? 違い: 謙虚さ → → < と < 卑屈さ
つぎはドイツ人の発表した WASH/CGI という web アプリのためのフレームワーク言語で、 Haskell を使って書かれている。しかしここでは Scheme とか、Haskell とかが デフォルトであるというところがスゴい。逆にみんな C++ とか Java とかのメジャーな言語は大嫌いなのである。それはいいとして、とにかく このシステムでは Haskell の型推論を HTML の文法の validator として使おうというのが 基本的なアイデア。でも、見た目が直観的じゃないし、これって別に validator を専用に 作ってもあまり手間は変わらないような気がする。つまり「こういうやり方もある」というだけで、 たいして実用的な価値はないように思えた。おまけに Haskell の枠組みを利用してるもんだから、 HTML の文法エラーは Haskell の「型推論できないよ」エラーとして表現されるらしい。 これじゃなおさらわかりにくいと思う。そのうち PLT (=Scheme) の連中が文句をたれはじめ、 「お前は Session と Cookie を完全にわかってないよ!」とか言いだして、 オイオイ、PhD のディフェンスじゃねーんだから、そこまでつっこむことないだろ! と言いたくなった。
ただし彼らの言っていることはだいたい納得できる。 たとえば継続 (continuation) こそが web プログラミングには必要だという話。 これは paul graham なんかも言っていたことだけれど、今の web というのは セッションの状態をすべて切りわけた状態でプログラムしなければならない。 たとえばユーザが「ログインして、メニューを選んで、なにか検索して 10件ごとに 一覧表示させる」というようなサイトの場合、アプリケーション側の大まかな構造は以下のようになる。
# ログインしていないページ if current_page == FRONTPAGE: if f["password"] == CORRECT: current_page = LOGGED_IN # ログインしたページ elif current_page == LOGGED_IN: if f["menuitem"] == SEARCH_ITEM: current_page = SEARCH index = 0 # 検索結果のページ elif current_page == SEARCH: do_search(f["searchstring"]) # 検索する for i in range(index, index+10): print_result(i) # 結果表示 index += 10 current_page = SEARCH ...
これは非常に不便だ。プログラムの流れがユーザの仕事の流れを反映していないのである。 でも継続 (のようなもの) を使えば、たとえば上のプログラムをこんなふうに書くことができるだろう:
if ask_password() == CORRECT: # ログインする menuitem = select_command() # メニューを選ばせる if menuitem == SEARCH_ITEM: search_string = input_string() # 検索文字列を入力させる do_search(search_string) # 検索する index = 0 while 1: for i in range(index, index+10): print_result(i) # 結果表示 if ask_command() != NEXT: break # ここでやめるか? index += 10 ...
で、休憩をはさんで、つぎは京大の湯淺先生による MindStorm 上に実装した Lisp の話。文法をみると Scheme なのだが、継続が firstclass として使えないから あえて Lisp と呼ぶことにしたのだそう。湯淺太一といえば日本の Scheme 業界では 有名人なのだが、ホントに本人が来た。途中デモでは InfraRed が一時動かないなどの 障害もいろいろあったのだが、とりあえず動いていた。 いちおう「インタプリタが MindStorm 上のメモリに載っている」ことがスゴいらしい。 なんでもメモリがめちゃくちゃ小さいので、かなり極小に作ってあるということだ。 個人的には、インタプリタがつながった時点で湯淺せんせいが 「ではさっそく fact(n) を定義してみましょう」とやりだしたのがえらくウケたのだが、 cons セルがたかだか 1200個ぐらいしか使えないというのは、ちっとも実用的でないように思う。 とりあえず実装してみました、という程度のもので、しかもこれが例の 「未踏」からカネが出ていると聞いてえらくガッカリする。 いや、「週末の趣味でちょろっと作りました」というならカッコいいけど (こっちの教授ならそれくらいやりそう)、金出してもらうほどのものじゃないじゃんよ? まあいいですケド別に。。
