夢とは自分の中のプライベートな部分が暗号化されたものである。
の、は、を、で、に、が
例: 次なる文字ば使わね日本語な文章さ書け。
どうしてもトーホグ弁ぽくなってしまうだ。それか助詞使わないか。筒井ヤスタカもこれ難しいと思うね。
ちなみに新山は buzzword を得意気にふりまわす人々が嫌いなので、 くだんのソフトウェアのページには screencxst などという単語は 絶対に入れないようにしている。 あと 100年たっても流行ってたら入れてもいいけど。
どうでもいいけど新山はいまだに Gnome を信用できない。 同じように KDE も信用できないが、どっちのほうが好きかといわれれば KDE だる。 と、いうか、どっちも複雑すぎてオレの頭には理解できないよ。 そもそも、ウィンドウが複数出ているという状態がすでにダメなのだと思う。 はじめて Mac を使ったときはデスクトップの比喩はカッコよく見えたが、 よく考えてみるとあの「デスクトップ」って、ぜんぜん本物のデスクトップと違う。 そもそもオレは机の上にあんなに紙を重ねて置いたりしない。 一度にいっこの作業すればいいじゃん。 ところで (てくるで) 最近 Knoppix-4.0.2 と Ubuntu-5.11 (だっけ?) の live CD を それぞれ何とはなしに試してみたのだが、どういうわけか Knoppix のほうが圧倒的に 起動 (して使えるようになるまで) が早かった。なぜか知らん。
それにしても 3月になってから寒くなるというのはどういうんだろうね…。。。。まったkkkhea
/etc/passwd
を open しようとしたりなど) を
感知するとそれを事前にブロックする、というもの。
あやしい動きを定義する規則は policy file に書くことができる。
なかなかイイね…。権限保護のための仕組みとしては単純な nobody 実行から
jail、はたまた Xen で完全仮想化まで大小いろいろあるのだが、
これはプロセスレベルの管理であるので比較的お手軽な部類に入る。
しかもオーバーヘッドは少ないらしい (基本的に、システムコールの回数に比例して遅くなる)。
でもカーネルにパッチをあてる必要があるんで、いますぐ試す気にはならない。
最近、SELinux とかが盛んらしいけど、アレよりはこっちのほうがいいんじゃないか?
そのご帰りになぜか吉野屋に寄りたくなり、Times Sq. をまわる。 あいかわらずここはアホみたいに明るく (まあ、新宿と同じくらい)、 観光客でゴッタ返していた。どうってことない風景なのにみんな写真をとりたがるので、 オレもついつい撮りたくなっちゃったよ。 でも、写真に撮るなら新宿や渋谷のほうがヘンテコでおもしろい。
どうしてそんな簡単なことが
どうしてそんな簡単なことが
どうして
どうして
。
世の中 (戸の中) の人々がみんなオレと同じくらいアホだったら世界はとっくに滅亡しているものと思はれ
る。
/var/qmail/queue
だった)。
ただしこうすると名前とハッシュの対応づけが人間にとってはメンドくさくなる。
あちらを立てればこちらが立たずね。
しかし、ようするに、プログラミングの多くの部分はこのように 「どっからかパクってきた小技のつみ重ね」なわけだ。 だから、ネタ元を多く持っているほうが有利になる。 はっきりいって、小説を読むようにプログラムを読めなければ プログラマとしては一人前になれない (別に新山が一人前だと思っているわけではない)。 Python のいいところは、そのためのオープンソースな資料が たくさんあることだ。同じことは C にもいえる。C++ はどうなのかな? とはいえ、C++ や Perl はスタイルに個人差がありすぎてダメだ。
(なるべくキツい文体にするため「…と思う」と書いた部分を 3箇所ほど断定口調に直しました)
世の中、ガ格は省略されている。
昼間っからケーキ。しかもまずい。(おっとととt)
セキネさんにしてはめづらしくノドモト人生だよね、このごろは。 オレはもうあきらめたケド…
… 田中知事は28日の県会代表質問で、田中知事・県政の支持率が低迷している−との指摘に、 歴代首相やブッシュ米大統領の支持率が高くないことも挙げ「私と似通っている」と反論した。 …
べつに県政に興味ないし支持率なんてどうでもいいけど、 こういうのって反論っていうの?? ブッシュと似てると言ってしまう田中ヤスオがアホなのか、 これを反論と呼ぶ信毎がアホなのか。 (そもそもこの 2つは排他的でないので、こういっているオデもアホだ)
こういう「うんざりする講演」に共通するひとつの特徴は、 焦点が一貫していないことだ。講演する側が「ああそうだ、あれも言わなきゃ、 これも言わなきゃ」といろいろなことを詰めこんでも、たいていの 聴衆 (おもに新山) はそんなに頭もよくないし、忍耐力もない。 それに個々のトピックを結びつける何かが全体として提示されていないと 個々の話がどうつながるのかわかんない。 つまるところ、こういう機会で聴衆が理解できるアイデアなんてのは、 せいぜい一個だけなんだよ。それを丁寧に説明すべきだろ。
とやったら、$ cdrecord -help
という行が出てきてナンダ? こりゃ。といった状況。 これはじつは "50/15 μs" と書いてあるのだった。-preemp Audio tracks are mastered with 50/15 挙 preemphasis
きょうはビュー寒いので、家でアレしてる予定。 といっても、去年よりぜんぜんマシで、-8℃もあるケドね。
-v -v
オプションをつけるとネットワークの
受信ウィンドウ幅がだんだんデカくなっていくのがわかるが、これがなにを意味するのかは
わからない。しょうがないので openssh-unix-dev に質問を出す。
しかし、VPN 経由 NFS の速度についてはおそろしいことがわかった。 linux のソースツリー (160MBytesほど) を自宅←(ケーブル接続)→大学間で転送すると、 なんと生で NFS したときよりも速いのである。 たぶん圧縮を有効にしてるためだろう。Cipher には blowfish を使っている。 どちらも tcp オプションつきでマウントしている。やるじゃねえか。 でも、圧縮つき rsync+ssh と比べるとどっちも10倍以上トロい。
ったく、オレはなにをこんなことに時間つかってんだろ?
