2007年 3月 (3)。

Last Modified: Mon Apr 2 02:41:20 EDT 2007 (04/02, 15:41 JST)

Apr 01 [Sun]


(20:32)
ああ、またもや オオニシ記者の記事が nytimes のトップに出ている。 この人はもう「とにかく日本に批判的な記事を書く」という芸風を確立したようで、 前はホゲ〜問題についてもやっていた。 ネット上では「オオニシ記者はなんか日本に個人的な怨恨をもってるんじゃないか」みたいなことが書かれているが、 でも新山の意見では、この人は単にひたすら売れそうな記事を書いてるだけだと思う。 そもそも、nyt に載る日本の記事っつうと、だいたい 「日本はいかにハイテクか」というタイプと、オオニシ記者的な 「日本人 == 卑怯で卑小で卑屈で根暗な変態民族」という 2つのタイプにわけられる (ま、ある意味ハイテクも一種の変態だな)。 で、これはアメリカンの一般的な日本人観とも合致していると思うのだが、 別に彼らにとってはそれでいいのだ。なぜなら nyt の読者のほとんどにとって、 日本なんかしょせん真面目に理解する必要がない「イロモノ系」の国だから。 彼らにとって、日本の現象というのは「ウォッチ対象」のひとつでしかなく、 毎年消費される三流芸人みたいなもんである。 だから、べつに東スポ的な内容でも面白けりゃいいわけで、あまり真剣に取る人もいない。 オオニシ記者みたいなのはステレオタイプを煽ってくれるからウケるはずだ。 そういう意味では、この人は自分の立場をわきまえたいい記事 (売れるという意味で) を書いていることになる。 しかしさあ、日本も同じようなことを他の国に対してやっているじゃん。 そろそろ、日本人はいいかげん自分たちの自意識過剰ぶりに気づいてもいいんじゃないの。 韓国も自意識過剰なのかもしれないが、日本人は人のふり見て学んでないよなあ…。 新山は多くの日本メディアがなぜ米国 (とその他欧米諸国) をもっとコケにしないのか不満である。 アジアならわりと平気でバカにしてるくせにさ。 まあ、それが西洋コンプレックスというものなのだろう。
(23:29)
くそー、電車が hobokenized されてたので帰るのにたっぷり 1時間以上かかった。

さて、BitVault の論文を読んだ。 クールなアイデアだ。 長い論文なのでまだ全部理解してないのだけど (4章の途中まで)、 とりあえずわかったところをまとめると、BitVault は以下のような特徴をもっている:

で、これを実現するシステムとしてはすでに有名な GFS があるが、 BitVault は以下のような理由で GFS とは違ったデザインをとった:

このため BitVault では P2P的なインデックス手法を採用している。 各オブジェクトの位置は (Chord 的な) 固定ハッシュによって決定されるようにした。 これは Hypercube 型のネットワークを構成し、prefix routing により O(log N) 時間で目的の (冗長化された) オブジェクトに到達できる。 ところが、Chord 型ネットワークの欠点というのは、固定ハッシュのため、 マシンの構成が変わる (新しいマシンが追加される、あるいは古いマシンが外される) と、 全体のインデックスが変わってしまうということにあった。 さらに Chord のハッシュは多重化されているデータの位置も規定するので、 これはつまり、マシンを追加するたびに、大量のデータをごっそり移動・再複製するはめになる。 これは効率が悪いし、データが最終的に安定するまでに数日かかることもあるので、 信頼性が低下する。

ここで BitVault が提案したアイデアというのは、 「インデックスとデータを分離して、インデックス部分だけを Chord的な方法で管理する」 ということであった。 インデックスとは、どのデータがどのマシンに格納されているかを示す、 ようするにディレクトリみたいなもんである。ただし各データは多重化されているので、 ふつうインデックスはひとつのオブジェクトに対して複数の位置を保持している。 で、(さっきの GFS との違いでも説明したように、) このインデックスは ひとつのマシンには入らないが、データそのものよりはずっと小さいので、 (マシンが増えたときに) 大移動してもそんなに大変ではない。 各オブジェクトへのアクセスは、まず一度インデックスを参照してから 目的のマシンへ到達することになる。インデックス → データへの対応は Chord 的でなくてもよいので、 各マシンは特定のポリシーにもとづいてネットワーク的に近いマシンにデータを 格納させることができる。また、こうしておけばインデックスが動いてもデータは動かさずにすむ。

