本当にいい人、あるいは究極の悪人にしかできない表情というものがある。
夢の中で、なんか、お前それどっから覚えてきたんだ? というようなワケのわからん知識を喋りまくっていた。 起きてみると自分がそんなことを聞いた覚えはどこにもない (し、確信をもった覚えも)。
2ボタンでホイールつきのやつを買おうと思ってたのに、どうしてくれるんだ! 1ボタンしかないz!
でもワイヤレス… (ぐふふ)。 このマシンは lid-closed operation (画面を閉じたままでもマウスがつながっていれば操作可能) を サポートしているため、プレゼンのときに便利かもしんない。しかし自分はじょじょに Mac 信者化汚染されているのではないかと心配になってくる。まあそんなに使ってないケド
google://自分がいた/ (約36,500件)
./configure
しろ」としか書いてない) をつけて何が楽しいのか理解不能。
これのせいで、くだらないプログラムでもなんだかやたらとファイルが増えてしまい、
みにくいことこの上ない。たぶん、これは
「容量が大きいとスゴそう (あるいは、カッコよさそう)」というガキっぽい感覚に
よるものなのだろうが、どことなくお菓子の過剰包装にも通じるものがあるように思う。
そもそも configure
という発想自体がアホだ。
単にバグの入りこむ可能性を上げるだけで、おまけにたいていはメジャーな
アーキテクチャでしかテストされていなくて (ひどいときには RedHat でしかテストしてなかったりする
-- どうでもいいけど pfaedit の configure
は freetype を探すのに find /
を
実行してファイルシステム全体を検索するが、何かのイヤガラセ?)、
いざマイナーな環境でビルドしようとするとえらい苦労する。
こんな中途半端な自動化に手をかけるよりも、
素直なよみやすい Makefile を書いて、
機種ごとのていねいなインストール文書を用意するほうがよっぽど親切だ。
最近、機能の充実はドキュメント不足の言いわけにはならないと思うようになった
(djb 関連にもそれはいえる)。
このアホさ加減には、「ソース真理教」のようなものも一役買っているような気がする。
Makefile も読めないのに「なんでもソースから入れればいい」と信じている
アホが多いせいだろうか。
ところで日本人って基本的に小さいものがスキなはずなのに、 お菓子とかソフトウエアパッケージとかは恐しく「デカいもの信仰」だよね。からっぽなのに。 昔のワープロソフトとかは、フロッピー数枚のまわりに 30cm ぐらいのスポンジがつめたパッケージで売っていた。 大は小を兼ねる、というが、これはデカければ騙されやすい、ということなのか?
automake の話に戻るが、たぶんこれは VisualStudio とかによくある「Wizard」のようなことを やりたかったのかもしれない。つまり「ナニカのテンプレートをお手軽に生成できます」ってやつだ。 しかし実際には、この手のやつは余計な労力を増やすだけだと思う。 Wizard 的ツールの批判はずっと前からされているけれど、もしもある複雑な問題があって、 それをこうしたツールである程度軽減することができればそれはいいことだ。 だが実際にこれらのツールがやっていることは「複雑さを軽減する」のではなくて、 ただ単に「余計複雑にして誰も文句がいえないようにしてるだけ」なのである (うん、こりゃあ、我ながらなかなかいい洞察だ)。 コードのカサを増やしてわかりにくくしているだけ。 この手の「量で勝負!」的なエセテクノロジーを見ると、いつもがっかりする。 Windows なんかほどんどこれだよな。現代のソフトウエアのかなり多くがこの罠にひっかかってると思う。 オマエなー、そんなとこに man-month を費やすんならもっと基本的な設計に時間かけろよ、 一度失敗した料理は何を足してもまずくなるだけって、マーフィーの法則 (昔はやった) にも書いてあるだろうがよ、え? と思うが、誰か、「ソフトウエアにおける上げ底文化」というテーマでこのテのことを研究しないかな。 これは結構重要かもしれないと思うんだけど。
どうでもいいが、占いクッキーを入手したのでここに記しておく。 このクッキーはディスクに保存されませn:
ところで、こないだの Dan の授業で、誰かが Prosper という TeX のマクロをつかって PowerPoint そっくりのスライドを作っていた。 プレゼン自体はダメだったが、このソフトはフリーのプレゼンソフトとしては なかなかいけるかもしれない。というのは、一部の人々の間で有名な MagicPoint ははっきりいって画面レイアウト (文字のマージンとか、Bullet-文字間の距離とか) に 微妙なセンスの欠如を感じるからである。微妙なね。 仕組み的にも C を使って X11 べったりハードコーディングしているような 部分が多く、好きになれない (でもこれはたぶん時代のせいもあるんだろう、 今ならこんなものを C + X11 で書く人はいないだろうから)。
なーんか、国産の unix フリーソフトってそういうの多いよなあ。 数が少ないからアラが目立つのか。 日本人プログラマにセンスがないなどと言うつもりはないんだけど。 (訂正: OpenOffice も KOffice もたいしてセンスはないので、これは MagicPoint だけの問題じゃない)
ああ、きょうの日記もまたブログロ的だ。 いかんいかn
誰も見ていないときでも依然としてこの日記は書きつづけらるれるということに留意せよ! わかったか!!
