気がついてみたらもう 8月じゃねえかチクショウ。 ページ変えなきゃ。(→変えなか。)
さらに短かい結論:
ぜんぜそ。
きょうは午後に雨がふって、やや涼しくなった。 といってもあいかわらず熱帯夜だけど…。 昨日みたいに、「夜中なのに 32℃」というようなキチガイ的な状態ではない。 明日からはようやく普通の暑さ (30℃ くらい) にもどるらしいので、 まあいいか。todo.
言わなくてもいいことを言うべき時に言い、
言うべきことを言わなくてもいい時に言うのことよ。
以下のようなエラーの羅列はどういった場合に出されるのか述べなさい (0点):
$ g++4 aho.cc
/usr/local/gcc4/gcc-4.0.2/lib/gcc/i686-pc-linux-gnu/4.0.2/../../../../include/c++/4.0.2/bits/functexcept.h:43: error: expected constructor, destructor, or type conversion before 'namespace'
/usr/local/gcc4/gcc-4.0.2/lib/gcc/i686-pc-linux-gnu/4.0.2/../../../../include/c++/4.0.2/ext/new_allocator.h: In member function '_Tp* __gnu_cxx::new_allocator<_Tp>::allocate(size_t, const void*)':
/usr/local/gcc4/gcc-4.0.2/lib/gcc/i686-pc-linux-gnu/4.0.2/../../../../include/c++/4.0.2/ext/new_allocator.h:86: error: '__throw_bad_alloc' is not a member of 'std'
/usr/local/gcc4/gcc-4.0.2/lib/gcc/i686-pc-linux-gnu/4.0.2/../../../../include/c++/4.0.2/bits/stl_vector.h: In member function 'void std::vector<_Tp, _Alloc>::_M_range_check(size_t) const':
/usr/local/gcc4/gcc-4.0.2/lib/gcc/i686-pc-linux-gnu/4.0.2/../../../../include/c++/4.0.2/bits/stl_vector.h:518: error: there are no arguments to '__throw_out_of_range' that depend on a template parameter, so a declaration of '__throw_out_of_range' must be available
... (あと 40行ぐらい続く) ...
ソースコード:
v// aho.cc
/// by Yusuke Shinyama
#include <vector>
...
答えがわかった人は天才です!! オレはこれで 2時間悩んだ。 つまり、 2時間前までは天才だったが、もう天才じゃない。
頭がクラクラしているときに歩くと、まるで自分が意識的に地面の上で 足を上下させているのではなくて、地面が勝手にフワフわ振動して自分の 足に当たってくるように感じる。この時季に夏カゼはつれえなあちょっと。
そのご夕方まで泥のように寝入る。冷房かけてるからべつに不快ではないが、 これで体調が回復するのかどうか不安だ。 でも風邪っぽい状態で寝てるときってのは脳内麻薬が出て 頭の中のデンピーな度合が高まるので、 なかなかいいときもあるのだ。(オレって変態)
/
) が
ついに 100% になっちまってよーー。新しいのを買ったはいいが、
root を買えなきゃいけないので、OS をインストールしなきゃいけない。
また FreeBSD にするつもりだけど、メンドくさいなあもう…。
ちなみにもう一台のベイにはバックアップ用のディスクが入っている。
ああそうか、新しいディスクを入れてまるごとコピーしちまえばいいのか?
Linux のときもめったに落ちないマシンだったが、FreeBSD も非常に安定している。
java のインストールがめんどくさいということを除けば、とくに不満もない。
しかし、新山のデスクトップ機はいっちょまえに ECC メモリイがついているのだが、
FreeBSD で ECC ってサポートされてんの??
