2006年 11月 (1)。

「リンクを張る」という行為は、人を共犯者のような気分にさせる。

Last Modified: Sat Nov 11 14:01:47 EST 2006 (11/12, 04:01 JST)

Nov 10 [Fri]


(14:36)
爆弾発言というからには、それの影響で実際に死傷者が出なければいかん。
でなければ爆弾発言などとは呼べない!

カネもちケンカせず。

(15:03)
4.5 が出てすぐ cvs を翻訳したのにまだ本家に sync されてない。ぶつぶつ。
(16:19)
「カンタービレ」という単語を見ると幸福の科学を思い出してしまうのはオレだけだろうか。 「サマワ」という単語を見るとオウムを思い出すのと同じように。
(17:32)
1. Unix - 世界初のコンピュータウィルス

バークレイで生まれたもっとも有名な発明品は LSD と Unix だ。
これは偶然の一致ではないと思うね。
-- 匿名希望

ウィルスは自己をなるべく小さくし、なるべく適用性を増すことで生存競争に勝つ。 これらはそんなに複雑ではない。ウィルスは呼吸や消化や移動といった 大仰な仕事をするのに必要なものを持ち回るのではなく、 自己を複製するのに十分な DNA や RNA だけを持つ。 たとえば、どの種類のインフルエンザウィルスも宿主の細胞より小さい身体を 持っているにもかかわらず、毎年インフルエンザの時期には新しい種類が生まれてくる。 ときおりウィルスはかなり健闘し、何百万人もの人々の免疫システムが それらを殺すよりも先に、彼らを死に至らしめる。しかしほとんどの場合、 ウィルスはささいな迷惑者にすぎない -- 避けられないが、遍在するものとして。

よいウィルスの機能とは次のようなものである:

Unix はすばらしく成功したウィルスの特徴をすべて備えている。 初期段階では、これは非常に小さく、ほんの少しの機能しかもたなかった。 設計のコンパクトさにかけてはピカイチで、これは現実のオペレーティングシステムにあるような機能 (メモリマップド・ファイル、高速なI/O処理、堅牢なファイルシステム、レコード、 ファイル、デバイスロック、合理的なプロセス間通信、などなど) を持っておらず、 そのため非常に可搬性が高かった。使いでのあるオペレーティングシステムはだいたい もうすこし可搬性がないものである。Unix はホストのエネルギーを奪い去った。 システム管理者のお守りなしには、Unix は頻繁にパニックし、core を吐き、そして停止した。 そして Unix は頻繁に突然変異した。あるバージョンでは動いていた kludge やフィックスは 別のバージョンでは簡単に動かなくなった。 もしアンドロメダ病原体が ソフトウェアだったとしたら、きっとそれは Unix だったろう。

Unix はユーザインターフェイスをそなえたコンピュータ・ウィルスである。

(UNIX-HATERS Handbook, P. 3)

(20:05)
あーーーーーーっ! そういえば、今日コメ研いでくるの忘れたよ!!
(21:29)
新山がこの 3年間のあいだに 3回以上リンクしたサイト:
$ grep -h -o 'href="http://[^/"]*' /www/memo/200{4,5,6}/[0-9]*.html |
  pyone 'EL{print s[13:]}' | stripdom.py | sort | uniq -c | sort -rn | awk '3<=$1'
    378	google.com
     56	wikipedia.org
     47	tabesugi.net:8080
     24	unixuser.org
     13	sourceforge.net
     13	nyu.edu
     13	nytimes.com
      9	shinmai.co.jp
      8	slashdot.org
      6	tabesugi.net
      6	lwn.net
      5	nikkei.co.jp
      5	guggenheim.org
      4	urbandictionary.com
      4	python.org
      4	python.jp
      4	c2.com
      3	whitney.org
      3	uic.edu
      3	openbsd.org
      3 nasa.gov
      3 mit.edu
      3 google.co.jp
      3 common-lisp.net
      3 columbia.edu
      3 acm.org
      3 2ch.net

最後の 2ch.net が脱力。もう何年も見てないのだが、しぶといな。

ちなみに、新山は個人サイトになるべくリンクしないというポリシーがある。 リンクしないどころかある種の個人のサイトをいっさい読まない (ただし、調べものをしていて参考にしたサイトはときどきリンクするけどね…)。 その理由は、その昔、まだ「ブログロ」がこれほど流行してないころ、ある種の人々が 今で言うところの「トクッラクッバ」で個人を批判しているのを見て、ひどく醜悪だと思ったからだった。 で、その批判されたほうも同じことをやり返していたりして、醜悪の自乗ともいえる状態になっていた。 なので新山は個人サイトは批判もリンクもしない。 (普段の会話で「こいつはどうしようもない奴だ」と言うことはあるけど)

