todo: variance を使ってみたらどうか?
ケッキョキ、もう一本の論文も (ななめ) 読みおわった。 この授業のいいところは、「論文読むのが速くなる」ということだ…。 しかしぐりむ先生は意外と実装のこまかいところまで突っこんだいじわるな質問をするので 油断できない。たとえば、授業中に誰かが「これは空いてるメモリ領域を検索して…」などと 言ったとすると「どうやって検索する? この場合のデータ構造は? じゃあ擬似コードで言ってみよう、 はい、if …?」などとツッこまれることがある。だから OS の授業は眠くならないんだよ。
しかしこれ、作詞: 糸井重里、だったのかよ。 (これって何? という人は参照が解決されていない)
ときどき誰か「新山は大量のナイフや箸を持っている」ということを知る人々が もらいにくることがあるが、ちっとも減らない。
それと、やっぱり variance は効くことがわかった。 なんか、微分した結果に似ている。
そういうこと。
あーさて。 いまは日本にかえっても牛丼が食えないというので、 きょうはかわりに Times Sq. によりみちして吉野屋でギュードンを食ってきた (これを日本語訳すると、「勤務地 (目黒区) から新宿経由でメシ食って大田区に帰ってきました」 ってのと同じくらいの距離だ、たぶん)。$3.74。 日本の吉野屋の牛丼との類似度: 0.83 (註: 1.00 を完全一致とする、 しかし同一種の牛丼間でも類似度は通常たかだか 0.95 程度であり、この値を inter-gieudony agreement とよぶ)。結論: 牛丼はギュードンだ。
おもな違いは、こっちの妖気が発砲スロチールでできていることだ。 そのため持ちあげるとフニャフニャして食べにくい。 なかでも困ったのは玉子をどんぶりの端でコツンコツンと割れないことにある。 そうそう! 今回は前回のときと比べて 明らかなる イムプルウブメント (= 善 改) が みられた。 それは「ギョク (60c)」の追加が可能なことである! ということでギョクつき普通盛りを注文。 こっちの普通盛りはすでにこれだけで日本の大盛り近くあるので (逆に大盛りはでかすぎる、あれを馬喰わせという)、 これで十分であるということがわかった。つうか、たぶん日本の普通盛りだと こっちのアメリカンにとっては少なすぎて苦情がくるんだろうね…。 スターバックス日本も、あのサイズは日本でしか通用しないサイズだからな (こっちは最小が tall である、日本ではその下があるらしいが、行ったことないので知らない)。 客層はあいかわらず負け犬っぽい日本人 (Times Sq. あたりにいる観光客日本人はみんな負け犬っぽく見える、なんでかは知らない) が半分ぐらいと、 負け犬っぽいアメリカンのガキやら何やらが半分ぐらい。でも店員は日本人いないよね、あそこ。 まあどうでもいいけど。味はほとんど普通で、帰りの電車は眠くなってこまった。 帰りは、SGI の XFS に関する論文をよむ。次の OS授業ではファイルシステムについてやるのだけど、 オレは日本にいてこの回の授業は出席できないんだよな。たのしみにしてたのに。残念
昨日からずっと「♪ ほぅら春咲小紅、見に見ぃに〜ん見に来てんね」 という曲が (この小さい「ん」が矢野顕子に特徴的である) 頭の中でえんえんとかかっているのだが、 どういうわけだろうか。まだ外はうすらサムいのだが。
つまり、規則正しい生活に勝てるやつはいないと。ところでセキネさんは今日も来れないらしい。
しかし、まだ、ろぬぶんがある。のだった。ふんげa
(はらへったああああああ、と打とうとして間違いぇた)
つねに、ゴハンに感動できる人生。これが最高の人生だ。
をあなたにも!