で、昼食をとったあと午後のセッションが始まったのだが、 午後はだいぶアタリが多くて、来る価値があったと思わせるものだった。 まず回路設計用の言語で Verilog や VHDL をもっと高級にしたような 言語の紹介。新山は VHDL は学部の実習で書いたことがあるが、 もうほとんど覚えてないからようわからん。
そのつぎの発表は Lua の VM について。Lua の作者というのはいかにもブラジル人ぽい、
色黒でヒゲもじゃの野性的なおっさんであったが、この人の動機というのが
じつに「まっとう」なのだ。まず驚いたのは、Lua がじつに速い言語だということである。
Perl なんかより 1.5倍ぐらいはやい。そして VM 上で動き組み込みがとても簡単。
なので、現在では Lua は圧倒的に「ゲーム用組み込みスクリプト言語」として
利用されるようになっているが、この人 (Robertoさん) が最初に
Lua をつくったのはじつは「設定ファイル用の言語として」だったという。
".なんとかrc
" 形式のファイルには非常に多くの書式があり、
その多くはちっとも統一されていない。これには長い闘争の歴史がある。
ごく初期の簡単なものは、たんに /etc/hosts
形式の
値をならべるだけでよかった。ところがこれに条件分岐やマクロ定義が入ってくるようになって
cpp を使う形式が登場したが、これははっきりいって腐っている (xrdb を見よ)。
そのうち、samba や fetchmail のようなもうすこし複雑な書式がでてきたが、
これははっきりいって狂っている (ESR はこれが気に入っているようだが、どういう感覚してんだ)。
「S式信者」というのもいて、こいつらはなんでも S式で書けと主張する。
Lua が作られたのはまさにこういう状況であって、彼は「どうせならいっそのこと
設定ファイル記述専用に、まともな文法をもった、コンパクトな組み込み用の full-blown 言語を
つくっちまおう」と考えたのだという。今回の発表はその新しい VM の最適化というテーマで、
なんだかもっとアカデミックな場所に出しても全然恥ずかしくないようなものだった。
しかし設定ファイル業界(?)にはその後「XML馬鹿」というまったく新しいタイプの
強力なアホ集団があらわれ、こいつらがゴミをまきちらかしている。
実際いまでは周囲の人々から「設定ファイル用言語? なぜ XML を使わないんだ!」と
言われるのだそうだ。もし XML が当時からあったら、彼は Lua を作っていなかっただろうという。
でも Lua のアプローチのほうが XML なんかよりもずっとカシコイよ。
それに Lua は実際、組み込みのことをよく考えており、小さく、しかも速く、
おまけに VM で動くためセキュリティ的にも制御が簡単というおいしい特徴を
持っている。すごい! 新山の中ではこれで一気に Lua の評価が急上昇した。
組み込み用のスクリプト言語といえばほかに S-Lang や Guile があるけれど、
どっちも遅いうえに slang なんか文法が変態だし、guile はやたら重いしで
ちっとも使う側のことを考えてないように見える。
で、そのつぎは実際に Lua を設定ファイル用言語として利用している C-- コンパイラの話だったが、これがけっこう意味不明。 まず、C-- コンパイラは OCaml で書かれているが、 彼らはさらに Lua の動的な型を OCaml の“推論できる”型にマッピングしようとして 苦労していた。なんかこれって面白いけど果てしなく不毛なような。 そもそも C-- ってまだ完成してないので、 この話全体が壮大な机上の空論に終わる可能性もあるのだ…。 どうでもいいけど、このあいだのうちのミーティングで「OCaml ってなんか名前がラテン語みたい」という 話が出ていた。笑える。