[Nov 19, 2003] (11:48) またネットワークが落ちております。ログによると今朝6時ごろ。雨のせいか?(12:51) Palladium の話をよみ、暗くなる。コンピュータにまつわる 政治的な話に新山はあまり興味がないが、技術的に腐った話はむかつく。 しかしこれはおそらく感覚の違いもあるだろう。新山はそもそも 人生すべてにおいて単純であるべしというモットーなのだが、 世の中には複雑さに依存した生活を好む (そして何も感じない) 人が多いということだろう。 もっとも、日がな端末に向かっている人間にそんなことを嘆く資格はあるまい。 どうでもいいけど BOA といえば CORBA かと思ってた。ポアといえばコルバだね!!!1
(16:42) 机の上がちらかってるやつあアホだ。
新山: アホ
(21:31) オレが悪いのかな…。落ちこんでるうえに この記事 をみてしまったらさらに落ちこんだ。意図が明白すぎる。
Comcast に電話したら (このサポート窓口に電話するのももうだいぶ慣れた)、 近所からも似たような文句があいついで来ているという。電話に出たオペレータは 「ただいまの Jersey City 全域のモデム応答率は 40% だ、これはきわめて低いので、 他の家も同じ問題があると思われる。でもおもしろいね。Jersey City の 修理サービスの予定は月曜までぎっしりつまってるよ」という。 おもしろがってる場合じゃねーよ! しかし残念ながら今新山ができることもまた 月曜日まで待って、修理サービスに来てもらうことしかないのだった。 まったく、ビンボな地域はこれだもんなー。いかにもいい加減そうだもん、 この街のインフラ。なにもかも。まあアメリカ全体がいいかげんそうなのだが、 このはさらにひどい。
つねに正しい人は、悪人よりもずっとつらいのかもしれないな、 と考える。つまりあっさり自分が悪であると認めてしまったほうが ラクだということか。人はそれをさして堕落という。
おーっと! 気がついたらこのページは、ふつうの日本人的日記よりも ずっと“ブログロ的”なことを書いているでわないか!!
なぜなら、まだそれはそこにある (断定)!
