砂時計の砂。
にょろりn
そういえばきょうの夢の中では死んだはずのバアちゃんが出演していた。 オレは途中で「アレ? そういえばこの人もう死んでるよなあ」ということに気づいたが、 「ま、世の中そういうこともあるだろう」と思ってふつうにしていた。 夢の中では異常に頭がサエているときと、このようにどことなく頭が トローンとして酩酊な状態のときがある。しかしオレはサえているときよりも 酩酊な状態のほうが好きだ。実生活でもこれくらいの「のほほん」ぶりを発揮できれば、 オレももっと大物になれるのだがなあ、と考える。
$ openssl s_client -connect www.defcon.org:443 CONNECTED(00000003) depth=0 /O=www.defcon.org/OU=Go to https://www.thawte.com/repository/index.html/OU=Thawte SSL123 certificate/OU=Domain Validated/CN=www.defcon.org ... SSL handshake has read 1420 bytes and written 314 bytes --- New, TLSv1/SSLv3, Cipher is EDH-RSA-DES-CBC3-SHA Server public key is 1024 bit SSL-Session: Protocol : TLSv1 Cipher : EDH-RSA-DES-CBC3-SHA Session-ID: 93003DF7817D1775C2C66841F70FA50E1067AB817898B9E03E0D2DBCC91A5C4D Session-ID-ctx: Master-Key: 34AC5AFC670BC7049B9F4F05579CB5126E5830D5C7B4DB40D7EEA7130CE8AE4270F85FD4877B7ED49C6F1B53EE882EF2 Key-Arg : None Start Time: 1152993344 Timeout : 300 (sec) Verify return code: 21 (unable to verify the first certificate) --- HEAD / HTTP/1.0 Host: www.defcon.org HTTP/1.0 200 OK X-xxxx:xxxxxxxxxxx Date: Sat, 15 Jul 2006 19:55:52 GMT Last-Modified: Sun, 04 Apr 2004 18:16:27 GMT Content-Type: text/html Content-Length: 44 closed
ちなみにウチではこうなる:
$ telnet tabesugi.net 80
Trying 127.0.0.1...
Connected to tabesugi.net.
Escape character is '^]'.
HEAD / HTTP/1.0
Host: tabesugi.net
HTTP/1.0 200 OK
Server: publicfile
Date: Sat, 15 Jul 2006 20:16:51 GMT
Last-Modified: Sat, 30 Apr 2005 23:09:22 GMT
Content-Type: text/html
Content-Length: 791
Connection closed by foreign host.
しかしさあ、defcon でも phrack とかでもそうだけど、 いわゆる「ハッカー」はなんでいつもああいうセンスが好きなんかね。 このへんがもうどうしようもなくカッコ悪いっつうか、ガキっぽい。 「珍走団」と同じカッコ悪さを感じる。あれなら、トラック野郎的センス (「男一匹」とか 「浮気なお前」とかデッカく勘亭流で書いてある) のほうがまだましだと思う。
小説家ってのはひとつの文を書くのに信じられないほどの 時間をついやして考えあぐねる人々のことだと思っている。 たとえば新山は 4000字ほどの文章を 2年間ぐらいかけて書いたことがあるが (小説じゃないけど)、 あんなのはもうめったにできないね。
“男性化する風呂釜”とか、
“東急化する戦勝国”とか、
“鱒二化する井伏”とか、そんなもの。どでもよろ
ふn、自我の生えそろってないガキどものくせ
に
こんなことではまったくダメである。 ああ、ダメだダメ田!! ダメ野郎だおれは!!!
「ダメ野郎倒れ」って何》??
