2006年 11月 (2)。

明日は今日よりもきっといい、と言えるのは、今日実際に何かをした人間だけ。

Last Modified: Tue Nov 21 02:09:40 EST 2006 (11/21, 16:09 JST)

Nov 20 [Mon]


(14:00)
まあ、はやおきだ
こと。
(14:50)
これは言論弾圧である! これは言論弾圧である! むきーーーーーーっ。 じょぼじょぼじょぼじょぼぼ (ショッパすぎた味噌汁にポットからお湯を入れる音)。

それにしても。

きょうわ、パソコニが、こわれてしまったので、 ブドグドの、コーチン (名古屋) が、できませに。

どうぢますふょう、.

(15:23)
世の中はダヅャレで出来ているんだとふと思った。
(17:30)
やられた。また Chen にやられた。 月曜日は毎週こいつの攻撃を受ける。 しかしこいつは「面接中毒」にかかっていると思う。 先週、シアトルまで行ってきたと思ったらつぎはあっちだと? はっきりいって莫迦。ナカヤ・アキヒロの本でも読んで寝ろ。
(23:52)
帰ってきたらヒサびすりに owen からルす電が入っていて、 スキーに行かないか? という話だった。い…行きたいぞ。非常に。
(00:17)
アニメ好きな人々による、 「アニメ好きな人間を異常視するのはやめろ!」というたぐいの主張をみて思うこと。 アニメや漫画というのは、ほとんどの場合「見た目」による偏見に頼っている。 つまり、漫画ではいい奴はたいてい「いい奴っぽい顔」をしているし、 悪い奴は「悪い奴っぽい顔」をしている。まったく根拠のないことだけど、 こうするとわかりやすいからね。こういうものが好きな人間が、 なぜか他人に対してはそのステレオタイプを適用するなという。 自分が普段いかにステレオタイプの幻想に酔っているか気づいてないのだろう。 もちろん公に差別されるようになったら問題だけど、 たいていの差別というものは私的な領域で起こるものだ。 そういった「内心」のみに注目すれば、短絡度 (見た目のみでしか判断しない度) に関しては どの人間も同じようなものだと思う。

実際、日本人以外の人が、紀伊國屋で日本コミックなどをみて 「なんでこのキャラクターが女の子なの??」などというソボクな (もっともな) 疑問を 呈しているのを見ると笑える。 (ちなみに、英語版「ウィキペたん」議論ページでも "Why a maid?" と書いてあって爆笑した。あんたは正しい!) こういう人々は漫画的なステレオタイプに 汚染されてないのだが、そうすると逆に楽しめないのだった。 つまり漫画を楽しむためには偏見はむしろ必要、なのである。 実は漫画だけじゃない、ほとんどのメディアは偏見を利用して売っている。

ちなみに、米国にきて確実に勉強になったことのひとつが、 米国では見た目で人を判断するのが日本よりも明らかに難しいということだ。 日本ではみんな人種も考え方も非常に「そろっている」ので、ステレオタイプを 構築するのがかなり簡単であるし、実際に的中率も非常に高い。 これは日本で見た目による差別が強化されてしまう原因になっていると思う。 つまり日本ではアヤしそうに見える人は実際アヤしいことが多いのである (注: 新山の基準では。ほかの人の判断は知りませぬ)。 そういう差別をなくそうと思ったら、もっとみんな「見た目を裏切る」ようなヤツに なんなきゃダメだ。しかし米国では外見による予想はかなりアテにならないので (そりゃ新山が見慣れていない人々が多いという理由もあるが)、 偏見をぶちこわすいい機会になる。

ところで (てくるで) 新山は「心」という言葉を真面目に (慣用句以外のところで) 使いたがらないようだ。なぜだろう?

Nov 19 [Sun]


(18:30)
きょうはコンサートへいく約束だったが、 てっきりまた夕方からだと思っていたので昼ごろまで寝坊し、 メールをチェックしたらじつは午後 2時からだったということが判明した。 ふんgゃあーーー。大アワテで走り、なんとか間に合う。しっかし終わったらもう 5時すぎて暗くなってるし、なんか一日をソンしたような気分だよ。まったくもう。

夕焼け。 すこし前にとったやつで、今日のじゃないけどね。

(22:15)
次世代DVDがすでに失敗している 10 の理由:
  1. ちゃんとしてないのに「偽のスタート」を切っている。
  2. フォーマット戦争のためにプレイヤーは売れない。
  3. HD DVD も Blu-ray も飛躍的な進歩というわけじゃない。
  4. 映画産業は保守的かつ貪欲で動機がない。
  5. Playstation 3 は世界を救わない。
  6. 音声では DVD-Audio と SACD がすでにフォーマット戦争のせいで失敗している。
  7. 人々は時代を 15分だけ先取りした技術を欲しがっている。DVDだけ良くなってもダメ。
  8. マニアな人々もそろそろ疲れてきた (し、賢くなってきた)。
  9. 懐疑的なメディアも逆風になる。
  10. 映像配信として見るとブロードバンドやケーブルTVとの競争になる。

