まない結果になったのはオレ自身が原因なのか?”

あまりに長いからもうどうでもいいです。

というかそもそも「自分」という単語じたいが、たんなる言葉でしかないような。 「自分」って何? 「自分」を指さしてみろ。ちがうちがう! それはおまえの胴体であってお前じゃない!

どこまでいっても「自分」なんてものはありません。
心臓はべつに自分の代表じゃないし、
脳をとり出しても自分の代表じゃないし、

逆に腕や内蔵を切りとっても自分は自分であるという。おかしい。

つまりそんなものは最初からなかったのだ。
言葉を作れば、なんでも「あること」にできる。それってほんとに便利。 ただの音なのに。じぶんっていってみよう。じ−ぶ−ん。便利便利。

だらば自分はたんなる言語生成装置だということにしてもおかしくはない。 つまりここに機械があって、そいつが「オレがワルいノカ。」と書くわけです。

ホラまた自分って使った。

ホントに便利な言葉。

どんな言語にも、かならず「自分」を示す代名詞はあると思う。
しかしそれは激しく謎だ。

ヴィトケンシュタインなんか読んでませんよ。

オレは、36/(8+5430+36+3780) = 0.38% の中に入る人間らしい。

(15:09)
「反社会的」というナゾな形容詞について。 新山はいまだに「反社会的」というのが何をさしているのかよくわからない。 たとえば 「反社会的」を 検索するとオウム関連のページが一斉にひっかかるが、 たんにそれって「迷惑」って意味じゃん。 たとえ彼らが日本政府の転覆をはかっているのだとしても、 はっきりいってただの「ド派手なイタズラ」にしか見えず、 とても反「社会」などといえるようなレベルじゃないと思う。 ほかにも「ロックは反社会的な音楽だ」などと(昔は)いわれたらしいが、 これまた意味不明だ。体制を批判すれば反社会的なわけ? 政府を批判するだけならそのへんの商店街のオッサンでもやっている。 あるいは既存の風習に反発するから反社会的なんだろうか。わからん。 ロックについて言わせてもらえば、あれがなぜ「反社会的」だったのか 今でもまったく理解できない。そりゃ欧米の価値観からみれば、 あれはタブーを破ったことになって、それは反キリスト教的つまり反社会的、 ということだったのかもしれないけど、日本じゃいくら変な格好して絶叫したところで、 ただの「道楽息子」あつかいで終わりのような気がする。 だってもともとそんなタブーはなかったんだから…。

しかし日本人が本当に「ヤバい!」と感じる行為はいくつかあると思う。 すくなくとも新山にはある。新山はまともな社会人ではないし、 べつに宗教に熱心でもないから、社会道徳やら神への冒涜なんかは別に 気にもしないのだが、本当に「こわい」と思うのはもっと卑近なことだ。 たとえば誰かがお茶碗を箸でチンコンたたいているのを見ると、 反射的に「あれはやばい!」と思う。ほかにも箸をうっかりご飯の上に 垂直につき立ててしまっても恐怖を感じる。なんか食事関係ばっかりだな…。 あと誰か(生きてる人)の白黒写真に葬式風の飾りをつけるのとか、 冗談でもやりたくないし、樹齢数百年という木をガリガリ切るのも (そんな機会はないだろうけど) 純粋におそろしい。 そういう感覚というのは、いったいどこで身につけたものなんだろう? 柳田国男によれば箸で茶碗をたたくのは「下等な神々を降ろす」儀式だそうで、 だからむやみにやるとよくないことが起こるというんだけど、 その行為によって得られる「得体の知れない恐怖感」というのは 実際になにか直接的な感覚がもとになっているはずなのだ。 それはいったい、どこからきたのか?

けどいまだにそういうタブーわざと破った芸術表現を日本でほとんど見ないのはなぜだろう。 それをやるとマジでシャレになんないからだろうか? たとえば音楽なら、 楽器のかわりに全部箸 & 食器をたたいて演奏するバンドとかが もしあったら個人的にはロックなんかより全然「反社会的」だと思うし (でも売れなそう)、 いたるところでご飯に箸をつき立てて食ってみせたりするのもかなり 挑発的なパフォーマンスだ (で、当然おかずはハシとハシで渡しっこするのね)。 きっと見ていてすごい嫌悪感をおぼえるだろう。 でもその嫌悪感のもとが一体なんなのかはわからないな。 そういう感覚は、文化的なものもあるが、自分が生まれ育った土地の 風景にもかなり依存しているようにも思える。 あと食事のマナーにかんする禁じ手が多いのはなぜだろう。 やっぱり日本人にとってはものを食べること自体が宗教的な儀式だからだろうか? (ちなみにのいまんサンによれば「日本人にとって胃は神聖な器官であり、だから『腹』が出てくる諺も 多い」というのだが…)

あ、そうだ。「反社会的」がニッポンの産業基盤や思想に影響をおよぼすという意味なら、 ハクライ物はどれもみんなかなり反社会的だな。というかそれをいうなら、 もう日本はとっくに「反社会化」されてるような気がするんですが…

(17:37)
バカだな、俺も。それがなんだっていうんだ。
(18:37)
さっき、盲導犬をみかけた。盲導犬って犬としてはけっこう気の毒な運命にあると 思うけど (すごい神経使うらしい)、やつらには犬なのに「尊敬できる」という形容詞が使える。 高校生のころ、新山は「コンピュータとロボットが将来役に立つとすれば それは障がい者に対する支援器具としてだろう」というぼんやりした 夢を抱いていた。いまでもそういう気持ちはあるが、 同時にそうした研究がじつにむずかしいということもわかる…。 重度の障がいをもつ人というのは数が少ないうえに、かれらは多種多様だ。 おまけに実生活に使える支援技術はまだかなり貧相なものである。 そういう (ひどい言い方だが) 儲からない人々のために新しい技術を 大々的に開発することはどれくらいできるのだろうか。SECOM とかは少しはやっているらしいけど、 大々的にやるならお国の援助がないとたぶんだめだろう…。