$ cp /dev/zero a & sleep 10; kill $! [1] 9217 $ ls -l total 233872 -rw-r--r-- 1 yusuke 239140864 Nov 18 12:54 a
22MBytes/s か。まあまあ
(ちなみにローカルディスク上では 80MBytes/s, SCSI AIC7899+SEAGATE 使用)
新山は日本にいるときはゴヂバ (Godiva) なんて食した経験がなかったが (そもそも名前すら知らなかった)、こっちに来てからは B&N (本屋) の レジのカウンターの前に置いてある $2.5 のアーモンド入り板チョコを 2回買ったことがある。日本でもこれが売ってるかどうかは知らないが、これくらいなら まあ許せる値段だ。しかし、いつもヘンな香料が入っているのを感じる。 おまけにブロックの大きさもやたらとでかく、口をあんぐり開けないと入らない下品さ。 クサットル! もっと高いやつを買えばウマいのかもしれないが、オレが好きなのは みょうに飾りつけしたやつじゃなくて、シンプルな、単に「板チョコ」なのだよ。 はっきりいって、ここで入手できるチョコレートの中では Ritter Sport の Dark が一番だと思う。 このプレインなウマぶりを知れ。このソボクさ (しかし甘さが少なめなので、 アメリカンには甘さが感じられないのかもしれない)。 日本のメーカーなら明治にかぎるね (ミルクチョコレートの板チョコ版のみ、 一口サイズになってるやつは明らかに味が落ちる)。それ以外は氏ね。 ゴヂバ (Godiva) は気取り度では No.1 だが、気取ってる奴の口が臭かったり することは往々にしてあることである。
「ウマぶり」で Google 検索したら「激ウマ! ぶりの照り焼き」などという 文字列を発見してしまい悲しくなった。チョコレートよりもそっちのほうがずっと食いたい。
c.so.6
。
かつて Mac が漢字 Talk 7 に改悪されたとき、 7 → 7.1 → 7.5 → 7.5.1 とどんどんひどくなっていくのに ア然としたものだった。
これは新しいポリシーだ。かもしれない。おそうじ。
それにしても締め出しはきついね。今日はそれほどサムくないからまだいいけど。も。
google://モーソニスト/ (0)
てくるで (ところで)、英語で "What not?" という言葉がある。 これ、Franchitti せんしえ (せんせい、と打ちまちがえた) とかがよく "COM+, .NET, RMI, ... what not?" というふうに使っているのだが、 いままでよく意味がわかんなかった。 ようするにこれは "etc." みた[i]なもんかと思って、このあいだ こないだ Ralph にそう尋くと「ああそれはなかなかいい近似だね」ということだった。 しかし、いまだになぜ "What not?" が "etc." の意味になるのか、 自分の中ではさっぱり感覚がつかめん。
google://自分の中では/ (約 53,800件、約ですよ)
いい歳を目前にして、さいきん幼児化が振興しつつある。 具体的には、ギ音病気が進行中 (祇園とは関係がない)。 何かをたたくときに、かならず「とんとん」と口に出してしまう。 お茶っ葉を捨てるときに、「こぷこぷ」と口に出してしまう。 ヤバイ。アルハイか??
いやこれは別の世界への入り口だと考える。 どっちにせよ、ろくな世界じゃない。
ろくな世界じゃない世界から、ろくな世界じゃない世界へ。ろく世界 → ろく。
Google をインスピレーションの道具にしているオレは、 もしかしてデータマイニングな男なのか (わけ不明、あるいは 100万人のごみ減量大作戦)。
オー、さっそくこれだよ。
二重に…いや、書くこと忘れた。遅れている
新山は such a 仕事人間であるため、日々のノルマが達成できないととても悲しい。 しかし毎日ノルマは達成できないので、悲しくない日はその日のノルマを 忘れたときだけである。まあしょっちゅうわすれてるからいいけど。
今日の原因は、ひとつは朝ノラクラしていたこと。 そしてもうひとつは、やりすぎなことだ。 ったく、オマエは凝り性すぎるんだよ! 帰りの電車の中で、フォント作成ツールと言語の文法について考えていた (この 2つの単語にタダナラヌ関係を発見したあなた、は少々狂っています)。 おなかが経ったが、まずはシャワーをあべるべし。
ひとつの想像。いまはまだ学生だから毎日勉強だけしててもなんらかの development があると 思っていられるが、これがほんとうに毎日が同じ仕事で、なんの進展もく、 ずっとこの調子の忙しさで続いたら精神病むだろう。
それにしても、30過ぎてまだ学生なんて! (予定)
def feeder(): # すぐに generator を返す while 1: yield なんか # 値が receive されるまで止まる return def consumer(): # すぐに receiver を返す while 1: do(reverseyield()) # 値が feed されるまで止まる return def pipe(): # 本物のループ r = consumer() for x in feeder(): r.feed(x) return
