3度あることは 2度ない。 (いや、なかった。)
しかし、実際には (たとえ文字レベルでも) 類似度を計るやり方には何通りもあって、 「何に対して共通部分とみなすのか」がいろいろと違う。簡単なやつでも 3種類ある:
で、たいていの自然言語処理の研究ってのは、これらをいろんなデータで比較検討して、 それで「どれが一番いいか」で論文を書いてたりするわけだ。 いやー、じつに社会の役に立ってそうですなあ。
電源タップのことを power strip というのを今知った。
He avoided mentioning ... transforming Japan into “a beautiful country” and other leitmotivs of his nationalist agenda.彼 (=アベ総理) は日本を『ビューティフル・カントリー』にする計画や、その他の国粋主義的な計画について言及を避けた。
「日本を『ビューティフル・カントリー』にする」って…ショッカーの陰謀かなにかか? あまりにもマヌケっぽくて、 読むだけでニヤニヤしちゃうあるね。これを読んで、日本ってマンガみたいな国なんだな、と思う人は沢山いるだろう。 いや実際マンガですよ、あの国は。マンガ最高!
そもそも「ビューティフル」ってカタカナ表記を見ただけで、頭の中には 「♪へ〜い へ〜い what a beautiful day!」って曲が浮かんじゃうし。
てくるで、こっちの人はホントに sudoku と suduko を区別しないんだなあ。 実際、こないだ sudoku を "suduko" って呼んでる人を見ちゃったよ。 そのうちに名前がホントに suduko になったら、もう誰も日本で発明されたパズルだとは思わなくなるだろう。 ま、別にいいけど。
またも nyt ではオオニシ汽車がうれしそうに? 記事を書いている。
$ mpc SMOOTHJAZZ.COM - The Global Home for the Smoothest Jazz 24/7 - Live from Monterey Bay: Janita - Let Me Love You [playing] #1/9 55:58/0:00 (100%) volume: 71% repeat: off random: off
と、いうか、実際にはこういう公共機関の発表でもホンネと建前の差異が ちゃんと意識されればいいのかもしれないが…。つまり:
そもそも、政府が「ちゃんと真実を発表するように」とか企業や 役所にゴリ押ししたって無駄というもんだ。日本では法を尊守せよという意識よりも、 世間の空気を尊重せよという意識のほうがまだだんぜん強いのだから、 そこから激しく逸脱したような規制や規範をつくっても誰も守れっこない。 東電の対応を批判している人でも、じゃ自分がどれだけ普段からそうした「空気」を無視できるかといったら、 実はほとんどできない。 日本は「法治国家」という状態からは程遠いトコだと思うのである。いわば「空気国家」。 ま、この状況はあと 100年たっても変わらないと思うケドね。 そして新山は (文句を言いつつも) そういう心中的な社会に住むことを意識的に選択するのだから、 少なくともオレ個人にとっては自己責任な問題である。
意識的に選択してない人は… オレの知ったこっちゃねえよ。
p.s. そういやー いまだに iPhone とかっていってる奴は大馬鹿 らしいね。安心した。
「帰ってきておくれ、ワシらはまだお前のことを愛してるんじゃよ!」
「すまんね爺ちゃん、Nokia E70 はもうオレの家族なんだ」
a-, 実際、iPhone はオモチャとしてはいいと思うが実用的にみればダメそうである。 タッチスクリーンて効率悪いんだよ。Nintendo DS が面白いと感じるのはそれは効率が悪いからだ。 それに、入力デバイスとしてのタッチスクリーンはリーチも狭い。 視力がはっきりしていて手先も震えてない人々しか使えない。 つまり幼児とか老人にとってはタッチスクリーンは苦痛だし、視覚障害者にとっては まっったく意味のないデバイスである。Apple があれを本気で広めようとしているとは とても思えないが、Apple 信者はそのことをわかっていないのか。 しかも、絶対すぐ壊れそう。なんせ Apple だし。 ようするにお金を捨ててもいい人しか買えない製品だ。そういやー Mac も結局はそんなもんか。
ですかい???
ところで (てくるで)
次の lisp みーてぃんぐでは、あの Perry が Otter なる新言語を発表するそうだ。
「Paul Graham の Arc を待ちくたびれた人に」だって。これはオモシロそう。
Please join us for our next meeting on Tuesday, August 14th from 7:00
to 9:00 at Trinity Lutheran Church.
