竹を割ったような妄想ですね。
nmhmny == (寝も歯もない)
きょうはミーティングがあった。すげーひさしぶりのミーティングだる。 なんか話すこといっぱいあったような気がすっけど、 Ralph があんまり興味なさそうだったのでひけ目を感じて早めに切りあげる。 本当は度忘れもしていたが。どうでもよr。
最近ん、食後にネムくなってきたときは Wikipedia を翻訳することにしているのだが、 それすらもできなくなるほどネムくなったときはどうしよ。どうしようもないな。寝よ。
どうでもいいけど、英語版インターフェイスで 漢字を検索する と、検索文字列が赤く表示されるという機能があるんだけど、 なぜこれは日本語版ではやってくれないんだろうか?
というぐあいで、機械翻訳チームからはクソな出力データをよこされ、 しかもウチで生成した出力はコロむビあ (およびその後続) の連中から急かされたあげく突きあげられる、 という板バサミな状況。まさに中間管理職。 ちなみにこれはものすごく単純化した図式で、 実際にはデータの流れは何重にもなっており、単純なウォーターフォールではない (ところどころにフィードバック・ループのごときものが存在している…)。 最近の H嬢は人生の目標を見失ってきており、ときにサメザメと泣くことがあるという。 こんな状況に置かれりゃあ、オレでも泣くわな。 最近の Ralph はなんで彼女にこんなに仕事をおしつけるんだろう? 卒業させる気ないのかな? (いま、なんかまずいこと言ったような気がする、ふぉっふぉ)$ cat 元データ | 音声認識チーム | 機械翻訳チーム | バカの壁 | ウチら | コロンビア大のチーム | どっか > 最終結果
オレの単純な web を返せ〜〜〜!!
こういうのを見ると「アッカは量化を…」ってのを思い出す。
コンピュータ関連の技術でいつも思うのだが、なにかやっと単純で一般人にも使えるようなものが 出てきたと思ったら、すぐにワケのわかんない連中によって複雑怪奇なものに変えられてしまう、 という傾向があるように見える。これは、オタクどもが自分の領域を守ろうとするためにとる 集団的な (無意識による) 防御行為の表れなのだろうか? だとしたら、オレはなんて恥ずかしい集団に属しているのだ。 (もっとも帰属意識はないが、人々はそう見るのだろう、きっと…)
加担したくないな。
新山がこういう場合に頼る基準というのはじつに簡単で、 ようするに「ブラックボックスを不必要に増やすのは悪」なんである。 (これはオープンソースにすればいいというレベルの話じゃないよ。) おそらく、古代から受け継がれてきた「技術者の知恵」とでもいうものがあるとすれば、 これなぞはまちがいなくそのうちの一つに入るだろう。 しかし、いっぽうでは、エンジニアリングというのは昔からできあがったものを ブラックボックスとしてあつかい、それを利用することで発展してきた経緯がある。 でも、トランプの家を立てるのには物理的な限界があるように、ブラックボックスを利用する回数にも 「物理的な」限界があるように思う。 だから不必要にブラックボックスを増やしちゃいかんって結論になるんだけど、 そもそもなにが「必要」なんだ? この疑問にまともに答えられないやつが設計してるのがオレは気に入らん。
どうも 10年ぐらい前から繰り返しこの問題を考えてきたような気がするが、 基本的にこういうことを考えるのは、(たぶん新山以外の多くの人にとっても) 不快だ。 これは「アタマの浅い人」と「アタマの深い人」に関連してくると思うけど今日はこれ以上書かない。
結論: 似ている。すんー — ごく。
ところで苔を蒸したらうまいのか??
どうでもいいが (どuでもよro)、ガキのころ、 「いわおとなりて」というのを「岩音鳴りて」だと思っていた人というのは オレ以外にも 5億万人いるはずだ。
しかしよく思うのだが、オレの性格ってのは、 日本に帰ってから苦労すんだろうなあと思う。新山の場合、言葉を婉曲させるのに べつに苦労はないのだが、いくら表面上おだやかな言葉を使っていても 意図が確実に伝わっちまえば結局同じことだし、むしろそういう場合は慇懃なほうが かえって相手をバカ扱いしていて失礼だと考えるので、けっきょく (ケッキョキ) ミもフタもない表現を使ってしまうことが多い。オレは贈答品でも言葉でも 上げ底が嫌いなんだよ!! しかしなぜ上げ底を嫌うのかと考えてみると、 結局のところそれは「質素なのが好き」だからかもしれない。 新山にとっては、質素さは人づきあいより重要なのだろうか。 うん、そうかもしんない。
(追記) ちなみに新山は一部の日本人が好きな「和気あいあいとした雰囲気」を恐れる。 べつに殺伐したのが好きなわけではないが、表面的な仲のよさはキライだ。 なぜならほとんどの場合のそれは恐るべきウソだからだ。 繰り返すが、上げ底はやめようぜ。 どうでもいいが (ようでもどろ)、「わきあいあい」を変換したら「和気藹藹」って出た。 だけどこの「藹藹」の部分は知らない漢字だったので、あとでひらがなに直した。 新山が文章をタイプするときにつねに守っているルールがある。 それは、手書きでは書かない (書けない) ような漢字を入力しないこと! である。このことがわかってない人間の文書はたいていひどい。
→ → ← ←
→ → ← ← → →
きぬづれの音。
/etc/issue
:
\s \m \r, \d \t (\l)
動的計画法 (dynamic programming) の特徴とは:
ちなみに、c. の条件がない場合の解法は分割統治法 (divide-and-conquer) と呼ばれる。
