もっつぁれ裸。 (ヤバい、本当は『螺』の字にするつもりだったのに、手がすべった)
塩分之鳥過尼注意。(小心、小心)
バカまる出し! (B・M・D!)
INF = sys.maxint
ええっと、たとえオレがある人を見て 「こいつのやっている仕事には何の意味もないな」と思ったとしても、 それをわざわざ当人の前で言ったり、あまつさえ証明してみせたりする資格は オレにはまったくないし、その必要もない。ついでにいっとくと、たとえやったとしても効果ないよ。 新山にできるのはただ「かかわらないようにする」だけだ…。 しかししかし、これはまったくダメな生き方である。最近のオレは逃げ回ってばかりだな。
それにしても図書館のワイヤレスはどうしてこうも調子が悪いやがりけるのか?
…と、いう曲を、なぜかいまとうとつに思い出舌。
みんな忘れているけど言いわすれたけど、オレはなぁ、 どんな考えたことでもここに書いていいんだ (書かないけど!)。 考えてないことでもここに書いていいんだ (考えないけど!)。 書かないことだってここに書いていいんだぞーー (書く書かないじゃわだやじゃ!)。 て、くるで、オレは今日から朝はなんでこんなに調子がいいんだ?
(今日は朝じゃない!!)
たとえばだな。
なぜ、着ぐるみなのかな、と思うんだよ。 主役は樹木だろ?
なぜ、動物キャラなのかな、と思うんだよ。 相手は大人だろ?
「この手法はすでにやられている○○に似ている」
「これは○○を××の方向に拡張しただけ」
まあ、しょせん人間の考えつくアイデアなんてものはタカがしれているので、 多かれ少なかれ研究者のやっていることは同じネタの使いまわしなわけだ。 あるレベルで抽象化して見れば、人間はつねに車輪の再発明をやって暮らしているのかもしれないと思う。 しかし、「それのどこが悪いのか?」というと、そんなことはぜんぜん問題ではなく、 新山の疑問はむしろ「それって楽しいの??」ということだあるよ。 もちろん彼らには「楽しい」と主張する以外、ほかに選択肢はない。 ここのところを理解するのがポイント。ポインタオ。
はっきりいえば、世の中にはつねに正当化を試みる人とそうでない人がいて、 試みない人 (たぶん新山も含まれる) はいろいろな意味で「出たとこ勝負」的だ。 基本的にオレみたいな連中は、あるレベルで見れば真面目だが、 別のレベルで見ればおそろしく不真面目なのかもしれない。 そうかな? どうかな? そりゃー新山にも将来の計画というものはありますが (それは何かというと“心中”することだ)、目的地が固定されていても 自分の座標系そのものが動いてしまえば、いずれはまったく別の方角に進まざるを 得なくなってしまうわけでして…。いや、まだ目的地は動いていない。
というわけで、以下、スタイルシートのテストです。
b13593b2c5096f2945d19f599f59db15 d4a765d34463269a688889d471300190 fd065ef6d3a75a21cea50b98f06bca73 f21d964c4d256ef2accbf8b7426e1321
何かと思ったら、どうやら交差点の真ん中が陥没して、大きなアナボコが開いているらしいのだった。 で、車はみんな (当然) このゴミバコをよけて走っていくのだが、新山はこの解決法を見て、 いかにも「hack的」だ、と思った。
米国に来てこういうものを見た経験は他にもあるのだが、 この国はhack的な解法が多い (というか容認されている) と感じる。 「hack的」な解法に共通してみられるのは、その「なりふりかまわなさ」だ。 基本的に hack というのはどれも表面的にみると (いや、表面的に見なくても) ダサいしカッコ悪いし 「ちゃんとしていない」ものが多い。ほかにも「脆弱」とか、「その場しのぎ」とか、 「とってつけたような」とか、いーかげんな感じが常につきまとう。 これが一部で「カッコいい」とされるのは、「実用第一」「動けゃいい」 という強烈な文化的背景があるからである。この割り切り方はいかにもアメリカっぽいといえるもので、 どうしても「なりふり」を気にしてしまう日本人にはなかなかできない。 (日本人でやたらと hack hack 言ってるのは、一部の「なりきり黒人」な日本人とも通じるイタさがある。) 新山も心配症で、「ちゃんとした解法」が好きなので、こういうのを見るとマズいんじゃないかと思ってしまう。 しかしそう考えると日本人は本質的にハッカー的なものとは相容れないといえるのか? ある意味、これは「インフラ (容れ物) にばかりこだわって、肝心の内容がちっともできてこない」 という (日本ではよく見られる) 症状にも関連しているといえる。
ちなみに穴は翌日にはふさがれていた。
Motojiro Kajii
There is a corpus buried under the cherry tree!
You've got believe this, buddy. Otherwise, you can't explain its beauty. I couldn't believe it for a couple of days, which made me sick. But now I realized finally. There must be a corpus under the tree. This is a sure thing.
You know, why things like a safety razor -- a tiny, flimsy thing among numerous objects in my room -- suddenly comes to my mind, like clairvoyance, every time I come home at evening -- you said you didn't get it, right? I don't get it either, but this is kinda the same thing, I believe.
Indeed, any tree with flowers, when they reach its peak, sprinkles their magical sparkle into the surroundings. It's like a moment of a spinning top falling into the complete still, or the dizzying feeling by marvelous performance of music. It's the beauty that stuns people's mind, actively, and miraculously.