チーズおかき
デモソンナコトデウシナワレタカコガモドルトデモオモウノカ
そそらく (おそらく) この言葉の意味がわかるのは世界に 3人 (うち新山が 1.8人分を占める) だと思うので、 あんまりどうでもいい。
そうだヒマなので会社の話でもしようか。 はっきりいって、もう 2ヵ月にもなるのに、そろそろ飽きてきた (ちっとも論理的に順接が通ってない順子である (←しェンコと読むのではない (←それも意味不明 (cdr ())) が))。 しかし、これでもインターンは正社員にくらべてはるかに自由で制約がなく、 好き勝手にやらしてもらっているホウなのである (ようするに “ぜんぶ 100%”なのだ)。 これが正社員になるとものすごくつまんなそう。 しかしね、オレは何が不満かっていうと、制約がゆるすぎることなのだよ。 「なんでもお前のやりたいようにやっていいから」って言われてるのだが、 それじゃ大学の研究と同じじゃんか。そしてそのわりには大学ほどの自由はないのだ (まあ、大学もそんなに大した自由はないが、ボスに逆らって研究テーマ変えてもクビにはならないから)。 どうでもいいが、ここにしかと記録しておくが、セキネさんが ssh の設定をするというので 新山の本を貸したら、彼は返すのを忘れてそのまま日本に発ってしまた。 あと 1ヵ月は帰ってこない。オイコラぁぁ! あれはオレの「保存用」なんだぞおお! (ちなみに、もう一冊は別の人にあげてしまいました)
…てくるで。
この式はこりゃ確実にエラーールだね!!
…と思ってやってみたら NIL
が帰ってくるだけだった。
これダカラ Lisp はきらいだというんだ。
(なにか言いたくなったらあなたの負けです)
もう秋も末なので、夜になるとかなり暗くなります。 フィリフヨンカは夜がきらいでした。 まっ暗やみを見ているぐらいいやなことはありません。 まるで底なしの穴に落ちこんでいくような気がします。 なので、毎晩ゴミバケツをお勝手の外に出すときも、いつも 目にも止まらない速さで置き、すぐにドアを閉めていました。ところが今夜は外に出ると、 なぜか外の暗闇に向かってじっと耳をそばだてました。 スナフキンが、彼のテントの中でハモニカを吹いていたのです。 それはかすかな音でしたが、じつに美しい調べでした。 フィリフヨンカは自分では気づいてはいませんでしたが、 じつは音楽が好きでした。彼女は恐怖を忘れてそこに 立ちつくしていました。しばらくしてフィリフヨンカはため息をつき、 バケツをそのままそこに置いて家の中に入りました。 結局、バケツのゴミを捨てたのはホムサでした。-- ムーミン谷の十一月
他人のアイデアをただ「パクる」のは簡単なのだが、 それを噛んで消化することはそう簡単ではない。 いつも、自分がちゃんと噛まずに「ただパクっているだけ」ではないのか、 ということが気になっている。それは単にカッコ悪いというだけではなくて、 実際に不健康だ。
いま、「今日はきわめてまったくクソあちい」と書こうとして typo し、 その結果が「クソあっち」だたので、30光年ぐらい爆笑し戻ってきた。(カヤックで)
ちなみに (ちぬみに) ゆうべの夜がそもそもクソあちかった。 ああそうだよおかげでオレは今日ひどく寝坊したよだがそれが文句あっか。 ない。nぁいに気まってる。ほんとうにぬい nkf (ぬくふ。)
あなたは言う。 新山がオカシク見えるのは新山に悪魔がとりついているためであって、新山自体がオカシいわけではないと。
つまりそれは観測する側の立場によってだ! だからハイゼンベルグな猫以外はそれについて語る■はない。
ところで最近自分の無力さをつくづく感じる。 (てくるで)。
というのは自分に与えられた何もかもを全部こなそうとするとこうなるわけで、
つまり結論: 何もかも全部やるな。
<p.
これなぞは自分が「頭ではわかってるけど感情ではワカってない」ことの典型例なわけで。
つまり年のためもう一度同じことをくり返すと: 「何もかも全部やれ、さもないとお前は 109匹の穀潰しと同様」
<div right=align>
シュれディng-だてっば,「正常」というのは、「もし日本人100億人の統計をとったらすべての平均でオレとまったく同じようにふるまうことだ」 という意味にちがいなく、つまりオレはまったく正常以外の何者でもありえません。
ところで宇宙一の発明というのは“味の素”に違いないと最近なかんずく信ずるようになった。 もしこれが理解されないとすれば、いまカミナリ君がゴロゴロ鳴ってるんだけんど、 ああそんなこよりともう死にたい。もう死ぬ。死ねばいいんだこんな壁。豆腐、豆腐、 (注意: 37パーセク以内からのこのページの閲覧を禁じます)
シュれガンディ--?
