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< 6月(2) へ。
2004年 6月 (3)。
Last Modified: Wed Jun 30 23:30:07 EDT 2004 (07/01, 12:30 JST)
そこには花が、王子様が宇宙にたったひとつしかないと思っていた花が、
何千本も咲いているのでした。しかもたったひとつの庭に!
また親指のつけ根の関節がおかしくなった (でも今回は前のとことちょっと違うところだ)。
なんでこんなにしょっちゅうなるの? 困るよ!
ところ (てくる) で、オレは自分の生理的なカラダの調子をいうときは
かならず「身体 (からだ)」と書く。シンタイではないよ。これってあて字だと思うけど。
どうも「体」一文字では意味が薄いと思うらしい。
なぜだかわからないが、きょうふいにそう気づいたのだ。
ninjin, ninjin,
nijinsky-
TODO: テッシかうこと。トイレットペッパーかうこと。
棚の整理をしてたら、去年の ACL 札幌でもらったヘンテコな日本風マウスパッドを
まだ持っていることに気がついた。こっちへ来て誰かにあげようと思ってたのに、
結局誰にもあげずじまいになってた。どうすんだよこんなの?
しかし問題はさ…本当に進める気があるのかっちゅーことだよ…。
それが「さよなら」と言っているように聞こえるのは、実際にそう言っているからなのだ。当たり前。
いままで、ずーーーっと統計の "regression" という単語を英語でしか使ってなかったので、
その日本語訳が「回帰」だったということを知らなかった。なんだよそれは! 意味違うだろ!
これはほとんど誤訳のような気がする。北回帰線の「回帰」は合ってると思うけど。
なんでないわけ?
なまあたたかい夜だ、こんyあは。
いま、んぜかピヨーとかピヨピヨとかいう擬音がめちゃくちゃ気に入ってゐる。なぜだかは知らない。
(訂正) んぜか → なぜか
いま衝撃の事実をはっけそした。
スルホンで google を検索すると
2,000件チョイしか引っかかんないのに、
スルホン酸で検索すると、
14,000件も引っかかるのである。
つまりこれは「スルホン」と「スルホン酸」を別々のトークンとして
インデックスしているということになる。よくわからん google。
ああ、ヤルキー君が…。たすけて
しゃしん。
どうやら試験には通ったらしい。「やったね!」とみんなで言いあう (メールで)。
Ben はこれが人生最後の試験になることを望む、といっているが、
どうだかねー。まだ就職面接とかあるし。噂によるとこっちの就職面接は
「これを今すぐ暗算で計算せよ」とか「これを Java でどう書くか」などの
非常に具体的な質問が多いという。でも、そういうのはペーパーテストと違って、
勉強してどうにかなるってもんでもないから、試験勉強としては「人生最後の」というべきなのかな。
新山にとってもこれが最後の試験になるかどうかは、なんともわからない。
ところで、かなしい話。大学の近所にある韓国料理屋の「manna bento」を
よく利用していたのだが、あそこ、6月一杯で閉まっちゃうんだって。
8月からまた新装開店するらしいが、あそこにいた韓国人のオジちゃんと
オバちゃんはもう停年で退職するらしい。さみしいなあ。
この国では「別れの季節」は 5月とか 6月なのかもしれないが、
日本とちがって春じゃないので、なんか雰囲気違う。
まあ、そういう形の別れ (死別ではなくて社会的・物理的な移動による別れ) を
惜しむのはきわめてアジア的らしいけど。
だもんね。
COLING に登録するときに学生料金にしたら「学生の証明を 29日までに FAX しろ」といわれたのを
忘れていた。ので、あわてて学生証と I-20 のコピーを FAX する。
いい名前をさがそうと
www.websters-online-dictionary.org
を眺めていたら時間を忘れてしまった。
でも、自分がぜんぜん知らない言語の単語をいきなり取ってくるってのは、
やっぱ、抵抗あるよねえ。
新山は本の価値を「これは電波の材料になるか否か?」で判断している。
電波の材料になる、というのは、それを読んでふいに叫び出したくなったり、
なにかヘンテコな考えがぽっぽこぽっぽko出てきたり、
自分の夢にあきらかな有意な影響が見られたり、といったことである。
そういうときは「ああーなんか知らねいけど影響受けてるよ、俺」と思って、すごくおもしろいのだ。
けれど電波そのものが電波の材料になるとは限らない。
それは他人の生血を飲んだからといって自分の血が濃くなるわけではないというのと一緒である。
あくまで新山が欲しいのは「材料」であって、それそのものではだめなのだ。
そして材料の多くは普通の (まともな) 本である。
ときどき世の中には、他人から電波を受信して自分も電波を発疹する、というリピーターのような
人がいるけれど、そういうのは単純な処理であまりおもしろくないと思う。
やはり普通のものを食って、電波を生成しなければならないよ。
ああ、もちろん、何度も読むこと自体が楽しい本もあるけど、
そんなのは 100冊に 1冊もない。
ようやく新しい自作のメーラにスイッチした。いくらユーザが自分ひとりとはいえ、
はじめての本格運用。ヘタすると致命的なバグがあって、届いたメールを失ってしまうかもしれないので
緊張する。メールボックスの形式とかも違うし、まだ確実にバグだらけだと思うので
使っていてヒヤヒヤ。でもこれで mutt とはおさらば。
きょう知らされた衝撃的な事実シリーヅその33rd:
- CS研の「CS」というのは Computer Science のことじゃなかった!
以上である。以上。
ところで、あたらしいメーラであるが、さいしょ "empy2 (エンピつ)" という名前で
開発をすすめていたんどえあるが (←びどいタイプミス)、"EmPy" という Python
アプリケーシぉンがすでに存在していることを知ったので、名前を変えなければならない。
なんにしよおうかな。いつもこうやって「名前を考えている」ときが楽しい。
名前などあってもなくても物事は変わらないにもかかわらず、なぜか人は名前を欲する。
それはかのティーティー・ウー (スナフキンに命名された、はい虫) がいったように
「名前をもつことによって独立した個人としての自覚がうまれる」からであろうか?
しかし名前は人以外のものにもつけられる。「名前をつける」とは、なんと奇妙な行為なんだろう!
そういえば、ぼのぼのにも「名前をつけるごっこ」というのがあったよね。
まあいいんだけど。くりかえすがオレは語感フェチだ。
ちなみに、メーラを書くのは大変めんどくさいということがわかった。
今回のような低機能なものでも、である。Python の email パッケージがよくできているので
こんなの簡単だろう、と思っていたが、mime や多国語ヘッダをサポートしだすとおそろしく
複雑になる。おかげで RFC の規格のダメさ加減もよくわかった。日本語に依存しないように
作ったつもりだが、RFC で定義されている charset 名と python のコーデック名が
違うのはいやらしい。
それはそうと、このメーラの BLURB を書くと:
- CUIの復権。メールを読みたければコマンドを入力せよ。
- Python だけあれば動く (ああ、日本語を使う場合は JapaneseCodecs が必要だが)。
Emacs上のメーラのように im だの FLIM だの SEMI だの余計なライブラリをインストールする必要はない。
- シームレスな検索。メールのブラウズはすべて暗黙の検索である。
具体的には SQL の select のようなことをメッセージ集合全体に対しておこない、
得られた検索結果を仮想的なフォルダとして扱う。
- 統一したメッセージ管理。
送受信したメールはすべて一枚岩のデータベースに格納される。実際のフォルダは分かれない。
かわりに各メッセージには複数個のラベルをつけることができ、メールはラベル名で
検索したり、自動処理ができる。すでに送ったメールや作成途中のメールも、
それぞれ「
sent
」「draft
」というラベルをもつ
単なる 1メッセージである。
- シェルとのシームレスな統合。コマンドラインで目の前のディレクトリにあるファイルを、
そのまま指定して添付できる。これは考えてみればあたりまえのことなのに、大抵の UNIX 用メーラは
そうなっていない。なぜわざわざメーラのヘボい独自ファイラからいちいちファイル選択する必要があるのか?
Windows ならドラドラ (ドラッグ & ドロっぷ) ですむというのに。
- シェルとのシームレスな統合 2。添付されたファイルを保存したいとき、これまた大抵のメーラは
ファイル名を聞いてくる。そんなものは標準出力をリダイレクトして保存すればいい。
- シェルとのシームレスな統合 3。シェルスクリプトとの組み合わせによる自動処理の簡単さ。
たとえば、あるメールが引用している「親メッセージ」の集合を一覧表示したければ、そこから
References ヘッダを切り出して、それを Message-ID としてふくむメールを検索することで実現できる。
これはシェルスクリプト 2〜3行ですむ。
- データの清潔さ。各メッセージは個別のファイルに記録されている。
形式は受信したときのまま、余計な加工は一切なし。
- SpamBayes とのシームレスな統合 (開発中)。
メール検索のさい、条件式に「これは spam か?」という式を含めることができる。ので、
spam 扱いされたメールを自動的に削除するなり junk ラベルをつけるなりすることができる。
(特定のラベルがついているメッセージは自動的に非表示にする機能がある)
- Web アプリとのシームレスな統合 (開発中)。
入出力はすべて独立したモジュールに隔離してあり、
各コマンドは 1回のセッションで終了するようになっている。
そのため、web アプリ化が簡単。また、web 版になってもインターフェイスは同じ。
- 繰り返すが、すべてテキストだ。シブいよ。
- 全体的にトロい。でも、起動時間は短い。数万通のメールがあっても速度はあまり変わらず。
- まだある?
今日はメシを食ってからたえがたい眠気に襲われさっさと帰ることに。
帰りの電車で群よう子の「日常生活」を読み、プチダノンの景品のモーモーつなぎの話と
「(地図にあるはずの)甲州街道がないんです」とうろたえるタクシー運ちゃんの話で
爆発してしまい、車内で「ひゃっひゃっひゃっひゃ」と火がついたように笑いだす。
周囲にはさぞかしヤバい奴に見えただろうがそんなのはこちらでは多いのであまり
気にならない。
嫌いな本ほどさっさと読み終わるこの習性を利用して、
なにか定量的なおもしろい実験ができないものだろうか?
ひとつの格言とでもいうものを思いついた :
世の中、気にした奴の負け。
気にしない奴が最強。
まあそういうことだ。である。
襲われる夢を見た。
金属バットをもった 4〜5人の (白人) 集団がニヤニヤしながら近づいてきたので
「やばい!」と思って、反射的に逃げたのだが、いまから考えてみると
オレはひどく自分勝手な行動をしている。途中で子供の集団やその他の人を見かけたのに、
彼らになにも言わずにひたすら自分だけ逃げたのである。起きてからそのことを
思いだし、しばらく落ちこんだ。
よく、小説や映画などで「実際に自分が体験してないことを体験したような気分になれる」といわれるが、
新山の場合は夢がそれである。ビル火災があったり、殺人犯に追われたり、気がついたら自分が女になっていたりなど、
オレの夢ではじつにさまざまなイベントが起こる。それらの出来事は必ずしもリアルではないかもしれないが、
新山の不安はリアルだ。しかもそういう状況で自分がどういう行動をとるかシミュレートまでできてしまう。
たいてい夢の中では自分もあまり物事を考えられなくなっているが、それでも「自分ひとりで逃げる」ということは
よく体験したのでオレはそういう人物らしい。こりゃあおちこむじゃないですか。
「ホームページを見ただけで感染」とかいう日経の見出しをみて考える。
こういう物言いはどうかと思う。じつはそりゃあ「見ただけ」じゃねえだろ、
「なんか実行しただけで感染」の間違いだろ! データと手続きは区別しろ!
…しかし計算機の上においてはデータを解釈して表示する過程にはかならず
「手続き」が入るので、たとえ見ただけでも (あるいは見てさえいなくても) なにかを
実行しているということには変わりない。ブラウザがアホっていればデータをパーズしただけでも
実際に感染するかもしれないしね…。しかし MS のやることでいつもいつも気に入らないのは、
こいつらがデータと手続きの境界を意図的にボカそうとしていることにある。
データと手続きは分けろ! (これはオブジェクト指向的なプログラミングのことをいってるわけじゃありません)
だいたい、なんで電子メール見ただけで感染すんだよ? ただのテキストデータだろうがよ!
…と、ひところは思ったものだった。そのころ電子メール等に感染するウイルスには
「マクロウイルス」という特別な名前が与えられていた時代である。いまじゃウイルスなんてほとんど
マクロウイルスだと思う。アプリケーションを直接やりとりしなくなってから、
アプリケーションに感染するウイルスなんて
ほとんど流行らないもんね。あとはワームか。これはまた別問題だな (新山は「ウイルス」と「ワーム」を区別しています)。
基本的に、セキュリティを重視したプログラミングでは、
手続きはデータの内容に大きく影響されてはならないのだ。
…いま、ふいにアシモフのロボット三原則みたいに、セキュリティにおける
「手続き三原則」という概念を思いついた。
- 手続きはいついかなるときでも予測可能な動作をしなければならない。
変なデータがくるたびにいちいち挙動を変えてはならない。
- 手続きはデータに危害を加えてはならない。規定の条件をみたしているデータは、
なるべくその情報量を保存するようにふるまわなければならない。
- 手続きは自分の身を守らなくてはいけない。
データだけでなく自分自身の挙動もたえずチェックすることが必要。
- べつに人の役に立つ必要はない。
3つ、いや 4つだ! 部屋に入ってくる場面からやりなおし!
google://君が必要/ (2,410件)
てくるで、このあいだ starbucks のトイレに行ったとき、壁には
「ブッシュ逝ってよし (bush must go)」とか
「ブッシュに投票するやつはここでウンコしてはならない、
なぜならおまえのケツはすでにテキサスにあるからだ! (←意味不明)」とかいう落書きがしてあった。
人前で政治の話を避けるアメリカ人にとっては、便所の落書きは政治的なものにしたいらしい。
どっか行こ
博物館や美術館ばかり行ってるのも芸がないんじゃない? とは思うけれど、
今日は Museum of Television & Radio に
行…こうと思ったら、入り口で「ここはいわゆる普通の“歩きまわる系”の博物館ではない、
シアター中心だ、もうそろそろ閉館だけど入る?」と言われたので、やめておく。
ちょうど 52st. に縁日が出て人でごったがえしていた。こういう縁日って、
実はマンネリ化しててあまり面白くないということを最近知る。いや、面白いのもあるけど、
Union Sq. とか大学の近くでやってる芸術系のやつは時々面白いのだけど、
基本的にレモネードとか Gyro とか古着を売ってる店だけのときはあんまり大したことない。
いつでも内容が似たりよったりだ。それはいいとして、なんとなく口寂しいのでそのまま
Museum of Arts & Design
へ行く。どうでもいいけど、ここって去年までは「American Craft Museum」っていってたよね?
実際ドメイン名はそうなってるし。
今回は Jack Lenor Larsen のコレクションで、おもに布でできた作品を展示してるのだが、
地階に行くと実際に作品に使われた布が置いてあって
さわれるようになっている。片っぱしからさわってみたが、さわる前に目で見たイメージで
「こんなかんじかな」と考えておくと、実際にさわったときとのギャップがあっておもしろい。
いろいろ実験した結果 (館内はすいているので、とっかえひっかえ布地のサンプルをさわりまくっている
変人がいてもさして目立たない)、
新山はほとんどの布を実際の感触よりも「ゴワゴワしてそう」だと思いこみがちなことが判明した。
こいつはゴワゴワしてそうだな、と思っても、さわってみると実際にはスベスベしてたりするのである。
あと Paul Stankard はガラス球の中に造花っぽいのが浮いている、という工芸作家だが、
花をどうやって作ってるかと思ったら、あれもガラスなんだって。
しかし総体的に $6 (学割) である。また来たいかというと疑問だ。
博物館や美術館には 2種類ある。膨大なコレクションをもっており、展示が毎回変わるところと、
ほとんど変わらないところだ。このあいだの消防博物館とかはほとんど変わんないだろうから
あれは一度行けゃ十分ってとこかもしれないが、こういうでかい博物館やギャラリーは作品が
毎回変わるので、一度行っただけでは面白いかどうかがわからない。それでも
作品の選び方が自分と相性いいかどうか、って部分はあるよね。Guggenheim は
何度も行く価値がある美術館だと思う。Heller Gallary もそうだな。
SOHO にもそういうところが何箇所かある。しかしここはどうよ?
そのあと久しぶりに Donnell図書館 (すぐ隣) へ寄ったら、
3階で日本語の文庫本を 6冊も借りこんでしまった。よほど飢えていたらしい。
閉館まぎわだったので貸し出しには長い行列ができていたが、それにしてもいつも
思うのだが、どうして人はあそこの「自動貸し出し器」を使わないんだろうか?
並ばなくていいから断然早いのに。どうも使い方を知らない人が多いとしか思えない。
ちなみに新山はあの「本のうら側についてるバーコードをあそこのレーザーに通す」という作業が
好きなので積極的に機械のほうを使っている。なんしろチョっと通すだけで読み取って、
すぐに貸し出し票がガリガリと印刷されてくるので、いつでも素朴に「すげえ!」と驚けるのである
(なんつうオメデタイ性格だ)。これを本の間にはさんでゲートへもっていけば終了
(すべての所持品および本は出入り時に検査される)。
そのあと 5av./53st の駅で地下鉄にのるが、ここは E/V線が来ると書いてあるのに、
V で 34st. → N線 8st. で行こうと思っていたら、何度待っても E の列車しか
来ないことが判明。それまでに 2本ものりすごしてしまった。
しかしそのあいださっそく借りた本を読みふけってたのであまり気にならづ。
E線に乗ってから、はじめこれがどこ行きだかよくわかっていなかったのだが (WTC行きだった)、
West 4st. まで行けばすぐだということを知り、そのとおりにする。
本を読んでたら乗りすごしそうになった。これは危険だる。
まえに訳した email パッケージのマニュアルを見たら、われながらひどい日本語で落ちこんだ。
これなら英語で読んだほうが早いや。ダメじゃん!
もう胃は治ったんだろうか?
この効果が真のものなのか、あるいは pepto-bismol によるものなのかはっきりしない。
ところで実際に新山が使ってるのはそのパクリ版の "pink-bismuth" というやつだが、
duane reade はこういう人気薬には必ずその「パクリ版 (価格が $1〜2 安い)」を
用意していて、その容器とかパッケージデザインまでそっくりなのが笑える。
うちの親がつかってるプロバイダ (いま ocn、もとは mbn.or.jp だった) の
メールサーバが spamcop.net の
ブラックリストに登録されたらしく、cs.nyu.edu
にメールが送れないという
メールが (別アドレス経由で) きた。ああ、うちの学科、RBL なんて使ってたんだ?…
今まで親からのメールはふつうに届いていたから、きっとこれは最近使いだしたんだろう。
しかし spam は最近ますます増えているし、ML に投稿される spam がひじょうに多くなってきてるので、
ブラックリストだけではほとんど効き目がない。内容ベースのフィルタも入れないとダメだろうな。
どっちにしてもいまさらブラックリストに登録されるなんて終わってるよ、mbn。
オフィスに来る。そして自分のマグカップがないことに気づく。
あれえ? 昨日どっかに置いたっけか? どこえ行ったんだ??
…と思って、流し台とかトイレの洗面台とか (新山はときどきコップをトイレで洗う、
だってそっちのほうがきれいなんだもん) あちこち探しまわったが、みつからない。
そしてふと自分のバックパックがゴトゴトいってるのに気づき、開けてみたら…
中にマグカップが入っていた。
つまりオレは昨日こいつを家まで持って帰って何も気づかずにまた今日持ってきたことになる。
アホ! たぶん下痢で頭がモーローとしてたのだと思うが、われながらオレってエンターテイナーだと思った。
某H嬢のハードディスクの問題を解決しに 10階へ。そもそもオレは NT よく知らないのに管理させられる。
あれの管理用ツールって何がどこにあるのかさっぱりわからない。
しかも彼女のは Win2k 中国語バージョンなのである。ガンバればいちおう日本語の知識でも
たいていの表示は理解できるが、それをやってると非常に時間がかかるので変なダイアログが出るたびに
いちいち彼女に翻訳してもらう。二度手間じゃん。いい加減 Linux 入れれよ、ぶつぶつ。
きょうの学習: 「ローカルディスク」のことを中国語で「本地磁盤」という。
ところで、たいてい新山が管理するハメになる人のマシンには、
起動時にヘンなダイアログが現れるとか、かならず終了時に explorer が固まるとか、
不可解な現象がついてまわる。
Owen のノートもおかしかった。Jason のマシンもおかしかった。Navneet のもおかしい。
セキネさんのノートもおかしい。しかしこれまたいずれも共通するのは、
彼らは誰もそんなの気にしてないということだ。
Windows ってのはそんなもんなのかもしれない。
オレだったらとっても気持ち悪くて使ってらんないよ、そんなの。
最近 citeseer って異常に遅くない?
雨がばさばさ降っています。天気予報おどうり。
ムラカミさんはさっき帰って正解だったと思う。またひどくなった。
オレは部屋の窓を開けっぱにしてきたような気のする。
新しい漫画のアイデアを考えた。
幼稚園児なのに天才的な機械工学の才能をもつ男の子が主人公の漫画!
“園児ニア”
もう寝るったら寝る。
きょうはどうも朝から元気がなかったが、昼になんかガツンとしたものを食うか!
と思って例のドサ屋にいったら、今日はこのまえ見たチャーハンみたいなやつ
(「ろてぃかり」と呼んでいたが綴りは不明) を頼むチャンスがあったので、
頼んでみたら、量がメチャ多かった。はっきりいって、食いすぎでヤバイです。
どうしよ。
それにしてもさ、インド料理の名前は uthappam とか、「ろてぃかり」とか、
覚えにくいのが多くて困っちゃうよ。dosa ぐらいならまだラクでいいけど。
そういえばまえにうちにすこし泊まっていた navneet の友達の女の子は
「ヴァッサンダナラ」とかいう名前だった。すごい。覚えらんないし名前だけ聞いても
男か女かわかんない。日本人の語感によるセンスなんてたかが知れている。
午後からひどい下痢になり早退。というか、まだ治ってない。
新山は「下痢慣れ」してるっつうか、わりとこういうのが来ても
ナントナクごまかす術を身につけていたと
思うんだけど、今回はひさしぶりに本格的なやつでひどかった。
帰るのはいいが、問題は「家に帰るまで持つのか?」ということである。
今日は PATH 駅のすぐそばにある
6av. の starbucks のトイレが使えたので助かった。たいていこういう店でも
トイレは 1人用のがひとつあるきりで、しかも長い列ができていたりする。
まったく、こういうときになると NY のトイレの少なさを呪う。
はっきりいって、NY 市内にふつうの人が誰でも使える公共トイレというのは
ほとんどない。あってもだいたいお客専用でふだんは鍵がかかっていたりするし、
2人以上が入れる公衆トイレというと、grand central とか、macy's とか、
ほんとに限られた場所にしかない (しかも、そういうトイレだって、
それだけでかい建物の中でたった一箇所しかないんだぜ、どうかしてるよ)。
日本の感覚からいうとまったくないといってもいいほどである。
観光客にとっては、トイレが利用できる場所をしっかり頭に
叩きこんでおかねばならないひどい街だ。それにひきかえ日本では
およそあらゆるところにトイレがある。大きな建物になると
3つも4つもあるのは普通である。すばらしいよニッポン!
これは日本人の生理的な特徴によるものだろうが、はっきりいって、
日本ほど「トイレに行きたい!」という意志が尊重される国はない。
「いつでもどこでもトイレに困らない」というだけで日本に住む価値があると思う。
ところで RSS ってほんとに役に立ってんの? いや、発想じたいはそんなに悪くないと思うけど、
そんなの欲しがる人が多いという状況が理解できない。
そういう人はたとえば CNN の「下に株価が出てて、天気が出てて」みたいな情報過多の世界が好きなのかな。
オレはそんなんやだけどな。が、まあこれはオレの趣味によるものかもしれない。
基本的に新山は RSS というものを「配信専用の semantic web みたいなもの」と考えている
(違うかもしれねい)。Semantic web はすでに失敗したと思うが、たぶんその原因のひとつは
HTTP/1.1 などと同じように過剰設計にあったはずだ。だからその教訓をいかして、
仕様をごくシンプルなままにとどめておければ RSS はそれなりに普及するんじゃないかと思う。
しかしそれでも結局は限定的なものになるだろう、という気がする。
日記みたいに内容をぜんぶ体系的に (といったって時系列でまとまってるだけ、大したことはない)
管理できるならいいが、すでにできてしまった文書をいちいちアノテーションするなんて
結局誰もやりたくなかったのだ (それが semantic web が失敗した大きな原因だと思う)。
そもそも「抽象的な統一された (深層の) 意味体系・表現体系」を設計するということ自体がムリなのである。
これはオレの直感だから合ってるかどうか知らない。でも、自然言語にしてもそうだ。
表層が占める割合はかなりでかい。flash 使ったりデザインよけりゃ内容クズでもみんなだまされるわけだしー。
結局、rss や html などのアノテーションというのは
過渡的なもので、将来的には計算機は rss もなしで直接 html を理解するようになるべきだし
(それは froogle のさらに拡張されたものと考えればいい)、もっといえば html もそのうち
消えるのだろう。遠い (?) 将来には文字コードさえ消えるだろうと思うのだが、
話をもどすとして、新山はいつも物事も画面もシンプルにしておくのが好きなのだが、
いったい情報過多なのが好きな人ってのはなに考えてんのかな?
「情報に敏感 = 仕事ができる」というのは一部の職種にしかあてはまらない妄想だと思っているが
(あるいは、人生をより有効活用している、カッコイイ等はもっとひどい妄想)、
そんなのに浸水するバカはそんなに数が多くないもんだと思ってた。
だがそんなのが多けりゃ世の中ますます暗くなるだけよ
「機能性」を勘違いしてはいけない。多くの情報を知ることはできても、
多くの事実を理解することはできないのだ。
人間が一生のうちのできることなんてごくわずかなのに、
表面的なとこばかりなでてる場合じゃないだろ。
誰が? 誰が?
ところで、
google://気さくな人柄/
ってどんな人柄?
あさ目覚しよりも早く起きちゃってさあ
そうすると目覚しオフにしておくの忘れててさあ
トイレに入ってるときに突然なり出す (遠隔制御不能)、
ってのは、
ちょっとアレなのな。
ちなみに、日本のカレールウにはビーフエキスが入ってるからインド人的にはよくないらしいという
ご指摘がありました。ガビーーーそ
しゃっくりが…
ひゃっくりが…
ヒャック!
1。
(じつは久しぶりのひゃっくりなので結構楽しんでたりする)
というわけで、ついに
Unicomp 製の Buckling Spring キーボードを
買ってしまいました。$69。ほんとうは $49 だったのが、Linux 用に改造した
(Control_L と Caps_Lock がもとから入れかわっている) やつを頼んじゃったので高かったのだ。
でもいま考えると、新山は Caps Lock が「ロックする」式のキーなのを恐れたのだが、
実際来てみたらそうじゃなかったので、べつに普通のやつでもよかったな。$20 損した。
しかしそんなことが気にならないくらい、このキーボードはメチャクチャイイ!
キーボードの裏面を見ると「MADE IN USA」と書いてある。高いわけだ。
そしていかにもアメリカン好みのごっつりした作りだ。いいね〜。
キータッチはあの IBM の電動タイプライタとほぼ同じ感覚である
(もともと Buckling Spring というのは電動タイプライタのために IBM が開発した特許らしい)。
ちょっと音がでかいけど、MiniTouch のカチャカチャ音がどちらかといえば軽薄な感じを連想させたのに対して、
こちらはずっと低い、「かっちゃんかっちゃん」という重厚なスプリング音がする。
「カッチャンカッチャン」ではない。ひらがなで書きたくなるというところがこいつのシブさを表わしてて重要。
すばらしい。いやあ、これからは仕事するのが楽しくなるね。
しかし、日本には「キーボードマニア」が結構たくさんいることがわかった
(検索するとページがたくさんひっかかる)。Buckling Spring はやはりウケているらしい。
日本人は SpaceSaver が好きらしいが (これはよくわかる)、残念なことに米国では
そういう小さいキーボードはほとんど好まれないらしいのね。しかも最近は
ほとんどこういうまともなスイッチを使ったキーボードを売っていない。
それでもマニアはいるところにはいるようで、こないだ ML で質問したら
いまだに「オレが使ってるキーボードは 89年に買ったやつだ」とかいってる人がいた。
噂によると、こういった古いキーボードは
- 核戦争が起きても壊れない。
- 人を殺せる (重いので)。
- キーキャップが全部はずせて完璧に掃除できる。
といった特長があるらしい。
オレはハンバーガーは嫌いだが、こういうがっちりした製品をいまだに
頑固に作りつづけてるアメリカ人ってのは意外に好きだ。
しかし、そんならドイツとかスイスとかで作られたキーボードってのは
どうなんかね? もしあったら絶対使い心地よさそうなんだけど。
ぜひとも佐貫亦男に評論してほしい。
ブルーバックスの佐貫亦男著「道具の再発見」は名著というべき本で、
工学部の人間なら読んでおいて損はないと思う。
てくるで親指のつけ根が腫れて痛かった問題 (病気?) はほぼ完全に治った。
こないだのジベル薔薇色病のときにも思ったのだが、
あるとき身体の部位のどこかが突然調子悪くなり、いつのまにか治っている、
というのはすごいおもしろい。
すごい → すごく
今日は試験だります。
なんだか向こうのほうの雲行きがアヤしいな。台風か?
そういえばNYには台風ってくるのだろうか。あまり聞かない。
朝飯を買いにデリへ行き、2分ほどして出てきたらもうドシャ降りだった。
なんだよ、てめー。
あー終わった終わった。
ひさしぶりに即帰り。
きょうのは思ったほどむずかしい試験じゃなかったので、
終わったあと 3人で余韻にひたっていろいろ喋ってくる。
へれんに「今日は中国では特別な日だが、日本にもこれはあるのか?」といわれたが、
そんなのあったっけ。中国語で名前を言われてもわかんないので漢字で書いてもらうと
「端午節」だという。そのときは「はあ?」と思ったのだが、
帰りに電車の中でふと思いついた。「もしかして旧暦か?」
そして帰ってから調べてみるとぴったし、きょうは旧暦の 5月 5日なのである。
そうだったのかー、いやなんか感動した。彼らはお祭りはすべて旧暦が基準なんだな
(ニブいよ俺、もっとはやく気づけよ)。
ちなみにきょうは「粽子 (zong zi)」という食い物を食う、と彼女はいっておったが、
新山はこの字が読めなかった。じつはこれは「粽(ちまき)」であることがわかった。
いやーこれって中国渡来のモンだったんですね?
ようやく試験から解放されたので今夜は久々に自炊した。
かねてから計画していた、「インド人に日本風カレーを食わせるので大作戦」である。
しかしケシカラヌことに Navneet はいない。なので部屋に滞在中のもうひとりのインド人
(就職活動のため 1ヵ月ちかく居候中) を呼んで食わせる。
なんか迷惑かなー、とは思ったけれど、うまい、といってもらった。山のように作ったので
(直径 30センチ × 深さ 20センチぐらいの大鍋いっぱいある)、あとで navneet にも食わせよう。
ちなみにインドでは日本の白米のような米 (彼らは「くっつき米 (sticky rice)」と呼ぶ) を
ぜんぜん食べないらしい。
しかし今回の発見は、むしろ自分で食ってみて、その感じ方が昔とまるで
ちがうということのほうにおどろいた。
もはやインド風の味付けにすっかり慣れてしまっているので、いざ日本のカレー
(今回使用したのは S&B の「とろけるカレー」です) を食してみると、
辛いことは辛いが、ぜんぜんスパイスの風味を感じないのである。たしかに、こりゃ
インド人の感覚では「カレーではない、なにか別の料理」だわな。
「とろけるカレー」を使ったのも敗因のひとつかもしれない。どうもこれは基本的に
スパイスよりも醤油ベースの味、というか、基本的に「ハウスこくまろカレー」「グリコ熟カレー」と
同じ路線だね。おばさん主婦向けっぽい味 (どんな味だ) のような気がする。
ジャワカレーはもうちょっと若者向けだったような気がするので、そっちにすべきだった
(新山はふつう“デフォルトで”カレーを作るときはほぼジャワなので、
なんでこっちを買わなかったのか謎だが、たまに新商品に浮気する癖があるのだろう)。
ほかにも原因はあるかもしれない。新山家のカレーは伝統的に野菜を炒めないのだが
(うちの母親いわく、めんどくさいのと、高カロリーを避けるという理由)、さらに新山は個人的に
「煮くずれたカレー」が好きなので、ジャガイモとかタマネギはでろでろに溶かしてしまう。
しかし、味がナマっていると、そのうえさらに具までユルユルしていると
なんだか非常にまぬけな感じである。もうちょっと野菜が固かったほうがパンチがあってよかったなあ。
いろいろ反省すべきことだ。あと肉 (当然、鶏肉ですよ) をもうちょっと入れるべきか。
新山は基本的に彩色主義っぽいので肉よりも野菜をバコバコに入れたがる傾向がある。
ちなみに今回入れたのはジャガイモ、にんじん (袋づめベビーキャロット)、タマネギ、
セロリ及びトマトである。セロリとかトマトを入れるのは変態だと自分でも思うんだけど、
栄養があるので。しかしコリアンダーが冷蔵庫に入っていたのに、気づかなかったのは失敗だった。
いつもカレーとか作ると「なにか入れ忘れたような気がする」と思うんだよね。。
ところで「ゴールデンカレー」と「ザ・カリー」はどっちが S&B でどっちがハウスだっけ?
どっちが中村紘子だっけ?? そういえばジャワカレーはまだ夫婦で CM やってんのか?
新山が覚えているのは岩城晃一までだが… (はてしなく時間逆行中)。
いずれにせよ、料理しない男は夫とは呼べない。
そういえば、ヨーロッパには
RyanAir という旅行会社があって、
そこでは航空機チケットが最安値だと $5 とか で買えるらしい。
ハア? 5ドルだと?? ケタを間違えてんじゃねーの? と思った、ぬです。
やれやれ、キミらはなにもわかっちゃいないな。オレらは。
よくわからない原因により左手の親指のつけ根がいたい。
昨日の午後のあたりから痛みはじめ、だんだんひどくなった。
今朝おきてみたら指も曲げられないほどに痛いのだ。
すこし腫れて熱ももっている。関節のなにかが炎症を起こしているのだろうが、
たしかこれ、数ヶ月前にもおんなじようなことがあったな。
そのときは 2、3日で治ったのだが、しかし日記をさがしてもそのことは書いてなかったようなので、
今回はまじめに書いとく。
もしかして、Metaキーの押しすぎか!?
(てくるで、新山は過去の慣習により Alt キーのことをいまだに「Metaキー」と読んでいるのだが、
これらはほんらい別のキーのはずだよね。ついでにいうと、X11/keysymdef.h
には
Alt と Meta だけではなく「Super」と「Hyper」という修飾キーがあることになっているが、
いまだにそんなキーのあるキーボードを見たことがない)
- いまだにそんなキーのあるキーボード
- いまだにそんなキーがあるキーボード
こんなこと書いてる場合じゃねえよ!! 勉強しろよお前!!
お昼は Dosa。きょうは Samosa もつけてもらった。あわせて $5。
お得といわねばならない。しかもうまい。おまけに楽しい。
屋台なのでヒゲのおっさんが目の前でドサを焼いてくれるのだが、
じつに手際がよく見ていて飽きない。
まずよく熱された鉄板のうえに生地をたらして、大きめのベラでサッと丸くのばす。
そのあとあの辛い赤いソースを上に適当にのばし
(この量は注文するときに「どれくらい辛くするか」の指定によって決まる)、
スプレー状の容器 (油が入っている) をだしてきてそいつの上にサッサと油をふりかける。
それからあのカレー色のジャガイモ (すでに調理済) をとりだして、それをおたまで
生地のうえに無造作にどさっとのせる (シャレじゃない)。
で、焼き上がるまでのあいだにおやじは上の棚から発泡スチロールの容器をとりだし、
サンバルとチャトニーをすくって別々の小部屋に入れて (これらはそれぞれ容器の中でパーティションされている)、
ひとまず脇においておく。そのあと例のベラでドサをこそげ落としにかかり、
くるっとまるめて筒状にしたあと、やや乱暴に、ドン、ドン、とベラをつきたてて
それを 2つにちょん切る。で、それを上手にすくって脇にあった容器にのせて
フタをしてできあがり。
こうして書くとじつに早そうだが実際早い。
いやー、すごいよねえ職人て。
不安。。。
ハセガワさんが新しく「扉非解放法 (leave-non-opened-door method)」をあみだしたので、
いま部屋の中はとてもあたたかい。つまり冷房にブルらなくてすむのだ。
ちなみにこの「扉非解放法 (leave-non-opened-door method)」とは、
単に部屋のドアを開けないというだけの手法だが、
おそらく廊下からくる冷気がいつも非常にキツイのであろう。
これで、わざわざセーターやくつした (新山は現在ツッカケで通勤しているので足が冷える) を
持ち歩く必要がないってこった。
いままで気づかなかったが、うちのフロアには古い IBM の電動タイプライタがある
(しかも何台も)。すでに動かないにもかかわらず、なんでこんなもんが今だにあるのかわからないが、
ちょっと押してみると、キータッチがすーんごくいい。
カチャカチャカチャカチャ。ああ、こんなキーボードがほしいよう。
カチャカチャカチャカチャ。ああああ
やばいそろそろ帰んなきゃ。
「大人であること」と、
「社会人としてソツなくやっていく能力」は、
別のものであるかもしれない。
これを区別すること。
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Yusuke Shinyama