さらに、BitVault ではインデックスがいつ壊れてもいいように、 マスター・スレーブという考え方を完璧になくした。GFS の考え方は、 基本的にマスター (インデックス) が中心的な役割を追うように設計したものだったが、 BitVault では主役は個々のオブジェクトにある (これを彼らは object driven と呼んでいる)。 BitVault ではインデックスを保持しているマシンとデータを保持しているマシン (通常これらは別々である) が 双方向のポインタをもっていて、n対n でお互いを監視させている。 データをもっているマシンが壊れるとインデックス側は別のマシンを (特定のポリシーにもとづき) 選定し、 再複製を要求する。いっぽうインデックスをもっているマシンが壊れるとデータ側はインデックス用のマシンを (Chord的なハッシュにもとづき) 選定し、再インデックスを要求する。 こういう「ぎっこんばったん的」なメカニズムにより、複数のマシンが同時に落ちても すばやくお互いに補完しあって安定化状態になる…そうな。 このために必要な前提というのが、 「各マシンは、ネットワーク上に接続されているすべてのマシンを知っている (eventual membership)」 ことで、この情報が O(log N) 時間ですべてのマシンに broadcast されれば、 それなりの速度が出るという。もっとも数学的な証明は論文では割愛されているけど。 で、この broadcast を実現するために P2P 層に XRing というアーキテクチャを使ってるんだけど、 この部分はまだよくわかってないんでパス。

で、ほかにも信頼性を上げるためには負荷分散とか優先度とかの概念が必要で、 それも説明されてるんだけど、これもパス。

はっきりいって、MS Research は結構マトモな研究をしていると思う。 しかもどっかの会社と違って彼らはちゃんと論文を公開しているし、 わりと MS 製品とは独立した研究をやってるようだ。 米国の博士学生の間では、まともな学術研究をしたかったら Google より MSR へ行けというのは よく言われている。まあオレはどっちも興味ないけど。

(追記) ちなみに、BitVault を作ってる連中は本家 MSR ではない。MSR Asia だ。 こうゆうのを見るたびに、日本のシステム研究はほぼ完全に死んだ、と思わせる。 オレにゃあ関係ないが。

(追記2) ついでにゆうと、日本の自然言語処理研究もほぼ品詞瀕死、という印象だが (ある人を見てるとそう思います)、 彼らは日本語という参入障壁に囲まれている限りいましばらくは安心である。かもしれない。 これもオレにゃあ関係ないが。

(追記3) 上の議論から導かれる結論: 中国人は危険だから入国規制しろ。

(追記4) どうでもいいけど (どうでもよろ)、"BitVault" って名前はどことなく BitTorrent の影響を感じさせるが、「Bitなんとか」って名前はそろそろお役御免じゃない? (まあ、この論文は 2005年だったので許してやる) どうも「Bit」ってのが付くとダメなイメージあるのよね。 BitKeeper とか、ビットバレーとか。 これからは「Second Bitte」とかにすべきだ。 あ、ここでの bitte はドイツね。

Mar 31 [Sat]


(13:00)
けさは朝早くに起きて某ワークショップに出席。 どういうわけか、会場はうちの大学のすぐ隣のビルでやってるのだ。 だから昼休み中に抜け出してこれるわけ。

それにしても、ハイブリッド車にあんな致死性の欠点があるとは知らなかった。 いやほんと、世の中あちらを立てればこちらが立たず、だなあ。 ハイブリッド車の研究者は、こんな問題が出てくるとは予想しなかったにちがいない。 しかも、まったく公害とは関係のないところから、である。 ある技術が世の中に及ぼす影響について、前もって全部予想しておけというのは 不可能なことだ。が、まったく予期しなかった場所から問題が出てくるというのは 実はよくあるんじゃないか。そういうときにオロオロしないようにしたいもんだ。