このようなオモチャが干しい方は、 マークを 3枚あつめて送ってください。 抽選で毎週毎週もれなく3000名様が当たります!!
…今日はいつになく狂ってるって? まあそういうな。
きょうはまた久しぶりに Jay の喋りをきけて楽しうございました。 Jay と Kenny が 2人で言い合っていると不条理なかけ合い漫才みたいで ホントにおもしろい。いいよね〜〜。2人の爆発ぶりをお見せできないのが残念。 そんできょうは Mike も入りこんでさらにワケのわからない会話になっていた。 なんでこの人々はこんなにテンション高いのだろう?? 日本では酔っぱらってもこんなにテンションが上がる人はそうそういない。 で、みんな早口でバーーーっとまくしたてるので、新山のように 英語が遅い人間はほとんど会話に入りこむタイミングがない。 つまりもっぱら聞き役ってことだけど。
それにしても、あのバーのトイレに行くと毎回 「先月のミーティングからもう一ヶ月たったのか」と思ってしまう。 ほんとに毎日のたつのは早いなあ。
そういえば、きょうは gおぉgle の恐るべき世界征服戦略について話していた。 ユーザがなんかキーワードで検索したときに、そのページがもし見つかんなかったら、 そのタイトルのページを動的にこしらえて 検索結果に表示すればよいのである。もちろん中身はテキトーに それらしい語句をちりばめたインチキ文をうめておく (こういうときに自然言語処理は大変お役に立ちます)。 こうすれば「どんな検索でもできます」というフリができるでわないか!! さて、これを実現するためには google は「もっともらしい」ニセのドメインを .com やら .edu やらにいくつか取得しておく必要があるだろう。 そして、検索結果が見つかんない! となったら、すばやくそれらのサイト内のどれかに (学術的な用語だったら .edu を使う) ページを生成してそれへのリンクを返せばよいのだ。 すばらっし。しかしそれが可能ならもうよそのページをパクってきて勝手に 取り込んじゃうって手もアリだな。それなら気にいらない表現も改竄できるし、言うことなし!
(食べ主義)
ところで (てくッるで、) 最近流行っているらしい 「キレる」ってどういうことを指すのだろう? キレるとカッコいいのかな? 本当に頭ん中で「ぷちっxtu」っていう感覚があるんだらうか。 脳溢血の人はそういう感覚がホントにあるらしいが、新山の知っている 唯一の「キレた」感覚ってのは、忘れもしないおととしの夏にベルリンの 安宿でタオルを干そうと思いっっっっきりキツく絞ろうとしたら 右手の手のひらの内側でホントに「ぶぢっ゛っ゛」って 感覚があって、見事に内出血デロデロでした。 あれはホントにまいったなあ。以来キレないように気をつけています。 また旅行いきたいな。
PDFParser
に処理を一元化させていたのをいくつかに分割し、
PSBaseParser
: スタックを使わない基本的な字句解析のみ
PSStackParser
(PSBaseParser
) : スタックを使った拡張可能なパーサ
PDFParser
(PSStackParser
) : PDF のキーワードに対応したもの
CMapParser
(PSStackParser
) : CMap (= いんちき PostScript) に対応したもの
オレは一体何をやってんだ??
そのあと街を歩いていたら、 いたるところで「イっタ〜リア! イっタ〜リア!」と叫びながら (野球における「かっと〜ばせ!」と同じ調子) 歩いているアホを見かけた。
こういう資料はおもろいわなあ、やっぱ。
ホントに??? ??
ボタンをやたらに押すとよくないことがおこるよ!