結局 (ケッキョキ)、次世代 DVD って消費者からみてなにがいいワケ? 結論。何にもよくない。 今回はレコード→CD とか、ビデオ→DVD のときのようなわかりやすいメリットがないもんな。 売る側からみればコピーコントロールが (今度こそ) 完璧だ! というのがあるのかもしれないけど、 消費者側のメリットが画質だけじゃあねえ。おまけにフォーマット分裂ずみ。終わっとる。

(04:37)
あなたはまだ信じていますか? コンピュータを使えば生活が便利になるということを。

あなたはまだ信じていますか?

Nov 18 [Sat]


(09:42)
そして窓を開けるとそこには白銀の世界が!!

そういえばきのうはパネリストに Cornell から Paul Francis というおっさんが来てた。 新山は知らなかったんだけど、この人こそ NAT を開発した帳本人らしい。 ipv6的にいえば諸悪の根源じゃよ。どでもよろ

(14:01)
ああはならないようにしようといつも自分に言い聞かせている自分の日日。

ところで、言葉というものは持ち運びできる。 キリスト教は言葉を媒介にしているため、どこにでも持ち運びできる“モバイル宗教”。 しかしそれが逆に限界を作っているともいえる。

新山は google を思考のハッシュテーブルとして利用している。 いや、実際あれは中身もそのままハッシュテーブルなんだろうけど。 ある種のフレーズは、ある特定の思考体系をもった人間しか思いつかないだろうと思われるので、 それを含むページを検索すると、ある特徴をもった一連の「タイプ」の羅列が発見できることになる。 もちろんどんなフレーズかは秘密だ。組み合わせが多すぎるのでなかなか難しい。 ただしこれはまだ web でしか使えないという欠点があるケド…。 で、本当に何かを調べたいときは「検索語 wikipedia」というキーワードで入力するにかぎる。 Wikipedia の検索がもうちょい速くなってくれるといいのだが…。

(15:24)
嵐は踏み越えられるが、花は踏み超えられない。
(16:33)
新山の使ってるウィンドウマネージャの変遷: mwm(1995) → fvwm(1996) → stwm(1998) → sawfish(2001) → fvwm2(2004)
(22:29)
El Greco to Picasso - TIME, TRUTH AND HISTORY.

会員向け鑑賞会。すんげーー混んでて、開館前からすでに行列が 入り口数百メートルにわたってずらーと人が並んでいた。 demo, はっきりいって、新山はピカソもエル・グレコもあまり好きじゃないんだよなあ。 El greco はなんかやたら暗くてオドロオドロしいし (そもそも中世の絵はあの美術館の雰囲気に合わない)、ピカソはなんか間抜けだ。 若い頃のピカソは画全体がぼんやりしてるし、後期ピカソの描く顔は失敗した福笑いみたいである。 ダリはわりと好きなんだけど (本人もキチガイっぽいし)。まあ、ピカソもある意味 「ぶっとんでる」のだろうが、この人は絵が多すぎるよ。

(03:23)
HD DVD と Blu-Ray 戦争の話を読んでいてふと思った。 自然言語処理は、おおよそ失敗しそうな技術の要素をかなり含んでいる。 このことはまだぼんやりとした段階なので、またあとで考える。 (もちろん新山の頭の中ではすでに結論は出ているのだが、いつも直感による飛躍を埋めようとして苦労する)

ねむいし。

Nov 17 [Fri]


(07:13)
はやおきです。
(13:04)
オーケイ、so、もし ムーアの法則 が正しければ、500年後には容量がいまの 1050倍になるわけだ。 ちなみに地球にある全粒子数はおよそ 1052個である (地球の質量を陽子の質量で割るとこうなる)。