ぜーんぜん関係ないが、まえに SOHO で あの一時期話題になった「じんじゃあ」に乗ってる人を みたことがある。「へえーあれって本当に使ってる人いたんだ?」と思った。

(04:03)
あー。いろいろあった。 いま tabesugi.net はオフラインになっているのだが、 かまわず書く。

ところでこっちでは電車の運転士は Driver って言わないことに気がついた。 「Conductor (車掌)」と「Engineer (機関士)」なのだ。機関士がいわゆる運転士である。 でも機関士のほうが呼び方がカッコイイよな。 そういえばもともとエンジニアってのは「エンジン」から来てんだから、 こういう使いかたは本来の意味にかなっているといえる。

May 28 [Wed]


(09:52)
どうだこの早起きぶり! (09:52) 思い知ったかワハハハハ! (09:52) まあそういうことで出かけます (09:52)

police, people, cattle, gentry, poultry, fowl, vermin.

(12:44)
ひとつの比喩を思いついた。
(14:53)
チョムスキーが古くさかろうが電波っていようが、とにかくいまでも 工学部ではやつが出てくる場所がすくなくとも一箇所は存在する。 計算機科学を出た学生は、全員 CNF (Chomsky Normal Form: チョムスキー標準形) を習う。はず。 しかしさいしょに言語理論 (言語学とはほとんど関係ない) の授業でこの名前を見たとき、 当時大学2年の新山たちはチョムスキーなんて知らなかったから、この名前はよくバカにされた。 「なんじゃこのキッチョム (吉四六) さんとアダムスキーを合わせたようなヘンな名前は?」 「世間ではぜんぜん知られてないけど、こいつはこの分野ではきっとものすごい有名人なんだろうよ」 「それってなんか笑えるな、人知れずそういうヤツが沢山いるんだろうな」

しかしその後知ったのだが、チョムスキーはぜんぜん有名人であった。 でも、物事なんてあまり沢山知らないほうがいいんだと思う。

ほんとうはね。

(17:49)
ああああああ。 きょうは自分が「無 能 (incompetent)」であるということを まざまざと思い知った。 いや、いつも思い知ってはいるのだが、それにしてもすごい思い知りぶりだ。 しかしそれ以上はここに書かない。 とにかく、もうフテ寝したい気分。フテ寝。フテ寝。ふてね。
(20:17)
きょうはひとつのことを達成し、ふたつのことに失敗した。 結果としてきょうの人生はマイナスである。このように毎日毎日に 点数をつけ、それが最大になるような人生を送ることが失敗のひけつである。 plan ahead...

やや恐しげものをみたが、 それはちっとも規則にしたがっていないので、恐しくもなんともない。 真の恐しさは「予測可能性」だ。

(22:22)
クリーブランド
おはいお
クリーブランド
おいはお
(00:26)
うう、しくしく。 6月初旬にやられても行けねーよ。 つうわけで新山は例の「宴会」には不参加です。 まあこれにくじけずに強く生きるつもり。
(01:22)
たかが紙1枚に自分の人生を握られているという、その紙。そんなものは鼻をかんでやる。

鼻をかむ
鼻にかまれて
鼻せない

ここで各人の性質というものがわかると思う。つまり:

ということだ。まあそろそろ寝ろと時計はいっている。うる。
(01:35)
Owen に「なんかうれしそうな顔してんな」と言われてしまった。 ちっともそんな気分ではないのだが…。

思うに、人は自分が幸せだと他人の顔も幸せに見え、 自分が不幸だと他人の顔も不幸に見えるのではないか。 いやむしろその逆かしら。

なにを綺麗ごとを。ふn

May 27 [Tue]


(12:39)
ネボったので目的達成ならず。

きょうは地下鉄に乗っているときにかるい事故 (のようなもの) があった。 たぶんあれはちょうどハドソン河下だったと思うんだけど、 いきなり「ドすっっ、ばスン、ガっ」という音がして 窓の外をみたらオレの乗っていた側の外で火花が散っていた。 おいおい、こりゃヤバいんじゃねえの? なんか金属が車体にぶつかったような感じだが、 なんしろトンネル内は暗いので何がどうなったのかわからない。 (ちなみに NYC Subway のトンネルは日本の地下鉄のトンネルよりちょっと狭いのだが、 PATH のトンネルはさらに狭くてほとんど車両1台がぎりぎり通れるくらいの 大きさしかない。まあ日本の地下鉄では大江戸線があんな感じだったろう)。 とにかく、「なんか事故った」と思ったのだが、列車はかまわず走り続けた (もともとそんなにスピードは出ていない)。そのあと車掌が無線でなにやら話していたが PATH では車掌は乗客と同じところに立っているので会話はまる聞こえである。 向こう (その無線機の相手、おそらく管制室か何か) は 「たったいま、どこぞの電力系統が故障した、おマエの列車は大丈夫か?」と尋いてたような気がする。 それって、この列車が壊したんだろ…。 しかしこの車両は「他人に迷惑をかけつつ自分は平気」という運命だったらしく、 そのあとも何事もなかったように走り続け、無事河を渡って 9st. の駅に着いた。 新山はそこで降りたが、それにしても、あれはあのあとどうなったんだろう? 帰りもちゃんと動いているといいけどなあ。

(14:06)
n n t n k oticomi///,,,.,....