Buttons are for idiots.-- Theo de Raadt
話は変わるが、会社で仕事していて「ああ、cdb を使いてーー」と思うことがかなりある。 いまの会社で使っている (使わされているといったほうが正確) データ形式はかなりアホなもので、おまけに、設計のセンスも悪い。 「ああ、こんなアホいことしなくても cdb だったらもっと簡単かつコンパクトなのに…」と 思うことがしょっちゅうある。 ちなみに、大学でやってる研究では新山は cdb に圧倒的に依存しており、 これがなくなったら何にもできませんぬ。
てくるで (ところで)、今年はオレは墓参りに行けんのかな。 (新山はなぜか知らないけど墓参りがすんごく好きなので。) どうでもいいけど (どうでもよろ) 「墓参り」は「参」という字をつかうことが多いのに対して、 「二年詣り」はなぜか「詣」という字をつかいたい気分である。 基本的に「二年詣り」は「初詣」と同じモノだからか? しかし「まいる」ってのはもともとは「行く」って意味で、語源は同じはずだよな。 ついでに、「精霊」という熟語はキリスト教で使うときは 「せいれい」と読むが、仏教で使うときにはなぜか「しょうりょう」と読みたいような気がする。 なぜかっつうと「しょうりょう」って読んだ方がカッコいいじゃん! 新山の中にはどうもキリスト教ってのはドンくさい宗教で、 「仏教 == カッコいい」というイメージがあるようだ。
どうもポエポエな感じ。
しかし、人生においてそんなに研究 (ここでは“学術的な”研究という意味) が重要か? とも思う。 正直なところは。
たとえば、H嬢がつい最近やってしまった以下のホラーを見よ:
これ、ファイルじゃないですよ。ディレクトリの大きさが 11MBytes ですよ。
試しに
$ ls -l
drwxr-xr-x 3 xxxxxx xxx 11112448 Jun 14 04:05 XIN200305
ls -l
してみましょう:
まだ百万いってなかった。オレの予想は外れた。
H嬢に「ext3 のディレクトリは線型探索なんだよ」とっても
彼女はそんなこと気にもしてくんない
(ちなみに Ralph は今日はじめてこの事実を知ったらしく、ショックを受けていた)。
それで「シェルでワイルドカードを使うと毎回 10秒ぐらい帰ってこないのよ〜〜」とか
文句いってんだぜ。あたりめーだろ。
こっちはこれのバックアップをとるためにどれだけ苦労してると思ってんだ。氏にやがれ、チクショウめ。
彼女は「こういうのをサクサク処理してくれる魔法のソフトウェアがどっかにフリーで落ちてないの?」というが、
それは「白馬に乗った王子様がどっかにフリーで落ちてないの?」というのと同じような質問だと思われる。
そもそもこいつはソフトウェアを金出して買ったことが一度でもあんのか。
ったく、あやしいモンだぜ。
$ time ls -l XIN200305/ | wc
208827 1879436 20983165
real 0m23.974s
user 0m2.680s
sys 0m3.380s
ソフトウェアにほとんど金をかけない新山でさえ、これまでの生涯で合計 10万円ぐらいは パッケージソフトに消費してると思う。いや、もっといってるかな。
そういえば、きょうはまたぞろ「今後の研究の方針」について あーでもこーでもないという話をしゃべっていたのだが、 あいかわらづ H嬢の目ざす先が何なのかはっきりしない。 まあ、もっとも、新山も現時点でたいしてはっきりしてるわけじゃないのだが、 少なくともオレは希望ははっきりしてる。だけど彼女はそもそも 希望からしてはっきりしてない。結局のところ、彼女には彼女なりの 「カッコよさ」の基準があって、その基準に沿って「上に登って」 チヤホヤされたいんでしょ? ということはわかるのだが、 それをあんまりハッキリ言うと怒られるので (そりゃそうだ)、 なんとなくあいまいにボカして言う、というのが、新山はとっっても苦手です。 へんな文章。そんで「こういう手法はどう思う?」とか尋いてくるので、 新山はこういうときに甘やかしてもロクなことないと思ってるので、 「つまんなそうだけど、やりたきゃやれよ」と答えたら、なんか不満そうな顔。 なに、なんか誉めなきゃいけないわけ? そういうのは旦那に言え! (ちなみに彼女の旦那も博士学生なので、あんまりいい答えは期待できそうにない)