(16:11)
あー、終わった。途中激ネムかったです

それにしても、Tisch Arts School はスゲえよなあ。 さすがうちの名物学部だけのことはあり、CIMS なんかとは金持ち度が違う。 あそこって地下はぜんぶスタジオとか編集室になってんのね。 一階にはいきなり舞台用具がしこたま置いてある倉庫があるし、 なんかスゲーーー別世界。こんなのがすぐとなりにあるとは思えない。

(19:44)
その後、B&N に酔って寄って本を買い、帰ってくる。 本屋に行くとすぐに 1時間や 2時間たってしまうなあ。
(03:59)
ガーーソ!! Leslie Lamportって 男だったんか!! ワタシャ名前からてっきり女とばかり思ってた。 まったくなあ。よくある名前なんだからせめて性別は区別できるようにしてくれよ。 いまだに名前から男女の区別をつけるのに苦労する。 もちろん、英語圏の名前でないのはさすがにムリなのだが、 英語では代名詞には gender があるのでやっかいだ。代名詞を使うためには性別を知らねばならない。 そういやー、英語圏の名前である "キム (Kim)" が Kimberly の略で、 じつは女性名を表すと知ったときの新山のショックを想像してみろ。

ちなみに、Lamport は Dijkstra なきあと、現代を代表する計算機科学者のひとりである。 分散システムや P2P をやっていて Lamport の名前を知らないやつはもぐりだ (といっても、オレも男だとは知らなかったが)。 でも日本では LaTeX の開発者としてしか知られてないみたい (新山は、むしろこっちのほうが知らなかった)。

Mar 30 [Fri]


(15:01)
今日のゲリラ的送別会に出席できなかったが、新山の分のケーキが残されているというので 見てみたらなんかすっごいコキタナいので、見なかったことにする。 さ、昼飯買ってこよ。
(17:58)
今日は ubuntu を嫌いになった。 っていうか、なんぜ /etc/modprobe.d/aliases に eth* がないんだ? これはべつの場所で設定されているのか? まァ、新山は使わないんでいいけどよ。 で、あいかわらず必要なときに man がない。っつーか、もう linux ディストロは man を更新する気がないんなら man 使うのやめれ。 man 以外の統一された、コマンドラインからも使える ドキュメンテーションを提供するならそれはそれで結構だから。 実際、djb は /doc という枠組み を提唱している。今んところ誰にも無視されてるみたいだが。 ええ? texinfo? …論外。
(21:02)
there're a bunch of people who creep around others, gather all the rumors and gossips, and bloat them with a huge balloon of intellectual vacuum. don't say they're more fit to fbi agents, rather than, say, researchers? dunno. nontheless, all the leakage is your own fault. you can't expect anyone to be blamed, and i just don't understand their utter lack of honesty and respect to the others around. anyway, they're doing pretty good in their country, which happens to be the same as mine, very, very luckily...

世の中には、一見すると非常に親切で「いい人」だが、よく考えてみると 彼らの行動は完全に人を見下した思想にもとづいているとしか思えない、というような人々がいる。 おそらく彼ら自身はそのことに気づいてないだろうけど (こういう人々は、だいたいアタマが浅いことが多い)。 新山は、表面的にはあらゆる人をバカにしているように見える (かもしれない) が、 内心はそうではないと思いたいなあ。もっともそれを判断する資格はオレにはないが。

とにかく、人間というのは言いわけが大好きな生物だと思った。ほんとうに。 この場合の言いわけというのは口で言うものばかりとは限らないよ。

(01:14)
声に出して食べたい日本食。

いけねえこんなコトしてる暇ねえ! 明日は早く起きなきゃいけないんだ。

(01:38)
論理と情緒を対比させるのってかなりバカだなあ。

Mar 30 [Fri]


(01:18)
こないだ WTC から大学まで歩いたときに撮った、 春の景色いろいろ。(どれもかなりデカイ画像です)

Mar 28 [Wed]


(11:11)
きのうは夏だった。

ニオイで時間がわかる! ねにげなくね。

(11:46)
人生に必要なものははぶらしだ!!! !!
(13:07)
うわっっ。オフィスに来たらもう冷房入ってる! 寒い。
(00:55)
0, 17, 258, 163, 1966, ...

さて問題です。この数列はなんでしょう。

Mar 27 [Tue]


(10:14)
あけましておめでとうございます。

Mar 26 [Mon]


(08:30)
今日はどういうわけか 6時に起きた。 そしてまだ論文書いている。
(15:26)
知的な誠実さってなんだろう? ひとつは、批判のされやすさだと思う。 いい論文の条件というのはいろいろあるが、新山が代表的だと思うものは:
  1. 内容が新しいこと。
  2. 内容が面白いこと。
  3. 内容がおおむね正しいこと。
  4. もし間違っている場合でも、間違ってる箇所が批判しやすいこと。
である。意外とみんな忘れているのが条件 4. である。論文というのは数学の証明に似ていて、 ある命題 (仮定) から別の命題 (結論) へと延々議論をつみ重ねていくものだ。 とはいっても、たいていの論文は数学ほど厳密ではないから、普通は 「この仮定は違うんじゃないの」とか「ここの議論には別の可能性もあるんじゃないの」 という議論のアキレスを山のように抱えている。 こういうことは、論文の議論がカッチリしているほど見つけやすいのだが、 同時に論文はそうした弱点を積極的に見せておかねばならない。 わざとぼかして書くことによってそうした弱点を隠そうとする研究者は オレの見たところ非常に多いのだが、新山にとってそれは「誠実じゃない」と思える。 それは結局のところ、脆弱性があるのを知っていながらソフトを公開する (あるいは販売する) 業者の「誠実じゃなさ」に似ている。

科学に厳密性とか反証可能性が必要っていう議論は昔から言われてきたけれど、 「批判しやすさ」というのは科学でなくても、あらゆる文章を書くときに一般に言える基準だと思う。 アキレス犬が隠れすぎているものは論文とは呼べない。

ちなみに、アキレス犬がまったくない文章はエッセイあるいは日記といわれ、 アキレス犬は沢山あるが全部最初からキレているものは電波文とよばれる。

[ ] ← この文章のアキレス犬はココ!!

…そいえば、チェックボックスを使ってアスキーアート (チェックボックスアート?) を書くというのは誰かやっていそうだな。 こんなの:






…あきた。もうやめ。

(16:45)
tttttttttttttttttttttttttttttttttttttttttttttttttttttt
(17:55)
誰でも好きなものを好きになる権利はあると思うが、嫌いなものを嫌いになる権利もまたあるといいのだけどね。 注意。前文で、最初に出てくる「好きな」というのは「任意の」という意味で、 二番目 (のばんめ) に出てくる「好きな」というのは「好きな 嫌いな」という意味だむ。
(19:31)
どうでもいいけど、シュークリームのことを wheat cake というのはおかしくないか? 普通ケーキはなんでも wheat cake じゃないか??
(21:52)
さて、米国では確定申告の季節だりますが…。

H嬢は税金の申告というものを一度も自分でやったことがないらしい。 結婚前からずっと彼がやっているんだそうである。ああそうですか。 あの旦那はそういうのにコマかそうだからなあ。 しかも「(まだ友達の時に) 税金申告をやってもらったから彼のことが気になりだした」とかいってるし。 ああそうですか。 itsgoodforyou. オレはこの 2人をかなり初期のころから知っているが、 この夫婦は物理的および性格的に完全なる「凸凹コンビ」ってかんじだ。 ある意味、最適な組み合わせともいえる。見ていて非常におもしろい。

(22:47)
てくるで (ところで、) きょう日本食料品店にみんなで行ったときに C女史に 味噌汁の作り方を尋かれてかなり S.M. になった (シドロ・モドロの略、誤解なきよう) のだが、 日本人にとっての平均的な味噌汁の具とは何だろうか? こんなのは検索すればすぐに見つかるが、新山の典型的な印象では以下のようなもんである:
  1. ジャガイモ + わかめ (家庭科の実習風味)
  2. 豆腐 + わかめ
  3. 豆腐 + 長ねぎ
  4. タマネギ + わかめ
  5. 油揚ゲ + わ
  6. 大根
  7. 貝類 (アサリあるいはしじみ)
  8. キノコ類 (なめこ、しめじ、あるいはエノキ茸)

実際には新山がよくやるのは、頻度順に 2., 6., 3., 4., 5., 1. の組み合わせだが (しじみ汁なんてもう何年も飲んでないよ…)、 オレが小さいころに一番好きだったのはタマネギだった。 あのタマネギから出る微妙な甘さが好きだったのかもしれない。しかしいま気づいたのだが、 味噌汁に入れるキノコはいろいろあれど、どういうわけか椎茸って味噌汁に入れないよな。 他の煮物とかには入れるけど。香りがキツすぎるからかな、あれは。 しかし香りがキツくてもミョウガとかは入れてるじゃん? ちなみに安い食堂 (= 生協) では 「油揚げ + わかめ」のコンビネーションが一般的で、新山はいまでも この組み合わせを「生協味噌汁」と勝手に呼んでいる。 たぶん、これが一番単価が安くできるからだろう。 そういえう゛ぁ、うちのママンは白菜を入れてたりしたが、 あれは一般的なんだろうか?

多くの外国人には、みそ汁の具が日本人にとって遺伝的に非常に重要であることが きっと理解できないだろう。NIH により行われた最新の研究によると、海外在住や博士論文執筆などの事情により しじみ汁を飲めなくなった日本人の自殺率は 56億7000万倍にはね上がるという。

Mar 25 [Sun]


(12:49)
今日はさすがにスキー…には行かんよ。

ところで「よくない/いけない」という意味をあらわす「イカン」という単語は もともと「行かん」から来ているのではないかと推測されるが、 そういえば「行ない」と「行ない」がどちらも「行かん」に短縮されるというのは妙だな。 本来ならば「行けない」は「行けん」になるはずだ。 それがいつから「行かん」も同じ意味を持つようになったんだろう?

(15:40)
きみは「矣腕」を知っているかっ。 まあ、PDF を less でデバッグしようとする莫迦者しか知らないとは思うけど。

Mar 24 [Sat]


(12:52)
RSS = Resident Set Size のこと。 ps aux すればすぐにわかる。
(17:20)
きみタチャーアレだね? アプリ子っ太だね?

アプリコッタとパンナコッタとやなコッタは違う。違うったら。

Mar 23 [Fri]


(14:28)
平均的日本人が恥をかかないためにいかに多大な努力をしているか、あなたは知らないだろう。
(14:53)
たぶん Knuth が Lisp を知っていたら、TeX はこんなにもバカバカしいものにはならなかったと思はれる。
(15:48)
いま気づいたけど、 「空気を読め」っていう表現と、 「誠意を見せろ」っていう表現は、 ほとんど同じような状況で (同じような精神構造の人々によって) 使われるよね。 いや、別にどうでもいいけど。

(追記) ちなみに、「空気読め」っていう言葉を使っている人々は、古い世代だと思う。 最近のワカモノは、もはや「空気を読め」とすらいわない。ただニヤニヤするだけだ。

(16:11)
言語学者と話していて気づいたのだが、日本語に比べると、 英語では「カッコいい」という意味のスラングがいっぱいある。

nice, great, cool (kool, kewl, coolio), hot, awesome, sweet, tight, neat, rockin, hip, phat, dope, killer, sick, chill, green, amazing, fabulous, fantastic, super, crazy, wicked (英), nifty (死語), groovy (死語), ...

これらのポイントは、「つねに変化する」ということだそうだ。 なぜなら、どの表現を使っているかによって「そいつがどこまで追いついたか」を推測できるからである。 実際は、米語の "cool" には、もうホメ言葉としての価値はほとんどない。 これは単なる「あ、そう」程度のあいづちとして使われる。 「最近、引っ越したんだ」「cool」とか。 それに米語の "how're you doing?" とか "what's up?" にも、 質問の意味はほとんどなく、単なるあいさつと化している。

(17:24)
いま知ったが、jfgi という言葉があるらしい。 RTFM みたいなもんだな。
(17:53)
このストレンジフィーヅロめ!
(00:50)
世界が今日終わることを心配しちゃいけない。 オーストラリアはもう明日になってる。
-- Charles M. Schulz

Mar 22 [Thu]


(16:43)
すげーーーあったかいね、今日は。
(23:03)
気分がふさふさしていたので、久しぶりにテレビをつけた。そしたら PBS で、 ダニエル・バレンボイムによる Great Performances という番組をやっていて、これがかなり面白かった。 バレンボイムが若手ピアニスト何人かにベートヴェンを教える、という構成なんだけど、 このおっさん、すげーよく喋るんだ。相手が弾いているときから喋っている。 「そうそう、このクレッシェンドにすべてをかけなければいけないんだ…そこだ!」 とか。で、あちこちでダメ出しをするのだが (新山にはどこがどうダメなのかよくわからんが)、 若者のほうも黙ってうなづいてるわけではなく、いろいろと口ごたえする。 最後のほうで、バレンボイムはこんな台詞をいっていた。
「音楽というのは山脈のようなものです、目の前に高い山があって、 それに登っているときは他に何も見えないのだが、それを登りきるとまた次の山が見える、 それの繰り返しです。音楽をやるというのは、そういう生き方を選ぶということです」

(うろ覚え翻訳)

ところで、日本国内で PBS を見る方法はあるのだろうか? これはカネ払ってでも見たい人が多いと思う。 NHK と同程度の受信料でいいならぜひ見たいぞ。 っていうか、PBS は寄付で成り立っているんだよね。 このへんが米国のスゴイところだ (大口の寄付をしているところは番組中に CM が流れる、前に Google も CM をやっていた)。 まあ DVD を買えばいいのかもしれないが…。 こういう教育番組を比べると日本の NHK と PBS では圧倒的な差がある。 NHK にもけっこういい番組はあるのだが、細かいところまで突っこんでやる、 という点では PBS のほうが (内容的に) すごい番組が多い。 はっきりいうと、ここでも技術依存の日本と内容重視の米国という差が出てしまっているようだ。 NHK はだいたい CG とか超ハイテク機器を使った撮影というのはわりと多いのだが、 「技術的にスゴイ」だけで終わってしまっているものが多いような気がする。

... Viewers like YOU.

(いまなにげなく "viewers like you" で検索して、びっくりした。wikipedia はナンでもありだな。)

そういえば米国に来てから自分の中で認識が変わったのだが、 この国では「寄付」という行為がとても身近である。 道を歩いていても、ホームレスに "donation please!" といわれるしな。 いやそれは関係ないか。とにかく、「寄付された金」というのが経済の中でかなり大きな割合を占めている。 企業も寄付するし、個人でもかなり寄付する人がいる。金持ちが多いというのはあるかもしれないが、 そんなに金持ちでなくてもみんな自分の応援したいところに寄付をするという習慣があるようだ。 だってさ、寄付だけで成り立ってる図書館とか美術館とか テレビ局とかが、どれも一流になっちゃってるんだぜ。 ほかにも山のように NGO があって、「寄付を集める技術」というのがひとつの学問分野のようになっている。 本屋にいっても "fundraising" というコーナーがあるくらいだから。 日本でも募金する人や政治献金する人はわりと多いと思われるのに、 どういうわけか寄付だけで成り立ってる公共団体・施設は少ない。 日本人はどうしてもお上がやってくれないと信用できないんかね。

Mar 21 [Wed]


(10:07)
かえました。

また寒くなった。ね

(12:02)
それにしてもさ…

タグ付けとか人気ランキングとかで自分の興味を広げられると思っているヤツは、 かなりつまんねえ人間だろうなあ、と思う。 まあ、そういうのもありだ、とは思うけど、たいして期待すべき効果はない。 なぜならそれは所詮せまい探索空間の中でモゴモゴ動く隙間を与えるだけで、 そこから飛び出す機会は与えないだろうから。

じつはこうしたシステムはどれも、あるひとつの重要な前提をもとにしている。 それは「人の興味の持ち方はだいたいアルゴリズム的には似たようなもんだろう」という仮定である。 連中がこうした思想を自覚しているかどうかはともかく、オレはこの仮定が正しいとはそんなに思えないな。 こういう思想はとりわけ某国の人々にはなじみ深いだろうけど。

興味の不連続性について。 新山の興味ある対象はかなり不連続的である。 たとえばオレはソフトウェア開発プロセスと認知言語学に興味をもっているが、 これらの間には (他の人からみると) たぶんほとんどつながりがないだろう。 最初にどういうきっかけがあったのかはわからないが、 この 2つの間には新山の興味をひく共通したものがあるのだ。 でも、それはまだうまく説明できない。とにかく、 こうした「一見すると全然違っていそうなものに興味を持つ」というプロセスを 新山がとても重視していることはたしかだ。 しかし、「自分の現在の興味あるものの周辺しか見ない」というやり方では これはほぼ無理だと思う。なんらかの形の飛躍が必要なのである。 でも、一体どうすりゃそれができるんだろう? まあ、究極的には、“運”は重要な要素かもしれない。 興味を持つためにはなんらかの理由でまず「そいつ」にぶちあたらなきゃいけないわけだし、 「ぶちあたったものが、たまたま自分の興味を引く対象だった」って可能性は そんなに高くないだろうし。結局のところ (ケッキョキ、) デタラメに生きろ、ということになるのかな。

そういえば、オレはいつ、どういう理由で、ムーミンを好きになりだしたのか覚えてない。 たぶん図書館でランダムにサンプリングしているうちに発見したんだろうなあ。 そういう意味では、やはり本屋や図書館というのはいまだに探検場所としてはベストである。 というのは、web なぞでは「よくできたコンテンツを、ランダムに探す」ということが 非常に難しいからだ。たとえば google で適当なキーワードを検索しても、 だいたい予想範囲内なページか、あるいは意外性はあっても内容がどうしようもないブログロなどが ひっかかることがほとんどである。といって、よくできたページだけを集めた完全な「ランダムリンク」では、 自分がもうすこし知りたいと思ったときに、それを収束させる方法がまったくない (それに、よくできたページって実際にはほとんどないのだ)。 図書館では、数歩あるくだけでまったく別の世界に到達できるので、 意外性ということに関しては検索エンジンよりはるかにいい。 といって、完全にランダムというわけでもなく、ある程度は探索空間をコントロールできる。 ナビゲーションもかなり直観的。 おまけに、たいていの本は一定以上の質である (まあ、ひどい本もいっぱいあるけど)。 Wikipedia もこの意味ではいいセンいってると思う。でも品質はある程度以上にはならないだろう。 最近は 「Wikipedia を読み始めると関係ないところまであちこちクリックしてしまってどっぷりハマってしまう」という人がいるけど、 そういう人は絶対、図書館センスありだ。

なにか目的がある時しか本屋や図書館を利用しない、という人は だいぶ人生をソンしていると思う。しかし現在では、そういう合理主義がクールってことになってるからなあ。 プログラミング言語を「所詮は道具」といっている人は多いが、 実はこういう人は自分の人生も所詮は道具だと考えている…のかもしれない。 本人たちは気づいてないだろうけど。

(19:46)
PlanetMath を 星の数学 って訳したのだれ? たぶんこれは人間業じゃねえな。

Document ID: 460c8fe8399afd9aa08db6787be5ff1d

Yusuke Shinyama