しかし、まあ、何だったのかわからない。

(16:46)
なんかヤル気がでないので、銀行へいって、 留学生センターへいって (ここへ来ると「ああそういやオレって留学してたんだっけ」と思い出す、 留学というハイカラな言葉のヒビキ)、 Bleecker St. をぶらぶらしてたら "Porto Rico Imported Coffee" という店を発見。 入ると中はしっかりコーヒー豆屋だった。大小数十の麻袋が床の上にズラリと並んでおり、 その開いた口から豆が見えている。「豆に手を触れないでください」と書いてあるが、 店の中はそのコーヒー豆のにおいで充満していた。といっても主に目立っていた匂いは flavoured なやつの hazelnuts とかの匂いだった。そのあと Washington Sq. で コーヒーのみながらリスをみてなごむ。こいつらを見るのはめちゃ楽しい。 餌づけに慣れてるのか、こちらが手をあげると「なになに、なんかくれんの!?」という感じで こっちを向いてヒョっと立ってじっと見あげるのである。かわいー

それにしてもリスのしっぽについて思いをはせるのだが、 やつらのしっぽはなぜああも長いのか。おまけに太い。 といってもフワフワしてるのは毛のせいで、実際の部分は そんなに太くないのだが、じつによく動く。ピンと立ったかと思うと くるっとねじれたり、しっぽの動きだけを見てても飽きないくらいだ。 そして実際のしっぽはほとんどの部分が毛であるので、ピンと立っていると ちょうど鳥の羽根みたいに向こうが透けてみえる。よくできてるよなあほんと。

(19:19)
「○○のようで○○でない」という表現を検索できるかと思って 「のようで でない」を検索 してみたら、あった。特に用はないのだがなんかうれしい。
(19:50)
それにしてもなんで動かねーんだ! コノヤロ! bind しろって言っただろ? 言うこと聞かねえと assert しまくるぞ、てめえ (どうせそれでもやっぱりわかんないというオチ)。 おまけにネムくなってきたし…午前、午後、夕方、午前、午後、夕方、。

明日は早起きしたい仮定と推定。および予定。

(20:38)
や、やっと動いた…。すみません、オレが馬鹿でした。(←動くと正直になる)

それにしても再帰は油断ならない。 問題の再帰的な記述はしばしばもっとも効率のよいプログラミングのひとつだが、 開発効率がよいかどうかとはまた別問題である。 新山はバカなため、ときにこいつには非常に混乱させられる。 愚直な手続きのほうがわかりやすいことも多い。 しかし、どうしても再帰が必要になる場面というのがある。 ひとつは、問題の大きさが指数的に増加するような状況だ (たとえば木の traversal とか、正規表現の closure のマッチングとか)。 これらの問題は再帰を使わなくてもできるのだが、 結局手動でスタックじみたものを導入しなければならないので、 やっていることは結局同じである。これはもうちょいちゃんとした文章 (いまこれを入力したらじつは「ぶしょう」と打っていて、「不精」と変換されてしまった) に まとめようと思う。つうか書きはじめてはいるんだけど。

(20:56)
うわ。なにげなく Google で "charniak parser" で検索したら、トップに 表示されるのは Google の自然言語処理分野における求人であった。この広告は "charniak" や "parser" のみや、順序を逆にした "parser charniak" では出てこない。 ちなみにこの "charniak parser" というのは、自然言語処理をやっている学生なら、 ほぼ全員知っているであろう有名なパーザである。うまいとこ突くね。
(22:14)
ここからが問題。

May 26 [Mon]


(10:05)
まあ、 「こいつがこう言ったから」なんて理由を持ちだしてくる 人間にはならんようにしよう、と個人的に思った。
(11:07)
それにしても思うわけですが…

人間、名前が知れてくるとロクなことにならなそうだな、やっぱ。 どう考えても。

個人的には「コイツ何者だ?」と思われつつ、 あっちこっちに顔を出す、というのが好ましいと思うわけです。

「思うわけです」が多すぎると思うわけです。

じめじめじめじめじめじめじめじめじめじめじめじめじめ雨

(13:03)
じつはきょうは休日だった。でもなんか心ふさぐ日だ。 そしてオレは大学に来たことを後悔したほどの、どしゃぶり。

そういえば「家出」と「出家」て一字違いだな、と 思った (そうゆうのは一字違いとは言わない、このばか)。

…てゆうか、こういう「ひっくり返せばじつは別の単語」語(?) って、 いったいいくつあるんだろう? と思ってみた。つうことで実験開始。

(14:49)
その結果、 こんなものを書く。 ああ疲れた。 オレ一体なにやってんだろう。。。
(15:27)
また喉元。

ところで、それってそれってもしかして…。

(18:26)
ちっとも夏らしくならないなあ。まあ、いいけど。

空が曇っているからといって嫌悪感をもよおしてはいけない。 人が評価される側面はひとつではないのだ…。 句読点のひとつひとつまでがいまわしいから何だって? そしてそれがわかっているかどうかは実はどうでもいいことだし、 自分が生理的に嫌いかどうかもどうでもいい (まあ圧倒的に嫌いなんだけど以下略)。 ただいえるのは、その薄笑いを解剖するには時間がかかるだろうね、 ということだけ。気の毒なのはオレ以外の誰かなのかもしれないが、 それはそれでまた問題だ。

不幸な!