しかし「やりたきゃやれ」というのは、オレにとっては勢いっぱいの 誠実な答えなのである (日本語でいうとなんかヤリナゲな感じだが、実際には "if you wanna do that, go for it" と言っている、英語でもなげやりか)。 もしその研究を本当に「やりたい」のであれば、どんなことがあってもやるべきだ。 べつに教授が文句を言うとも思わないし、とくに技術的に問題があるとも思えない。 人から何と言われようとやりゃあいーじゃん。しかし、彼女はそこまで キチガイ的なわけでもないんだろう。だったら、無理しないで今のテーマを テキトーにやって終わらせれば? たぶん今くらいの成果があれば卒業できるよ、きっと…。 とも言ったのだが、この対応がまたじつに不満そうなんである。 もー、なんなんだよ一体? 新山は、これはポーズにすぎないということを見通しているが、 こういう中途半端に「迷いのある人」ってのは見ていてイライラしてしょうがない。 A嬢みたいに「家庭の事情」で帰らなきゃいけないわけでもなし、自分の意思を通そうと思えば 自由にできるのに、こういう人々はいつも自分で束縛されたがっているのだ。 見栄っぱりな人というのは多かれ少なかれ奴隷根性をもっている (そもそも見栄っぱりっていうのはたいてい自信のないヤツなんだから、 奴隷根性になるのは当たり前のことだ。まったく同じ理由で、 某国も長年、アメリカの奴隷をやっている。 まあ世間にはこういうタイプの人間が多数必要なのかもしれない)。 新山もときどき“修行”と称しておかしな真似をするが、 究極的には何もかも結局のところ「好きでやっている」と言うしかない。 この点においては新山はじつにスッキリしている。 しかし世の中にはスッキリしてない人もいるようで…。 オレにはわからん。まあ、わかる必要もないんだよ、きっと。
あー、なんか機嫌が悪い? そんなことない。
きょうは寝不足したせいか、目を大きく見開くと眼球が目からこぼれ落ちそうになってこまった。 いや、そんな気分がしただけだケド。 っぢ (← "ddi" と打つとこうなる)
オレは が好きだ。 には非常にお世話になっている。 これがなかったらオレの人生はもっとつまんないものになっていただろう。
(ソースを読みなさい_)
問. 上の文章で作者の想像力が欠如していると思われる点を 7箇所あげよ (22点)。
ちなみに wikipAdia には 22/7 が π より大きいことの証明 がある。クール! 高校程度の数学でできたとは!
ちなみに、このプロジェクトは多国語 (中国語・アラビア語) で 重要な情報を検索・抽出するもので、自然言語処理関連では米国の国家プロジェクトとしては 過去最大といわれている。 しかしこれがとんでもない火の海でして…。 入力は中国語とアラビア語の音声ニュースであり (どうしてこの 2言語が選ばれたのかは明白ですね、 日本語なんか絶対選ばれゃしません)、これを最終的に計算機が解析して 英語の質問応答型の検索システムにするというのが目標なのだが、こんな複雑なタスクは一個の機関じゃとても できないので、いくつもの大学や企業が共同でシステムを製作する。 プロジェクトの主眼は「競争」であり、いくつかの競合する「チーム」に分かれているのだが、 ひとつのチーム内でも最終結果までのパイプラインが尋常でなく長くて、大まかにいうと