その次の「Scheme による Reactive Programming」ってのはかなりクールで、 デモとしては一番インパクトあったんじゃないかと思う。去年もそうだったが、 PLT組はいつも Scheme でかなりカッコいいことをやるので (ツッコミはキツいが)、 それなりに評価しているのだ。ようするに Reactive Programming というのは、 実時間で変化している状態を言語が自動的に認識してくれる、というもので、 まあ大まかな構造は GUI などの event-driven なプログラミングに似ている。 ところが event-driven な枠組みでは言語はイベントについて何も知っておらず、 すべて API をつかってぐるぐるイベントループさせるしかなかったのだが、 Reactive Programming では言語が「変数 (たとえばマウス位置) の変化」を 自動的に認識してそこから勝手に再計算してくれる。 だからループを明示的に書いたり、どこでイベントを受けとるか考える必要はないのである。 また「状態変数」もプログラム内部につくる必要がないため (状態はつねに外部から与えられるから)、すべてが流れるように プログラミング可能になる。こりゃあ、いかにも関数型な人々が喜びそうな話だ。 できたプログラムは宣言的でよみやすい。でもやっぱり一番スゴいのはデモだった。 さいしょに発表者の彼が、端末から
と入力すると、評価されて「1022312321」などという秒数が表示されるのだが、 反則なことに、この表示された数字は端末上で 1秒おきに本当に「増えて」いってるのだ! すすす、すごい! とゆーか、そんなのアリかよ!? という気分だった。 端末の出力が勝手に動くなんて! さらにこれは評価もできる。たとえば> seconds
とやると、出力は現在の秒数に応じて> (even? seconds)
#t → #f → #t
と、これまた
端末の出力行上で勝手に変化する。
すすすごい。さらに可変長のリストなんか出力するとそいつが勝手に述び縮みするし、
もう、とにかくこれにはやられました。また、とーぜんこれは GUI プログラミングにも
使えて、マウスの位置とかにも追随できる。「変数の変化を n秒遅らせる」とかいう
関数もあっておもしろい。しかもこれは Scheme の式を解析して
自動的に依存構造を把握しているため、ほんとうに必要な変化が起きたとき「しか」再計算しないのだ。
そのため polling のようなことは必要なく、効率的に計算できるということだった。質疑応答では、
「途中で例外が起きたらどうなるの?」とか「seconds じゃなくて milliseconds を
表示してみせてよ」とか意地悪な質問が多かったが、ちゃんとそれなりに動いていたので感心。
やっぱこいつらタダモンじゃねーや。
ただし例外については、もはやプログラムの実行が逐次的ではなくなっているために
「例外」の定義自体があいまいになっているという。つまりエラーが起きても、
その場合にどう処理を中断するか継続するかといった semantics で、
まだコンセンサスがとれていないそうなのだ。なるほどなあ。
いや、これが一番おもしろかった。
webcast の午後のセッションの60% ぐらいのところから始まる。
「誰かご教授お願いします」とかいう日本語をみせられたので疲れた。 まともに敬語使えないなら最初からタメ口のほうがずっと印象いい。
いそがしくて Mac でプログラミングする暇ぜんぜん内
退屈な世界では、物事は通常よりも予測可能な速度で進み、それは予想がつかない。
ちなみにこのプログラムは sin カーブで関節に適当な動きをつけており、 最初はただ Dance と名づけていたのだが、 どう見てもキチガイじみた踊りなので Drunkman と改名し、 それもなんだかストレートすぎるので "A Very Happy Guy" としておいた。 われながらまったく独自性がない。
オレはどっちだ?
7日の夕方5時に出たのだが、あいも変わらず超無計画な旅行。 宿はとっておいたけどバスのチケットとかはまだで、大学を出てから てきとうに南下し Bowery のあたりでチケット屋をさがす。時刻も調べてねえけど、 だいたい 1時間に一本はあるだろうということで。去年はたしか SUNRISE TRAVEL という $15 のところを使ったのだが、今年はどういうわけかどこを探してもその会社の チケット売りがみつからなかった。もしかすると、事故ってつぶれたか? 中国人の運営するこれらのバスはよく事故をおこす。greyhound なんかより ずっとムチャしてそうだから。しょうがないので、べつのアヤしいチケット屋から 買うが、これは $10 だった。去年のアレでさえ危険そうだったのに さらにあやしい。おいおい大丈夫かよ? と思ったら、 あとでやっぱりトラブルが起きた。もう使いたくねー。だいたい一人で 6時間もせまいバスに座っていると身体的にも苦痛だし、おまけに 車内では超ド級の C級映画をむりやり見せられ (見たくもないのに大音量でギャー! とかガッチャーン! とかやるのだ、うるさくてしょうがない)、精神的にもかなり 苦痛だった。とにかく人がやたらと氏ぬのだ。