Lua の coroutine ってどうなんだろ。あれを使えばこういうのが書けるのかなあ… 継続 (continuation) を使えばできるというのはわかるのだが、 汎用的な継続を直接ユーザにさわらせる言語よりは yield などの構文でくるんでおくほうが 好きである。継続については最小主義がいいとは思えない。継続をそのまま使え、というのは 「for も while もなくしてループ制御には if と goto だけを使え」といっているのと同じだ。 しかし問題は、今回のように「yield だけでは不十分」といった場合にいったいどれくらいの 「亜流 yield」をつくればいいのか、ということだ。同じことはループ制御にもいえる。 for や while では十分でなく、どうしても goto があったほうがいい場合もあるかもしれない。 Knuth は goto が好きで、 「文芸的プログラミング」ではそういうケースをいろいろ考察していたが、そういうことが 実際どれくらいの頻度で起こるかによると思う。 ここでも結局、バランス感覚というか、その人のセンスの問題になる。 ちなみに新山は Knuth せんせいのバランス感覚がまともだとは到底思えない。 (というか、あの人はあの暴走ぶりが芸風だと思うので別にいいのだけど)
ところで、ここでこうやって他人の日記に応えるのはまったく好きではない。 「特定の人間がここを読むだろう」と仮定するのはとにかく嫌いなのだ。 だからいままでこういうことはしなかったのだが、 たまたま言及されてるのを見つけてしまい、見てしまったからには無視するのは申しわけないのでここに書く。 ホントは石本さんの wiki に書きこみたかったのだが、だめだったので。 その人のページに掲示板なりなんなりがあるなら、そっちに書いたほうがいいと思う。 やっぱ人の日記なんて見るもんじゃないのかもしれない (あるいは 2ちゃんねるを見るべきじゃないのかも)。
ちなみに新山のサイトに掲示板とかコメント昨日とかがまったく提供されていないのは、
べつに双方向の通信を目指してはいないからである。
というか、じつは一方向のコミニュケーションさえ目指していない。
「伝達する」のではなく、ひたすら「記述する」のが目的だから、最初から自分以外の読者は
二のつぎなのだ。いちおう、不特定多数の人に見られても大丈夫なようには書いてるつもりだけど、
だからといって不特定多数の人に向けて書いているわけではないと思う。
でも世の中には「www で公開している == 不特定多数に向けて発疹したがっている」と思いこむ人は
意外と多いらしい (だから「自意識過剰なヤバい人」などといわれるのだろう…)。
わかってねーよな。顔も知らない人間が1日に何万人も見に来たところで、こっちはうれしくもなんともないん
だ。
ああまた「コミニュケーション」って書いちゃった。ミとニが似ているのがわるい。 おまけにキイボードも、隣だし。
くだらん!
だいたいこんなことは全部オレの人生にはどうだっていいことだ。
オレはただ適度に使える計算機と言語がありゃあそれでいいん
だ!! それなのに何をオレはまったく…ぶつぶつ。
給料とか上司のグチとか結婚とかの話題は、あんまり「問題の深刻さ」が共有できないので 見ても大しておもしろくなく、ほとんど見なくなった。やはりアホなのに限る。
プログラムのコードでもっともよく現れる数は、おそらく「0」と「1」である。
ためしに調べてみたら、こんな結果になった。
カーネルのソースなので、16 とか 255 が多いらしい (ヘッダ *.h
は含んでいない):
$ find /usr/src/linux -name '*.c' | xargs egrep -h -o '\b[0-9]+\b' | sort | uniq -c | sort -rn | head -20 269063 0 124349 1 48263 2 27173 4 24365 3 22312 8 17462 16 12562 5 9352 6 9143 32 8899 10 8494 7 5968 12 5291 64 4329 9 4175 255 4151 15 4060 20 4018 11 4014 00000000
XFree86 や gcc を調べてみても、やはり 0 と 1 が多い。 ところが Perl-5.8.0 では違った!
なんじゃこの 230 とかいうのは? と思ったら、 ext/Encode にある、うtf-8 のコーディング表が原因なのだった。154486 2 117585 1 79601 0 39862 230 39101 229 36543 232 36459 231 31498 233 20319 4 14957 3
きのう「デザインパターンを誉めるやつはバカ」と書いたが、 やや不安になったので GoF 本を読みなおしてみて、やっぱりバカだと思うことにした。 なんでこんなにウソっぽく見えるんだろうなあ…と思っていたら、それは 「手続きの流れ」というものをほとんど考えてなさそうだからだ、と気づく。 Structural Pattern のほうは、まだいい。これはどうやってデータ構造を構築し、 その一貫性を保持するか、といったことが主眼で、この点では OOP はけっこう役に立つこともある。 ところが問題は Behavioral Pattern のほうだ。自分の経験からいうと、 データ構造のメンテナンスよりも実行順序を考えるほうが多くの場合はるかにややこしいのだが、 この本では非常にうわっつらなことしか触れていないように思える。 もともとオブジェクト指向というのがそういうことをぜんぜん考慮に入れてなさそうなので (制御の流れはあいかわらず典型的な call → call → return → return といった 木構造的呼び出しを仮定している)、ある意味しょうがないと思うんだけど。 この枠組みで制御構造をなんとかモデル化しようとしても手に負えなくなるだけだろう。 たぶん不完全なのは著者もきっと認識してるんだと思うけど、 これから並列協調型のプログラミングが普及してくるときに これじゃなんにもならない。 まあ、業務用のアプリなんてみんなパターン化できる簡単な制御構造しかないからいいんだ、 といわれればそれまでだけど。ああそうか、そういうことか??