Perry Metzger Presents: Otter, a new dialect of Lisp.
Perry Metzger will present Otter, a new dialect of Lisp. Otter is
strongly influenced by Scheme and Python, with some bits of
inspiration from Common Lisp, Perl and other languages thrown in,
as well as some strange ideas Perry came up up with on his own.
The results may be pleasing to some and are guaranteed to be
repulsive to others. If you're tired of waiting for Paul Graham to
release Arc, you may find Otter interesting. If you don't care if
Paul Graham ever releases Arc, you may also find Otter
interesting. In the unlikely event that all goes according to
plan, a prototype Otter interpreter will be released as open
source the same evening as the talk.
このときまでに風邪がなおってるといいね… (あと3週間も続いてたら完全に死んでそうだが)
ところで、新山は整腸剤として子供のころから ミヤリサン錠にお世話になってるのだが、 6年前に米国に持ってきた錠剤がまだ充分に効くことがわかった。 すばらっし。強制的な下痢止めとは違って、 じょじょに回復するタイプなのだが確実に効く。むかしから下痢ぎみだった新山にとって、 ミヤリサン工場のある長野県戸倉町は聖地ともいうべき存在であった。 てゆうか、この薬、もっと知られてもいいのにね。
頭痛は昨日よりいくらかマシだが、身体がふらふらする。 下痢でかなり脱水しただろうから、スポーツドリンク (カロリー有) を買ってきて飲む。 咳はよくならず。 やれやれ、まだこの抗生物質をあと 3日もとらにゃいかんのか。 気がめいるよ。
いきなり昨日から具合がわるくなった。 まず、関節の痛み。あれあれと思っているうちに、呼吸が苦しくなる。 前から気管支炎っぽかったのだが、今回は本当にヤバイかも、 と思って病院へ行く。レントゲンの結果、肺は正常 (つまり肺炎ではない)。 急性気管支炎ってことで、とりあえず咳止めと抗生物質を処方してもらう。
しかしおかしなことに、熱がほとんど出てないのだった。 ふつうインフルエンザとかなら熱出るよな…。 にもかかわらず、今日になっても関節は痛いし、ダルいし、舌もヘンだし、 頭の後ろのほうも微妙に痛い (これは新山が風邪になるとよくでる症状)。 熱が出てくれたほうがまだありがたいのだが… このまま発展して髄膜炎とか脳炎になったらホントにアレだぞ。 でも日記を書くことはできるらしいので、脳はまだ正常ってことか (あるいはもとから異常か)。
消化器官はとくに異常ないのでハラはへるのだが、 いちいち何か作るのめんどう。こういうときに一人暮らしってツラいね。
ところで (てくるで)、頭痛にもいろいろあるよね。 新山はよく偏頭痛になるが、風邪のときの頭痛ってのは、あきらかに偏頭痛とは違う。 偏頭痛 (片頭痛とも) は片側だけがズキズキと痛いのに対して、 風邪の場合は両側が痛いし、偏頭痛だと頭の上 (?) のほうが痛いのに対して、 風邪では目の奥から首筋にかけてが痛くなる。 それから偏頭痛はだいたい午後から夕方にかけてもっともひどくなるが、 午前中には「あ、これはなんかヤバそうだぞ」という予兆のような感覚がある。 で、偏頭痛は夜になるとケロリと直ってしまうが、それまでの痛みは相当なもので、 頭痛が起きているときはほとんど動けない。 だいたいこれがほぼ 1ヵ月周期でやってくるので、 頭痛薬は欠かせないのだった。しかしとにかく今回のは偏頭痛じゃないみたいだ。
にしても、さ、なーんか「頭痛」って書くだけで 頭痛がしてくるような単語だよね。ぬんとぬく。頭痛頭痛変頭痛
object
クラスを継承していなかった。
しかし、こないだの python ミーティングで Peter の書いたコードを見てたら、
彼はなぜかいつも object
を継承してるのね。
なんで? と尋いたら「なんかいいことがあるらしいんだけど忘れた」という。
で、今日発見 (はっけそ) した「いいこと」のひとつ:
(object を継承しない場合) >>> class A: pass >>> a = A() >>> dir(a) ['__doc__', '__module__'] >>> a[1] = 2 Traceback (most recent call last): File "<stdin>", line 1, in ? AttributeError: A instance has no attribute '__setitem__' (object を継承した場合) >>> class B(object): pass >>> b = B() >>> dir(b) ['__class__', '__delattr__', '__dict__', '__doc__', '__getattribute__', '__hash__', '__init__', '__module__', '__new__', '__reduce__', '__reduce_ex__', '__repr__', '__setattr__', '__str__', '__weakref__'] >>> b[1] = 2 Traceback (most recent call last): File "<stdin>", line 1, in ? TypeError: object does not support item assignment
つまり object
を継承したときにはちゃんと
「返されるべき」エラーが返される。
たしかに AttributeError
じゃちょっとつまんないよね。
「つまんない」という類の問題か?