なんでこんなこと思い出したかっつうと、こうした醜悪ぶりというのはいわゆる 現代的な「いじめ」とかなり似てるんじゃないかと思ったからである。 新山が予想するに、おそらく現代的な「いじめっ子」というものは、 ギャラリーを非常に意識すると思う (テレビでの芸人いびりなどから 影響を受けているのだとすれば、あきらかにそうなる)。 いじめる側にとって「いじめ」とはギャラリーに対するパフォーマンスであり、 ある意味それはそいつにとっての「自己表現」なんではないか? なんかオレかなり恐しいこと言ってるような気がするけど、まあいいや。 ようするに「現代的ないじめ」というのは、「(人を道具として使う) ギャラリーを意識したパフォーマンス」とみなせる。 とすれば、逆に彼らはギャラリーがいなければやらない (やれない) だろう。 ブログロもほとんど同じ動機だとしたら、両者がときに似かよってもおかしくない。 …新山が見たこの web 上での議論の応酬でもこれに似た雰囲気があった。 なにより醜悪だと思ったのは、やっている人間がもろに 「ギャラリーを意識した文章」を書いていることだ。 「みなさんちょっと聞いてくださいよー、世の中にはこういうバカがいましてねー、…まったく困ったもんですねー」 というノリである。いうまでもなく、これはギャラリーがいるからできる書き方だ。でも、すんげ〜カッコ悪い。 ただしこの場合は一方が一方的に攻撃されているのではなく、 お互いにそれをやってるのだから「いじめ」とは違うが、本質的にはこういう人々は 「いじめ-いじめられ人間」と同じ精神構造をもっていると思う。 ギャラリーがいなきゃダメっていう。 新山もよくいろんな会社や団体や芸能人をバカにするけれど、公の組織を相手にするのと 個人に対してやるのじゃ話が違うし、とりわけ相手が日本人の場合、個人の意見を批判するのと 個人そのものを批判するのがひどく混同されやすい (というか、多くの人にとって web 上でその区別をつけるのはほとんどムリだと新山は思っている。この意味でオレは人を信じてない)。 にもかかわらずやりたがる人がいるってことは…やりたいんでしょうよ。まったく好きよねえ。 yuck!

ちなみに、新山は個人のサイトをリンクして批判的に書いたことが 1度だけある。もう5年以上前だ。 そのときは自分がただ思ったことを書いただけでギャラリーを意識したつもりはなかったのだが、 その後 1年ぐらいたってあらためて見てみたら自分の文章にそういう「同意を求めるような、なんともイヤーな雰囲気」を 感じたため、もう 2度とこういうことはしないようにしようと思った。 それからも愚痴はしじゅう書いているが、 オレはひたすら壁に向かって独り言を喋るように書くべきであって、集団を構築してはいけないし、 誰も賛同してくんなくてもキライなもんはキライだ。 誰かが自分を理解してくれるなどとも決して期待すべきじゃないのだ。 (いや、たぶん理解してくれる人がどこかにはいると思うけれど、 そういう人は絶対にこのページを読んでないというオチ)

でもこういうケースは当時からけっこうあったが、今でもまだ沢山あるんだと思う (オレが見てないだけで)。 やるほうも醜悪なら見るほうも醜悪、ということで、そういう輪の中に入らないようにするには、 結局のところ「この種のページ」を積極的に見ないようにするしかない。とはいえ、 具体的にどういうページが「この種」なのかは今のところ直感で判断するしかないんだけど… 「慣れ合い度」はひとつの目安になると思う。新山が慣れ合いっぽいサイトを嫌うのは、 そうした雰囲気が潜在的に自立してなさそうな人々を呼び集め、 「いじめギャラリー」を形成する徒党へと発展する可能性があるからである。 というか両者はじつはまったく同じものかもしれない。 SNS サイトに新山がまったく興味がなく、むしろ積極的に避けたがっているのも、 ああいう場所には「そういう人間」ばかりが喜んで集まりそうな気がするからだ。 (いったいどんな人間なんだっ、今日のオレは代名詞が多すぎるっ!) それに対してツウちゃんねるの安全なことよ。

とにかく、新山は個人で活動しているぶんには、しょせん大したことはできないが、 そのぶん大して悪いこともできなかろう…。こういうことを言って、 むなしくならないといえばウソである。でも、お山の大将になろうとして必死な人を見るたびに、 いつもこの原則を思い出すよ。やっぱりオレはこぢんまりしているのがいいんだとね。

(追記) そういえば、この時代にみんな公私のサイトの区別はどうやってつけてるんだろう? 「インターネットで発信すれば何もかも公とみなす」とか主張する人はいまや絶滅しただろうけど、 みんなどっかで区別してるんだろうなあ。でもはっきりいって、ドメイン名とかはアテにならないんじゃあ…。 そうか!! 「ドメイン名で公私を区別する」のが wed 1.0 的で、「ぱげらんくの大きさで公私を区別する」のが meb 2.0 的ということなのか??? そんならアレには絶対にランクされないにかぎる。

(00:01)
ひっさしぶりにまともなゴハンをくった。うれしさ。

Nov 09 [Thu]


(11:28)
It's comcastic!

劇場国家といえば北朝鮮。では「やらせ国家」といえば? はっきりいって、かの国では国民が政府のやらせを批判できる立場にないと思う。 かの国とは米国のことである。他にあるっけ?

今日やること一覧:

  1. ニンジンを食う。
  2. 某団体に小切手を送付る (そうふる)。
  3. 「お誕生日カード」を送る。てゆうか、間に合うんかいな。あやしき。
  4. 新しい記事セットの basic cluster をつくる。

いま目的 1. を達成。(中)