もちろんそれを利用しておカネもうけをすることに何も文句は申しませんよ、ふらんちってぃ先生。 世の中、ホンネとタテマエはどこにでもあるのです。日本以外にもね。
引きこもり web ページ、という考え方っすよ。
どうでもいいが、GNOME とか Windows にある「何階層ものプルダウンメニュー」は 拷問のために作りだされたらしい。どうりでよくできていると思った。
ところで「口さがない」という日本語のことを、 いままで「口さ + が + ない」だと思っていたが、今日 「さがない」という形容詞があることを発見。 「さがない: 他人が気を悪くしたり迷惑がるようなことを平気で言うさま」とある。 オオーまるで誰かみたいではないか。しかし、「さがない」だけでこの意味だとすると、 「口さがない」は一体なんなんだ? 口だけがさがないのか??
まあ土曜日ぬんだから寝坊ぐらいしてもかまわないのだが、 朝の貴重な時間をつぶしたと考えるとぐや゛じい。 きょうは雲ひとつなく晴れていて、部屋のマドから ESB のツノがくっきり見える。
使用例: Python は優雅なスクリプト言語である。
どうでもいいけど「網元衆」って「もうげんしゅう」と読むほうが絶対にかっこいいと思う。 そうすると「妄言集」にきこえるから。
「人々」を「人びと」と書くのがコツである。新山は、こっちのほうが好き。 (どっち??)
新しく入れたディスクを 4GB ほど使ってみたのだが、 4GB っていえば結構なデータ量って気がするのだが、 まだ使用領域は全体の「3%」と出ている。 たった 3%。。。
おれの世界を返してくれ〜/////!!! 古き良き「びんぼう世界」を!!!
1--1 = 2
が評価できるんだようー−:::::
ざまったか Perl!!! (ざまあみろ、と、まいったか、の混成合唱団、ttttt)
たとえば新山が発見した不思議な相関関係の一部はこんなぐあい :
slashdot.jp
(org じゃない) を読んでる人間 : 卑屈
この言明を拡大解釈しすぎてはいけません。幸運なことに、まだ 100% の 相関ではありません。 (それとも、不幸なことに??? [沈黙])
それに対してこの相関は 100% です。
オブジェクト指向やデザインパターンを称揚する人々についていわせてもらえば、 これもまた XML と同じように、なんでも標準化・定式化できると思っている極端バカの一種だと思う (ソフトウエアの研究は、すべてプログラムをなるべく「定式化しよう」という方向に ずっと動いてきている、それが成功してきたとはまったく思えないけど… これはちょうど人工知能 (や自然言語処理) で、「人間の知能 (や言語) を定式化しよう」という 試みがほとんど失敗してきたのを思い起こさせる)。 ついでにいえば、これは「周辺ツールの整備にこだわりすぎる人」と同じ系列にあてはまるように思う。 ようするに本格的な建築は難しすぎるので、かわりに建設現場を掃除してみたりしてごまかす (そして新しい仕事をつくりだしていく) のだ。 こういう一般的な傾向は、教育とか啓蒙とかによってどうにかなるもんなんだろうか? なんか、ダメな奴は何をやってもダメという結論に落ちつきそうでこわい。 これはあくまで恐れであって、確信ではないけど。そして自分がその中に入っているかいないかは
考えてみれば似たような例はいくらでもあるな。 いつも批判されるほうは 「それはお前が {バカ / 無知 / ちゃんと理解してない} からだ」 とかわすことができる。コンピュータに限った話ではない。 ポモとかもそうだし、なにかが派手に持ちあげられると必ずそうなるね。 本当にまずいのはむしろそういう現象のほうなのか。
「バランス感覚」という観点からいえば、 目にするもの何もかもに反発していてもダメだと思うし、 かといって「みんながいいって言うから」という理由に あまりに軽く乗りすぎてしまうのもダメだろう。 もっとも、オレの性格だと反発のほうが圧倒的に多いのだが、 きっと社会はなんでもかんでも信じる人間のほうを必要とするだろうね…。 だからどうした?