に、電話。
なんか、navneet の laptop が、なんとかいう例のスパムるウイルスに感染たらしく、
うちのアドレスからどこかに spam が送られたんだと。プロバイダ経由で苦情がきた。まったくもうー。
しょうがないので奴には駆除ツールを入れさせ、こっちは 25/tcp への forwarding をとじる。
あ、でもこうすると彼がメール送れなくなるのかな。でも今はたいていは webmail だろう (てきとう推測)。
はっきりいって、一般人にはもはや 80/tcp と 443/tcp だけ通しておけば十分なのではないかと思う。 いやもとから十分だったんじゃん。
ところでてくるで、ニホンゴの「ウイルス」っていう言い方はだれが考えだしたのだろう。 英語だと virus は「う゛ぁいアルす」という感じの発音でウイルスとかなりちがうのに、 どっか別の言語からの派生か。でも昔はたしか「ビールス」という言い方もあったような気がするんだけど、 最近ではとんとなじみがない。 こっちのほうが英語の発音に近いし喋りやすいのに、なぜ流行らなかったんだろう。 「ニュー・ビーズ (花王の洗剤)」に近かったからか? ウイスル!
餅は屈み餅です。ところで「びっくり浮かし餅」はすごいネーミングサーバだ。l
(おもわず手が狂ってしまう、まったく節操がな位)
ウル (<ul>) とリー (<li>) のコンビはいつも最強!
まあそんなこたあね。
最近なぜか「さまよう目」がどこかに隠れていると思わするのはオレの気のせいか??
????
けさ Washington Sq. でみた、「牛歩クラブ」のナゾについて。 朝食を買って大学へ向かっていると、むこうのほうに行列ができているので、 「オヤなんだろうあれは? なにかうまい出店でもあるのかな?」と思って行ってみると、 そこには何もなく、ただ人々が曇り空の下で行列をつくっていた。 なんじゃこりゃ? と思ったが、よく見るとそいつらはただ突っ立っているのではなくて、 ノロノロノロと「歩いて」いるのだった。人種は基本的にさまざま。 なにやら手に仏壇の鐘みたいなのをもち、チーン…コーン…と忘れたように 鳴らしつつユックリユックリ歩いていくのである (秒速2cm ぐらいで)。 あれはいったいなんだったんだ? まああのあたりには何がいてもべつにいまさら驚かないのだが…
真面目な話、このまえスドウさんと、そういう「低水準な層で起こるミスの回避方法」について 話しあったのだが、ひとつのやり方は「低水準な層は完璧 (あるいはほどんど完璧) と仮定する」という方法がある。 当然、そのこまでの評価データはぜんぶ人手で作るわけね。 しかし新山はそういう仮定するのは好きではない。なぜなら、これはそもそも 「解こうとしている問題が、いくつかのサブ問題に (かなり明白に) 分離可能」という前提に もとづいてるからだ。これが物理とかならば、この前提はある程度あてはまると思う。 ミクロな系の影響は無視できる、というわけだ。でも新山の勝手な直感によれば、 自然言語処理はこんなにきれいな階層に分割できるはずがない。 表層だけを使った構文解析なぞ絶対ある程度以上の精度にはならないし、ロバストにもならないだろう。 これは、どうやってもまっとうな科学にはならんのよ。 もちろん「自分は科学っぽいことやってる」と信じたい人々はほうっておけばいいが、 オレはなるべくなら、そういうむなしい人生は避けたいね…。
で、そのような仮定は敗北であると認定する(?)と、 あとに残されたものは「アプリケーションレベルでの評価」しかない。 しかしこのアプリケーションレベルでの評価っつうのが、じつに汚ない。 ようするに極端にいえばこれは顧客満足度だから、たんなる精度だけじゃダメで、 使いやすさ、安定性、値段、見た目、なんでもありだ。そもそもの問題をすり替えるという 反則技すらありうる。でも実世界ってそうゆうもんだよなあ。もちろんあまりに 極端になりすぎてもアレなので、研究者としてはどっかで自分の領分を 割り切らなければならないが、どっちにしても汚ない部分に手をつっこむ必要はあるんではないかと思う。 それがいやなら、負い目を感じつつ完全にブッとんだ抽象世界で遊んでるほうがまだましだ。 いつもオレは、どっちつかずなのが嫌いなのだね。
正しいの日本語をしゃべること。正しいの日本語をしゃべられない人間は日本人とは見さなさい。
Patents 101 For Engineers and Scientists Jonathan T. Kaplan, Esq. Friday, March 12 2:30PM Room 102 Weaver Hall 251 Mercer Street NYU, NYC, NYS
本日のものしり君。英語で "virus" の複数形を "virii" と表記することがあるが、 もともと "virus" はラテン語では集合名詞を意味していたので (like "moose" in English)、 One thousand virus といってもよかった。ところが、現在は virii と書く人が あまりに広まってしまっている。
物品 | 数量 |
---|---|
「フォーク + ナイフ + ナプキン」のパッケージ | 59 |
「箸 + スプーン」のパッケージ | 11 |
箸だけ | 41 |
ストロー | 6 |
スプーンだけ | 4 |
フォークだけ | 4 |
環ゴム | 3 |
で…金網はどこ行ったんだっ!