もちろんヤツに器官じみたものは何もない。でもそれに気づきませぬように。 およそ寒気がするほどどうでもいい話題。

この手の「わたしゃー、アレ風なのよ」って雰囲気はどうにかなんないんですか
ね…。
誰かは見るだろうが、誰でもない人が見る。

(19:28)
どーにもヤル気がでないので、ふと緑茶のはいったコップの中にレーザーポインタをあててみる。 お茶はおそらくコロイドだから、チンダル現象 (覆うそ)。 うっすらと赤い光の筋が降りていく (過程で)。 …そういえば高校のころのバケ学の教師は「ブラウン運動」のことを 「ブラウンドウ」といっていた。しかしなあー、いくら「運」が共通してるからといって、 そうゆう略し方は疑問文 (interrog.)。

今朝来たときは雨のせいで足元びっしょりだったのだが、 いつしかスボンはすっかり乾き、同時に心もすっかり乾いていた。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・(42秒間沈黙)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
ぷはーーーっ!! (息を止めていた)

42秒間の沈黙

100年の孤独
どっちも長い

(20:22)
こいつはアホか?? ったく。

(いーーーーや怒ってはいかん…怒ってはいかん…。 怒ると早死にしますよ? つうかいいから早く氏ねよ、いいから。 いーーや怒ってはいかーーん…)

(以下50回ぐらい繰り返し)

(21:35)
帰りの電車の中で必死に気をしずめ、 「そうだ今は自分のできることに集中しなくては…」と自分に言い聞かせていた。

それ以外になにができる?

しかし「力学」をひっくり返すと「学力」になるというのはウケタ。 やはり物理は大事、ということだろうか。 「男優 (だんゆう)」と「優男 (やさおとこ)」なんてのも笑える。 「外国」と「国外」も意外と気づかなかった。イントネーションが違うからだろうか。 (ひとりで面白がってる新山)

(23:56)
Owen が Fraiser を見ているので、 3分おきぐらいに笑いが聞こえてくる。しかしこいつはホントにテレビが好きだ。 まあそのほうが英語も上達するしいいんだろうけど、彼がテレビを 見ているときは何も他のことが目に入らないらしいので危険である。 こないだはテレビに気を取られて包丁で指切ってた。 しかしこっちのコメディってみいんな似たような展開なんだけど、 よくみんな毎日毎日飽きずに見てるよなあ。 つまりそれだけ日常が退屈であるということなんだろうか?

May 25 [Sun]


(09:19)
ブタのアシ。
(11:10)
「ムバラク大統領」の「ムバラク」ってのをきくと 「シバラク」って言葉を思い出しちゃうよな。うん。
(11:33)
くり返し。

くり返し。

くり返しという言葉をくり返し。

くり返しはすべての基本である。(笑いの基本ではない)

しかし本当の「くり返し」なんてものが本当にあるのだろうか。 世界はすべての瞬間で互いに異なっているのだ。 くり返しのようでもじつはすべてが一度だけだ。 真の「くり返し」は時間が戻ったときしか起こらない!!

だから?????????

(12:48)
さて、朝っぱら (もう朝ではない) からブタのアシなわけだが、 きょうのは前よりもウマかった、ような気がする。 ブタなのにウマ? ということはおいといて、Owen 上達したな。

儀式。

(17:27)
失望する過程というのは誰が見てもくり返したくないたぐいのものである。

ところで、Gospel の歌詞とかを見ていて知るのだが、 「He」が God をさす時は決して he と小文字にならない。 これは固有名詞だから (オレはそれを認めないのであくまで the をつけてやるぞ)。どうでもいいけど。

キリスト教嫌いなのに Gospel 聴くのはおかしいですか? この矛盾については 133年後に考える予定。 けれどもこいつらは世界を善悪に二分する分類君。 "Evil なヤツが来てお前を試すときがきてもつねに joyous でいろ" だとよ。「悪は自分の外側にいるのであって自分ではない」という 考え方には嫌悪感を覚えるが、そんなときは「そんなヤツいねーよ、馬鹿」といって笑ってやれ。

「心配しなくていいわよ、ここには私たちより悪いものなんて、いやしないんだから」

なにもかも明確には分離できず、すべては不確かだという感覚がオレを安心させる。 とりえあず豆がハト鉄砲くらったような生き方をめざしたい、地面を這う人間として。

(なに言ってるだカ)

(18:36)

(↑ あまりにもひどかったんでコメントアウトしました、どうしても見たい方は「ソースを見る」してください)

(19:44)
…もう飽きたんでさっさと終わらせて帰ろ。 それにしても、どうしてオレはこういつもいつもノドモってるのだか。

ふと、待てちゃアという声がきこえた。

(20:35)
超いいかげんレポート完成。 「どうせこれ、誰も読まねえんだよな」と思ったら一気にやる気が失せたのでもう適当に印刷。
(00:53)
久しぶりにムカついてきたが、いったい何に対してムカついているのかよくわからないでいる。

他人に対して腹を立てるというのはもっともくだらん行為のひとつで、 できればそんなものはなしで世の中すませたい。 それだったら自分に対して腹を立ててたほうがまだましだ。 ぷsぷs。

それにしても。

(後を向いて) あーバカバカばか!

でも。

オレってムカついてるときのほうがいきいきしてるよな、と自分で思う。

(01:13)
前野さんとのメール。

理念として、工学は学問というよりもむしろ奴隷解放運動のようなものと思う。 なにより計算機はまず人の役に立たなければいけない。 しかしそれは逆に新しいタイプの奴隷をつくりだしているだけではないかという不安。

いや、もっと根本的な問題がある。 もし人が奴隷になるほうを望んでいたとしたら? それを否定できるだろうか。 とりわけ計算機に対してキチガイ的に服従する人々 (新山自身も含まれる…だろうな、やっぱり)。

May 24 [Sat]


(09:59)
ふああああああ。起きたが起きたよ。というか 2度寝して 2度とも夢を見た。 1度目はさらに 2つのショートストーリーに分かれていて、 まずどこかの日本の古風な温泉街のようなところを歩いていた。 道路の右側にはガードレールと河原 (河) があり、 左側には道ぞいにずっと商店が並んでいる。道はゆるやかな下り坂で、 左手にはすぐきわまで急な山の斜面がせり出していた。 人がたくさんいてそれなりに活気があった。画像にするとこんなかんじだ:

で、起きてから、あすこはいったいどこだったんだろう? たしか前に行ったことがある場所のような…とぼんやりと考えていたら、 自分の記憶にあるその場所もやはり夢で見たものだったということに思いあたる。 なんともハヤ。なんか実際には存在していないのに「夢で行ったことある場所」が増えてきているなあ。 これはいいのか悪いのか。まあ夢の中でもそれなりに旅行を楽しんでるような 気がするのでいいんだと思うけど。

1度目の夢の 2つ目のストーリー (ややこし) では、 なぜか NY の地下鉄駅にいたが、そこはなんだかやけに入りくんだ構造をしており (実際そういう駅は多い、Times Sq. なんか迷いそうだし)、なぜか Shubin がいて、 「ここはどこだい?」と聞いたら彼は「わからん、Columbia の近くじゃないかな」とかいってた。 そんな駅はたぶん利用したこともないのに、なぜ夢でその名前が出てくるのか謎である。

で、そのあといったん目がさめてトイレへ行き、 2度目は NY でノートパソコンを買ったという夢。 20センチ×15センチぐらいでたいへん小さいのだが、なぜか RICOH 製だった。意味不明。 でも店にはアメリカ人がいたけど、ありゃあ秋葉原だよな。 なんか河の近くにある店だったので、オリジナルはきっと万世橋か昌平橋付近だらう。

それにしても、自分は我ながらかなり多種多様な夢を見ていると思う。 パターンはいくつかある。

  1. 完全な (意味不明な) ストーリーもの。音楽、特殊効果つき。なにやら示唆的。ほとんど映画のよう。 この場合、新山自身は夢の世界では存在しないか、その意識があちこちの人に切り替わる。
  2. 身近な風景が出てくるもの。 おもに登場人物はふだん会っているやつか昔の知り合いで、街中や建物の中が多い。 これを見たあとはたいてい落ちこむ。
  3. 「紀行」バージョン。どこかきれいな日本の田舎の風景をひとりで歩いている。 人間 (知り合い) はほとんど出てこない。河や橋が出てくることが多い。 非常にカラフルな夢で、サルビアの花があざやかに赤かったり、 水がきれいな青色をしているのをはっきり覚えていたりする。 もしかするとこれは「あの世」なのかもしれないが。

で、起きてから「ああ、たのしかった」と思うのはだいたい 3番目の「紀行」バージョンである。 そういえばまえに一度、海岸沿いのデカい橋が出てきたことがある。 そのちかくには案内図があって、そこには「か い ひ ん 大 橋」と記されていたから、 きっとアレがかいひん大橋だったのだろう。でもそんな橋にいった記憶は現実ではどこにもない。 検索してみてもゼロ。兵庫には「赤穂海浜大橋」ってのがあるらしいが、新山は 兵庫には行ったことない。こういうのはどっからつくりだされてくるんだろう? 少なくとも本で読んだものにはあまり影響されないようだ。ふしぎだ…。

だいたい、それが実体験じゃないからどうだというんだ?

(11:08)
それにしても寒い。また冬に戻ったかのようだ。ぶるぶるぶるぶる

ところで今日の目標はおでかけすることである。 ずっと家にいるとまた死にたくなるからな。

(12:03)
そのうちそうなります。
(12:14)
そういえば、Google で 「たべすぎ」を検索 すると、ついに この「たべすぎ・ねっと」が第一位に来るようになりました。 これもみなさまのご愛顧のお陰です! おことわりしておきますけど! は! は! は! (カテリーナ・イワーノヴナ (罪と罰) 口調で)
(13:15)
大学に来ようと思ったら、とちゅうの University Place で 「第145回 Washington Square 屋外芸術祭」というものをやっている。 芸術家の屋台 (って言い方が正しいかどうかナゾだが) が 道ぞいにずらっと出ていて、ついついそっちに向かってしまい、 大幅にまわり道した。もらったパンフによれば 24、25、26日は やっているそう。

そしていつものサンドイッチ屋へ。 ここはアラブ人がやっているのでいつも hatten みたいな曲が流れている。

(14:13)
なに! あれからもう 1時間もたったのか?? メシを食って、メイルを 1通書いていただけなのだ。 この文章の遅さは、なんとかしなければならない。
(15:57)
すみませね、書くこと忘れました。んで、お茶を濁します。

http://www.snoopy.com/comics/peanuts/archive/peanuts-20030514.html

  1.  
  2. 「ときに、偉大な作家というものは、あまりにも速く文章を思いつきすぎるために、 それを紙の上にとらまえるのがじつに難しい…」
  3.  
  4. 「どきどきはね」

もうこいつがあまりにもカワイイので、印刷して机の前に貼っちまった。 ちなみにいま貼ってあるのはこれを除いて時間割と大学まわりの地図と… あとひとつは秘密だ。

(22:01)
のびのびになっていた正規表現パターンマッチ部分がようやく (ほぼ) 完成。 正規表現ライブラリはちまたに腐るほどあるが、文字列以外のシーケンス (単語列など) に対して適用できるものがなかったのでずっと欲しかったのだ。 きょうも不足気味な (不気味な?) 頭をたくさんつかったので帰りはぐったりした。 電車の中は暑くて空調がきいておらず、外は寒くてジャケットを着ていたのでかなりあつい。ああ。 しかしやはり外に出たほうが家にいるよりも有意義な時間をすごしたように 錯覚するようだ。まあそゆこと。
(00:37)
ガードレールを「ガアドレエル」と書くことへの懸念、あるいはそれ自体。(何が?) こうすると、

“…人生は一行のボオドレエルにも如かない。”

ところでボードレールとボーヴォワールって間違えませんよ、わたしなんか。オルヴォワ!