なんかもー、最初は主役だと 思ってた奴まで死んじゃって、こりゃドーなっとるんじゃ一体?? という映画。 しかもそんなのが 2本。きわめつけは Connecticut のどっかの高速のド真ん中で 立ち往生しやがった。わきをびゅんびゅんトラックがすり抜けていく。 1時間近く遅れて、結局 Boston に着いたのは 11時だった。 クソっったれ。でも $10 だから文句いわない。 この中国人のバスは目的が非常にわかりやすい。 NY のチャイナタウンから、Boston のチャイナタウンへ。 しごく明確だ。去年と同じところに着いたので、ユースホステルまでの 道はもうわかっていた。Boylston St. を 30分ほどあるいて到着。 もう遅いので部屋に入ったら電気が消えていて、みんな寝ている。 ひとつ残されたベッドにはなにやら荒らされたような跡があるし、 シーツがない。ああもうこれだからドミトリーは…。シャワーも浴びずに寝たが、 ここで「ユースホステルの夜が最悪になる条件」をいくつか挙げておく:
で、翌日は激サブい中を MIT まで歩いて (Harvard Bridge では死にそうになりました) 到着。 とりあえずちゃんと登録はされているようだった。
(中略)
さらに翌日 (=今日) は帰りもわりとスムースにいった。以下のようなぐあいで:
米国でこんなに長距離の列車にのったのは始めてだったが、 やはりバスより圧倒的に快適なのはたしかだ。トイレもすごくキレイだし食堂車もあるしね。 しかしそれが $50 もの上乗せに値するのかどうかはナゾである。だいたい NY - Boston って飛行機でいけば 1時間もかかんないらしいよ。 $60 もだして 6時間かかるよりは飛行機のほうがいいような気がするが、 これが贅沢ってものなのだろう (意味不明)。
しかし、ふだん NY にいるときは「日本に帰りてー」と思っているのだが、 いざ、さらに僻地 (とかいったら殴られそうだが) に来ると 「ここより NY のほうがいいよ」と思ってしまう。ああ、たしかにボストンは キレイで安全で、白人どもにはいいだろうさ。退屈なね。 けれども新山はもう NY のこの汚なさと「アヤしさ」にすっかり慣れてしまっている。
LL3 の内容についてはあした欠く。
そろそろ秋だね!
一瞬にして書こうとしていたことを忘れるというこの才能、 この才能がほかの分野でも生かせれば!!!!-!!
← これとか
そして後ろからは誰かがチラチラと様子をうかがっていますが、 そんな妄想にとりつかれていなくても結局は ↑↑↑↑ ↑
todo: 詳細かくこと
(追記 nov. 9)
このトークは、こんな問題で始まった。以下の問題をどうやって解くか?
これが答えである。
あったまいい! では、Paul がとばす数字が 1つではなくて、 2つの数字になったらどうだろう? この場合はつぎのようにする。
で、彼がこの応用として出してきたのがインターネットのルータであった。 これがおもしろい。たとえば「どの IP アドレス (あるいはドメイン) から どの IP アドレスへのトラフィックが多いか?」といった 統計をルータでとりたい場合、もちろん馬鹿正直な方法ではルータを通過する IP パケットの アドレスをすべて記憶しておけばいい。ところが、ふつうはこれはほぼムリである。 現在のルータはたかだか 1パケットごとに数ナノ秒しか消費できないうえ、そんなに大量の IP アドレスを保持するメモリがないのだ。すべての IP パケットのアドレスを対象にすると 232 × 232 もの行列が必要になってしまう! ここで出てくるのが data stream theory というわけ。 彼によれば、こういった統計情報はやがて非常に重要視されるようになるだろうという。 たとえば、1660年だかにイギリスのなんとか卿 (名前忘れた) がはじめてロンドンの人間の平均寿命や 死亡率、病気の種類だかを統計にまとめた。30年後、別の人物 (これまた忘れた) が このときのデータをもとにして世界最初の保険会社をつくった。保険会社にとって、 統計はまさに「キラーアプリ」である。もしかするとやがてインターネットの世界にも この統計をなにかしら商売のモトにできる人間が現れるかもしれない…という。 ふーむなるほどなあ。
で、こんなぐあいだから彼は数学屋さんというよりもむしろアルゴリズムに 重点をおいていて、話はすべて「この計算は O(log n) オーダーでできる」とか 「記憶容量は O(log n) bit しか必要としない」とかそんな話だったが、 とにかく非常に効率がいいアルゴリズムだったので、 ただ聞いてるだけでもスキスキした (= スッキリした、の増加形) 気分になったことよ。 それにしてもあの人の名前、なんて読むんだろうね?