それからもうひとつ。以前に、
posix.unlink == posix.remove
であることを発見したが (はっけそ)、
きょうは
posix.unlink is posix.remove
ではないことを発見した (はっけそ)。
これはつまり:
関数そのものは同じだが
>>> help(posix.remove)
Help on built-in function remove in module posix:
remove(...)
remove(path)
Remove a file (same as unlink(path)).
>>> help(posix.unlink)
Help on built-in function unlink in module posix:
unlink(...)
unlink(path)
Remove a file (same as remove(path)).
>>>
__doc__
が違うからという理由らしい
(ソースみるとわかる)。
yuck!
この国の問題は、インフラが (安全性という観点からは) チョーー貧弱なわりには、 規模ばかり拡張していることである。ぜったいまたどっかで大規模な停電が起きるだろう。 そのわりにはどうでもいい部分 (機内持ち込み荷物とか) のセキュリティばかり強化して不便にしている。 アホか。まったく、テロ対策うんぬんの前に、やることがいーーーっぱいあるだろうに、な!
ハラへった
ところで、いまの時代 mod って聴いてる人いるんかね、欧米ではまだけっこういるみたいだけど。 じつは結構いい曲もあるよ。しかし新山は mod ファイルは (mpd の使っている) mikmod ではなく timidity で聴くほうが好きである (エコーがかかるので)。
数量的なアルゴリズムに頼れば客観的だと思っているその思想こそが、 じつはすでにおそろしく差別的だ。もちろん、そんなことに気づいたら自然言語処理なんかやってられませんさ。
hisasiburridane.
で、宗教の定義に関する新山の考えはもうちょっと一般化されている。 これはまえに Edgar と話しているうちに思いついたんだけど、世の中にいる各人の信仰 (宗教というと宗教団体を感じさせるので、ここでは信仰といっておく) は、 じつはほとんど同じであると思う。 世のほとんどの人は、ほとんど同じ信仰を共有しているのだ。 たとえばビルの屋上で淵に立って、ここから飛び降りれば死ぬな、 と考えてブルったりするのは信仰のせいだ、なぜなら、 「飛び降りたら死ぬ」という事実は、ほとんどの人が否応なく信じさせられている。 これは、自分が信じるか信じないかを選べるようなたぐいの知識ではない。 通常の人間は、自分は (落ちたら死ぬと) 信じたくないから信じない、 などとはいえない。でもこの信念はどっから身につけたのか? といえば、それは別に聖書に書いてあったわけではなく、 幼いときからいろいろと生活してきた知識の蓄積にすぎない (あるいは本能かもしれない)。 しかし、そーゆー知識はほとんどの人間が持っているため、 わざわざ「信仰」と名づけたりしないのである。常識なんである。
で、キリスト教とかイスラム教とゆーのは、そういう大部分の共通認識に チョコっと「神」とか「三位一体」とかいう“常識”を付け加えようとしただけのものだ。 それ以外の膨大な“常識”はじつはどの宗教でもほとんど一緒である。どっちの宗教でも ビルから飛び降りたら死ぬし (もしかしたらオウム真理教の場合は空中浮遊できるから大丈夫なのか?)、 腐ったものを食ったら腹こわすし (もしかしたらオウムの場合は慣れてるから大丈夫なのか?)、 ぜんぜん一緒じゃん。違いなんて、微々たるもんでしかない。しかし人はこのツマラン差異に 名前をつけていろいろと煽るわけだ。 ようするに既存宗教っつうのはブランド戦略である。 サランラップとNEW・クレラップの違いみたいなもんで、サランラップ信者は 「保湿力ならサランラップのほうが上だ!」と言い、NEW・クレラップ信者は 「切りやすさならクレラップがサイコー!」と言うが、どっちも基本的な目的は達成できるんだから、 あとは個人の趣味の問題だ。