なんか宝のもちぐされのような木もするけど。
やってられっか。
Flushing は前にも来たことがあるが、中国と台湾と韓国が混ざっているおかしな街だる。 メシを食うにはいいのだがマンハッタンから電車で 40分ぐらいかかる。 つまり大宮か浦和ってところなのである (距離的に)。 「なんとか台菜」という台湾料理屋に入る。 名前に「台」の字が入っているレストランは台湾系を示すんだそうな。 たしかに南国っぽいスタイルの料理が多い。ちなみに新山の頼んだやつは、 皿に盛られたゴハンの上に鴨肉のゆであげたやつと生姜の千切りと野菜がドサっと載っていて、 こいつをニンニクたっぷりのソースで食うというやつで、結構うまかった。 米はジャポニカ米。連中に言わせると、生姜と鴨肉 (純朴な『白切』という調理方法らしい) のコンビネーションというのが「いかにも台湾風」ということで、 ほかにもレバーのスープやら豚の腎臓やら、カエルやらを食った。 みんな「お前これ食ったことあるか? これはじつに台湾風だ」とすすめるので、 あれこれと食うのにいそがしい。味はどれも結構いいのだが、食いすぎた。 でもこれだけハラッパ (= 腹いっぱ) 食ってチップ込ひとり 16ドル。 すばらっし。
そしてそのあと「カラオケに行くぞお!」ということになり、 近くにあるカラオケ屋に行く。これまた、「かなり台湾風の店」とのことで、 どんなもんかと思っていたのだが、内装はほとんど 日本のカラオケボックスと同じである。店員の服装とか装飾が やや中華風といえばいえるが、いかにも「ああ日本にもこんな店ありそうだ」って 感じのところで、笑ってしまった。しかし曲の中身はぜんぜん違う。 つうか、台湾か香港の曲しかない。ここのシステムは全体の曲数が 非常に少ないやつだが、どれも専用の映像がついているのがウリらしい。 こまったのは、新山が唄えるような曲はまったくないということだ。 しかも予約システムが日本のカラオケのようにデッカい「目録」がドーンと部屋の真ん中に 置いてあるわけではなくて、ぜんぶ端末から曲を検索しなきゃいけない (表示は zh-tw)。見てみたが、日本の曲はほとんど (4曲ぐらいしか) ない。 いっぽう新山は台湾や香港のスター (“偶像歌手”って書いてある) を まったく知らない。アンディ・ラウの顔が出てきたときに「ああコイツ見たことあるぞ」って程度。 いちおう洋楽もあるのだが、こちらは台湾版ほど頻繁に更新されてないらしく、 なんかけっこう古い。でもまあドーでもいいや…。 新山はたいてい (日本で) カラオケに行くと、いつもグッタリする。 「歌を唄う」という行為がストレス解消になるというところまでは同意するんだが、 カラオケボックスのあの物理的な特性がキライだ。 高校生のころ、初めてカラオケボックスというものにいったとき、 あの部屋の空気 (当時は空気清浄器とかなかったので、すんげータバコ臭かった) と 大音量 (なんでみんなあんなに音をデッカくしたいのだ? 難聴になりたいのか!) に 耐えられず、サッサと逃げだしてきたのを覚えている。 オレは寒さには強いが、ニオイや音にはかなり弱いので。 つづく
Catch on fire with enthusiasm and people will come for miles to watch you burn.
というか、じつは日本が米国に笑われているような気のする。 これは「何を食ってもウマイと思え」というアメリカンからのメッセージだろうか。
新山がいまだに興味あるのは、ずっとまえに、 日本語版の「もしかして」機能がキチガイ的な結果を返していたときに、 あれのアルゴリズムは一体どうなっていたのかということだ。 あれを作った人は天才だよ。