晴れるほうにかけて、笠はもっていかない
新山がこのうちのどれかに入っている可能性は 1% 以下です
more なんとか
とタイプする。
も〜〜〜〜これがハタで見てるとまどろっこしくてダメなんですわ。ホントに! でもこの人はすごい優秀な研究者で、新山はいつも無礼な口をきいてはいるものの、 じつはすごく尊敬しているのであった (たぶんここは見てないからこんなこと書いても平気)。 日本人の自然言語処理研究者の中では、文句なしにトップクラスといっていいと思う。だいいち、 まだ現場で研究しているというだけでもすごい。 日本の企業や大学にいる研究者は、30歳半ばになったら実際にはもうほとんど現場の 研究なんかしないらしい。ただの管理職になってしまうのだ。 それがセキネさんの場合は今だにコーパスを直接見たりアノテーションしたり、 スクリプト書いたりといった「データべったりな仕事」をバリバリとやっている。おまけに論文も大量生産。 こんなことは日本じゃまずできないだろう。しかもこの人のアイデアは それなりにブっとんでいるのだが、まるで荒唐無稽というわけでもなく、 その背後には大量のデータや文献を見たことによる裏打ちがあるらしい。 それにあんまり軽々しいトレンド (SVMとかSVMとかSVMとか) に乗らない、というのも好感がもてる。 いやはや、「本物の」研究者というのは、まあこういう人のことをいうんだろうよ。 オレはもっと謙虚にならねばいけませんね。しかし妻子持ちの身でありながら、 このヒトはいったいなぜこんなにアタマが柔軟なのだろーか?? 不思議でしょうがない。新山が学ぶべき人はホントに多いわけよ、ここには。
一種の病気だと思うね。「病気好き」という病気だ。メタ病気といってもよい。metacomp.
つまり…ちがうんだなあ。うんうん。 (結局、人間はいくつもの派閥に分断されるしかないという予感を思い起こさせる)
ところで、Nestle が出している Perugina というチョコレートは大ハズレ。
…とか書いてたら、いまいきなり非常ベルがなり出した。くそったれ
judgement は judgment とも書くことをはじめて知った。というか、ispell に知らされた。
categorial grammar を "categorical grammar" とカン違いしている人がいっぱいいると知って安心した。
▼暗い
TODO: ワクチン接種受けなきゃ。
やっぱさー、Gouraud Shading だと明らかにヘボいわけよ、見た目が。 速いけど。
しかし、いつから IP といえば Intellectual Property のことをいうようになったんだ?
いや、やっぱ推奨はまずいだろ、推奨は。それに仕事中に現実逃避してる暇があったら、 花でも買ってきてそのへんに飾っておいたほうが気がまぎれると思うんだけど、 そういう人々とはどうも方向性が違うみたいだ。
この意見はあくまで自分自身のために書いているものであります。
~
) を 1文字だけ出すのにはどうやるのデアろう?