それは心理的寒さにぞ貢献するむgるe .gx irrg, ,
新山は、どういうわけか、坂道の多い街がとても好きだ。 マンハッタンには坂がない (ほとんど)。きのう Hoboken のあたりまで 散歩したときにえもいわれぬ幸せな気持ちになったのは、 よく晴れていたということだけではなく、おそらく「坂道を歩いていること」が じつにうれしかったんではないかと思う。立ちどまって、街が見わたせるというのが なによりいい。うちから東に向かって歩くと見えてくるのはいつも Hudson 河をはさんで lower manhattan のビル群なのだが、べつにマンハッタンでなくてもいい。 大田区に住んでいたころは、はっきりいって坂だらけだった。 周囲の地名も大岡山とか石川台とか 雪ヶ谷とか山あり谷ありなのばっかりだったし、 田園調布本町も坂だらけだった。風呂屋に行くにも坂。買い物に行くのも坂。 世田谷から目黒・品川にかけてあのあたりは坂ばかりで、 たしか東急雪ヶ谷大塚駅の近くには、うちらの間で恐れられていた 傾斜 40度近くにもなる「絶対に自転車で上がれない坂」、あるいは通称「壁」があった。 この坂はその傾斜のために上からは自転車が入れないようになっている。 あそこでコケたら死ぬんじゃないかね。目黒から自転車で帰るときも ゆううつな気分になったものだ。洗足・小山にかけてはわりとゆるやかだが、 それでも坂が多くつづいている。
でも、考えてみると、「坂のある暮らし」っていいよなあ。 とくにこの季節にはね…。年寄りにはつらそうだけど。
そして雪が…。
雪が降ってきた。大きな雪だ (?)。ボタン雪である。 ボタンといっても押せるわけではないので某漫画のボスみたいに ボタンときくだけでなんでもかんでも押してまわらないこと。 あったかいので、カサに当たってカサカサと音を立てる。
ところで髪の毛は自律したスレッドとして制御可能なのだろうか (もう意味不明)。 だとすると、こいつらはいつ抜けるかを知っているということになり、 人間の「髪の毛サブシステム」には 10万かそこらの並列スレッドがあるということになる。 もちろん、優先度はまちまちだろう。でもそんなこといったら細胞いっこいっこが 自律したスレッドであるともいえるわけで…。
おや、雨だ。パラパラパラ (景気づけ)
(まだ上げ初めし前髪の)という詩に出てくる「林檎」は倭りんご (「やまとりんご」と読むこと) であり、 現在一般に流通しているりんごと違って非常に小さかったのではないか、という憶測がある。
林檎のもとに見えしとき
まあ洋モノかぶれしている人々にはどうでもいいことでしょうがね。
あなたからの熱意のこもったお誘いをうけたことについては、 大変光栄に思っております。しかし、願わくば、わたくしは もう少しのあいだ人間界にとどまることを望んでおります。
敬具 (ドラフト)
web を公的な領域と私的な領域に分断することについて。 オレはなるべくそうするようにしている。不特定多数の人間に 見られるかもしれない、というのは、危険性としては考えておくべきだが、 それはべつに、いつも必ず不特定多数の人間に見られる、ということを意味しない。 なにかそのへんにズレがあるような気がするなあ。
個人的には Risks のような計算機災害について日本人の意識が非常に低いのは こまったもんだと思う。これに比べりゃ blog とか orkut とかオープンソースについて うんちくたれてる連中は、気楽でいいよな。日本人で comp.risks の講読を勧めているのは、 新山が見つけたかぎり力武さん一人だった (この前本人にメールしたときそのことを言ったら、 あの人は 7、8年近く前からチェックしてたらしい、恐れ入りました)。 にもかかわらず、日本はハイテク依存をますます強める傾向にあるのだ。 電子政府にかかわるプライバシーとか検閲に対する懸念はあるとしても、 それよりも計算機を実世界に適用することの物理的な危険というもっと切実な 結末があることを忘れちゃいけない。といっても 2000年問題のときにアホが騒ぎすぎたせいで、 この種の危険性が過小評価される傾向にあるんじゃないかと思う。
これはひとり言です。
どしゃぶり (心が)