ところで、こないだ思ったのだけど、 ユウスケを「ユースケースって呼んで」とか言ってるのは、どっかの外人が 「1個、2個、サンコ〜ン!」とか言ってるのと同じレベルじゃないかと。思った。 少なくともその根底に流れている哲学・宇宙観は同じである。
ついでにいうと、言論の自由をやたらと主張するアメリカ人は、 「公平さ」についてはあまり何も言わないことが多い。 このへんがどうもウソくさいよなあ。
そんな時間ないよ、マジで
その後、大学へ戻って H嬢とうだうだ世間話をする (っていうか、彼女に呼び出されたといったほうが正しいんだが)。 いやー 1週間ぶりぐらいに大学へ来たけれど、やっぱりここはすばらしいね! 香草ビルばかりでロクな食い物屋のない (しかもたいていは高い) 会社の周辺と比べると、 こっちは安い食い物屋はあるし、公園に木はあるし、ほかにもリスやらヤク売人やらが出没して、 とっても「のどか」な感じがする。コレだよ、やっぱこれが新山の知ってるニューヨークだな。
きょうは例のアレはほぼ完成し、ドクメントもすこし手直しした。 今日のところはこんなもんでいいだろ。 新山は、こんなんではまだ全然ダメすぎだと思っているのだが、周りの人から 「すんげ〜よく書けているね! ほかのインターンにも見せるべきだよ!」と言われ、 はげしく脱力する。というか笑う。 つまりこれはこの会社のドキュメンテーション全般がいかにダメか ということをニョジツに表している。ホントにしょーもない人たちだ。 笑うぜ。笑わせるぜ。笑うよゲッヘッッへhへ.えげヘgゲエぇヘげgェ、へ
ちなみに、毎週火曜日の午後には「お茶の時間」があって、毎回チョコレートケーキやら ひとくちサンドイッチやらでティーパーティーをやっているのだが、 新山はこれにもほとんど毎回、遅刻している。 今日いったら、めぼしいものはあらかたなくなっていた。 まだ 30分ぐらいしかたってないのによ〜〜。このヒマ人どもめ! うっかり、すんげー甘いモノを口にしてしまう。そしたら甘さで舌がヒリヒリして大変。 ちなみに今日は忙しくて外に食いに行く時間がなかったので 社員食堂ですませたら、これがチョー“塩分非ひかえめ”で、 泣いた。こんな食生活を続けてたら、そのうち金髪のスネ毛が生えてきたりするんではないかと、 いまから心配である。ところで (てくるで) 新山のインターン終了期間は、 契約書には 7月31日って書いてあったのだが、どうやら延長されてたらしく (某学会のときに「休暇扱い」として処理されていたらしい)、 きのう確認したら 8月中旬までということだった。 まだあと 2週間以上も辛抱せねばならんのか。人生ってそんなもんね。
サイキンすずしくていいやね (= 細菌)。 今日は午後になったらナゼか空調がとまりやがったので (慢性の電力不足らしい)、窓をあけたら外とほとんど同じ気温だった。 むしろ窓あけたほうが風通しよくっていい。しかし窓の外はガードもなにもなしで いきなり 13階落下なので、とびおりなぞするはパヨパヨである (いみ不明)。 どうでもいいけど細菌やたらと spam がおおいけど、誰か知ってる人いない? (= 細菌)。ところで「サイキン」に似ている空調の企業なかったっけ。 たしか「ゼンキン」だかなんだか。
(「ダイキン」だった。そういえばぴちょん君は python って意味だっけ? 最近。)
…え? なに?
…。
それは鞍馬だろがヴォケ〜〜〜〜〜〜!!! (ぱっこん!)
え、違う? 何だって?
…。
それは有馬じゃろがこのヴォケが〜〜〜〜〜〜〜〜!!!
(ぱっこん! (ぱっこん!) (
cdar ((がっ
こん!))))
…え? 今度こそ本当だ?
…。
…あのね、いま 11世は中国政府に拉致されて行方不明なのよ。 ちなみに 10世はもっとスゴイぜ。 一瞬、三遊亭好楽の生まれ変わりかと思った。
このような手法を「先読み型オヤギャグ (write-ahead oyagag)」と呼ぶことにしよう。 来年の OSDI はこれで決定!