ただ ~
とやると空白になってしまうし、\~
ではチルダが出るが、
次の文字とかさなってしまう。かといって \~~
では空白があきすぎる。
\~\
でも同様。ダメだな〜
なんでも無理に自分の研究テーマと結びつけようとする姿勢はビンボウくさく感じる。 余裕がないっつうか。
ところで授業とは全然関係ないのだが、きょうはオープンソースの検索エンジン nutch.org というプロジェクトの話が ML で流れていた。 おおーこれこそオレが望む Google のカウンターかもしれないでわないか。 ということで今日は授業が終わったあとずっとこいつで tabesugi.net をクロールさせたり、 tomcat 上でサーチを走らせたりして実験していた。しかしまだ多言語化が全然ダメである。 単語の chunking が「わかち書き言語」しか考慮していないらしい。 そもそも、多言語なページを index するには、まず「何語で書かれているか」を 分析する必要があるんだが、それもなし。ところで Google はある程度の 単語 chunking をやってるみたいだが、今んとこラベルづけは必要ないので形態素解析というより むしろありゃ chunking でしょうね。日本語や中国語のような言語はむしろ 文字単位で n-gram にしたほうが効率よさそうに思うんだけどなあ。 しかしどのみち、オープンソースで検索エンジンを公開しても誰がサーバを 提供するのかという問題がある。Google みたいに毎日何十台ものサーバを 買えて、しかもそれをメンテしつづけるなんて不可能だと思う (ちなみにこの前のGoogleイベントに出たときは「Google の 1日 = 1台のコンピュータにとって 40年」 といっていた、つまり毎日数十台こわれるということ)。 やっぱりどうせなら p2p で完全に分散かつ冗長化された効率のいい検索システムができれば… と思ってしまう。しかし DHT などの分散環境下で PageRank のようなことを やるにはどうすればよいかは、いまだにわかっていないらしい。 このまえの p2p 勉強会でもその点が指摘されていた。
しっかし、なあ。これはほぼ確信をもっていえるが、 日本の大学(院)でここまでやらせるところなんて絶対ねーよ。 専門学校ならこれくらい実用的なこともやるのだろうか? しかし基礎知識 (UNIX とか TCP/IP とか OOP その他) がちゃんとしてないと ワケわかんなくなることは明白で、そんなものがそう短期間にマスターできるとも思えない。 CGの授業にしたって、某大学の同名の授業なんかとは比べるのもはずかしい。だってあっちは 学生がどうでもいいレポートを適当に埋めるだけだもん。たぶん多くの学生がレイトレの原理すら わからないままに終わっていたと思う。それが「実学を重んじる風潮の国立大」とか言われていた ところの現実だったのだから、笑えるね! (笑い殺されますよ?) 三島由紀夫じゃなくても国の将来を憂えたくなるわこりゃ。
(でも実際には「日本が貧乏国家に転落するのもまた味があっていいかな」とか考えているのですが、 これって非国民?)
ときどき他の留学生から「日本人は語学研修してるのはよく見るけど、なんで大学院留学はこんなに少ないのか? カネがあるからできないはずはないのに、日本は先進国だからアメリカなんかに来ずとも自給自足できるのか?」 と尋かれる。オレもなぜだかさっぱりわからん、きっと多くの日本人は愛国者なんだよ、と言っておく。 これはわりと正直な印象。そうさ、欧米コンプレックスな人間なんて日本にはいないに決まっている!
telnet + vi + csh
(tcsh ではない) である。
そんでもって Ralph はいまだに /bin/mail
を愛用しているといってた。
このあいだ、「新しくアップグレードされたホストに mail
がなかったんで
しょうがなく mailx
を使った」といってしょげていた。おまけに彼のスケジュール管理帳は
古い FORTRAN のパンチカードだが、なんで彼の部屋はあんなものが大量に余っているのだろう??
一般に、すごい人ほど質素なツールを使っているように見える。 よく Palm とか Eclipse とか zsh とかを得意になって使ってる人がいるが、 ようするにこいつらは、 (以下略)
結論: 派手な道具を使えばデキルという幻想は、結果的に生産性を落とすだけ。
ちなみに「おきらえる (起きられる)」とは「おこらえる (怒られる)」を元にした独自の方言です (そういうのわ方言っていはない、コノばか)。
あれから「なんで自分はスポーツ観戦やアクション映画が嫌いなのか?」について 考えてみたが、どうもそれはオレがあまりに「分裂的」であるからではないか、と思った。 つまりオレは「なにかを長時間ずっと注視する」というのができないのだ。 かならず 1分もするとなにか関係ないことを考え出したりする。 授業や講演をきいているときもそうで、「あれ、今なんて言った?」ということが しょっちゅうある。ADHD というやつかも知れないが、ぶっとんでるのは 意識だけで、べつに身体が動くわけではないんだな〜。 ようするに、単にニブイだけかも。とにかく何かオカシイことに変わりはない。
PATH の車内でへれんに会う。「機械学習の class project proposal どうする?」と尋いたら 彼女は「あんなもんきっと全然重要じゃないわよ、30分ぐらいで終わらせるつもり」とかいってた。 ホントかっっ!