(01:01)
ふと、「オブジェクトのメソッドは『家族』を意味していたのか?」と思う…。 C++ だと friend ってのもあるし。。。

シマリスくんには
カゾクがいる

May 23 [Fri]


(09:48)
なんか日々起きる時間が遅くなっているような気のしますが、気のせいです、
(10:44)
なんだかちっとも進まない。ムカつくことに。

やはり物事というものはですねえ、いざ「やるっ」となったときに、

「ゃるぞぉー!」「うりゃー!」 ガシガシ!! ドガっっ。 ・・・・・(足の指をカドにぶつけた音)・・・・

…という具合に進めなければならないわけです、意味的に。なんかアレですが

さて、意味不明的な意味になってきたんでもうよしとしましょう。

(11:22)
そそそ
そそそそ
そそそそ そ そ
そそそそそそそそ     う
そそそそそそそそそそそそそそそそ
そそそそそそそそそそそそそそそそ
そうきたか!!
(14:31)
まあ、他人のプレゼンについて自分がどうこういえる立場ではないのだが、 なんつーか、アレだ。力点がズレていた。やはり重要なのは見た目ではないのだなあ。 つうかさ、そんなとこばっか凝ってもしょうがないでしょ? 言葉は溜めるためにではなく伝えるためにあるものだ、とは思うけれど、 まあ言ってもわかってもらえないだろうという気がしたんでやめとく。

「他人に理解させる能力」というのは、ある種の親切さに関係していると思う。 思うに、人が重きをおく「親切さ」の“種類”というものはいろいろある。 ちょうどオシャレにもいろいろな“種類”があるように…。 表面的な単語のきれいさ (=美辞麗句) には異様にこだわるけど実際はひどくいんぎん無礼な人、 使っている語彙はひどくやさしいものばかりなのに、ぜんぜん言ってることがわからん人、 などなど。しかしそれは人によって違っているので。

新山はあきらかに「いちばん表面的な階層」には (少ししか) 興味がない。 かといって、ものすごーく深い部分で人に親切にするなんて荷が重すぎる。 重要なのは、表面から「一歩か二歩」、入ったところにあるように思うんだけど。 うまく言えないや、。

(16:31)
"biscottini" ってなんかイタリャー語っぽいけど biscuit の複数形か?? 「ガッシーおばさんの Orange Biscottini - Fat Free - Sugar Free」というやつを 買ってきてミタのダガ、これ、ほんとにシュガーフリーだ。ぜんっぜんっ甘みがない (このやふに「ぜんっぜんっ」って文字で書くと、ひどくバカ荘に見える)。 そしてものすげーーカタイ! 食うと、辺りに「ぱきっ、ぱきぱきっ」と音がひびく。 まあいいけど。そして、わずかにオレンジっぽい香りがする。

ところでアメリカ人がバカだと思うのは、こっちの人は 「健康的で、なおかつウマイ食い物」というのをぜんぜん知らないことだ。 うまい食事はかならず不健康なもので、健康的な食事をしたかったら ぜったいにまずい生野菜を食わねばならない、という二者択一だと信じている。 そもそも野菜や魚をおいしく調理する方法をまったく知らない。 ベジタリアンの食事もひどくまずそうだし。バカだなあ。 たしかにこっちは食材がどれも大味で、それはひとつの原因かもしれないが、 それにしてももうちょっと工夫のしがいとゆうものがあるでしょう。

(しかし、煮物とかをうまいと思うようになるにはある程度の慣れが必要で、 それをかれらに期待するのは無理というものでしょうが)

(21:53)
はー。きょうもつかれた。今週はどうも精神的に余裕がない。 やることは次からつぎへとさざなみのようにおしよせてくるし。 (それじゃたいしたことナイじゃん…とか言わないように。 ここでは連続ということが! 重要なのです!!)

ところで、いまいきなり思いついたのだが、 クリスマスまではまだ幾分遠いのだが、 「クリスマス木」っていうとなんか計算機科学っぽいことに木づいた (←アホ)。 「パトリシア木」や「二分探索木」なんかと語感が似ているために、一瞬、新しいデータ構造か? って木になる。ああ、やべえ。skkの第一候補に「木」が登録されちゃったよ。 いままでは「気」だったのに。でもこれでいま「気」を選択したからもとに戻った。 元も木阿弥。ところで木阿弥って観阿弥・世阿弥となんか関係あるんでしょうか? と思って検索したら 「観阿弥・世阿弥・鈴木阿弥」とか書いてあって笑った。まあそんなとこ

てくるで (ところで)、きょうは帰りに Union Square の BN に入ったがすぐに出てきた。 ぞうぴい (Zope) の本も欲しいけどこれ以上並列処理を増やしてもアレなだけだし。 ところでよく「TODO」ってのを書いてる人がいるけど、あれは本当にみんなちゃんと消化できてんだろうか? たいていの場合 (というか新山の場合) TODO 項目のほとんどはただ単に 忘れ去られる。だから書いておいてもほとんど意味がない。 むしろそういうことをしだすとスケジュール管理に柔軟性がなくなるからイヤ。 どうでもいいことをうっかり TODO に書いたりすると悲惨である。 さて、どうでもいいが、担当分の翻訳がやっと終わった。 これでまた Pygame のほうの翻訳に戻れる (ホントかっっ)。 きょうはようやく Pygame 1.5.5 をインストールして、また solarwolf に10分ほどハマった。 でも翻訳すると勉強になるからいいよねー。 今回の件でずいぶん MIME まわりに詳しくなってしまった、ような、気がする。