(12:07)
自分の先生にケンカを売るということについて… 例のメールをだしたあとに、H嬢からは「教師に向かってあんな批判を書くもんじゃない」といわれ、 Adam と David からは「どんどんやれ」と言われる。新山は後者の意見にまったく同意だが、 これはやはり“文化の違い”というもんだと思わせる。 (といっても、新山は日本にいたときからかなり先生に逆らっていたんで、これには個人差もあるケドね…。) 中国や日本ではこういうことは意味もなく失礼だと思われるため、 陰でこっそり言わねばならない。オレとしては、そっちのほうがよほどイヤなのだけど。 もちろん向こうが何も言ってこないときにわざわざこちらから相手をつかまえて 「あんたは間違っている」と言う必要はないが、聞かれたときにはいつでも率直に答えるほうがいい。 新山が個人的にどうしようもないと思っている人・モノというのはいくつもあるけど、 普段はそんなものいちいち人に吹聴してもしょうがない (この日記にはダメだけど基本的にどうでもいいものか、 あるいはダメでかつ笑えるものについてしか書かない)。 たいていのダメなもの・人に共通していえるのは、それらには 「自分を見る」という視点がまったく欠けているところである。 自分で自分のやってることの意義が理解できないんじゃ、そりゃダメだわな。

話を戻すと、伝統的に欧米では「教師とやり合う」ことが教育の目標とされてきた (と新山は理解してる)。 博士論文の審査を "defense" (防衛) と呼ぶところからもそれがいえると思う。 これはむかし神学をやっていた時代に、神学の論文を書いてそれを守りとおした人間に与えられる 称号を「博士」といったのが出はじめらしい。まあ、もともとやってたのが神学かと思えば 現在のアホらしい研究でも defense する気になるかもしれない。 いや実際ほとんど神学のようなもんだが。

(13:41)
幸福の定義:

ここに 2人がいると仮定しよう。 この人間は、あるひとつのことを除けばほとんど同じ境遇にいる。

あるものを持っている人のほうが、持っていない人に比べて幸福であるという理論は いまだに根強い人気がある。この法則には推移律が使えるし (「都会に住んでいる人 > 田舎に住んでいる人」 および「英語が話せる人 > 英語が話せない人」ならば、 「都会に住んでいて英語が話せる人 > 田舎に住んでいて英語が話せない人」が成り立つ)、 それに“客観的”な判定がとても簡単だ。なにより、この理論はこれまで 人間が何千年にもわたって信仰してきたモノなのである。 そう簡単に否定できるわけがない。 最近、この法則を必死で否定しようとしている人々がいるが、 そんな連中はとんでもない莫迦者であるので、言うことを聞く必要はない。 持つ者は持たない者よりもつねに幸福であるのだ。 うんうん。

ぼかあとてもマトモなことを言ってますよね今日は (こんにちは)。

(15:42)
小さなテーブル。 きょう、道を歩いていたら "NO PED. CROSSING" と書いてある看板を見つける。 翻訳すると「幼女が好きな男はここを渡るべからず」ってことだ。

反省: ped. を男に限定してしまうのはこの国では男女差別だった。

(16:15)
来週の予定:
17日: アレ
18日: アレ

そういえば、絵本「ひとまねこざる」の原作は Curious George というんだった。 おさるといえばジョージですよね。

(17:25)
そして見事にミーティングをすっぽかすと。
(20:39)
失敗ゴハン・チャーハン第2回目 (なんしろ、このまえ三合炊いちゃったので)。 きょうは前回の反省をふまえ、ニンニクを入れ、野菜を炒めるときに固形スープ (プリオン配合度高) を入れてみた。前よりはまともな味になっ…たが、 乾燥パセリをこないだ切らしたのを忘れていて、なんだか間の抜けた味になる。

今日達成した目標: 1., 4.。 (2., 3. は明日郵便局に行ったときに達成される)

(20:53)
無知は罪ならずというが、知ってる奴はホントに悪い。

Nov 08 [Wed]


(10:37)
ざくざく降ってます。
(13:40)
ああラミーやめちゃうんだ? どうでもいいけど (どうでもよろ)、 新山は「悪人顔」ってのがけっこう好きなようである。 ヤツもそうだし、ヒューザーの社長とか、いかにもフテブテしそうな顔に弱い。 なにが弱いんだ? つまり、ああいう顔を見るとなんか笑いがこみあげてくるってことですよ。 失礼なやっちゃ。そういう意味ではホリエモンもわりとフテブテしい顔で好きであった。 彼らにはぜひともバラエティ番組で復活してほしい。ハマコーみたいなのは実際それで成功してるしさ、 いいじゃん。
(17:36)
こうすると table が
インラインで
表示できるかどうかテスト。

おお、できるやんけ!!

(19:13)
you're da man
(22:12)
もちろん、ぼくにはそれを望む権利があり、
あなたにはその要求を黙殺する権利があります。

それにしれも (それにしても) 今年の長野は熊ブームだなことよ。(今年の長野は熊ブームだなあ。)

Nov 07 [Tue]


(13:18)
オイ、すげえな、文科大臣に脅迫状送ったやつ、いまや 国際的なヒーローだよ。 それにしても「こんなヤツはさっさと死んじまえ」と思ってる人は多いだろうが (新山を含めて)、 役人の対応がすげー卑屈なのはどういうわけだ。そりゃ「死ね」とは言えないだろうが、 こういう「おどし行為」も暴力の一種だということをなんできちっと説明しないのか。 テロリストと同じ理屈だろうに。ようするに、(この手紙が本物だとして) こいつは自分が勝てる相手には 平気でなんでもできるというわけである (この場合、その相手っていうのは文科大臣というか「世論」なんだけど)。 ぷんすか。誰かが言っていたけど、いじめられる側はあるきっかけでいじめる側に回る。 こうなるともう最悪。どっちも似たような人間なんだからしょうがないよな。