そのほうが自然に見えるから。という理由で
そしてそのために、みじめったらしい仮定に生きる必要はまったくなく
順序! が重要!!
あんまりはね。
ところで今日は、Linus の毛布がコートにされてしまった。 なかなか鬼だな、こいつも。
新山はかなりひんぱんに落ちこむが、である。
(なにか言いかけたが日本語を忘れた)
このところずっと何をやっているかというと、 新しいプログラミング言語「かきつばた」なるものを作っているわけですが、 いやはや言語作者というのにはセンスが要求されるもんだとつくづく思わされるワケっす。
岩田さんのサイトに「じきに公開できると思いますんで」と書いてから 1ヵ月以上たつような気がするが、 いまだに完成しない。インタプリタ自体はそのころからあるのだが、重要なのは別のところなのだ。 つまり、いかに… するか? というところ。悩ましいトレードオフが。
もっと寝かせろ!
死ぬまで寝かせろ! それとブリカマ!
RedHat が今年 12月で 7.x および 8 のサポートを、 来年 4月で 9.0 のサポートを打ち切るらしい、というニュースが流れてきた。 まだ LWN には出ていないが、今後は RedHat Enterprise Linux とかなんとかいう プロダクトをおすすめするんだと。くそったれ。
はっきりいって、RH 9 さいあく。入れるんじゃなかった。
個人的にはべつに gnome も kde も使わない (これらは何年かの間「無理やり好きになろう」という努力を したあと、最終的にどっちもカスだという結論に落ち着いた) ので slackware でいいのだが、ときどき気まぐれで試してみるソフトが rpm で落ちていることが多いのが 問題だよ。それのためにいちいちアレすんのはアレだし (?)、あと vmware を使いたいってのもあるし、 ああでも vmware はもう Mac 買ったからどうでもいいような気もするし…。
とかいいつつ debian を見てみたりする。 しかし、セットアップして慣れるまでの時間を考えると、なんかダメそう。 だいたいソフトウエアはなぜバージョンアップなんかするのか! それが悪い!! (逆上)
ありがたし、Google.
考えてみれば Chinese Reminder ってなんだろう? うちの居間にはってあるカレンダーは Owen が置いていったもので、 これをみるといつも彼のことを思い出す。まさしくこれぞ Chinese Reminder。 (アホっす)
で、帰ってきたら TBS (東京放送じゃない) で Matrix がやってて、 navneet がそれに見入っていた。おーこれがアレか。こいつ、デコ広いなー。 とか思いつつ新山も 3分ぐらい見ていたが、どっかのおっさんが「正直にいうぞ、オレはこの牢獄が嫌いだ、 この現実が嫌いだ」といってて、そのあと派手な撃ち合いになった。 結局、たんなる撃ち合い映画じゃん…ということがわかったのでさっさと離れる (ちなみに、これを書いてる時点でまだ後ではボカスカいってます)。 正直、アクション映画ってなにが楽しいのかまったくわからん。 見るととにかく疲れて、「もうカンベンしてくれ」って状態になってしまう。 まあオレはスポーツ観戦も嫌いで (気疲れするから) 自動車の運転も嫌い (これまた気疲れするから) というような人間だから、アクション映画で気疲れしててもべつに不思議はない。
(はげしく訂正: 新山は「アクション映画」のみならず、一般に映画というものを、 もっといえばフィクション全般をほとんど見ないのですが、これはまた別の話)
大学のマシンを RedHat 9.0 にした。たいして変わらなかった。
新山の場合、別に無理してバージョンアップするほどの違いはなし。
てゆうかむしろ時間の無駄!
glibc を新しくしたら errno に直アクセスしてる djb のソフト全部が
「Incorrectly built binary
..中略... Needs to be fixed.
」
という警告を出すようになった。クソっったれ。しょうがないので、
ここのパッチ
をあてて再コンパイルする。ついでにカーネルがまだ 2.4.20 なので
これも 2.4.22 を再コンパイルして入れる。で、こうすると alsa も入れなおさにゃいかんし、
手間ばっかり。なんてこった。おまけになんか知らねえけど Apache 2.0 とか入ってるよ?