しかし最近の google のやってることを見るにつけ思うのだが、 この会社が成長すればするほど「ネットでできること」の限界が あらわになってくるのは皮肉である。つまり、google があくまで http と 情報検索まわり (それと広告) だけをやっている限り、 この会社はますます手づまりになっていくだろう。 たとえこのさき世界の全人口がネットを使うようになって、 google が web上のおもな検索整理サービスをすべて吸収したとしても、 たいして面白いことになるとは思えない。 基本的にインフラだから。インフラは作るの大変だけど、そのさい動ける空間は基本的に限られている。 一度できてしまったらもうあとは保守しか残ってない。これは重要だけど、退屈な仕事だ。
ネットが出現したのがここ 10年ほどなので、一部の人々はこの新しいオモチャのために 「コンピュータができること ≒ ネットができること」のように考えがちである。 そういう人は、世の中にはそれ以外の仕事のほうが多いことを忘れているみたいだ。 たとえば、ネットは家の掃除を手伝ってはくれないし、 買い物もしてくれない (だったらウマそうな秋刀魚を楽天で買ってみろ)。 情報に限っても、たとえば計算機はどうやったら人間がいい文章 (あるいは、いいプログラム) を書くのを手伝えるのかとか、 会計のミスを効率よく発見するにはどうしたらいいのかとか、 パソコンがおかしくなったときにどう自動的に対処するかとか、 まだ問題は山のようにある。ネットが“集合知”として役に立つのは認めるが、 個々の問題には役に立てないことのほうが圧倒的に多い。 そういう意味で Google と MS を比べた場合、MS のほうが動ける空間がはるかに広く、 多くの可能性にめぐまれている。 なぜなら、これらの問題のほとんどはインフラの外の問題だからだ。 ただし今までのところ MS の動きがどうしようもなくアホいので、 いまだに PC はしょせん「ネットができりゃいい」程度の不便な 「インフラのみの機械」のままである。
新山はここが気に入らない。計算機には検索と通信以外のこともやってもらいたいと思う。 といって、こいつらに人間より賢くなってほしいとも思わないけど、 純粋な「情報のための情報処理」にはもう飽きた。 いまやってる研究に興味が持てないのはそのためだ (と思う、たぶん)。 情報を (狭い意味で) 検索したり、収集したり、整理したりするのは、 商売としては悪くないのかもしれない。でも、こんなん カネほしさのためでなきゃやってらんねーよ。 情報検索やってる人間をみると、彼らにとってはこの分野全体が まだ退屈じゃないと思ってるらしいので不思議だ。 「儲かるから楽しい」というのなら理解できるけど、たいして進歩もないし、 それ以外の理由があるとしたらオレには理解できんね。 ま、連中の勝手ですけど。「なにか新しいことをやってる」という気がまったくしないんだな (たとえ手法そのものが新しいとしてもだ)。 自然言語処理をつかってさえ、世の中にはほかにもっともっとおもしろい巨大な (というか、新山の価値観では“重要な”) 問題があるでしょうに。 もちろん、彼らにそんなことを言っても酷だけど。とにかく、 サッサと自分の研究を完成させて卒業しないとな。
(追記) いまこれを読み直してみたら、自分の書いた文章に自分でムカっときた。 オレって才能あるのカモ?