一般に、動的計画法が使える問題は、NP 問題の特殊例であるといえる。 これらはバカ正直に解こうとすると指数オーダーの時間が必要なものが多いが、 動的計画法を使うことによって多項式オーダーの問題に変換できるので、 かなり利得がでかい。だから、ある問題を動的計画法が使えるような形式で 設計することは非常に有益だる。
信頼関係で重要なのはデフォルト値である。 世の中には二種類の人間がいて、 「デフォルトで人を疑う」タイプと、 「デフォルトで人を信頼する」タイプだ。 オレはいつも後者でありたいので、 新山のデフォルト値を変えようとする人間が嫌いだ。
array.array
ってあんま速くないんだね。
(普通のリスト使用、1,000要素) $ python -m timeit -s 'import array' -s 'a=[0]*1000' 'for i in xrange(1000):' ' a[i]=1' ' b=a[999-i]' 1000 loops, best of 3: 612 usec per loop (array 使用、1,000要素) $ python -m timeit -s 'import array' -s 'a=array.array("i",[0]*1000)' 'for i in xrange(1000):' ' a[i]=1' ' b=a[999-i]' 1000 loops, best of 3: 1.02 msec per loop (普通のリスト使用、1,000,000要素) $ python -m timeit -s 'import array' -s 'a=[0]*1000000' 'for i in xrange(1000000):' ' a[i]=1' ' b=a[999999-i]' 10 loops, best of 3: 581 msec per loop (array 使用、1,000,000要素) $ python -m timeit -s 'import array' -s 'a=array.array("i",[0]*1000000)' 'for i in xrange(1000000):' ' a[i]=1' ' b=a[999999-i]' 10 loops, best of 3: 973 msec per loop
整数 "i"
を "b"
にしても同じ。
ようするに、メモリの節約にしかならないみたいだ。
そういう人間って、新山の知るかぎりではけっこう多い。(知り合いにはそんなにいないが。) 人前ではとても言えないようなことでもツウちゃんねるでは嬉々として書ける連中や、 Winny で Photoshop をダウンロードしたりウィルスばらまいたりして「罪の意識なかった」 とかいってる連中と五十歩百歩である。 とりわけ日本人のネットユーザーはそういうのが多いんじゃないかと思う。 というのは、良くも悪くも平均的な日本人にとって、 善悪の基準には「他者の目」が非常に大きな要素になっているから。 あることをやってはいけない、というとき、その理由は「自分が悪いと思うから」というよりもむしろ 「他人から悪いと思われるから」のほうが比重がでかい。新山自身もそういう感覚には なるべく抵抗しようとしているけど、やっぱり集団による洗脳っつーのはなかなか取れない。 逆にいえば、「誰も見ていなければやっても OK」という心理の人が多いということである。 ひとけのない所に行けばゴミが大量に捨てらているのはそういう人々によるものだろうし、 そういう人間にとって、ネット上では「たが」がなくなってしまう。 だからついストーカーしてしまうというわけだろう。うげ! そういう連中を何と言うかというと、やはり「子供」としか形容しようがない、ように、オレには思われる。 だって自分の信念がまったくカラッポなんだからさ。 まあ二十歳を過ぎてそういう状態の人は今後ほぼ治る見込みなしなので、 ほうっておくしかないんだけど。新山は自信をもって言えるが、こういう人々は、 今後もゼッタイ減らない (というかむしろ増え続ける) んで、 覚悟するしかないんである。 よくネット上の人々からウォッチされてページを閉鎖したりする人をみかけるけど、 それははっきりいって読みが甘いというもんで、ガキに後ろ指さされんのが嫌なら最初っから web なんかやるなってんだ。 同様に、ピンポンダッシュされるのが嫌な人はそもそも街中に一戸建てを立ててはいけない。
まあ、いつもないが。
新山にとって、電話というのは、人が死んだのを知らせるためのデバイスである。高い買い物だ。
迷信を信じる人について。新山は迷信を信じることが悪いとはちっとも思わない。 なぜなら新山自身も、「Ruby はすばらしい言語だ」とか 「機械学習は役に立つ」などの迷信を信じているので、たとえ他の人がどーしょーもないものを 信じていてもべつにとがめるつもりはないからだ…ただ「もしかするとこれって全部ウソかもね」 というかすかな疑いさえ持っていてくれれば。 これは逆説的に聞こえるけれど、つねに疑う能力のある人が本当に信頼できる人なんだと思う。 ただし疑いすぎると宇宙が崩壊するのでほどほどに。
っていうか、オレはもしかして「ユウ○○」っていう単語ならなんでも好きなんじゃないだろうな? なぜなら名前がユウスケだから。「ユウウツ」も「ユウガオ」も好きだし。 ちなみに新山は夕方 5時ごろに生まれたのでユウスケになったという説がある。 単純だな、オイ。
それにしても、スキーに行けるほど健康なのに手術を受けねばならんとは、なんつうこった。 手術したあとはしばらくスキーできないだろうから、 わざわざ不健康になりに行くようなもんである。ぶつくさ。
Document ID: dd51ab7faabaa3a40a3447f9f3fd0270
Yusuke Shinyama