結論: 心配する必要なし。
最近、どうも寝るのが遅くていかん。
おまえは助けるんじゃねえよこのピヨピヨ野郎が!!! (→ ひよこ、おみやげ)
そういえばこれって中世と同じじゃん!
popen3 でプロセスを開いて並列処理させ、poll で出力がくるかどうか監視し、 しばらく止まっていたら無限ループと判断して再起動させる。 無限ループに陥る文章はいつも決まっているので、 そういうのに出会ったらその文だけ別処理で解析して、 それが終わったら通常業務に戻る。しかもなるべく効率よくやること! 結果的にはつねにプロセス 2匹を「飼って」おいて、 必要に応じてパイプの出力先を切り替えればよいということがわかった。 それにしても無駄だ。背に腹はかえられない。無駄だけど。 しかし、どの文章が無限ループでどの文章が segfault になるか 全部ログをとっているので、knp のデバッグにはもしかすると 役に立つかもしんない (そんなものをやる人があれば)。どうでもいいけど、これってもう 10年以上前の C プログラムだぜ? いいかげん誰かもっとモダンなバージョンに 書き直してよ! malloc とか使ってるんじゃ、メモリ管理に 限界が出て当然。つーーーか、おまえがやれ。
ところで select_tut(2) なんて man ページがあるのね。
とくに標準入力を閉じておく (#!/bin/sh exec </dev/null exec >log.`date +%Y%m%d`.$$ exec 2>&1 renice +20 -p $$ echo [`date`]: start: $$ for f in *.gz; do echo [`date`]: process: $f out=${f/.gz/out.gz} gzip -dc $f | nanka.py | gzip -c > $out done
/dev/null
にしておく) のは重要で、
これをやり忘れると ssh で入ったときに ssh が止まってウンともすんともいわなくなってしまい、
SIGHUP を送って殺すという大変後味の悪い行為をしなければならない。これは ssh が
仮想端末を見ているプロセスがすべて死ぬまで終わってくれないからである。だからそうさ。そう、
/lib/kbd/keymaps/i386/qwerty/us.kmap.gz
の Caps_Lock を Control に変更。
/var/yp/securenet
にクライアントのアドレスを追加。
/etc/hosts.allow
にクライアントのアドレスを追加。
/etc/yp.conf
に yp サーバのドメインとアドレスを追加。
/etc/hosts
に yp サーバのアドレスを追加。
/etc/sysconfig/network
に NISDOMAIN=nyucsproteusnet
を追加。
/etc/sysconfig/ipchains
で近くのマシンにだけ下位ポートの ipchains をあける。
/etc/rc3.d
および /etc/rc5.d
で # ln -s ../init.d/ypbind S20ypbind
/etc/exports
にクライアントのアドレスを追加。
# exportfs -ra
/etc/auto.master
を作る。
/etc/rc3.d
および /etc/rc5.d
で autofs を有効に。
/etc/auto.export
にエントリ追加後 make。
/etc/exports
を適当に作る。
# exportfs -ra
/export/なんとか
でマウントできることを確認。
/etc/ntpd.conf
に mango
, newsfeed.nyu.edu
, cmcl2.nyu.edu
を追加。
/etc/sysconfig/ipchains
で 123/udp → 123/udp をあける。
ntpdate
でラフに時間をあわせておく。
ntpq -c peers
をやって同期を確認する。
/etc/rc3.d
および /etc/rc5.d
で ntpd を有効に。
# package/install
/etc/inittab
の SV:123456:respawn:/command/svscanboot
というのを
SV:12345:boot:/command/svscanboot
に修正。でないと起動時にちゃんと起動しない。
# make setup check
# dnscache-conf dnscache dnslog /etc/dnscache
/service
からリンクする。
/etc/resolv.conf
を 127.0.0.1
に書き換える。
search cs.nyu.edu
を忘れずに。
# make setup check
そのあと ./config
/var/qmail/alias/.qmail-{root,postmaster,mailer-daemon}
を追加。