どうでもいいが、ゲーム脳な方々 (= 「ゲーム脳の理論を提唱している方々」をこう呼ぶことにする) は 「オヤジギャぐはホルモンの変化により生成される」って説を提唱しないのかな。 そうすればウケるのにな。少なくともオレには。どでもよろ。
どうでもよくないが、うちの親に聞いたところ (=てくる)、 最近の日本ではゲーム脳だけでなく、なんでも「脳のビョーキ」のせいにする 流行があるらしい。学校の問題児なんかは本人や親の問題ではなくって みんな「脳のビョーキ」のせいなのだ。 しかもご丁寧にちゃんと専門的な病名で診断されるという。 いやあ、ビョーキだったら仕方ないよね! そいつら自身は何も悪くないのであって、すべてビョーキが悪いんだから。 しかし、そういう新しい病名を発明する係の人がどっかにいるとしたら、 そういう仕事はやってみたいもんだと思う。オレぜったい適性あるよ。
「ドーナツ製造機」はぜんぜんオッケーだ。 「人間製造機」はすこしシュールだが、そんなにヘンではない。 しかし「東京都製造機」はかなり違和感がある。 なぜなら「東京都」をその歴史を含んで全部複製するというのは、 ちょっと想像がつかないからだ。そもそも「ドーナツ」や「人間」は オブジェクトのクラスを表しているのに対して、「東京都」は オブジェクトのインスタンスを表している。まったく同じインスタンスは 2つはつくれないのである。まあ、言語学では こういう名詞を「固有名詞」っていってるわけだけど、 言語学の解釈と計算機科学的な解釈の間には微妙なズレがあるような気がする。 たとえば「地球」はインスタンスの名前だが、「地球製造機」はそんなに 想像が難しくない。これは「地球と同じような惑星を製造する」という 意味にとってしまう人が多いためだと思う。なぜならうちらは「地球」が 所属するクラスの別のオブジェクトというものをいまだに知らないので、 「地球」はクラスと同じような意味でも使われるのである。 いっぽう「1980年代製造機」は、「1980年代につくられたようなモノを製造する」という 意味でならおかしくないが、「1980年代そのものを製造する」という意味だと あきらかにおかしい。「現在製造機」は…もう概念が抽象的すぎててワケがわかんない。
似たような路線で、そんなにシュールではなさそうだが抽象的すぎて 想像が難しい例としては以下のようなものがある:
あー、これであと明日はまたコードをやや手直しして、 コメントつけて、ドクメントを書いて、そのあと評価データをつくるための アプリケーションを書いて、あとは時間があったら図書館に本返すと。 これだけだ。たったのこれだけだ。
ふぉっふぉぅ。
今日ヤルコト:
どうでもいいけど、 asahi.com で偶然見つけた 日高正博のインタビュー。 このオッサン、すげえよ。「家を持たない。テントとジープがあればいい」というのは 根っからの流れ者に思える。
あいかわらず、Goœgoe は wíkipådiê をひいきしすぎだよなあ。
注意ィ: わたくしの人生は aveant-glade (あう゛ゃんと=ぐれーど) ではありません。
だからなに?
そういえば今日はひとつ苦労したことがある。 それは、センタッキでつかうコインがないので、両替したことだ。 うちのアパートにやコインランドリーがあるのだが、両替機はない。 しかも 1回センタクすると 25遷都効果 12枚を消費するので、 毎週毎週、かなり大量のコインが必要だ。しかし今日は コインをきらしてしまっていたので、近所の専門(?) コインランドラー屋まで のそのそと出かけた。雨だった。この店にはデッカい両替機があるのだが (20ドル札をコインの 80枚に両替してくるる)、 「当店をご理容のお客様以外はお使いやがりなさりますな」というハリガビ (貼り紙) が はってある。ので、こいつをいかにコッソリやるかどうかが勝負だ (ま、どうせだれも気にしてないと思うけど)。といっても特にアレすることもなく、 フツーに両替して、いちおう店の中にある自販機でペプシの缶を買う (言いワケ用)。 75¢ で3枚消費。そのごアパトーに帰ってきてセンタック。めでたし。
・。
てくるで (ところで)、最近シーツのゴムがゆるくなってきたら、 新しいワザができるようになったことを発見した。うちではシーツはゴムが入っていて、 いちいち折って入れなくてもいいというヤツを使っているのだが (コレ、何ていうんだろ? 日本語でも名前不明だが…『ワンタッチシーツ』とでも呼ぶのだろうが、 英語だと名前があるのかなあ)、こいつのゴムがゆるんでくるとガバガバな状態になるため、 ベッドの端に立って、「ふわっっと」かぶせるだけでシーツがもう片方の端に ひっかかるのである! いままではいちいち四隅を手でヒッパってやんなけるばならぬかったのが、 科学の勝利だ。な。
ところでよく安物のアニメなどに「科学の勝利だ」などというセリフをつぶやきそうな アホ博士が出てくるが (とはいっても、実際にそういうストーリーを見たことはほとんどないのだが… なぜこういうステロタイプが存在してるのだるおか?)、ほんとうの「科学の勝利」と呼べるような ノウハウってのは、いわゆる「生活の知恵」の中にあるんだと思う。
そうして新山はこのような毎日の生活のドーーでもいいことを うだうだと記すのが (それと、読むのが) とても好きである。 ヒゲそんなきゃね。
しかし「いい料理」とはなぜかいわないようだ。
上の例で、「いい男」「いい女」にかかる「いい」と、 「プログラム」の「いい」は、微妙に意味がちがうようである。
「いい男」「いい女」と同じような意味での 「いい」プログラムを作りたいのである。
下の中国人がずっと音楽をかけている。 ウルサイというほどウルサくはないのだが、低音だけが聞こえると気になる。 こっちがノってしまうのだ。しかしそのうちに止めた。 この程度の音が気になるってのはそんなにもともと眠くなかったのだと思う。 しかしこの調子じゃあまた起きる時間がズレちまうな。
アパートの廊下はとうぜん夜でも電灯がついているので (ちなみにここのアパートは日本でよくある「通路の片手がドアで、もう片手は外」というものではなく、 通路の両側にドアがある、ホテルのような状態になっている。あ、壁にクモ…。 そへは (それは: typo) いいとして、なんとなく夜中 (この時間) に通路へ出ると、 まだ部屋によっては音がきこえているところがあったりして、 「なんだ、結構起きてんのね、オマエラ」と思うことがある。 こういう状態は、なぜか真夜中にお仲間を見つけてしまったような気がして、 なんとなくホっとして部屋に戻る。オレってなにいってんだかわかんない。
寝れよ!