結論: ムーアの法則を成り立たせるためには宇宙開発が必要。

(18:03)
きょうは一日じゅうずっと、WWH 13階で開かれてた NY network summit に出席してた。昼食のときだけオフィスに戻ってきたが。 ほとんどパネルセッションだったが、いろいろオモシロイ話が聞けたのでよかった。 AT&T から何人か来てたんだけど、現在のインターネットの問題点が プロバイダの観点から聞けたのはためになった。結局のところ (ケッキョキ)、 管理がますます大変になっているんだな。BGP はうまく動かねーし、 ルータを設定するのもネットワークを修理するのもビジネスの観点からは大変、 ということだった。P2P に関するセッションもあったんだけど、 ここに Google 社員がパネラーに参加してて何と言ったか? 「P2P の研究は Google ではふさわしくない ("irrelevant")。 いまの大学院生にひとこと言いたい。 もっと世の中に具体的なインパクトを与えて実際に使える研究をやってくれ」 で、彼らのいうシステム屋の問題とは何か? というと、 「(安い)ハードウェアで障害が起こりまくって、それをどうやって運用するかが一番難しい」 だって。これはそのあと大いに叩かれてて、笑った。 こういった企業が知名度やら給料やらをエサに間接的に学生の研究テーマをおびきよせるのはみっともない。 でも、まあ、新山にしてみれば、こんなのに釣られるほうもかなりカッコ悪いと思うが…。 博士に要求されることというのは、「未知の興味深い問題」を発見し、それを自力で解くような 過程を学習することであって、この過程で解く「問題」そのものが 世間的にインパクトのあるものかどうかは実はあんまり関係ない。 そりゃ、役に立てばそれにこしたことはないが (新山もそれを狙っているのだが)、 これはあくまで教育課程なんで、それがゴールだと勘違いするのはなあ。 (もしそれが目標なら博士の 5年間ひたすら何か役に立ちそうなソフトを プログラミングしてればいいことになる。) 最近になってわかったことだが、「方法」を覚えるのは簡単でも 「方法」を見つけるのは簡単ではないんだよね。

そのあとのレセプションではワインとチーズをゲットし逃走。

(追記… これが学生ではなく職業研究者になったら、こんな悠長なことは言ってられなくなる (大学の給料でも今の 3倍近くになるそうだし)。 だが学問的に十分インパクトがあって、なおかつ実生活に役立つような、 そんないいアイデアを毎年毎年ポンポンと思いつく能力が自分にあるとは考えられない。 新山が職業研究者になれないと思うおもな理由はこれだ。 もちろん、そんなことをしなくても世の中、 適度に目立ってさえいれば“研究者”という肩書でやっていけるし、 またそうしている人が沢山いることは知ってる。 しかしそれは「他人がダメだから自分もダメでいい」というのと同じことで、 これまた自分が積極的に選ぶ職業を正当化する理由としてはひどく虚しいと言うしかない。)

(19:40)
ひさしぶりに wheresgeorge.com 紙幣をみっけた。 調べてみたら、最後に確認されたのはミネソタ州で 2年前ということになってる。
(20:46)
コインランドラーから出るときドアを開けたら入ろうとしてたおじさんにバッタリ衝突し、 思わず「うおおおわ!?」といって後ずさってしまった。そんな場所で待たないでよ! しかしこういうとき、日本語でなら「びっくりしたなあもう、おじさん!」などという 「とっさのひとこと」が出てくるものだが、英語だと語彙 ("scared!") を検索するのに 時間がかかって動きが止まってしまう。しかしこういうときは日本語でもいいから 何か言うのが礼儀というものだろうな。
(23:33)
つきぬけた確信。

Nov 16 [Thu]


(08:58)
雨かい?
(12:18)
それにしても、いまや猫もシャクシも CRF であることよ。 まだ SVM 信者がデカい面をしていた 2002年ごろ、すでに Ralph が この話を聞いてきて「CRF という手法があって SVM よりすごいらしい」といっていたのを覚えている。 でも当時はまだ論文が 1〜2本しかないので、ほとんど誰も知らなかった。 新山はドーでもよかったので特に注意も払っていなかったが…。 それが 2005年 (って去年じゃん!) ぐらいからキチガイのように沢山の人が使いはじめ、 いまじゃ某学会の論文などはコレだらけである。そんで「精度が 0.2% 向上したので有意義だ」 とかいってる。アホって感じ。どちらにしてもこの人達はプロっぽくないよ。 怖いのはこれが「工学の研究」だと本気で信じている人々がいることである。 お前ら工学をナメるな、と言いたい。まあ、これが「科学です」なんていったら 恥ずかしすぎて生きてらんないだろうけど、「工学」でも十分に恥ずかしい。 さしずめ「似非工学」とでもいう名称がふさわしいと思う。エセ科学があるんだから エセ工学があってもいいじゃん。もっとも、 オレは昔から「錬金術」っていうもっとわかりやすい用語で呼んでるけど。 統計的言語処理は二重の意味で錬金術に似ている。 ひとつは「考えつくありとあらゆる方法をかたっぱしから試してみる」ってことで、 なんしろ指針がないので、とにかく目くら滅法に何でもやってみるしかないのだ (でも聞いた話によると、材料系の研究なんかは今でも結構コレらしい)。 もうひとつの類似点は「本当はもっと根本的な法則があるはずなのだが、 みんな (カネにならないので) その理解をあきらめている」ということ。 錬金術も結局は金 (= キン, Au) の追求だった。 ようするにこれは学問的な研究というものが経済によって整形手術された結果なのである。 うだつのあがらない言語処理も機械学習によってモテモテに! …人は歴史から学習しないなあ。(別の「学習」は大好きなのに)

You claim to seek progress, but you succeed mainly in whining.
(人は進歩を求めているというが、ほとんどの場合は愚痴で成功している。)
-- Dennis Ritchie
(13:03)
Python でもっとも恐しい組み込みメソッド: __getattr____setattr__

いまそこらでネコの鳴き声が!!