(23:51)
Broadway の下町でほかにもスキな建物がある。Grace Church の尖塔。 しかしこのところずっと工事中の足場がぐるっとまわりに組まれていて、 まるで身体検査を受けている人のようだ。 「ああ、こいつ病気なのかなあ、それとも健康診断なのかな」と思わせる。 新山はトんがった建物が好きらしい。ニュウヨークで好きなビルヂングも トンガってるのばっかだし、教会も塔が四角いやつよりトンガってるやつのほうが 圧倒的に好きだ。中身はまあ、どーでもいいけど。

擬人化してるわけではない。

(00:43)
また例の感覚が戻ってきて、はてしなくゲナゲナする。 この感覚はいつまで続くつもりなのだろう。あと何年もだろうか。 いったい自分が本当に許せないのは何なのか、 自分自身なのか、自分自身の過去なのか、それとも…。

オレが過去を水に流してサラサラと生きていけるような人間ではないことはわかった。 そいつはいつまでもずるずるとひっついている。オレはそれをひきずり続けなければならない。 でもうんざりしているのか、実はそれが好きでしょうがないのか (そうかもしれない)、 自分でもよくわからない。

自分が嫌いというのはそれはつまり自分が好きだということなのか。病気

ところできょう、自分が「…」と「・・・」「。。。」「、、、」、そして「...」を 分けて使っていることに気がついた。これらはまるでちがう !

(00:56)
http://www.snoopy.com/comics/peanuts/archive/peanuts-20030519.html

  1. 「決心した…」
  2. 「日々、あらたな一日を微笑とともに始めようと…」
  3. (にヤりーん)
  4. 「忘れよう!」
(01:04)
口にグリセリンをぬると、子供は甘くてなめてしまうことに気をつけてほしい。
いつかグリセリンをハラいっぱい飲みこなしてやるぞ!!

そんなのは錯覚だと。自分に言いきかseてみる。

そんなのは錯覚だと。

錯覚。

May 22 [Thu]


(08:41)
どすっどすどすっ
(09:33)
むやみに日本語をかかないこと。
(10:15)
ああああああ。動かねー。バグがとれねええ。不機嫌、不機嫌、不機嫌、不機嫌、不。

こういうときに自分の頭の悪さを再確認できるんだ。 タナカ先生によれば、こういうことがあるから「プログラミングは人を謙虚にさせる」んだそうだが、 しかし万が一動いてしまったら「オレって世界一頭いい!」と思ってしまうから、 その弊害のほうがでかいような。ま、いいや。とにかくやるのだ。

(13:09)
いま頭が動いてる。でもこれしばらくすると止まります。メシ食ったので。
(15:15)
止まりますた。

誰ですか? ラウンジで「新春かるた大会」をやっている人は。 ちなみに新山は百人一首は 3句ぐらいしか知りません (最近古典を読み始めたからほんとは もうちょい知っているかもしれないのだが、知ってるという事実を知らないので同じこと)。

(18:42)
ダメだこりゃ、という例。
  6:34pm  up 27 days,  4:04,  4 users,  load average: 1.10, 0.94, 0.75
92 processes: 88 sleeping, 4 running, 0 zombie, 0 stopped
CPU states:  0.5% user,  0.9% system,  0.0% nice, 98.4% idle
Mem:   513912K av,  507412K used,    6500K free,       0K shrd,     628K buff
Swap: 1044216K av,  559508K used,  484708K free                    6008K cached

  PID USER     PRI  NI  SIZE  RSS SHARE STAT %CPU %MEM   TIME COMMAND
29614 yusuke    15   0  829M 390M 52032 R     0.5 77.7   3:14 python
29605 yusuke    15   0  1120 1052   872 R     0.3  0.2   0:01 top
 1370 root      15   0  2140 1444  1116 R     0.1  0.2   2:37 screen
27440 root      15   0 56980 1716   868 S     0.1  0.3   0:51 X
    1 root      15   0   472  428   416 S     0.0  0.0   0:04 init
(20:41)
連日のコーヒー緑茶ガブ飲み攻撃にもかかわらず、新山のヰは健康な模様。

1日1リットルは飲んでんじゃないか。

(21:52)
腹へった。。。
(23:21)
きょうは OWen が(新山が帰る前に)すでにゴハンを 3合ほど炊いていたのだが、 非常にシンがあってマヅイのです。

聞けば米を研いでからロクにつけおき (←なんていうの、これ) しなかったらしい。 Owen いわく「ハラがへって我慢できなかった」というのだが、 もうちょい待てばずっとよくなるのに。とかくせっかちにやるといろいろと無駄にしがちだ。 なんかそんな格言が「人月の神話」にあったな…ええと、これだこれ。 "Faire de la bonne cuisine demande un certain temps." (Good cooking takes time.) というようなことを Owen と喋っているうちに食い終わり、かれはビデオを見だした。

「ああ、ユウスケも見るか?」

「いやオレは映画はダメなんだ、面白くなるまで待ってらんなくてね… うまいモノのためになら待っていられるが、映画のためには待っていられない」

「なんだ、そりゃオレとすっかり逆だな」

(ほんとうに彼がこう言ったわけではないが新山は この「すっかり逆」という表現がなぜか好きなので入れてあげた)

(01:21)

google://入月の神話/

なるべく暗い顔をしてキイボードをうっていたら、クシャミがでました。

これを暗い顔アレルギイと、これ人はこういう。オレのみが。オレぐらいが。

class May_21(Wed):


def __init__(08:27):
またおかしな夢。きょうは2本立てだった…ような…気がする。 まず中学のころの同級生と話していて「新山はなんか性格変わったよね?」 ときかれ、「いや、高校から大学にかけて変わったと思うよ」と 答えたら相手は「なんで変わるんだよ!」と怒り出しやがった。 そんなこと言ったって変わったんだからしょうがねえだろ!