どふでもいいが、こないだ ココナッツサブレを購入したんだよ。 そしてこれが甘くない。この甘くなさ。すばらしい。アメリカの菓子はどいつもこいつもコレより 56億7千万倍は 甘いので、アメリカヌはたぶんこの甘味を認識できないんではないかと確信し思はれる。
久々にツウちゃんねるを見てしまいました。ね。
きょうは会社の「バーベクュー大会」なるものがあった。 社内でバーベキゥーをしていたのである。 平日というのにみんな昼からビールを飲み、ベランダで肉を焼いて音楽などを演奏していた。 おまけに通称「ゲーム室」にはなぜかパターゴルフの設備が用意されていた。 おまえら暇そうだなあ。 ちなみにこの会社には通常時でもビリヤード台と卓球台とサッカー台 (アメリカンが好きな、ハンドルを回すやつ) と PS2 があり、 最近はエアホッケーも導入された。しかしやりだすとカコンカコンうるサイので、 壁には「やるときはドアをしめてください」という貼り紙がはってある。 バカな会社だ。これがまともな方法で儲けてる会社なら何も言いませんがね…。 ちなみに、新山はインターン終了まで残り期間がすくないワリにはまだ ヤルコトが沢山ありので、サッサと残業るす。 こういう人々を見てると世間を騙すのなんてカンタンなんだな、と思えてきますね。
一時の笑える暑さはさって、きのうあたりから結構ふつうの暑さ (28℃ぐらい) になった。 げくるで昨日聞いたんだけど、トロんとから来てるやつがいるのだが、 じつはとろントって夏場は激暑いらしいよ。 内陸なうえに、湖のそばなのでムシあつさがすごいらしい。 おまけに冬は NY よりさらに激寒いときた。 いままでカナダってもっと (気候的に) 住みよいところかと思ってたけど。
いちおう、壁紙にならなそうな写真など (γ補正ずみ) :
なお、新山は寝不足だったので、ずっと「早くがえら゛ぜでぐれ゛〜〜」と思っていた (そのわりには写真はけっこう撮っている)。 サッサと帰って本でも読んでるほうがずっと幸せなんはわかりきってルのに、 つらい修行である。マゾだな。
たとえていうと、「いいドキュメント」というのは 「明快な論文」を書くのと同じくらい難しい。というかこの 2つで 要求されているものはほとんど同じだ。はっきりいって、 使用言語 (英語) はあんまり関係ないことがわかった。 わかりやすくていい論文を書くのは、たとえ英語が苦手な場合でも 日本語を使うのに比べて難しさはそれほど上がるわけではない。 なぜなら「わかりやすくていい論文」という条件がある時点で すでにメッチャンコむずかしいから。
ひさしぶりに「メッチャンコ」などという日本語を使ってしまった。
どうでもいいが (同でもよろ)、偶然見つけた wikipedia://名古屋弁/ の記事はたいへんすばらしい。 方言カテゴリ の中では個人的に「秀逸な記事」に決定である。 この細かさといい、メディアに登場する名古屋弁の批評といい (しかし Wikipedia 基準からいえば微妙に POV っぽいが)、 かなりの好き者が書いていることは間違いない。しかも ノート での議論が真剣で笑える。名古屋人って団結力強そうだよな。 こっちの人に東京のこと尋かれたら「東京は人口が一番多いだけで、 じつは日本の首都は名古屋なんだよ」っていうウソを教えるっていうのは、 なかなか正しい人生っぽいな。これからはぜひそうしよう。
ああちなみに「名古屋弁」の項目はすばらしいが、 名古屋市 はコレマタくだらねェ理由により編集保護されております。
