ダメだ
かんじが
おおすぎて
よめません
訃 報
たいへん遺感ながら
よって、たべすぎ・ねっとはこれにて終了いたします。
新山祐介氏は旅行中にチフスにかかって死亡いたしました。
… ぼくは 7歳の時からものを書いてきた。飛行機がぼくに筆をとらせたのでは決してない。 ぼくは信じている、自分がもし炭坑夫だったら、必ず地下に自分の人生の教訓を掘り出そうと努力したであろうと。 これはすでに幾度も言ったことだが、ぼくにとっては飛行機は決して目的ではなくて手段だ。 自分を創り上げる手段だ。農夫が鋤を用いて田畑を耕すように、ぼくは飛行機を用いて自分を耕すのだ。-- サン・テグジュペリ
「愛国心」うんぬんについて非常に問題だと思うのは、 多くの人がこれを欠落した自尊心の補強材料として使ってしまうだろうという危険性である。 とりわけ、現在の日本のような国ではそうだろう。 お前には愛国心がない、などといって人を叱る人間は、まずまちがいなく 「愛国心」という概念以外にそいつの正義感なりなんなりを満たしてくれるものが何もないのだ。 まあ、人によってはこれが愛国心でなくて、ブログロにどれだけコメントが書かれたかとか その手の基準になりますが。どっちにしても、 こんな概念をガキんちょに使わせちゃダメだよ。
ダイエットについて。これは太ったことがない人間からの寝言だが、 新山はダイエットに「終わり」があるというのが理解できない。 そりゃ、ボクシングの選手とかがダイエットする場合は、試合に出たら一応「終わり」だろうけど、 よく、痩せたい人間が「ダイエットを終えたら、こんだけモノを食うぞ!」とかいっているのは さっぱりわからん。そんなんじゃ、また太るに決まってんでしょ? 人間の体重はいずれ平衡な状態に落ちつくと思ってるので、低い体重を保持したかったら 平衡状態そのものを変えるしかない。つまり、ダイエットは一生続ける覚悟でなきゃ やっても意味ないと思うんである。しかし「一生続けるダイエット」というのは、 それはもうダイエットとは呼ばず、ライフスタイルの変化という。 ダイエットが成功した、失敗した、というのは、つまり「そのライフスタイルを受け入れられたかどうか」 で決まるわけだね。しかしこれはもう自分の嗜好を変えるようなもんで、かなりキツいだろうな。
さて、そういう観点で太ってるアメリカンを見ると、彼らは生まれつき あんなクソまずいピザやらステーキやらをうまいと思うような嗜好・文化に 育てあげられてきたわけで、その結果太っているわけで、ありゃもう絶対に直らない。 永久に救われない人々なのだ。 で、新山としてはそんな趣味の悪い連中に同情する気はまったくないんだけど、 こいつらも悪い場所に生まれてきたよなあ、とは思う。 そういう意味で…
個人の能力差なんてもんはないよ。すべては運だよ。
「自分には (他人よりも) 能力がある」と思っている人間は、
こういう嗜好思考方法を嫌うらしい。
そりゃそうだろうなあ、彼らは人間は「評価」できると思ってんだろうし、
それが彼らのおもな心のよりどころなわけだから。
なんにせよ、オレはハンバーガーやフレンチフライを主食にしているような人間はゼッタイに許してやんない。 やつらは邪教であり、呪われた存在であり、地獄へ行くように運命づけられている人々なのである。 これがある意味、オレの信仰だ。顔や性別や人種で人を判断することはよくないが、 食い物の好みで人を判断することは 1200% 正しい (そしてこの手の嗜好は性別や人種にくらべれば変わりうるが、その可能性は非常に低い)。 あ、あとプログラミング言語の好みも。
そんなはずずはない!!
ホー・リスク モー・リターン
どうでもいいけどノーリターンをノータリンと呼んでいる人は多いだろう。 わたくしはいつもそう読む。だってそっちのホーがカッコ言いじゃん。 !