OSX の「時報」機能を設定しておくと「It's fifteen hours.」などとしゃべるが、 これは「おお、もうこんな時間か」と思い出させてくれるので、なかなかよい。 ところで MacOSX ってスペースの入っている表記と入ってない表記があり、 Google で検索するとき不便でしょうがないんだけど、なあ。
このページは「新山ゆうすけの抜け毛日記」でも 「新山ゆうすけのバラ色日記」でもありません。
おっと、自分は日記をヒトさまに無断で公開したりするほどのバカではなかった。
これは「ブログロ」です。
(99+1/√2)% の嘘。
ふいに、今日洗濯でまた靴下の片方をなくしたらしいことに気づき、激怒する。 ぜんぜん優雅じゃねえ。
それにしても、例のバラ色病はなかなか直んないな。 もう新しい斑点の増加はないのだが、いっこうにカユミがおさまらないのだ。 まあ薬でごまかしてるからいいのだけど、もうすこしスピードアップできんかね。
ガンバレばね。
棒月 暴日
小泉淳一郎首相、三女を出産だそうです。 なるほどblogより。ふーん、そうですか。 山の神さんの日記によると、 成田空港に謎の緑色円盤が着陸とのことですが、これと関係あるのでしょうか。 こわいですね。円盤といえば円楽師匠と談志のデスマッチが延期されたらしいですが、 「サンショウバエと西ナイルウイルス」のLD化決定とのことですので、 ファンの人はもうすこし待ちましょう。どうでもいいですが、 opopkの観測日誌経由で、このblogが ガンジー同盟リンク集からリンクされているということを知りました。うれしいです。
この記事に対するバックトラック (2N-1 回)
あー、書くんじゃなかった。
こういう人間が世の中に沢山いるのだとすれば、オレは友達少なくていいような気がする。
思うに、ただの「動的リンク集」あるいは感想文としてしか 機能してないようなページは、べつにやるのがそいつじゃなくてもいいわけだ。 お前、一般論しか書けないなら黙ってろよ、と思う。 オレの場合はその用途には google で十分だ。 にもかかわらず、人間というのは人生に意味を見いだしたい生物なわけですよ。 はっきりいうと、この手のネタを毎日探して日記を書いてる人々ってのは、 「自分の人生のつまらなさ」に対して延々と言い訳しているようにしか見えないのだが、 かわいそうに、毎日を培養器のビンの中ですごしているんだろうね…
そんなオトナにはなりたくないなあ。
このページ もかなりためになります。 Time Series 分析じつはおもろい。以外とオレは統計すきなのかも。
ところで、統計学の教科書は Freedman, Pisani, Purves にかぎる。 すぐれた教科書はどうやら人名で呼ばれるという特徴があるやうだ。 日本にいたころは化学の教科書が「アトキンス」とか「バーロー」とか呼ばれることは 知っていたが、計算機科学のすぐれた教科書はほとんど知らなかったなあ。
評論家作成ウィザード EZPundit 2004 DX へようこそ! ここでは、あなたの個人属性に「評論家」という項目を加えるための作業をおこないます。 「次へ」をクリックして、以下の簡単な質問に答えてください。 |
思うのだが、ブログログロブロばっか言ってると、
なんかオレが必死で blog を批判してるように思われて心外だ
な。なんつうか、思いついてしまったからしょうがないんで書いているが、
本心では、はっきりいってどっちでもいーのだ。
もともと語感がただ嫌いなだけだし、かといってケロッグではどう考えてもカエルを連想するし、
「web コミュニティ (かっこわらい)」や「オープンソースコミュニティ (かっここっかわらい)」と
かいう単語を打ちこむことに人生の時間を費やしてはいけない。そんなのより
「ラーメンと中華そばの違い」を真剣に議論したほうがまだましだと思う。
あるいはスネ夫の髪型の非線型性についてでもいいよ。
blog の(不)可能性について楽しげに論じだしたらその時こそ
「私は、本当にネタ切れました」宣言してるよーなもんだ。
オレはもうちょい楽しいことに時間を割くようにしなけれゃだめだよ。な ほんとーに
ほかに書きたいことは山のようにあるだ。
ついでに思いついた法則をひとつ。これを第二万七千三百五十四法則と名づけよう (それ以前の27353個は、すでに誰かが考え出していた)。
新山にショックを与える方法・ぞの 1: 「いや〜、『たべすぎ・ねっと』見てますよ〜!」と言う。
この方法で失敗したやつぁまずイナイね!