こないだ、「なぜ Wikipedia の日本語は保護されてる記事が異様に多いのか?」 という話になり、現時点で 編集保護・ 半保護 されている記事のおもな理由を調べてみた。 まあ、「反日」とか「ジーコ」とかいう項目でフレームが起きるのはわかるんだけれども、 中には「一体なんでこんな記事が保護されてるのか?」というのがいっぱいある。
項目名 | 保護の理由 |
---|---|
アニメ | どっかのフランス人評論家の文句を入れるか入れないかで編集合戦。 |
イエローキャブ | 日本人女性のみをさすのか東洋人全般を指すのかで編集合戦。 |
イグノーベル賞 | 日本人受賞者ばかり載せるのは中立でないという理由で編集合戦。 |
ウィキペディア | 「利用価値が極めて低い」と書く人。(まあ日本語版はそうかも…) |
NHK紅白歌合戦 | 和田アキ子を「コメディアン」にしたがる人。 |
家庭教師のトライ | 脱税の記述で編集合戦。 |
公営バス | 浜松市を入れるかどうかで編集合戦。 |
交流 | 「交流のベクトル算法」というリンクを載せたがる人。 |
シーチキン | 「カツオ」を「ペンギン」に置き換えるイタズラが発生。 |
シャア・アズナブル | シャアの台詞を載せるのは著作権違反か否か? |
実数 | 独自定義を載せてほしい人。 |
人工言語 | エルフ語やらを含めるかどうかで編集合戦 (実際には保護はラベルだけ)。 |
スパム | 定義に「spamメール」を含むか別項目にするかで編集合戦。 |
ズンドコ節 | 某曲にソックリという書きこみが 3回行われる。 |
セカイ系 | 定義が細かすぎるという理由で編集合戦。 |
体 (数学) | 独自定義を載せてほしい人。 |
厨房板 | 記念カキコが多いため。 |
北海道北見バス | 「北見帯広線」を削除しつづける奴がいる。 |
レッドカード | 「相手に頭突きした場合」という一文を入れたがる人。 |
はっきりいって、これらの「保護理由」というのは新山からみると どれもしょーもなくクダラナイものばかりだ (追記: 「井川遥」と「室井佑月」はよく見たらそんなにクダラナい理由じゃなかったので上の表から削除)。 3回ぐらい荒らされただけですぐに保護というのは、やりすぎじゃない? どうせこういう連中はひと月もすりゃ忘れるんだから、 ほとぼりがさめるまでしばらく放置しときゃいいのに。 Wiki においては「保護扱い」というのはほとんど自殺的な手段だと思う。 プライバシーに関する内容は例外として、アホな記述の 2、3個を 放置しておくよりも、保護にすることのコストのほうが はるかに高い。しかしまあこれは考え方によるだろうね。 日本人の特徴として、言い争いをなるべく早く「なかったこと」にしたがる、 というのがあるような気がする。
ちなみに、各ページの「ノート」を見ても議論が長すぎるか そもそもノートページがないかで、なぜ保護になったのかがさっぱりわからないことが多い。 そういうときはその本文の「編集履歴」を見るとどいつが編集合戦を起こしていたのかがわかる。
どうでもいいが (ddyr)、タレントの本名やら素性を知って何が楽しいんだか新山には理解不能。 そもそもあんなもんは最初から「うそんこ」だということは承知の上でやってんだから、 素性を知ってファンをやめるくらいなら最初からファンなぞになるなと思う。 にもかかわらず、これは矛盾するようだが、タレントっつのはそのプライバシーを 売って生活しているようなものだ。オレにはまったくわからんね。この無矛盾性が。
「おふこっす!!」
Document ID: 3796a96b1c6ae746b7df23ebf9140931
Yusuke Shinyama