日本人は一期一会という言葉が大好きらしいが、 本当にそれを実践している人は少ないと思う。 もともとこれってなんかサムライ向きの言葉だよな。 つまり、いつ死ぬ (あるいは殺される、あるいは切腹) かわからないので、 いつ死んでもいいように一期一会を大切にしなさいというわけだ。ホントか?
いや、別の解釈もありうる。「同じ事象は (宇宙で) 二度と起こらない」という解釈も可能だ。 しかし、ならばそれは人間に限ったことではない。 でも、たいていの人生はリセットすれば BIOS に戻るよ。ためしてみた?
よく、環境問題は企業や政府が対策するものだという 認識があるけれど (少なくとも新山はそうだった)、 実際には「対策する」のはほとんど一般市民じゃないか。 これは別に「レジ袋を使わない」とかいった直接的なことを指してるのじゃない。 もっと間接的なことだ。 資本主義社会では政府は経済によってコントロールされており、 経済は企業によってコントロールされているわけだが、 最終的にどの企業にカネを払うかは (「ある企業の商品を買う」という行為を通じて) 消費者に選択権がある。 ようするに、消費者がある商品を買うってことは、間接的にある種の価値観に 投票してることになるわけだ。つまり政治ってやつはべつに投票日の投票だけで コントロールされてるわけではなくって、毎日の買い物における消費者の 選択もすでに投票の一部だったのだ。 人がジュースを買うとき、あるいはそのゴミを捨てるとき、 その人はじつは政治的な意見を表明していた! 結局のところ (ケッキョキ) 「環境問題への対策」は、 こういう部分での細かい選択にほとんど依存するんであって、 自分がそういう責任をとる覚悟なしに、お役所にやれっていうのはひどい話である。
さて、それをふまえて書くわけですが、ホントに日本は CO2 半分削減とかやる気があるわけ? どっかの首相が勝手にそう言ってるけど。そのへんでジュースを買っている おっさんには、そういう選択の責任をとる覚悟がほんとにできているんですかね。 オレは…どうかなあ…。
そういう意味で、世の中のほとんどの行為はどれもかなり政治的である。 でもオレは政治の話なんて好きじゃないんだよ。 こういった人間は、死ぬしかないのでしょうか?
(元気なときは元気なんだよね、この状態が 10時間ぐらい持続すればいいんだけど)
(追記) ネット上で過去5年間にできたすごいアプリケーションといえば、 wikipedia だけ。 でも技術的には別にどうってことないあたりが。一体みんな何をやっていたのだろう?
これまでの 15年間に使いものになってきためぼしいモノをおおざっぱに区切ってみると、こうなる:
で、今年あたりから何がくるかというと、たぶんもう何も来ないだろう。 いまだにネット上で何かが起こると思っている人はすでに時代遅れである。 そろそろ他をあたるべきだね。
ここで最も合理的な選択は、旅行をキャンセルすることだ。 しかしそんなことしたら確実にオレはああなる。(?)
buzy and dizzy.
米国: オタクに対する印象の悪さ < ゲイに対する印象の悪さ
もちろん、新山はどっちでもないので関係ありませんが。
yusuke+test
なぞのアドレスに送ろうとするとエラーになるバグ発見
(はっけそ)。あとで直す。
ところで、最近の小学校じゃ円周率が 11.001001000011111101101010100... だってことを教えなんだって? それはひどいことだ。
で、これをふまえて、"spirit" というのはいかにもアメリカ人の好きそうな単語である。 新山は「根性」という言葉はなんとなく頭悪そうで嫌いだが、 "spirit" という言葉はわりと好きだ (酒の話じゃないよ)。須賀敦子が言うように、リンドバーグの飛行機の名前である The Spirit of St. Louis (スピリット・オブ・セント・ルイス号) というのは語感からしていかにも「アメリカ〜〜〜」って感じの名前だ。
しかし、まあ、思うに、「根性」っていう言葉はもともとは清々しい言葉だったのかもしれない。 それが、いまじゃ「根性」って口にするだけで 「こいつは何か精神的に問題があるんではないか」と思われるくらいの忌み嫌われぶりだからな。 ど根性ガエルとか、戸塚ヨットスクールとか、野球部とかにより、 「根性」という単語はだいぶ泥臭いイメージを塗りたくられてしまって気の毒である。 新山は体育会的な論理にくみすることはできないけど、一方で 「なんでも科学的・合理的に解決できるはずだ」というインテリぶった思い上がりもまた大っキライだ。 ようするに、悩まないヤツが嫌いなのである。なんでも合理的に解決しようとするのは、 ちっともまじめな態度ではない。それは小林秀雄の言うように 「考える手間を省いている」だけだ…。といっても、だからって永久に考えていると 結論が出ないし、ともするとアストラルな世界なんぞへ行ってしまったりするので、 あまり考えつづけるのは根性のない人にはおすすめできない方法だが。