ようするに宗教の差 == ブランド選び == 個人の趣味である。 逆にいうと、どうやっても「どんぐりの背比べ」なので、絶対に結着はつかない。 こいつらは永久にもめつづける運命にある。 新山がキリスト教を嫌い嫌いというのも、その理由は連中の趣味が悪いというだけにすぎない。 だから彼らに対してできることは、せいぜいありったけの悪口を言って、なるべく離れて暮らす、 というぐらいのことだ。しかし一部の極端な人々は趣味の合わない奴を殺したり、 強制的に改宗させたりしたがるのである。問題はそこだろ。 実はドーでもいい (どうでもよろ) ことを重大事項として扱うのは人類共通の病気らしい。 あ、でも、一部の差異 (中絶の是非とか、肉食うなとか) は現実に影響が出るのでドーでもよくないか。 でも、どっちにせよ趣味の範疇であることに変わりはない。個人の趣味に差異を許すかぎり、 こりゃ永久に結着つかないよ。
しかし、趣味の問題でかくも熱くなれるというのは、人類がヒマになってきた証拠かもしんない。 (すでに過去1000年間ぐらいヒマですが)
だから、なんなの?
いやオレは別に宗教の定義について言いたいわけではなかった。
問題は /sbin/init
と一神教の類似についてである。
.flv
になってしまうのだろうか。
つまらん。世の中つまらん!
(追記)
ちなみに、現在の fooling リポジトリに含まれている pycdb.py
では
じつは通常の cdb を拡張した tcdb という形式
(新山が勝手に名付けたもので、cdb と完全上位互換を保ちつつ、
なおかつ階層的な lookup を可能にしたもの) も扱えるようになっちょります。
いまんところ、まだ使ってないけどね。今後使う予定はあるのだが、どう使うかはまだ秘密だる。
注: ヘモグロビンとは、ヘモ + グロビン のアリストテレス的接合物 (弁証法=公準) である。 darmig?
ものごとの質を (金銭的な動機づけなど) 外圧によって 力ずくで上げようとする試みは、よくてちょっとの効果にとどまるか、 たいていの場合は失敗に終わるだろう。 それは、ある意味では、人間の良心と似たところがあるのかもしれない。 いくら罰則を厳しくしたところで、犯罪率は減るだろうけど、 人がみんな善人 (どんな意味であれ) になるわけではない。 よい品質を生みだすためには、内側から働きかけるしかないわけだ。 でもそれってどんなんだろう?
ある種の組織や企業は、宗教っぽいお題目で社員を洗脳する (宗教そのもののこともある)。しかしそういうやり方は個人的には拒否したいところ。 だとすると、ほかにどんなことができるんだろうか? たぶん答えは「どうもできない」かもしれない。 うちらはただひたすらに日頃から嗅覚を鍛えておくしかないのかもしれない。 かもしれないが、かもしれない。
(追記) いや、むしろここでは問題設定を逆にするべきだ。 なぜ一部の「品質」は金で買えるのか? と考えてみるに、結局のところ (ケッキョキ、) それはブランドものの品質というのはすべて即物的な「量」の問題に還元できるからである。 たいていはそれは「使う材料の量」や「かける手間」によるものであって、 材料費か人件費がかさむだけで、各段階のプロセスそのものは 作業員のやる気が特に高いわけでもないはず。 ところが、こうした量に還元できない品質というものがあって、 たとえば小説はいくら金をかけようと時間をかけようと、面白いモノが できてくるという保証はないし、依然として品質が コントロールできない要素として残るわけである。 だからオレは何が言いたいんだろう? …ええと、新山の関心はソフトウェアにあるので、 ソフトウェアの開発行程で、こういった「量」の問題に還元できるような 部分はあるのか、ということである。 つまり「この部分はひたすら (事務的に) やれば確実に品質は上がりますよ」 っていうような箇所は存在するのか。 unittests は事務的にでもやればバグは減るかもしれないが、 そんなら offensive programming もそうだよな (もっともこれは行程ではなく、 指針って感じでしかないが)。