もう一本の夢はなにやら北朝鮮から亡命したという人とどこかの 薄暗い事務所のようなところ (たぶん日本国内) で話していたのだが、 ふと入り口から誰か入ってきたな、と思って見るとそいつは某“将軍様”であった。 しかしその時のかれはいつものパーマをかけておらず、ストレートヘアで あった (髪はあいかわらず薄かったが)。かれはたどたどしい日本語を話し、 そいつ (亡命したという人) に向かって「ちゃんと偵察活動してるだろうな」と 念を押すと出ていった。しばし呆然としたが、 「へえー、ここにはいろんな人が来てるんですね?」と聞くと相手は 「うん、あの人もちょくちょく来てるみたいだね、なんたって日本じゃ まともなモノが食えるからね、ほら、そのへんをあさるだけで…」という。 一国のあるじが海外で浮浪者生活かよ! しかしたしかに日本のルンペンのほうが 北ちょんよりまともな食生活を送っているかもなあ、と思い、 オレはみょうに納得した。そのあと、なぜか同じ部屋にいた 別の知り合いがだれか別の人と喋っていて、 なにか飲み屋のメニューで「ラテンなんとかサラダ」がどうのこうの… という話をしていたが、『なんとか』の部分に何が入るのか 今となってはどうしても思い出せない。「野菜」だったような気もするんだけど、 もっとなんかこう、ハイカラな名詞だった気がする。 それにしてもその人は新山が知っている人物と比べるとずいぶん お行儀の悪い口のきき方をしており、内心ガッカリしました。

そのあと、屋上 (なぜか灰色の雲がたちこめていた) に上がって、 あたりの街並を見ているうちに目がさめた。

def __repr__(09:18):
なんか夜ヤカマシャーと思っていたら、部屋の窓あけっぱでねてた。
def __str__(13:39):
ふんげa。バグとれない。

バグがとれないともう死にたくなる。きょうのはすげーー複雑なプログラム (双方向ポインタが 4つぐらいの連想リストの間を循環的に飛び交っている) なんで、そもそも自分で作っててだんだんワケわかんなくなってきました。

「こいつがこいつを参照してて、こいつもこいつを参照してて、 あれ? するとこいつを削除するとこいつはもういらなくなるから… あれあれ? でもこいつも参照してるからまだ消しちゃダメってこと? でもでも…ふぎゃ〜〜〜〜〜〜〜〜〜!!」

って感じ。おまけにひるめしくうとふがふがしてるのよね。 GC ある言語なら別に参照カウントなんて関係ないじゃん? と思うでしょうが、今日のはメモリ一杯ぎりぎりまで使いきるような ヤツなので、使用済みオブジェクトをいつまでも配列につないでいると アフレてしまうのです。。。

ところでこないだの床屋でじつはかなりオカッピー (occappy…オカッパ頭なこと) な髪型にされたことにいまさら気がついた。というか、 マエガミを降ろすとキッチリ揃っててなんじゃこりゃって感じになる。だまされたよ。

def __iter__(15:56):
なんかおかしな天気 (灰色な)。 ちなみにきのうは外は暑く、オフィスの中は激寒かったが、 きょうは温度的にはふつうだ。だが、あまりに前髪が気になったので (温度とぜんぜん関係ない)、ハサミをもちだして洗面所で切る。。。
def __len__(23:08):
ああ、きょうはもう頭が披露しまくった。いや、疲労だ疲労。 つまり考えすぎです。まったくオレはあんまり頭が丈夫じゃないんだからさあ…。 しかし身体が丈夫じゃなく、頭も丈夫じゃないとしたらどうしたらいいのか。
def __getitem__(00:36):
あ、そう。

May 20 [Tue]


(08:47)
夢。なんか左手の中指になにかがつき刺さって、かなり痛かった。 起きてからもしばらく左手にじんわり痛みが残っているような気がしたが、 じっさいの指を見てもべつに何ともなっていない。ヘンなの。

きょうは結構暑くなるらしい。

(09:57)
あれーっ? トクナガ先生、こんなところに! ドヒャ!
(18:24)
逃げ出したい気分。
(00:06)
ふう。きょうはまた Python の凄さを見せつけられた…。 つうか、見せつけた…。つうか、まだ見せてないけど明日見せる予定。 別の人のつくった C で書かれたプログラムがあまりにワケわからんかったので、 きょうはもう頭に来て夕方ごろから Python で書き直した。その結果:

言語コーディングにかかった時間コード行数実行時間精度
C2〜3週間約7000行52秒約60000個のデータ中 92%が正解
ぱいそn6時間400行75秒C版より 2個だけ正解が少ない

まあ cdb とか辞書とか使いまくってるのだが、 アルゴリズム自体はひどく非効率なしろものである。 にもかかわらずこの程度の差しかないということは… まあとにかく言語処理は C でやるなってこった。 たとえ C++ を使ったとしてもやはりコーディングにはもっとかかるだろう。 だいたい C++ じゃ、map(f,filter(g,map(h,zip(map(r,x+[y]),q)[z:z+n])) とか書けないもんな。 しかも Python 化しておけば改造メチャ楽。さっさとこうすりゃよかった。

たしかに Python は遅いのだが、とくに言語処理のような研究目的の場合、 アルゴリズム (とそれに伴うデータ構造) を大々的に変えつつ 試行錯誤することが多いので、とにかくデータの扱いが多様な言語のほうがよいのだ。


Yusuke Shinyama