おそらくいちばんの問題は、自然言語処理の研究者の 99% が 「システムの設計」というものをまったくわかってないというところにある。 いいかげんなデータ形式に、落ちまくるプログラム。再利用のきかない、わかりにくい構造など。 そしてコミュニケーションのやり方もひどくまずい。 ある大学の教授は「オレが一番えらい」と思ってるらしいとか、 またある先生はあまりにも学者すぎて、具体的なシステムにちっとも話が及ばないとか。 もちろん新山だって大してわかってるわけじゃないが、 他の連中はあまりにもわかってなさすぎだ。こいつらはホントに大学出てんのか、とすら思う (米国ですらこうなんだから、某国でどうなってんのかは想像がつきますよね)。 一般的に、自然言語の研究者というのは「自分が工学をやってる人間」だとは あんまり思っていなくて、「自分がやってるのは (より高尚な) computational linguistics なのだ」と 思いこみがちなのだが、はっきりいってそれは包丁の研ぎ方をしらない 自称“料理研究家”みたいなもんですぜ。で、工学をやってると思ってる人間も、 「工学ノウハウのかたまり」である家事についてはまったく知らず、常識的なセンスがなくて どうでもいい (と新山には思える) 部分をオーバーデザインしたりする。 まあ、しかしこんなのは巨大システムの設計をしようとすれば絶対出てくる話で、 おそらくどこの業界でも起こっていることだとは思うけど。 ようするに「巨大システムなんか作ろうとするな」って結論でおしまい。 そもそも、この GALE に限っていえば、こんなモンは某国の重宝機関以外にはまったく必要ない。
ちなみに、巨大システムにまつわるコミュニケーションの問題を解決する方法が 少なくともひとつはあって、それは関わっている人間を「宗教」の覆いですっぽりくるんでしまうことだ。 だから戦時中の日本や昔のオウムには巨大システムをつくる能力が実際にあったと思うね。 ただしどっちも (幸いなことに) 資源が不足してた。しかしこうった団体はいま現実に存在する。 それは潤沢な資金とイデオロギー (= 宗教) に洗脳されたオタクの集団を抱え、 一般人からは「世界一の検索エンジン企業」とか呼ばれている。
ちなみに、Stern って学費がメチャ高いため、学生は金持ちばっかりである。 いや、うちの大学はタダでさえ学費が高い (? 論理的に矛盾) のだが、 Stern はハンパじゃなく高い。年間 5万ドルぐらいするらしい。 「ブランド費」だからね。あーアホらし。 商社出の日本人もけっこういて、彼らは会社のカネで留学してるうえに、 Upper East あたりのチョー豪華マンションに住んでたりする…。
こう暑くっては外出できませんょ
H嬢はまだ大学にいるらしい。いいかげん帰れよ。 しかし IM 上でエラーでた…とかいってきたので、報告をうけてうだうだスクリプトを修正する。 オレはあんたのお守り担当じゃないぞ。 だけど Ralph はほんとうに彼女のベビーシッターって感じだなあ、 はっきりいって…。彼女がほんとうに卒業したあと研究者として自立できるのかどうか、 じつにあやしい。
きょうは会社が休みなので、 トチョカン (図書館) へ行ったあとに大学にまいもどって、 H嬢の与える地獄のプログラミング課題のつづき。 ってゆーーか、ってゆうか、腐ってるよこの仕様は。 どう考えても腐ってる。
図書館ではまた日本語本を片っぱしから借りてきてしまったが、 よく見ると「ああ、これ実は前に読んでた」っていうのがときどきある。 NY で読んだんじゃなくて大田図書館で読んでたってやつね。 ホントはきょうは 3時間ぐらい図書館でねばるつもりったのだが、 途中から偏頭痛が起きてきて耐えきれず 1時間半ぐらいで おサラバ。だいたいいつもオレって、ああいう理想的な環境にいるときにかぎって 偏頭痛が起きてたり、頭痛がないときはネムくて とても本なんか読める状態じゃなかったりするな。まったくふんとにもう…。
どうでもいいけど、このたび本を書いたのですが、 きょうはじめてその実物が送られてきたので見た。 想像していたのよりウスっぺらかった。薄い本は扱いやすいのでいいのだが、 消費者として言わせてもらうと、コレで 2300円ははっきりいってちょっと高い。 もちろん自分としては手を抜いたつもりはまったくないが、 少なくとも貧乏性のオレはこの「ウスさ」が気になる (追記: しかし編集さんに「なるべく薄い紙を使ってください」と注文したのは新山であった)。 2100円ぐらいだったらもうちょい売れたのに。1900円で出せたら理想だな。 (注意: 新山は出版社の方々の苦労をまったく知らずにこういうことを書いています)。 でも、どのみち一般人にはまったく用がないマイナー本なので、 あまり値段で売り上げが左右されないのかな。ようわからん。 しかし著者という立場からいえば、売り上げを最大化することが目標じゃなく、 なるべくいい本をなるべく安く出すのが目標だと思う。 どのみち値段を決めるのはオレじゃないんで、ここで文句をいったところで どうなるってもんでもないけど。
