机で皿をたたくと、手が割れた。
あーそれにしても skk とことえりを混ぜて使っていると混乱してしょうがねええ。 どっちか一方だらばまだ救いがあるのだが。
噂に聞くとおり長野はユキだらけですわ。窓の外はまっしろ。
今日はゆうちょの ATM で 1000円札をみて 「ゲーーっっ、夏目漱石じゃない!!」とウラシマな感じがした。 ついでにいうと、新山はまだ JR のイオカードをもっているのだが、 これってまだ使えるのだろうか?
その後、紀伊國屋に行ったら英語コミックの棚に "YAOI" と書かれたセクションができていた。 ここは紀伊國屋、ですよね?
結局、これは日本でも手に入らなかろうと思うもの (YAOI とは関係ない、ねんのため) を 2冊ほど衝動買いする。 またも高額の買い物をしてしまった。日本語の本は高くて困るなあ…。 といっても一冊は「日本文化に関する本」であって英語だが。
なぜ「最後の言葉」が重要なのか。 「最後の言葉」なんてものは誰でもそんなことを知りもせずに言ったものなのだ。 それは写真と同じように、ただのスナップショットにすぎない。 にもかかわらず、人はそれに意味を見出したがる。
新山がどちらを選ぶかはもうおわかりでしょう。
(追記 -- 実際には、これら 2つの分野は互いに混ざりあっている。 幻想を維持させるためには現実が必要であるし、現実を維持するには幻想が必要だ)
ちなみにスキーはオレが唯一「人並みに」楽しめるスポーツであるが (どっちかっつうとスキーそのものよりも景色を見るために行くって感じだが)、 もう 5年ぐらいやってないのでたぶんぜんぜんダメになってると予想。 だいたい日本のスキー場は今じゃボーダーに支配されてるんじゃないか。 米国でもスノボのほうが流行ってるらしい。
それにしても飯田で 20センチも積雪したんだって。 今年の日本はなかなかやるね。
"I have no right to say this though"
skkserv
が root で走っとんのじゃああ!!
dbskkd-cdb
インストールしてなかったっけ?
これを使おう。それにしても ports に入っている dbskkd-cdb
の
インストールの説明文は間違ってる。
pkg-message
をみると、inetd
経由で起動させる場合は
以下のようにしろと書いてあるが、これだけではデーモンが root で走ってしまうじゃないか!
ほんらいこれはAdd following line to /etc/inetd.conf skkserv stream tcp nowait root /usr/local/libexec/dbskkd-cdb dbskkd-cdb
envuidgid
をつかって環境変数 UID
と GID
に
値 (djb教ではこのためだけにユーザを新規作成するのがふつう) を入れておかねばならないのである。
いくら chroot しても root で走りつづけていたら、ぜんぜんセキュリティに気をつかっていることにならない。
それに inetd ではソケットを localhost に bind させるということもできない。
しかし個人的には力武さんのこの実装自体、あんまりいいとは思わないな
(たぶん面倒くさいから誰も作り直さないんだと思うけど、同じく新山もめんどくさい)。
chroot までさせるというのは少々やりすぎだ。
新山は chroot が root を要求するのがどうも不安
(これはもちろん理由があってのことだが、
一般ユーザ権限でも chroot できる OS というのがあると前野さんから聞いたことがある)。
まえにノ・テウだかが大統領だったころ、 かの国では前の大統領 (ちょん・ど・ふぁん?) をみんなでひきずりおろして 刑務所にブチ込んでしまっていた。そのあとの金大中だかのときもたしか 同じようなことをしている。日本ではいくら田中カクエイやら 金丸シンでも、もうちょいまともな扱いだったと思うのに、 韓国では英雄扱いしてた人物を一瞬にしてどん底に叩き落としちゃうんだもんな。 すげえよ (まあ、田中カクエイと比べるのはおかしけど)。 今回の某教授も同じような運命をたどりそうな気がする。
しかし熱しやすく冷めやすいとはいっても、いざダメとわかったときに 「こいつはダメだ」と正面きって言う風潮があるというのは、 いいとこもある。どうせドナったらあとはスッキリ忘れちゃうんだろうし。 でも同じようなことがもし日本で起こったら、それはそれは陰湿になるよーー。 もう想像しただけでこわいね。まずマスコミは事実をできるだけぼかし、 「やわらかい言葉で」表現しようとするだろうし、人々はそのことをタブーとして おおっぴらには口に出さないだろう (とりわけ当事者の前では)。 ようするに表面的には、人々はなるべく早くそれを忘れようとする。 でも、陰では何年にもわたってコソコソ言われる。 まさに天皇制とか戦争とかはそういうネタだ。日本人はかつて戦争に負けたことをあまりにも こっ恥ずかしいものとして受けとめたので、そのことがトラウマになってしまい、 戦争について二度と表立って具体的には話せない文化となった。かわりに「悲しいことがありました…」とか 「もう戦争はしません」とかいう言葉でひたすら核心をボカし続けてはや 60年。 いつしかタブーはそれ自体が目的となる。 ヤクスニ産廃の是非などどうでもいいが、もはや誰も何について忌避してるのかわかんなくなりつつあるんじゃないか?
(追記) もし新山が中国人や韓国人の立場だったら、ヤクスニ産廃などよりもむしろ 日本が「ちゃんと具体的に過去を分析していない」ことのほうによりムカつくだろうと思う。 いつもいつも日本は「あーもうオレが悪かったから、悪かったから!」といって 首をふるばかりで、何がどう悪かったのか、じつは日本人である新山にさえよく理解させていない。 何がどうしてこうなったワケよ? 基本的に「後悔してる人をさらに追求するのは無慈悲だ」という考えがあるので、 日本国内では誰もそれ以上追求するのを悪いと思ってしまう。 でもさあ、具体的に何がどう悪かったのかわかんないのなら、再発防止なんてやりようがないじゃん。 と思うオレは論理的すぎるのか?