いらネーっての。
その後帰ってくると、 ぼくはひどい怒りに見舞われた、
頭ぼんやり。なにも考えなくても日本語はかける。かくる。かくっ
“日本人は、上げ底がスキ”
これはお菓子の箱だけのことをいっているのではない。 ありとあらゆることに上げ底 (過剰包装) がスキなのだ。 文章でも同じことがいえる。勿体つけてるだけで中身がいつまでたっても始まらない、 というか、じつは全部勿体だけで内容はなかった、という文章がけっこうあるのだ。 しまり屋の新山にはこういう技はできない。いきなり本題に入って、 ミもフタもなくドサっと言うことしかできないのである。 というか、ろくな内容がないならそもそも書かないだろう普通は。 そして勿体が多すぎる文章をみるとむかつく。おまえチョコレートの包装なんて紙 (あるいは銀紙) でいいだろうがよ? しかしこれは、もしかすると日本人の「インフラ好き」な 性癖にも関係しているのかもしれない。とにかく基盤を固めてかためて、 かためまくっているうちに紙面も尽きてきたので終わりです、というのが多いような気がするのだ。 しかしそのわりには教育なんかでは基礎をちっとも重視してないようにも見えるし、 わけがわからない。ああ、でもこの日記は勿体しかないですが、 unixuser.org/~euske のほうは可能なかぎり「上げ底」を少なくするようにしている。 しかしそうすると一部の人には無愛想なサイトに見えるらしい。 つまり一般的には「上げ底」はそいつの慇懃さを示す指標と考えられている? か? 無駄なこって。やってらんない。ちなみにうちの実家はお中元やお歳暮や引出物といった 無駄なこともほとんどやらない家なので、しまり屋なのは遺伝らしい。 つうか考えてみれば新山家がもともとあまり普通じゃないんだよ。
ところで (てくるで)、このようにいきなり月が変わってしまうと 1日前の 内容が別のページになってしまうのはやや不便かもしれないということに気がついた。 実際には連続しているからである。ブロぐツールや 各種日記ツールを使えばそのへんは解消されるのだろうが、しょせんあんなもんは “過剰包装用”ツール でしかないと思う。 「ftp するのがめんどう」とかいう話ならわかるが、自宅サーバの html を 直書きしている状態であのテのものを使うのはまったくの無駄としか思えない。 (日記ツールを使っている人の文章がすべてつまらん、といっているわけではないっす)
いま思いついた新たな「ブロぐ (およびそれに類するもの)」の定義:
google://カタカナ病/ (4件)
もちろん、世の中そんなもんだ、ということは、10年後からわかっていましたさ、けっっ。
ふいに、自分のやっていることに何もかも確信がもてなくなるときがある。 とくに後めたいことをしているわけでもないのに、いやもしかするとだからこそ、 すべては間違っているように思えてくるのだ。 とりわけ顕著な考えは、もう自分の中では何がしかが「手遅れ」であり、 人生のピークは過ぎ去ってしまい、あとはもうただ下がっていくだけ、 あとには落日の日々しか残っていない…というぼんやりした予感と予想である。
もちろん頭ではこんな推論は根拠のないものだということがわかっているし、 しばらくすれば結局またもとの楽観的な性格に戻るということもいつものことなのだが、 それでもこの一時的な落ち込みは避けがたい。まあそんなこともあるさ。 いずれにせよこういうことはちゃんとここに書いておかないと。あとで参考にするためにね。
で、こういう気分のときは白米をたいて味噌汁をつくるのに限ると。ぐふふふ、ふふふふ
どうでもいいけど ひきこもりの若者がお遍路 だって。うらやましい。ヒキコモラーじゃなくてもやりたいぞ。
彼は急にいい出した。
「バックマンソンは行ってしまったよ」
「では、どこにいるの?」
「あいつは、もう、われわれの仲間じゃない」
と、ウェルネルは腹立たしそうにいった。
「ああそう。死んだの」
といって、おばあさんは、死についての遠まわしないい方について考え込んでしまった。 それはいつも関心はあるのに不安で、タブーになっていた言葉だった。 そのことについて、知的な会話が進められないのは残念なことだ。 相手が若過ぎるか、年寄り過ぎるか、または時間がないかのどれかなのだ。-- 少女ソフィアの夏