(さらに追記) いかん、大きな落とし穴にハマっていた。ほとんどの場合、ソフトウェアなどの 「品質」は単純に (耐久年数のような) 一次元の基準で評価できないということである。 バグの少なさや速度というのはたんにソフトウェアの品質のごく一部でしかない。 しかし、いまだにソフトウェアの「品質」ということの意味を本当に気にしてそうなのは theo様の一味だけのような気がするので…。
/sbin/init
とキリスト教的神の類似性」というのがある。
これはまたあとで書く。
こんなことを考えたのは、旅行中に Denett の "Breaking the Spell" を もってって読んでたからなのだな。邦訳はないらっし。
もちろん答えは最初からわかってるんですケド。 自分が判断してるわけではないんだよね。
人生のうちで気ままに一人旅ができる時間は、おそらく少ない。 まともな社会人にはむりだろうから、できるのは学生んときぐらいだろう。 しかし新山のように「次の日のホテルも決めずにあっちこっちデタラメに行く」という方法は、 インフラがあまり発展してない国では時間がかかりすぎるということを今回は実感した。 ってゆうか、時間に余裕があればいくらかかってもいいんだけどね。 今回はそうでもなかったうえに、おまけに距離だけはデカイときたから、 あまり欲張れなかった。それと語学の問題があります…。 いやー、前回欧州に行ったときにも思いましたが、 ニューヨークに帰ってきて、英語が通じる国ってのはなんてありがたいんだ、 と思うっすね。ほんとに。ちなみに前回はガイドブックはちょっとマニア向けなものを 買っていたが、今回はミーハーに米国版「地球の歩き方」ともいえる Lonely Planet を購入。 でも地図まちがってた。どーせそんなもんだろう…ぶつぶつ。
さて話は戻るが、なぜオレは一人旅をしなければいけないのか。 楽しみという意味ももちろんあるけど、新山の場合はけっこう修行っぽい意味もある。 一人旅っつうのはそんなにラクなわけでもない。 慣れない、おまけにたいして発展してもいない国へ行く場合はとくにそう。 フランスとかドイツとかはやっぱ (金かかるけど) 楽だよね。 にもかかわらず、新山がそれ以外の国へ行くのは、ひとえに不安を味わうためである。 不安といっても、政情不安とか伝染病とか、そういうホントに人命にかかわるようなものではなくて、 むしろ「宙ぶらりんな感じ」とでもいったらいいんだろうか。 それを人は“自由”とか呼ぶのかもしれないが、新山にとってそれは不安でしかない。 旅行では、(ホテルでずっとごろごろしているというパターンを除くと) つねに「選択」と「行動」が要求される。しかも一人の状態ではこれらの結果はすべて自己責任である。 でもオレは決っっしてスリルを味わいたいわけじゃないんだよ。 新山は平和主義者だし、スリルなんてもんは嫌いだ。 にもかかわらず、自分はそういう状況に身を置かなければならないと思う。 旅行から帰ってきての感想は、いつも (趣味で行っているときでも) 「やれやれ、やーっと終わった」というのが一番大きな部分で、 楽しかったかどうかを思い出すのはそのあとだ。 本質的に、オレって旅行好きじゃないのかもしれないな。 でもそれならなおさら、なぜ無理してまで行こうとするんだろうか? なぞだ。 これからの社会にはもっと沢山のやりきれない状況が待ちうけていると思われるため、 今からそういう状況に慣れておくとでも思ってるんだろうか? わからない。
航空券: 850 USD
その他: 640 USD
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計: 1490 USD
航空券を除けば、1日あたり 45ドルか…。 こうしてみると、大したことないような気もするし、だいぶ使ったような気もする。 ま、こんなもんっしょ。
ガジェットの
必死で得けるを
用もなし
使いかたわからず
チョーーみっともな
祐介
かといって、使いこなそうと説明書をやたら真剣に読んでも、それはそれで敗北。
Document ID: 0bb17ebb1afc0e8c191b8e9089d9f935
Yusuke Shinyama