うがあ、もうこれ以上はダメだ。難しいや。 ところで「灼熱した生殖の幻覚させる後光」ってなんですか? ボクには翻訳できません。
だがオレは大抵の御仁のように「なんでもわかってますぜ」というような ふざけた態度をとることはしない。オレはそれを「知ってはいるが、わかってはいない」のであり、 知るだけなんてのは文字通り誰でもできるからである。 ある一粒の情報を受けとって、それをそのまま発信しても一粒の情報のままである。 しかしその情報が死んだら豊かに実をむすぶようになる、というわけ。 マルコフが証明した定理によれば (チェビシェフだっけ?)、 情報は定型的な過程では増やすことができないので。
ところで (てくるで)、おもしろいことを発見した。 lockheed martin を検索すると、 "Page Unavailable" というのが上位にくるのだ。この会社はアホなことに not found なページを サイトマップに入れているようだる。 書いてみてから思ったけどべつに面白くもなんともなかった。どうでもよろ。
それにしても、まさか自分の論文でソシュールやウィトゲンシュタインを引用するハメになるとは思いもしなかった。 いやー、なんだかインテリっぽいですなあ。ま、新山の論文は機械学習とはナーンの関係もないわけですが。 (実際にはあるのだが、一部の人々の研究とは区別されるように努力している)
そういえば、いままで使っていた櫛ってオレが高校生のころから使っていたような気がする。
ウチはこのように強烈にモノモチがいい家庭だ。正しい生活者だからな。モノモチャー
だ。
きょうは季節はずれの雪が降った。てゆうか雪tte! 地中海性気候のカタルーニャ人である edgar は「チョーーさびーー」といっていた。 ちなみに彼はどういうわけか日本語を少々知っている。しかし「チョーーさびーー」とは言わない。 Ralph は "This is normal!!" といって彼らを脅していた。 ま、2〜3年前にも 4月に大雪がふったからな。そんなに驚くべきことではないといえる。 しかし今年の NY は年があけてからは全然暖冬じゃない。まあいいけど。 オレは唇が切れてはやく復活してほしいので、いまの時期にまた寒くなられるのはあまり嬉しくない。 歳をとったな。
*
だけでなく +
もサポートしているが、
(繰り返し記号としての) +
を使うためには \
でエスケープしなければならないそうだ。
初めて知った。
これは普通の「エスケープ (正規表現用の記号をリテラルとして認識させるための)」とは意味が正反対である。 これは古い sed との互換性を保つためのトリックらしいが、混乱するなあmou... ちなみに BSD の sed では$ echo 'aa+bbb' | gnused 's/a*/x/' x+bbb $ echo 'aa+bbb' | gnused 's/a+/x/' axbbb $ echo 'aa+bbb' | gnused 's/a\+/x/' x+bbb
a+
も a\+
も同じだ
(繰り返し記号としての +
はサポートされていない)。
オレの意見では、sed や awk っつうのは「どのマシンでもデフォルトで使える」という点だけが
長所だと思っているんで、GNU sed に特化した機能を使うくらいなら、
いっそ最初から perl を使ったほうがいいと思う。GNU sed が使えるような環境で
perl が使えないというようなことはほとんど考えられないし (ホドント、)
perl (perl5) は基本的にいっこしか実装がないから差異を気にする必要もない。
ただし、この長所も perl6 のコードが普及したら失われるだろうケド…
似たようなことは perl4 → perl5 のときにもあったが、今度はもっと深刻になる。
これは Python ですでにそうなっているが、すでに普及してしまった言語を
拡張したらもうそれは別の名前にしろと思う。
たとえば Python 2.3 と 2.4 は (文法が拡張されてるので) まったく別の言語として扱ったほうがいい。
2.4 と 2.5 もまったく別である。Java も同様。
C++ はそもそも実装が複数に分裂しているので上位語感互換という概念が崩壊しており、
もうどうしようもない。
こういうときに、Lisp はちょっといいよな、と思う。
なぜならこの言語はもはや文法が拡張されることが永久にないから。
この比喩をさらにつづけると…
とりあえず、新山の印象では、米国では何事につけ「ハード」であるシステムの開発と、
「ソフト」であるユーザの育成に同じくらいの重要度が与えられているように思える。
これに対して日本では、システムを開発するだけ。これは住基とか ipv6 とかでもそうだ。
もうここがどうしようもなくどうしようもなくどうしようもなくバカだと思うのは、
オレが狂っているからか。
(追記) きょうも黄色いトマトを食(しょく)った。 なんか、これって、下から見ると柿に似ている。
マシン変えた。かねてから芽をつけていた Optiplex と入れ換えた。 ちなみに、ハードディスクもごっそり入れ換えたので、中身は変わっていない。 あいかわらず FreeBSD 6.2 だ。でもメモリは (よぅーやく) 2G になった。 ヤッホー! ECC じゃないけど…。これで自分のマシンでもそこそこ実験ができると思う (そもそも実験に自分のマシンを使わなきゃいけないって時点でアレだが、世の中そんなもんね)。 なんしろ扱ってるデータがデカイので (100GBぐらい)、 しかもそれらにローカルにアクセスしないといけないので (NFS 上から使うと遅くなる)、 実験に使えるマシンは限られてくるんよ。まあいいや。 ひとつ残念なことは、ビデオカードが nVidia でなくなったことである。 ディスプレイを調整しても微妙に画面がブレてるような気のする。
ところで、けさはまた (1ヵ月ぶりに) 病院いってきた。 傷跡を見られ、「完全に治ってる、もう来なくていいよ」と言われて終わり。 あいかわらず診察 1分。はやいなあ。
ところで櫛の歯っていうか? まさか刃とは言わないだろうし。 英語でなんて言うんだ? teeth じゃないだろうな。寝るか。
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Yusuke Shinyama