つかれた…
ちなみにこの場所は長野東急のすぐ近くだね。
これらを両手にもってウンウン言いながら歩いてくるのだが、 重すぎて死ぬかと思った。いやースーパーが近くにあってよかったね。 (ただし商品の質はひどく悪いけど。)
http://www.youtube.com/watch?v=pEM0T1Ar5Qo
他のやつはもうとっくに腐ってるのに、 2ヵ月ほっといても何の変化もないマクドナルドのフライドポテトを見よ。 これを恐怖と言わずして何と言おうか。ビッグマックの長持ち度も異常だ。 新山はこれまで「罰ゲームとしてマックを食う」というポリシーだったが、 今となってみると、罰ゲームにしては危険すぎたような気がする。
(追記) 実際には、この実験はあんまり科学的でない。 照査 (control) を用意すべきだし、 コメントを見るかぎりでは塩分が多すぎると腐敗を防ぐらしい。 しかし、どのみちヒトは信じたいものだけを信じるようにできているのだから大差ない。
Microsofty は MSN や Live.com なんかのサイト (backend含む) を ぜんぶ Windows で動かしているだろうか。だとしたらそれはすごいことだ。云々
どうでもよろ (しい) が、 NHKぬふく が現在 NYC で生中継してるって聞いた。 何のために? わからんけど、あいかわらずなんでみんなそんなにニューヨークが好きなんでしょうね…。
新山が唯一 NY でまともに評価できる部分といえばそれは「日本食が食える」ことだが、 じつは日本食を食うならここよりもっと適した場所が地球上に存在していることを人はご存じないようである。 オレが帰国したら自分はニューヨークにいたなんてことわ口が咲けても言えないね、きっと。 グァンタナモの収容所に抑留されてたとでも言っとこう。
(なんでも 3回続けて言うと不穏に聞こえるの法則)
$ cat /dev/zero > /dev/zero
あっそう。って感じ
で、R6RS の話。Anton はたしか前にも lambda emulator の話でプレゼンしてた。 このおじさんは理論派で、 R5RS の表示意味論を実装した SchemeDS というものを作っている (この名前を見て Nintendo DS 上で動く Scheme だと思った人は失格)。
R6RS はいままでの RnRS の中でも最大の変化をとげており、
今回の言語コアに関する一番の拡張は (すでにみんな知ってるとおり)
モジュールシステム (R6RS では library と呼んでる) の導入だった。
これは異なる実装間で可搬性のあるライブラリを書くための最低限の枠組みで、
PLT のモジュール機構にかなり似ているらしい。ただし PLT とは違って、
これは階層的な名前空間をサポートしたりせず、あくまで最小の機能にとどめているそう。
なぜなら、これ以上の機能は言語コアに含めなくてもライブラリとして実現できるからである。
そういえば今回は言語のコア機能を規定する R6RS-core と、標準ライブラリを規定する
R6RS-lib に分かれたことと、実行時環境が記述されたことも大きな特徴だった。
あと、例外機構がコア部分に導入されている。
ほんとうは Scheme の例外処理は元から call/cc
を使えばできるので、
これをコアに入れる必要はないのだが (コア機能のうえに実装できるものは一切入れない、
というのがこれまでの RnRS の方針である)、異なる実装・ライブラリ間で例外を使って
通信するための最低限の枠組みは言語コアで規定するしかない、ということらしい。
あと問題なのは eval
である。これは R5RS でも非常にアレしたところで
(eval の導入は、新山が Scheme を見捨てた動機のひとつでもあった)、とくに批判があったのは
「R5RS の eval の定義があまりに underspecified で、なんだかわからん」というものだった。
そりゃ、そうだよ。だいたいなんじゃあの scheme-report-environment
って?
top level と違うんか?? 環境も指定できない eval は eval ではない、
ということで、今回は eval 時のスコープをこまかく指定できるようになった。
でもあいかわらず動的束縛が可能なようで可能でないという、よくわからん状態になっている
(Jay は、プログラムの途中で (load "...")