(やや微妙に意味不明でない日本語、意図してもの)
ぞっ
(追記) ちなみに、あるべァんdictぃおんaryには Hyndai の 代替句として CHONDA (チョンダ) というのが 載っているが、このエントリはたぶん日本人が書いたものだろうと思われる。バレバレだね。
オレだけじゃなかった。 なんしろジャイアンの殺し文句は「心の友よ」だかんな。
さて、けふはもるがん・ライブラリーにいってきた。 ここ数年、いってなかったのだが、改装されてから大幅に変わてっいた。 はっきりいうと、ここはかなりおもしろい (新山的に)! 中世美術はあんまり興味なかったが (そういうのは met.org にもあるし)、 おもしろいのは 「印刷物」の展示である (ちなみにこのような所では「本」といっても手書きの本 (manuscript) と 印刷された本 (printed book) は区別されている)。 ここは世界で唯一、グーテンベルグ聖書を 3冊も! 持っているところで、 その希少本のすごさに関しては NYPL なんか足元にも及ばないぐらいすごい。 Pierpont Morgan の「本フェチ」ぶりをつくづく感じる。 まあ、こう思うのは新山もわずかに本フェチだからだろうけど。
こういう古い本を見てつくづく思うのは、 活字 (英語で movable type) 文化における欧米と日本の圧倒的な「伝統の差」とでもいうものだ。 いまでこそ日本は技術的に世界一ってくらいのハイテク印刷国家だけど、 欧米と比べると歴史が違う。とくに感動するのは、英語なんかだと 16世紀ごろの本なんぞ見ても、それなりに「読める」ってことである。 さすがに英語は古くて、"Printed" のかわりに "Imprinted" って単語が 使われていたりするが、活字をみるかぎりは表面的には ほとんど現在の本と変わらない。こんなものが 500年前から残っているというのはすげえと思う。 それにひきかえ日本で 16世紀といったら江戸時代より前じゃんか。 この時代に書かれた本をすらすら読める奴なんている? そもそも日本で活版印刷がまともに普及しだしたのは明治になってからだ。 オレには行書体の文字など追うことさえできないだろう。
しかしじつは、ルネサンス期の画家が描いた スケッチ なんぞもかなり気に入ってしまった。 基本的にチョークや鉛筆でササっと描いて、あとで適当に茶色インクで陰影をつけましたって感じなのだが、 素朴な感じがじつにいい。あのころの画家っていうとやたら色調のどぎつい絵とか、 偏執狂的なまでに稠密に書きこまれた人物像って印象が強いのだが、 じつはラファエルとかレオナル度・ダ・ヴィンチとかは圧倒的に「ラフな鉛筆画の人」だった。 天使やらを描いた絵はどことなく絵本っぽい感じもする。 新山は物心ついたときからすでに 山脇百合子 のファンだったが、彼女の絵が好きな人はきっとこういうのも好きだろう。
どうでもいいけど、グーテンベルグ聖書ってすげえデカイんだよ。 40センチぐらいあるうえに、ぶ厚い。カバーもカタくて激重そう。 あんなんじゃ読み終わってもブックオフに持って行けない。
考えてみると、言語や書籍が好きな人間にとって NY は じつはわりと観光しがいがあるのかもしれない。本屋も図書館も腐るほどあるしよ。 はっきりいって、オペラやミュージカルやクラブやライブハウスがすべて世界から 消滅しても、新山にとって NY にはまだまだ見るべき場所が山のように残る。 というか、たとえそうなってもいまと変わんない。
結論: また行こっと!
Document ID: b66846036321bfebb0d637b9bc61d31f
Yusuke Shinyama