しかしさすがに毎日見るような暇人はこの世にはいないと思う。
オレ自身、毎日見てないしよ (見ずにどうやって書くんだ、という詰問は却下する)。
思うけどさあ、日本ってほんっっとにパブリシティ下手だよね。 これじゃ研究してないと思われてもしょうがないじゃん。 これは恥の文化だからそうなるのか? もちろん、本当はしてるのだろうが、 お役所的な広報とか報告書だけ出してあとはそれを見てくれ、ってのは傲慢すぎると思う。 まあ米国に比べて予算もないんだろうけど、ヘンな web デザイなヲ雇ったりする金はあんのかね。 ヘンなの。その前にやることあんだろうに。というか、今までは紙媒体だけ出していれば 誰もわからなかったのだろうが、web が普及したことによって、この手の研究機関の 落差がもろに一般人に見えるようになってしまったというのはイタい。しょせん山岳共同なんて 名ばかりだしよ。まあいいや。
さて、いずれはオレもこういう役にたつ情報をばんばん公開できるようになりたいものである。
"speling adn grammer"
I-20 の travel signature はいまや有効期限が 6ヵ月になったらしい。 U.S. の入国ポリシーはどんどん厳しくなるなa。このぶんだと、 さ来年あたりにはみんなエリス島で並んで身体検査を受けさせられるんではないか? 新山の F-1 ビザは 5年間有効なのであるが、まだ「面接」がなかった時期にとったのだが、 こういう長期のビザも昨今では難しくなってるんじゃないだろうか?
todo: あしたは 11:30 からで、+ パスポート持参
で、帰りに、日本人ってのはもしかするとプライドが高すぎるんかもしんないと思った。 ら、何もかもがうめく説明できるように思えてきた。考えてみればこれって引きこもりのそれに似ているよな。 引きこもりってのは、本来プライドの高い人々らしいのだが、変にプライドが高すぎるために 何もできなくなってしまうらしい。アメリカと日本を比べた場合、日本人はかなり引きこもりのそれに 似ているよ。つまりアメリカンが勝つためならなりふり構わない、どんなことでもするのに対して、 日本人は「そこまで必死になるのはカッコわるい」と思う。オレもそう思う。 にもかかわらずプライドは高いので負けを認めるのはいや、というのが現在の日本の ヘンにアンビバレントな対米感情なのだろう。でも、キレイに勝つなんて絶対むりなのだぜ。 イラク (割り込みとは何の関係もない) の件を見ればわかるように、この国はほんとに「勝つためならなんでもやる」んだから! 中国人もなりふりかまわない連中なので、たぶんそのうちに負かさるんだろうな。 まあオレは負けててもいいんですがね (もう負けているか…)。ここであくまでカッコつけていれば 「慎ましい」とか「武士道を重んじる」とかアメリカンからは言われる (まあ実際はバカにされてるのかもしれないのだが)。 日本人の慎まさを助長しているもうひとつの心理的要因は、「勝ち負け」に対するイメージが米国のそれと 比べてはるかに重いことにあると思う。つまり日本人にとっては、「負け」という概念についてまわる 屈辱的なイメージが米国のそれに比べてはるかにデカくて重そうなのだ。一度失敗した奴はもう 二度と社会的に復帰してはいけない、という印象さえある。末代までの恥、ってやつだ。 裏を返せばこれが完璧主義というわけなのだろう。これでも日本はまだガキ大将がお友達にいるから いちおう社交的な世界に連れてってもらえるけど、これがさらにひきこもり度が高くなると これは北朝鮮になって、ひとりでヨカラヌことをたくらむようになる、と。
あんまり人間のアナロジーを国に適用しちゃいけないよな。
いやあ! オレは自分自身で考えていたのよりもずっとアイコク者じゃないの!
というよりは、まあ、むしろオレはきわめて「地面-bound」な人間なんだと思う。 つまり自分が生まれた周囲の原風景や原体験に束縛されており、それらを一生忘れることはないと。
あなたはいまでも自分の故郷が夢に出てきますか?
どうでもいいが今日の OS の授業では Carl が NT カーネルのダンプが印刷された「青画面 T シャツ」を着ていた。 こんなんばっか。しかし彼は実はこのまえ主催された「Columbia 対 NYU プログラミングコンテスト」で 2位につけていたということが判明 (でも 1位は Columbia の人間にとられたらしいが)。 個人的にはあまり好きな奴じゃないのだがあなどれない。
きょうは NIST のハンドブックをひとしきり読んでいたが、 めちゃ役に立つと思った。NIST いいなあ。まあ、うちらは NIST といえば MUC-6 の本家なわけですが…
St. Marks にある「Kim's Video」という変態なビデオレンタル屋にいったら、 かなり変態だった。なにがどう変態かというと、マニア向けなのしか置いてないのである。 まずフロアは国別に分かれており、Eastern Europe とか、Korea とか、 Queer (これはゲイ用ビデオのことであり国ではないが…) とかに分類されている。 そしてとーぜんこのようなワケのわからない国の中では日本はトップランクの扱いであり、 新山のような真人間はその名前すら知らない映画ばかりであった。 「ドーベルマン刑事」って何だ? 「大阪エレジー」って何だよ? 「北京原人」って?? しかも英訳されてるわけではなくて、パッケージから何まで日本語だる。 日本製エロビデオらしきものもある。女教師なんとかかんとか。どうでもいいけどこれらはすべて 日本語であると思うのだが、ここにくる長髪オルタナ負け犬ファッションの毛唐どもはこんなの 見て理解できるのだらうか。日本リージョンの DVD も置いてあるというけど、そんなのいったい誰が見るんだ?? そしてカウンターのそばには「New Type 米国版」が置いてあった。 これはいわゆる「ビニ本 (ビニール袋に入れられている)」扱いなので中身を 見ることはできないが、日本のアニメ雑誌であることは表紙をみれば確実だ。 しかしアメリカにも日本にいるような「ウルトラC級映画マニア」ってのはいるんだなあ、 と思った。おわり
それにしても Lush はキチガイ的変態言語だ。まさに「数値処理用の Perl」というにふさわしい。
Lisp のキレイさが好きな人間は使わないほうがいい。
どこがどう変かというと、これは ベクトル/行列/テンソル(って何?) をあらわす型が
組みこみで入ってるのだが、そのための関数 (idx-
で始まるやつ) が
100個ぐらいあるのである。こいつがしっちゃかめっちゃか。
ベクトルの内積から、行列の積から Convolution からぬンでもかんでもが入っている。
たとえば 2つのベクトルの dot product は (idx-dot v1 v2)
といった具合。
ところが、こいつが変態なのは、(idx-dot v1 v2 v3)
などとすると
v1 ・ v2 → v3 といった破壊的操作を行うことで、つまりここでは 3番目の引数だけは
call by value でないのである。このド変態!! しかも、内積だから得られた数は 1個の数値なのだが、
この数が「無次元行列 (undimentional)」という特殊な行列型で、
これは端末上では [@ 3]
のような変態表記で表示されるのだが、
こいつをふつうのスカラー血に変換する方法がわからない。さんざんヘルプを調べたりソースを読んだりしたあげく、
これは n
が無次元行列型であるときには、 (n)
とすればスカラー血が
得られることがわかった。そんなのわかるか〜〜!!! おまけにふつうのスカラーを
無次元行列に変換する作業も頻出なのだが、[@ 3]
という書き方は数値定数にしか使えないらしく、
変数 x を変換しようと思って [@ x]
と書くと「数字じゃない」といわれる。
クソっっったれ。サンプルにもドキュメントにも書いてないんで、またソース読む。その結果、
ある無次元行列 x があるとき (x)
だとその値が取り出されるが、
(x 3)
などとやると代入になるという恐るべき事実が発覚。
こうして ([@ 0] x)
とすることでめでたく x を無次元行列型に変換できることが判明した。
もうイヤだ。こうしてどーにかこーにか動く関数ができあがったが、自分が正しい言語の
使いかたをしたという自信はまったくない。
きょうはやたらと「変態」という単語をつかっているなあ
どうでもいいけれど。(いや、よくない)
実際にはもう楽しくもなんともなくなったものを、 惰性で楽しいと思いつづけている人を、新山は嫌悪する。 ここには自分も含まれているわけで、自分は本当 (「ほんとう」と読むこと) には 楽しくないことを無理に楽しいと思ってるんではないか、と、ときどき思うことがある。 そして、本当 (今度は「ほんと」と読むこと、ちなみにうちの skk では「ほんと」で変換するとこれが出る) に 楽しいことはもっと他にあるんじゃないか、と。もちろん仕事ならばこれは必要な努力だが、 趣味でこの点において妥協するようにはなりたくないよな。
todo: あした travel signature をもらうこと。死にたくなければ。
でも、実をいうと、かの文書は翻訳にもわりと手をかけたというか、結構こまかい 新山のこだわりを表現したつもり。たとえば訳語が一定ではないが、これはわざとである。 USENIX の文書では "Computer" は「計算機」と訳し、SCO のほうは「コンピュータ」と訳してあるが、 これは学者が「計算機」という表現を好むからだ (日本の学者の話だけど)。 それから "General Public License" という用語も、USENIX の文書ではわざと 「一般公衆利用許諾契約」という固い用語で書いているのに、SCO のほうは「一般公共ライセンス」という テキトーっぽい用語を使っている。ほかにも、SCO の議員向け文書のほうは出だしが 「Honorable,」なのだが、これを直訳すると「閣下、」となって日本の感覚ではヘンなので、 悩んだすえ「皆様」にした。「私ども」と「我々」もかなり悩んだすえの表現である。 もともとの文では、McBride 個人が訴えていることになっているので、 彼は一人称の I を使っており、会社や米国民をさすときだけ we になっているのだが、日本の感覚だと企業の人間として喋るときに「私」という一人称を 使うのは不自然なので、I および SCO の社員をさす (と思われる) we については 「私(わたくし)ども」とし、権利や安全保証などで米国民をさす we については「我々」とした。 でも「私ども」ってのはあまりに和風すぎるかなあ。よくわかんない。新山は一度も 社会人であったためしがないので、やはりそういう感覚がいまいち弱いような気がする。 でも翻訳っつうのは一種の演技みたいなもんで、それを訳してるときには本当に 「それを書いた人の気分」になっていないとダメだと思うので、SCO の文書ではわざと SCO 側にとって聞こえのよい単語を使い、 Linux をおとしめるような書き方にすべく苦労した。
機械翻訳なんて絶対できるわけねーよ。ワハハ
といって、チョムスキーみたいに自分の有名さを政治的に利用するような人間になりたいわけでもない。
とりあえず、新山の研究のなにが弱いかというと、 あまりにも依存している「基盤技術」が多すぎるのである:
基本的に、ものすごいアプリケーション層な仕事をしていて、 こいつらの上に乗ってるもんだから、ぐらついてしょうがない。 下のほうのちょっとしたダメさ加減があると、こっちの性能がもろに影響されてしまうのだ。 で、その結果「もう誰も信じない」という状態になりつつある…しょうがないなあ。
(新山がキライなものは無数にありるので、これだけではどんな情報ももった文章にならない、 おまけにオレはきわめて文脈を無視する男だ)
で、話は変わるが、おかしなことに日本人どうしでも米国にいるとわりと 平気に話せることがある。まあこれは個人によるか。
ちなみに新山がスラッシュトッド日本を見るのはどういうときかといいますと、 Slashdot でなにかデカいネタが持ちあがっているときに、 スラッシュトッド日本をチェックしてそのギャップの大きさを測定する、という たいへんに性格の悪い使い方になっております。