を実行したらどうなるの? としきりに尋いていた)。
しかし Anton は実際に「eval を仕様から除くべきだ」と主張したらしく、
委員会の中でもアレを気に入らない人はいたというのはいいことだ。
あとは、なんだ。ライブラリには文字型として Unicode を正式に導入したのと、 Common Lisp 風 (あと SRFI の一部) の関数がいろいろ入っている。 これは、はじめて R6RS 委員会として「実用的なプログラムが書けるような仕様」をめざした ということで、最小主義じゃないけど、optional らしい。しかし新山に言わせれば、 Scheme を使って実用的なプログラムを書きたいなんてのは、 「南極へ行って人生を楽しみたい」ってのと同じようなものに思える。 まあどうでもよろ。ほかにもいろいろコメントを受け付け中なのでどんどん意見をくれ、 といっていた。Jay とか Perry が来てたので、質疑応答ではけっこう激しいやりとりがあった。 しかしこういうところで Scheme ユーザをあつめて話をするのは大変だろうなあ。 なんしろ、どんな仕様にしても必ず誰かから反対されるわけだから。 政治家みたいなもんだ。おまけに出てくる質問も 「組み込み関数の再定義時のふるまいについて記述がない」とか、 「inexact型についての定義が不十分」とか、 「なんで R5RS では表示意味論を使ってたのに、 R6RS では手続き意味論になってるんだ?」とか、マニアックな質問ばっか。 あと、気になったのは、今回の仕様策定では 「すでに存在している実装を見て、それにあわせて出方を考える」という態度が多かったらしいということ。 まあ R5RS からすでにかなりの年月がたっているし、これだけ各自が勝手にやっちゃうと いまさら仕様をガラリと変えるわけにもいかず、きついとこよね。 少なくとも MIT と PLT と Chez は考慮されているといってた (なぜなら、これらの作者が 委員会に参加してるから)。あと Java ベースの Scheme もいくつか参考にしているという。 しかし Scheme というのは「まず規格が先行して、それに従って実装ができる」という 慣例がいまだに (部分的にせよ) 生きているという意味で貴重な言語だ。 こういうのは端から眺めているぶんには劇場っぽくておもしろい。 しかし、それでも自分で Scheme を使う気にはもうなれないのだが。
で、終わったあとはみんなでまたいつものように飲みに行ったが、 なぜか Jay からサンドイッチをもらった。 このおじさんはいつも食い物を買ってきてみんなに配る、というのが好きなようである (このバーは持ち込み可能なのだ)。 ありがたいこと。そのあと帰りにまたこのおっさんと一緒になり、 6av. の PATH駅まで歩く途中、この人にうっかり 圏論について尋いちゃったのがまずかった。 Jay はすっかり爆発してしまい、30分ぐらいえんえんと講義される。あいかわらず圏論ってさっぱりわからんね。
誰かがうしろにいる! そこに立ってる!!