ばばがぬーし。
どうでもよいが (どうでもよろ, DDI)、ニューヨークでは Falafel、 Hummus と同じくらい有名な 中東料理の「ばばがぬーし」 (このうちのどれも日本ではほとんど知らなかったが) は、どう綴るのが 正統なのだろうか。NY でも、店によって綴りが違っていてよくわからない。
Google のスペルチェッカーも、もとから表記があいまいなものについてはどうしようもないようだ。 でも中東系の名前では、こういう表記のゆれは結構よくある (いま米国の自然言語屋での注目は中東関係のニュース・言語なので、これを研究してる人はたくさんいる)。 いちばんひどいのが、 "Koran (コーラン)" と "Quran (クルアーン)" だ。 これは日本語でも分かれているが、最近では "Quran (クルアーン)" のほうが原語に近いとされているが、 大手の新聞 (NYT とか Post、Reuters など) はいまだに "Koran" を使っている。 中東やインドの英語新聞だと "Quran" を使っていることが多い (Google News で検索してみればわかるよ)。 しかし、この「原語に近い表記ほどイイ!」っていう思想も、 すでにこれほど有名になった表記をいまさら変えることが許されるかっていうと、謎だよな。 いくら原語に近いからといって、いまさら「ウィルス」を「ヴァイアルス」に変えるか? (むかしは「ビールス」って表記もあった) コマンド名の "mv" を "move" に変えるか? QWERTY を DVORAK に変えるか? (いや、これは別の話) なんにせよ互換性を重視しないヤツはダメなのだ。 まあオレは重視しないけどね。
さらにどうでもよいが (沙羅-どうでもよろ, SDDI)、新山が勝ち負けを問題にするのは どうでもいいことだけである。どうでもよくないことについては、 そもそも勝ち負けを問題にする時点であの世に片足つっこんでる、 という気がしてならない。
ところで、日経のニュース見出し「仏の七面鳥の鳥インフルエンザ、H5N1型と確認」
というのをみて、 「ホトケのツラの島? それとも、仏頂面の島? どっかの島に“仏面鳥”ってのがいるのか? それともホトケのツラを 7度まで見れる島があるのか?」 と思った。しかしその感覚は 2秒ほどで消えた。
「仏」という文字のちかく (右側) に「面」という文字があると どうしても「仏頂面」という単語を連想する。 しかも「鳥」がまさかこんな短期間で 2度くりかえされるとは思わないので、 2度目の「鳥」は「島」に見えてしまうのか。
さあ、あなたはこのうちどれ??
htdocs
うんたらが全部 NFS で、
しかも別のサブネット上のマシンに置いてある。
おまけに新山はこのマシンで root になることができないので、
httpd.conf
を書き換えるときもいちいち管理者に
オネガイせねばならない。URL に /cgi-bin/
を入れずに
http://なんとか/wiki/foo/FrontPage
でアクセスできるようにしたいが、
宇宙をいっこつくるたびに毎回 ScriptAlias
を追加するよう
オネガイするのはめんどくさいので、ScriptAliasMatch を使ってくれ、
ということにした。こうする:
ScriptAliasMatch /wiki/([a-z]+)(.*) "/home/apache/cgi-bin/moin/$1.cgi/$2"
そんで /cgi-bin/moin/foo.cgi
が宇宙 foo
への config を参照しておくと。
しかし仕事とはいえ「あぱーしぇ」なんかをいじるのはムカつくぜ。 とりわけ、このように設定ファイルに正規表現を使うのなんざは 罪悪感を感じる。 このために毎リクエストあたり一体何サイクルの CPU時間が無駄にされてんだかと思うと夜もねむれない。
どうでもいいが、この「維基」って翻訳は へれんによると名訳だそうである。中国人はまだそういう才能をもっているんだろうな。 なんでもカタカナに甘んじている日本人からは、すでにこの能力は失われた。
ぺるみっと (permit)。
/etc/rc.d/sshd
の中で、
/usr/sbin/sshd
のかわりに /usr/local/sbin/sshd
を
起動させたいのにどうしても /usr/sbin
のほうを見てしまう。
いろいろ調べていたらこれは /etc/defaults/rc.conf
の変数
sshd_program
で定義されていることがわかった。
このファイルの中身はひととおり目を通しておいて損はないと思う。
システム管理の仕事はつねに rc
を理解するところから始まる。
といって、オレはぜんぶ理解していないけど!