/var/qmail/control/{defaultdomain, smtproutes}
/var/qmail/qmail
に daemontools 用のディレクトリ作成。
mkdir log
, chmod +t
, chown qmaill.nofiles log
, run
, log/run
# rpm -e sendmail sendmail-cf mutt fetchmail
# ln -s /var/qmail/bin/sendmail /usr/sbin
/service
からリンクする。
/etc/rc3.d
および /etc/rc5.d
で sshd を有効に。
fdisk
mke2fs -j
でファイルシステム構築。
tune2fs -L
でラベルつくる。
/etc/fstab
書き換え。
/etc/sysctl.conf
に net.ipv4.tcp_syncookies = 1
追加。
/etc/inittab
で initdefault
を 3 にする (X を起動しない場合)。
/etc/modules.conf
書き換え。
(*)
Ext3
(*)
SCSI drivers (SCSI のシステムでは)
<M>
ネットワークドライバ
Reloaded → Revolutions ときたんだから当然、次は "Matrix: 404 Not Found" だろうな。
きょうは部屋 (オフィス) の模様替えがあって、 スドウさんが出ていき、かわりに Svetlana が入ってきた。 個人的には、彼は部屋を出てホっとしているのではないかとジャスイしている。だってこの人、 いつも新山が後を通るたびに、ブラウザのウインドウを「さッ」と切り換えてるんだもん。 何を見てるのだか知らないが、はっきりいって誰も気にしてないのだけど、 むしろやたらと隠そうとしてるほうがカッコ悪く見えたりはしないのだろうか? あるいは自意識過剰なのかな、まあいいけど。 で、机がひとつなくなったので、かなり部屋は広くなった。ように見える。 部屋が伸び縮みするはずがない。 しかしネットワークを Gigabit のスイッチに替えてみたのだが、 思ったよりは速くなっていない。ちょっと tcp で転送してみたところ 20MBytes/s ぐらいの速度だ。まあ 100 よりは出ているけどね。 だいたいこれくらい速くなるとネットワークのスタックだけでも 結構プロセッサを食いそうな気がする。ドライバにもよるらしいが。 カニ (realtek) のドライバは CPU を食うと聞いたことがあるけど、どうなんだ。 Gigabit ether といえば、笑えるのが、 セキネさんがある新マシンを giga で通信できるようにしたくて、 DELL に eepro1000 を追加させて買って、あけてみたら オンボードにも eepro1000 が載っていた、ということである。 いやあ、いまはオンボードでも Gigabit ether が載るようになったんですよ、 すごいねえ。おかげで意味もなく「遊んでる」インターフェイスができてしまった:
Intel(R) PRO/1000 Network Connection eth0: Mem:0xfe140000 IRQ:10 Speed:N/A Duplex:N/A Intel(R) PRO/1000 Network Connection eth1: Mem:0xfe120000 IRQ:5 Speed:1000 Mbps Duplex:Full
で、この新しいマシンにはもとからあった 120GB の IDE に加えて、 セキネさんが衝動的に (本当は計画があったんだと思うけど) 買ってきた 200GB のディスクを 2コも! 載せてあるので、 現在ムダにディスクだけがデカいマシンになっております。 で、メモリは 256MB しかないと。このアンバランスさ。
yu@or~[49952]$ df Filesystem 1k-blocks Used Available Use% Mounted on /dev/hda2 114785512 1912772 107041952 2% / /dev/hda1 46636 10349 33879 24% /boot none 128336 0 128336 0% /dev/shm /dev/hdc1 196015808 32828 186025896 1% /orange1 /dev/hdd1 196015808 32828 186025896 1% /orange2 mango:/home 25197256 20576704 3340576 87% /export/home yu@or~[49953]$ free total used free shared buffers cached Mem: 256676 77596 179080 0 7052 44588 -/+ buffers/cache: 25956 230720 Swap: 522104 0 522104