もーもー。
この 10年間ほどのあいだに学んだ本当に重要なことというのは じつは数えるほどしかない。文章で書き出せばたかだか 1000バイトほどだが、 他人にそれを見せてもうまくいかない。なぜならそれが本当に本当だ ということを思い知るためには、やっぱり 10年ぐらい必要だろうと思うからだ。 そして、それらの知識は自力で発見しなければならない。でないと思い知ることはできないから。
「思い知る」というのは便利な言葉だよ。 「心から知る」とか「腹の底から信じる」というのに近いが、 これは知識というものが、まだ自分の意識上でコントロールできるような ニュアンスをもっているため、いまいちもの足りない。 本当に「思い知」ってしまったものは、もはやそれは自分の意志でオンにしたりオフにしたり できない知識 (AIでいうところの 信念、belief) となる、いわば行動原則になる。 ある意味でそれは外的にコントロールできるかもしれないが… それはおそろしい考えだ。あらら
フロアでずっとうるさくやってたハエを一匹、叩き殺した。 やるぞ俺! 一回目はまんまと取り逃したので、2度目にやつが現れたときは ドアをきっちり閉めて、Edgar と二人でイスの上にのぼっておっかけまわしたのだ。 これぞ正義だ。
Pontifffication ですかい! Pontiff! Pontiff!From: Heow Eide-Goodman Subject: [Lisp] Lisp Meeting, June 12th 7:00 at Trinity Please join us for our next meeting on Tuesday, June 12th from 7:00 to 9:00 at Trinity Lutheran Church. "Anton Unplugged: Pontifications of the R6RS Process" :-) Anton van Straaten, a member of the Scheme Steering Committee, will host an unscripted free-form presentation/discussion on this groundbreaking work.
どうでもいいが、R5.93RS-lib をみてみたら、 これがなかなかに面白いことになっとる。これでまた実装がバラけるね。
どうでもよろ、 (でくるで、) 「本屋」というとこれは bookstore のことをさすけれど「本店」というと別の意味になてしまうな。 ぬんで?
おかえんなさい。いやただいま。
ところで、日本から外人向けのオミヤゲを買うときの tips:
どうでもいいが、"Akihabara" はいまやオタク 害 街というよりも
外国人にとっては「高級品を安く売っている街」というブランドになっているらしい。
資生堂製品のアウトレットなどができて大量の中国人団体様が来ていた
(ちなみに中国では資生堂は高級ブランドで通っている)。
成田の免税店にも "Duty Free Akihabara" という店があり、
そこではDVDプレーヤやら化粧品やら明太子やらを売っていた。
同音の姓名はいくらもあるんだから、そら照合できんわな。 しかも、そんだけ大量のデータ入力なら、ミスがないかどうかちゃんとチェックしなければならないが、 でもバイトを雇うような状況でそんな余裕があったのかどうか、あやしい。 はっきりいって、当時からすでに年金記録はドーでもいい扱いをされていたとしか思えない (でもそれなら責任は当時の政府にあるわけで、アベちゃんの責任じゃなくてよかったね)。 そういうデータから情報を復帰させようというのは、これは昔よくやった 「ぶっこわれた FAT からファイルを復活させる作業」に等しい。 あの、大量の 16進ダンプを見て「何番と南蛮のブロックが連続してそう」って推測して、 実際に書き換えてちゃんとつながってるかどうか確かめる、というやつ。 これが全部 ASCII ならまだいいんだけど、バイナリとか BASIC の中間コードとかだと大変なんだ。 つなげて動かしてみたら暴走したりして、10個やるだけでもかなり疲れたもんね。 しかし当時は扱ってるファイル数がそもそも数十個だったからできたんだけど、 今回はこれを 5000万件のファイルでやるわけだ。大変そー (ヒトゴト)。 そんなん 1年間でできる? しかも NTT DATA と日立がソフトを開発するそうだが、 そんなデリケートな処理を扱うソフトがそんなに短期間でできるもんか? 仕様を決めるだけで 1年かかりそう。人死にそう。 人月というのは人が月に何人死んだかによってソフトウェア開発の凄惨さを表す単位である (おおこのネタいいな、あとでアンサイクロペディアに書こう)。 大変そー。日本人は計算機科学をもっと学ぶべきだね。 あなたの日常に大きく関連しています。
ちなみに今の OS では「ファイルの復活」てのはもうほとんど無理だろう。 しかし同時に今ではファイルを「消す」必要がすでになくなっているので、 べつに困らないが (バックアップとってない奴が悪いんだ)。
自分の名前 (あるいはペンネーム) を「普通」ってのにできたらいいよな。 「お前、ちょっと変だよ!?」とか言われても「いやオレは普通だよ」って言ってられるし。 どうでもいいや。MDDI.
とりこみ中。トリコマー
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Yusuke Shinyama