(さらに追記) でも、具体的に過去を分析した結果「じつは思ったほど悪くなかったのカモ?」って結論になったら (日本のウヨクな方々はまさにそう希望しているのだろうが)、さらに政治的にマズい状況になるな。 それこそかの国は怒り狂うだろう。痛し痒しってところですか。
(さらにさらにデンピーな追記) じつは一連の日本人の戦争トラウマは、終戦当時に日本人の特性を骨の髄まで理解していた 何者かが仕組んだ壮大なプロットだったのではあるまいか? 奴の名はアメリカ人。電波、電波。
きょうの夕刻はオミヤゲを買いにチャイナタウンへ出かけた。 もうすっかり冬至近いので 5時前だがすでに空はグラデーションがかっている。 天頂はすでに濃紺だが ダウンタウンのほうはまだ暗い橙色で、その中につっ立っている金融街のビルのシルエットがとてもうつくしい。 そっちへ向かって歩く。きょうは気温がえらく高かったので出歩くにはもってこいだ。 やっぱチャイナタウンはいい。きょうはミヤゲモノ探しの旅なので、 Mott St. の雑貨屋はほとんどくまなくまわった。例の「ハローキティ専門店」まで 入っちまったぜ (ホントにハローキティばっかりだった、圧倒されてフラフラしながら出てきた)。 ひとつすごかったのはそのハローキティ専門店の近くにある模型屋である。 チャイナタウンにそういう店はよくあるが、なんだか「別世界」って雰囲気なのだ。 まるで上海のどっかの路地に迷いこんだような。 ショーウィンドウにはいちおう招き猫みたいなカワイめの人形などが並んでいるのだが、 入ってみると店の中では中国風のお香の匂いがそこはかとなくただよい、 ラジオからは広東語のアナウンサーがなにか喋っているのが聞こえる。 照明は明るいが雰囲気はいきなり大正時代っぽい。床は木製。 しかも店番をしているのは上品そうな中国人のおばちゃん 2人。 にもかかわらず売っているものはただのファンシー人形だけではない! 仏像からカンフーもの、そして超マニアックな米軍アーミー第何師団まで、 新山には名前もわからない模型が所せましと並んでいる。しかも、それらは古い木製のガラス棚の中に 陳列されているのだ! しばらくのあいだ、新山この空間の奇妙さにショックを受けて何も言えなかった。 そのあと結局、チョー安物の「カラー招き猫 5点セット」を買う。すげーちっちゃいやつ。1つ 2ドル也。 こういうのはウチの親がよろこんで居間におくのだ。 帰りに Lafayette の末端にある Eilleen's Cheese cake でチーズケーキを買ってくる。 NYには有名なチーズケーキ屋がいくつかあるのです。
どうでもいいけど招き猫ってのは中国由来のものかい??
けさ、駅へいく途中で (Google で「NY スト 情報 Theo de Raadt」で検索してここへきた方へ朗報 -- あれっ? ストなのになんで駅へいくの? と思われたでしょうが、 新山が使っているのは PATH なので、ストはぜんぜん関係ないんです!)、 「セールスの演習をやってる」とかいうねーちゃんから香水をしつこく宣伝され、 「ためしにひと吹きだけでも!」とかいってシュッとやられたのだが、 これが大後悔。新山はこういう匂いが大キライなのである。 しかし、よく黒人のねーちゃんが鼻持ちならない悪臭を放っているのはコイツが原因か。 ようやくわかった。オレは香水をよろこんでつけるような人間をマトモな感覚の持ち主とは見なさねえぞ! 絶対に。すくなくとも彼らは自然界に存在する生物ではない。 でも化粧品の匂いのヒドさという意味では東京にいるオバちゃんやポマードおやじのほうがひどいと思う。
印刷に関しては Google Maps は別処理として実装しているが、実はこれはこれでヤバい。 怖いのは、 Javascript が印刷処理までも支配しているということである。 Google Maps で "Print" ボタンを押すと、画面で見たものとは別の解像度の画像が使われ、 レイアウトも別のやりかたで印刷される。 Firefox のメニューから印刷を選んでも同じ。 たぶん GMail でもこういうことをしてるだろう (試してないけど、連中のやりそうなことだ)。 Google はただ単純に「便利だから」こうしたのだろうが、 新山の考えでは、ブラウザは画面に映っているものをただ愚直に印刷すべきだと思う。 これが意味しているのは「ブラウザが印刷で嘘をつける」ということだから。 近いうちにこれを悪用するやつは絶対でてくる。 画面の結果を信用して印刷したら微妙にズレた結果 (たとえば、金額) を出す、 というのは、かなり悪用しがいがあるよね。 実際、悪かどうかは別として、 Google Print ではこれは 「ブラウザの画面では見えるが印刷できない」という DRM まがいの機能を実現するのに使われている。 新山はこのテの「インテリジェントな機能」というのをまったく信用してないのだが、 他の人はぜんぜん恐怖を感じてないらしい。まあ、他人の頭のよさと良心をそれほどまでに 確信できるってのは、ステキなことではある (ウソ度 87%)。
あーーそれにしても右手についたこの臭いはなんとかなんねええのかチクショウめ。
それにしてもなんでオレのまわりには学生結婚をする奴がこうも多いのか。