(追記) Tropical Semi Ring というのは S(R+{-∞}, max, +) という半環で、この枠組み (っていうのかしらん) を使うと、 多項式によってヘンテコな (カクカクした) 形のグラフを表すことができる、らしい。 たとえば f(x,y) = y+max(x,a) などとすると、これは x=0 のところで 45度に折れ曲がった グラフになる。で、なんでここで -∞ が実数の集合に入っているかというと、 これは代数における零元というものらしく、グラフ上ではこれが普通の幾何学でいうところの 原点の位置にある。ヘンなの。で、今日のおじさんはこの Tropical Semi Ring をさらに 拡張して、よりこみいったグラフを表現できるようにした。 まず、実数が 2種類ある。T = R' + R +{-∞} で、max (これはふつうの数学における + に相当するらしい) と + (これは × に相当する) を、なんか場合分けの入ったヘンテコな演算で置換する。 たとえば「a $ b」は、a≠b ならば max(a,b) なのだが、 a=b のときは a ←→ a' で数直線上の反対側に行くとか (基本的にわかってないので、適当に書いているけど)。 そんで、グラフに書くときは零元 (-∞) をまんなかにして、両側に R' と R を描く。 零元はマイナス無限大なので、実際には原点と座標軸のまわりは「…」で省略されているのである。 ヘンなの〜〜。生物学などの組み合わせ理論に応用がきくかもしれない、 といっていたが、いまのところアプリケーションは未定らしい。 つまりほとんど純粋数学なわけだ。ほとんどの CS とは関係がないと思ったが、 数学屋ってこういう世界をいじってるんだな、というのがチョッと垣間見えた。 これほど別世界の話を聞くとなんだか逆に頭がリフレッシュされる。 これって代数幾何?
そして帰ってきてみたら、またもやあやしいトーク (ぺるりん先生主催) のアナウンスが…
はっきりいって、大学では毎日のようになんらかの講演やら
セミナーやらのイベントがあるので、毎日出ていたら研究できない。
それはわかっているのだが。どうでもいいけど、 MIT のメディアラボって
「なんかアヤしい人目を引くことばっかりやってる」って印象があるよな。
ただのアヤしいことを研究するのは結構なのだが、ここに「人目を引く」が加わると
それは本当に信用できなくなる。今日のトロピカル半環はまったく人目を
引かなそうな研究だが、問題意識はちゃんとあるので好感がもてるよ。
Monday, February 27th, 2006 at 5pm
719 Broadway, Room 1221
"Context-Aware Computing: Understanding and Responding to Human Intention"
Ted Selker
Associate Professor, MIT Media Lab
きょうも ssh のマニュアルを訳す。やってらんない度 1729%。 いちばん大変なのが「どこの部分が本当に変更されてどこの部分が移動したのか」をつきとめる作業である。 はっきりいって、全部最初から訳したほうが早いんじゃないかっていうくらい。 オレは GIZA++ じゃないぞ!!
http://traiss.tabesugi.net:8080/lwn/5a9e3c762ddb949cc8fb09de98877a18
さいきん Slashdot のほうに全然手をつけられない。 いろいろ忙しくってねえ。
きょうは結局、Firefox は 1.0.7 にもどした。 1.5.0.1 はどうしてもアウトラインフォントを使いたがるので。 オレはアウトラインフォントなんかいらねえって言ってるだろ! トロ遅くなるうえに、ボケボケしていてかえって見づらい。
どうでもいいけど、目覚まし時計へ: キミ、人間でなくてよかったね。 律義に鳴っても新山が寝ているときだと無視され、 起きているときだとムカついてひっぱたかれるんじゃ たまんないよね、ふwa
しかし正直いって、オリジナリティのあるやりかたで人に認知されるのは、 一般的にかなりむずかしいと思う。(犯罪者になることを除けば)
ふとそう考えた。事例を見ることは、いろいろと参考になる。
/
をまるごと共有しておいて、/var
だけ書き換えるとか)。
しかし新山はすこし (≒かなり) 遅れていったため、技術的な部分のほとんどを
聞きのがし、あとはほとんど質疑応答だった。かなり技術的に踏み込んだ話をしていたみたいなので
ザンネンだ。誰かが「*BSD に移植する計画はあるの?」と尋いていたが、基本的に
いまのところは Linux でしか動かないようだった (しかし、とくにポリシーや
技術的制約があるわけではなく、たんに今のところ誰もやる人がいないということらしいが)。
なんか疲れてたので終わったあとは飲みにも行かずに帰ってくる。
どうでもいいが、場所はいつもの IBM 57st. ビルだったのだが、
ここのトイレはおそらく新山が見たニューヨークのトイレの中でも一番キレイなところであり、
布団引いて寝れんじゃないかと思うくらいキレイに掃除されているので、
いつも必ずトイレに寄るようにしている。どうでもいいがね。
chuckle, chuckle.
setf
の返り血を式中で使うのわゆるせん!
あほな例:
ここで定義した関数
def cmp*1((x1,(y1,z1)), (x2,(y2,z2))):
return cmp*2(len(x2),len(x1)) or cmp(len(y1),len(y2))
items = sorted(dic.iteritems(), cmp=cmp*1)
cmp
*1 の中で呼び出している
cmp
*2 は、組み込み関数を意図していた。
ところが実際にはここでもまた cmp*1 が再帰的に呼びだされてしまうため、
unpack non-sequence になる。