(17:35)
雨だい??

…アクセスログというものの存在を知らないある女が、 自分の人気を確かめようとブログロ上で自殺予告をした。 本当は犯行予告のほうが注目を集めやすかったのだが、 それだと捕まるから自殺予告にしたのである。 しかし、ほんの冗談のつもりが…

こういう小説はとても多そうだ。とっても。とっっっっっ、

(18:20)
thisisplainstupid.thisisplainstupid.

教訓: 学習しない奴はバカ扱いされる。Itisatruthuniversallyacknowledgedthatasingleman.

(21:50)
いま一番面白いメーリングリスト: openssh-unix-dev

Nov 15 [Wed]


(08:54)
早起きしすぎてそのあと眠れず、早くに大学へくる。 これを機にネボリ癖が改善されるといいのだが。
(10:17)
カッコよさってなんだろう? 新山があるものを見て「カッコいい」と思うのには、 だいたい 2つの要素がある。ひとつは「スタイルとしてのカッコよさ」で、 もうひとつは「工学的なカッコよさ」である。新山はオタクであるので、 当然「工学的にカッコいい」ものをよりカッコよく思う。この 2つはどう違うかというと、 たとえば bash で C++ コンパイラを書くとか、Python で X サーバを書くとか、 C で恋愛小説を書くとか、JavaScript で web ブラウザを書くとかすれば、 それはスタイル的にはカッコいい (ようするに、スタイル的なカッコよさとは反社会的なカッコよさということだ)。 でも、工学的にはちっともカッコよくない。いっぽう、たとえば FedEx の配送トラック (ドアも窓もラジオもついてない) や、仕立屋用の足踏みミシン (いまでもプロの仕立屋は足踏みのミシンを使っている) など、 機能性を追求した道具にみられる「無愛想さ」には、工学的なカッコよさを感じる。 結局のところそれは「プロっぽさ」だと思う。 プロの仕事でいちばん重要なのは正確さと効率、そして持続性だ。 プロといえども人間であるので、毎日仕事をしていればミスもするし疲れもたまる。 で、これは道具を使う側もそうだが、道具を作る側もそうだということ。 プロっぽい道具というのはそれがちゃんと理解されていて、 使う側も効率よく、作ったり直したりするのも効率よく できるように作られているように見える。つまりプロっぽい設計というのは、 系全体のコストを下げ、業界全体がうまく「まわる」ように 両者にとって最適な点を模索した結果ああなっているのであって、 ある意味これは生物の進化に似てなくもない。厳しい生存競争に耐えぬいてきた 結果こういう形態になりました、って感じだ。ここには感傷の入る余地はまったくなく、 「自然な調和状態」を思わせる。それが非常にカッコいい。

ところが、ソフトウェアにはあんまり工学的なカッコよさを感じない。 みんなソフトを使う側の効率のよさばかり異常に気にしているが、 「作る側」の効率のよさはどれくらい考えられているのか。 おそらくほとんど考えられてない。いつも、何か新しい機能が追加されてるのを 見るたびに思うんだけど、ソフトウェアを作る側のコスト (およびそれを何年にもわたって保守していくコスト) と使う側のメリットを比べた場合、 これらは本当に見合っているといえるのか。あやしい。 プロなら、そのあたりの見極めに厳しくなければイカンと思う。けど、 ソフトウェアはいつもアマチュアっぽいというか、「感傷的すぎる」んである。 これは基本的にプログラマのひとりよがりが多いためかもしれない (しかし多勢で開発すりゃいいもんになるワケでもなし… UI に莫大な人数と研究費をつぎこんでいるはずの MS でさえアレだからなあ)。 ある新しいソフトウェアを作る (あるいは、機能を追加する) のは、 短期的にはユーザのためになるかもしれないが、 その調子で今後 10年間も開発を続けられるのか。 10年たったソフトウェアは捨てるとしたら、それで業界が維持できるのか (ソフトウェアが今後ますます巨大になっていくというのに)。 あるバケモノ (=ソフトウェア) を作り出すときに、どういう言い訳なら許される? あんた自身 (新山) はどうなんだ? 歳をとるにつれてますます仕事がキツくなっていくのは、 歳のせいばかりじゃなく、みずから進んで自分の将来をキツくするような 業界に変えてきたからじゃないのか。プログラミングをただの一発屋商売と 考えている人ならともかく (もしかすると、ほとんどの人はそうなのか??)、 少なくともプロとして生涯この仕事をつづけるつもりなら、「続けられるような職業」にするよう 努力すべきじゃないのか。実際、新参者がまともなプログラマになるための障壁は 10年前よりも今のほうがずっと高い (そりゃ、ActionScript なら簡単に使えるでしょうけれど… 道具は教育の代用品にはならないよ)。 この点についてあまりにも無反省な人が多いような気がする。 高校生がこのことを理解できなくてもしょうがないと思うけれど、 「プロ」であるはずの人でもわかってなさそうなやつはいったい何なんだ? それともこんなのはアメリカ人だけなのか? わからん。

UNIX はたしかにあんまり感傷的ではなく、一応 (表面的には) プロっぽい。 でもこれは (1970年代の技術的限界のせいで) 偶然こうなっただけのような気がする。 この原則を理解してこの方向で進めていこうという人が (とりわけ Linux ユーザには) あまりいないみたいだが、 こんなんで大丈夫なんだろうか。

同じようなことは、多かれ少なかれどの産業でもあるのかもしれない (家電とか)。 しかしソフトウェアはその複雑さが直接自分にはね返ってくるので、 志ん朝になるにこしたことはないと思う。

(19:06)
トコヰィーーーー (tokoyie) 後、ギョウザを買って帰宅。早いね。 WTC発の電車が遅れててなかなか出なくて立ちっぱな死にそうだった。 まあ よろ。今日もいつもの中華床屋街だったが、今日はわりあいマトモな髪型に落ちついた。 ちゃんと切る前にスプレーしてくれたし…。かっぷくのいいハゲたおっちゃんだったが、 あいかわらず英語は通じず。なんか、となりの客と世間話をしながらやってるんだけど、 あまりに喋りが激しいので後頭部に息が吹きかかる。 ありゃ絶対ツバとばされてんな。途中から通訳役のオバちゃんがいろいろ話しかけてきて、 おマエどっから来たんだ? 日本。ああ日本はいいね! アタシ日本語すこしできるアルね、 と言い、「お琴! お琴!」という。んで、へぇこのオバちゃんお琴に興味あんの? こらまた顔に似合わず高尚だね、と思っていたら、そのうち「オンナ! オンナ!」と言いだすので、 ああ、オトコって言おうとしてたのかと気づく。 48ニュートンの脱力。

帰りは微妙に霧雨っていたが、雲がかなり低くたれこめているので city hall も woolworth ビルも上のほうはボンヤリして灯りだけが見え、 あたりは薄靄のかかった幽玄な雰囲気に。先々週ぐらいは激サブかったのに、 今週になったら非常にあったかくて上着もいらないほど。どうなってんだ?

Nov 14 [Tue]


(03:06)
もう時刻が時刻だから明日の日記を書いちゃうぞ。

日本のマスコミがいう「知る権利」にはもう飽きた。 「考える権利」をよこせ!

(11:39)
そしてネボった。
(17:34)
アホな方法でキーワードを抽出する・その 2。昨日の朝刊から:
クラスタ1:
89.4 ロバート・トレント・ジョーンズ・トレール・マグノリアグローブ
44.9 トーナメント・オブ・チャンピオンズ
23.5 ポーラ・クリーマー
19.0 アラバマ
14.8 モビール

クラスタ2:
35.2 藤沼亜衣
30.5 青森山田高
20.9 ミキハウス
19.3 福原愛
18.0 卓球

クラスタ3:
37.4 長島圭一郎
35.6 吉井小百合
35.3 小平奈緒
34.9 大菅小百合
29.3 岡崎朋美

クラスタ4:
29.2 グレートアイランド
23.0 伊藤園
14.8 千葉
10.4 レディ
10.0 アンダー

クラスタ5:
39.3 大相撲九州場所
27.9 琴欧
27.9 黒海を押し出し
26.6 小手投げで
26.1 上手投げで

クラスタ6:
67.8 大阪府富田林市の府営
35.5 富田林署
29.4 年の女子生徒
23.9 市立中学
20.6 女子生徒は

うーん、もうちょいデータがあればうまくいくかもね?

基本的にこのやり方は次のようなもんである:

スコアは IDF推定値。これダケだとさすがにアレなんで、 もうちょいなんか工夫したほうがよさそうだが…。 しかし、とにかく unsupervised だ。 チョー適当 30分実装。python ばんざい。
(00:03)
あうあー。寄ってまふ。 もうどうでもいいことしか書かないけど (ソレハイツモソウ)、 今日は kenny が発表してた。おお、すげえぜ kenny。 このおっさんほど Lisp と数学教育に人生を賭けてる人はそういない。 そのご日焼け牛で飲みすぎた。やっぱ思うんだけどよ、新山は Lisp は嫌いだが、 あるひとつの言語をこれほど好きな集団と知り合う機会って、そうないぜ。 ほんとに自分はラッキーだったと思うよ。 某国においては、かようなキチガイ的技術カルトに会う方法はもはや存在しない。 あったら教えてくれ。なかろう、うん。それにしても酔ってまふ。 もうこのへんでやめよう。

Nov 13 [Mon]


(11:29)
「枢機卿、安楽椅子をもってこい!」

(恐怖にゆがんだ顔で) 「あ、安楽椅子!??」

(14:11)
世の中には「こいつ何にも考えてねーな (= アホじゃん)」と思う人が数多くいるが、 新山はいままでそういう人間がいったいどのようにしてまともな地位を獲得・保持している (そういう人でも結構まともな会社に勤めていたり有名になっていたり、 あまつさえ書物を執筆していたりする) のか、疑問に思っていた。

しかしあるとき非常に説得力のあるたとえを聞いた。

そういう人々にとって、人生とは「あわわわわわわ!」の繰り返しらしいのである。 つまり彼らは自主的に何かを考えたり、選択したりしているのではなく、 しじゅう「あわわわわわわ!」とやっていると。彼らにとって日常のほとんどの業務は「反射」なのだ。 ああなるほどね。そして彼らは自分が「反射している」ということすら自分では認識できていないらしい。

やるなあ、世の中。

(16:02)
CG屋のせみなあに参加してきた。この研究 http://phototour.cs.washington.edu/ の発表。ちなみにこれはすでに MS が商品化しているが、 オレには関係ないことだ。隣の席に、機械学習の授業で一緒だった学生がいたのだが、 開口一番「お前、PS3 買った?」 んなもん買うか!! そもそも、米国ではまだ売ってないんでないの? よう知らんがね。どうでもよろ。 ちなみに Lacun がやってる Robotics の授業の内容を聞いたが、 なんでもお掃除ロボット Rumba を改造してゴミ袋をとり出して Mac Mini とカメラを埋めこむんだと。 クーーール!!
(17:45)
こないだつのづき。いやまちげた、こないだの続き。 集団による暴力をふるうのもふるわれるのもイヤだという新山のような人間は、 結局のところ、サル山の群れからはぐれて一人で暮らすしかない。 しかし、それでも生きていけるという現代は非常に恵まれてると思うのです。 これが昔だったら絶対飢え死にしてたからな。これは「日常生活のための集団」と 「仕事・趣味のための集団」が別々だからできるのだと思う。これは新山が現代社会から受けている明白なメリットだ。 現在の世の中はこのよーにいくつもの群れが (重なりあいつつも) 独立して存在しているので、 いくらネットで村八分にされようが実生活には何の影響もない。 ただし小学校や中学校というのは生活と仕事と趣味が一緒くたになった集団なので、 逃れられないという印象がある。そういう意味で、新山はひとつの集団に 機能を持たせすぎるのを恐れるし、なにより特定の集団にのめり込みすぎた人を恐れる。 つまり平均すると日本人は「けっこう怖い国」ということになる。 こんなんではこの先オレの人生は暗い。

しかし、たまには怖くない人もいるからさ。 そういう人をみつけて個人的に仲良くしてくしかないよね…

(01:10)
Wikipedia で盲点の項を見ていたら、 盲点に関して実験ができるサイト というのが紹介されていた。これをやってみたら「人間の脳ってスゲーなあ」とあらためて感動した。 最初の「左目を閉じて右目で + の部分を見つめよ」ってやつはよくある盲点の実験だが (誰でもどっかで見たことがあるでしょう?)、 盲点の部分に図形があったらどう見えるか というのはおもしろい。本来盲点にあって途切れるはずの縦線が続いているような気がする。 この「気がする」というのが曲者で、視界の端のほうにあるためになんか、ビミョーに断言できないという 非常にもどかしい思いをするはずだ。脳が補間しているのだが、うまくできてるよなあ。さておつぎは 盲点が模様に覆われていたら? ってやつである。これまた脳の補間機能により赤い斑点があるような 気がするが、断言できない! なんかムカつく。しかし最後の 自分の盲点を測定する Java Applet をやってみてビックリ。

これが新山の盲点だる (この図は 96dpi で見てください):

右の青い「」がプロットされてない部分が見えてない部分である。でがい!! こんなにデカい部分がいつも見えてないにもかかわらず、普段は片目を閉じてもこんな 欠損部分があるなどとはまったく気づかないところがすごい。それに、盲点の位置もよくデザインされてる。 この図では右目で左の + を見ているから、実際に画面の正面に見えているのは (右目を正面に向ければ) 視界の右のほう、つまり視界の周縁部にあるのだ。たしかに、 どっかに盲点をつくらなきゃいけないなら内側よりも外側のほうが不利にならないもんな。 いやーすげえよ人間て。

(02:37)
明日への todo:

床屋へ行く。(tokoyah)

…って、明日は lispnyc の日じゃんか!

Nov 12 [Sun]


(12:15)
某サイトのスタイルシートを解析していたら、こんなものを見つけた。 なんだこりゃ!
#trough li{
padding:3px 0 3px 5px;
p\adding:3px 0;
margin-left:-15px;
ma\rgin-left:0;
}

てくるで、日経を見ていたら「NYにユニクロがオープン」という記事があった。 何これ。やっぱカタカナなの? カッコわり〜。 新山はじつは日本でも uniqlo に一回も行ったことがない。 服はだいたいいつも久が原のジャスコで買っていたからなあ。 しかし経験によれば、だいたい外人ウケする日本製品はどれも、 平均的な日本人客にとっては「げげげげ、趣味悪い」というもんなのである。 ヒトも同様。新山はだいぶ最近まで村上隆を知らなかったんだけど、 そういえば前に MoMA でこいつのデカい絵を展示していたんだよ。 で、そのときは「ぬんじゃこのキモチ悪い絵は〜〜 (しかもでかい)」としか思わなかったんだけど、 あとになってアレがじつは村上隆の絵だったということを知った! あんなのが! なんともはや。

しかし、不幸なのは、この「趣味悪い感覚」は日→米の一方向にしか動かないことである。 これが日←米になると、すげー趣味悪くてもたいていの日本人は 「なんかスゴそう」と思ってしまう。でもこういった現象はべつに日米に限ったことじゃなくて、 国内だって「有名人のデザインした服は、たとえ趣味が悪くても『なんかスゴそう』という反応を引き起こす」 んだから、結局のところこれは「声の大きい奴が勝つ」という例の一般則の応用にすぎない。 かくしてうちらは今日もまた声の大きい奴に耳を傾けるのだ。

(13:42)
vnc2swf.py を Python 2.2 で動くようにしてくれという声が多いので (古い Fedora はまだ 2.2 だから)、コード中からジェネレータ表記をなくそうと思って、 Python の文字列処理のビミョーな速度差についてちょっと調べてみたのだが、
  1. # オーソドックスな方法
    s = ''
    for i in range(1000):
      s += str(i)
    
  2. # range のかわりに xrange を使う
    s = ''
    for i in xrange(1000):
      s += str(i)
    
  3. # リスト内包表記を使う
    s = ''.join([ str(i) for i in range(1000) ])
    
  4. # リスト内包表記 + xrange
    s = ''.join([ str(i) for i in xrange(1000) ])
    
  5. # ジェネレータ式を使う
    s = ''.join( str(i) for i in range(1000) )
    
  6. # ジェネレータ式 + xrange
    s = ''.join( str(i) for i in xrange(1000) )
    
上のような方法を比べた場合、どれが一番速いだろうか? 新山はこれまで「リスト内包表記 < for < ジェネレータ式」の順で速くなり、 同じ方法なら range を使うよりも xrange を使った方が速くなると思っていた。 なぜなら、ジェネレータや xrange を使えばリストをわざわざ構築する必要がないと思ったから。 しかし、結果はこうである:
  1. オーソドックスな方法 : 2.08msec - (5)
  2. range のかわりに xrange を使う : 3.37msec - (6)
  3. リスト内包表記を使う : 1.82msec - (2)
  4. リスト内包表記 + xrange : 1.80msec - (1)
  5. ジェネレータ式を使う : 1.98msec - (4)
  6. ジェネレータ式 + xrange : 1.93msec -(3)

なんと予想に反してリスト内包表記がいちばん速かった! 使ったのは Python 2.4 だる。 どうやらジェネレータを使う時にはオーバーヘッドが結構あるらしい。 この順位は range の値を 1000 から 10000 に変えてみても同じである。 おもしろいのは、for を使ったときは xrange を使うと かえって遅くなるということだ。この数値は最適化の方法が変われば 変わるかもしれないけど、まあこれなら speed critical な部分では ぜんぶジェネレータ表記をやめちゃってもいいかな (そして vnc2swf のほとんどはそういう部分である)。 そんなに読みやすさは変わんないし…。 しかしこのプログラムは yield を一度も使っていない。 これは新山の書くコードの中では非常に珍しいことだ。 研究で使うコードでは使いまくっているからね。

(14:11)
あー、でも結局 2.2 では socket.settimeout が使えないじゃん。ダメか。

全然話は変わるけど、そういえば昔 fj あたりで使われていた 「かまって君」という概念は死語になったんだろうか? いまや、人は 誰でも「かまって君」であるということが判明したからな。

(15:27)
Samba 開発チームから Novell へ再考のお願い

Novell が 11月2日におこなった決定に対し、Samba チームは強く異議を申し立てます。

プロプライエタリなソフトウェアの世界と、フリーソフトウェアの世界との根本的な違いのひとつは、 プロプライエタリな世界ではユーザどうしの共有を制限するようなライセンス条項に強制的に同意させることによって ユーザコミュニティを分断しているのに対し、フリーソフトウェアの世界ではユーザにそのソフトウェアの 利点を共有させ、ユーザどうしの団結を促進していることです。

今回 Novell と Microsoft のあいだで交わされた特許契約は分裂をもたらすものです。 これはフリーソフトウェアのユーザおよび作成者を「商用」か「非商用」かで異なる扱いにしており、 彼らが自分たちのフリーソフトウェアを Novell から直接入手したものか、それ以外の第三者から 入手したものかにより異なる扱いをしようとするものです。

Free Software コミュニティと GNU GPL はそのような配布を認めないことを目標としています。

さらに、GPL では GPL化されたすべてのソフトウェアがソフトウェア特許に対して 一致団結して反対しなければならないと明言しています。私たちは団結することによってのみ、 ソフトウェア特許によってもたらされる脅威を防ぐチャンスがあるのです。 今回の合意により、Novell はこのような団結した防御を破壊し、Free Software コミュニティの長期的な目標を、 競争相手よりも優位に立つという Novell の短期的な目標ですりかえようとしています。

Novell にとって、このような取り引きを交わすことは Free Software コミュニティとの関係に対する 深い不信の念を意味しています。同社に供給している立場である私たち、および Novell は、 自己の目的のために Free Software コミュニティとは反対の立場を表明している人々と 取り引きする権利はないということを理解する必要があります (訳注: should know)。

フリーソフトウェアの世界で特許を武器として利用することは受け入れられません。 この件について、これまで多くの論争や議論や、カンファレンスに参加してきた Novell はこのことを知っているべきでした。私たちは Novell に対して、 Free Software コミュニティの利益の受け手として、 ソフトウェアの自由法律センター (Software Freedom Law Center) と協力し、 今回の特許契約を取り消してその責務を果たすよう要求します。

なんだかすげー文面だな。どっかの市民団体みたい。 しかしフリーソフトウェアが必ずしもユーザに文字どおりの「ソフトウェアの共有」を 促進しているかどうかは議論の分かれるところだ。 GNU は (いわゆる "Free Software" は) そう言うだろうが、 それが一番の目的かと言われれば、どうかな。

(23:00)
ゴハン食うの忘れてた。

近ごろ、「主張がなければ文章を書けない」ような 強迫観念を多少感じるようになってきた。職業病というのか。 これはとても不幸なことだ。なぜなら新山は昔からとくに意味もなく ダレダレと意味不明な日本語をたれ流すのが好きだったから。

(00:24)
前髪がのびすぎるとモノモリャーになりやすいんだよ。知ってた?

…帰りの電車の中などで、やることもなく立ちつくしているときは この日記に書くことが滝のように思い浮かぶのに、 いざ帰ってきてシャワーを浴びてメシを食ってしまうと 「ぐてーん」という感じになって何ひとつ思い出せなくなってしまふ。 都市かしら。

Nov 11 [Sat]


(14:02)
気がつくと、世界の半分は過去だった。
(15:46)
そういえう゛ぁ (そういへば)、「テヘロリ」をあらためて手にとってみて気づいたのだが、 この本のタイトルに使われているフォントの長音記号が異様に長い。なんだか 「テヘランで/ロリ――タを読む/ア――ザル/ナフィ――シ――」と書かれているようである。 だからどうした。どうもしない。ああ頭が痛い偏頭痛偏頭痛

(今まで Advil を飲んで寝ていたというのはウソ本当)

(00:58)
すっかり夜型のヒトとなり、帰宅。 夕食は残りもの。一人暮らし時の新山は、親から与えられた掟である 「1日30食品仮説」を激しく逸脱している。
(03:21)
鉄でできた黒い鋏。

Document ID: fcdbbe5342fde836554b064f4dec4d38

Yusuke Shinyama