考えてみれば、いじめへの対処というのは本質的にテロへの対処と似ていると思う。 どっちも今のところ対処療法しかできてない。「いじめ」そのものを防ごうとして、 罰則を強化したり被害者を転校させたりしても、これはテロを防ごうとして テロリストの住居付近に戦車やミサイルを突入させたり、空港の検査を厳しくしたり、 あるいはジェット機がぶつかっても倒れないビルを設計したりすんのと同じで、 本質的にはぜんぜん解決になってない。そもそも 「テロしたくなるほど抑圧されててかつヒマな人々」をどうにかしようという発想は出てこないか、 あるいは出てきても手間がかかりすぎる (あるいは経済的においしくない) ために無視されてる。 この考え方でいくと、経済的な打撃をこうむるよりは、いじめやテロのほうがまだ「望ましい」ということになる。 そして今のところほとんどの人 (含む新山) は無意識のうちにこの結論を出しているのだ。 そしてみんな、すでに結論は出ているのに悩んでみせるというスタイルが好きでね。

それにしても、今朝来たメールの 9割以上が spam だった。どうにかして。

(22:39)
きょうはおとといの失敗ゴハン (炊飯器の電源を入れたあと、「炊飯」のスッイチを押し忘れて ずっと「保温」状態になってたのに気づかず、そのままズルズルと加熱されてしまい 見事に芯だらけになったゴハンのこと) を使ってチャーハンである。 ああまったくムウ
(01:15)
きょうのセンキョをみて、やっぱりちょっとアメリカはすごいのかもしれないと思っちまった。 べつに民主党が好きなわけでは全然ないが、アメリカンの頭の中には 「同じヤツが長い間ずっとトップにいるのは健全でない」という考えがあるようだ。 現在の米国がどんなアホな状態であれ、この考え方自体は新山にとっては しごくまっとうに思える。ほんとにそれが実現するならね。

ぼくの家は地上から 3.5m ほど宇宙に行ったところにあります。

Nov 06 [Mon]


(12:56)
最近はクマのほうが人間よりも有名な 小谷村フォトライブラリー。 これを「こたにむら」とかって読むやつは非県民。 1200pix サイズの写真をちゃんと用意しているところがすばらしい。
(13:51)
宋文洲の単刀直入が 更新されてたので読んでみた
ら…。
…必修漏れが発覚した高校の校長が自殺するという悲しい出来事まで起きましたが、 わざわざ人々に非難されるようなことをするメリットはどこにもありません。 彼は単に父母達、先生達、そして生徒達の心の中の望みに応えようとしたのではないでしょうか。 その望みとは進学であり、「良い大学に入る」ことです。 …では、その望みの大学では教育はどうなっているでしょうか。 実は日本の大学の多くは世界的に見て最も勉強しない部類に属します。 私が留学生として日本に来て一番びっくりしたのはこのことです。 たまにしか大学に来なくてもちゃんと卒業できるのです。

わーはははは。パチパチパチパち (手をたたく音)。

(中略) ビジネスマンと会話していると 「大学では勉強せず、スポーツやアルバイトばかりやりました」と自慢する人の多さにびっくりです。 企業は終身雇用と称して社員を資本と財産のように囲い込んだうえ、 自社にしか通用しない人材に一から育て上げるのです。 これでは大学で勉強しないのも分かります。

わーははははは。パチパチパチばチ (手をたたく音)。

…ということで、やっぱり中国人の感覚からしても 日本人は大学で勉強してないんだよなあ。べつに中国の教育にも問題は絶対あるだろうけど、 とりあえずこの点だけは万人が認める真実であるだよ。なに、日本の大学でも 理工系の学部だらば勉強するって? 研究室に入れば、大学院に入れば勉強する? …ご冗談を。たしかに研究室に入ってから最初の間はタイヘンなのは認めるが、 それって今までナマけてたのを埋め合わせてるダケじゃん。実験系の肉体労働が大変というのはあるかもしんないけど。 それに、実際には研究室で身につけた知識って、偏りすぎててぜんぜん あとで役に立たないことが多い (もちろん「ボスへのゴマのすり方」などは多いに役立つが)。 そもそも基礎もろくにできてないやつが 4年生になったからといって 形だけの研究発表をやって何が楽しいのか、オレはいまだにわからん。 「そういう形式だけでも経験させることが大事だ」とかいうんだったら、 せめてプレゼンの作法ぐらい教えりゃいいのに、 日本の大学はそもそも先生の側にそれがないから教えられない。 でもまあ、よろしいことよ。 新山が留学してるのは基本的に趣味みたいなものだし、 日本であのような大学教育(?)ができるのも国が裕福な証拠である。 このあとどうなんだか知らないけど。

(15:00)
サメザメと泣くのが仕事です。
(00:43)
帰りにまたも近くのデリで林檎を買った (夜になるとスーパーは閉まっちゃうので)。 すこしボケているが、よい味だる。ちなみにうちの母はボケた林檎のことを「ぼけリン」と呼ぶ。 だからなんだ。いや、どうもしない。

Nov 05 [Sun]


(16:12)
そういえば、電子投票には点字投票における匿名性の確保というメリットがあるんだな。 ふと気づいた。
(17:14)
ときに約束を果たすことは、約束を破ることよりもずっと救いようがない。 翻訳すると、ああいう人々と一緒にされるのはカンベンしてほしいよ。
(23:53)
あんたはいつも見下 (みお) ろしてるだろう…
(00:04)
アイデアだ
アイデアだ
アイデアが
アイデアが
消えないうちに
はやく実装しないと!!
(00:37)
いま Baidu 地図を見てみたら、 あまりにも露骨に Google Maps のパクリで笑った。それにしても中国の商用サイトってなんでどこも javascript と flash ばっかりなんだろう? しかも、小さい文字でびっしりリンクが埋まってるのが多い。 あんなので連中はよくガマンできんな。どうでもyr.
(01:37)
自分がさぁ…。

自分が目標をコロコロ変える奴だとは思わないけど、 若いころにまったく予想してなかったことがひとつある。 それは「自分の価値観は変わる」ってことだ。変わる、というよりも、 「いままで自分の知らなかった世界が見えてくると、 そっちのほうが実はずっと巨大だったことに気づく」のである。 ずっと、ずっとね。だから、価値観は変わるというよりも、 そのたびごとにまったく新しく再構築されるといったほうがいい。

まあ、新山はいまだに高校生の時点で決めた「やりたいこと」にわりと近い位置にいると思うのだけれど、 幼稚園のころの目標からはすでに遠ざかってしまったな。オレが幼稚園のころに描いたらしい 意味不明な画用紙がまだ実家にあるが、そこには将来なりたいものとして 「学しゃ」と書かれていたのである。しかも紫色のクレヨンで。

いったいオレはいつ「学者」なんて言葉を覚えたんだろう? ナゾだ。 オレはそんなにませたガキだったんだろうか? ともあれ、新山がなりたいものはもう「学者」じゃないんだ。 それはまちがいない。でもホントウかな? 一部の人にいわせると、新山は研究者に向いているという。 しかしそりゃあ「お前みたいなどーしようもないヤツは研究者にでもなるより仕方あるめえ」って ニュアンスに聞こえるのでムカ。まあそうかもしんないけど、 しかし新山には「研究しておカネをもらう」ってことは、 ものすごく (自分を納得させるのが) 大変って感覚がある。 ようするに研究者ってのは「1) カネをもらって、2) アイデアを出し、3) それを実装する」 という請け負い仕事なわけで、もしいいアイデアが出なかったら…首つりそう。 そんなプレッシャーに耐えられるほどおれは精神的に強いのか、といったら、 自信がない。

もちろん世の中には
「1) カネをもらって、2) アイデアを出し、3) それを実装する」研究者…や、
「1) カネをもらって、2) アイデアを出し、 3) それを実装する研究…者もいるわけだけど。

お大事に。

Nov 04 [Sat]


(12:59)
水道の水 (みジどン) がつベたクなってきましたネー。新山です。

今朝はうっかり氷点まで下がりそうな勢いだった。もう 11月だからしょうがねえよな。 そのくせ今は部屋の中で半袖の Tシャツを着てたりするのだが。 新山は暑いよりも寒いほうが圧倒的に好きであるが、さいきん、手や唇が前と比べて とくに荒れるようになってきたのよね。なんか栄養が不足してんのかしら? そしてなぜおネエ言葉? まあいい。

洗濯をしている間にまた Wikipediaっちまった。 (つまり、時間つぶしに記事を編集するということ。) 注目度の高いエントリは頻繁にキチガイ的な人々が湧いて来たりするので、 そういうのは疲れるから、さいきんは目立たないところを拡充するようにしている。 たとえば大福中毒 (でかつ Wikipediaオタク) な Javier のために英語版の Daifuku で大福の歴史のところを書いてみたり、日本語版では SAP R/3 のセクションを 英語から翻訳したりなど。あと一時は「あくび」とか「しゃっくり」をやっていた。 どうも日本語版はあいかわらずオタクっぽいエントリばかり詳しくって、 「百科」辞典としては偏っているよなあ。 たぶんユーザ層がまだ低年齢 (と、高年齢のキチガイ的な人々) に限定されてるからなんだろうけど。

ちなみに自然言語処理その他の目的で Wikipedia をデータとして利用する人は 最近アホみたいにたくさんいるが (どれくらい多いかというと、Wikipedia 自身が Python の urllib によるアクセスを拒否してるくらいに多いのである! 一度やってみるとわかるよ。しかし Wikipedia はちゃんと研究用に xml のダンプを提供しているんだから、 それを使わないほうが悪いのだが)、みんなデータのノイズ性にかなり悩まされているらしい。 というのは、各エントリの品質や文法が一様ではないため、あるページはえらく詳しく書いてあるかと思ったら、 別のページは stub 以下で、カテゴリ分けもしっちゃかめっちゃか…という具合。 これは機械的にリンク分析などしている人がしょっちゅう愚痴っている。 新山自身は、wikipedia のデータをあまり真面目に受けとらないほうがいいと思っているので、 まあせいぜいやってくれって感じ。Wikipedia を研究に使うというのは、話題性のためなら 3年ぐらい前にすでに終わってるので、あとは長い停滞期が続くと思われる。

(14:18)
ここに youtube のリンクを貼るようになったらおしまいだと思った。

http://www.youtube.com/watch?v=XxLLhwCx4cM

ちなみに新山は dreamcast も ps2 も持っていない (それどころか現物を生で見たことすらほとんどない) ので、内容の真偽については知らない。 しかし、このバカさ加減があればそんなのはどうでもいい。

ここに youtube のリンクを貼るようになったらおしまいだと思った。

(16:05)
歴史上にはマイクロソフトのかつての「パートナー」の死骸がいくつもころがっているそうな。 それによると、マイクロソフトと「提携」した企業はかならず近いうちに MS にいいようにむしり取られ市場を追われるという。 だから毎回 PC Expo で MS の「提携企業」が出展していたら、それは 来年にはなくなる会社だと思っておいたほうがいいんだと。教訓だね。

どうでもいいけど (どうでもよろ) sorted(a) より a.sort() のほうが ほんの少しだけ速いようです…。まあ、配列をコピーする時間だけだろうけど。

(18:56)
てめー、と思ったこと:
$ python
>>> import os
>>> os.remove == os.unlink
True
(23:36)
またもやウィキッペで時間をつぶしてしまった。 ちょっと真面目になんか書こうと思うと簡単に 1時間ぐらいつぶれちゃうからなあ。 ちなみに今日書いたのは、 これこれ である。Jon Stewart みたいな有名人がまだ書かれてないとは驚きだが、 まあ日本では知られてなくても当然かもしれない。というのは、この人の 面白さはコメディといいつつも政治諷刺にあるので、なかなか日本にいても その「面白さ」が翻訳できないからである。ちなみに今では Corbert Report のほうも かなり人気が出ているが、Corbert はどうも作っている感じでいまいち (ブッシュに向かってやったスピーチでも、なんか芝居がかりすぎて逆にサムかった)。

それにひきかえ Stewart が出たときの Crossfire を見よ (YouTube から消された場合には BitTorrent トラッカーを立ててる奴がいるから、 Google へどうぞ)。 これはすごい。何がすごいかっつうと、Jon Stewart はこの番組に対して ホントに怒ってるからである。これはいつもは 2人の政治家を呼んできて論戦させる番組なのだが、 いつも政治家を「右」と「左」にむりやり分けて議論させるため、ちゃんとした議論になっていないという批判がある。 今回は彼をあくまで「コメディアン」という扱いにして、 慣れ合い的な空気にもっていきたい 2人の司会者に対して、 彼は真っ向勝負するつもりで来たらしく、最初からこの番組に対する敵意をまったく隠していない。 だってずっと真顔なんだもん、この人。 「ぼくは周りの人にはこの番組はひどいと言ってるんだけど、 それはフェアじゃないと思ったんだよね…ひどいんじゃない。アメリカに傷を負わせてるんだ (hurting America)。 だからぼくがここに来たのは…やめてくれ、と言いたい。 これ以上アメリカを傷つけるのはやめてくれ。やめてくれ。やめてくれ。 (Stop. Stop. Stop hurting America)」

さらに 6分10秒ごろからの展開はもう (司会者が) ズタボロである。 しかもこれは生放送だから、ぜんぶ放映されちゃうのだ:

司会1 : そういう批判はよく出るんですよ、なぜなら我々のこれはディベート番組ですから。

Jon : いやいやいや、ちがうよ。ディベート番組なら大歓迎だよ。 しかしこの番組 (Crossfire) をディベートと呼ぶのはプロレスをスポーツ競技だというようなもんだ。

司会2 : あなたはいいコメディアンだと思いますが、講釈はつまらないですよ。ひとつ尋かせてください。

Jon : いやいや、この番組はただのお芝居なんですよ。あなた今いくつですか。

司会2 : 35 です。

Jon : それで蝶ネクタイをしている、ね? (場内爆笑) だからこれはお芝居にすぎないと…

司会2 : ええ、ええ、わかってますよ、つまりこれは…

Jon : いや、いや、別にぼくはあなたが頭悪いと言ってるわけじゃないんです。 なぜなら蝶ネクタイを結ぶのはそう簡単じゃないですからね。

司会2 : そうですよ (また笑い)。

Jon : もしこれがディベートだったら、そりゃすばらしいですよ。 ところがそうじゃない。実際やってることは芝居でしょ。 これは誠実とはいえないよね。あなたがたがやってるのは、なんだ、その、 partisan hackery (不明、分裂工作とでもいう意味か) ですよ。

司会2 : あなたは自分の番組でジョン・ケリーにもみ手してたってのに、 我々のことは partisan hackery 扱いですか。 (完全にブチキレ状態) 冗談じゃない…!

Jon : そうですよ。あなたがたは CNN なんですよ。 ぼくがやってる番組なんかサルがイタズラ電話してるようなもんだ。

司会2 : あなたはここへきて、自分が彼 (ケリー) のペットじゃないってことを言う機会だってのに、 あなたは彼のペットだというんですか。そりゃ恥さらしだ。

Jon : ぼかあ、間違いなく彼のペットだね。きみは彼が 2週間前に何を食ったか知らんだろう。 …あなたがたには公の議論をするという責任があるんですよ。でもおそろしいほど無惨に失敗してるよね。

司会2 : あなた、学校に行ったほうがいいですよ。

Jon : あなたは行ったほうがいいね、ぼくが言いたいのは…

司会2 : あのですね、ぼくはあなたがウケを狙うのかと思ってましたよ。ウケ狙ってくださいよ。

Jon : いーーや、すまんね、ぼくはあんたのサルにはならんよ。 (場内爆笑) ぼくはこの番組をいつも見てるんだ。ホントに堪えきれないんだよ、痛々しすぎて。

司会2 : これはほんとにジョン・スチュワートなんですか? 何なんですかこれは?

Jon : この番組の視聴者で、もう堪えられないと思ってる人間だよ。

この容赦のなさを見よ。 しかし実際、ゲストに呼ばれておいてこの攻撃はルール違反だという批判もある。 ちなみに、この番組はその後打ち切られた。 新山は彼の出てくる The Daily Show はけっこう好きなのだが、 なんでかと考えると、彼は圧倒的に「フツー」なのである。 常識的だけどべつに保守的じゃないし、気負ったところがまったくない。 年齢のせいもあるのだろうけど、いつも落ち着いているし、この番組に出てくる 他のコメディアンがみんなかなり芝居っぽいのに対して (Corbert なんかは、役柄のせいもあるが、かなり芝居くささが鼻につく)、 司会役の Jon の演技は 50% ぐらいは「地」でやっている (番組中にときどき苦笑いをしているところからもそう思う)。 日本ではこういう芸人をほとんど見たことがないのだが…。

で、この Crossfire 騒動の翌週に自分の番組に戻った、 いつもの愛想いい Jon Stewart は こちら (これはすぐ消されるかもしれない)。 以下はその要約。

Jon : Hello everybody, welcome to The Daily Show, I'm Jon Stewart! あのー、みんな、しゅ、週末はどうだった…? あのー、えーとぼくはいい週末だったよ? 金曜なにしたんだっけ…まず髪を刈った。 それから全国放送でヤツを dick と呼んでやった (歓声)、んー、それから…。 金曜日にはこの番組プロデューサーの Ben とワシントン DC まで車で行って、 本のサイン会をしてきたんだ…みんな来てくれた人はいい人だったよ、 それでぼくは自尊心をすこしばかり構築して…幸いにもそのあと崩壊するんだけどね…。 で、ぼくらは Crossfire ってとこに行ってきたんだ…これはそのー、ニュアンスつきの 公共の政策分析番組とでもいうやつでね… (中略) …ぼくはいつも出会った人々に この番組はクズだと言ってきたんだけど…で、唯一正しいと思えたことが彼らに面と向かってね、 番組中にそう言ってやることだと思ったワケなんだけど…で、ああいう番組に出た人間に 向かったときにすることはね…「よしよし」ってことなんだ。 で、彼らは非常に怒ったらしいんだけど、それはなぜかっていうと、 どうやら Crossfire に招かれたときにはだね、意見を言わねばならない。でも彼らはそんなもん気にしないと。 で、ぼくは番組を見てたわけ。だから、あの番組ではみんなお互い叫んでたから、 ところがその意見が標準的な右でも左でもないときは、彼らの反応というのは「ほげ!?」になるわけでね。 ぼくは彼らに言ったんだけど、彼らの番組というのは…その…アメリカを傷つけていると…ね…。 で、彼らがやり返してきて言うには…ぼくがウケを狙ってなかったんだとさ…。 で、ぼくは「う、うん、わかってるよ」と言ったわけで… けど次の日にはぼくはまた戻ってウケを狙えるけれど、 やつらの番組はまだクズなままだ (歓声)。

ちなみに、新山自身は The Daily Show を見るのは月に 2、3回である。 めんどくさいので。

Nov 03 [Fri]


(10:54)
寒い…でございますぬ。今日は。現在 6℃。ぬっく
(11:23)
現実世界では腹を立てないのにネット上では腹を立てる人々。
(14:45)
Windows Vista エンドユーザ使用契約書のびっくり。 まとめると、

ほうほう、こんなのに人は 300ドルも払うのかい。 OSX Tiger は大学のコンピュータストアで 70ドルで売ってたよ。 それでも高いがね…。

ちなみに誰もがビックリした MS と Novell の提携。 MS の目的は Mono と OpenOffce と Samba から特許料をふんだくること。 SCO の怨霊はまだ形を変えて生きている。

それにしても MS はあいかわらずハロウィーンの付近に何かやるのが好きなようだなあ。

(19:17)
NY Systems/Networking Summit 2006, Nov 17th, 2006

Nov 02 [Thu]


(13:13)
フェアじゃないよなあ…。

へれんから何かメールが来た。が、こいつは完全にアサッテなことを言ってる。 この人はできあいのコーパスとできあいの評価基準しか使ってないから、 いままでにこういう定義問題で悩んだことがないのだろう。お気楽なこってある。

自然言語処理 (のみならず、ほとんどの研究分野) には 2つの変数がある。 ひとつは「手段 (手法)」で、もうひとつは「目的」だ。自然言語処理における ほとんどの批判は、手段についてではなく、目的についてのものである。 ようするに何が目標なのかをめぐって、これまでエンエンと議論が続いてきたわけだ。 で、90年代ぐらいからもうみんなこれに疲れてきたので、すでにじゅうぶん批判が出つくした (でも賛成の声もそれなりにある) なんか当たりさわりのなさそうな目的をみつけだして、 そいつを固定し、ひたすら「手法」の変数だけをいじる、 という方法に切り換えた。そしたらこれが大当たりでして…。ここ 10年で、 形態素解析や構文解析に関する論文が数百本以上も出たりしているのはそのためである。 これらはみんな同じ実験データと同じ評価基準を使っている。 そうすれば目的で批判されることはまずないからだ。 しかし、こういうのは、やってる本人たちからすれば楽しいのかもしれないが、 外部から見るとまったく分野として進展していない。議論がちっとも深まっていないのだから 当然のことだが、新山からみるとこういうのは「ツマンねー」と思う。 これじゃー、見切りをつけたくもなるわいな。

(15:46)
新山がああいうことを面と向かってボスに言うことについて、 多くの人はとても心配するようです。そりゃ失礼ってもんだろ、 彼はそんなに物わかりの悪い人じゃないよ。
(18:43)
いやワタクシはもう疲れました。

目標: グチをもう書かないか、あるいはグチだけを書くこと! よし、そうする。

(18:59)
一部の人が strings を最強のドキュメンテーションツールだというのは、 オレにはよくわかるのである。さいきんの strings はエンコーディングまで指定できるって 知ってた?
(20:09)
カーネギーホールへの案内:
ある人々にとって、カーネギーホールに到達するには生涯にわたる練習が必要ですが、ふつうの人々は以下のように行けば OK です。
(20:42)
鳥プルです〜〜〜 (triple DES)

もう死にたい

(22:02)
今日の発見:

こぶ茶にレモンをしぼって飲む。なかなかうまい。

(01:04)
Computer Science Colloquium

Some thoughts on the Fondations of Scientific Computation

Steve Smale
UC Berkeley and Toyota Institute Chicago

Friday, November 3, 2006, 2006 11:30 A.M.
Room 1302 Warren Weaver Hall
251 Mercer Street
New York, NY 10012-1185 

久しくころきあに出ていなかったので、明日こそは出る。

Nov 01 [Wed]


(10:34)
想像力をつけるには?

マンガをよんでも小説を読んでも映画を観ても、想像力はつかない

想像力をつけるには?

(12:47)
偏見と節操というのは、ようするに同じものの別名だよな。 よい信念 (それがどういう意味であれ) は節操と呼ばれ、 はた迷惑な信念は偏見と呼ばれる。しかしまあその区別は 害虫と益虫ぐらいのもんだ。
(18:09)
すっかり (彼によると) 大福中毒になってしまった javier を更正しようと 桜餅を買ってきたが、いっこ余ったんだけど、誰かいらない? 欲しい人は 2時間以内に新山のオフィスまでとりにくること。 (もちろん、この日記が読める人間でそれが物理的に可能な人はいないが)
(19:42)
そーいえば、新山が卒業した高校も例のリストに載っているけど、 この高校はオレがいた頃は「4年制高校」として有名で、 センター試験の点数は全国平均より低かった (あるいはスレスレ) し、 毎年半分近くの生徒を某予備校に送りこんでおり、その予備校の校長はいつも 「今年もいい生徒を沢山ありがとうごあんした、つきましては来年もよろしく」といって 高校に菓子折りもって挨拶にくる、 という噂が流れていた。なんたって、3年生になってから受験前のシーズンに みんなで家庭科 (必修) をやっていたからな。で、この家庭科の先生というのが またアレな人で、授業中に生徒に向かって「アタシももうこんな仕事やめたいけどやめらんないし、 亭主とも別れたいけど別れらんないし…ぶつぶつ」と愚痴をいう。 いやー、シュールな授業だった…。しかし、この高校はその後受験対策に 目覚めてしまったらしく、今回めでたくリスト掲載となったわけである。 バカなこった。

新山はいつも「余裕のない人々」というのを非常にカッコ悪く思うらしい。 ここでいう「余裕がない」というのは「必死」とはちょっと違う。 むしろ「視野が狭い」というのに言いかえられるかもしれない。 遊びがないというか、寄り道できるのにしないというか。 まるで人生の目的がすでにわかっているかのような行動をとる人々。 しかしこういう人々の「目的」は、決っっして自分で考えだしたものではなく、 たいてい親か教師から与えられたものだ。そして、まあだいたい想像がつくと思うけど、 こうした連中は優等生的で傲慢に見える。そんで、たいていの場合、こいつらは 究極的にはアホである。 (「優等生的」な優秀さと、アホさは完全に独立した概念です。) まあべつにどの教科を履修してようがトバしてようが どうでもいいけど (どのみち必修だってつまんない授業は内職してるんだから同じじゃん? オレだったら寝るね)、この余裕のなさはカッコ悪いよ。高校生のときから余裕がなかったら、 成人したらどうなってしまうのだ!

そもそも新山はショミン (庶民) なので昔から私立の中学やら何やらに行かせる親というのが まったく理解できなかった (そもそも、長野には私立の中学や高校などほとんどないが)。 だって最終的にはそういう奴も結局そこらへんの大学へ行くんでしょ? どう考えても割にあわないよね…。公立いって一年間浪人したほうがぜったい安いよ。 それに、浪人は人生のためになる (断 言)。 将来的にケンブリッジとか芸大あたりに行かせたいんならそういう英才教育は必要かもしれないが、 最終目的がせいぜい医者か弁護士か大蔵省の役人ていどなのに、 中学からそんなシステムに組み入れられたら、 オレならグレるわな。親といえどもそんな権限はない、と思う。

(00:56)
自分のボス宛に長い反論メールを書いていた。 「だらしない」という要旨である。 研究に関する議論なのでべつに感情的なことはないのだが、 新山の場合、いつも表現が過度に皮肉っぽくなってしまうので、 メールの失礼度を下げるのに苦労する。つかれた。 ええっと、いちおうオレだって失礼じゃない文章も書けるんです! たとえばこのようにね… となりの牡蠣はよく客くう牡蠣だ。

他の人々がだらしのない研究をしているからといって、 自分たちまでだらしのない研究をしていいということにはならない。 そんなことしてるから機械学習屋 (表面的には「科学的」に見える) にデカイ面されるんだよ。 連中はどうせまともなアイデアなんて出せやしないんだから (一生タグづけやってろ、と思う)、 こっちがやるっきゃないでしょ。同様に、他の人が流されているからといって、 自分まで流されていいということにはならない。これは孤高がカッコいいとかいう意味じゃなくて、 オマエそれでほんとに納得してんの? という話である。どうでもよろ。


Document ID: 89c92c79099891afef735d097ff50858

Yusuke Shinyama