ところで今は 137GB を超えるディスクでも追加のボードとかなしで動くんだよ。 すごいねこれまた。
人生が耐寒するムーアの法則:
お風呂のウズは気象現象じゃないけどなんでもそう思えば気象現象になる。
怖いのは、「神様へのインタビュー」 などというページがあることだ。こういう真剣さを見ると背筋が寒くなる。 ここに書いてあるのは神様の意見なんかじゃなく、お・ま・え・の・意・見・だろが! 「神様」とあるのを「神田川俊朗」とか「神田うの」に変えたらウケるかもよ。
ちなみに、新山の考える日本の神様 (キリスト教の神様じゃない!) のイメージはぜんぜん違ってる。こんなかんじだ:
しかしオレはなんで gospel とかの宗教音楽を平気で聴けるのだろうか? わからん。ただ、あれの歌詞というのは新山にとってはほとんど 空虚な、意味ない単語の羅列なんで、だから安心して聴き流していられるのかもしれない。 昔、アサハラショーコーの「♪わ〜た〜し〜は〜やってない〜」って歌があったけど、 オウム信者でもないのにあれを喜んで歌ってたのに似ている。
「ある手法をかたくなに信じたがっている研究者」というのを見ると、 いつも脱力感とともにハラが立つ。しかしそれは感覚の問題であって、 「ああこいつのセンスは救いようがない」と思う人に期待するのは無駄だし、 だいたいそんなことにいちいち腹を立てるのは生産的でない。そんなことより宿題やれ。
関係ないけど、国際関係のニュースをみるとゲナゲナすることばっかりだ、最近。
何でもストレートに言わないと気がすまない性格のため、 自分は皮肉を「まわたっ首風に」言うのが非常にとてもたいへんヘタだ。 なにぶんそういうワケでして。 なので、好き嫌いはものすごくはっきりと他人にバレているだろうと思う。 だからどうした。お前のその子供っぽさはそこから現出してくるのではなひか? と 時々思うこともあるのだが、まあ、なんだ。 若くして急速にサトリを開いているよりは、 いつまでも子供っぽいほうがいいじゃないの。 すくなくとも他人はそう思っている。もっとも、これはオレの望んだ結果じゃないが。 たまたまこうなっただけだが。
それにしても、日記に新たなファイルを追加するたびに思うのである。 「ああ、もうあれから 10日たったのか」って。
これを 100回くりかえすと 3年たってしまうんだぜ。
どうやらこれはうちだけではなく街全体で起こっているようだ。
もしオレが猿に生まれてたら、 地獄谷のサルに羨望しただろう。いや、人間でもあれは羨望する。 すべてのアメリカ人はあれに羨望するべきだ。とりわけブッシュなんかはサルと一緒にあの温泉に入るべきだ。
あるところを見たら 「Plofile」と買いてあった。 人のふり見てわがフリ云々
なんか意味がよくわからない。
ある関数 Feeder と Consumer があるとする。これらはどちらも無限ループする関数で、 Feeder はつねにデータを生成し、結果を別の関数に送る。したがってこの関数を実行すると、 データの流れをコントロールする権利は「生産者側」に与えられることになる。
いっぽう、Consumer のほうはつねに別の関数をよびだしてデータを取ってくる。そして、計算する。 この場合、データの制御権は「消費者側」にあることになる。def Feeder(send): while 1: x = 計算() send(x)
def Consumer(fetch): while 1: x = fetch() 計算(x)
しかしこれら 2つの関数をひとつのスレッド内で協調動作させることはできない。 なぜなら、どちらかが制御を完全に握ってしまうと、もうひとつがまったく動けなくなるからだ。 これらを、相手に制御権を渡すように簡単に改造することはできるだろうか?
つまり「逆 yield」のようなものが必要なのだ。こうすれば動くだろうか?
これの問題は、きれいでないことである。yield と x への代入を いっぺんにやってしまえればいいのだが、これは関数にはできない。 stackless Python には continuation の実装があるらしいが、 明示的に continuation を使わせるのはどうかなと思う。class Consumer: def __init__(self): self.data = None self.gen = self.run() self.gen.next() return def feed(self, x): self.data = x return self.gen.next() def run(self): while 1: yield None x = self.data print x c = Consumer() for i in range(10): c.feed(i)
なんだか、GoF 本にこんなのがあったような気がするが、そんなに柔軟だったかどうか。
この国にそんなものはないと思うのですが。あーーーー食いたい!!
もう
なぜ「しょう」を「そふ」と撃ちまちがエるのかというと、こういうわけだ: